2006年06月30日
言葉の真実
昔は 剣の修行があった
今 それに 匹敵するのが 恋愛による 修行と 云える
人格の涵養 それが 目的である
剣の果たし合いにおいては 強いものが勝つ
しかし 勝負の醍醐味は どこに あるか
決闘の極意は 遅れて撃っても 勝てる
勝ち負けは 神仏が 決めるから
最終目的は 身心清浄 神々の 認めるところとなる
その後 神々が 味方につく
自らも 神力 を 得る 達人 と なる
言葉の修行がある
写経 或いは御経読誦
それは 宇宙に通じる 言葉のリズムを 体得する
自分の言葉が ロゴス となるかどうか
言葉の周波数 神仏宇宙自然生命祖先にも 通じる
黄泉に認められる 黄泉が助力する
そうした 自分を 発見することができるかどうか
すぐれた文章を 書き写す 良い修行となる
やがて 自分の言葉が 見つかる
あらゆる 表現に 意味が 満ちる
表層の言葉ではない 真実の言葉となる
そのためには 手紙を書くのが良い
自分を 見つめる ことになる
手紙を書くことは 自己の発見 である
自己と言葉が 合致する 手紙の効用である
やがて 飄飄と 生きている自分へ 至る
そのためには 修行としての手紙が よい
恋愛の目的は 自分を読んでくれる
相手 を みつけることにあるのかも知れない
お経さんは 佛さんからの ラブレター だと
誰かが 言っていた
いい俳句を見つけたことがある すなわち
亡き父の もとに届いた 年賀状
言葉というのは こうした 情緒(じょうしょ)
言葉を大切にするところから 始めると 良い
あまりにも 粗末に してきた 本来の価値 言葉の感性
取り戻そうではないか
言葉の野蛮が 世を 席巻している
言葉が 人を 動かす
真実の言葉は 神仏宇宙自然生命祖先 の認めるところとなり
黄泉が動き 助力し 実現する
すなわち ロゴス である
言葉の真実 今 伝えん
自ら 吐いた言葉は その後 自らを 規定する
その思いが 真実であるなら 天に届き
黄泉祖先の 知るところとなり
黄泉祖先が 助力し 実現する
夢は 実現する 真実の夢であるなら
だから 諦めないことだ
自分の 真実の願いが あるならば
それが 夢であるならば
実現するまでが 青春である 修行である 夢である
さて ステキな 人を見つけた 妙に気になる人である
ふじわら という姓である 名はまだ知らない
ところで 長谷川四郎に 『よく似た人』 という 小説があった
とても 好きな小説 だった
このよく似た人との合流を果たすこと
これが 幸せの 条件だよ
生まれた時に 父母より DNA の中に 宿した種が それだ
かつて遙か昔には 同じ 花だった
しかし 人の営みの中で 散り散り 散華した
明治の頃には その魂は ソメイヨシノ に突然変異し 宿り 全国に 散らばった
かつて 江戸の大名屋敷で愛でられた 魂達の 悲劇であった
しかしね 種であるなら やがて 芽吹くよ
いくら 世間で粗末にされ 捨てられても
胡蝶の夢も 夢なら いつか 覚める
目覚めているかどうか よく似た人の条件である
日本は 野蛮腐敗の天下となった
しかし 本来の主権まで 譲った覚えはない
思い知る時が 来た
時は天 あだや おろそかになさらぬように
黄泉も目覚めている 万軍の主も味方についた
もはや どうにもならぬ
世間身勝手 自分解釈 好き勝手
これより 決して 通らぬ
どこからでも かかってくるがいい
天衣無縫 天下無敵
刃向かうは 黄泉の成敗あるのみ
代々の約束 宿王華 今 果たさむ
ある日の 広島 の 風景
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2006年06月29日
可能性としての平等
今 自由 と 平等 です そして 民主主義
これは どういうことを 意味しているのだろう
しばらく 間違えた自由を 自由と思っていたね
ほんとうの 自由が どういものか 見えてきたね
自由とは 思い通りにして しかも 法を 超えない
ここに 法とは 法律ではなくて むしろ 宇宙自然生命の秩序及び掟
すなわち 神仏宇宙自然生命より受容され守護された 本来の自由
