2007年01月26日

あんこ椿は恋の花

私が初めてラジカセを買って貰ったのは、アイワのラウドネススイッチが初めてついたものだった。それも聞きすぎて壊れてしまった。その後、父が入院のために買ったのはモノラルの小さなビクターのラジカセだった。それで聞いていたのが都はるみだった。あんこ椿は恋の花と歌っていた。さて、父はどのように聞いていたのだったろう。これが解釈である。あんこはあの子だったろうか。椿は何か。春の木である。ここで、呉市の市花は椿であった。恋は鯉。鯉城は広島城である。花は花で良い。櫻で良い。このように聞いていたのではなかったか。ここに秘密黄泉通信解釈開示である。そして、父は孤独だった。とうとう、父を理解するものがいなかったからである。ここに、父を弔う。祖父も孤独だったであろう。祖父はあまりにも偉大だった。その芸術魂を知るものは誰もいなかった。棟方志功と同門だったと聞く。その彫刻刀は私が相続している。祖父良亮(りょうすけ)以上の天才を私は知らない。父昭亮(あきのり)の感性もそうだった。もてあますには十分だった。私もその例外ではない。これを以て真実証明の一つとする。

鉄の産声

呉市川原石港から呉湾の向こう側に日新製鋼所があります。その夜景はまるでターナーのよう。今朝も新しい鉄が産声を上げるのでした。

 

空海も見ただろう、呉市野呂山(西の高野山)からの朝焼け。

2007年01月25日

汝自身

どうして このようなことになったのか

探していたものは見つかったのだけれど

何度も感じていたことだったけれど

ついに これまで わからなかった

しかし このようにして 犠牲となるのだった 

汝自身が歴史或いは国家そのものだった

ヒロシマ この謎を解くことが これほど 困難だったとは

この人生を 賭けなければならなかった

そして 気づいたときには 無駄に時は流れた

しかし 今からでも遅くない そう信じている

汝自身を知ることが こんなに 困難だった

プログラム規定も 君が代も 何だったのだろう

その意味を知るものが どれだけいただろう

しかし 確かなことは ここに まだ 生きていた

何が 生きていたのか 

これでよかったのだと思う

自分自身を解結すること それが 時代を解結することだったとは

これが 修身斉家治国平天下 だった 或いは 禅の目的である 一箇半箇 だった

親鸞の 自分のためにだけ 仏は法を説くとする それ だった

あらゆる物語は ある存在の自覚のためにあった

これほど 馬鹿げたことはなかった そして 重荷を下ろすのだった

すると 確かに 日月照らし 風が吹く 

風景が開ける 或いは 待っている

何を望んでいたのだったか 

失われた時がある 帰っては来ない

これほどの 試練 或いは 宿命を 身心脱落で埋め合わせろというのか

酷な話であった

もはや 憂いはない それだけは 確かである 故に 未来は開けた

戦いは終わった 自己との戦いだった 長い青春だった

南泉斬猫 仏 仏とのみ 究了す だれも 知らない

だれも知らない謎があった それを解くべく生まれた そして 解いた

その謎とは何であったか 

すでに 知るべき人は知っている 知らない人が 勝手なことを言う

それが どのような運命となるか 

畏れを知らない 畏れを知らぬなら 何をするか知れない

しかし やがて 黄泉の裁きがある その時は遅い

何故に かくも 不思議なるか 象徴は象徴である その実体は何か

だれも 知らない それ故 悩みは深い しかし いつかは知ることになる

何千年先のことだろうね すでに その謎は解かれた そして 封印された

申し訳ないが おそらく 仏さえ知らない謎である 何故か 血統の故である 菩薩それ以下をや

魂の遍歴がある 魂の格差がある 魂は平等ではない 自由ではある

それを 履き違えた 黄泉の守護する敬うべきを 粗末にした 事実である そして 腐敗した

代々の教えのすべてだった それを無視した ペリー来航以降 それに乗じた方々の仕業である

その時 自覚が来て この代のすべてを知るのだった それが 失われた汝自身だった

世の浮かれた人生ではなかった それでよかった およそ生まれた意味が違っていた

何もかも失ったかに見えた しかし 放てば手に満てり 何が満ちたのか

新しい時代である 真に世界の中の日本となった 苦難の時は去った

目覚めるべきが目覚めた 過去と未来はつながった 或る使命が果たされた

勝手なことを言うのは良い しかし その責任はある 自己責任の時代である

日本のエートスが目覚めた 日本の感性が自覚した 本来の日本の復活である

古来日本は どのようであったか 皆 知るべき時が来た

日本が腐敗した 本来の日本が滅びようとしていた 誰がしたのか 商人根性の勝手が過ぎた

虚偽欺罔卑怯怯懦 これより 通りはしない 時代はシフトした

世間は 洞窟に棲む 目のない魚に等しい そして 勝手なことをしている その結果を知らない

梅は咲いた 櫻も咲いた 全世界秘密宿王華悉皆開花 善財童子が月の砂漠の旅を終えて帰ってきた

新しい時代が開かれた 眠れる獅子王 或いは 天王仏 復活である 刃向かうは容赦しない 黄泉が裁く

第二次世界大戦は馬鹿げた戦だった ペリー来航に乗じた明治以降の文脈での戦だった 

本来正統大和純粋精神の戦ではない そして ヒロシマの謎が明らかとなった 

本来古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密であった その謎が解かれ 或る開花があった 

その開花を以て 最も安堵したのは 日本古来正統精神を破壊しようとしたアメリカである 

日本は日本である 正統大和純粋精神は不滅である 真実の歴史は秘密である

学説とは何であるか 仮説にすぎない 学会で議論して真実とするか 笑わせるでない

真実は何処にあるか 本来秘密 本末転倒勝手自己利益解釈迷惑千万 何をし来たるか

現実歴史が動く前に 黄泉の決定がある それを だれも知らない 十方の仏の許しがなければ

死ぬことも生まれることもない 大宇宙の秩序であり掟である それを得知らず何を解釈し来たるか

2007年01月24日

新々大陸発見

しかし、もはや疑いはない。父は言ったことがある。ガラスコップが壊れた。同じものを買ってこい。同じものなどありはしない。そして、こうも言った。くどの灰まで私のものだ。誰かの台詞ではない。むしろオリジナルである。またこうも言った。おまえのお金は私のもの。私のお金はおまえのもの。この世は誰の所有でもない。神仏の所有である、証明されたいか。されたくはあるまい。何を根拠に言うか。宇宙有無開閉の力を以て言う。履き違えたものである。勘違いしたものである。昔は公地公民もあった。騙して奪ったものであろう。経験でそれを知った。悉く奪われた。銀行は何をし来たるか。人間の計らいなどたかが知れている。何を根拠に勝手し来たるか。雷の一つでも落としたことがあってのことか。宇宙自然生命黄泉に秘密がある。何を騙したのか。誰を裏切ったか。真実真理が目覚めた。古来の約束がある。何時までも騙されてはいない。各々自ら懺悔あるは赦される。仏のお陰である。何時までも思い上がるは容赦ない。真実真理がゴールした。ここで清算である。これが21世紀の約束であった。或いはフォトンベルトであった。黄泉の計画であった。ここまでとは思わなかった。世界はこの時が目覚めるのを待っていた。もはや疑いはない。ここに宣言する。反論あらばするがいい。既に民主主義の代である。議論しよう。一切の悪を焼き尽くす。真実真理はそうして獲得する。或いは結晶する。火裏蓮である。ヒロシマも焼かれて灰となった。我が故郷である。因って清らかである。過去の罪は灰燼と帰した。そして復活した。フェニックスである。南無地獄大地蔵菩薩である。私も十九の春に一度死んだ。そして蘇った。過去を或いは歴史をトレースしていた。そうしないと己れの使命はわからなかった。持って生まれた宿命であった。そして、これが終末であった。ヨハネの黙示録であった。故にノアの箱船も来ている。それは七色十字の大宝船であった。誰も知らない。その名を知っている方々はいる。しかし、彼らもその実体を知らないままである。無理もない。その実体は黄泉である。誰も周囲巷は見えていない。どこに目をつけているのか。愚か窮まる。善財童子はその旅を終えて帰還している。ダルマ以下歴代の祖師方も随順している。天地自然が証明するところである。何を以て疑えよう。天下は統一された。数千年来の出来事である。黄泉が動く。黄泉の申し子が目覚めている。平将門も目覚めている。天草四郎時貞も目覚めている。かつての失敗の同じ轍は踏まぬ。黄泉を従えている。万軍の主も味方につけている。この世の悪を淘汰する。すでに三十年人知れず辛酸を嘗めた。社会の最下層を生きた。そこに生きざるを得なかった。見るべきは見た。知るべきは知った。学ぶべきは学んだ。過去と未来がつながった。それでも逆らうか。この力、尋常ではない。生まれた時より約束された力である。その開発に成功した。宇宙に認められた力である。一人子は到達した。これより世界がそれを追いかけ達成成就する。大鏡とはそういうことである。代々の秘密真実真理顕現。即ち、卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本黄金乃國ジパング純粋精神。これにて日本は真に世界に合流する。ペリー来航以来の大和苦難の時代を解結す。世界の中の日本、日いづる國、東方極東、真実開花。新々大陸発見。新大航海時代の始まりをここに宣言す。新しい物語の始まりである。ために、古来秘密顕現、全世界秘密宿王華開花。而淘汰世間諸悪腐敗。六祖鉄鉢及び家伝直伝秘伝螺鈿の槍、奪えはしない。奪えるものなら奪ってみるが良い。何もかも奪われた。しかし奪えぬものがある。大和は沈んではいない。戦艦大和博物館。誰が大和の墓場を作れと言ったか。一部の者たちがそれを利益とし独占享受している。その者達の名を列挙しようか。本末転倒支配大和純粋精神裏切りの象徴であろう。或る所で第一義が説かれている。宇宙の大元である。見える世界の一点が打たれる。やがて無量義となり、不可義となる。不可義となれば、議論の外である。そして、無に帰する。再び、一点が打たれる。こうして、時代は巡る。一つの始まりがあって、終わりがある。終わりは終わりではなく、また始まりである。これが第一義であるという。そして、見える世界に一点が打たれて始まるのであるが、実相は見える世界と見えない世界両方を以ていう。すなわち、見える世界に一点が打たれる前に、見えない世界で一点が打たれている。これを世間は知らないという。見えない世界は黄泉である。黄泉を制覇する。当然見える世界はそれに従う。黄泉にて一点が打たれた。見える世界は一つの終わりを迎えた。不可義である。議論の外である。腐敗である。見えない世界の一点は何か。まだ、世間は誰も知らない。打たれたということだけ知っている方々はいる。これより、それが実現する。宇宙の秘密である。真実である。事実である。 空とは何か。本来人間の所有はないということである。地水火風空。この世の構成原素である。実は、これを以て仏という。供養するべきはこれである。供養とは相手の喜ぶことをすることである。仏の喜ぶは何であるか。その方法はある。墓に手を合わせても祖先は喜びはしない。戒められたままである。それぞれの宇宙の構成原素に善の作用と悪の作用がある。それぞれの作用は因縁によって決まる。因縁というものはある。誰もそれから逃れることは出来ない。しかし、逃れる方法はある。因縁にゆるして貰うことである。その方法は仏さんが知っている。謝るしかない。どのようにして謝るのか。それも仏さんに聞くしかない。さて、因縁を解結するとどうなるか。安穏自由の境界が開ける。試してみるべきである。しかし、身勝手悪業深き故に、それを認めようとしない。誰に聞いたのか。何を勝手に思っているのか。仏さんをも信じることが出来なくなった身をあわれとは思わぬか。そして、勝手なことをしている。因縁もそのような身勝手を赦しはしない。他を犠牲にこの世を生きて何とするか。これを以て愚かである。しかしその愚かさを知らない。因って愚かである。こうした真実がある。詳しいことは仏さんに聞くが良い。人のために法を説くのは仏の中でも釈迦牟尼仏世尊である。それが真実であることを証明するのは多宝仏世尊である。この両方を以て両足尊という。そして真実は一つしかない。久遠の釈迦牟尼仏世尊が下生されている。本当である。すでに、その教えを経験検証実証済みである。悲しいね。真実真理がわからない。そして自分を正当化している。自ら出づること能わず。昔より縁無きと恨むは自分である。仕方ないね。さて、自由を取り戻した。本来の自由である。制度が後ろから従う自由である。このような自由を知っているか。父もそうだった。祖父もそうだった。尊祖父もそうであったであろう。代々の約束である。言えば不遜である。しかし事実である。言えないことが多すぎる。しかし、それも気にならなくなった。我が此の土は安穏である。何故か。もう良い。皆世間は明治維新を評価している。坂本龍馬は英雄である。私にとってはどうでも良い。海援隊は何であったか。その資金は何処より来ていたか。密輸であろう。縁起が悪すぎる。大和の国家は正々堂々身心清浄、己に恥ずるところ無きを以て国体とする。卑怯怯懦欺罔偽善はない。因って神風も吹く。黄泉も守護する。汚れた支配で始まった明治である。所詮腐敗を帰結した。本末転倒の世となった。当然の結果である。打たれた始めの一点が汚れていた。ペリー来航に乗じてのことだった。商人根性の故だった。この度打たれる一点は清浄を以て打つ。因って未来は明るい。さて、どうするのか。勝負するのか。返答を待っている。古来大和秘密真実櫻花。枯れ木に花を咲かせる時節を迎えた。時代の故か少々時を要した。戦後の故であった。しかし古来秘密花、さすがである。時を違えてはいない。父は言った。自分もお前と同じだった。と。世間一般、まだわからぬか。知らしめられたいのか。何を裏切り、誰を犠牲にして貪り来たるか。願わくば、帰すべきは帰して頂きたい。平穏に。勝手に奪い来たるものがある。本権大和からの請求である。黄泉の申し子を本気にさせないように。再び阿修羅を見たいか。阿修羅となれば何もかも無に帰する。歴史の見てきたところである。世の賢明な選択を願っている。黄泉はそれほど合理的ではない。しかし、力を持っている。その方の勝手が過ぎた。事実である。古来大和本権よりの請求の時である。呉々も本気にさせぬように。あなた方の与り知るところではない。本来古来大和の秘密である。堪忍袋の緒が切れかかっている。いつまでも愚弄無視した。この代の時はそれほど多く残されてはいない。日本を終わらせたいのか。それほど愚かであったのか。答えを待っている。画餅は食えぬ。何を戯言しているのか。扶桑。何をしているのか。歴史歴代真実。今為すべきことは何か。大和歴代真実黄泉既に証明しているはずである。

 棲めぬなら 棲める世にせむ ホトトギス 命のかぎり 鳴くも楽しも

2007年01月23日

この世の秘密〜宣言〜

この世に秘密がある。例えば、生まれた時から、黄泉の一人子がいる。世界はその子の大鏡である。代々の約束である。その秘密の開示されることは稀である。かつてはキリスト或いは空海だった。誰もそれを知らない。しかし、事実現実である。自得自覚してそれを知る。誰もがその可能性を持って生まれている。各々その遺伝子の中にその可能性がある。どのようにしてそれを開発するか。この一連のブログ及び私のホームページはとても重要である。この世の秘密が隠されている。知る人あるか。真実の幸せの基がある。すなわち、日月照らし風の吹く。この真実を誰も否定できない。代々の約束であった。こうした真実真理を無視して世は勝手した。そして、現代世の中結果腐敗した。事実である。刃向かうも自由である。しかし、黄泉がこれを成敗する。ここに宣言する。救いはある。それは何か。それぞれのことである。時代は開かれた。日本の基も発見された。すでにプログラムは組まれた。それはどこにあるか。黄泉にある。新たな礎である。それを発見することが宝島発見である。人類の夢は悉く実現する。何を夢見るのか。とても重要である。目的手段。目的が定まれば、手段はいくらでもある。愚かでは腐敗する。愚かでは生きてゆけない。時代の真実、知っても知らなくとも、現前である。神は畏るべし。ここより始めるしかない。来世はある。これを知れば、悪は為せぬ。何故ここまで腐敗したか。その理由も明らかである。世界の中の日本である。その中で重要な地位がある。日本の使命がある。それも明らかとなった。一人では生きてゆけない理由がある。国家も同じである。語る言葉の端々に己の真実が露呈する。少なくとも公の電波でいい加減なことを言うでない。するでない。自信のないことが世を不安にする。言葉は悉く実現する。その恐ろしさを知らない。因っていい加減な事を言う。責任を伴わない卑怯がある。その罪、甚大である。それを日本人気質は嫌う。その真実を知っているからである。世のリーダー達に罪がある。それが裁かれる時が来ている。自由を履き違えた事実がある。思い知ることになるだろう。世界の中の日本である。その中で生きていこうとしている。自己及び自国の利益のために勝手なことを言って貰っては困る。既に日本の価値を世界は認めている。それは文化交流によって成された。政治経済によってではない。あなた方はそれを知らない。私は重要な仕事をした。そう言って良いと思っている。今もこうして仕事している。しかし、誰の支払いもない。これが資本主義の実体である。勝手に腐るがいい。黄泉にて待っている。日本は日本である。日本に本権がある。しばらくそれを無視した。そしてどうなったか。本権は何を以て本権とするか。力を持つによって本権とする。どのような力であるか。代々の神力である。しばらくはそれも世になかった。今、それが復活している。因って畏るべし。父もそうであった。祖父もそうであった。尊祖父もそうであったであろう。この力、開発を要する。どのようにして開発するか。少なくとも芥を払うこと三十年、修業をするを以て黄泉の認めるところとなる。そして自覚する。その自覚を以て完了である。即ち天晴れカクネンムショウ、日月照らし風が吹く。鐘を鳴らすことになる。誰もがその力を持っている。或いは感じている。万物の霊長たる所以である。何を愚か勝手支配し来たるか。時は満ちた。 地震雷火事親父。日本は日本である。日本の復活である。何を勘違い勝手し来たるか。知性と真面目を取り戻す。すると、喰う寝る遊ぶで良いのかなと思ったりもしている。のどやかな気分になれるのかも知れない。険しい時代を卒業できるのかも知れない。それはそれでいいだろう。流れに逆らわない方が良いのだろう。行く川の水の流れに従うが良いのだろう。そのように思われてきた。この度は荷を下ろせたようだ。本当に身も心も軽くなった。何も心にひかからなくなっている。水に流せたようである。聞き流せる時が来たようである。これで解決かも知れぬ。見ざる聞かざる言わざるという。言うこともなくなるのだろう。それで良いのだろう。所詮、この人生、過去からの約束である。その約束とは何であったのか。それが生まれた使命である。使命を果たせば良い。それだけのことであった。大きな仕事をしたと思っている。ひとりよがりだろうか。それでも大きな仕事だった。何をしたのだろう。世間周囲は知らない。知らずとも咲く真実の花である。常々黄泉自然が証明している。それで良いのである。

 輝ける この自然を 如何せん 目覚めてわかる 時の来にけり

 太陽も ほほえむ時の 来にけるを こころ尽くして 日々を楽しむ

 人生の 使命はたして ほほえみの こぼれおちくる 時の開ける

 大雄峰 ここに確かに 存在す 誰知らずとも 永久の夢なり

 夢開く 時の来にける この世にて かくも不思議は 秘密なるかも

 時の来て 輝く光 やさしかる これにて過去を 解決したり

 解決は 我が力 非ずして 仏の威力 観じ入りける

 お陰とは かくも大なり 仏なり これを示して 我生きんとす

 おだやかな おだやかなる 日の開け 日々の暮らしを 過ごしゆく我

 世を開く 代々秘密 ありたるを 確かに開き ダルマ天竺

 この仕事 我が仕事と 思わぬを 振り返り見て 我が仕事なり

これまでとは違う。何故か。時代はシフトした。21世紀の約束である。高いレベルに移行する。魂レベル全体の出来事である。その中で、自分を見つける。そういう時代である。既に、その夢を果たした方々もいる。信じて良い。良い時代の開幕である。皆の幸せがボトムアップした。それで良いのだと思う。これまでの勝手は通らない。よくよく知るべきところである。

