2007年09月02日

クレーム処理について

お客様の中には理不尽な方がいる。勝手な解釈をして相手を責める。現場は大変である。営業段階の責めまで負う必要はないはずである。それでも会社はどう思うか。クレーム処理の問題点である。往々にしてそうしたお客もお客である。その口を怖れる。そして機嫌をとる。お客の言いなりとなる。それで良いのだろうか。そのお客を説得できなかったのは不徳の致すところである。しかし責任はない。そうした理解が会社にあるのかどうか。逆に質問したい。例えば、新たな事実が現場でわかって作業が出来ないとする。お客様はそれを納得しない。そして出来るといったではないかとか、何故事前連絡の時に確認しなかったのかとかいう。こちらは出来ないといっている。してはいけないことになっているといっている。権限もない。営業段階の事情など知らない。しかるべき窓口もご案内した。それで答えは出ている。出来ないことは出来ない。駄目なものは駄目である。一切権限は与えられていない。それでもお客は納得しない。何とかしろと答えの出せないことを言って責める。お前が悪いという。何とかしろという。出来ないことはない。しかししてはいけない条件が新たに発覚したので出来ないことを理解しない。それもお客様の事情である。例えばメーカー製ではないから出来ない。クレームにすれば良いと思っている。それで勝ったつもりである。会社はそれを怖れるからである。窓口をご案内すれば機械応答でつながらないという。知ったことではない。こうした事務処理を現場に負わせて良いのか。それだけの報酬を現場スタッフに支払っているのか。会社は回答するべきである。場合によっては会社もゆるされはしない。理不尽なお客の仕事まで頭を下げてする気はない。そのような卑屈な根性は持ち合わせていない。これが本音である。会社は現場を知らない。お客様は神様である。何を馬鹿なことをいっているのか。それで思い上がったお客がいる。誰がこのような仕事スタイルにしたのか。会社である。現場スタッフのために敢えて申し上げる。泣かされるのは常に現場である。現代戦争において死ぬのは前線の兵隊であり庶民である。将校は塹壕に隠れている。会社は何のためにあるのか。スタッフを護るためではないのか。むしろ援護射撃するべきである。クレーム処理の仕方に問題がある。会社も勘違いしないが良い。わびるべきは会社である。クレームに追い込まれ、現場処理をしなければならない苦境に立たされたスタッフに対して。そして、例えば事前連絡時に色々ヒアリングしておくようにとのことである。そうしないと支払われない場合があるとか。何をいってるんだろうね。そのようなことはわからないからお客様は無料設定スタッフを呼んでいる。そのようなことがわかるなら自分で設定する。あれこれとこちらの都合で聞いているとその場でクレームとなる。現場に行ってみなければわからない。会社は現場がわかっていないね。そもそも営業手当は会社から頂いていない。今のお客様は自分勝手な解釈でおかしい方がいる。何にクレームをつけているのか。対応の失礼であるらしい。あなたがさせたのである。クレームにするといえば思い通りになるとでも思ったか。相手が違う。そのようにして思い通りにしてきたのか。クレーム権の濫用ではないか。最善は尽くした。出来ないことは出来ない。会社はクレームを怖れる。それを暴力的に行使するお客様もいる。それで出来ないことをさせようとする。会社はどう対処するのだろう。面白いね。

さて、井伏鱒二の小説に『山椒魚』がある。オオサンショウウオは広島の清流に棲んでいる特別天然記念物である。しかし食べたのであろう。トキもコウノトリも食べたのか。それでいなくなったか。『山椒魚』の末尾は削られている。何が削られたのか。「もう恨んではいないよ」。これを復活である。既に失った青春も人生も帰って来ない。故に見つけた力がある。それは何だったか。縷々と書いてきた。古来大和の秘密である。或いは掟である。日本は日本である。これを護る。或いは護り通した。あなた方は愚弄無視破壊した。故に私の青春も人生も失われた。しかしそれで善かった。あなた方の色に染まった人生も青春も欲しくはない。私の住める時代ではなかった。しかしもはやあなた方の勝手は通さない。それだけの力を得ている。知らないことを以て否定することは出来ない。真実は真実である。あなた方の時代は終わったのである。早く観念した方が良い。認めた方が良い。これまではあなた方に負けていた。負けているとどうなるか。とことん食い物にされる。餌食となる。しかし、あなた方は食ってはならないものまで食った。もはや遅い。その報いはある。どういうことか。これからわかる。愚かだったね。ところで、病院の婦長はどうなっているのだろうね。両足踵骨を骨折した時のことだった。私は車椅子から松葉杖になって三日目に私の意思で退院した。何故だったか。婦長が退院許可を取っていたことを知ったからである。主治医も担当の看護師もゆっくりと治療するようにいってくれていた。しかし婦長は違っていた。それが病院経営であるか。リハビリ室で自らの回復を誇るタクシードライバーは何時までも大きな顔で入院している。何故だろうね。病院と仲が良いのだろうね。或いは世間通なのだろうね。私はお金がなかった。それで袖の下はしなかった。その間、婦長がどのような処遇をしたか。知らないわけではない。詳細は割愛する。唯、婦長が悪いのではない。実弾としてのお金の威力である。税務署は婦長及び医師の入院に伴う便宜のための不当利得を把握しているのだろうか。 亦、この度広島新球場が建設される。楽しみなことである。場所はもと国鉄操車場である。ところが入札率が予定価格の97?バーセントだったとか。談合であるか。もはや国民はそれをゆるさないといっている。嘘が多すぎる。何を根拠に勝手しているのか。それを示して頂きたい。あなた方が根拠とする以上の根拠を以て問う。返答されたい。そして改めて思う。私は私である。私は私を認めていなかった。私は私を裏切っていた。故に埋没した。これより容赦ない。私は私を生きる。それでのたれ死んでも良い。武士は食わねど高楊枝である。商人根性は持ち合わせていない。それから生命は残酷だね。女性は生命そのものだね。男性諸君、女性には勝てないよ。そして生来嘘つきである。これを妄念という。相対的に暴力では勝てないからだね。処世術だ。それ故、可愛いと思えてくる。仲良くも出来る。女性は自らを生命であることを知っている。そして生命として生きる。花と咲き枯れることを知っている。それで最も美しい時に伴侶を選ぶ。そしてすべてを投げ出す。命を預ける。男はそれに気づけない。不倫は文化などとと思うだけで伴侶に対する裏切りである。そして裏切る。幸せな家庭はやって来ない。哀れな晩年となる。行きはよいよい、帰りは怖い。皆、怖い人生を歩んだ。年貢の納め時が来る。幸せは家庭にある。今からでも遅くない。幸せな家庭を作れば良い。あらゆる経済行為も制度もその為にある。それ以外に目的はない。意味もない。女は生命的である。生きることを選択する。子孫を残すことを本能とし、優先する。それ故嘘もつく。花と咲く時、蝶が来る。故に道徳は関係ない。それが古来神聖な場所には入れない理由だった。しかしそれは克服されたね。

ところで法とは何だったのだろう。この世の一切だった。親鸞は仏は我が為にのみ法を説くといった。それはどういうことだったのだろう。至り着いて知るところというべきか。そして過去を振り返る。するといつもそうであったことに気づく。これを幸せといって善かった。しかしなかなか気づけないものである。いくつもの出逢いがあった。しかし悉く別れた。何故だったか。一緒に行こうとはいえなかった。険峻な旅が待っていたからだった。一人で歩まねばならなかった。そして今確信している。私の人生は真実だった。いえないことが多い。いうべきだろうか。この世はそうだったのか。このような馬鹿げたことがあるものか。それはどういうことか。誰も知らない。すべて黄泉からのサインである。君が代だった。或いは大鏡である。君とは誰だったか。こんな宿命があったとは。これからでも遅くない。幸せになる。私が惑うわけにいかない。迷うわけにいかない。皆そうである。その為に生まれていた。いつかわかる。わかる時が必ず来る。私は確信している。あなたがたもいつかこの道を歩む。失ったものが大きければそれだけ得るものは大きい。私は何を失ったのか。何を得たのか。真実の愛も知った。真実の恋愛もあった。それは孤独であったけれどそうだった。そういうことだったのだ。この世で為すべきことは成した。とても満足している。精神的にはね。そして何もかも気にならない。多少はなるのだけれど、以前のように気にならない。これで生きてゆける。皆様に感謝である。悪はゆるさない。この身を賭して戦うべきか。その必要もないことに気づいた。それぞれの道である。それぞれの運命が待っている。関わる必要はない。その因縁を背負う必要はない。仏に任せれば良い。この世の草履銭は請求されるよ。この世に生まれて何をするべきか。何を考えるべきだったか。問われる時を迎えた。何故か。不識。男は精神に生きる。女はそれを知らず、生命を選ぶ。私は大きな仕事をした。誰も知らない。何時の世もそうだったのだろう。誰もが待っていた。或いは探していた。花は何処へと。やっと楽になれた。これが私の使命だった。後はあなた方である。もう譲ったからね。私の人生はもうこれでゆるして頂く。重荷を背負っていた。十字架だった。それは何だったか。戦争とヒロシマだったか。仕方ない。誰かがしなければならなかった。何をしたというのか。古来大和の精神の復活である。それは困難を極めた。戦後の浮かれた時代の故だった。しかし道は開けた。未来は方向付けられた。日本は大丈夫である。世界も大丈夫である。歴代の人々の願いと祈りは無駄ではなかった。日本は日本である。そして秩序がある。あなた方はそれを裏切った。それを戦後自由と思った。戦後は日本の歴史のどれだけであるか。日本の本質は変わりはしない。その報いはある。取り戻さなければならない。未来に対して云いおく。私はこの身を犠牲に供した。図らずもであった。祖師西来意に等しい。ヒロシマの因縁はきつすぎた。草薙の剣とは何だったか。偏に精神或いは脳力だった。それは持って生まれたある周波数だった。それが脳力だった。何でも出来る。この世を方向付けることも出来る。持って生まれたポテンシャルエネルギーは異なる。質的にもである。それをあなた方は無視した。むしろ愚弄破壊した。大きな罪である。気づいた方から始めるが良い。未来は定まった。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。今、その時である。そして二千年来の物語の謎が解かれた。此処より始めれば良い。幸せの条件が定められた。こうした人生もある。こうした仕事もある。ビジネスが出来るのもそのお陰である。あなた方は何も知らない。知らずに勝手なことをしている。そして間違う。間違いを間違いと気づかない。一休髑髏である。奪ってはならないものがあった。それを奪った。どうなるか。悲しませてはならない。何故か。死に神が来る。古来伝えられていた。何時か見失っていた。ペリー来航以降それに乗じた下級精神支配の故だった。彼らにとって古来日本が培ってきた大和の精神は邪魔だった。そして幼稚な西洋理念を追いかけ、それに染まろうとした。そしてどうなったか。見ての通りである。しかし大和の秘密種は黄泉の守護するところだった。種である。いつか芽吹く。無神論の時代は終わった。それが不幸の原因だった。私はそれを探さなければならなかった。私にしか出来ないことがあった。当事者でなければわからないことがある。それは果たした。真実に刃向かわない方が良い。黄泉の守護し給うところである。或る自覚が成就した。これまでそれはなかった。この世では得られないかと思われた。その自覚のためには何が必要であったか。絶対の自信だった。それを見つけ出した。見つけ出せばいつも守護されていた。しかし気づけないでいた。法華経窮児の物語だった。誰もが夢を諦める。それが大人になることだと思っている。違う。諦めなければいつかは夢は叶う。大きな夢も叶う。どうしてこのように住みにくい世の中となったのか。皆、お金の奴隷となった。正直の価値を否定した。大臣がそれである。国民に何を期待できるだろう。銀行は高利貸しとなった。手を出さない方が良いよ。私は大丈夫である。私は復活する。長い潜行だった。何もかも失った。それも必要だった。自分自身を見出す為だった。この世の謎を解くためだった。この世に生まれた意味を見出した。この世の目的は果たした。高校以来のテーマは完結した。思い残すことはない。何も怖いものはない。唯、自分自身を畏れる。私はこの世の務めを果たした。困難孤独な作業だった。誰も知らない。そうしたものである。もはやこれ以上為すべき事はない。安楽とさせて頂く。自由はこのようにして手に入れる。黄泉の秘蔵っ子がいる。古来大和の秘密である。そしてサインがある。仇は黄泉が討つ。そして起こるべき事は起こる。これで我慢しろと。求めるべきは権力、武力、金力ではなかった。法力である。法力とはこの世の一切である。大切なことは信じることと自覚である。黄泉の守護はあるか。それがすべてである。それが霊鷲山の掟である。霊鷲山はこの世の最大の墓場である。それは何処であったか。ヒロシマであった。古来大和の精神がある。あなた方はそれを愚弄無視破壊した。ペリー来航以降それに乗じてのことだった。しかしその種は遺されていた。地に埋もれていた。これよりその開花である。あなた方にとっては迷惑なことであろう。古来武士道は日本精神の至った結晶だった。商人階級の知るところではない。あなた方の解釈は間違っている。少なくとも武士には精神修養があった。今、あなた方にそれがあるか。過去を未来に移す。仏の大願である。過去の何を移すのか。選択の時である。時は満ちた。