代々 それを 目指してきたんだね
平等とは 機会の平等であって 結果の平等ではない
と 言われてきました
むしろ 平等とは 生まれながらにして 可能性としての 平等 ですね
持って生まれた DNA の中に 無限の可能性がある
開発するべきは あるいは dig it するべきは 自己自身だった
さて どの種を蒔き どの花を咲かせるか ここに 選択の自由がある
悪の花を咲かせるのか 善の花を咲かせるのか
咲かせた花は実となり 種となる
日々 考えたり 行っていることで 自分が
DNAレベルにおいて 書き換えられていく
往々にして 選択を 間違う それで 腐敗し 不幸となる
自分の花が何であるのか それを 知るまでの 試練
汝自身を知れ とは このことだった
花と咲けば 仲間がわかる
咲くまでの孤独 咲けば 宇宙自然が やさしく ほほえむ
ひとりではない ひとりだと思っていたのは 自分だった
だれもたすけてくれない と 思っていたのは 自分だった
宇宙自然生命祖先は たすけたい と 思っている
そのためには 咲かなければならない
咲かなければ どこに いるのか わからない
咲くことだよ 咲かせることだよ 教育の目的はここにある
しばらく 教育も 怠惰だったね
信じる 自分を発見したなら その種を 蒔く
咲けば 実となり 種となる
何を 思い煩うことがあろう
信じた道を 進めばいい
これが なかなか 難しい
自分自身が 見つからない
世は 腐敗 泥の中 すなわち 地獄 と決まっている
地獄の中で 咲く花は 火裏蓮
泥の中で 咲く花は 蓮華
佛の前に 蓮華として 化生することが できるかどうか
殆どの人は 堕落する
そして 自分たちのために 堕落世界を 増殖していく
しかし 悪魔小悪魔は その正体を 見破ると 逃げまどう
それまでは 好き勝手
さて どうする ?
あらゆる人が 王子 王女 となることができる
それが 可能性としての 平等
そして 自由 を 得る 何をしても良い
お金は 寿 すなわち 寿命を削った対価
お金は大切だ しかし お金だけが成功ではない
精神的な成功がある 達成感
何かを達成する 何でもできる 自分 に 気づく
それは 自信
自信があって 勇気となる
何があっても 怖れない 自分
殺すぞ と 言われても
命は すでに 捨ててある 佛に 預けてある
究極の自信はね 宇宙自然生命祖先の 守護
そのためには どうするか
宇宙自然生命祖先 に 好かれる 自分となることだ
そのためには どうするか
自分自身を知ることだ
そのためには どうするか
日々の 思考と実践 だ
何もしなければ ストーリーは 始まらない
何時の頃からか 私は 悟り ということに 憧れていた
無意識に 悟ってみたいと 思っていたのだろう
そのために 本も読んだ 修行もさせてもらった
何もかも 失ったかのように 思った 存在さえも
しかし それは 生まれた時から 導かれていたかのようだった
良い子といえば これほど 良い子は いなかった
悪い子といえば これほど 悪い子は いなかった
しかし 悪いことをすれば 自然現象として或いは事件として
何かが 起こっていた
気づくまでは まさか そのようなことがあるとは 思ってもみなかった
しかし 大鏡 増鏡 古鏡 浄瑠璃 長唄 ・・・
主人公は 自分である
私の場合は 一個の 彫像をするようであった
突然に 悟り に至ったのではなかった
気づいてみると 悟り だった
もはや 間違いはないと 思っている
この世で 最高の 幸せを 達成したと 思っている
人生は 私立大学的 要領 ではない
量ではない 質である 品格及び人格 である
正義は勝つ まじめと努力 が 勝つ
ところで 自由と平等 は 対立概念である
と 言われてきました
そうでしょうか むしろ 自由と平等は ほんとうは
両立概念であることが 明らかとなりました
自由と平等は 人生の 幸せの 両輪です
この車輪を 転ずることに 致しましょう
そして ほんとうの 民主主義を 作りましょう
幸せは 周囲が幸せとなることで その中にいる
自分も 必ず 幸せである
平等大慧会で 教えて いただきました
仕事とは 仕える業であることも