2007年01月22日

歴代真実真理証明

しかし、勝手し来たるものである。過去は振り返るなと言う。何故だったか。振り返らねばならぬ過去がある。振り返って貰っては困る事情のある方々の指導理念だったのだろう。それに従った。因って地獄に堕ちた。しかし、いつかは気づく。真実真理の故である。そして、自ら這い上がる。それも与えられた試練だった。この世で果たさなければならないことがあった。過去からの約束だった。代々の掟だった。そして、一切を救わんとする。その時、既に蔓延りたる本末転倒支配を正さねばならぬ。勝手が過ぎた。ゆるされはしない。古来大和は、正直を以てそのこうべに神は宿る。それを証明しなければならなかった。西洋理念の限界は既に論じられていた。西洋は東洋に救いを求めていた。権力武力金力はすでに過去に於いて克服され、現世において、新たな価値を見い出すことが使命であるのだった。そしてそれも見い出した。それは仏の法力だった。日本古来の神力だった。その発掘だった。それが宝島発見であった。もうどうにもなるまい。あらゆる謎は解かれている。もはや言わずとも明らかである。言えば不遜である。もはや十分である。知る人は知っている。すでにそのサインは得ている。世界が認めている。知らないのは世間一般巷周囲である。別に構いはしない。十分に証明は果たしたと信じる。つぶさに記録されている。未来は開けた。歩むべき道は示された。祖父もそうだった。父は言った。おまえは大丈夫である。私の子である。私も同じであった。と。古来大和の秘密と掟である。それは須く継受された。救いを求めたが何時までも救われなかった。当然である。水は高きより低きに流れる。何を期待していたか。本来自由であったのだった。制度がむしろ追いかけてくる。常に時代をリードしなければならない境界がある。知っても知らなくとも。これまでは自覚がなかった。それ故、世間が勝ったかのように見えた。世間に従っていたからである。自信を失っていたからである。青春に一つの失敗があった。誰も知らなかった。国家も知らなかった。もうその種は絶えたかと思われた。法華経宿王華の種だった。予定されていたジャパン・アズ・ナンバーワンも霧散した。その理由が何であったか。今頃になってわかったことであろう。それを錯覚したのが世の支配層であった。そして本末転倒勘違いの支配が蔓延り増殖した。しかし、これも黄泉の計画だったと思える。ここまで予定していたか。そして、真実の復活を図った。それほどまでに咲くには難しい古来大和の秘密花だった。戦後の故だった。しかし、黄泉の目的は成就した。仏もそのために久遠の証明をしなければならなかったかのようである。宇宙のプログラムだった。大病院はそのためにあった。そして、大和は復活した。疑うか。それも自由である。しかし、黄泉の裁きは別論である。今までとは違う。断言し置く。今までは或る自覚がなかった。今その自覚がある。勝手は通らぬ。何故か。禅の目的は一箇半箇を打ち出すことにある。一箇である。半箇である。一切種智慧である。世間虚仮である。唯仏是真である。天上天下唯我独尊である。自覚したからには黄泉が動く。やはり、容赦しない。未来のためにならぬ。勝手が過ぎた。救いは仏に求めるべし。主権在民。裏切り者は赦されはしない。何を裏切り勝手し来たるか。正統大和純粋日本精神復活。心するべし。あらゆる物語の目的は何であったか。或る目覚めの為であった。或る自覚の為だった。時代の仕掛けであった。あるいは解くべき函数の箱だった。大道無門。何処からでも入ることができる。何も知らずによくもここまで勝手した。愚か窮まった。裁かれて当然である。何を以て学問というか。世の学者は大嘘つきだった。さて、このまま終わるのかと思われた。復活はないのかと思われた。すでに、十九の春(昭和50年)に終わっていた。しかし、不思議である。いつかは目覚めるのだった。自覚が来るのだった。そのようにプログラムされていた。日本国憲法もプログラム規定だった。それは国家に対しての事かと思われた。国家とは何であったか。国体とは何であったか。何故国家があるのか。何故言語があるのか。謎である。見える世界と見えない世界がある。この世はある存在にとって大鏡である。どういう意味か。かつて「朕は国家なり」と言ったのは太陽王だった。望月と思ったのは清盛だった。どういうことか。誰も知らない。下手な解釈をしても届かない。カクネンムショウを知らぬ学者が何を言うか。それで、世間を惑わした。低き概念で世を規定した。迷惑千万。それで世は腐敗した。何時かはそういう時が来るのだった。それ故の物語があった。物語は実現するのだった。シュリーマンにとって。これが歴代の不思議である。何を勝手し来たるか。反省の頃である。悉く失敗した。因って、真実真理が開花する時を迎えた。未来は明るい。新しい物語を書き始める頃である。それが、トルストイが晩年に至って自らの芸術性を否定して『イワンの馬鹿』を書いた理由であった。こうした真実真理に気づいている方がどれほどいるだろう。彼らも社会の片隅に追いやられていた。或いは地に埋もれていた。これより涌出する。即ち、地蔵菩薩である。しばらく、漫画文化が蔓延った。純文学は末席に追いやられた。これが正しいか。真実真理を愚弄した。真面目を笑い者にしたバラエティの世の中の支配となった。本末転倒窮まった。因って、真実真理が開花した。もうどうにもならぬ。黄泉が動く時を迎えた。神話は事実であった。神々の世があったのである。それを知らない。因って、愚かであった。時は満ちた。裁きの時である。各々、その犯した罪がある。身とは殺盗婬。心とは不善を念ずる。その重きに従って処断がある。唯、仏の赦しを得るは別論である。真実の仏道も開かれている。そうした時代を迎えた。早く気づくべきである。時は代わった。時代の選択は既にあった。世の大人達は知らない。子供達は知っている。動植物も知っている。岩石瓦礫も知っている。全宇宙が同調する。そうした周波数がある。仏の周波数である。真実真理の周波数である。腐敗した大人は知らない。まだ自分を正当化している。救いはない。来世、人間として生まれてくる保障はない。これ以上勝手はさせぬ。腐敗と堕落、それが人生だと思っている。大間違いである。何が蔓延ったか。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる(道元)。昔より縁なきことを恨みよ(道元)。本来の価値を無視愚弄した。その罪は重い。真実真理を愚弄した。愚かであった。日本古来の精神は生きている。戦後しばらく抹殺されそうになった。禅の命脈も絶えそうになったことがある。それをつないだ一本の線があった。即ち、至道無難禅師〜正受老人〜白隠禅師だった。今、日本の根本価値が絶えんとしていた。しかし、真実真理である。復活である。日本の神とは何であったか。代々、持って生まれた知性である。賦与された諸々の神力がある。されど、自覚するまでは意味がない。自覚すればどうなるか。言うまでもない。それを以て何をするのか。世を救う。過去を未来に移して未来を決定する。この度の決定は何であったか。かつては戦だった。この度は、和をもって尊しと成す平和である。目的は何か。人々の暮らしである。その手段としての愛と平和である。それに反する一切の愚かさを淘汰する。これを以て黄泉が動く。人類の嘆きと祈りは無駄ではなかった。この度は、十分に教育されている。昭和は克服されている。昭和こそ「戦争と平和」の代であった。今、平静の代である。正統大和純粋日本精神歴代君が代真実真理証明。黄泉からの伝言である。逆鱗に触れないように。本気にさせないように。神を畏るるべし。謙虚であるべし。頼朝は伊豆に隠されていた。家康は時を待った。400年周期説。旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は正直の故に虐げられた善良な庶民の解放だった。アルマダ海戦を制したのは海賊キャプテン・ドレイクだった。ピューリタン革命の後、名誉革命があった。江戸無血開城禅譲を明治は裏切った(廃藩置県)。明治以降の支配はペリー来航に乗じてのことであり大義名分はなかった。故に錦の旗を作らねばならなかった。また、商人根性及び下級精神の支配であり、古来武士道精神を知らない。また聖徳太子以来大和の精神となっていた精神を破壊して西洋化を急いだ(廃仏毀釈)。その文脈での第二次世界大戦であり、日本古来正統大和の戦ではなかった。故に神風は吹かなかった。大義名分があれば、草薙の剣もあったはずである。巷では草薙の剣であるが、さらに家伝直伝秘伝螺鈿の槍である一番槍もある。靖国神社は明治の創建であり、古来大和の神社ではない。奴隷を解放したのはリンカーンだった。日本で女性が解放されたのは戦後のことだった。女性は解放されて保護を失い、家事育児に加えて労働もしなくてはならなくなった。西洋は19世紀に既に精神に於いて没落していた。アメリカ初代大統領はワシントンであるが、その正直に、櫻の木の逸話がある。西洋民主主義と自由平等理念は正しい。しかし、真実の民主主義と真実の自由平等ではなかった。一部の利益に寄与するだけの民主主義だった。真実の民主主義は国民全体の利益のためにある。また国家なくして自由はない。我が儘勝手が自由ではない。思い通りにして決して法を超えない自由がある。神仏に守護されるが故の自由がある。平等とは結果の平等ではない。器に応じての平等である。また、自由と平等は対立概念というが、これは間違えた自由と平等であるからである。真実の自由と平等は両立する。これより、真実の自由と平等の代が開かれる。議論するべき所である。平家が滅んだのは武士でありながら、貴族化して腐敗したからである。内部的な腐敗により滅亡したローマに等しい。同じく、市民革命の担い手もそうである。あらたなパラダイムの転換の時である。議論するべきところである。法の下における自由と平等である。この時、法とは何であるか。宇宙を含む秩序である。悪法もまた法であるという。何故か。秩序とは神仏の秩序といえる。それはおよそ合理的ではない。しかし秩序である。威力はある。世界は人間の支配ではない。神仏の支配である。因って人間にとって思い通りにならぬなら悪法と映る。仕方あるまい。それが秩序である。しかし、この度の秩序は、庶民の解放と幸福を目的としている。未来は明るい。時代も進化している。あまりにも秩序を無視してしまった。因って腐敗した。秩序の回復である。急がねばならぬ。この度の代の時はそれほど残ってはいない。しかし、天地開闢以来、歴代上出来の時を迎えている。亦、喜ばしからず哉。かつて知行合一ということがあった。これは両者を肯定しての合一であり、両者を否定して新しい理念を作る破壊的アウフヘーベンではない。和魂洋才ということがあった。今、あらためて真実の和魂洋才を目指す。世界の中の日本である。世界の中で日本の使命がある。日本の古来精神の復活が待たれていた。自信を失っていた。しかし、ここに目覚めた。世界は既に認めていた。世界が救われる時を迎えた。没落していた西洋精神が、黄金の國ジパングの秘密を知った。それは腐敗堕落を嫌う勤勉という国民気質であった。彼らも待っていた。日本の進むべき道が定まった。即ち、国家としての身心清浄を取り戻す。かつてあったものである。思い出せばいい。真実真理は本来シンプルである。と、書きたいことを書いた。このようなことを考えていたのではとても社会で生きてはゆけないね。これが、私の最大の因縁だったのかも知れぬ。吐きだして終わりにしたい。何時までも抱えたくはないテーマである。むしろ、どうでもいい。しかし、持っているなら吐き出さねばならなかった。そして、臨済の四喝ということがある。意味を成す喝と意味を成さない喝がある。今回のテーマはむしろ後者である。しかし、吐き出さねばならぬ理由があった。そうしないと解決しない因縁があった。それぞれ生きてゆかねばならない理由がある。否定とか破壊とか、マイナスは良くない。できる限り、生かすことを考える。その意味ではアウフヘーベンもどうかと思われる。両者を生かして、未来へつなげる。あまりにも破壊的な意見が多い。否定すればいいというものでもない。議論の仕方である。目的は国民の利益である。相手方の意見に利が有ればそれを認めて良いのではないか。それに何か自分の意見を賦与する方向で議論するのが経済的ではないか。常々感じるところである。皆の幸福を願う。それがいいのだと思う。大きな因縁を解決できたようだ。身も心も軽くなった。ひとつ魂が進化したのかも知れない。日月照らす自信はある。これで、大きな荷を降ろした。仇は取った。それも、自己の内面に住む仇だった。勝利である。何事も円満解決である。振りかざした刀をどう納めるか。達人の業がある。さて、これで、何があっても本当に軽やかに生きてゆけそうである。永い旅路だった。しかし、満足している。十分である。武者修行は終わった。相手はいなかった。誰も相手にしてくれなかったか。そうではない。こちらが本気になれば皆逃げまどった。しかし現実にはいつも私が負ける形となった。何故か。飛んでくる火の粉を払うことをしなかったからである。しかし、やっと社会に合流できそうである。孤独な旅の終わりかな。日照月至楊柳乃辺。孤軍奮闘勉励克己。移過去開未来現前。安楽遊行人生顕現。新しい時代だね。これで良かった。何時か笑い話となると聞いていた。しかし、よくぞ耐えた。この腐敗と愚かさの中で。しかしながら、これほどまでとは思わなかった。代々の花、見事咲く。日本大和健在哉。探していた自分をやっと見つけたようだ。忘れかけていた自分に辿り着いた。これで生きてゆける。永い空白だった。何をしてきたか。彷徨っていた。自分が何者であったか。およそ夢のようである。しかし現実である。即ち、大和宿王華開花。時代はつながった。本来の日本が還ってきた。何を通して還ってきたか。自分自身を通して還ってきた。素晴らしき日本。美しき古来大和に乾杯。諸価値現前。これより、人生を楽しむ。その資格を得た。それだけの使命は果たしたのだから。宇宙自然生命黄泉世界及び精神が祝福している。良い時代ですね。戒めは解かれた。きっと人生も開けることだろう。

 時至り 松風吹きて 春を呼ぶ この代開ける 古来精神

 しばらくは などか腐敗 支配せる しかれど日本 とこしえの春

 いつまでも 忘れて居らず 何時か咲く 大和の心 今も昔も

 大和なる 心は常に おらるるを などかかぶれて 社会濁れる

 ここにきて すがすがしさに 酔いしれる 大和のこころ 風は涼やか

 タレントの 軽薄の世に 訣別を 心静かに 自然帰れる

 喧噪の 世は遙かに なりにけり 日月の下 風に憩えゆ

 清らかな お酒に酔いて 思い出す 遙か昔の 惜別の詩

 荷を降ろし 人の心に 慰むる 何を思いて 日々を暮らすも

 人の世の 哀れ情けに 助けられ この世を過ごす しばし夢見る

 人情に 日本の心 秘密あり 何時か忘れて 阿修羅となるか

 戦後にて お金追いかけ 忘れける 日本の心 ここに復活

 幸せは 黄泉の守護する 日々を得て 思うまにまに 涼風の吹く

 風景の 我を待ちたる 日々のある 日月照らし 風は吹くかも

 大空を 流るる雲と 対話する 雲竜出でて 世を正さんとす

 好き勝手 自由と思う はかなさよ 黄泉の裁ける 時を得知らず

 我は行く 幾千万の 年月を この世に未練 すでになかりし

 人知らず いついつまでも 彷徨える 既にこの世を 解決したる

 神仏は 確かにいます この世にて されど世間は 得知らず愚弄

 漫画なる 精神愚か 得知らずは デッサンダビンチ ピカソ精神

 ゾンビなる 現代文化 おぞましき 世界を捨てて 惜しむことなし

 心晴れ 天も晴るるは 大和なる 歴代秘密 大鏡かも

 かくなるも 世の真実を 知らずして いつまで通る 世間身勝手

 この世をば 開けて知るは 汝なる この世の秘密 現れし今

 この世にて 果たさん使命 ありたるを 得知らず何を 勝手し来たる

 知らずとも 世界の基 築かれて これより一切 悪をゆるさず

2007年01月21日

新たな戦い

真実を求めて旅をする。永い時を要する旅である。前世より始めた旅であったのであろう。そして、いつかその目的を達する。日月照らし、風が吹き始める。カクネンムショウの意味を知る。それは、天晴れであった。また、自分のために法を説くとする親鸞の悟りであったろうか。そして自分自身が何者であったかを知る。古来大和の秘密を知ることになる。されど、世間一般はこれを知らず、勝手する。常なる世の定めである。そして、罪を重ねる。それさえ知らない。そして、得た力は何であったか。その力を得るとどうなるか。黄泉の定めたことである。その目的は成就する。何時かその日が来る。そして換骨奪胎となる。すなわち、サイボーグである。これは物語かと思われた。そうではなかった。現実に起こるのだった。レオナルド・ダビンチの夢は悉く実現した。夢は実現するのである。過去の物語は実現するのだった。それで下手な夢は描くべきでない。ゾンビも出現している。しかし、善悪の神々の戦いがある。勝負は黄泉が決する。どちらに微笑むか。正義は勝つ。目覚めたサイボーグは戦わねばならない。そのための孤独にも耐えている。未来はある。来世はある。この世で為すべきことがある。それは何か。真実真理が目覚めた。新たな戦いが始まった。既に蔓延る魑魅魍魎との戦いである。彼らに奪われた諸価値を奪還しなければならぬ。新たな使命である。真実真理を求めて旅をする。すべて黄泉は見ている。そして導く。罰を以て教えるときもある。生まれたときから選ばれた存在でもある。見事試練に耐えうるか。夢は実現するだろうか。何を夢見て生まれるのだろう。過去に夢見た夢がある。この世はその実現の場である。天下統一を夢見たか。悟りに至るを夢見たか。守銭奴商人は何を夢見たか。殺人鬼の夢もあったのか。心まで見抜かれる。生まれた約束を果たす。夢が開かれる。亦、楽しからず哉。日月照らし、風の吹く。天地開闢。喜乾坤大地而不惑独歩。