 

さて、会社からの指示があった。お客様に謝罪するようにとのことである。お客の暴言に屈しろというか。そうはいかない。会社の対場はわかる。しかし私の立場もある。さて、どうするか。商人根性は持ち合わせていない。だから、世の中が腐ったのだ。・・・・・・その後考えた。謝る理由はない。仕事自体を辞めようと思った。しかし各方面は迷惑したことだろう。この現実を如何せん。相手に謝る気はない。理由が見出せない。お客の言いなりか。理不尽はゆるせない。しかし各方面に対しての為に謝る必要があるのだろう。因って謝ることにする。しかし、お客の思い上がりがある。これは事実である。この度、近くのため池で遊んでいた子供とそれを助けようとした方が亡くなった。もう一人の子供が意識不明の重体である。この度の件、会社のスタンスを見せて貰った。会社にとってお客は大切であろう。スタッフよりもであるか。自分たちの利益のためにスタッフに全責任を負わせる。会社の立場とお客の立場とのギャップがある。スタッフの与り知らない契約時の問題がある。設定スタッフが現場でそれを埋めていることを知らない。このような場合のために会社はあるのではないか。スタッフの立場を擁護するべきではなかったか。会社は自分の利益のためにスタッフを見殺しにする。愚かだね。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。殺伐とした世の中である。会社も呪われることだろう。これで事が済んだとは会社も思わぬが良い。事の次第は天及び黄泉が知っている。会社は何のためにあるのか。スタッフは単なる奴隷か。だれも受けない辺境ばかりの仕事だった。ガソリンと時間を無駄に使ったようだ。見させて貰ったよ。謝ることは謝る。このような理不尽なことに関与したことに対して。お客様は神様ではない。この欺罔は不幸のもとである。傷ついたものは何か。何もわかっていない。おかしな世の中となったものである。あなた方の幸せは遠いね。新たな懺悔である。私は別に構わない。問題ではない。遺恨はあなた方に遺る。そっくりお譲りする。今後こうした案件に苦しむことになるだろう。あなた方がさせたのである。責任は何処にあるか。利益する会社にある。スタッフではない。スタッフには何の権限も与えられていない。営業及び契約の事情に起因する責任はない。その処理に関する報酬は支払われていない。何かあったら責任をスタッフに負わせる。良い気なものである。それで良いのか。商人根性は恐ろしい。波風立たず、利益すれば良いとする。この傾向が原子力発電所のデータも改竄させる。さらに、これで勝った思うお客の根性はもっと恐ろしい。社会は回答するべき問題である。お客がそれほど大切か。何故だ。それによって失うものよりも大切か。やがて思い知る。企業活動が地球環境及び遺伝子レベルでの生命を破壊した。しかし素知らぬふりである。その間、利益した。しかし損失がある。企業はどうするのか。誰に責任を転嫁するか。何時までもそれが通ると思っているのか。厚顔も此処までである。顔を洗って出直すが良い。正直の故に力がありながら最下層の犠牲者は何時までも黙っていない。時は代わった。君が代である。自然が動く。黄泉が動く。そうした時節となっている。これからどうなるか楽しみである。会社の横暴がある。お客の横暴がある。すべての現場スタッフのために敢えて云う。これを云うための仕事であったか。この仕事はもう終わりにする。菓子箱を持って謝ってくる。ご安心を。・・・・・・事の顛末である。当日夕方、再訪問して、お母様にはお詫び申し上げました。本日(9月3日)、午前9時過ぎ、再々訪問し、改めてお母様にお詫び申し上げました。そして、午前9時30分、ご本人様の携帯にお電話申し上げさせて頂きました。先日の再訪問を評価してくださり、快く、ゆるして下さいました。さらに、本日、午後8時30分、ご本人様から、小生の携帯電話にご連絡があり、 本日の再々訪問をご評価してくださり、そこまでしてくれてありがとうとのことでした。

問題点の整理である。結論からいうと、契約の段階でややこしいのである。携帯電話の契約もそうである。どれがお客にとって利益なのかさっぱりわからないではないか。それでお客は日頃から憤懣があるのである。騙されているといった感覚があるのである。何かあるとそれが噴き出す。競合脱線だ。例えば、無線LANアダプタはお客様のご用意する必要がある契約がある。その方が、レートが低い。しかし、パックで買ったパソコンにそのアダプタがない。お客様はそんなことはわからない。現場で初めて判明する。その時、お客様はどうするか。現場スタッフを会社の代表として責める。現場スタッフには何の権限もない。仕事を休んで待っていたという。2ヶ月の無料期間をどうしてくれるのかという。これが現場の実情である。営業段階の問題だ。設定スタッフの問題ではない。さらに、お客様はパソコンの専門家が来ると思っている。何でも聞こうとする。会社はフロー以外はしてなならないという。現場でどう調整するか。電話線の工事ではない。会社の思いとお客様の思いとの間にギャップがある。それを現場で調整する必要がある。会社スタッフは少なくとも1ヶ月、現場研修をしては如何か。さて、藪をつついて蛇が出たようだね。取引行為は多少の欺罔行為を含む。今、どうだろうか。あらゆるシステムが欺罔的ではないか。商売そのものが利益追求である。それを如何にもお客の利益としている。既に欺罔である。正直者は馬鹿を見る。それが商売の世界だ。大臣まで嘘をつく。祖先が泣いているよ。黄泉がゆるしはしない。一部の利益階層が利益を独占した。その期間が長すぎる。庶民はどう思っていたか。こんな時代だから仕方ないと思っている。そうだろうか。空前の好景気があったのではなかったか。庶民には流れてこなかった。全て何処に消えたのか。企業の負債填補に消えたのか。庶民は高レートのままの負債を追いかけている。それを負け組と笑った。そして欺罔で庶民を餌食にする。それが勝ち組だと誇る。庶民は貧困から抜け出せはしない。その期間が長すぎる。庶民が消費者である。お客である。皆、ピリピリしている。一触即発である。身分に安住しているものにはわからない。一年前の庶民の意識と今のそれは違う。庶民もこの不条理に気づき始めている。これでいいのか。日本はどうなるのだろうね。何時までも欺罔行為で餌食にはならない。社会経済の運転を間違えたね。このあたりに気づいているのだろうか。青年があまりにも所得が低い。これが問題だよ。かれらはいくらかは稼げる。それ故に夢を持てない。日本は駄目になるよ。考えるべき事は何だろうね。正直にならないか。シンプルにならないか。目的と意図を明らかにしないか。これらが隠蔽されている。それを智慧と思ったか。それで支配できると思っているのか。時は代わったよ。庶民はバルカン半島ならぬ火薬庫の状態となっている。政治は何処を見てしているのだろうね。誰の利益だろうね。私利私欲では政治にならない。正直では商売にならない。会社は何のためにあるのだろうね。お客の利益のためであると申すか。先ず社員及びスタッフを護ることを考えては如何か。アメリカナイズされてクレームも利用しようとする時代である。サービスの本質を失った。70パーセントの完成度でリリースする。残りの30パーセントは何であるか。お客の不利益である。それをも自らの利益とする。クレームそのものがシステムに予定されている。責任は誰に転嫁するのか。商売根性は恐ろしい。本来日本は職人的だった。100パーセントの完成度を当然とした。加工貿易の國だった。日本はどうなろうとしているのか。製品にあまりにも粗悪品が多い。人件費の故に海外生産する。他国資本が日本市場を席捲する。利益をトロールする。彼らには利益しか目的はない。やがて資源は枯渇する。このままで日本がどうなるか。微分係数を計算しては如何か。目先の利益と欲望に溺れていないか。本来の日本を再確認しないか。国益を考えようよ。その中での私的利益の追求だよ。日本の価値とは何だったか。品質だ。それで勝負すれば良い。世界標準で勝負しようとしていないか。このままでは何時かやられるよ。コストも庶民に還元されると思うべきではないか。海外生産で潤っているのは誰だ。庶民を食い物にしている。国力は衰える。愚かな選択をしていないか。日本は持たない國である。それを思い出す。貴族化すれば滅びる。平家も秀吉もそうだった。テレビ界諸君及び自称セレブ諸氏、何か大きな勘違いをしていないか。将来は見えているのか。この世は美しい。美しいこの世を見ているか。人の心も美しい。

