物語について

物語は、インスピレーションを得て、語られたものであり、著作ではない。それは、「2001年宇宙の旅」の最後のシーンを見るようなものである。さて、仏陀、キリスト、ソクラテス、孔子についても、すべて物語である。また、高校の時の日本史の先生が仰いました。歴史に名を残した政治家は、ロクなことをしていない、と。さて、神の子=正直な子の条件は、その母親が処女であることではないだろうか。原罪。処女受胎。教育の原点。大人としての格の違いの淵源。西洋かぶれの反省。日本純粋精神の復興。キリストも東方(オリエント)である。未来への開始点。幸せの根本契約。そして、現代に於ては、精神的処女。関係をうらぎらないこと。相手の意思を尊重すること。契約は、対立する意思の合致である。今、例えば、銀行通帳における一般規定が支配している。これは、契約ではない。反省するべき事が多い。システムが、勝者の一方的利益のためにある。諸不幸の原因である。物質的利益至上主義が、経済的に大きな穴をさらに大きくしている。おきざりにされた精神性が見直されなくては未来=幸せはない。本来、周りが幸せであることで、自分も幸せである。たとえば、卑弥呼の時代はそうであったであろう。しかし、今、幸せに於て盲目的な時代である。才能は生まれたときに持っている物である。前世からの遺産である。人生はそれを発見し、開発するに過ぎない。現代は雑草或いは害虫の時代である。真実が見えなくなっている。私・私たちの人生は社会・人間の歴史に裏切られた。しかし、井伏鱒二の小説「山椒魚」のように、もう、恨んではいない。しかし、その小説では、この言葉は削られている。しかし、刹那的な快楽を求めている現代社会人は、その来世は如何。あわれである。今からでも遅くない。常に、引き返すべき黄金の橋は架かっている。事実が起きる前に引き返す。結果が出ては遅い。さて、NHKーFMで、現代版クラシック。ベートーベン。やさしい演奏へと推移している。(2005/11/30 7:50am)本来、やさしさと強さとは表裏である。人間に於て忍耐の度合いが器の度合いである。就職の時に人事本部長が言った。大器晩成ではない、大器は既に完成している、と。経済界の奢りであった。極論である。ぶちこわすべきは、経済界の奢りである。1588及び大航海時代以降の過ちである。かつて世界は地中海であった。日本に於ては瀬戸内海であった。かつて、世界は無限であった。大航海時代を経て世界は地球となった。既に世界は有限である。しかし、無限と思って経済行為をしている。世界の経済の基礎は、例えば、インカの金であった。ペリーが来て、日本も世界に組み込まれた。その頃、日本の金は、粗悪なメキシコ銀と交換された。その後も、・・・。400年周期説である。根拠は旧約聖書である。これを以て指南=至難とする。未来への分水嶺である。さて、人類の選択は如何。面白い時代である。とか、ドン・キホーテが言っていた。彼は月の砂漠をさまよっていたのだった。時代を超えてね。ある時は、「不思議な少年」であったと彼は言っていた。何時の世も、源泉はひとつであった。ブラームスではない。シューマンである。ブラームスはシューマンにとっての何であったか。見える世界と見えない世界の縮図。小林秀雄と中原中也も然り。見えない世界を食い物にして見える世界は繁栄した。罪となった。その果実としての現代社会である。これも、ドン・キホーテが言っていた。時代はこうして変遷する、と。さて、シューマンとクララ。シャガールの夢。彼らの魂=純粋精神はやさしい目をして生きている。自然はそれを知り、祝福している。是を以て、真実の勝者とは言う。とも、ドン・キホーテの言ったことだったろうか。トルストイも晩年には改心し、最期の駅舎で、鉄道員に看取られたベッドの上で、同じ夢を見ていたことだろう。是が人生であり、孤独に生まれ、孤独に死んでいく意味であった、と。それは、魂の遍歴として、真実を知ることであった。そして、いわゆる孤独ではなく、到り得た魂=宇宙=自然の至福であった、と。すべてよし、と。自由を求めて遍歴する諸芸術の実体である。あだや粗末おろそかなかるべし。神々が守護し祝福する魂がある。それを愚弄した社会。そして、この腐敗。反省など要らぬ。とか。ドン・キホーテは微笑んだ。さて、NHK−FMでは、シューベルトの7番がかかっている。始まったとき、エグモント序曲かと思った。(2005/11/30 9:11am)(シューベルトもオペラを書きたかったと言われていただろうか(?)。しかし、その情念は、ワーグナーを超えている。彼のオペラは書けなかった。はて、7番が「未完成」?8番ではなかったのですね。グレイト(最も美しい交響曲であると言われている)は9番ですね。私の人生に於て大きな空白があるようだ。)