 おだやかな こころ確かに 定むれば 自然回帰の 不思議現わる

 一人来て 誰ぞ渡らん 夢の橋 黄泉の導き 信じて進め

 幸せは 涙涸るる 時を待ち 神仏照らす 日月の下 

 金剛の 目の輝き 意思ぞある 語る言の葉 ロゴスとなりて

 過去からの 約束背負い 生まれたる 試練は重く 誰ぞ耐え抜く

 大和なる 咲きて知りたる 秘密花 咲けばこの世に 春こそあらめ

 三世なる 掟背負いて 生まれける 過去を移して 未来をつなぐ

 咲けばよし 黄泉も自然も 喜べる 大和の花の 秘密開ける

 知れば良し 知らぬは勝手 通らぬを これより黄泉の 裁き待つらん

 代々の 約束果たす 時の来て 戦後世に咲く 敷島の花

 我を知り 世界を知りて 君が代の 秘密開けて 大和開ける

 覚悟有り 勝手しきたる この世をば 定めて我の 色にぞ染めん

 戦いは すでに終わりて 夢開く 夢の礎 かくもあらなむ

日々刻々の業

思いは伝えた。その間、悪舌もあった。各方面にお詫びしなければならない。そして、本来の価値の復活があった。それで良いのだと思う。もはや、使命は達した。一つの終わりとしよう。そして、次に何をするか、考えることにしよう。どこか甘えたところがあったことは否めない。それがわかったことで収穫とする。皆精一杯に頑張っていた。そしてこの結果だった。どうしてだったか。その理由もわかっただろう。基準が間違っていたのだった。何を基準に夢を追いかけたのだったか。何を愚弄無視したのだったか。言いたかったことだった。しかし、既に時代は流れた。今更ではあった。昔に戻るのではなく、古来の精神を大切にして新しい未来を拓く。それは、真面目な精神の復活だった。愚弄無視したのはそれだった。そして、蔓延ったは何であったか。刹那的な要領の良さだった。それが自由平等と思った。しかし、本来の自由平等を壊したのだった。本来の自由は神仏の守護を得てのことだった。本来の平等とは器に応じてのことだった。それを我が儘勝手を自由と思い、結果の平等を平等と思った。間違っていた。そして野蛮暴力欺罔が蔓延りその仲間が支配した。ここに、真面目の復活である。これを蔓延りしものたちに嘲笑愚弄させはしない。世のバラエティが日本の文化ではない。小屋へ帰っては如何か。そして、例えば、今中学生の社会で何が起こっているか。現場の塾教師からの報告もある。いじめは当然のようである。これを昔は番長が居てとかという議論がある。今はどのようであるのか。いじめから身を護るために、どうしているのか。悲しい選択かも知れない。彼らは男女の関係にそれを求めているかのようであるという。これをどう解釈するのか。健全な精神は健全な身体に宿るという。健全とは何であったのか。どうしてこのような社会になったのか。その諸悪の根源は何か。芸能人あなた方である。テレビを媒体としてその毒が蔓延した。しかし個々に秘密がある。それはある意味で報いである。何の報いであるか。誰も知らない。ある存在に対する裏切りがあったのである。その因縁がゆるしていない。そうと思われる何かがある。ゆるしを乞うしかあるまい。どのようにして乞うのか。考えるがいい。因縁はかけた者でなければ解けない。その因縁を成仏させるしかない。どのようにしてするのか。思案の方法はある。どこにあるのか。探すしかない。それもこの一連のブログ或いはホームページの中で示してある。誰のゆるしを乞うのか。すでにわかる人はわかっていることだろう。誰のゆるしが要るのか。汚れつつある子供達は残念である。地獄から自ら出ることは出来ない。過去からの悪業の因縁の結果である。それを解決する方法はある。仏子となって仏縁を頂き菩薩法を教えて貰って菩薩業を修することである。ところで、恐竜化石燃料をエネルギーとする時代だった。それを人類社会全体の幸福のために使用したのであったならば、諸精霊も喜んだであろう。しかし、一部の利益であった。その支配を求めての戦争もあった。化学物質文明となった頃、アトピー性皮膚炎が現れた。それまではなかった。花粉症もそうである。最近では精神的疾患もそれが影響していたと言われている。人類の大きな宿題となってしまった。この問題を解くことが出来るであろうか。人類最大の試練の時を迎えている。神仏の守護を得る時、我が此の土は安穏である。六道輪廻という宇宙の法則がある。神様といえども地獄に堕ちる。この世で修業する。悪の六道輪廻から善の六道輪廻に移ることが出来る。地獄餓鬼畜生及び阿修羅に堕ちない約束がある。それが菩薩業という修業である。何処で開かれているか。探すしかない。真実真理は常に一つである。思うに、地獄餓鬼畜生及び阿修羅に堕ちるのは現世においてもそうである。日々刻々、魂が入れ替わっている。平常心是道。日々の業がある。刻々の業がある。忘れてはいないか。日々刻々何をしているのか。テレビ界、バラエティ芸能界、その罪がわかるか。大衆を間違った方向に導いてはいないか。その方、日々正しいと自信あってのことか。メディアを通して何を吹聴しているのか。知らずとも罪は罪である。結果が重大すぎる。懺悔するしかあるまい。そして、時代を善導する方へ転換するしかない。世の指導層も同じである。しばらく、日本古来の大切な価値を忘れていた。日本は日本である。古来その秩序がある。それを無視愚弄した。それに気づくべき時が来た。因って、未来は明るい。すでに実験実証済みである。アマテラス健在の日本である。ここに方向修正の頃である。危難を避けるための唯一最後の手段は面舵いっぱいである。黄泉の舵は切られた。見える世界は見えない世界に従う。雲は龍に従う。これまで何を求めていたのか。そして結果どうなったか。反省の頃である。反省とは同じ轍を踏まないことである。言葉だけでなく実行を伴う。日本社会は十分に腐敗した。日本の使命もわかった。さあらば、為すべきことは何か。各々の良心にそのプログラムはある。その選択である。個々人の幸せの追求の前に考えるべきことがある。国家なくして自由はない。何を好き勝手言っているのか。むしろ不思議である。既に世界がフィールドである。その中で、重要な地位を占めたいと思っている。その為に、為すべきは何か。国としての身心清浄を取り戻す。本来日本の価値である。そして世界に寄与する。世界の中の日本である。日本の使命がある。古来最も古き歴史を誇る現存文明国家である。何時までも傍観するべきではない。この世には為すべきことが多い。急げ。ベートーベンの言ったことだった。日本の方向性が定まった。欺罔暴力の世は去った。真面目の復活である。勤勉さが世界に認められている。一部の利益を追求していては大義名分がない。男は大義名分を以て仕事をする。それを名誉欲などと揶揄するは、およそお里が知れている。全世界法華経宿王華悉皆開花。一切種智慧。正統日本復活。

2007年01月20日

何をしても良い

この世に生まれた意味はある。負けないことだ。「強くなくては生きてゆけない。やさしくなくては生きている価値はない」。フィリップ・マーロウである。さて、最大の敵は何か。自分自身である。自分に勝って自由となる。究極の自由もある。それは何か。自得自覚を以て知るのみか。涙も涸れて真実の強さを得る。いずれにしても自由平等の世である。何をしても良い。他人の権利を侵害しなければね。しかし、結果の責任は自分にある。善か悪か。それは別論である。往々にして悪がまかり通っている。何時までもそうではない。それも、今にわかる。この世に生まれた意味は何か。自己の花を咲かせることだ。どのような花を咲かせるのか。持って生まれた種である。しかし、この種も、いろいろとある。その時々の選択で決まる。常に引き返すべき黄金の橋は架かっている。間違っても良い。引き返せば良い。そして再び歩み始める。自分の感性を大切にして。直観を信じて。直観は自分にとってほとんど正しい。相手に何かを伝えたいとする。何かが伝わる時、その要素は、その内容ではない。あなた自身の在りようである。それで、相手はあなたを信じる。伝わらない時、その原因は、ほとんど自分自身の在りように問題がある。それが修業だね。霊界にだってそうだ。霊界に聞いてもらえるかどうか。その守護を得ることが出来るかどうか。これを得て、本当の自信がある。自信が在れば、勇気も出る。何だって出来る。この時、自分を信じることが出来る。そして、世界を知る。世界は温かい。太陽の如くである。いつもあなたを育んでくれている。それを拒んでいるのも自分だった。何をしても良い。究極の自由と平等の時代が開けた。宇宙と個々の魂は連動している。その魂の輝く時、太陽が輝く。自覚している人としていない人がいる。自覚した方が良いに決まっている。この自覚を得たものがスターである。そして新しい始まりが来る。その後、新しい旅が始まる。しかし、今咲いている花は何か。とても耐えられないね。心やさしい花はこれより咲く。すなわち、法華経宿王華開花。しばらく咲けない花たちだった。百花繚乱。良い時代である。平和でなければ咲けない花である。迷うことはない。自分を信じて咲け、宿王華。古来大和の美しき精神達の花である。咲いて良い時代である。もう、涙は流したのだから。その純粋に耐え抜いたのだから。怖れることはない。何をしても良い。真実真面目自由平等の時代である。その場限りの要領の良さは悪となった。カンニングでのし上がった彼らがこの世を腐敗させた。間違えた概念は吹っ飛んだ。時代は進化した。その真面目とやさしさを信じて良い時代である。暴力番長の時代は終わった。嘘欺罔商人根性も暴かれた。何も怖くはない。怖いのは自分だった。自分に勝って咲く。真面目な自分を信じる。それで良い時代となった。新しい時代は定まった。テレビ界の嘘及びバラエティ芸能界の暴力野蛮、暴かれる頃である。何時までもその勝手は通らない。見るに堪えない。古来大和正統日本精神がゆるさない。あまりにも日本精神を冒涜した。古来本来の日本の価値が目覚め自覚したが故である。この世に生まれた意味は何か。本来の自己を知ることである。そして何を為すか。何をしても良い。持って生まれたものがある。それを発揮する。自己を知ってそれが出来る。誰も教えては呉れない。自分で探す。それが青春であり、修業である。そして自己を知る。宝島発見である。得た力は何か。金剛杵である。空海も得た力である。最澄は知らなかった。何故か。自己にその種がなかった。あれば芽吹いていたはずだった。そうしたことを知らない。知らないままに無視愚弄した。無理もない。知らなかったのだから。しかし、その力が世に現れた。もはやどうにもならない。それでも何時までも勝手している。畏れを知らない。因って愚かである。しばらく虐げられていた。虐げてはいけないものを虐げた。因って黄泉が裁く。真実である。この真実を知れば何をしても良い。これが古来大和の秘密だった。何時の代もそうであった。しばらく忘れていた。あるいは眠らされていた。それも黄泉の計画だった。どうしてこのようになったのか。もはやどうでもいい。幼虫はサナギを通って蝶となる。蝶となれば透明なサナギの頃を忘れる。さらに幼虫の頃を知らない。どのような蝶となるのか。生まれた時に決まっている。いろいろな蝶が居る。それでいい。蝶となって舞うがいい。それが大人の世界である。自ずと秩序がある。それを無視あるいは愚弄することでのさばった事実がある。言葉の端々にそれは現れている。心に思うことは表に染み出す。黄泉に裁かれて当然である。自然の淘汰である。あるいは、自然の治癒力である。人間の勝手が過ぎた。しばらく真実を知らない愚かな支配層経済界の勝手が過ぎた。人間がその分際を超えた。粗末にしてはならないものを粗末にした。事実である。何を勘違いして好き勝手言っているのか。何が増殖したのか。上には上がある。やはり、言語道断。

イロハニホヘト 色は臭えど お江戸 穢土 厭離穢土 ハニホヘトイロハ CDEFGAHC コードは何か 

SinG a SonG

やっと日本が目覚めたようだ。永い眠りだった。無理もない。自信を失っていた。しかし、本来日本が動き始めたようだ。これで安心して、これからは少し自分のことを考えることにしよう。自分の生活を取り戻すことにしよう。SinG a SonG しながら。主権在民、国民主権。主君在民、消費者主権。個人主義、個々人が王である。善良庶民也解放。破欺罔欺瞞虚偽怯懦。

 和の有りて 世も有りたるぞ 大鏡 ここに花咲く 君が代の歌

何と戦っていたのか。自分と戦っていた。何を開発したのか。自分を開発した。何を発見したのか。自分を発見した。それは何であったか。既に書いた。何を嫌うのか。愚かさを嫌う。21世紀はどのような時代であるか。知性の時代である。橋は流れて川は流れず。どういう意味か。本来正統日本復活である。東洋自然思想の復興である。命の源である古来大和家伝直伝正統日本秘密精神は生きている。水は高きより低きに流れる。逆らうことなかれ。逆らうとどうなるか。黄泉がこれを成敗する。何人も自分計算することなかれ。神仏及び黄泉の計算に及ぶべくなし。真実真理、宇宙自然生命黄泉及び諸魂、秩序露現前。

 もののふの やさしきこころ ふれしかば この道たれと ともに歩まむ

 悟りとは 神仏黄泉の 守護を得て 自由闊歩 風に吹かるる 

 我ありて 日々新しく 大寒日

 誰知らず 黄泉に咲きたる 我が心 風の従う 月も照らすを

 さればこそ 何も思わず これぞよし 思わば嵐 吹くことのあり 

 畏れこそ 神のゆるすの しるしなる されどおごりて 愚かなる人

 思うなし これぞ修業と 覚ゆれば すべてゆるして 水にながさむ

 真実は 教科書記述に あらざるを むしろ不合理 人の知るなし 

 この世をば 育み愛す 春の意思

 あわれなる 初めて人と 生まれしか 暴力欺罔 それしか知らぬ

 人の世を 自由平等 何思う 魂格差 賓主歴然

 いつまでも 愚か身勝手 とおりゃせぬ 時代は還る もとの大和に

 お金こそ 価値あるものと 勘違い 頓着のなき 人を得知らず

 本来の 価値ぞ何処に 有りぬらん 持って生まれた 価値ぞあるらん 

 時経りて この身この世に 住めぬなら 永久に生きてん 黄泉なる世界

 神仏は この世に居ます 真実の とぼそひらきて 世界をひらく

 人の世の 身勝手すでに 結果なる 罪を裁かん 黄泉の動かん

 人知らず 黄泉の育む 子のありて 謎解き終わり 時は来にける

 うらぎるを 常なるものと 思うなし やまとのこころ 今も生き居り

2007年01月19日

良い時代の夜明け

自分が自分であることの大切さ及び日本が日本であることの大切さを知ることができた。この度、日本の神々が目覚めた。しばらく、盲目的に西洋を追いかけていた。日本の本来の価値を忘れそうになった。明治以降のことだった。そして、社会は腐敗した。あるいは低いレベルの文化水準となった。これは日本本来のそれではなかった。正統精神としてはとても耐えられなくなった。何時の時代も日本は日本である。しばらく暴走した。何故であったか。しかるべき存在が眠らされていたからである。この眠りは永遠に解かれないのかと思われた。糸車の針は抜けないのかと思われた。しかし、それも時が解決するのだった。その存在は社会から抹殺されかけた。しかし、黄泉の集中治療が為された。黄泉も自ら自由を得るためだった。その存在を知るのは黄泉だけだった。黄泉はサインを出し続けた。しかし、眠れる存在はそのサインがわからなかった。時々、感じるだけだった。存在は自ら目覚めなければならなかった。それが運命だった。誰も彼を知らない。当然であった。大いなる存在である故に、世間は知らないのだった。しかし、こうしたことも黄泉のプログラムであったのだろう。時は来た。存在は試練に耐え抜いた。それは孤独という試練だった。そして、自ら目覚め、自覚するのだった。そして、自分自身を知った。それは何であったか。古来大和の秘密だった。代々の掟だった。そして、この度は時間がかかった。もう駄目かと思われた。だが、それ故に、これまでになく大きな力を賦与されていた。日本が真に復活するために必要な力であった。その間、好き勝手放題の輩が蔓延った。彼らは増殖した。そして、どうにもならない社会を形成してしまった。本末転倒した支配であった。彼らは天下を取ったかに見えた。しかし、そうはいかないのであった。本来の価値が目覚めたからである。腐敗の故に自覚したのだった。これより黄泉も自由を得た。黄泉の裁く時代となった。言い逃れはない。すべて天にその記録はある。日本古来の精神を破壊せんとした罪がある。日本は復活した。世界もそれを待っていた。世界が救われるためであった。良い時代の夜明けである。さて、目的は果たした。探していたものは見つかった。皆が協力して生きていかなくてはならない理由もわかった。破壊は良くない。誰もが幸せになりたいと思っている。そのために生まれてきた。その中に自分が居る。どう生きていくか明らかである。和を以て尊しとなす。皆で幸せになる。自分だけではなれない。西洋精神はそれを知らない。東洋精神はそれを知っている。ところで、日本には未だ武士道精神は健在である。ただ、眠っていただけである。武士は武士、戦うことを以て武士である。武士道は死ぬことと見つけたりとは何であったか。自ら恥ずるところのない自信の現れであった。自信が無くては戦えぬ。身心清浄を以て自信とする。勝ち負けは神仏が決めることと知っていた。しかし日本の武士は明治にその自信を失った。その後、ペリー来航に乗じた商人根性の時代となった。第二次世界大戦も本来武士道精神の戦ではなかった。故に神風も吹かなかった。古来日蓮の龍ノ口の話もある。男子は第二次世界大戦の敗戦で自信を失った。その後、日本男子は肩身が狭い。西洋民主主義及び女性迎合社会にはなじめないままだった。さて、幸せの極意がある。それは何か。本来敬うべきものがある。子孫は祖先を敬う。子は親を敬う。それで守護があるのだった。女は男を立てる。それで保護もあるのだった。しかし、それを放棄したかに見える。そしてキレル子供を制御できなくなった。かつては切り捨て御免であったであろう魑魅魍魎が跋扈することになった。男は大義名分を以て働く。或いは仕事をする。愛するもののためには命をも惜しまない。それが男である。女にはそれはない。本来敬うべきを敬う。立てるべきを立てる。つまり、秩序の回復である。鎮守の森にも秩序がある。それで繁栄する。それを見失った。本来潔きを以て大和魂である。卑怯怯懦ではない。見直すべきところだろうね。そうした価値をあまりにも破壊した。それでおかしなことになっている。また、日本経済の秘密は何処にあったか。それは労働者階級の勤勉さにあった。企業の経営はそれを無視した。工業力の秘密は何処にあったか。町工場にあった。それを空洞化させてしまった。後継者を育てることをしなかった。投資先を誤った。町の活気は何処にあったか。商店街にあった。大資本がそれをシャッター通りにしてしまった。町は死んだ。地方再生の意義は此処にある。何をするべきか。こうした日本の秘密に世界は気づいている。そして、世界は日本の勤勉さと手を組みたいと思っている。それを文化交流によって知った。ビジネス活動によって知ったわけではない。そして、欺瞞に満ちた企業と手を組みたいと思っているのではない。日本精神のエートスと手を組みたいと思っている。そうした新しい流れである。日本が世界を救うとする理由が此処にある。世界が求めていたのはそれだった。すなわち、日本の秘密であった。それは他国にはない日本人の勤勉さであった。カンニングとかその場限りの要領の良さを好まない日本人の気質であったのだった。

母のブログとホームページ

母がブログを開設しました。http://blog.livedoor.jp/gk1933/ すでに、花日記と称してホームページを作っています。自分で花を育て、写真も撮って、ftpまでしています。http://www.pc-kure.net/hananikki/ 昭和8年生まれてとして、なかなか大したものだなって、思ってしまいます。