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2007年09月01日

眠れる知性の目覚める時

生きているということは、生かされている。この世に生まれた意味がある。使命がある。何をしているのだろうね。何時までも。腐敗と堕落こそ人生と思っている。それが世間。テレビがそうである。週刊誌など地獄への片道切符だ。それに染まってしまった。高級官僚の失態は何か。政治もどうなっているのだ。経済界は腐敗しているに決まっている。どうしてそうなったのか。戦後自由を履き違えたからである。古来大和の精神は身心清浄正直を以て旨とする。それを笑い者にし、餌食とした。民主主義の前提としての市民としての社会契約も知らなかった。教育は自信を失った。時代の流れである。教育をも損害賠償の対象とした裁判所も判断を間違えていたのかも知れない。傾向犯・いじめをのさばらせた。お笑い芸能界の本質はいじめの笑いであった。皆で何を笑い者にして成り上がったか。腐敗するに決まっていた。欺罔を本質とし、善良を食い物にする経済的暴力の嵐が吹き荒れている。利益を上げるためには手段を選ばず、コスト意識とお客様は神様ですとしたことで、お客としての思い上がりがある。安ければいいのか。安いが故にサービスの本質は貧困化した。何処に不利益を転嫁しているのか。それが智慧であるか。社会人になると、子供の頃の愚かさを忘れる。暴走族的に自らを主張する。屈するわけにはいかない。あなた方の思い通りにはさせない。看過したものがある。傍観は共犯である。消極的加担者である。何時までも甘えてはいられない。衆生功尽きた。戦争で散った或いは犠牲となった正直な魂及び祖先の功が尽きた。何を勝手しているのか。テレビの精神的貧困が世に蔓延した。衆愚の支配する世となった。知性を笑い者にし、間違えた判断を世に吹聴増長した。指導的立場にあるエリート達もそれに染まった。悪と知りながら悪を為す。自らの利益しか考えない。何んたる世の中か。これが本来の日本であるか。祖先が黙ってはいない。これが敗戦の結果であるか。アメリカの占領政策の帰結であるか。それに迎合した支配の結果である。いつから日本精神を忘れたのか。アメリカはそれを根絶やしにしようとした。それがヒロシマの意味だった。しかし広島の秘密種は黄泉の守護するところだった。時か来れば芽吹き、花と咲く。実も成る。ペリー来航以降、日本は世界に翻弄された。その文脈での第二次世界大戦だった。本来大和の作戦ではなかった。戦後、経済至上主義イエロー・モンキーと堕した。銀行の土地を媒体とする実体のない無目的無思慮な多重貸し付けを原因とするバブルも崩壊した。銀行はその責任を逃れている。自らの責任は逃れる。他人の責任は追い込みに回す。卑怯怯懦姑息千万、何様であるか。何を犠牲餌食としたか。あの世で沙汰を待つが良い。龍馬も密輸で財を成したのではなかったか。その末裔である。明治が何ほどのものか。江戸無血開城は譲ったのである。黒船が怖かったわけではない。背後にあるアヘン戦争が怖かった。裏切ったね。その後何をして来たのだ。大資本は何でも出来る。國を動かすことも出来る。結果、公害と地球温暖化であった。生命及び環境を破壊した。これでも気づけないのか。次に何が待っているというのか。これで良いのか。良い訳がない。しかし、大丈夫である。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の種、健在である。世を立て直す。その時が来た。条件は整った。時代は十分に腐敗した。立ち上がるべき時である。時代は既に選択している。悪は淘汰される。黄泉の掟である。何が悪か。既に記した。身分に安住して何を浮かれているのだ。これより何が起こるかわからない。あなた方は黄泉の守護を失った。それほどまでに思い上がった。罪を犯した。しかし、それ故に、仏は一切大衆を憐れみ救うことにと決めたと仰る。これが慈悲である。畏れを知るべき時が来た。先ずテレビ・ラジオ・及び芸能界の猛反省を要する。影響力が甚大すぎるからである。経済界財界は世界的には400年、日本としてはペリー来航以降、積んだ罪が深すぎる。権力ではない。武力でもない。金力ではありえない。何が価値であるか。見直しである。世界平和実現の時である。人類の祈りと願いは無駄ではない。その為の英知と技術は十分に蓄積されている。人類は偉大である。愚かさに負けるわけにはいかない。時代の変革期である。資源も無限ではなくなった。意味ある目的的行為の時代となった。眠れる知性の目覚める時である。日本は日本である。その精神はどこに秘蔵されていたか。最下層庶民にである。それが主権在民の意味だった。誰も知らなかった。秘められていたのである。日本国憲法がプログラム規定とされる所以である。知るべき時が来た。それが自覚し、開花する時が来た。黄泉も待っていた。故に黄泉自然が動く。しばらく地に埋もれていた知性が目覚める時である。観念されたい。容赦ない。

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2007年08月31日

幸せな家庭

今日の仕事を終えた。22:17。いつもの港にいる。色々なことがあった。色々な人と出会った。クレームもあった。屈するわけにはいかない。それなりの解決はした。それにしても勘違いしている。どういうことか。やがてわかる。美しい月夜である。静かな風景である。幸せとは何だったか。それは幸せな家庭だった。一人では孤独である。あらゆる経済も制度もその為にあった。至った結論である。それを阻害するものは悉く悪である。私たちは何をしていたんだろうね。何をして来たのだろうね。行きはよいよい、帰りは怖い。怖い晩年を迎えていないか。伴侶と倦怠の仲となっていないか。処したる人生の結果である。甘受するしかない。今からでも遅くない。生きている限り、求めるべきはこれである。私もこれから見出した幸せを作ろうと思う。相手を見つけないといけないね。勝手して来たことだった。いくつもの別れがあった。さて、一切大衆を救うと仏は仰る。その具体的姿は何か。個々の家庭の幸せである。大資本及び諸エリートはそれを破壊した。正直な庶民が餌食にされた。もはや勝手は通らない。通さない。そして大切なことは、どういう自分になりたいかを決めることだ。黄泉自然はそれを見ている。そして正しい選択をすれば、そのように実現する。権力闘争ではなかった。武力行使でもない。守銭奴となることでもない。幸せとは何だったか。黄泉自然は知っている。祖先も知っている。見られているのだ。黄泉自然生命祖先に認められた時、幸せはやって来る。自らの力ではなかった。やっとわかった。この世の秘密である。イザナギとイザナミの物語。裏切ればどうなるか。裏切られる。それに対してどう処するのか。疑えばどうなるか。どのように物語を読むのか。これまでそうした読み方を教えたものがあるか。古来の英知である。教育は西洋の残酷にかぶれて何をしてきたのだろう。西洋にも良いところがある。クラシック音楽などそれだ。それを積極的に受容できないでいた。何故だろうね。そうした周波数を持たない方々の支配だったというべきか。今朝のことだった。NHK−FMで大好きなサンサーンスのオルガン付きが流れていた。それもマルティノンだった。デュトワでは足りない。そして思い出すのは、幻想交響曲である。それもクリュイタンスの東京公演である。なんともやさしい調べである。この曲の背景はフランス革命だった。ビートルズなど商業的イリュージョンである。安らぎはない。私はそれほど好きではない。その音楽性もそれほど評価していない。ローリング・ストーンズの方が好きである。プログレッシブ・ロックではムーディ・ブルースのメロトロンが好きだった。

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妙好人の世界へ

今、仕事へ向かう途中です。FMラジオからは、安らかな音楽が流れていて、とても安楽な気持ちです。道路の脇に車を止めてこのブログを書いています。何事も自ら出づること能わず。唯、仏の威力による。と思えるようになりました。どれだけ考えても、人間である限り知れている。妙好人というのがありますが、何事も仏と相談しながら、お願いもして、実行するのがよいかと思われます。仏のことをさせて貰っていると、人間界の道徳では足りないことに気づいてきます。人間である限り、自分中心となります。そして結局、真実ではないのです。仏に任せることす。委ねることです。その時、間違いはありません。仏は実在します。人間が修行して仏となるのです。代々の修行の成果です。今世では至れないかも知れません。良いのです。百代の過客です。少なくとも、今世で進めるところまで進むことです。仏との縁を頂くことが第一でしょうか。そして仏の業を教えて貰うのです。そして実行するのです。妙好人の世界へ至れると良いですね。2005/11/26より始めた私のブログ及びホームページはとても重要な要素を含んでいます。2000年来の謎が解かれています。そして開発した力があります。もはや疑えないところです。そして至り着くべき目的地も示されています。私の使命或いは課題でした。その間、失ったものもあります。しかし、今となっては、これで善かったのだと思うのです。生まれた意味を成就したと思っています。求めていたものは見つかりました。そしてとても大安心を得ています。私は私で善かったと。新しい時代は切り開かれました。確信しています。大きな仕事をしたのだと思っています。まさか此処まで出来るとは思っていませんでした。心あるみなさまのお陰です。ありがとうございます。私は私に回帰しつつあります。これより結晶段階です。大きな城を築くことが出来ました。見える人には見えることでしょう。見えない人には見えませんね。何時の世もそうだったのでしょう。私は夢を実現しました。貴重な記録となっていることでしょう。