夫婦の関係も 人類が見つけて至った 幸せの鍵
それは 男尊女卑でも レディファースト でもなくて
一夫一婦制の下で お互いに 仕える気持ちがあれば
きっと 幸せ です 真実夫婦平等論です
【読書ノートより】「秘せずは花なるべからず」(世阿弥)ゆとりは生活の花であり、これは秘密の価値なくしては咲かすことができない。 心というものは言葉に到底尽くし得ないことを彼(良寛)は知っていたので、言葉を殊の他慎んだのであろう。全て言葉をしみじみ言ふべし。外からは窺い知れない内面を有することとなつかしい感情をひき起こすことが魅力ある人間の本質である。愛は本来心の秘密であり、秘密を告白するようにしか愛は告白できない。先を見届けようとすることを止めること。存在の根拠には秘密がある。裏は分からぬ、先は見えぬということでストーリーははじめて発展する。
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十牛図 第八図 〜 第十図
十牛図の第八図が 無 あるいは 空
それまで 牛の足跡を見つけて その後
牛と格闘し 牛に乗って家に帰る
そして 牛は理想であるが それまでも 空ずる
すなわち 無 となる
ここが 神秘の世界であり 自己も客観も なくなる
というのは パスカルにおける メモリアル に 等しい
それまでの あらゆる価値観が 破壊される
自分が 思っていたことが すべて 間違いであったことに
気づく そして
それまでは 概念でしかなかった 理想 が
現実に存在していることを 自覚 する
そこには 神仏 を 含む
宇宙自然生命の 真実 と 邂逅する
あらゆる 価値観が 破砕される
しかし 確認される 価値観は 言葉にすると 以前と 同じ
ここを 禅においては 花は紅 柳は緑
あるいは 盧山烟雨浙江潮
未到千般恨不消
到得帰来無別事
盧山烟雨浙江潮 蘇東坡
言葉は同じだけれど 内実が 異なる
この 異なるを 世間は 知らない
世間は 前解釈 の 域を でることはない
そして 知る 日月照らす 風の吹く
これが すなわち カクネンムショウ
自然が 自分に対して 満ちてくる
いつも 宇宙自然の 守護の中にいる
ことに 気づく 胎蔵界
そして 心魂を滅して 念ずれば 黄泉をも動かす
チカラ があることを 知る 金剛界
この 体験を以て 悟りとする
That's 第八図 〜 第九図 である
しかし この チカラ 確認するに とどまる
行使するべきではない ことに 至る
それぞれの こと であるから である
その意味では 人類など 滅びようと 滅びまいと
宇宙自然にとっては どうでも よい と 知る
魂の遍歴は 人間も 通過点に 過ぎない と
確立された 魂は 牛に戻っても 良い と
ここを過ぎて ほんとうの 自由 へ 至る
その間 修行は 懺悔であり
目的は 身心清浄
私は この修行を 平等大慧会 で させてもらった
そして 第十図とは何か
帰還である
世間へ帰る そして 何をするか
一隅を照らす
どのようにして 照らすのか
存在するだけで良い 開発された 周波数がある
宇宙自然生命黄泉祖先 へ 通ずる 周波数である
時には ぼやけることもある
しかし 一度開発された周波数である
その火を 絶やさないようにすればいい
自然と それは 伝搬する 周囲が 変わってくる
何をしても良い 隻手の音である
これが 佛の 云いたかったこと
佛が救うのではない
自分は自分が救う
佛は その方法を 説くに すぎない
思い上がりの 世間 である
佛よりも 偉いと 思っている 輩が 多い
悲しむべきかな
知らぬまま 刃向かう 勝ったつもりでいる
天に刃向かえば
黄泉のサンクション ある を 知らぬまま
天の守護するところがある
すなわち 日月照らす 風の吹く
天に好かれることだ 神仏に好かれることだ
佛は 佛とのみ 究了 する
如来は 如来になってみなければ わからない
それで 世間 如何 と するか
武士は食わねど高楊枝 ホテトル及び不倫などに 用はない
腐敗世間及びセレブは何をしているのか
日本古来の精神 及び 恥を知らぬず
西洋腐敗精神に迎合したる この大馬鹿者 !
