道元禅師は法華経を開いて、それを座って読みながらそのまま遷化されたと伝えられていたのだったろうか。法華無量義経第三に、『諸々の仏教の教えを理解していない人に、仏道修行によって得た悟りの境地を得させて、永遠に生まれては死に、死んでは生まれる苦しみから解放されて、自由を得させるでしょう』とあるのだった。これが「他土におく」ということの意味だったのだろう。つまり、法華経の名宛人は『諸々の仏教の教えを理解していない人』だったのである。禅などで理解している人はそれで良いのだった。法華経もしっかりと読むことで日々、新しい発見がある。勉学は何事もそうである。馬鹿になることが幸せであるとするテレビなど見ている暇がない。宮沢賢治も法華経を読んで理解した。それで彼の母親を法華経に改宗させたのだったろうか。法華経を真に理解すると、そうした不思議な力がある。知らない人が否定するのは、日本国憲法についてその成立および内容について何も勉強していない方々が、政治的に扇動されてそれを否定するようなものである。その弊害があまりにも大きいのは、明治時代の文明開化がそうだった。野蛮な思想が戦争に導いた。聖徳太子に『法華義疏』があり、それは岩波文庫に収録されている。