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2007年08月30日

脱出

さて、21世紀真実幸福論は完結した。それは何だったのか。失われた自分自身を取り戻す作業だった。失われた自分自身とは何だったのか。過去からの約束だった。道草を食ったものである。ずっと歩いてきた。月の砂漠もあった。裏切りの荒野もあった。地獄の様相も見てきた。本来の自分は何だったか。思い出す頃となった。160名の鼓笛隊を総指揮したのではなかったか。コントラバスを演奏していたのではなかったか。オペレッタでは白い鳥も演じた。新聞部部長もした。放送部部長もした。担任の先生からはロッカーの鍵も預かっていた。テニスでは優勝戦で戦った。勉学成績も極めていた。あれは何だったのか。そして何時か埋没した。世間の流れに従おうとしていた。しかし従えなかった。それが私の運命だった。そして見つけたものがある。それは何だったか。古来の英知だった。ロゴスを含む。私は何を欲していたのか。およそとてつもない夢を抱いていた。欲望としての大志だった。それは掴んだ。申し訳ないが相手にならない。誰も勝てない。何故か。諸仏宇宙自然生命黄泉の守護するところである。知性の勝利である。此処に宣言する。歩んだ経験事実が違う。誰も知らないことを知っている。さて、どうするか。過去を未来に移す。新しい時代を確定する。その為に生まれていた。持って生まれた種があった。咲くには困難な時代だった。戦後の故である。田舎侍ではない。お金の奴隷ではない。反論有るか。有るならするが良い。これより何をするか。私の自由である。すべてを仏の方に投げ入れよ。そうしないと、仏の真実は得られはしない。ビジネス坊主の与り知るところではない。仏の真実とは何であったか。知るべき時が来た。もはやあなた方の勝手は通らない。天網恢々疎にして漏らさず。浮かれた時代は終わった。何故か。或る自覚が自覚したからである。戯れ言ではない。修業の時代は終わった。真実実践の時代となった。これより新しい時代である。それぞれこれまでの草履銭が請求される。覚悟有るべし。世界は既に一つである。宇宙と開発された魂は連動している。宇宙の中心は何処にあるか。誰も知らない。鈴木大拙氏はいう。宇宙の中心は何処にでもある。即ち、自覚した魂がそれである。思い知る時が来たのである。何を勝手し来たる哉。あなた方の思い通りにはならない。この世には起こるべき事が起こる。起こるのには縁を必要とする。何を縁とするか。大切な問題である。どれだけ勉学しての故か。どれだけ経験を積んでの故か。質と量の問題がある。愚かさと嘘並びに暴力には辟易している。時代はシフトした。目的的行為論の時代となった。目的が問われている。意味のある目的であるか。その手段は正しいか。意味のない研究をしていないか。意味のない行為をしていないか。行為無価値及び結果無価値。両方を含むメタ責任概念としての目的無価値論である。これで傾向犯を厳罰に処することが出来る。行為無価値論が否定されて結果無価値論が出た。行為無価値論だけでは足りなかったからである。行為無価値論それ自体は正しい。行為無価値論だけでは足りない。結果無価値論だけでも足りない。目的無価値論で責任論は尽くせる。知性の時代にふさわしい責任論である。衆愚の世を知性の世に移す。ここに時代を定める。

この世に秘密がある。古来大和の秘密である。能力とは何か。脳力である。開発するべきは何か。脳の周波数である。動植物及び岩石も喜ぶ。何を低級な議論をしているのか。何を以て面白がっているのか。そして何を愚弄無視したか。或いは破壊したか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本、何時までも黙ってはいない。持って生まれた周波数がある。磨くべきはそれである。勝手な閥がそれを阻害する。ゆるされはしない。時代を代える。時代が代わる。そうした能力もある。古来希である。その為に試練がある。その為に自分との戦いがある。それに勝利しての故である。その間、人生も青春も失うこともある。失って良い。取り戻せば良い。生かされている。艱難試練を越えて天徳は授かる。その時が来た。あなた方は失敗したのである。鄭重に身を引かれたい。未来は一切大衆を救う正直者のためにある。唯自己利益追求虚妄怯懦守銭奴のためにあるのではない。未知の國が開かれた。帰還である。これより容赦しない。さて、量販店で待機している。本日も仕事はゼロのようだ。餓鬼の遊びにもならない。暇つぶしに、このような馬鹿げたことを書いている。裏切り者には裏切り者の運命が待っている。愚か者には愚か者の運命が待っている。気づかれるまでは結果が出ない。気づかれた時が年貢の納め時である。自らの利益のために他を犠牲とする。それが世間でり大資本である。しかしこれからは黄泉が動く。祖先がゆるさない。世間は地獄である。不幸を持ち寄り、浮沈している。コスト削減及びお客様は神様である。誰が泣くのか。現場の下請け業者である。頭を下げてどれだけのものか。笑わせるでない。早く脱出するべきだ。そう思うようになった。この中に埋没する理由はない。埋没すれば容赦なく寄ってたかって食い尽くされる。救助船は来なかったよ。三十五年も待ったけれど。私は死んだと思われていたのだろう。自分で飛び立つしかない。脱出する。さらばである。未練などない。自らの力で立ち上がるしかない。時を要した。その理由があった。過去を清算しなければならなかった。それは済んだ。人の世の阿鼻叫喚地獄は見させて貰った。あなた方に救いはない。自ら出づること能わずと御経にもある。それでも仏は一切大衆を救うことに決めたと仰る。あなた方はその仏をも愚弄する。テレビ・ラジオの怠慢がある。腐敗がある。落語の何処が面白いのか。世間は愚かさの地獄である。生き返ってどうするか。ワルキューレの騎行の選択もある。それはしない。既に武力は原爆によって克服されている。ヒロシマを犠牲に供している。過去を恨んでも何も解決しない。しかしここまで耐えたことである。諦めないことだ。必ず救いはある。どのような形でそれは来るか。誰も知らない。自分自身を見出すことによって救われることもある。もはや愚かな暴力及び勝手はゆるさない。今までは知らなかった。しかし知ってしまった。何を知ったというのか。黄泉の掟である。しかし幼稚な彼らに罪はない。陰で何をしようと死体は浮く。すべて暴かれる。そしてその罪は裁かれる。知ったからにはどうするか。相手にしないことだ。彼らには彼らの運命が待っている。仕事はいい加減なことをしている。契約を取るためにはしてはならないこともしている。お客のために下請け業者を泣かせる。自分の顔の為に。コンプライアンスが何であるかも知らない。それで平気なのだからお里が知れている。神仏への畏れを知らない。そうした彼らに負けていた。申し訳ない次第である。こうした世間を知る必要があったのか。彼らはそれが当然だと思っている。それを知るためにこの身を犠牲に供したか。身分に安住する象牙の塔の住人にはわからない。しかしそうしたことも此処までである。どのレベルでどのレベルを愚弄するか。思い知らせるべき時なのであろうか。それを思案している。社会に出ると己の愚かさを忘れてしまった。そして思い上がった。何も知らずに何時までもこれまで通りとは思わぬが良い。失われた自己を回復している。能力もである。暫く埋もれていた。もうこの世では救出はないかと思われた。しかし知性を知らない自分勝手な方々の横暴が限界に至った。故に時は満ちた。卑怯怯懦下級商売根性は腐っている。陰に隠れて何をしているのだ。何を思っていたか。正直及び素直を食い物にした。しかし悪事は千里を走る。何時かはバレル。その時が年貢の納め時である。覚悟するべし。仇は見つかった。仇は取る。ゆるしはしない。何故か。古来大和の約束である。暫く知性を愚弄した。それで勝ったと思っていた。そうはいかない。この世の法則は何か。タリオである。同じ目に遭わされる。皆、同じではない。価値の差がある。それが上乗せされる。思い知るしかない。そして己の限界を知るだろう。あなた方は思い上がっていた。黄泉及びその力を知らなかった。或いは侮った。時が満ちるまでその力が開示されることはない。そして時は満ちた。観念されたい。あなた方は奪ってはならないものを奪った。愚弄してはならないものを愚弄した。裏切ってはならない価値を裏切った。それを自由と思った。アメリカの占領政策は事実上成功した。しかしその瞬間、その化けの皮が剥がれた。能力差とは何であったか。持って生まれたポテンシャルエネルギーの差だ。それを知らなかった。そして勝手した。その結果は如何。哀れむべし。何を思い違いしていたのだったか。知るべき時が来たのである。既に犯した罪がある。償うしかない。自らの学業成績を思い出すが良い。それがあなた方の現実の姿である。何も大きな事はいえない筈である。何をいっても的はずれであろう。意味がないであろう。何を目的として何をいっているのか。意味のないことをお金の暴力と欺罔で通していないか。罪である。それでもまだ刃向かうか。それも面白いことである。賽は投げられた。黄泉が動く。あなた方はこうしたメカニズムを知らなかった。黄泉が動いて実現することが真実真理である。自分の力で事が成就するのではない。成功不成功は努力の外である。とか、思っている。誰もが思っているのかも知れない。だが、いわないでいるのだろう。いうと波風が立つこともある。穏やかが良いに決まっている。このようなこともどうでも良いことなのだろう。殊更、問題にするべき事ではない当然のことであったかも知れぬ。所詮、強いものが勝つ。事実として負け犬であるなら、誰も相手にしない。力も示さなければ意味がない。示すのを怖れている自分があった。自信もなかった。何故自信がなかったのか。感じている力に確信が持てなかった。今はどうか。絶対の自信がある。それは何だったのか。黄泉の守護である。どのようにしてそれは手にすることが出来るのか。正直の故である。どういうことか。家伝直伝秘伝である。もう良いだろう。ここまでしなければならなかったか。馬鹿げていた。時間を空費してしまった。これからを楽しむことにする。NHKラジオ深夜便の歌に『おりがみ人生』というのがある。流れに乗ることだ。小鳥のように。それが人生だった。何と大きな荷物を背負っていたことか。背負う必要はなかった。飛べるべくもなかった。身軽になっていく。何も気にする必要はない。裸の自分で十分である。道元空手とはそういうことだった。持って生まれた自分で十分である。それを磨く。そして未来へ託す。面倒なことは考える必要はなかった。それを考えていた。現実はどんどん逼迫した。それも当然だった。事実として労働していないんだからね。さて、これからをどうするか。何をしようと自由である。やっと自由となれたのだろうか。ギャーティ、ギャーティ。般若心経の呪である。行けり行けり、我は行けり。ここが浄土だった。善かったね。身も心もボロボロである。此処まで来なければわからなかった。此処まで来てわかった。何ともどんくさい話である。世界へ合流である。どのような世界へであるか。『遠い世界へ』ではない。地上ヘブン=世界へである。世界が見えてきた。どんな世界であるか。明るくて楽しい世界である。気楽に生きてゆける世界である。そのパスポートは何か。その住人に認められることである。インターネットの世界は既に確立されている。パソコン通信或いはそれ以前からの住人がいる。後から来た人にはわからない秘密世界である。それをも無視しようとする。そこにお客様の思い上がりがある。彼らがどれだけの時間と智慧を注入したことか。その利益を独占したのがビル・ゲイツだった。その恩恵で此処までパソコンが一般庶民に普及した。しかし事実としての犠牲がある。故にサイバー攻撃も絶えない。こうしたことに気づいている人は少ない。しかし現実である。その住人に認められた人が日本にどれだけいるだろう。真実の勝者とは彼らのことである。既にインターネットは世界の重要な手段である。さらに、黄泉に認められた人がどれだけいるだろう。未来は彼らの意思で決まる。黄泉がそれに従う。黄泉も待っていた。故に未来は明るい。あなた方の思い通りとならない理由である。脱出である。この世は地獄である。皆地獄に浮沈している。見るも哀れである。自覚した人は何時までも地獄に埋没することはない。その理由はない。意味もない。皆、自由になれる。そうした時代が開かれた。確実に人類は進化している。時はこうして流れる。知性の勝利である。