末代 祟るべし
これ以上 世間身勝手 及び その増殖 ゆるしはしない
古来大和秘密精神の城塞の意思である
(2006/06/29 20:44 NHK-FM ピアノ独奏 「展覧会の絵」を聞きながら)
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資本主義の中で自由の進化
今 世界は 資本主義
日本も世界の一員であり
その中で 重要な地位を 占めたいと
思っている
その為の 努力も してきた
しかし 気づいてみると 何か おかしい
凶悪犯罪国家となっている
あらゆる 本来の 情緒が うしなわれつつある
その理由も明らかとなった
古来日本の価値を 見直すべき頃となった
日本の 価値を 見直して
あらためて 本来の形或いは姿を 取り戻すべき頃であることに
気づいた
そして 再び 健全な精神と 善良な庶民の
幸福論を 目指すべきである と
資本主義が 悪いのではない
それは ひとつの フィールドとしてある
パラダイムの変換は 精神レベルでの 問題であろう
戦後教育の中で 見失われていたもの
それは 古来日本精神
その価値は すでに 世界が 認めているはず
日本が 日本であるために
為すべきことは 何か
そして 世界をフィールドとして どう 戦うか
逼塞した日本の 究極の 打開策は 何か
すでに 明らかである
日月照らし 風は 吹く
大安心の 境涯は どのようにして 開くか
「ばかばかしさの中で犬死にしないための方法序説」(庄司薫)
というのがあった
それが 見いだされた と 云うべきか
経済なくして 生活はない 人生はない
経済を 何に 使うか
目的 と 手段
今 問われているのは 目的 である
気楽な人生は ある
何を 苦しむことがあろう
所詮 この世は 法則通りである
その 法則に反して 幸せはない
その 法則が 見えなくなっていた
法則 は 科学
人間は 本来 偉大である
その 偉大さを とりもどさなくては ならない
自分勝手な方々が あやまった 自由を行使して
世を 乱した あるいは 腐敗させた
あるべき 基盤を とりもどす
それは 古来大和の精神を とりもどすことから
はじまる
そして 再び 自由
自由の進化と云えるのかも知れない
自由を得て 何をするか
自由である
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。 その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである(C.ウィルソン)。
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2006年06月28日
Welcome to Japan !