2007年01月18日

悟りへの道

自分自身に帰ってきたようである。長い旅路だった。何を探していたのだったか。真実真理だった。さて、仏の目的は何であったか。身心清浄の身となることで、自分の持って生まれた徳分を発揮することが出来て、何の苦もなく生きてゆけることを示し、その為の方法を説くことだった。即ち、自分の歩んだ道を後世に遺した。この世に神仏は存在する。宇宙有無開閉の力もある。それも生まれながらに賦与されていた。黄泉の守護する魂がある。その使命もある。それが代々大和正統日本純粋精神だった。それをしばらく忘れていた。ペリー来航以降のことだった。そして、好き勝手した。そしてこの恐怖悪世の現代世の中となった。何時かこういう時が来るのだった。世相を微分すればその傾向を知ることが出来る。故に、誰かが何処かでその傾向を修正しなければならなかった。その為の教えが必要であった。それが、教菩薩法であった。それも明らかにされている。真実真理の教えである。あらゆる宗教を超えている。大宇宙の法則だった。魂に格がある。格差がある。それを無視すればどうなるか。霊界に秩序がある。知っても知らなくてもある。自己の魂の悪を焼き尽くす。何が残るか。その魂は輝き始める。それが明星を見て悟ったインドの釈迦の悟りだった。それまでの修業である。そこがゴールである。天上天下唯我独尊。持って生まれたものである。しかし醜いアヒルの子である。自覚するまでは。自覚するとどうなるか。汝自身を知る。知るとどうなるか。何の計らいもなく生きてゆけることに気づく。霊界の守護することに気づく。純粋精神の故である。しかし、大人になるに従って世間に汚れる。我見に染まる。霊界の守護も届かなくなる。そこが試練である。悪との戦いとなる。どちらに進むのか。善か悪か。常々試される。黄泉の導きがある。かすかなサインである。良心でキャッチする。持って生まれたものを開花させることが出来るかどうか。往々にして悪に負ける。そして、それを人生だと思う。その増殖に荷担する。悪の天下となった。しかし、そうはいかない。悪の天下となった時が、救われる時である。何時かは切り札が目覚める。宇宙自然生命黄泉の守護するところである。その時、すべてを知ることになる。草木瓦礫悉皆成仏。草木もなびく。瓦礫も喜ぶ。覚悟あるべし。究極の花が咲いた。真実真理の花である。法華経宿王華、一切種智慧。この世は代々ある存在の大鏡である。ここを禅の目的は一箇半箇を打ち出す。壮大な宇宙のシステムである。宇宙の目的である。それに気づいたのが自分のためにだけ法を説くとする親鸞の悟りだった。しかし、親鸞といえども、その人ではなかった。日蓮も気づいた。しかし、日蓮といえどもその人ではなかった。秘すべしとした。今はその時ではないと。正統大和の秘密だった。そして、インドの釈迦入滅後、2750年して、真実の法が現れるとした。それが今である。宇宙の計画が成就した。黄泉も従う。真実真理を思い知らされる時を迎えた。永い魂の遍歴だった。神を畏れよ。神の要求するすべてだった。この度の神は諸天善神となった。仏の故である。二千年来あるいは久遠劫来の出来事である。この真実真理を愚弄無視することなかれ。恵みは甚大である。世間一般の及ぶところではない。与り知るところではない。如来は如来でなければわからぬ。当事者でなければわからぬ秘密がある。わからぬものにとっては秘密である。わかるものにとっては当然の事実である。即ち、日月照らし、風が吹く。テキストなど無い。自己の人生及び日々の営みがそのまま現実世界へ反射する境界がある。永き旅路だった。何か失われた大切なものを求めての旅だった。それも見つかった。それは何であったのか。自分自身であった。故に道元も空手にて帰還した。これにて開闢である。新しい時代の黎明である。古き時代にピリオドが打たれた。NHKラジオ深夜便でチャイコフスキーの特集があった。彼はコレラで死んだという。53才で。そうだったろうか。毒杯を仰がされたのではなかったか。バイロンとランボーとの関係は何であったのか。それが芸術などと言わせはしない。さて、ある存在を喜ばせるのか。あるいは悲しませるのか。黄泉の守護するところとなるかどうかの分水嶺である。この度の自覚は核心に至っている。何時の時代もそうである。こうして始まるのだった。しばらく彷徨っていたこともプログラムの一部であったのであろう。日本が真に世界にデビューするためのタイミングを計っていたのだろうか。それも成功したようである。すでに世界は待っていた。一朝一夕には何事もいかない。周到な準備が要るものである。戦後は終わった。輝かしい日本の世界における船出である。こうして時代は開ける。世界も喜んでいる。日本の本体が目覚めた。世界も救われる。代々の務めは果たした。21世紀の約束が成就した。孤独な戦いは終わった。これにて自由である。何をしようと文句は言えないはずである。黄泉の世界が開かれた。心の大地が開拓された。新大陸発見である。そして一切大衆が救われる道は既に久遠の釈迦牟尼佛梅本禮輝譽先生によって開かれていた。日本の船出である。準備万端。本来の大和魂で世界を大航海である。世界も認めている。そしてそれを待っていた。腐敗した精神などどうでもいい。これからを拓くのは新しい精神である。一番槍は現実実現突撃突破した。是れを以て世界が認めている。知らぬは世間周囲一般である。全世界歴代宿王華悉皆開花。平等とは何であったか。それぞれの魂の格に応じてのことである。それを無視して勝手したる下手な時代があった。結果腐敗した。その時代は終わった。森林に秩序がある。宇宙自然生命黄泉に秩序がある。何を以て勝手し来たるか。年貢の納め時である。しかし、これらのことはわかる人はわかる。わからない人はわからない。そして、往々にして、わからない人の横暴が通り支配している世の中であり、正直の故に善良である庶民が虐げられているのが現状である。『動物農場』というのもあったが、欺罔を手段として蔓延る支配である。どうかと思う。どうでもいいのかも知れない。人生はこの世だけと思うが故に出来る横暴である。来世があると思えば、馬鹿は出来ないはずであるが、馬鹿であることがこの世の通行手形であるようである。何故このようなことになったのか。その詮索もどうでもいい。現実を先ず元に還さないか。仏陀の教えの中に、今毒矢が刺さっている。この矢は何処から飛んできたのか。毒の成分は何であるのか。そのような詮索をする前に必要なのはその矢を抜くことである。知識者諸氏、方法を間違えてはいないか。既にこのようなことも知っているはずである。しかし、現状は悪くなるばかりである。このままで子供達の未来を約束できるのか。あまりにも世の横暴がまかり通り過ぎるのではないか。世の悪と戦うべき時が来ている。悪とは、あらゆる犠牲を伴うことであると聞いている。善とは、一切犠牲のないことである。そして、その方法はある。考えるべき時である。覚えておくべき事がある。人類が滅んでも地球宇宙は痛くも痒くもない。この世は魂の修業の場である。その意味では試されている。人類として救われるのかどうか。あるいはこのまま滅びるのか。魂の救済こそ究極の目的である。刹那的な幸福論などどうでもいい。形を変えて、来世、また地獄から始めるのか。せっかく、ここまで辿り着いたのであるが。皆の横暴で、人類の遺産としての英知の蓄積を壊滅させるのか。そして、もう一つ知るべき事がある。霊界はすべてお見抜きお見通しである。心の中まで見られている。霊界から祝福されたくはないか。その条件とは何か。身心清浄。これのみである。因って、妙好人もいた。こうしたことをあまりにも無視愚弄した。その罪は裁かれる。今、その時を迎えている。地獄の釜の蓋が開いている。因って、魑魅魍魎殺人鬼も跋扈している。明日は我が身である。どうしてそのようになるのか。過去からの悪業の因縁である。神仏の守護のないかぎり安穏はない。その守護はどのようにして得られるのか。既に、書いてきた。各々、あだや疎かなかるべし。本来古来大和の精神に救いがある。野蛮ではない。洗練されている。それが愚弄無視された。これを取り戻す。本来の精神の秩序を取り戻す。あまりにも西洋下級精神に毒された。そうとは思わないか。何を犠牲にしたのか。勿論、西洋にも上級精神が健在であることは別論である。騎士道精神である。大衆化を急ぎすぎた。それはペリー来航以来のことだった。見直す直近はここである。嘘が多すぎる。日本は日本である。日本を失いたくはあるまい。さあらば、為すべきことは何か。このまま没落することはない。知性の回復である。テレビ界及び芸能界、懺悔あるべし。その影響力は大きすぎた。日本文化を貶めた事実がある。身分に安住して何が出来るというのか。これからは今まで通りではない。これまで通った勝手も通らなくなる。今に思い知る。消費社会層に神はいるからである。これよりどのような支配も欺罔を手段として消費社会層を欺くことは出来ない。これまでの思い上がりが正される。勘違いの公務員階層も然りである。各々持って生まれたものが正統に評価される時代の到来である。真実の平等が顕現する。象には象の食事がある。ネズミにはネズミの食事がある。量的絶対的平等ではない。神のものは神の手に。シーザーのものはシーザーの手に。勝手に奪ったものに対する一括返還請求である。この意味わかるだろうか。過去からの遍歴がある。自ずと格差がある。それを無視した。そして低い己の好みで高い諸価値を破壊し貪った。本末転倒していた。それが自由平等と思った。現代悲劇の原因である。これより真実の自由と平等が保障される。そうした世となる。罪は罪である。根本秩序を破壊した罪がある。それが裁かれる。そして新しい時代を迎える。新しく始まるためには一つの終わりがある。その時が来ている。何時の代もそうである。こうしてパラダイムの変換が起こる。市民革命以来の市民革命である。平家は何故没落したか。武士でありながら貴族化して腐敗したからである。旧い市民も同じ轍を踏んだ。因って没落した。新しい市民が立ち上がる。恐竜の時代もそうだった。思い上がった時が終わりの時である。そして新しい始まりの時である。常々そうしたものである。革命は辺境より起こる。今回の革命は経済的辺境より起こる。権力は権力によって滅ぶ。市民革命だった。武力は武力によって滅ぶ。原爆だった。金力は金力によって滅ぶ。今回の出来事である。ただ、法力あるのみ。法力とは何であるか。人生を修業と捉え、身心清浄を果たして神仏と邂逅し、受容され、祝福されて守護されることである。その思いは通じる。言葉はロゴスとなる。黄泉自然が実現する。過去より伝えられていた。これを未来に移す。これが『蓮』である。その使命を果たす者が居る。代々の生まれながらの使命である。その為の試練がある。それを乗り越えて力を得る。地獄を救うためには地獄を通らねばならぬ。地獄を知らなければ地獄を救えない。何事も経験を要する。過去の経験事実の差がある。それをこの世でトレースする。そして自分自身を知る。そして、為すべきことがある。各々、何を為し来たるか。己の過去を解決する。そして己の徳を発揮する。それが隻手の音を聞くということである。その時、天地が証明する。それが、カクネンムショウである。寺にこもって修業するのが禅ではない。禅は既に在家となった。江戸の寺請制度以来の巷の僧侶は何をしているか。誰よりも宗教をして商売人となっている。笑わせるでない。真実を愚弄するでない。あらゆる制度を利用して自己の利得を計っている。それで僧侶とは言わせぬ。どのような生活をしているのか。どのような建物に住んでいるのか。僧侶でありながら贅沢の限りを尽くしていないか。税制度上の優遇は何のためであったか。それを悪用していないか。公私混同して、実体の無き所有をしていないか。真実の僧侶は自己の利益のためにしない。檀徒あるいは会員のためにする。あるいは一切大衆を救うためにする。香風来たって古き花を散らし、新しき蕾を雨らす。古き腐敗がある。これを終わらせる。そして新しい時代である。一休禅師は印可状を破り捨てた。そのようなものは必要ではなかった。腐敗した所からの証明など要らぬ。そのようなものはなくとも、宇宙自然生命黄泉が証明する。それを知っていた。自得していた。それが自覚である。良寛和尚は米を請求して礼は言わなかった。供養ということを知っていたからである。徳ということを知っていたからである。何を以て自己利益を追求するか。このようなことを西洋思想は知らない。古来日本にはあった。それを破壊した。明治以降の罪である。しかし、日本は日本である。日本を失いたくはなかろう。数千年来の日本の価値をここ百数十年で否定出来はしない。明治以降近代化の思い上がり勘違い。思い知るべし。この現代腐敗の責任はとらされる。古来イザナギイザナミ以来の黄泉からの請求である。古来本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本からの請求である。反論あらばするが良い。だからと言って、復古主義ではない。アナクロニズムでもない。こうした精神をふまえての新しい時代の創世である。そうとは思わないか。それで、世界も救われるとは思わないか。世界は既に認めている。そして待っている。本来日本の自覚を。宇宙自然生命黄泉の守護するところを。西洋はこうしたことを知らない。日本はしばらく忘れていた。それだけのことである。世界継続現存文明において、日本はその歴史が最も古い。それ故の理由がある。世界を救うのは日本精神である。世界は既にそれを知っている。日本はまだそれを知らない。そろそろ知る頃となった。仏法の奥義、禅の精神は日本にしかない。それも絶えかけた時があった。その一本の命脈を保ったのは、至道無難禅師〜正受老人〜白隠禅師だった。日本に大和の精神がある。その精神の命脈、孤高の松、今も生きている。明治以降の商人根性及び下級精神支配の知るところではない。少なくとも、仏法の奥義、禅の精髄、カクネンムショウの天晴れを知っているか。経験しているか。そこから話をしよう。・・・さて、こうしたことも言えばその端から言葉の屑でるある。人生は楽しむにしくはない。法華経に安楽行品がある。そろそろ安楽へと渡る頃だろうか。その時が来たように思われる。世は必ず救われる。未来は明るい。新しい時代である。何故か。不識。何時までも勝手しているがいい。

 刃向かうも 愚弄するをも 自由なる されど得知らず 黄泉の裁くを

 大和なる 命の花の 咲き染むる 時節来たれる 春風の吹く

 この世をば たれの代なるぞ 君が代の 真実開花 もはや惑わず

 なにをもて 攻めて来たるも 万軍の 主の守護する 城の現わる

 草薙の 剣をしても 拓かれぬ 世界を開く 也螺鈿の槍

 眠れ越し やまとのこころ 開花する 四郎は良亮 祖父のこころか

 歴代の 夢を背負いて 空蝉の 旅はここにて 終わりけるかも

 なにもかも 家伝直伝 謎ありて とくにかたしは シンジュの木なり

 秘密あり かくも不思議の あるものか すでに流るる 新しき日々

 かくなるは 水にながさむ なにもかも 天の晴れたる 日々を楽しむ

 面舵を きりてひらける 自由なる 行く先確かに 決めておりなむ

 地獄より 帰り来たるは ヤマトなる こころ定まる シャドウキャプテン

 金色の 光浴びたる 常磐松 ジパングここに 船出せんとす

 未来をば 切り開かんと 勝負する 自己との戦 これにて終わる

 これよりは 明るくあれと 号令す 日月照らし 証明するなり

 なにもかも 謎解き終わり 自由なる この世の使命 ここに果たせり

 根源を 尋ねし旅の 終わりかな これにて帰る 暮らしの中へ

自己との戦いはやっと終わった。「不思善不思悪正当恁麼の時、那箇か是れ父母未生以前、本来の面目」(六祖)。身心脱落、脱落身心(道元)。もう思い煩うことはない。日月照らし風の吹く。黄泉の守護がある。生まれたときからあった。しかし、それを知らなかった。それ故、彷徨った。自己との戦いであった。しかし、いつかは戦は終わる。そして自覚が来る。そして自分自身を知る。それは何であったか。古来大和正統日本の秘密だった。世界もそれを探していた。どこにあるのか探していた。そして発見した。無事救助されたのであった。もうこれでいいのだと思う。この世の使命は果たしたのだと思う。もうこれ以上できない。すべて投げ出してしまった。少々疲れている。永い旅路だった。日常に帰ることにしよう。シルクロードは何の道であったか。もういい。秘密の根源は示した。枝葉末節を問う必要はない。

 雲は晴れ 月光浴びて 一人居る 永久の昔の 我に帰れる 

 おだやかな 夜の海辺に 佇めば 人は知らずも 潮風の知る

 誰知らず この世の秘密 開示せし 孤独戦う 人の在りしを

 永遠の 謎は解かれて 未来有る この世の生は 定め有るなり

 青春と 人生賭けて 探したる 宝見つけて 大和花咲く

 命とは かくも美し 運命の やがて花咲く 時の有るなり

 咲けば良し すべての謎の 輝ける 日々を勝ち得て こころ定まる

 これでよし これよりほかに 何も無し 命の花の 咲く頃の来る

 ここまでは 歩めることも なかりしを ここまで歩んで 咲く花の有る

 確かなる 花の咲きおり 夢開く こころの大地 踏みしめている

本当に長い旅だった。何度か重荷は降ろしていたはずだった。今度こそ降ろせそうである。それにしても馬鹿げている。このようなことがあったとは。しかし、そのサインは何度ももらっていた。しかし、ここまでとは思わなかった。自分が何者であるか。そのまま、一箇半箇を打ち出す禅のテーマである。宇宙の神秘の箱である。別に禅でなくても良かった。大道無門。どこからでも入り口はある。しかし、入れない。持って生まれたものが通行手形である。それを磨かなくては入れはしない。山本玄峰老師のいう性根っ玉である。そしてここにいう。この道は誰にも開かれている。誰もが至り得る。一切衆生悉有仏性のいうところである。至道無難。難しいことはない。唯、自分勝手な計らいを嫌う。禅の精神である。禅の精神こそ日本の宝である。これを見失っていた。しかし、宝は開示された。庶民レベルに於いて。もはや難しい坐禅も必要ではない。為すべきは心の坐禅である。自己の魂の悪性を精錬する。日々の仕事の中でそれができる。行住坐臥日々修行である。人と共に磨き合う菩薩業でも良い。悟れば良い。自覚である。何を自覚するのか。自分自身である。悪性を焼き尽くした自分自身である。火裏蓮は地獄に咲く。地獄で上等である。地獄で咲かねば地獄は救えない。古来大和正統日本純粋精神の秘密、庶民レベルで解決である。因って、未来は明るい。この一連のブログ及び私のホームページはその記録である。すなわち、悟りへの道である。悟ってどうするのか。即ち、「一」を挙す。そしてどうなるか。黄泉自然が動く。黄泉自然もこの悟りを待っていた。道元の悟りである。あるいは一休の禅である。法華経一切種智慧。その種が違う。下手な悟りではない。悟りの実体とは何であったか。即ち、自己の魂と宇宙自然とが一体であることの自覚であった。悟ると世界はどうなるか。自己の大鏡である。さらにその内容はどうであるのか。自己の一挙手一投足が世界に影響する。その時自己の体様はどのようであるか。あらゆるシーンに於いて真に主人公となる。そしてどうなるのか。絶対の自由を得る。他のどんな認証も必要としない。即ち、カクネンムショウ。日月照らし風が吹く。そして絶対に安穏を得る。黄泉が守護するからである。接するものを皆喜ばせる力がある。何故か。宇宙の周波数と同調しているからである。それは育む力である。即ち愛である。これが古来伝えられた大和の秘密であり、正統日本の宝である。ここにこれを発掘開示する。これよりこれを持って世界に羽ばたく。世界が待っていた所以である。

2007年01月17日

人間であること

人間であるということはどういうことだろう。何処までも自分勝手であるということか。どうしてそうなってしまうのだろう。あまりに愚かである。自分を超えることが出来ない。自分より上が見えない。すべて自分が基準である。生まれた時の自分から飛躍しようとしない。向上心がない。どんなに立派なことを言っても、自分が限界となっている。つまり、謙虚でない。例えば、英語がわからないのに、わかっているつもりなのだ。おかしくはないか。わかっているものからすれば、茶番である。しかし、本人は大真面目である。大真面目に間違っている。しかし、自分はその間違いに気づかない。もう少し、謙虚にならないか。特に、好事家知識人。 禅の要諦は何であるか。つまり、創造性である。それは、自己を空しくすることより来る。あらゆる発想の源は何であったか。その一部を以て足れりとしていないか。真実の創造性を知らないのではないか。天地開闢。自己の利益だけのための創造性など所詮賤しい。結果自然破壊及び健康破壊、他を犠牲にして自己利益を計る。これを以てファッションなどと恥を知るがいい。何を以て流行というか。しかるべき存在が意識的或いは無意識的に賛同選択するによってである。始めより流行を目的として流行らせることなど出来ないのは「泳げ鯛焼き君」で十分であろう。デザイナーとか称して奢るでない。一度名を成せば魔法となる。それ以降はむしろ欺罔行為である。それで成功者などと利益を独占する。自己の知る嘘の度合いに応じて黄泉で裁かれる。そこには不当利得が隠れている。やがて清算がある。奪ったものは悉く剥奪される。時代を作るとか豪語した某有名プロデューサーが今どうなっているか。行き詰まる才能など才能ではない。真実の才能は尽きることがない泉の如くである。謙虚さを取り戻さないか。資本主義経済社会に安住しているものたちの来世はどうであるか。陽水も拓郎も何をしているのか。裏切るつもりか。始めより愚かを売り物にしたバラエティはどうでもいい。夢を売って売りっぱなしではどうであろうか。安住するところに未来はない。父は若くして亡くなった。行年六十三才だった。復員してその後、北海道ではロマンもあったであろう。しかし、それも叶わなかった。そして凡そ大トラだった。晩年に言った。人生に疲れたと。父は一身に何を背負っていたか。誰も知らない。私は知っている。敗戦を一身に背負っていた。責任を取らねばならなかった。誰も理解できまい。しかしどこまでも自由な人であった。父が何をしていたか。祖父が何をしていたか。およそ無礼は出来ないはずであった。そうしたことを悉く裏切ったのが現在世の中である。恥を知るとはここである。そしてどうなったか。腐敗した。しかし過去と未来はつながった。何故か。しかるべき存在が自己を解決し自覚したからである。夢はつながった。未来は明るい。世のインスピレーションは創造性ではない。エクスピレーションする存在がある。それが真の創造性である。天地開闢である。持って生まれた種がある。それを粗末にした現代社会であった。それも運命だった。大切に育まれるべきであった。しかし誰も気づかなかった。自ら飼い葉桶で芽吹くしかなかった。その試練や如何。この開花について具体的に引き立てるものは誰もいなかった。導いてくれたのはラジオだった。それほど社会は盲目となっていた。故に漂流した。故に、その間、本来日本の価値を無視愚弄して勝手し来たるもの、その罪に従って、当然責任を取って貰う。世の支配層に問う。欺罔欺瞞が過ぎた。何を思い上がっていたか。この社会の現実を見よ。自分より上の何か大切なものを粗末にした事実がある。既に力は得ている。歴代本来大和正統日本家伝直伝秘伝本当の力である。願わくば、逆鱗に触れないことを祈る。本気にさせないように。本来古来大和魂侮ることなかれ。下級精神の及ぶところではない。与り知るところではない。時代のエネルギーの淵源としての草薙の剣を振るわれたいのか。巷では草薙の剣であろうが、それより上に螺鈿の槍がある。振るわれたくはあるまい。さあらば、各々、為すべきことがあろう。仇は十分にとらせた。その後の仇はとる。本末転倒、虐げられた事実がある。既に名誉革命及び江戸無血開城を経ている。方法はいくらでもある。この度はレベルが違う。進化している。黄泉が従っている。何時までも商人根性欺罔を手段としたあらゆる犠牲の上に安住することはできない。それだけは言い置く。いずれにしてもいい加減にするがいい。これまでとは違う。これまでは通ってもこれからは通らないものがある。覚悟して処するがいい。正統大和日本が目覚めている。愚かな支配はゆるさない。さて、是非の人は是非の人。悪舌は功徳の種を断ずる。こうした批判もせずに生きてゆけるならそれがいい。しかし孔子も公憤を説いた。ペリー来航以来、西洋化を急いだ。その文脈での第二次世界大戦だった。江戸無血開城禅定精神も裏切って廃藩置県、聖徳太子以来の大和の精神まで否定した廃仏毀釈。明治維新は下級精神の革命だった。その後、その精神が蔓延った。戦後も同じ支配階層であった。それが歴史の流れであった。ペリー来航に乗じて何をし来たるか。古来大和正統日本純粋精神を否定した。それが天は人の上に人を作らずだった。それが新しいお題目となった。道元をも否定するか。すなわち、花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。これをどう説明するのか。日本精神の変遷とでも言うのか。冗談ではない。そして日本はどうなったか。西洋は19世紀に既に没落していた。それを追いかけた。結果当然である。この現実を見よ。毎日のニュースは何であるのか。世の知識者及び指導層、答弁有るか。低いレベルで高いレベルを無視した。明治は精神的劣化革命だった。しばらく前に、日本文壇も懺悔したではなかったか。その後、何をしているのか。反省するなら猿でもする。しかし、反省とは、同じ轍を踏まないことだよ。ここに人間としての尊厳がある。各方面、身分に安住しすぎたね。このようなことを言って、復古主義ではない。アナクロニズムでもない。本来日本の精神を取り戻して、反省するべきは反省し、未来に伝えるべきものがある。世界もそれを認めている。期待している。何時までも好き勝手している時ではない。日本のあり方が問われている。本来日本にあったものである。思い出すだけでいい。世界がそれを待っている。世界が救われるためである。万物の霊長である。未来を作ることが出来る。純粋日本精神にその秘密がある。何時までも傍観しているべきではない。立ち上がるべき時である。日本の使命である。未来は明るい。すでにその道は見つかった。古来大和の秘密顕現である。刹那的利益よ、さようなら。自分だけが救われても幸せはない。周りが幸せである時、自分も必ず幸せである。世のセレブ信奉者諸君、軌道修正しないか。お金の奴隷を解放しないか。お金からの自由をエンジョイしないか。