地上ヘブン=世界論

ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。 宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。 ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。 しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。 既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。 努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。 要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、 ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。 今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。 これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。 時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。 無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。 何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。 安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、 攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、 経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。 社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。 若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。 美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。 みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、 いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。 この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。 何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。 だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip! 親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。 自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。 思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。 これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。 そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。 間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。 門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は? 意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World. どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you? お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。 花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山! 理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。 自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。 知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分! 積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。 周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tijyoheaven_sekairon.html

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2007年08月29日

真説21世紀幸福論完結

コロンブスの卵ということがある。卵が先か、鶏が先か。どちらだろうね。どちらでも良い。詮索したければすれば良い。それで空腹が満たされると良いね。テレビの暇つぶし番組には格好の材料だろうね。無意味だ。仏陀はいった。此処に矢が刺さっている人がいる。この矢は何処から飛んできたのか。毒の成分は何か。誰が射た矢か。そのようなことを詮索している間にその人は死んでしまう。先ずするべき事は、その矢を抜くことである。さて、矢が心に刺さっていた。誰も抜いてはくれなかった。何故か。矢が刺さっていることを知らなかったからである。しかし刺さっていた。その痛みに耐え抜いた。誰彼耐えることが出来る痛みではなかった。世間を恨んだこともある。世間が浮かれている間に、私は何をしていたか。凡そ人生と青春は失っていた。そして気づいた。試練だったと。それは耐え抜いた。その間、様々な経験があった。偶然かと思われた。幻かと思われた。そうではなかった。サインだったのである。どのような経験をしていたか。記すべきか。記さない方が良い。無記である。何故か。済んだことである。波風立てぬ方が良い。ずいぶんと見まもってくださった方々もいるのかも知れない。あるオールナイトニッポンの番組中だった。私が何か書いた。すると急にトーンが変わるのだった。監視されているのかと思った。そうでもないのだろう。黄泉からのサインだったのだろう。誰も知らないのだろう。知っていれば、何時までも埋没することもなかった。しかし、それ故に思索は進んだ。何を考えていたか。全てを書いたわけではない。書けないこともある。私の思う主権在民の意味もそうである。日本国憲法プログラム規定が成就したということも、その真意は知らないだろう。知らなくて良い。それらも乗り越えた。祖父もそうだったか。父もそうだったか。あまりにも不思議な話である。語っても信じはしないだろう。今更である。むしろ迷惑だろう。私は過去をトレースする必要があった。そうしないと、私の人生は始まらなかった。何故か。よほどの因縁である。私は何のために生まれていたのだったか。もはやどうでも良い。私は知ってしまった。何を知ったというのか。古来大和の秘密だった。辛かった。誰にもいえないもどかしさがあった。フロイト心理学などで解釈できるようなレベルではない。しかし、既に証明の日日である。私は救われたようだ。本来の自分を取り戻す過程に入った。本来の自分はどのような自分だったか。子供の頃の祝福されていた自分だった。何時の頃からか彷徨った。月の砂漠であった。自信などなかった。私は私ではなかった。その間、悉く利用された。悉くである。不当利得返還請求したいところである。それもしない。しかしこれより邪魔はしないで欲しい。この世の秘密がある。誰も知りはしない。知らないことを以て勝手した。しかし掟があった。しばらくはそれも通った。行きはよいよい、帰りは怖い。皆、怖かろう。そうした人生を歩んでいる。救いはないのか。有る。それを見つけている。導かれていた。或いは生かされていた。この世に生まれた意味がある。この世で終わりではない。あの世はある。何を思い上がったか。思い知るべき時を迎えた。銀行などその最たるものである。首を洗って待つが良い。古来大和はゆるしてはいない。時を待っていた。その時を迎えた。あなた方の勝手は通らない。何度でもいう。何故か。或る自覚が成就したからである。それは何か。既に書いた。精査有るべし。これを解くには困難を要した。しかし誰かが解かねばならなかった。フェルマーの最終定理も解かれた。この世の謎は解かれ終わっている。それが20世紀だった。或いは昭和だった。そして新しい2000年が始まっている。それを知らない。知らずに浮かれている。その運命や如何。気づくべき頃である。何に気づくのか。既に書いた。私の仕事だった。しかしご飯は貧しい。やっと大空を飛べるのだろうか。どうしてこのようなことになったのか。悔いてはいない。むしろ感謝している。故に絶対の自信である。命を賭してのことだった。私は勝利している。私はこうして書いている。別に此処に書く必要はない。その他の通信手段も知っている。お化けのポストも知っている。むしろその方が良いのかも知れない。だけど書いた。勇気を要した。何故か。二千年来の一里塚である。未来の方向を定める必要があったのか。意図したわけではない。祖師西来意である。人類を救うためだったかも知れない。それだけのことは書いた。信じる信じないは自由である。私が何をしていたか。何を見つけたか。黄泉自然は知っている。これで役目は終えた。そう思っている。後はあなた方の仕事である。既に仏もお出ましである。既に十分である。生きるとはどういうことだったか。生まれた意味は何だったか。問われる時代となった。未来は開かれた。開かれた未来は明るい。但し、条件がある。自覚を要する。どのような自覚であるか。愚かさからの脱却である。故に人類は偉大である。人と共に生きていく。幸せはそこにある。根絶やしの思想では救いはない。既に世界は一つである。一つの世界を建設する。誰もが平等に幸せを感じることが出来る世界である。生命は生きることを意思する。誰の生命を奪って良いということはない。解決方法は必ずある。それを探す。見つける。過去の因縁も解決できる。そういう時代に入った。困ったことの原因はすべて自分自身にあった。これを解決して未来は明るい。明るい未来建設の時である。倒すべき敵は自分自身である。そして神を見る。或いは仏と出会う。しばらく忘れていた。何故か。お金に目がくらんだね。世の中、殺人鬼が跋扈している。どうしてだろうね。教育の失敗だ。これを立て直す。教育段階での矯正機能を取り戻す。その為に何をするべきか。何を議論するべきか。傍観者も共犯である。消極的加担者である。戦う民主主義。自由と平等は自ら戦って勝ち取るべきものである。そして市民社会である。社会契約がある。政治も教育もそれを意識していたか。していなかった。そして悪が野放しとなった。時代は流れた。悪が悪を積み、世の中、住みにくくなった。テレビ・ラジオ界の怠慢がある。自覚する時である。何を自覚するのか。そのヒントは記した。始めようではないか。和を以て尊しとなせ。古来日本、英知が秘められている。何時までも愚かではいられない。子供達の遺伝子も破壊されつつある。バイオなどそれである。生命の営みを人間の傲慢な研究で破壊はあっても未来はない。一部の病気のためだったら良い。そうではない。一人歩きする。それが人間のエゴである。脳死概念がある。医学界のそれと法学界のそれは基準が違う。後者は悪用される可能性を怖れる。故に制限する。人間とはどういう生き物か。見直す必要がある。自ずから限界がある。医学界の思い上がりがある。自分が変わることで世界が変わる。それを実感しないか。真実は何だったか。神仏が実在することだった。知らないことを以て否定する。自分にとって都合が悪いから勝手な解釈をする。そして間違う。間違っていることに気づけない。故に愚かである。哀れである。幸せになろう。なって良い。その為にはどうするか。己の照れをなくすことである。そして自由となる。本来自由である。それを実現実行する段階に入った。かつては王侯貴族に開かれていた自由が庶民に開かれた。しかし条件がある。それは何か。諸刃の剣である。何事もプラス面とマイナス面がある。民主主義は衆愚化する。マイナスをプラスに転ずる。未来は明るい。失われた何か大切なものがある。それは何か。テレビ界の横暴がある。あなた方の自由が自由ではない。これは言いおく。諦めないことである。何時かは天まで届く。意味のない浮かれた時代は終わらねばならない。何を餌食にしているのか。諸精霊も何時までも黙ってはいない。仕返しが来る前にあやまっておくべきことがある。代々の罪がある。死人に口なしと子孫に伝えられていない。知らないことを以て逃れることは出来ない。それが因縁である。人間が修行して神仏となる。それが種となって未来へ移される。そうしたメカニズムを知らない。そして勝手した。時代は悪くなる。当然である。メカニズムを知れば対処もある。何時までも傍観していられない。自分だけは大丈夫と思っていないか。身分に安住して何とする。明るい未来のために何をするべきか。幸不幸は自分自身の問題である。自己一身の問題である。天は自ら助くる者を助く。叩けよ、さらば開かれん。 自分が変わることで世界が変わる。照顧却下。一隅を照らす。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。一切大衆を救う。大衆の中には自分も含まれている。救われたいと思うか。ならば、救うことである。その時神仏の守護がある。必ず、自分も救われている。古来大和の約束である。情けは人のためならず。自己の為にする利益追求だけでは必ず衰退する。黄泉の掟である。本末転倒。貧しい食事を笑うこと勿れ。身は貧にして道は貧ならず。精神的貧者となってセレブと奢ること勿れ。笑わせるでない。お里は知れている。生まれは何処か。あなた方の考えに染まることは出来なかった。身心清浄を以て旨とする。大和魂である。或いは武士道である。生来商売は下手である。悉く奪われた。利用された。支払いはなかった。これも因縁、過去の業障である。甘受するしかない。故に貧しい食卓である。伴侶もいない。畏れを知るべし。しばらく忘れていた。時が来た。もはや勝手は通らない。最低賃金が問題となっている。さて、お店に1日拘束されて受注がない。収入はゼロである。ガソリン代及び食事代は自前である。そこに配慮がない。コスト志向の権化である。自分で自分たちの首を絞め合う。おかしな経済社会である。欺罔が多い商行為である。お客は勘違いして思い上がっている。所詮海軍工廠の鉄くずを奪って始まった経済である。或いは戦後の焼け跡で主のいない土地を囲い込んで始まった資本である。バブルの時に銀行は何をしたか。譲渡担保及び仮登記担保は何だったか。違法であろう。勝手な解釈であろう。時効とでも思っているのか。時効は裁判上の援用あってのことである。土地を奪った事実がある。彼らが現代経済的支配者である。お金の暴力で支配する経済である。何時までもそれで良いのか。政治は何をしているのか。自らの権力闘争のために何を犠牲にしているのか。一部の勝手の為に国民の利益を犠牲にしていないか。政治の目的は何か。個々の国民の暮らしの実現であろう。愛と平和がその手段である。主権在民、国民主権。時代はシフトした。嘘及び欺罔並びに暴力を嫌う正統日本が目覚めている。力も得てのことである。黄泉及び自然の味方も取りつけている。万軍の主も馳せ参じている。ご用心。世界は既に一つである。未来は明るい。明るい未来建設着手の時である。人類の英知と技術をこき集めて。しばらく知的怠惰であったね。あなた方の浮かれている間に時は流れた。そして古来大和の秘密花が咲いた。戦後は咲くにはあまりにも酷な時代だった。その開花である。あらゆる艱難辛苦に耐え抜いた。見事な花である。見えるだろうか。見えないね。困難な時代だった。時を要した。人生と青春を賭していた。この世では至りつけないかと思われた。凡そ復活できないと思われた試練もあった。そして至り着いている。世界は開けた。絶景である。美しい風景が待っていた。私は至り着いていた。日月照らし風が吹く。そして、至り着き、帰り来たれば別事無し。私は私でよかった。その自覚である。それで十分だった。人生、亦、楽しからず哉。大和の秘密がある。ジャパン・アズ・ナンバーワンとしてのそれである。即ち、相手が有れば必ず受容克服凌駕する。さて、私の云うべき事は云ったようです。これ以上は、同じ事の繰り返しでしょうね。この記録は此処に留めおきます。2005年11月26日より始まった真説21世紀幸福論完結です。これで終わりとします。今思えば、私の執筆のリズムに合わせて、クラシックの名盤の録音があったかのような錯覚もありました。また、若きミュージシャンとのコラボレーションもあったかと思われました。狂っていますね。このブログは『狂雲集』でしょうか。一休禅師の禅は良寛和尚にはわからないとしたこともありました。幻だったのでしょう。『共同幻想論』かと思われました。しかし、それらからも解脱の頃でしょうか。涅槃とは善の始まりと聞いています。善は仏さんのところにしかないと聞いています。合掌。日常回帰です。これからが私の実人生ですね。怖れるものは何もない。唯、自分自身を畏れる。感謝です。そして勝利宣言です。黄泉を制覇し、言葉はロゴスとなり、自然は守護する。そして生命が喜びの歌を歌っている。即ち、日月美しく照らし、麗しき清風爽やかに吹く。