しかし 世の中 変わったね
良い日本になりつつあるね
今まで 好きたい放題していた方々が
できなくなりつつあるのではないかな
繁華街では 取り締まりも 厳しくなってるよ
スタンドでは接待はできないことになっている
ダンスもできないことになっている
それが摘発されて 90日の営業停止もあったそうだ
届けをすればいいのだけれど
その手続きには 10万円かかる
ほんとうにがんばる人が 生きてゆける 時代の
到来だね これまで 虐げられていた方々がね
あまりにも 勝手がすぎていたというべきか
罪 重いよ 当然だね
私にとっては 遅きに 失した観もある
しかし 男の人生は 五十からだよ
まだまだ これからだ
実力があるなら 必ず 芽吹くよ
あきらめるのは まだ 早い
そして 例えば バブルの頃の利率のまま 借金に
苦しんでいる 中小企業の方々に 申し上げたい
お金なんか キツネの木の葉だよ
やはり 人生 どうにかなるよ
正直でいればね
嘘で固めた 自分勝手な 自分計算しなければね
しかし 往々にして 都合が良いのが 人間だ
すべては 自分の蒔いた 種だよ
甘えるときには 甘える
助けてもらえるときには 助けてもらう
いつか 助けてあげるつもりでいれば 良いよね
しかし そうした 余裕もないのが 人間だ
奪ってばかりの 人間が 多いね
しかし 中には いい人もいる
そうした 人と縁を 結びたいね
そうした 縁を 大切にしたいよね
これまでの 人生で 余裕があるなら 必ず
乗り越えることができるね
命あれば 必ず 夜明けは来るね
私の場合は 長い夜だった
やっと 黎明を 見ている
生きていて よかった と 思っている
お金が大切なのは わかる
お金は 寿 つまり 寿命を削った対価だ
たとえば 派遣社員は どうがんばっても 月15万円
企業の勝手で 搾取されている
しかしね 怖いのはね 正当な対価でない場合
そのギャップはね 天に 記録されているよ
銀行の これまでの 所行もね
低金利で 国民に支払うべき 利息を 喰ったよね
それで 何事もなかったように のうのうと しておれると
思っているのかな
かつて 仮登記担保 及び 譲渡担保で 何をしてきたか
そうした 罪を 消せるとでも 思っているのかな
勝手がすぎるね
天は そう 甘くないよ
そして 組織と身分に安住している方々 堕落したね
すでに その間 でたらめが すぎた
ビジネスと称して 何をしてきたのか
まっとうなビジネスをしてきたものは 少ないね
国家を 喰い物にしてきた方々も 多いね
犠牲となったものたちは 黙っているように 思っているかも知れない
死人に口なしとばかりに
そうは いかない
時を待っているだけだよ 復讐のね
往復だ 必ず 帰ってくる
黄泉の世界は 現実と 真反対だと思って良い
真実 事実の世界だよ
人間の 自分勝手は 通らない
やがて 思い知る
生きている間に それが 現れなくてもね
死んでから わかるよ
だから 生きている間に 懺悔だね
生きている間に 死ぬことだね
それが 即身成仏だ
昔より 大死一番 と 言われている
死人となりて なり果てて とね
そうして 真実 すなわち 神仏との邂逅 が
あるのだね
空となって 満ちてくるものがある
放たば 満てり だ
何が 満つるか お楽しみです
人生は 潮の 干満だ
時代も そうだよ
待てば 海路に 日和 あり
ほんとうに なごめる 日が来る
信じて いいよ
だから 身心において 諸悪莫作 だ
それから 富を得る秘訣だけどね
あくせく まじめに はたらくだけでは だめだね
そうして ある 真実に気づく 必要がある
世に流布している成功論では 足りない
究極はね ヨブ記だよ
聖書の内容はね ただの物語ではない
真実の記録だよ
人間の神秘の可能性だよ
だれだって モーゼにもなれる
いくつかの 条件を 満たせばね
しかし 往々にして その条件を 知らない
探そうともしない そして
自分勝手なことを 思っている
自分勝手なことを している
それでは 富は来ない
富は 来るものだよ
神も 来るものだよ
如来だね
さらに 如来は 如来になってみなければ わからない
人生って おもしろいよ