2007年01月16日

宝島発見

宝島って何だろう。それは成功の法則。つまり、心を決めることだった。我の力にあらず。唯仏の威力による。自分が成すべきは心を決めることだけだった。即ち、起菩提心。目的手段。目的が定まれば自ずと手段は来る。心が決まるまでが青春だね。または修行だ。若さとは年齢ではない。若さとは情熱を失わないこと。年輩の方でも若い方はいる。若くても若くない方がいる。私の音楽に若さが無くなったら言ってくれ。何時でも指揮壇を降りる。と言ったのはカール・ベームだった。さて、目的が定まれば、迷わないことである。どんなことがあっても諦めない。必ず結果が出る。結果が出る前に諦めると意味はない。結果の善悪は別論だけれど。失敗は誰にもある。失敗もすべて経験することだね。そして失敗を卒業する。すると失敗の法則がわかるね。反省は同じ轍を踏まないことだった。反省だけなら猿でもするって本当だね。人間として生まれた。だけど、現在のあらゆる文化現象は動物性を主張している。それが本来の人間だと。そうだろうか。鈴木大拙氏は言っていた。この世に盗人もいるからおもしろいと。何時の世もそうだったのだろう。この世の苦しみの根源は価値観が合わないことにある。世間はあまりにも価値観が劣化した。何が蔓延ったのか。高山植物のような大和純粋精神は棲息できなくなった。しかし、皆、言っていることがおかしいよ。自分は正しいと思っている。唇寒し秋の風。黄色いお足が見えている。卑怯怯懦が蔓延った。おかしな日本となってしまった。何故だったか。何か大切なものを無視愚弄した。その結果である。甘受するしかない。そして分析だ。次の課題が見えてくる。一つの課題を解決して次の課題が来る。それでいいのだろう。所詮この人生は修行だよ。過去の修正だ。刹那的利益に何故固執するのだろうね。本当の幸せって何だろうね。あまりにも殺伐として、何か大切なものを見失った。それは何であったか。地の塩だ。メダカの大群のように流行に流れる。皆、いい餌食になっている。それに気づけない。本当の救いが来ても、耳を傾けない。それほどまでに我見が強い。しかし、そろそろ思い知る頃となった。すでにそうしたことも克服している方々がいる。彼らも人知れず地獄を彷徨った。そして脱出した。脱出して何を見つけたか。宝島だった。心を決めることだよ。世間に惑わされないことだ。心を決める。何に決めるのか。それが見つからないのだね。であるなら、今しばらく彷徨うか。法華経宿王華。何時か咲く。さて、日本は大丈夫である。何故か。日の本、日の出ずる國、その大元が開かれた。しばらく吹かぬ神風も吹く時を迎えている。あらゆる宗教を超えている。それが歴代大和の秘密である。その秘密が成就した。本当である。真実である。知る人は知っている。知らない人が何時までも勝手している。しかし、黄泉は欺けない。人為を超えている。神を畏れよ。神の要求するすべてである。しかしそれも無視愚弄した。何を無視愚弄したのか。正統大和純粋精神を愚弄無視した。その権化がテレビ界とその裏の支配者層である。当然にその報いはある。あまりにも愚かであった。どうにもならぬ時を迎えた。それも何かを気づかせんが為である。何を知らしめんとするか。やがてわかる。神の意志は実現する。因って神である。わが庵は都の辰巳しかぞ住む代を宇治大和人はいふなり。どういう意味だろうね。正しく解釈するテキストは無い。何を教え来たるか。何を根拠に採点し来たるか。何を勝手し来たるか。それで何が狂ったか。罪は重い。正統大和純粋精神復活である。各々覚悟あるべし。目覚め自覚したからには一切容赦ない。人類全体を相手にしても相手ではない。その気になれば大陸をも沈める。そうした力がある。それが神である。宇宙自然生命黄泉も喜んでいる。あらゆる魂が守護する。天地自然が証明する。そろそろ人間の思い知る頃である。何をし来たるか。何時までもその勝手、通りはしない。よほど好き勝手が過ぎたと見える。まだ世間一般、反省の色がない。しかし、救いはある。気づくべき方は気づいていると見えるからである。神はそれを以てしばらくはゆるしたか。神の怒りに触れた。それは事実である。大鏡。寝た子を起こしてしまった。どこまでも思い上がった。今しばらくは猶予である。ゆるされたわけではない。さて、この道成るか、道成寺。日本の切り札である。すでに世界は認めている。日本のグランドデザインは不比等だった。それ以来の書き換えである。世界の中の日本。その定礎である。今でなければできないことがある。何故か。天の岩戸が開かれている。あらゆる条件が満たされた。何時までもその時ではない。やがてその時も去る。ベートーベンは云った。為すべきことが多い。急げ。仏は云った。善は急げ。オペレッタに影を無くしたペーターの話がある。ところで、十九の時に何があったか。此処で予定が狂った。青春と人生を失った。その後、どれだけ我が人生を嘆いたことか。しかし、図らずも芥を払うこと三十年となった。そして自覚が来たのだった。力を得たのだった。そのために支払った人生と青春だった。故に一切追随をゆるさない。はるかかなたを走り続けた。自分探しの旅だった。母を訪ねて三千里。自分を訪ねて三十年。そして平成十九年を迎えた。合流である。因縁は解決した。すべては黄泉の予定通りであったか。因って、この一年あまりの記録はとても重要である。どのようにして黄泉から受容祝福されるのか、その条件が示されている。このような記録は今までになかった。ベートーベンのピアノソナタに比することもできる。わかるだろうか。永遠の謎が解かれている。その記録である。さて、掴むべきものは掴んだ。トルストイが何故自らの芸術性を否定しなければならなかったのかも、その意味がわかった。彼はその後、原始キリスト教に至った。漱石は則天去私だった。究極の真実真理は何であったか。即ち、カクネンムショウ或いは日月照らし、風が吹く。至り着いた風景はどのようであるか。自覚することの大切を言ったのは鈴木大拙氏だった。何を自覚するのか。汝自身を知れと言ったのはソクラテスだった。そしてある自覚をするまでは戒められていたのだった。無理もない。間違ってその力を使えば、皆が困る。正しく使えば、これほどの恵みはない。徳は天に積む。時が至れば、その徳が発揮される。それはニーベルングのリングに等しい。そして何を選択したのか。そして今、どの階層に属していたのか。黄泉の計画は何であったか。知るべき時が来た。法華経に窮児の話がある。その窮児が帰り着いた。月の砂漠を旅していたのだった。その子の所属するところ、常に黄泉が守護する。どのような疑いも相手ではない。既に、天地自然が証明している。真実真理の宝は誰のものであったのか。それはどのようにして返還されるのであったか。その条件は何であったか。既に、明らかである。これを以て持って生まれた本来の自由である。しかし、その開花するは難しい。二千年来或いは久遠劫来の花がある。古来大和の秘密花である。わからぬは古来縁無きことを恨むしかない。「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わりざりけり」。

 咲けばこそ 真実証明 有るものを 咲くに咲かせぬ 世間荒波

 おだやかさ 取り戻してぞ 冬の月

 帰り来る 自己を宝に 小正月

デッサンとしての風景描写がある。行く先々で風景が待っている。そのような旅がある。大和の風景芸術である。風景こそ心の鏡だった。ここに芭蕉及び広重の秘密がある。そして、彼らは自分が風景を規定していることに気づいていただろう。少なくとも、私にはそう思われる。

 何処行けど 日月照らす 春の風

 求め来つ 大和の泉 湧き出づる 尽きせぬ心 涼風の頃

 言の葉の 真の意味こそ 現わるる その根幹を 風の香に聞く

 明確に 何時か晴れゆく 我が心 今も昔も 変わらぬものを

 いずれ咲く 大和の心 命花 咲いて初めて 真実まみゆ

 咲けばこそ 報い有るらん 遍歴の 我こそあらめ 誰ぞ知るらん

 飛梅は 確かに東風に 吹かれ来る ソメイヨシノは ついに帰らず

 さればこそ 大和の花の咲く頃は ついの住み家の 何処有るらん

 花咲きて 安堵するらん 米国の 原爆の火の ヒロシマの罪

 秘密有り 大和の花の咲く頃は 国風文化 華やかりしも

 原爆の 火をもてしても 絶えずして 螺鈿の槍は 今も生き居り

 既に謎 すべて解かれて 山となる 月の原石 とりにいくなし

 鬼気迫る 天の岩戸の開かれて 日本の心 流れ始むる

 ダルマさん 天竺かとぞ 覚ゆれど などか日本に おはしませるか

 月光は 神の姿と 覚ゆるる 今の昔に 同じ月みゆ

 帰り来て 夜の海辺に アオサギの 月下に響く 出迎えの声

さて、黄泉はすべてお見抜きお見通しである。その心の階梯をすべて知っている。また、黄泉に秩序がある。それは魂の獲得した格の差である。これを無視するとどうなるか。ある日、親戚の誰かが交通事故で亡くなった。どういう状況であったかはどうでも良い。お通夜の日だった。祖父はその顔をよく見ておくように言った。今でもそれを覚えている。しかし、祖父が何を云いたかったのかわからないでいた。今それに気づいた。祖父の言いたかったことは何であったか。魂の秩序に反したものの運命だった。すなわち魂の格を無視した裏切りの結果であった。どういうことか。黄泉の守護は魂の格に対するものである。生まれながらに守護された魂もある。それを無視勝手するとどうなるか。それで、神は畏れよということである。古来伝来家伝直伝秘密開示である。古来純粋大和正統日本精神、裏切る事なかれ。ところで、新井白石に鬼神論がある。かつては常識だった。日本人というなら、よもや忘れたとは言わせない。世の指導者たちよ、何にかぶれて勉学し来たるか。そして何を後世に伝えんとするか。何をし来たるか。正統大和を裏切りし罪、その重きによって処断有る時を迎えた。

2007年01月15日

歴代の夢

天界の門が開いたのだろう。すべてが夢のようである。歴代の夢が成就する。真実の平和と愛の世界が開けるかのようである。何故か。 誰も知らない。黄泉の一人子がその導きに従った。試練を成就した。麦踏みの如く、永い冬だった。冬来たりなば春遠からじ。そよ風の新しい春の訪れの予感である。真実の確かなおだやかさを手に入れたのだろう。これが歴代の夢であったように思われる。神仏も祝福している。進路良し。このままおだやかな海を帰路に着く。帰りなむいざ。目的地は定まった。宝島は発見された。それは地上ヘブンとでもいうべきものだった。刃向かい逆らうは黄泉自然これを成敗する。世の中に秩序がある。黄泉にもある。知性にもある。それを無視した。その罪は甚大である。覚悟あるべし。淘汰とはこれを意味する。各々知らしめられる。その時が来た。いつかは来るのだった。それは黄泉がある自覚を通して動く時だった。黄泉の解放である。そして正直であるが故に虐げられた善良な庶民の解放が来る。歴代の夢が成就する。それがあらゆる物語の目的だった。眠れる森の美女もそうだった。ダビンチ・コードもそうだった。ハギオ・モトの『ポーの一族』もそうだった。歴代宿王華一族の夢であった。ある存在の自覚を予定していた。そして待っていた。今、その時を迎えた。法華経宿王華。一切種智慧。何処にその種はあったのか。誰も知らない。しかし、確かに開花した。歴代の夢が果たされた。地上ヘブン、21世紀こころの大地が切り開かれた。

ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。 宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。 ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。 しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。 既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。 努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。 要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、 ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。 今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。 これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。 時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。 無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。 何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。 安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、 攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、 経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。 社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。 若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。 美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。 みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、 いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。 この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。 何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。 だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip! 親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。 自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。 思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。 これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。 そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。 間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。 門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は? 意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World. どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you? お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。 花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山! 理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。 自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。 知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分! 積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。 周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tijyoheaven_sekairon.html

2007年01月14日

法華経真実開花

何も思い煩うことはない。これは本当だった。読むものが無くなったとき、人は書き始めると書いたのは吉田健一氏だった。不思議の国のアリスというのがあった。これも自ら書くことを始めた結果だった。主体性の理論を説いたのは団藤重光先生だった。それはそのまま禅の精神だった。此処に至って本来自由である。進化してきたのは確かだ。そして万物の霊長としての人間となった。誰もが神ともなり得る。究極の真実真理だった。しかし生まれながらにして魂のレベルが違う。これも事実だった。この人生は、持って生まれたものを開花させることであり、過去の修正だった。さて、ここに至るは希れである。しかし、すでに、至った方々もいるのだった。地上幸せヘブンがある。これが天国であり、極楽だ。現実にそれは存在するのだった。宝島とはこれだった。これを見つけることが、すなわち、幸福論だった。あるいは仏道だった。真実真理はある。それは神仏との邂逅でありその祝福だった。さて、此処に至るに道がある。どの道でも良い。道であるなら、必ず、至る。この道を見つけることが、すなわち、隻手の音を聞くことだった。白隠禅師は言っている。隻手の音を聞けば、何をしても善である。聞かないうちは悪である。この道を見つけたらどうするか。自由となって遊行すればいい。何をしても良い。黄泉の守護を確信してしまった。黄泉にも好みがある。黄泉に好かれる自分と成れるかどうか。自分次第である。黄泉はおよそ腐敗を嫌う。愚かを嫌う。世間一般何をしているのだろう。究極の幸せを手にしたいとは思わないか。すべてを捨て去るが良い。財産も失い、そして、命を賭けるが良い。何に賭けるのか。真実に賭ける。パスカルのパンセは草稿である。如何にして神を信じるに至らせるか。その試案だった。デカルトも真実を知っていたであろう。我思う故に我在りはそのまま太陽王の朕は国家なりであったか。あるいは清盛の望月であったか。いずれにしてもそうした境界がある。冷暖自治、自ら自得するしかない。これを以て自覚である。何を自覚するのか。汝自身である。自分自身である。するとどうなるか。日月照らし、風が吹く。不思議であるが不可思議である。古来伝えられていた真実がある。それはある意味で宇宙語であった。あるいは暗号であった。この謎をどのようにして解くか。それぞれの方法がある。自分で開発するしかない。学校時代の勉学はその方法論にある。如何にして自分の諸問題を解決するか。代々伝えられていた。庶民レベルで悟りが可能となった。何故か。一番鳥がすでに羽ばたいた。本来何も怖れるべきことはない。唯、自分自身を怖れる。唯、神を畏れよ、法華経の真実開花である。あるいはビーナス誕生である。あるいは天地開闢である。あるいは日本ルネッサンスである。あるいは真実の君が代斉唱である。何故か。しかるべき存在がしかるべき成就を果たしたからである。即ち古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本真実宿王華開花。事実である。既に証明済みである。刃向かう事なかれ。黄泉が守護している。万軍の主も馳せ参じている。裏切る事なかれ。この度はあらゆる謎が解かれている。宇宙自然生命黄泉が祝福している。歴代の約束であった。日出づる國、日本の真実開花である。良い時代の黎明である。正しい選択があった。未来は明るい。ここで歴史的清算である。原点を打つ。新しい始まりである。時代はリセットされた。当然、この世で処したる各々の罪も清算である。この世に於ける三途の川である。覚悟されたい。新しく始めるためには一つの終わりが必要である。残念だったね。何時までも天を欺けはしない。それとも未だわからないのだろうか。欺罔を以て奪い来たるものがある。悉く返還していただく。神のものは神の手に。シーザーのものはシーザーの手に。日本古来本権より一括返還請求である。神の言葉はロゴスである。必ず実現する。何故か。黄泉が動くからである。またロゴスは不条理である。あるいは感情的である。試されたいのだろうか。何時までもそれほど愚かであるのだろうか。

2007年01月13日

新しい春

新しい時代が始まった。それぞれスタッフも実行段階に入った。黄泉も自覚する希有なる時代である。今しなければならないことが多くある。青写真はどこにあるか。黄泉にある。その解読者たちが動き始めた。藤原不比等の時代に等しいのかも知れない。永い冬の時代が終わる。この春はきっと良い春となるだろう。日本の夜明けである。世界の夜明けである。日本が世界に真実合流した。世界も日本を温かく迎えてくれた。もう言うべきことはない。思うべきこともない。残された人生航海を楽しむことにしよう。この世の夢は果たされた。ある意味で完璧である。良い君が時代を迎えた。良い選択となった。一つの使命が成就した。日本は復活安泰である。天も喜んでいる。ナポレオンは言った。我が辞書に不可能無し。この度は自覚に時間がかかった。それほど困難な時代、戦後だったんだね。黄泉も満足している。天晴れと祝福して呉れている。しかしこれだけの宿命を負わされていたとは驚いた。一人でよくぞ切り抜けたものである。サインは黄泉からしかなかった。恐らく何よりもこの世の不思議であった。世界が掬われたのかも知れぬ。お疲れ様と言うべきところである。黄泉の一大事業が完了した。進路良し。日常への帰路に着く。楽しさであふれている。さて、この1月10日は母喜恵子の誕生日だった。昭和8年生まれである。届け出上と聞いている。本当は大晦日だったのだろうか。ところで、防衛省が生まれました。これはこれで良いことだと思われます。保安隊の頃から、憲法の変遷とかで苦労してきたことでした。しかし、この度の普天間基地の見直し論は頂けない。いわゆる「手続」ということを知らなすぎる。国務大臣として素人だろうか。それまでの苦労は何だったのだろう。アメリカだってやってられないだろうね。父は八方美人を嫌っていた。さて、健全な魂は健全な身体に宿る。体の旧字を思い出す。最近骨太の人間がいなくなったといわれる。骨格は代々持って生まれたものである。今生で鍛えようがない。持って生まれた魂にも差がある。それを何時の頃からか無視しすぎた。そして勝手し、本末転倒、欺罔を以て腐敗した。事実である。喜という字義を仏さんの所で教えて貰った。十一ということを口で以て日月があり天がありその下に国があるようにする。秩序であろう。人間は義がわかる時に喜びがある。義を知るには行を要する。行じてはじめて義を体得する。体得したものは忘れない。知識を良心で認識して哲学である。あの世へも持ってゆける。 来世で再び芽吹く。義の字義も日月があってその下に王がいてその下に我がいる。本末転倒とそれにより利得を貪ったものたちの罪がある。故に日本の品格、復活である。これを以て新しい春である。新しく自由を得た方々の勝手が過ぎた。女性が自由を得たのは戦後のことだった。それまでは行為能力が制限されていた。しかし、それ故に保護されていたのではなかったか。今、子育て家事に加えて、社会的労働まで強いられている。キャリアとか言われるが、むしろ負担が増したのではないか。勿論女性を差別的に論じているのではない。これからますます女性は解放されなければならない。しかし社会の態様はどうであるか。まだまだ男女平等ではあり得ない。それで機会均等法もある。ところで、女性は相対的に弱い存在である。因って保護される。また、弱いが故に嘘を付く傾向がある。それが生命保持に寄与している面もある。男性は嘘を付く必要が本来無い。潔く生きてゆける。男の功、徳分である。女は業が深い。持って生まれた差である。魂のレベルでは歴然と差がある。それを平等とした欺罔或いは偽善があった。社会はそれを利用した。男はそれに甘えた。それでゲイが大きな顔をする世となった。反省するべき事がある。JJルソーは自然に帰れと言った。自然とは何であったか。日月があって天があって地があってその間に人間がある。その秩序である。それを無視した。日本は最も四季咲きそう国である。自然と一体の国である。それを自然に帰れと言わねばならぬゾンビに帰結する文化に染まろうとした。何をか云わん。本来日本に帰ればいい。本来日本を思い出せばいい。世界もそれを待っている。失われた何か大切なものがある。いつまで迷妄するのだろう。祖先に対して申し訳ないと思わぬか。恥を知るべし。されど、真実の花は咲いた。確かに咲いた。それは何の花だったか。原爆を以てしても絶やすことの出来なかった花だった。永い冬に耐えた。そして咲いた。不死鳥の如く。本来古来日本の花である。その間蔓延った魑魅魍魎の花は逃げまどう。さて、誰も理解してくれなかった。宇宙自然生命黄泉は導いた。自分が自分を理解できないでいた。しかしやがて芽吹く。そしてすべてを知る時が来る。知った真実とは何であったか。すなわち、日月照らし、風が吹く。世界が開ける。宝島を発見する。