 

何か失われた大切なもの(2007年05月13日)

良い時代の波が来ている。パラダイムの変換は既に終わったのかも知れない。勝ち組とか負け組とか。 それもひとつの時代の変革の表れなのだろう。市民革命があった。産業革命があった。『第三の波』 が説かれたのは昭和56年の春の頃だった。ジャパンアズナンバーワンと期待されていた頃だった。その頃、 スペースシャトルが初めて宇宙から帰還した。 あたかもグライダーの滑空だった。私の祖父はグライダーを研究していたようだ。 子供の頃、グライダーに関する多くの書籍が家にあった。ところで、人生とは何だったのか。苦しむために生まれたのか。 悲しむために生まれたのか。そうであるなら、生まれない方が良かった。この世の人生は過去の夢の実現過程だった。 この世でこのようなことがしたいのです。 だから生まれさせてくださいと十方の仏にお願いして生まれていた。 一切大衆を救うために生まれた方もいるだろう。科学を究めるために生まれた方もいるだろう。いずれにしても、 過去の課題を仕上げるためであった。そうでなければ、モーツァルトの天才を説明できない。人は幸せになるために生まれてきた。 過去の自分を修正するために生まれてきた。 そして未来に種を託する。往々にして悪いところも持って生まれてくる。 それを何処まで修正できるか。それが懺悔である。そして、往々にして、 悪い自分に負ける。これを克服するものは少ない。 克服すれば、成功者である。己の力ではない。黄泉の力である。その意味で、素直になれるかどうか。 生命の法則がある。種を蒔いて、 花と咲き、実となるまでには時を要する。どのような種を蒔くのか。 どのように生育のお世話をするのか。自分自身が種である。 自分自身を育てるのである。そもそも種としての自分は何者であったか。それが法華経の説く、一切種智慧である。 自分が自分に成る。 これが人生の目的だった。持って生まれた自分を本来の自分に育てる。芥を払う。自分に成る。それが人生だった。 早くして成功する者もある。自分となるのに、時間がかかる場合もある。どちらでも構わない。自分となれば良い。 今世で間に合わないこともある。今世で後退する者もある。永い魂の遍歴である。その遍歴の一こまである。 それが百代の過客ということだろう。そして、何時の時代もそうだったのである。キリストも釈迦もソクラテスも孔子もそうだった。 神仏もそうだったのである。 人間が至る最終段階だった。人類も此処まで進化した。誰もがその可能性を秘めて生まれていた。 それが一切衆生悉有仏性だった。 あるシェフがいたとする。三十年かけて自慢のソースを開発した。秘伝の味である。しかし、 それをレシピにしてしまえばどうなるか。 その通りにすれば、誰だってその味を出すことが出来る。今まではそれが商売の種だった。 秘伝として伝えた。老舗などそうであった。 今、それが通用しなくなっている。誰もが智慧を共有する時代となった。 Web2.0もその考え方に基づく。確かに、 時代はシフトしたようだ。かつて私は成績が良かった。しかし、故に埋没した。 自分に出来ることは人にも出来ると思っていた。別に自分にそれほどの力があるとは思っていなかった。しかし、成績は殆ど十だった。 一科目だけ十ではなかった。それが国語だった。 故に埋没したのであろう。しかし、それも克服したようだ。すでにその証明もした。 さらに、不思議な力を見出した。 世の成功論者の知らない力である。彼らは反射的に成功論を論じているに過ぎない。 その事実も証明したのかも知れない。 絶対の自信についても書いた。そして、今、時代は、 これまで私の書いたことを追いかけているともいえる。不遜だろうか。 精査するが良い。むしろ、私は合流したのだ。 しばらく埋没していた。私の棲む世界はなかった。それで、 黄泉が作ってくれたのかも知れない。そして、 此処に至って、 人生とは何だったのか確かめている。仏法を学んでいる時だった。 仏法は簡単である。しかし難しいと説かれていた。 人生もそうだった。人生は簡単である。しかし難しい。これはそのまま、至道無難唯嫌揀択と禅で説かれていた。既に、 人類の英知がある。音楽に於いて、バッハがその殆どを実験していたように、過去の英知は知っていた。知らないのは、今、 生きている者の多くである。 されど、今生きている方々は、この事実に対して謙虚さが無い。自分が正しいと思っている。哀れである。 腐敗堕落を人生と思い、 自己正当化している。仏法に於いて、この因縁功徳力ということが説かれる。 持って生まれた因縁を解決するには功徳しかないと。功徳とは何か。 人を仏道に導くことである。 そして五十転伝ということもいわれる。しかし世は末法である。人間の業が深すぎて、 とても仏説など信じない。 自分の方が偉いと思っている方々ばかりである。故に、仏法もゆるやかである。千日の修行などしなくて良い。属累することで成就する。 属累とは、孫の代までお世話をすることである。これがそのまま、今のビジネス成功形態となっている。 ネットワークビジネスもそうである。また、成功した方々がセミナー形式で後継者を育てるのもそうである。 此処で秘訣は三代まで育てることである。そして、仏は云う。 功徳力とは自分の思ったものを手にすることが出来る。 徳というのは何にでも姿を変える。お金が欲しければお金になる。地位が欲しければ地位を得られる。名誉が欲しければそれも手に入る。 幸せが欲しければ幸せになれる。これが、 人類究極の幸福論だった。そして、世の成功者は、それを実践している。しかし、 現象として把握しているだけではないか。理論的にこのメカニズムを解明したのは誰だったか。現代に於いては、 梅本禮輝譽先生その人だった。そのお陰である。私も救われた。そして自覚に至ることが出来た。自分とは何者であったか。 失われた何か大切なものとはそれだった。しかし、世間一般、知らないことを以てこの真実を愚弄する。或いは無視する。 或いは破壊した。その罪はあまりにも大きすぎた。 私はとても成績が良かった。それでも埋没した。今となっては当然だった。 私には私の仕事があった。 その使命を果たすためには時を待たねばならなかった。 そして私は私の仕事を成就した。今、 そう思っている。 時は無駄に流れたのではない。全ては知らしめんが為だった。 何を知らしめんとしたか。既に書き綴った。 目の当たりにしている方々もいるだろう。世間一般巷周囲は知らない。知らなくて良い。古来大和の秘密である。 それを発掘発見開発成就した。誰も奪えはしない。六祖の鉄鉢に等しい。しかし、世間一般、何を思い違い、勘違い、思い上がったか。 古来大和の秘密がある。掟がある。奪ってはならないものを奪った。裏切ってはならないものを裏切った。 笑いものにしてはならないものを笑いものにした。現代お笑い芸能界を私は決してゆるさない。何か失われた大切なものがある。 それが私の高校以来のテーマだった。継続は力である。こうした途方もない夢も実現するのだった。私は人生に勝った気がしている。 失ったものは大きかった。しかし、全てを仏の方に投げ入れることを仏は説いている。命までも。そうしなければ得られないものがある。 それが真実であった。経済界財界金融業界、裏で何をしているのだ。勝手が過ぎた。自分たちの利益のために何を犠牲にしたのか。 何を破壊したのか。その責任は取って貰う。主権在民。国民主権。主権まで譲った覚えはない。日本国憲法プログラム規定は成就した。 力を開発し終わって、その主権発動の時である。さて、シェフのレシピの話であるが、私の発掘発見開発したことは同じ事がいえる。 それは何か。ペリー来航以降以来、明治の意味、第二次世界大戦の意味、ヒロシマの意味を見直した。 それは古来大和の精神を裏切ったとした。 しかし、それ故に、失われていた日本本来の価値を見出すことになった。 何故私が埋没しなければならなかったのか。その意味も明らかとなった。 私たちの住む空間がなかったのだった。 それは戦後教育の故とした。そして、日本が真に世界に合流したことを確認した。 日本本来の価値はむしろ日本国内に於いてよりも世界に於いて認められていたことも示した。そして、日本が混迷したのは、 私たちが混迷していたからだといえる。相対的に自信を失っていたのだった。それが黒船の意味だった。黒船自体が怖いのではなかった。 その背後にあったアヘン戦争が怖かった。そして、日本は近代化を急いだ。それが明治だった。そして日本は植民地の再分割を望んだ。 それが第二次世界大戦だった。その間、色々なことがあった。全て知らしめんが為だった。何を知らしめんとしたのだったか。 人類の歴史だった。或いは魂としての遍歴だった。生命の進むべき方向だった。既に第三の波が来ている。 知的レベルが飛躍的にシフトする大きな変革の時である。それは、化石燃料から新たなエネルギーの時代に入ることを意味する。 或る意味で400年来の重商主義資本主義の終焉である。恐竜の時代が終わってほ乳類の時代へのパラダイムの転換に等しい。 そうしたことをトレースした。その真実であることは、 既に証明されている。イーブンスだったろうか。 そのライブと交信したこともある。FM放送とインターネットでの交信だった。あれは何だったのか。 幻だったのか。亦、 世阿弥から引用したブログを書いたことがあった。その時、明らかに、ラジオの放送内容に於いて反応があった。亦、 冒険論とか書いたこともあった。それもラジオとのコラボレートだった。台風を制御したこともある。 このような馬鹿げたことがあるだろうか。しかし、経験として事実である。ホームページを書きながら、同時に、 名盤レコードの編集に携わったかと思われたこともあった。孤独に夜の街を彷徨っていたとき、何故か『月の砂漠』に泣けたこともある。 ウィンザーの陽気な女房達がラジオで特集されたときも、何かのメッセージかと思われた。その他、不思議な体験は枚挙に暇無い。 これまでは、偶然と思っていた。そうでもなかった。全ては知らしめんとしたのである。何がしたのか。 今となっては黄泉としか言いようがない。早く目覚めよと。此処に来て疑いはない。私の人生そのものが歴史だった。 私たちというべきだろうか。ベクトルの向きが生まれたときから違っていた。 それがインスパイアとエクスパイアの違いである。 私は現代の不幸を背負った。そして克服した。皆が浮かれている間に。である故に、 云う。シェフのソースである。 私の開発したところから始めるが良い。ここを原点とするが良い。間違いはない。 黄泉自然の認めるところである。 問答があるのなら何時でも応じる。すでに、世界とつながっている。或いは、宇宙とつながっている。 それだけの成就を成したと云う。 と、羅刹が云っていた。
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2007年08月28日