壮大な ゲームだよ
あがりは ある
生まれながらに 運命づけられている
何か 失われた 大切なことに
気づいたものが ほんとうの 勝ち組だ
神仏が かれらに ほほえむ
人生は 自ずから 開ける
それまでの 青春だ
だから 若い人たちも 必ず こうした
夢の実現のあることを 信じてほしい
世の腐敗の中で 負けないでほしい
真実の 声に 耳を 傾けてほしい
真実は 決して 裏切ることはない
まじめで 正直であることは 目的ではない
むしろ 手段だ
まじめと 正直と 努力の むこうに
新たに 開ける 自由が ある
だれも 教えてくれなかったね
しかし 時代も追いついた
庶民のレベルで こうした 自由と富を
手にすることができる 時代 と なりました
さて 大正天皇は ノイローゼ だったのかな
それには 大正念を なさしむ と 法華経にある
ノイローゼの 主たる原因は 恋の悩みから 発する
自己において 主観と客観が乖離する
現実から落ちこぼれとなる
で どうして その種が 日本にも 運命づけられたか
世の腐敗の故だよ だから
ビートルズたちも 罪は重い
ビートルズ信者には 申し訳ないが
麻薬に 等しい
日本純粋精神にとってはね
こうした 毒が 蔓延している
そして 雑草の時代となったのだ
それほど 雑草に 価値があるのかね
それなら どうして 下草は 刈るのかね
自分勝手も ほどがあるとは このことだ
雑草も 生きることができるのは 良い
しかし 雑草だけの世の中になってどうするのか
自然が それを ゆるすとでも 思っているのか
雑草が 蔓延った
雑草には 雑草の 位置がある
森林の主は 樫の木である (呉市の木は樫の木だったかな)
雑草の侵略はゆるさない
この傾向はどこから始まったのか
何を原因とする結果なのか
敗戦である その後の間違えた民主主義教育の結果である
アメリカの占領政策の目的は 日本の本来の精神を骨抜きにすることだった
それが 功を奏したか
イギリスも フランスも 階層国家である
日本において その階層は 無視された
それで 日本精神が 瀕死の状態となった と 云える
自由を得た 魑魅魍魎が 好き放題する国となった
その間 知的階級も どうしてよいかわからないまま 傍観した
今 凶悪犯罪国家となっているのも うなづける
また ビートルズは 麻薬に等しいという理由
それは アヘン戦争と 同じ構図 と 云える
ローリングストーンズのように 悪を 悪のまま 演ずるなら
まだいい
ビートルズはどうか いかにも 紳士あるいは正義ぶってはいないか
問題は この 偽善にある
魑魅魍魎を勘違いさせた かれらは 自由を得た
この度 私の家が 雨漏りした
かかりつけの人に みてもらうと 瓦が 何枚か 割れていた
写真を撮ってあげましょうか と 言われた
まだ 割れ口が 白いでしょ と
どういうことか
最近 テレビアンテナを 立て直してもらった
そのとき 瓦が何枚か めくれている とのことだったそうだ
そうでは あるまい
これまで 雨漏りなどしていない
問題は この種の 嘘である
正直さ がなくなってしまった
これを ビジネスと 称している
追加オプションで 予定を 遙かに超えて 設置代金は支払った
ビジネスと称して 何をしているのか
この件に関しては 具体的には 不問とした
今 この世の腐敗は 自分計算による嘘 に 基づく
わからないと思っている
いつかは バレル のに
戦後占領政策の 帰結であろうか
そうした 魑魅魍魎跋扈の時代となった
共和制の限界 と 云うべきであろうか
反省するべきは ここである
だれかが 云わねばならなかったことである
だれも 云うことができないでいたことである
本来の 古来日本に もどろうではないか
民として ほんとうの 幸せな 生活と 人生を 確保するために
卑弥呼の系譜 古来大和 神國日本の価値 思い知るべき頃である
第二次世界大戦には 神風は 吹かなかった
何故か
そのチカラが リーダー達に なかったのだね
無理もない 正統ではなかったのだから
ペリー来航に乗じた 下級精神の 支配だったのだからね
その時 支配は 譲られた 江戸無血開城であった
