浦島太郎が帰ってきた。そして、玉手箱を開けた。帰ってみると昔とは随分と違っていた。そして言った。十九の春。私はどうしていたか。知る人は少ない。ある意味で、私の時計が止まった。否、すでに16の時に止まっていた。そして、沖縄の歌では、枯れ木に花を咲かせたら、十九の春に帰れるという。仏法でも、死んだ子を悲しむ母に、ブッダは、一軒、一軒、家を訪ねて、死んだ者がいないことがあれば、救ってやろうという。しかし、花咲じいさんの話がある。浦島太郎の話がある。どう捉えるべきか。これらは、ある意味で、時代を超えたプログラムであった。今までは、仏法の教え(世間常識)が糸車の針であったと言える。枯れ木に花を咲かすというのは比喩である。仏法の話は一般常識である。昔話は夢物語である。夢を実現することが出来るということである。さて、どちらが正しいか。どちらも正しい。証明されれば真である。今までの世間常識だけが真ではない。世間常識では救えない魂の問題がある。心の在り方によって、どんな重苦も克服できる。その為の試練である。乗り越えれば、そこが、パラダイスである。世間の与り知らないところである(世間は甘受することしか知らない。勇気を持って乗り越えることを知らない)。やはり畏るべし。アヒルはアヒル。白鳥は白鳥である。誰もがこの二面性を持っている。世間常識も反省の頃である。これまでの世間常識だけでは解決できなくなってしまった。浦島太郎は言った。私が、また、花咲じいさんである、と。花は櫻。今、ソメイヨシノ。明治になって、古来の大和魂が新種の櫻に宿って全国に散った、と。国の旧字体は、戈で戦って、囲いを定め、因って、民の口(食=職)を確保するにある。今、戈は、奇襲(本来の大和の方法ではない。卑怯である。大和の方法は草薙の剣=神力である。正しい方が勝利するという法則に則る)を伴う軍隊(武力)による戦には非ず(積極的武力の行使は既に反省されている)。正々堂々。露堂々。世間の歴史解釈及び思想の殆どが間違っている。 とか、彼は言っていた。今、世間は何をしているか。民を餌食にしている。食べ物は野菜とか獣とかだよね。いつの間にか人間のすることではなくなっている。文化ではないね。野蛮だね。しばらく浦島太郎は悲しんでいた。しかし、このままではダメだと思った。それで、まだ汚れていない方々に呼びかけた。彼らに託した。いっしょに、種を蒔こうって。大地は開かれているのだからって。その大地は、新しい大地であった。心の大地であった。新しい時代の夜明けだった。それが、彼の仕事だった。浦島太郎がまた桃太郎でもあり金太郎でもあった。主人公である。禅の書にも書かれていた主人公である。また、彼が神でもあった、と。時代は流れている。何時までも竿を差しているわけにもいかない。流れに乗る頃である。いつの間にか世間は本来の美しくて清浄な大和の人格を辱め、堕落し、汚濁し、それについての羞恥心も失っていた。哀れなるかな現代社会=世間であることよ、と彼は嘆いていた。しかし、彼は帰ってきた意味に気づいた。時であったのである。それに呼応して、新しい方々がすでに立ち上がった。周波数が合ったからである。本末転倒している時である。精神の秩序について何も知らないんだね、って言っていた。そして、何時までも、そうして、やはり、自分たちのことしか考えられないんだね、って。問題は、ガマンして、無言のまま堪えていた、世間の知らない世界があるということ。そして、今、その緒が切れたってこと。つまり、そうした世界がチカラを得たということ。水は上から下へしか流れない。横の問題(対等関係の問題)だけ(それも経済的支配層の現世利益追求のみに生きているという意味での精神的下流の方だけの問題。彼らの行為が事実として精神文化を破壊した)を問題にしていては、水は淀む。つまり、腐る。浦島太郎は言っていた。事実としての本末転倒がある。高い精神(スートラとしての縦の問題)を自分たちのレベルにおとしめていた事実がある。問題は、知らず識らずの裡に冒したそうした本来の精神性への配慮だろう、って。つまり、謙虚さだろう、って。その反省がなかったから、おかしくなったのではなかったか、って。もう一度、人間として、何が大切なのか、その価値を見直そうよ、って。このように彼は言っていたように思う。そして、方向は、全体としてのボトムアップと共存。もう、殲滅とか殺戮とかではない、って。すべてを生かす方へ。生きる方へ。お互いへの南無(帰依=仕えること)と感謝だ、って。あらゆる生命体そして存在へのね。生きとし生けるものへのね。岩石だって元素レベルでは周波数を持っていて、生きていると言えるから。全ての存在が喜び、そして、やさしさに満ちた世界が近づいているね。地球も時が流れたね。サンク・ユー!(2005/11/12 (土) 3:00am NHK− FM ラジオ深夜便 三大テノールを聞きながら)さて、この新しい心の地平は浦島太郎が開いてくれた。だから、私たちは、ここから始めると良いと彼は言った。そして、その後、彼の姿を見た者はいない。