無限なる地平の出現 薬草喩品
地球は有限であると思われた。そこで、あらゆる活力が減退した。世の終わりであるが故に、夢をなくした。これから、どのような夢が描けるだろう、と。しかし、それは、大航海時代以降の概念による限界であった。たしかに、今までの方法論において、地球は有限化した。しかし、それ故に、新しい地平が開かれる。それが、こころの地平であった。そこでは、これまでの既成概念がない。物としての価値が低下する。そして、無形の精神的な価値が、あたかも、昇る朝日の如く、見えてくる。新しい時代の始まりである。無限の世界が待っていた。お金がなくても良い。家がなくても良い。鳥のように生きてゆける世界が開けていた。新しい世代はそれを感じている。あらゆる縛りのない自由。社会は社会で在る。その中での自由。社会は社会で市民革命以降の理想を実現する。その中で、軽くなった鳥としての自由がある。こころが解き放たれる。あらゆる苦悩が払拭される。それは、現実において、今まで知られることのなかった心の自由が具体化するという意味である。既存の社会のパラダイムと対立する自由ではない。既存の中にあって、今まで具体化していなかった部分が開発されたのである。今までの中に、仏の智慧といったものが、やっと、芽生えたのである。心の地平は、知性の華の咲きあふるる無限の地平である。
 
「このように一切のものの本質がないことをさとり、形状のないことを会得し、作為なく存在していることを知ることが、この世の苦悩から解放される端緒(いとぐち)であり、これが「さとり」の境地への入口であると考えて、人間は無知を克服するのである。そして、無知を克服することによって業の原因となる所行も克服される。こうして、遂には、その人だけの大きな苦悩の集積が克服されるようになるのである。」(岩波文庫『法華経(上)』p293)[2005/12/15 0:44am NHK-FM ジョン・ウェインの映画音楽を聴きながら]かぎりなく、自由であること。それが、解脱涅槃。自分を自分で縛っていないか。あらゆる価値で。また、思い違いして、刹那的快楽を自由と思っていないか。
 
「そのように、この世の人間には差別はないのであるが、如来たちはかれらの意欲によって人間を区別されるのだ。」(岩波文庫『法華経(上)』p295)「内部にいる者は、外にいる者が何をしたか、何もしなかったかを、今も知らない。」(岩波文庫『法華経(上)』p297)「汝が全知を望み、神通力を体得しようと志し、また神通力の体得を人里離れたところに住んで念じ、清浄な教えを求めるとき、それによって汝は神通力を得るであろう。・・・一切を知ることがなければ、「さとり」の境地はない。その達成を試みよ。」(岩波文庫『法華経(上)』p298)「一切のものは同じで、本体がなく、本質的に相違ないことを知り、またこれらのものを望まず、また、そのいずれをも決して区別して見ない者は、偉大な理智の持ち主であって、教えの本体を残らず見て、三種の乗物は決してなく、この世には唯ひとつの乗物のみがあると知る。一切のものは同じで、すべては等しく、常に平等にひとしい。」(岩波文庫『法華経(上)』p299)