2007/10/23

これから

時は来たようです。JJルソーは『告白』の中でいっていました。善良な人を前にすれば、私の言葉は堰を切ったように流れ出すと。夏目漱石の『こころ』は本来手紙部分は予定されていませんでした。当時新聞連載していたのでしたが、後継者が決まらなかったのでした。それで手紙部分で引っ張ったのでした。それででしょうか。精神的向上心のないやつは馬鹿だというのが二度出てきます。ドスエフスキーの文章の量は尋常ではないですね。彼が何故あれほど書いたのだったでしょうか。実は彼は食事するよりもギャンブルが好きだったのです。それで出版社から前借りしたのでしょうか借財があったのです。その返済のために書いたようですね。さて、私も書こうと思えばいくらでも書けます。それはモンテーニュのようなものになるのでしょうか。そしてその後思うのです。何を思うのでしょうか。正直商才はないようです。故に経済的に逼迫してしまったのでした。友人の連帯保証に泣いています。個人の借財はないのですが。今思えばその友人は天才的ペテン師でした。それはそれで良い勉強になりました。彼のお陰で、重要な人脈も出来ました。高い授業料でした。そして自分は本当は何がしたいのだったろうかと思うのです。それを考えていたのです。そして決めなければならないのでした。何時か十九の春のことも書くことがあるでしょう。そのことは出来ることなら書かずに抱いてあの世へ持って行こうと思っていました。或る意味で藤村の『破戒』になってしまう。しかしそれも遺しておくべきかと思い始めています。それは世を啓蒙する意味もあるでしょう。ハンセン病を克服したように。そこより這い上がった者は稀でしょうね。亦それもこの世の使命だったのかも知れません。そのように思うのです。しかし経済的にこのままでは困るのです。色々と仕事もしてみようとしていました。量販店でパソコンサポートを請け負っていますが、殆ど受注がありません。それで今思っているのはスーパー・アフィリエイターです。インターネットが普及して、企業の広告手段もシフトしています。アフィリエイトに活路を見出そうと真剣に取り組んでいます。ところで、アフィリエイトは単なるリンク・サイトではありません。ショッピング・モールでもありません。個性的なコンテンツのある各ホームページがあって、そこに集客があって、そして広告する。成果があれば報酬となる。私のホームページは相当の価値があると信じていますが、少し時期尚早、そして高度かも知れません。現在のインターネットユーザーにはわかる人は少ないでしょうね。そしてインターネット及びブログ自体、高度知的生活者はまだ参入していないところがあります。あまりにも無意味・無内容なサイトが多いですね。しかしこれから団塊の世代の方々が退職されて、第二の人生を歩み始められます。その方々の意識は高い。インターネットに必ず新規参入されることでしょう。インターネット自体、苦手かも知れません。高度生活意識を持っておられます。そうした方々の為に準備するのも意味があると思われます。高度文化生活の提案が出来ればいいですね。高度文化生活者のためのブログ及びホームページがあっていいですね。そうしたご案内も出来るかと思われます。さて、私はこれから色々と書いていこうと思います。やっと自信を持って書けるところに来ました。その意味で、時が来ました。既に書いて参りましたが、少なからず毒がありました。無理もないところではありましたが、それも克服し得たと思う頃です。そして思うのです。アフィリエイトとして成功できたら嬉しいなって。そうすれば、思う存分、書いてゆけますね。これまでは、何処か遠慮もしていました。不遜かなって思っていました。そのような意識があったのでした。その意味で自意識過剰尊大でした。しかし、それも必要ないと気づきました。自由に書いて良いのだと。私は私を書いてゆこうと思います。自分を表現しておこうと思います。このような人間もいたのだと。私が何を思っていたのだったか。どうしてこのような人生を歩むに至ったのか。それも書いておこうと思います。それは或る意味で価値があることと信じます。その意味ではジェンナー的でもあります。ありのままの自分を生きるしかないですね。偽っても仕方ないですね。きっと未来の子供たちのためになることと信じます。それも使命であろうと思うのです。貴重な人生を生きさせて貰ったと思っています。仏さんのところで聞いたこともあります。しかしそれはここでは具体的に書けないことになっています。そうしたことも書けると良いのですけれどもね。今は無理です。さて、悩んでいる方が多いですね。それ故に至れる幸せな世界があることをお伝えしたいですね。乗り越えることが出来ることを。私は書いてゆこうと思います。そのように決めようと思います。習作の段階は終わりました。思うままに自由に書いてゆこうと思います。書くことで自分自身の問題も解決しておこうと思うのです。社会を恨んだこともありました。今はすべて自分が蒔いた種と思います。それほどまでに気分は楽になりました。仏さんのお陰です。誰もわかってくれないと思っていました。それも仕方ないことでした。禅の奥義に背の高い竹もあれば低い竹もあるというのがあります。山の頂上から見える景色は途中から見る景色とは違います。それで良いのです。思い上がっているわけではありません。事実そうなのです。そうした景色も書けるかも知れません。それをも否定していた自分がありました。それでは自分の人生が開けるべくもありませんでした。そのようなことを気にしていたのでは凡そ生きてはゆけない。誰もそのような配慮をしてはいられない。する必要もない。その意味で甘えていたのでした。それぞれに生きています。幸せを求めて。私もその流れに乗ることにします。勝手に裏切られたと思っていました。そのようなことはないのでした。言わないのだからわかりませんね。言えばいいのです。わかってくださる方は必ずいます。わかってくれないからと自分で自分を傷つけることはなかったのでした。それがストレスとなりますね。それから逃れたいと思いますね。その時どうするか。自分を自分で傷つけていたのでした。馬鹿ですね。読書にしても音楽にしても随分と楽しんで参りました。そうした事も色々と書けたらいいなって思っています。さて、十九の春、原因は何だったのでしょうか。つまらない原因でした。失恋でした。始まったのは、中学卒業の頃でした。倉田百三ではないけれど、絶対の恋愛だったのかな。その後、深い悩みと悲しみの中に埋もれてしまったのでした。人生も青春も失ったとする所以です。その後の人生がどのようであったか。夢も希望もない長い冬でした。しかしそれ故にそれ以降それほどの悪を為していなかったのでした。そして仏と出会い、真実の幸せ世界があることを知るに至るのでした。故に古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統神国日本秘密純粋精神本来武士道身心清浄正直大和魂を思い出すに至ったのでした。明治がペリー来航に乗じて何を裏切ったのでしょうか。江戸無血開城本来大和魂禅譲武士道精神を裏切ったのでした。廃仏毀釈もありましたね。龍馬は何故力があったのでしょうか。その経済力の故でした。その淵源は密輸ではなかったでしょうか。それ以降商人の天下になっていったのでした。結果腐敗が極まりましたね。子供たちにそれが増幅されています。尊敬及び畏敬の念のある世の中ではなくなりました。無理もないですね。世の学者識者諸氏はこぞって無神論者です。行政も民法化しました。西洋化を急いで日本の魂を失ったのでした。結果国家内政の運転に失敗していませんか。どういう土壌で小さな権力闘争をしているのですか。さて、その頃までは飛ぶ鳥も落とす勢いだったのにね。誰もが憧れるスーパー・スターだったのにね。こうした事も書けたらいいなって思います。他を恨むことはなくなりました。嘆くことも。責めることも。そして自分を書いてゆこうと思います。何時か、この価値をわかってくださいね。書くべき事はたくさんあります。尽きることはありません。乞うご期待。

たおやかな 今宵待つべき 十三夜