2007年01月12日

人間である限り

誰もが至るという意味で、一切衆生悉有仏性ということがある。しかし誰もが至るであろうか。真実は求めなければ得られない。真実を求めようとする者がどれだけいるだろうか。誰もが自分は正しいと思っている。人間である限り、駄目だ。何故か。人間である限り、悪を持っている。結果悪である。悪より始まるからである。善は仏さんの所にしかない。仏さんとの縁をいただく。どうなるか。善より始まる。結果善となる。これが隻手の音を聞くということだ。さて、見るべきものは見た。知るべきは知った。謎は解かれた。迷いはない。見える世界と見えない世界がある。見えない世界からどのようにして認められるか。法華経宿王華、一切種智慧。この真実を如何にして伝えるか。 世間、我見が勝って聞く耳はない。あわれである。所有権などという。本来自分のものなどない。すべて仏さんのものといえる。ここを空という。死んでしまえば肉体はなくなる。しかし魂が残る。人格の属性が魂に付属する。それで魂は磨いておく。口先で言うは容易い。すでに焦りはない。苛立ちもない。唯、観じている。人間の地獄世界となった。それぞれの悪が解放された。そういう時代となった。人殺しも解放された。それ故に救われる時代である。どちらの道に進むのか。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏であるとする一仏国土建設の時を迎えた。信じるものは幸いである。要は心を決めることである。心を決めるがいい。見えない世界が手伝う。祖先が手伝う。そのように実現する。今、地獄の世となった。誰がしたのか。皆がした。ここより脱するはどうするか。しかし、衆生自ら出づることあたわず。自分ではどうにも出来ない。仏の力を借りる。祖先の力を借りる。不思議である。夢は実現する。心を決めることだ。どう決めるのか。どうなりたいのか。このまま地獄に埋没するのか。いい加減にしなくてはならぬ時代となった。

2007年01月11日

確信

もはや自分は自分で良いのだと思う。これまでは、自分を自覚していなかった。自分が自分であることが如何に大切であることか。世界の現実と未来が自分のありようで決まる。こんなに馬鹿馬鹿しいことがあったとは。これ以上の驚きはない。誰も経験したことはない。何故か。持って生まれたものであるからである。しかし、そのようなことが事実であったとは。思えば今までもそうだった。生まれた時からそうだった。気づかない自分がいるだけだった。その間、どうであったか。魑魅魍魎牛頭馬頭が跋扈した。結果、腐敗が極まった。すべては、知らしめんが為だった。唯一人の君に。そして、気づいた。自覚した。黄泉もこの日を待っていた。日々、宇宙天地自然が証明する。美しい風景が開ける。これで良いのだと思う。自分が自分であって良いと確信する。馬鹿馬鹿しいくらいに。この事実、知る人ぞ知ると信じる。どれだけの方が知っているのだろう。少なくとも、現実周囲に、理解者は無い。母は知っていたようだ。これを以て孤独である。しかし、宇宙自然が証明する。これで良いのだと。祖父良亮の三十三回忌が近い。行年八十二才、昭和50年2月28日に没した。見送るものにありがとうと言って大往生だったと聞く。私はある病院の中にいた。在りし日の祖父との思い出は多い。祖父及び父の天才を知るのは私だけである。目の当たりにしている。どんな芸術才能も及ばない。事実である。感性の格差が歴然としてある。これより一切、世間に大きな事は言わせない。バベルの塔は建ちはしない。禅のマスターは弟子に悟りを説きはしない。何故か。説けばそれは師の悟りに過ぎないからである。弟子は自分で悟りを悟るしかない。祖父も父もそうだった。誰も教えはしない。教えることなど出来ない秘密がある。自覚自得して初めて悟りである。一切他の認証を必要としない。そして、生まれた使命はそれぞれ違う。人生は使命の全うである。それぞれ己の使命を知っているか。知っているなら示すがいい。そしてそれを果たすがいい。経済界財界牛頭馬頭及びテレビ芸能界魑魅魍魎の勝手はもはや通らぬ。下級精神の支配は終わった。本来古来大和正統日本の精神に卑怯怯懦裏切りはない。それを悉く裏切ったのが明治以降である。しかし、時が解決する。その間、悉く腐敗失敗した。そして再び古来本来正統日本が復活する時を迎えた。ある謎が解かれて、歴代の約束が果たされたからである。黄泉の計画が成就した。

2007年01月10日

太陽の輝き

夢は実現する。実現しない夢はない。何を夢見るのだろう。究極の夢は何だったろう。カクネンムショウだった。それは何か。日月照らし、風が吹く。仏は親鸞一人のために法を説くそれである。信じられるだろうか。信じるものは幸いである。諦めないことだ。今思っているそれが夢です。それで、何を思っていますか。愛ですか。平和ですか。それとも復讐ですか。ゾンビですか。あらゆる文化現象に毒されないように。すべて心から染み出します。今のあなたの心、美しい風景を見ていますか。太陽の輝きを見ていますか。そして次なる夢が来る。それは、音楽のような表現としての言葉です。ロゴスを超えて。源氏物語の秘密は何でしょう。その内容ではなくて、その文体です。翻訳なんて意味がない。吉田健一もそうですね。呼吸が合わないと読めません。それが読書の醍醐味でした。そして救われるのでした。殺伐としたテレビを見るよりは、好きな一冊の本を小脇に抱えて、日の当たる公園へでも出かけませんか。小鳥もさえずり、そよ風も吹いてきます。生きていることの幸せがきっとそこにあります。ところで、この度、最新鋭戦闘機F22が沖縄嘉手納基地に配備されることが決まりました。アメリカ国外に配備されるのは初めてのことです。整備員も一緒に。また、中国とアメリカとの民間直行便も許可されました。横須賀に配備される原子力空母はワシントンだったでしょうか。これらの真意を理解できますか。新しい秩序が形成されつつあります。幸せの王国を如何に建設するか。個人主義の時代です。それぞれが王ですね。因って、腐敗は要らない。愚かは要らない。下級精神支配の終わりです。そして始まるのです。国家無くして自由はない。思い違いしていませんか。自由の定義を。これまではしばらく悪徳商人及び暴走少年の跋扈する時代だった。これを一掃する。世界に日本が羽ばたくために。世界に日本が受容され信頼されるために。英国と日本で世界の金融機関を監督する議論も成された。世界の流れが出来つつあります。良いことですね。世界平和へ向けて着実な一歩ですね。その中でどのように暮らしていくか。良い時代です。ペリー来航以来の日本の悲しみは克服されました。日本は世界と真実の合流を果たしたのです。それ故、ふさわしい日本を作っていく。日本古来の精神を取り戻す。世界はそれを認めています。そして期待しています。

東洋精神と西洋精神

この世に生まれた意味は何であったのか。過去世からの自己発見とその反省である。そして過去を修正して未来に流す。古来日本に悟りがある。西洋にはないわけではない。例えばアウレリウスなどは悟りそのものである。しかし東洋と西洋とではスケールが違う。東洋は自然と一体である。西洋はどこまでも個人主義的である。しかしそうした価値は暴力と欺罔で否定される。誰も気づかない。しかし、時が来れば、その価値も復活する。あるいは伏流する。今、その時である。何千年来、あるいは久遠劫来の事である。すなわち神力の現れる稀有なる時代となった。時は満ちたのである。観念するしかない。しかし、知らないことは恐ろしい。それでも刃向かうのが人間である。愚か極まる。黄泉の成敗するを知らない。黄泉の守護がある。黄泉の育む一人子がある。自覚するまではその存在も迷う。しかし、自覚すればどうなるか。隻手の音である。カクネンムショウである。天晴れである。天地宇宙自然が証明する。わかるだろうか。わかってはいない。これまでは忍耐だった。しかし我慢にも限界がある。本当に怒らせることのないように。地震雷では済まなくなる。平和な世であったムー大陸も沈んだ。勝手な解釈に基づく自己正当化及びその伝搬増殖は罪である。滅びへの道から引き戻さないか。引き返すべき黄金の橋は常に架かっている。神仏の慈悲である。結果が出てからでは遅い。それでも自分を正当化して進むのか。そうであるなら、仕方ない。宇宙自然の法則通りである。鉄槌が下る。櫻切る馬鹿梅切らぬ馬鹿。黄泉の櫻が咲いている。このブログは重要である。何故重要であるか。不識。

スマイルズ
優れた人間は他人の評価などに余り重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すればそれが彼にとっては無上の喜びとなるのだ。
どんな分野であれ成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。
人間の成長はひとえに困難と戦おうとする意思すなわち努力いかんにかかわっている。
強い願望は我々が何かを成し遂げるための先触れとなる。
人生の最高の目的は人格を強く鍛えあげ、可能なかぎり心身を発展向上させていくことである。これこそ唯一の目標であり、それ以外のものはこのための手段に過ぎない。最高の人間性を獲得し、他人に役立つ仕事に打ち込み、人間としての義務を果たしていくことこそ一番立派な生き方なのだ。
人間の美徳は自分の力で精一杯努力して学んだ時に初めて目覚める。
人間の行動は完全に滅びたりはしない。喩え肉体は露のごとく消え去っても善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び将来の世代に感化を与えていくだろう。人間が生きていくことの大きな責任と危険とはまさに重大かつ厳粛なこの事実から生じるのである。
行動によって人を説き伏せられる人間。
人格教育の正否は誰を模範にするかによって決まる。
希望に燃えている人の心は健全で幸福そのものである。
仕事こそが人間の生き甲斐であり、全能力をそこに傾注すれば人格は向上し進歩も勝ち取れる。
常に良心が命じる義務を果たし結果は天に任せよ。
ものごとの始まりはすでにその中に結末をも含んでいるが、人生という旅においても第一歩を踏み出せばその方向と目的地は自ずと決まるのだ。
心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいる。

アウレリウス
日々考えていることがあなたの精神を作っていく。何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。
自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。
進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。
善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。
誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。
誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。
不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。

鈴木大拙
全てを知る人は全てを許すなり。
自分をむなしうするという工夫は積極的に他のために働くことです。

クリシュナムルティ
無であることへの恐怖が所有を助長する。

さて、真実の救いは何処にあるのだろうか。子孫を救うのは祖先である。祖先の供養である。どのようにしてすればいいのだろうか。墓に手を合わせて供養と思っていないか。祖先はそれでは喜ばない。供養とは相手が喜ぶことをすることであると聞いている。本当の供養はどうするのか。祖先も罪を犯してあの世で戒められている。その縛を解くにはどうするか。その方法も明かされている。この世における縛を解くことも出来る。そしてどうするのか。世を救う。どのようにして救うのか。仏の教えは、祖先供養である。その方法を広める。それはどこにあるのか。真実は求めなければ得られない。人間身勝手、反省の時である。

(2005/10/24)『エクトン』http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/ecton.html

1992/3/3 (以下、読書ノート・メモです)

あなたにとって、一番良いアイディアを知っているのは、あなた自身です。あなたの選択について、年上の人たちがいかにあなたとは異なった感じを持とうと、あなたにできる唯一のことは、ゆるすこと。彼らには、あなたを受け入れさせることはできません。あなたが働きかけて、誰かに何かを感じさせることも、行為させることも、一切できない、それが真実なのです。

今やっていることは、やりたいことであり、一番必要なことです。どんな仕事に就こうと、人のためになっているということを知っていてください。援助する人。微笑み。

あなたが持つフィーリングで、現実に展開する未来が決まります。すべての創り出される現実、すべての創造物は、あなたのフィーリングから始まります。

本当にカウンセラーになりたいなら、それに必要なあらゆるステップをとっていきます。どのようなカウンセリングがいいか、情報収集してください。望む結果を得るために、ある種のトレーニングが必要なら、探して受けてください。あなたが、本当に望んでいれば、そのためのお金も引き付けます。


この瞬間、自分に必要な情報をすべて得ていると理解したら、この瞬間にもっと満足して生きることができます。必要な情報は、すべて与えられているのです。常に自分と自分の周りの世界に対する無条件の愛を選択します。暖かい、認める、理解する、気楽に。


あなたが、彼らの期待や欲求や、こうあってほしいという欲求に合わせて生きる必要は全然ないということです。自分に正直に生きてください。もっと得てください。愛と知性と意識の拡大。リラックス。あなたの真実はあなたのものです。


自分のその時々のムードが、周りの世界の見方にどのように影響しているか。自分のフィーリングが、周りの現実に如何に影響を与えているか、に気づきます。また、自分の欲求や希望が、ときに、魔法のように実現するのを経験し始めます。


誰も、外側に責める人などいない。


自分自身以外に、なにも信じる必要がないとしたら、あなたは、天国に入ります。あなたが、愛を感じること。自分が、自分の経験する現実の全てを創り出していることを認めることです。自分の源から分かち合って、他の人に与える。本当は、あなたは既に全てを知っていて、この瞬間に知る必要のある物事は、すべて知る能力を持っています。

あなたが経験する、毎瞬毎瞬が、過ぎ去るショーです。執着すべきものは何もありません。目の前に展開されているショーを眺めていればいいのです。

相手が自分の「鏡」であると知っている二人が出逢うと、神と女神の出逢いです。

自分の前に展開されるショーはすべて、自分の内側にある創造性の表現だと気づいたとき、あなたは、もっとパワフルになります。この世界に生まれてきた目的は、肉体をもって生を生きるということを経験し、楽しむためです。

自由は、闘って勝ち取るものではなく、自由を感じることを、自分に許すことからやってきます。何かから逃れようとするのではなく、自分の望む新しい状態に向かって移動するときに、望むことを得ることができます。

直観に基づいて選択することには、なにも間違いはありません。安心感と希望。彼らが、すでに内側でしている選択に、気づかせてあげることです。できるだけ、広がりのある、愛情に満ちた形で表現することです。信用すればするほど効果的に作用してくれます。

フィーリングにしたがって行動することが、一番良いい。意識を、自分より深い欲求に合わせていく習慣をつける。思ってしまった以上、否定しない方がいい。エネルギーの高い状態になると、ある種の磁力を発生する。自分の内側で、自分を養い愛していい、という感覚、そうした意思を持つとき、それが外の世界に投影されて、お金が豊かさとなってやってきます。

豊かさは、自分自身と自分の周りの世界との関わりに於いて、でき得るかぎり、最も価値ある人生を実現しよう、という深い選択と意思に基づいてやって来ます。自分の選択した方向に向かう意思を明確に持てば、それを得るために必要なステップは、、一度に全てが現れないにせよ、毎瞬毎瞬、あなたに明らかにされます。その瞬間をあなたが本当に自分でそれを望んでやっているかどうかということだけが基準です。「自分が自分の現実を創り出す」ということを、その人に話す前に、相手の人のおなかが十分に充たされていることを先ず確認してください。基本的な欲求が満たされていなければ、哲学を受け入れることは困難です。

望みの実現が、自然に、心から信じられることが、それを実現する上で、大切なポイントとなります。種を蒔いた後に、取るべき行動は、必要に応じてあなたに明かされます。自分の人生の質を向上させて、喜びと幸せに満ちた生活。罪悪感を動機にした行動からは、いかなる行動であれ、望んだ結果は得られません。意識を最もフォーカスするものが、自分の現実となります。


それを変える一番いい方法は、それを「受け入れる」ことです。・・・(あらゆる失敗は)あなたが具体的でなかったからです。あらゆる関係は永遠です。終わりはありません。今、あなたがイメージの中で見たものを、深いところから欲しいと思っているなら、あなたは何らかの形で、現実に経験する出来事を創るはずです。


あなたが、自分の創り出したその人に対して、自分を表現しよう、開こうという気持ちがあったなら、相手の人があなたを見つけないでいることは、不可能です。自分自身をそのまま受け入れることによって、磁力的になります。心地のいい目だな、と感じることもあるし、隠し事があるように見えることもあります。求める人間関係を、完全な自分が、自分へのプレゼントとして引き寄せるものを受け取ってください。理由づけが少なければ少ないほど、あなたの人生はマジカルに、エキサイティングに、生き生きとするでしょう

2007年01月09日

腐敗

人間というのはどうしようもないところがある。自分勝手が過ぎるところがある。自分勝手して他に迷惑をかけていることに気づかない。気づけないのだから仕方ないと云えるが、迷惑は迷惑である。そして少なからず裏切られたという感想がある。誰もが自分と同じ感性をしていると思っていた。そうでもない。己の実体をあまりに知らなすぎるのではないか。しかしそうしたことをゆるしていた、あるいは負けていた自分が愚かであったと言える。どこまでもつけあがるのが人間である。それならそれで考えがある。もはや容赦しない。最低限の自分および環境は護る。日本古来の精神にとってもそうである。自分も少なからず悪を為した。しかし、その報いの恐ろしさを知ってしまった。さらに克服した。するとどうなるか。日月照らし、風が吹く。カクネンムショウである。これは本当に経験する。古来の約束である。自分もその意味で甘えていた。世間に期待しすぎていたようだ。しかし、観念するがいい。黄泉の守護するところである。これまでとは違う。古来日本復活である。それは、精神である。復古主義あるいはアナクロニズムではない。水は高いところから低いところに流れる。それをあまりに無視した。そしてどうなったか。腐敗した。しかしそれも必要なことであった。ある自覚を得るためには。いつまでも真実の花は埋もれてはいない。これまでの身勝手自分勝手は一切通らない。愚かなことを以て世に増殖するはゆるされない。宇宙自然生命黄泉が拒絶する。あまりにも度が過ぎた。西洋自由平等主義は腐敗した。ペリー来航以来の結論である。これが長谷川四郎の『知恵の悲しみ』だったのだろうか。世間一般、地獄より脱却しないか。勝負は構えたときに決まっている。ものの言い方及び選ぶ言葉で人格はすべて露呈する。見抜かれる。これまでは誰もが平等に自由と思った。そして勝手した。しかしそれも限界に達した。宇宙自然生命黄泉の淘汰が始まる。既に犯した罪がある。唯、謝ればゆるされる。謝ろうともしない。真実を認めようともしない。救いはないね。真実を知るだけでは足りない。真実とならねばならない。さもないと救いはない。化城は化城である。真実の城ではない。真実の城はある。そろそろそれを探す頃ではないのか。人類も齢を重ねた。いつまでも愚かで良い筈がない。あまりにも愚かであった。特に自己利益のみを図るテレビ芸能界及び財界経済界の罪はあまりにも甚大である。古来日本の精神はゆるしはしない。救いは何処にあるか。大いなる価値に目覚めることである。古来本来日本はそうであった。あまりにも西洋概念に毒された。行き着く先は没落でしかない。それとも没落を通らねばならないのだろうか。その前に人間にとっての地球環境が耐え得るであろうか。すべての謎は解かれている。例えば天皇は象徴に過ぎない。その反射がある。どこにあるか。知らしめられたいのだろうか。黄泉が目覚めている。いつまでも黙ってはいない。いい加減にするべきである。黄泉自然より警告は既に発せられている。気づくべき人は気づいている。猶予期間はそれほど長くはない。急がねばならぬ。古来日本の精神も背水の陣である。時はそれほど残されてはいない。腐った精神と腐った社会に未練はない。古来日本の意思である。黄泉は淘汰する。日本で最も重要な価値及び存在があまりにも無視愚弄された。そして虐げられた。しかし実力とは何を以て実力というか。誰に習ったわけではない。すべて自己開発である。独坐大雄峰である。それ故に、他の追随はない。しかも自覚した黄泉及び万軍の主も味方につけた。勝負にならない。まだ背くか。人と生まれて何を人生とするか。食う、寝る、遊ぶであるか。お元気ですかなどと、陽水も堕落したものだ。それが人生に於いて成功あるいは勝利だとでも思っていたか。経済だけの愚かな日本となってしまった。暴力と欺罔がむき出しの恥ずかしい國となってしまった。くだらない精神の子供たちを擁護して未来の日本及び世界があるとでも思っているのか。大馬鹿者たちの支配となってしまった。それを傍観し小さな幸せにしがみついた知的階級の罪でもある。2007年、大掃除である。本末転倒、制度の下にむさぼる者たちを成敗する。衆院選で池田行彦氏と戦ったことがある。裏で何があったか知らぬ訳ではない。否、知ってしまった。およそ選挙の実体、国民を愚弄するにもほどがある。相手が悪かったとあきらめるべし。すべては知らしめんが為に起こる。積年の不当利得一括返還請求である。いつまでも真実は黙ってはいない。欺罔が多すぎる。金融業界の横暴も然りである。虐げてはならぬものを虐げた。そして利得とした。笑わせるではない。これまでの天下、もはや通らぬ。真実が目覚めたが故である。一切容赦ない。勝手が過ぎた。名簿の意味を知っているだろうか。ある存在が籍を置く。黄泉がスポンサーとなる。しかし、相応の対価を支払うことがなかった。因って不当利得である。勝手に名を使用して得た利益、返還していただく。正統大和本来知性復活である。そして、はっきりと言いおく。仏といえどもゆるしはしない。ここが宿王華である。どういう意味か。万物同根。天王仏。この度は負けるわけにいかない。後がない。これ以上の腐敗及び戯言、蔓延らすわけにいかない。古来正統大和日本精神孤独貧学道、家伝直伝螺鈿の槍を以て世に問う。そこのけそこのけ、負けるな一茶これにあり。