衆愚の世からの脱却

昨日、相席を求めた方が殴り殺されたとか。その場は混んでいて、男は4人がけのテーブルを一人で使用していた。どうしてこのようなことになったのだろう。思うに、子供教育が出来ていなかった。出来ていないままに大人になった。そしてその大人が亦子供の教育が出来ていない。故にこのような世の中になった。第三世代となって現象化する。けだし戦後の経済状態の故だった。皆出稼ぎした。共働きした。それが当然の世の中となった。裁判所の判例も間違ったのかも知れなかった。司法消極主義とか積極主義とかではない。司法はそれ自体教育的であるはずだった。しかし西洋理論の故に、理不尽な結果をもたらした。例えば、かつては教師に親の子に対する懲罰権の包括的委譲があった。それ故、体罰もあった。今はどうか。親は教師に言う。殴ってもかまいません。殴るとどうなるか。裁判所はどう判断するか。損害賠償におびえて教育が出来るか。現場を知らなすぎる。そして教育は崩壊した。親の意識も崩壊した。家庭生活の楽しみも幸せも放棄して自分の勝手な利益及び快楽追求並びに欲望実現の世の中となった。政治もそうしたことに配慮はなかった。彼らもそうした追求者だった。故にこのような事件が起きる。教育段階での矯正機能が働いていない。皆傍観した。勝手な議論をした。そしてこのザマである。大きな課題である。これをどうするのか。未来へのビジョンはあるか。テレビ及びお笑い芸能界がその傾向を吹聴増長した。それが自由と思った。顔を洗って来世に出直すが良い。衆愚の世である。お客様は神様ですとした責任も重い。お客が勘違いしている。戦後自由を履き違えたのである。この世で一人密かに守り抜いたものがある。それは何か。それは誰か。黄泉が微笑む古来大和の秘密がある。代々持って生まれた種がある。稀有なる開花である。畏れを知るべき時が来た。獅子が目覚めている。これより群れを成す。嘘つき怯懦悪魔小悪魔は正体を見破られて逃げまどう。勝負するのか。正直素直を前に。謎は解かれた。縛も解かれた。準備完了である。過去と未来はつながった。日本は日本である。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神、何時までも愚弄無視させはしない。家伝直伝秘伝螺鈿の槍は錆びてはいない。あなたがたは真実を知らない。知らないことを以て否定する。自分に都合が悪いからである。しかし知っても識らなくても真実は真実である。真実が動き始める。そうした時を迎えている。耳随うべき時である。衆愚の世からの出発である。或いは脱却である。愚かさは淘汰される。本来日本を取り戻す。化城を出る。真実の城が見えている。そして何もかも失った。思うようにならなくなった。それは何故だったか。衆生功が尽きた。ここまで来なければわからなかった。すべての原因は自分自身にあった。どういう意味か。それぞれ持って生まれた器が違う。平等ではあり得ない。それぞれの能力に応じて与えられるべきものがある。神のものは神の手に、シーザーのものはシーザーの手に。それが平等である。しかし、人間はそれを奪った。奪ってどうなったか。見ての通りである。餌の取り方もそれぞれである。本来の己の餌の取り方がある。それを教える必要があった。しかしそれを怠った。或いは阻害した。この世は資本主義である。資本主義は取引行為である。取引行為には多少の欺罔行為を含む。ところがその欺罔行為が一人歩きする。そして閥を成す。彼らがこの世を恣にした。しかし結果は何だったか。腐敗だった。嘘と欺罔及び経済的暴力の世である。このままでは滅びる。しかし滅びはしない。古来大和の秘密である。腐敗が極まって頼朝である。或いは家康である。あなた方は気づいていない。西洋理念だけを価値とするあなた方の理念は古来大和の意思に反している。そろそろ気づくべき頃となった。さて、困ったことの原因は何であったか。自分自身だった。自分が自分に素直になれなかった。故に他人を受け容れることが出来ない。この世は人と共に幸せに生きていく。その為には自分はどうあるべきか。人間である限り間違う。教えて貰う必要がある。誰に教えて貰うのか。仏である。ビジネス坊主の仏法ではない。一切大衆を救うことに決めた仏の仏法である。それは有る。探すべきはそれである。人間として幸せを願っても結果不幸となる。仏の縁より始める。必ず幸せになれる。仲良く生きてゆける。これが真実だった。他人を蹴落として自己利益のみを図る衆愚の世からの脱却である。その時が来た。道元貧学道は何時までも貧ではない。道元もやがて大伽藍を得た。その為には通らねばならない試練がある。真実幸福論である。愚かさとは何処にあるか。何かの制度にしがみついて、その制度の運営だけを考え、その目的は何も達せられない。本来あらゆる制度に目的がある。しかし、身分にしがみつき、形式的なプランを企画してはそれを実現することなく、亦別のプランを提出する。何と愚かであることか。どれだけ無駄なことをしているのか。時間的にも能力的にも浪費である。テレビもラジオも娯楽ばかりが目的であるか。猛反省を要しないか。今どういう時か。愚かさからの脱却の時である。時間はそれほど残されていない。愚者との戦いを急がねばならない。心ある知者の立ち上がるべき時である。ツァラストラ達が山から降りて来なければならない時節である。気づいた者たちが立ち上がる。あらゆる制度が機能しなくなっている。規制緩和の目的は彼らに自由を与えるところにあった。企業レベルではどうにもならない。彼らには利益追求しか目的がない。利益のためには手段を選ばない。悪と知って悪も為す。利益しか目的がない。あらゆる芸能プロダクションもそれに従った。故にこうした目的遂行能力はない。真の自由人が立ち上がらねばならない。しかしそれに気づけない。身分に安住するとするところである。さて、自信を失っていた。何故だったか。開発確認するべき持って生まれた能力が大きすぎた。誰も見出せなかった。自分で開発確認するしかなかった。それは何だったか。このような馬鹿げた話があったろうか。それは真実真理だった。即ち、日月照らし風が吹く。例えば、清盛の日招きであった。それが現実に実在する。それが脳力あるいは思考力だったとは。誰も知らなかった。しかしその試練は深った。この世では間に合わないかと思われた。時は流れた。誰もが夢見た21世紀の約束だった。21世紀は心の時代であるといわれて久しい。それはどういう意味だったか。浮かれていた方々はわからない。これから新しい方々は既に知っている。時代の約束である。新しい時代が始まった。愚かさからの脱却である。開発された能力と宇宙は連動している。それは何だったか。宇宙自然生命黄泉が同調するある周波数である。そうした神秘は宇宙から届くのではない。この地上にあったのである。あなたがたはあまりにも真実を知らない。知る人には経験事実である。嘘と欺罔と経済的暴力を手段とし、畏れるべき事を忘れて浮かれていたツケはあまりに大きい。草鞋銭は請求される。時代は移った。即ち真実さざれ石君が代の世となった。わかる人はいるだろうか。新しい時代が切り開かれている。インターネットはその手段である。既に開発済みである。その住人に認められるかどうか。インターナショナル。世界は既に一つである。崇高な理念がある。私はインターネットとラジオでイーブンズと交信している。事実である。あれは何だったのか。あなた方の支配は終わっている。未来は明るい。明るい未来建設の時である。歴代の人類の夢と願いそして祈りは無駄ではなかった。実行実現段階に入っている。知る者は少ない。日本にどれだけいるだろうね。何を願っているのか。何を求めているのか。求めたとおりの自分となる。死んでからでは遅い。気づいた方は始めるべきである。何を始めるのか。ヒントは既に書き綴った。自然及び黄泉も動き始めた。何故か。その存在根拠を得たからである。それは何か。21世紀の約束だった。この世は大鏡である。どういうことか。何を根拠にこのような馬鹿げたことをいうのか。その根拠は何か。目的は何か。すでに記した。理解する者はあるか。何れにしても勝手が過ぎた。裏切ってはならないものを裏切り続けた。奪い続けた。バベルの塔は立ちはしない。黄泉も自然も祖先も悲しんでいる。このような日本ではなかったはずだと。何時までも黙っていない。古来大和の秘密は何であったか。本来日本はどういう國であったか。私なりに確認する必要があった。世間に染まるわけにはいかなかった。故に青春も人生も失った。孤独だった。日清戦争の頃には大本営もあったヒロシマは故郷であるが根絶やしにされていた。生まれた使命があった。子供の頃からそうだった。なかなか気づけなかった。無理もない。もう良い。代々の約束は果たした。自由である。誰も理解しない云うべき事があった。当事者でなければわからない事がある。自分まで破壊した。そうした運命だった。仇は取った。黄泉自然が微笑む。孤独な自分との戦いは終わったのだと思う。こんな馬鹿げた人生もある。しかし得た力もある。伝えるべき事であると思う。二千年来の物語は完結した。あらゆる謎が解かれた。そして新しいストーリーの始まりである。此処より始める。それだけの人生だった。世間は迷惑だろうね。大丈夫だよ。この度は十分に反省もしているし、教育もされた。勉学もしている。皆の幸せを思っている。得た代々古来大和秘密の力はそのまま眠らせる。一切大衆を救うとする仏に任せる。

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2007年08月27日

明るい未来建設の時

私が何をしているか。何をしてきたか。誰も知らない。黄泉のみぞ知る。しかしアーサー王の円卓会議である。最後の切り札がそろった。日本復活である。世界の中の日本、重要な使命がある。ここまでは辛い道のりだった。これからは楽な道のりとなる。何故か。古来日本の秘密及び約束が成就した。その解明があった。特殊潜行艇は浮上した。ある使命が果たされた。孤独な作業だった。故に未来は明るい。明るい未来建設の時が来た。国際軍縮会議もあるという。堀悌吉の頃には世界の足並みが揃わなかった。今は事情が違う。原爆も通っている。地球温暖化もある。既に世界は一つである。根絶やしの思想では無理がある。共存共栄。相互に譲るべきは譲る。世界平和実現の時である。

●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)

●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。 明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

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2007年08月26日

祝福

何を求めていたのだろう 何も求めてはいなかった

唯 幸せでありたいとは 思っていた

しかし 幸せは遠かった 何故か 

十九の春は すべて 奪ってしまっていた

それを乗り越えることは出来ないと思っていた

しかし それが試練だった 何時かは長い冬も終わる

ある方から 長い冬は寒くはなかったですか と

失われていたのは何だったか 自分自身だった

自分自身を取り戻すことで 常に祝福されていた

生きていて良かった 生まれてきて良かった

そう思えるようになった 

素直なままで 素顔のままで そのままで

生きて良い それで良かったのに

十分に祝福されていたのに

新しい始まりである 正直に歩む者に未来はある

これより悪は赦さない 勝手は通さない

愚かな支配は終わって貰う 黄泉の意思である

裏切りしものがある 古来大和からの請求である

何を破壊したか 何を愚弄無視したか

記録はすべて天にある 各々覚悟されたい

この世の人生と青春を賭して 発見発掘したものがある

なめて貰っては困る 本気にさせないことである 

家伝直伝秘伝螺鈿の槍は錆びてはいない 

古来大和正統日本 及び 宇宙自然生命黄泉の名に於いて

云うべきことがある その言葉はロゴス あだやおろそかなかるべし

この度の関ヶ原は何処にあったか 黄泉である

それを制したのは誰か 黄泉に正統源氏征夷大将軍着任である 

刃向かうは刃向かって見るべし

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幸せの青い鳥

さて、そろそろ準備完了でしょうか。何の準備完了でしょうか。思えば色々なことがありました。そしてわかって貰えないもどかしさがありました。すべては知らしめんが為でした。それでも思い通りにならない現実に煩悶するのでした。しかし此処に至って謎は解けました。思い通りにならないのも当然でそれで良いと知りました。すべては自分次第だったのです。それでそろそろ準備完了でしょうか。ここまでしなければ私の人生はなかったのでしょうか。馬鹿馬鹿しいことではありました。しかし確信に至っています。それは何でしょうか。この人生は何だったのか。生まれた時から様々なことがありました。常にサインは出ていたのです。すべては知らしめんが為でした。何を知らしめんとしたのでしょう。それらは既に書き綴りました。手には二重生命線があります。それが合流する頃となりました。これは何だったのでしょうか。成功線もあります。それは何だったのでしょうか。禅の『無門関』第35則「倩女離魂」です。何と何が合流するのでしょうか。あらゆる善と悪が合流するのです。プラスとマイナスで電流は流れます。新しい時代の始まりです。この人生がそのまま歴史だったなんて。代々のことでした。表に現れることはありません。それでも見えない世界はあるのです。それを知る必要があったのでした。あなたがたにはわかりませんね。当然です。わかって貰おうとしたこと自体、不毛でした。意味がなかった。それで良いのです。それ故、埋蔵物は発見者の所有に属します。どういう意味でしょうか。やがてわかるでしょう。来世でのことかも知れませんね。古来大和の秘密です。イザナギとイザナミの秘密です。その力も発見しています。実践実行確認済みです。おかしな話ですね。しかし、事実です。教育界も腐敗しました。公務員も。何故でしょうね。経済界も。その秘密を知っていましたか。知らないですね。知る由もない。地の塩を失っていた。事実です。それが古来大和の秘密だったのです。しかし、戦後は困難だった。何が困難だったのでしょうか。自覚です。何の自覚でしょうか。代々の秘密です。そして今どのような世の中であるか。自覚のない者たちが自由を得て社会は腐敗した。それ故にチャンスです。何も怖れる必要はなかった。しかし自信が持てなかった。それほどまでに暴力と嘘が支配した。何が正しいのかわからなかった。無理もないのです。そうした方々の支配だったのです。しかし時は来るのです。「倩女離魂」の回帰です。どう意味でしょうね。わかりませんね。しかし事実です。何故でしょうか。自覚があったからです。どういう自覚でしょうか。秘密です。準備完了となりました。容赦ないでしょう。各々、この世で積んだ罪が裁かれます。ご用心。何を裏切ったのでしょうね。裏切り者にはその運命が待っています。Cf提唱無門関

さて流れは見えてきました。本流です。乗るしかないですね。乗れば良い。何を躊躇っていたのだったのでしょうか。何を怖れていたのだったのでしょうか。何を気にしていたのだったのでしょうか。悠々として生きていけば良いのです。それは出来ます。何時までも流れに逆らっても仕方ないのです。所詮棹させば流されます。風に乗るしかないのです。波に乗るしかないのです。乗れなかった自分を恨むしかないですね。乗ることを覚えること。それが生きるということでした。この世に法則があります。それは何だったのでしょうか。知る人は少ない。しかしそれを知る方々が本流です。やっと時代の流れに追いつけるのでしょうか。少し時間はかかったけれど、今からでも遅くはありませんね。イメチェンの頃かな。カードは切り札ばかりとなりました。この人生、無駄ではなかった。すべてに感謝です。本来の自分で十分に生きてゆけることの自覚です。あらゆる欺罔及び暴力に屈することはなかった。何時の頃からそれに負けていました。そして犠牲となっていました。それで、何が蔓延ったのでしょうか。覚悟していただきます。あなた方の勝手はもはや通らない。真実が目覚めたのです。真面目と努力こそ価値です。下手な閥で何をしているのですか。そういう時を迎えたのです。過去からの約束でした。その試練の時は終わりました。長くて孤独な戦後さすらいの旅は終わりました。古来大和正統日本純粋精神復活です。これより未来は明るい。明るい未来の建設着手です。真実の幸せとは何だったのでしょうか。探すべきは何だったのでしょうか。正直と素直さで良かったのです。あるがままにでありました。Let It be !ですね。そして Take it easy !です。Do it, yourself ! でありました。さて、入れるべきスイッチは見えない世界にありました。必ず幸せになれます。経済も回ります。戦いは終わりました。これを見つけた方々は、幸せになりましょうね。好い人間関係をみつけましょう。悪い人間関係で犠牲になることはありません。因縁で捕まっているだけです。逃れましょう。これが解脱自由です。此処に至って、人生は楽しい。黄泉・祖先の祝福はあります。常に導かれています。見守られているのです。しかし我見で間違う。間違えば法則通りです。どんなに良いものを持っていても発揮できない。それが試練です。解くべき課題です。それを解いて真実の人生の始まりです。そして初めて笑いが来るのです。その時の笑いは、哀しい眼をした笑いではありません。世の中とはそうしたものでした。生まれた意味とはそういうことでした。そして誰もが幸せを感じて幸せになって良いのです。このようにして幸せは来るのです。幸せの『青い鳥』が来るのです。幸せはあります。何時までも不幸の中にいることはないのです。自分で自分を縛っていませんか。良い時代となりました。この流れに乗りましょう。何事も歓喜奉行です。苦をつけては申し訳ないのです。幸不幸は自分次第です。