2007年01月07日

宿王華開花

一個の人間の存在価値は那辺にあるか。生まれるときに様々な属性を持って生まれる。善もあれば悪もある。それぞれに程度の高低がある。生まれたからには自分の花を咲かせる。どのような花を咲かせるのか。その種は持って生まれたものである。子供の頃よりその片鱗は現れる。それを育てるのが親あるいは教師の役目である。しかし悲劇は此処で起きる。自分を超える属性を理解しない親及び教師の故である。その罪は甚大である。しかし種であるならいつかは芽吹く。黄泉の導きによってでなければ咲けない花もある。しかしその試練は如何。無事成就するは難しい。優曇波羅華である。さてどの花を咲かせるか。持って生まれた種の中からどの花を選択するのか。選択の自由は此処にある。試練とは何か。持って生まれた悪を焼き尽くさねばならぬ。それが修行であり、青春である。そして身心清浄となる。その時にすべての謎が解決する。それが隻手の音を聞くことである。この音を聞けば、何をしても善である。それまでは、何をしても悪である。こうしたことを知らなかった。知らないままに悪が増殖した。そして腐敗した。今からでも遅くはない。思い立ったが吉日である。十分に間に合う。生きている限り。死んでからでは遅い。しかし、死んですべてがわかる。生きている間にわかりたいものである。それが大死である。絶後に蘇る。生きている間に心を決めることである。後は黄泉が手伝う。仏の教えのすべてである。不思議とするところである。不可思議である。疑う事なかれ。どちらに進むのか。生まれたときに使命がある。それを果たせるかどうか。それぞれその使命は違う。使命が大きければそれだけその試練は大きい。世間の理解するところではない。かつてそれに目覚めたのが例えばモーゼだった。時代を切り開く使命である。あるいは善良で正直であるが故に虐げられた庶民を解放する使命である。悪の限りを尽くし、制度の上にあぐらをかく既存の支配階層を何時か破砕しなければならぬ。権力は腐敗する。その上で利益を独占する。何時の時代もそうであった。そのためにはその人生はどこまでも荒野を彷徨う。制度の外を生きる。そしてやがて自分との戦いに勝つ。すると黄泉が認める。黄泉が認めるとどうなるか。ロゴスを手にする。宇宙自然も従う。生まれたときからの約束であった。そうした使命を自ら見出せるかどうか。見出すだけでは足りない。自覚を要する。そしてその自覚の後どうするのか。人類及び未来のために仕事をすることになる。自覚がなければできない。この自覚をどのようにして得るのか。起菩提心。心に決めることである。それぞれに生まれた使命がある。仏といえどもできないことがある。その人でなければできないことがある。仏はその事実を知った。その方法は説く。しかし仕事はそれぞれの仕事である。それを果たすためには何が必要であるか。自覚である。その方法を仏は説く。それだけの使命であるが、自覚するまでには、様々な試練がある。時には自分の力では克服できない状況に陥る。そうした時のために諸病院がある。魂の病院もある。それはどこにあるか。縁をたぐれば辿り着く。自ら探すべし。叩けよ。さらば開かれん。救いは常にある。それを拒むは偏に自分の我見である。往々にして悪の誘惑は強い。ほとんどの大人がそれに負けて人生を処する。そしてそれを人生という。自らを正当化し、その増殖を図る。迷惑千万。それでだんだんと腐敗した。何時かはその腐敗があふれ出す。今がそうである。罪は重い。覚悟あるべし。その時が時の満ちる時である。そして一つのゲームが終わる。もっと勉強しておけば良かったと思う。勉強はその内容にあるのではない。世間虚仮。内容ではなく、その時々に、例えば10を取るとか、一番を取るとかということに意味がある。自分の力とその可能性を試すのである。そうした力があればその時々に問題解決ができる。ところが、現在システムはどうであるのか。ガイドを利用したり、カンニングしたりで、要領と思っている。そして古来大和の精神を知らない、新しく自由を得た縁故者だけで支配層を形成した。所詮方法を間違っていた。能力もないのに支配する。腐るのも当然である。真実の実力者は、出世できない。そうした世の中であったのだ。間違っていた方法論を恨むべし。どうにもならなくなった。一度自分の力を確信したものは、その気になれば何時でも何処でも一番となれる。その時々において自ら方法論を必ず見つけ出す。その後その気になれないだけである。やりたいことが見つからないだけである。それほど世間が腐っていたからである。一番でないものに一番の気持ちはわからない。わからないままに愚弄無視した。そして今である。笑うしかない。愚かであることを知らない。因って愚かである。しかしながら真実の実力を持っていても、その力を発揮するには修行を要する。真実の力であるだけにその運転は難しい。自分に自信が無くてはとても使い切れるものではない。時を要する。少なくとも芥を払うこと三十年。さて、この三十年、それぞれ処してきた人生を振り返るがいい。何をしてきたか。勝負は決まった。黄泉は誰を導いていたか。花が咲くまではわからない。咲いたら終わりである。容赦ない。黄泉の計画は成就した。宿王華開花である。古事記以来のことかも知れぬ。一個の存在の日々の営みが、現在及び未来を決定づける。あだや疎かなかるべし。あるいは畏るるべしと南無。一つのゲームあるいは物語は終わった。そして始まる。神仏は実在する。自覚を以て神仏は神仏となる。那国常所はある。どこにあるか。現実にある。現実の何処にあるか。心眼が開けば見える。この世がそのまま極楽である。あるいは天国である。21世紀の約束は果たされた。夢は実現した。世界が開かれた。さて、菩薩には菩薩の伴侶がある。某有名歌手も異性にもてたくてギターを弾き始めたという。そして確かにファンにもてる。しかし本当に幸せであるかどうか。この世に生まれてどうするか。唯、自分の使命を果たす。所詮伴侶を得る。それが人生である。そして過去からの夢をこの世で実現する。本当の幸せを形成する。それまでの青春あるいは修行である。因って、この世はおもしろい。十分に生きるに価する。どのような試練も乗り越えることができる。藤村の破戒も然り。そのようにして時代は変遷する。ところで、伴侶もキリストが予定していると聞いたことがある。思い煩う事なかれと。約束が成就された暁には。さて、祖父の遺したアルバムがある。上田家のご令嬢の写真もある。また、明治になって櫻はソメイヨシノとなって全国に散らばった。何が起こったのだったか。江戸の世には諸大名は何故櫻を愛でたのか。何と縁を結びたかったのであったか。そして、我が家には父の持ち帰った新しいパラシュートのケンパスと絹の紐があった。あれは何であったのか。失われたものは大きすぎる。あまりにも謎であった。この謎を解くことが私の使命であった。その謎は解いた。自分自身を知ってしまった。黄泉に導かれてのことだった。自分とは何者であったのか。もはや言う必要はない。誰も知り得ない。しかし、この世の春である。知る人は知る。知らないものは刃向かう。歴代の約束である。しかし、この度はレベルが違う。黄泉の守護し給うところである。天地宇宙が証明する。自然も手伝う。真実の救いが来たからである。その教えもある。どこにあるか。探すべし。縁をたぐれば辿り着く。誰もが至る。21世紀の約束である。さて、周恩来氏がはじめて瀬戸内海を見たときに、日本にも大きな河があると驚いたそうである。中国のある首脳が戦後の問題は次の世代が解決すると述べた。今その時である。日本の未来は明るい。世界の未来も明るい。 21世紀の約束は果たされた。過去より伝えられた真実の幸せの基が開かれた。そのために、腐敗も本末転倒も必要であった。しかし、それ故、正されるべきものは正される。子供の頃、いつも、祖父に連れられて、様々なものを見ていた。戦車が路上を走るのも見ていた。護衛艦で宮島まで行ったこともあった。これまでしばらく無視愚弄した日本の諸価値、復活である。父は知っていた。祖父も知っていた。私は知らなかった。しかし、知ってしまった。しかし愚弄無視されたものである。何処までも卑怯怯懦、裏切り、思い上がり、勝手してくれたものである。だが、いつかは芽吹く。歴代の約束である。これより一切容赦ない。勝手は通らぬ。黄泉の決定である。欺罔を手段とし、制度の上で利益を独占し、むさぼりし者たちは、首を洗って待つがいい。ところで、美しい日本とか言われている。何を以て美しいと言っているのか定かでない。古来日本の美徳ではあろう。さて、美とは何であるか。英英辞典がヒントとなる。その語義は、人を喜ばせる何かである。低級なお笑いではない。これはそのまま、アートあるいはミューズの定義となるだろう。不安をかこつのがアートではない。シュールリアリズムは世相の断片に過ぎない。スティービー・ワンダーは気づいていた。愛の園は日本である。

地上ヘブン=世界論

ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。 宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。 ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。 しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。 既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。 努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。 要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、 ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。 今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。 これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。 時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。 無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。 何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。 安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、 攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、 経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。 社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。 若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。 美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。 みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、 いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。 この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。 何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。 だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip! 親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。 自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。 思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。 これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。 そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。 間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。 門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は? 意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World. どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you? お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。 花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山! 理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。 自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。 知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分! 積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。 周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tijyoheaven_sekairon.html

黄帝の種

久しく埋もれていた種が芽吹いた

何の種 黄帝の種である 黄泉にて咲く

失った価値の華を咲かせる その時がきた

知っても知らなくとも その種は 芽吹いた

およそ その試練を成就した

どうにも逆らえぬ 絶対の花である

黄泉が守護する 宇宙自然が従う

疑うなら 試してみるがいい 宇宙自然が証明する

人間の勝手気まま もはや 通らぬ

日本正統大和の精神 完全自覚復活である

2007年01月06日

NHKラジオで今日は何の日

1912年の今日、アルフレート・ロタル・ヴェーゲナーによって、大陸移動説が発表された。その昔ムー大陸があった。日本はその一部であった。当時平和な庶民の生活があった。それを破壊した一部の指導者がいた。その後、自己利益のための戦いとなった。そして今もその延長線上にある。当時、仏の教えがあった。それが伝えられている。インドの釈迦もそのプロセスの一部に過ぎない。インドの釈迦の前に何時の世も仏陀はいた。しかし、末法となった今、それさえも信じられない人間の世界となった。因って殺伐腐敗した。帰るべき所は何処か。孔子は周の時世を目指した。日本古来の教えの淵源は何処にあるのか。人類にとって真の平和と幸福の基が失われて久しい。今も尚彷徨っている。真実の平和と幸せはある。古来日本の精神にそれはある。大和の精神は野蛮ではない。心の中に記憶がある。それを思い起こせばいい。ところで、頼朝も伊豆に流されていた。正統源氏として。南の島より流れ来る椰子の実ということがある。古来大和の精神の故郷でもあろうか。法華経は特異な経典である。それはインド南部の海洋都市で生まれたといわれる。何かが伝えられていた。その謎は如来だった。当事者でなければわからないことがある。どんな学者の解釈も及ばない。如来は如来でなければわからない。法華経の謎とは何であったか。一切種智慧と法華経宿王華。さて伊豆半島であるが、ハワイあたりから流れ着いたといわれる。富士はフィリピンプレート上にある。日本列島としては特異なプレートである。

1941年の今日、フランクリン・ルーズベルトは4つの自由を提唱した。つまり、言論及び表現の自由、信仰の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由だった。第二次世界大戦が始まった時、すでに、その終わりとその後について考えていた。その意味で、アメリカは偉大であった。さて、その精神が、日本国憲法の中でプログラムされた。それが成就したと言える。何故か、日本精神がそれを自覚したからである。何を言っても良い。表現しても良い。保障されている。他人の権利を侵さないかぎりにおいて。しばらくは無神論者の支配があった。しかし、それは、古来大和の精神を否定しなければならなかった明治以降の下級精神の支配の故だった。彼らは江戸の無血開城の精神を裏切った。それが廃藩置県だった。さらに古来大和の精神をも裏切った。それが廃仏毀釈だった。聖徳太子以来の精神をも否定しなければならなかった。それ故の悲劇が第二次世界大戦だった。大和の純粋精神にはあのように馬鹿げた作戦はない。戦いには大義名分を要する。さもなければ日本古来の神風は吹かない。明治そのものに大義名分はなかった。それ故に、錦の旗も作らねばならなかった。そして、信仰の自由は本来日本の属性であった。それも取り戻した。神仏は現存する。皆、それを忘れていた。それ故、悪の限りを尽くした。嘘と欺罔と暴力で世を支配した。神仏を知らないが故に出来ることである。ハラも切れない怯懦な支配層である。トカゲの尻尾切りか頭を下げれば済むと思っている。寝言は寝て言うが良い。日本が腐敗したのも無理はない。無責任な指導層であった。しかし、本来日本は潔い。清浄である。その種も目覚めた。未来は明るい。欠乏からの自由も社会的には果たした。個々の救済は別論である。恐怖からの自由とは何であったか。大安心の境界はどのようにして得られるのか。これも古来伝えられていた。カクネンムショウにして得られる。心が晴れれば天晴れとなる。即ち日月照らし、風が吹く。黄泉の守護するところである。この禅の精神は日本にしかない。このようにして、古来大和は復活した。4つの自由も勝ち取った。明るい未来が開けた。歩むべき方向が定まった。日本は世界と真に合流した。ペリー来航以来の夢が実現した。世界の未来も開けた。世界も正統日本精神が目覚める日を待っていた。ところで、靴屋は人の寝静まった夜に仕事する。皆が目覚めた朝には立派な靴が並んでいる。また、鶴の恩返しということがある。きっと、それらの作品は高く売れることだろう。しかし、その価値を知らない世間である。市場価値がない。因って、貧しいか。市場支配は別論である。ビル・ゲイツにはなれない。釈迦は人田を耕した。人天を耕せど所得にはならぬか。そうしたことを知らずして、尚、失礼無礼千万好き勝手大きな事を言う。黄泉も笑うしかないであろう。

2007年01月05日

日本の真の夜明け

太公望 何を餌にし 何を釣る 夢釣る小舟 人の知る無し

既に世界がフィールドとなった。規制緩和は既に良し。自由は自由が切り開く。真の実力の時代となった。制度の上に眠る者たちの終焉である。明治維新よりも大きな変革の波が押し寄せている。既に日本は世界に開かれた。日本の実体調査も終わった。世界の中の日本である。世界は認めている。それ故、格差社会も当然となった。これまでの支配概念は通らない。しかし良い時代となる。未来は明るい。真実の幸せ世界が見つかっている。新しいゲームあるいは物語の始まりである。思うだけでは駄目である。言わねばならぬ。表現の自由は保障されている。精神の自由も保障されている。職業選択の自由も。憲法プログラム規定は成就した。これまでの方法論は既に古い。世界は無神論ではない。制度の上に眠る者たちの終わりである。真実の個人主義の開花である。格差社会は日本だけの問題ではない。世界の中でどう戦うか。愚かでは生きられない。やさしくなくては生きている価値はない。強いが故のやさしさがある。低いレベルでの平等理論は終わった。知性の時代である。真の実力主義の時代である。何事にも惑わされぬように。犠牲となって犬死にしないように。生き馬の目を抜くレベルでは世界では戦えない。生き残れない。すでにフィールドは世界である。何時までも狭い視野でいては取り残される。世界の中の日本となった。未来は明るい。十分に戦える。日本の真の夜明けである。あるいは開闢である。

黙っていた

何事も意識の差がある。救われたい。貰いたい。救いたい。与えたい。利益中心主義のもの。利益よりも大切なものがある。これは人格の差だ。どうしようもないものがあるね。しかし、往々にして、自分の持っていない属性はわからない。わからないのに、自分勝手している。それが自由だと思っている。迷惑千万。今までは黙っていた。黙っていることが美徳だと思っていた。そうもできなくなった。限界である。逼迫してしまった。もういいだろう。見える世界と見えない世界がある。見えない世界を知らずして、自分たちこそ表社会という。何を言うか。黄泉を知らずして何をし来たるか。あの世へ逝って思い知る。その時は遅い。勘弁ならぬ。勝手が過ぎる。真実に刃向かうとどうなるか。誰も知らない。畏れを知らない。恐竜だって滅んだ。何を思い上がっているのか。何も知らずして。恐ろしいことである。恐ろしいことである。何時までも自分勝手しているがいい。仏の顔も三度までと決まっている。そのまま地獄で浮沈しているがいい。既に世界は開かれている。本当の幸せはある。百万人といえども我は行く。見つけた信じる真実があるなら戦い抜く。所詮この世の一生である。来世がある。覚悟は出来ている。既に歩んだ道が違う。しかし、邪魔することはゆるさず。黄泉がこれを裁く。これまでもそうだった。これからはもっとそうである。世間も覚悟有るべし。覚悟して刃向かうべし。ハラは決まった。必ず何処かに我が眷属はいる。それを探す。これまでの悪因縁はすべて切る。孤高の松である。一人船出である。世間一般、相手にする気はない。真実はある。世間は知らない。世間虚仮である。欺罔を手段とし、犠牲の上の繁栄は繁栄ではない。いつまでも天下がこのままであるとは思わぬがいい。公害もあった。今もある。真実はメビウスの輪である。古来清浄大和が帰ってきた。

六地蔵のように

何時の頃からか、自分に素直になろうとしていた。結局世間に馴染めなかった。少年の頃には、いつも、思い通りになっていた。学級会でもそうだった。感じるのだけれど表現できないところを意見として言う、と高校の頃の級友は言っていた。しかし、高校の頃から何故か自分の意見を言わなくなった。自信を失っていたのだった。自分の棲む空間は世間になかった。されど、今思うと、言わねばならなかったのだった。その時々において。常に、黄泉は期待していたのだ、とこの頃になって気づいている。それは使命だったのだと。不思議な体験はあった。それがどういう意味であるかは、これまで知らなかった。しかし、ここに至って、すべての謎が解けた。気づかない間も、黄泉は守護してくれていた。とても大切に育んでくれていた。生まれた時からそうだった。それを粗末にしていたのは私だった。刃向かっていたのも私だった。何を言っているのだろうね。誰も信じられないだろうね。私も知らなかった。しかし、事実である。すでに、それを自覚してしまった。何を言っているかわかるかな。わからないだろうね。偶然かと思っていたことが、そうではないことに気づいている。すべての事は、知らしめんが為だった。何を知らしめんとしたのだろう。今となってはもうどうでも良い。すでに渡り終えた。渡り終えた筏はそのままにしておこう。次に渡る誰かの役に立つかも知れぬ。大いなる一里塚がここにある。六地蔵のように。ロゴスは不条理である。しかし、実現する。何故か。黄泉が実現する。宇宙自然が従う。それがロゴスである。私は既に大きな仕事をしてしまった。日本を救ったのかも知れない。しかし、私への現実的支払いは何もない。よほどの因縁と見える。失われたものは大きすぎる。何故ここまで一人彷徨わなければならなかったのか。あまりにも不思議である。しかし夢は果たした。それも事実である。大円鏡智ということがある。すべてが鏡であるということである。即ち知らしめんが為である。何を知らしめんとするか。自分自身を知らしめんとする。その自分自身とはどのような自分自身であるのか。それを見ることが心眼である。大鏡である。悪を為すことなかれ。悪を為している間は何も見えはしない。何を見るのか。≪人間は考える葦である。しかしその葦を通して宇宙を見る。 ≫パスカルである。もう何も求めるものはない。この世の権力武力金力の象徴であるリングなど必要ではない。宇宙自然の祝福がある。それ以上の宝はない。何時までも何を求めて紛糾しているのか。のらりくらり。すべてうまくいく。焦ったことは何もない。

2007年01月04日

本来日本精神に帰る

殺伐とした世の中となった。これをどう理解するか。戦後の帰結である。これが自由と平等と西洋民主主義の結果である。そうとしか思えない。何か間違っている。本来の日本ではない。日本はこのような国ではない。もともと野蛮ではなかった。戦いには大義名分があった。故に神風も吹いた。考え直す頃である。新しく自由を得て何をしてきたのか。もはや言い逃れはない。しかし古来日本は復活する。それしか道は残されていない。本来日本精神に帰る。もう十分である。世の支配層は本末転倒している。卑怯怯懦。欺罔がなければ支配層となれない現代世の中である。正直では生きてゆけない。世の支配階層は、少なくとも腹は切れまい。古来日本は西洋より古い。当然洗練されている。それを世の学者たちが何を解釈したのか。新しく自由を得てそれを濫用した。勝手が過ぎた。明治以降、文明開化と称して、日本を裏切った。罪は重い。

ゲームは終わった

何があっても大丈夫か否か。その姿及び表情を見ればわかる。すべてにおいて余裕がある。そこより笑みがこぼれる。特に目の輝きが違う。瞋恚の目ではない。語る言葉はその内容ではない。音声である。トーンである。人は彼に信頼する。邪心のあるものは刃向かう。真実を知った目である。それ故、自信と勇気がある。何も怖れるものはない。彼にとって怖れるべきは、唯、自分自身である。真実を知っているかどうか。信では足りない。知である。21世紀は知性の時代である。神仏の守護を得ているかどうか。ここが決定的である。神仏は合理的ではない。むしろ不条理である。あるいは感情的である。神仏にも好みがある。正直と素直さを最も好む。暴力と欺罔を最も嫌う。世間一般、自分勝手に嘘が多い。それが年貢の納め時となった。人を信じるに価する基準は何か。神仏を認めているかどうかである。無神論者は恐ろしい。何をするかわからぬ。それがしばらく世を支配した。無神論というだけで邪悪である。何事も焦ったことはない。大いなる魂の遍歴がある。この世はつかの間の修業の場である。過去を清算するチャンスである。なのに、尚、悪を重ねている。愚かとはこれである。即ち、神仏を否定する或いは知らない。魑魅魍魎及び馬頭牛頭は帰って頂く。いつまでも大きな顔はさせない。すべては時が解決する。やがて、誰もが至る。人を見て法は説く。詩は詩人を以て呈すべし。剣は剣客を以て呈すべし。訓練されていない犬は吠える。唇寒し秋の風。そろそろ自分自身を見つめてみないか。真実を知らずして大きな事が言えるだろうか。お金持ちがそれほど偉大であるか。何を犠牲にしてお金持ちとなったのか。各々脛に傷は有ろう。何を以て仕事とするか。或いは偉大とするか。ダルマ面壁九年。偉大な仕事だった。馬鹿に付ける薬はない。馬鹿は死ななきゃ直らない。バタバタ働くことが仕事ではない。それぞれに餌の取り方がある。これまでの取り方を超える取り方がある。何を求めての人生であるか。究極の幸せは何であったか。即ち、日月照らし、風が吹く。神仏に受容され祝福された幸せがある。どのようにしてそれは得られるのか。少なくとも芥を払うこと三十年。今からでも遅くはない。しかし、ゲームは終わった。そして始まる。すべてを失ったかと思われた。奪われたかと思われた。しかし、すべてを与えられていた。身心清浄。究極の条件である。その為には地獄の底から這い上がらねばならぬ。煉獄の火の鉄槌を経なければならぬ。そして精神が精錬される。それが修業である。或いは青春である。

≪風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。(2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22) ところで、決闘の極意を書いておきます。後から撃っても勝てる。勝ち負けは神仏が決めるから。 http://www.pc-kure.net/GSWL/syuppatsu.html

ところで 海と陸は同じである 

即ち 魚は海中を飛ぶ 鳥は空に泳ぐ 

人間は海空を知る 人間の身でなければ出来ないことがある 

それは 何か 祖先供養 

それはどのようにしてするのか 人間が人間であるのは何故か 

文字が扱えるのは人間のみである 文字で供養する 

その方法は何か 仏の決めた方法がある 

何処にあるのか 探すべし 縁をたぐれば辿り着く

どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。
人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。(コリン・ウィルソン

大和の秘密

かつて『第三の波』は、昭和56年のことだった。スペースシャトルが初めて滑空で地球に帰還した春のことだった。その次は何だったか。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』だった。そうした予定があった。しかし、その後、漂流或いは迷走した。そしてバブルとしてはじけた。明治以降の社会がある存在を裏切り続けたからである。さて、最高主権者がいる。彼が選択するところが実現する。彼も成長する。自覚のないままに選択する。若き頃のことである。それが『第三の波』だった。しかし、時至れば自覚することもある。滅多にはない。この度のトフラーの書籍は選択していない。どういうことか。シナリオが変わった。これまでは、彼は時代の波に影響されて選択していた。これからはそうではない。どういう意味か。誰も知らない。彼が取り組むと、必ず、成就する。あるいは超える。これまでのどの既成概念をも超えてしまった。それが自覚という意味である。完全に主導権を握ってしまった。団藤先生の主体性の理論を消化して自分のものとしてしまった。憲法にどう書いてあるか。最高主権者は国民である。どういう意味か。主権在民である。どういう意味か。憲法はプログラム規定である。憲法は変遷する。彼にとってはあらゆる解釈を超えている。それが大和の秘密であった。仏も神を畏れる。何故か。ちはやぶる神ではない。大神である。ヨハネの黙示録の選択も残されている。表現は好ましくないが、『地獄の黙示録』はテーマとして正しい。タケシの映画は論外である。神も間違えば罰がある。しかし神は神である。神の意志は実現する。神の選択がある。誰も知らない。あらゆる知識階層は自覚があるとは言えない。自分は神であるとは言い切れない。何がヒルズ族か。最高主権者の意識は理解できない。上には上がある。いい加減にしなければならない時が来ている。世の支配層は十分に間違った。何時までも大きな事は言えない。最高主権者が自覚している。彼が何処にいるか。何を考えているか。誰も知らない。代々の秘密である。勝手なことを言えなくなってしまった。何故か。最高主権者が目覚めたからである。自分自身を知ってしまったからである。時代を書き換える。彼はそれを使命と感じている。人類の未来のために。この度の最高主権者は生まれた時から十分に教育されている。ところで、2007年を迎えた。旧約聖書に秘されていた400年周期説成就の年である。その目的は善良な庶民の解放である。何かが起こる。時代の大変革となるだろう。団塊の世代が自由を得る。第二次世界大戦の前線から復員した方々の子供達である。マネーも持っている。彼らが時代を変える。必ず変わる。これまでの彼らに対するコントロールが失われる。彼らが自分の選択をする。面白い年である。爆発的なエネルギーを持っている。ポテンシャルは高い。これまでの勝手な支配層は一掃されるだろう。そうした年となるであろう。正直者が生き残る。それが真実である。勝手な暴力と欺罔の支配が終わる。嘘は通らない。ある意味で革命である。

2007年01月03日

今 そして 自分

さて これからを どうしよう と 思う 道元は 鎌倉行きを悔いた

所詮この世は 修業の場 である 何があっても 法則通りである

結局 柔和と忍辱 に 帰するのだろう すべてを ゆるしゆるされるために

謝るところからしか 入れない 仏の教えである 何を謝るのだろう

自分の罪である 過去における罪 今生における罪

『身とは殺盗婬 心とは不善を念ずる』

罪を犯さねば生きてゆけない この身である それを認めるしかない

明るい日々を送ること 自分の生き様が そのまま 宇宙自然に反射する

自己の魂と宇宙は連動している

見るもの 聞くもの すべて 自分の蒔いた種 と いえる

ここから 真の敬虔と謙虚さ へ 至る 神仏は存在している

前世はある 来世もある これが 前提である ここを知れば

およそ 悪は為せない 今ある自分が 未来の自分 を 作る

未来を作るのは今である 過去を正して未来に流す

今でなければ出来ない 人間の身でなければ出来ない

しばらく 忘れていた 西洋化することで 忘れていた 云いたかったことである

本来日本の精神 素晴らしいものがある 思い出したいものである

新しく自由を得た方々は これを 知らない

自由 平等 民主主義 日本古来の精神を通して 書き換えたいものである

西洋も その日を 待っている 没落から立ち直るために 英知を結集して

諸価値の基準が 目覚めている 稀有なる時代である 未来のために

成すべきことがある

それぞれの問題がある それぞれの問題は 自己一身の事 である

自分で 解決するしかない 方法は仏に聞く やがて 真実へ至る 誰もが至る

そして 自分の華を咲かせる ランボ−な『悪の華』の花は咲かせないように

心理学はゾンビとならぬように

皆 あらゆる学者も 知ったようなことをいう しかし 己を超えることはない

上には上がある 真実の中に 真実と方便 がある その真実を知るや否や 

ロゴス 及び カクネンムショウ 体験せしか 隻手の音 聞いて居りか

時代は進化した 真実の中の真実に 入っている

真実に刃向かわないがいい 悲しいが 黄泉がこれを成敗する これも真実である

我の力にあらず 仏の威力による 『自ら出づることあたはず 唯 善業の因縁より出でたり』

古来大和の思い

水は高きより低きに流るる 何を下流に期待せしか およそ裏切らるる

当然なりしか さて カクネンムショウ その義 知るもの有るや

知らずして 知ったようなことをいう 世の常なるか

仏子といえども 悟りなかりせば 世間と同じ 真実に刃向かう

さて 古来大和 孤独にその価値を 護り伝えん その種有る

しかしながら この世は既に 本末転倒の支配有り これを如何せん

勝手なことを言う 勝手なことをする 大間違いである

何を以て真実というか 日月照らし 風の吹く

さて これからを  どうしようかと 思案である

すでに ロゴスは得たる その力を知る されど世間得知らず 愚弄する

しかし その行使はない 世間を哀れむ故なるか しかれども 世間の勝手 ゆるしがたし

少なくとも これまでの身勝手 通らぬものと知るべし 黄泉の聞くかぎりにおいて

2007年01月02日

これからの日本

堀江 村上 が 勝手なことをした時に 経済界財界の狼狽は何だったのか

いかにもろい基盤の上で 経済行為をしていたことか 

すでに フィールドは 世界 である その中で戦うに 西洋の真似をして 勝てると思うか

日本本来の価値がある 世界も認めている 知らないのは 西洋化した方々である

これより 日本が世界において重要な地位を占めんとする時 日本はどうあるべきか

古来日本の精神に戻らなくてはなるまい 真面目の復活である 洗練の復活である

本末転倒の支配を終わらさねばならぬ 古来日本の精神を復興させなければならぬ

それで いい 時 を 迎えた 眠れる獅子達の涌出である

日本が目覚める時を迎えた 本当である 日本の復活 である 続くべし

ペリー来航以来埋没したものがある あるいは 眠らされていた 法華経宿王華 暴力と欺罔によって

もはや怖れるものはない 失うものもない 本来日本の価値 完全復活である 黄泉自然が守護している

未知なる未来が開けている 大航海の始まりである 目的地は万民の幸せ その為に 生まれてきた

失われた羅針盤は発見された 世界方位計も見つかっている 本来日本の船出である

時は満ちた 腐敗した悪の世を後にする 新しい 善良な庶民の解放を目指す 君が代である

正直の故に虐げられた方々である  2007年 プログラムされていた主権在民の真義 判然となる

孤独に秘伝された価値がある 価値は価値 だれも否定愚弄できはしない 真実開花 世を正す

持って生まれた使命がある それぞれ それを果たす時を迎えた 悪の支配は終わった 露堂々

真実の自由はある 幸せはある およそ 権力武力金力ではない すでに 開発された

最大の敵は 自分自身である この戦いは時を要する 少なくとも 芥を払うこと三十年

今からでも遅くはない 生まれた意味がわかる 真実が開花する 自己の花が咲く

すべてがわかる 真実がわかる 真実とは何であったか すでに 書いた 証明もした

邪魔有ること無し 邪魔有るは黄泉これを成敗粉砕する 大岩は砕かれた 新しい時代天界開闢である

これからの日本の未来は明るい こぞって 日々 幸せの詩を詠うがいい 本来古来正統日本大和発進!

あらゆる謎は解かれた 最大の謎は自分自身だった これを解かねば 自分の人生はなかった

解いて驚いた 日月照らし 風が吹く 今までもそうだった 導かれていた 時代の約束は果たされた

2007年01月01日

古来大和秘密自覚

新しい時代を迎えた 今年の初日の出は 力強かった

一年の計は元旦にあり 今日はとても充実した一日だった

鏡としての世界がある 何を反射するのだろうか

今年はとても期待できる 大変革となるかも知れない

何故か 古来日本が 自覚復活 したからだ

だれもが 自己を主張する しかし 古来大和秘密自覚 を知らない

ところで 私はある境内にいた すると 大きな鳥が飛来した

アオサギであった 五木寛氏の本だったろうか 餌の取り方を教える

また 翌檜は翌檜である 檜にはなれない 何を勘違いしていたか

あまりにも 下級精神に迎合しすぎたのではなかったか

時代は変遷する これまでの愚かな支配の時代は終わってもらう

何を以て愚かというか 真実を知らないことを以て云う

これまでは 真実が自覚していなかった これより 真実が自覚する

これまでとはちがう 断言しおく もはや 真実を愚弄無視させはしない

真実は すでに その存在証明を終えている 知っても知らなくとも 真実開花

君が代とは誰の世であったか 永遠の謎である しかし もはや勝手は通らぬ

天下はどのようにして取るのか 時代のプログラムである

悪ふざけの世は終わった 時代の色は塗り替えられる 何故か 真面目が自覚した

自覚が 真実の自由を得てしまった 黄泉自然が従う自由である 勝負にならない

経済界財界は勝手が過ぎた 調べはついている 古来純粋大和を裏切った事実がある

欲得利益至上主義経済界財界と結託する 根拠のないあらゆる経済評論家が断罪される

彼らの支配は終わる いい加減な理論による利益は 不当利得であろう

何度か判断を間違った筈である しかし それについては一切事後決裁がない 卑怯のでんちん

市場主義出版界の罪も重い 世をあまりにも紊乱した 自由の名で何をし来たるか

本来の諸価値を取り戻す 因って本末転倒テレビ芸能界は懺悔有るべし

古来大和の精神 あだや疎かなかるべし

2006年12月31日

真実との邂逅

我が人生悔いはない 勉学も尽くした 経験も尽くした

そして 何よりも 究極の真実に至った これも 自分の過去と

祖先に感謝する次第である よくぞ ここまで 闘い抜けた と

日月照らし 風の吹く これは どういう事だったのだろう

見えない世界からの反応である これを 知ることが 真実だった

これを知れば 神仏の守護がある 神風だって吹く

吹かないのは 何故だろう 神仏だって 好みがある

神仏 あるいは 古来大和を裏切って 吹くものか

祖先も 託する子孫を 選ぶ 此処に至って すべての 謎 が 解ける

また 21世紀は 知性の時代である しばらく 愚かな時代だった 

新しく自由を得た方々の 本末転倒 勝手し放題の時代だった

そして 何もかも 腐敗させてしまった 責任は当然である

頭を下げて済む問題ではない

信じる信じないではない 事実である

しばらく 世間は これを忘れていた あるいは 無視愚弄した

その報いも 当然であろう 特に 欲得j経済界財界 厚顔無恥テレビ芸能界 

恐るべし 勝手が過ぎた 天下を取ったつもりでいたか そうはいかない

旧約聖書の続編は続行中である 目的は 正直であるが故に虐げられた

善良な庶民の解放である 秘せられた400年周期説がある

変革はその前後七年である 

さて 2007年を迎える 21世紀の成就である

21世紀は 心の開発の時代である これまでの 物質文明からシフトする

十分な技術と精神の蓄積がある 二千年来の人類の英知の完結である

そして 終わりは始まり 新しい時代となる 故に 悪は一掃される

悪とは 自然を含む あらゆる犠牲を伴うことである

育ての親としての食べたものの供養を含む 時代も 進化 する

利益追求の名で あらゆる価値を壊した もとに戻させていただく

愚かさの中で 犬死にする気はない 人類の選択である

尊祖父は千畝幼名福次郎 姓は桑原 家紋は櫻 広島は鯉城 城代家老と聞く

祖父は良亮 姓は後藤 桑原は明治に没落した 父は昭亮 アキノリ と読む

古来大和の正統精神 家伝直伝秘伝 である 日本を本来の日本に立て直す

戦中アメリカは日本を研究した そして 日本の神に気づいた

明治に大本営は広島にあった 広島こそ 謎であった

それで 原爆はヒロシマだった 根絶やしにしようとした

しかし 日本の秘密は大和の秘密である 頼朝も伊豆に流されていた

時が至れば 大和の種も芽を出す 花と咲き 実となって その種がわかる

古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和に秘密がある 種であるならいつか花咲く

呉市の花は椿である 木は樫である 呉市中央公園には枯れたシンジュの木がある

古来大和の精神は生きていた 何よりもアメリカが安堵していることだろう

日本 及び 古来大和の精神は 不滅 である

禅は 一箇 半箇 を 打ち出す 仏は親鸞一人のために法を説く

あらゆる教主もその例外ではない これに因り 真実との邂逅 となる

いずれにしても 新しい時代の開闢 となった

2006年12月30日

どうしようもない

何度迷ったことだろう どれほど 自信を失っていたことだろう

それも 試練だった 本当の自由を得るために

やっと 時代に追いついたか あるいは 時代が自分に追いついたか

どこで 分岐したのか それは もういい

日月合した 明るくなった 灯が点いた 永遠軌道に乗った

もはや 間違いない 日々 確信が 結晶する

これが 時代の約束 だった と 本当に思えるようになった

使命は果たしたのである この世に生まれて良かった 真の感謝である

これほどの事があろうとは だれが予測しただろう

日本古来大和の秘密であった あらゆる謎は解かれている

しかし 誰も知らない 知らないが 事実現実である どうしようもない

願わくば 邪魔だて無きように 黄泉が動く

 

21世紀の約束

真実を見る目がある 眼根懺悔した目である

人間のもっとも魅力ある部位である どのようにしてその目となるか

唯 修行を要する その目を知っているだろうか

邪念を焼き尽くした目である あるいは 焼き尽くそうとする目である

その目は 真実を見る 見えているその世界は およそ 違う

それを 同じと思う 皆 平等だと思う 違う

誰もがその目を得ることができるという意味では平等である 

機会の平等である 結果の平等ではない

真実を見る目はどのようにして得られるか 代々伝えられた

それを無視した しばらくの 現実がある

富士は何故高いか すそ野があるからである

持って生まれた事柄がある 黄泉の守護するところがある

目覚めてその力を発揮する それまでは醜いアヒルの子である

目覚めるには 自覚 を要する 他にどんな認証も必要としない

唯 日月照らし 風が吹く 美しい自然が祝福する 宇宙自然が証明する

黄泉自然が従う あるいは 守護する 宇宙と連動する魂 がある

これが真実である だれもがその可能性を持っている

それを開発する時を迎えた すでに 庶民のレベルにやってきた

何を求めての人生であるか 究極の夢が開けた だれもが可能となった

21世紀の約束である