しかし 異端の悲しさ 本来古来日本を 裏切り続けたよね
その帰結が 敗戦であり バブルの崩壊だった
ここに 至って それが 証明された
また あらゆる 歴史解釈が まちがっていた
日本古来の精神を知らずしての解釈であったからである
武将達の 繊細な こころ 感性を 知らないもの達の 解釈であった
精神の繊細なくしては 武将にはなれない 戦に勝てぬ
神仏に好かれずして 神仏は微笑まない
教育もそうである
江戸の頃 どれだけ 精神が 成就していたであろうか
そうしたことを 知らないで 低い精神での 教育だった
古来日本を 無視した あるいは 愚弄した 教育だった
私の 小学校の頃までは まだ 高等師範の精神 が 生きていた
しかし その後は どうなったか
日本古来純粋繊細精神は 息絶え絶えとなった
さて 本来古来の日本に帰り
ほんとうの 民主主義国家を この世に 建設しようではないか
日本はどうあるべきか その形を議論するべき頃ですね
しかし それらのことは それぞれの当事者に お任せして
私は 私の言葉を 歌うことを 始めましょうか
文体は人格 魂の声の響き
源氏物語においても そうだった
枕草子の 明るく かわいい声が 懐かしい
私におきましては あらゆる謎が 解かれました
晴れて 自由 と なりました
自由の歌を 歌う 時節です
言論の自由です 何を言っても良いのです
恣意的中傷誹謗 で なければね
公の真実であれば どこまで 云ってもかまわない
それが 言論の自由です
それを あたたかな 言葉で 表現するのも良いですね
言葉には 周波数があるのです
神仏宇宙自然生命黄泉祖先 と 同調する 言葉もあるのです
それが ロゴス です
この ロゴス 誰にもあるわけではありません
DNAに その 種を 要します
しかし だれもが その可能性を秘めているのです
すなわち 言霊 さきわう 國 日本
言葉も 二千年も経てば 命が やどるのです
この事実 真実 大切にしたいものですね
おだやかさの 中で 幸せに 生きる 自由
みなさんの世界にも 開けますように
そのためには どうするか
戦後の方法論は 悉く 失敗に 帰しました
古来日本精神に 謎を解く鍵が 秘められています
日本は この種の 宝庫です
見直したいものですね 自然四季に満ちた ほほえみ世界 日本
やさしさへ 向けて 花咲く 日本
日本発見 新しい 時代の 始まりですね
Welcome to Japan !
かつて 静かに しかし 確かに テイク・オフ との 号令があった
覚えているだろうか
そして おだやかに 離陸した
時代は 静かに 満ちている
面舵は いっぱいに 切られた
これより 方法は なかったからである
400年周期説に基づく 時代の大変換は
成功裡に推移している 知るものは知る
この時と潮に 乗るのか それとも 流されるのか
それぞれの 選択 ですね
ある日 父は 云った
コカ・コーラのくびれたグラスが割れたときである
壊れたグラスをもとにもどせ
時代に対して云うに云えぬ知るものとして代々のもどかしさがあったであろう
その無念も晴らしたようだ
私が 自由を得たことで 祖先たちも 成仏したことであろう
天でごはすよ 人生は 田原坂 『天』という歌が流れている
枉げて通れぬ道がある と
(NHK−AM 2006/06/28 12:50pm)
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2006年06月27日
自由について
自由というとき、何を以って自由というべきか。 キャプテン・ドレイクによるアマルダ海戦の勝利が何をもたらしたか。イギリスにおいて、ピューリタン革命・名誉革命を通して、 それは、フランスの市民革命に至った。ここで市民の解放があった。その間、アメリカにおいて、 リンカーンによる奴隷の解放があった。そして、現代において庶民の解放がなされつつある。貴族の間で、たとえば、 さまざまな絵画は寝室において自由であった。それらの特権が解放されていく。時代の流れである。 人間が本来求めていたことが実現されていくのである。政治は人間の欲望の現実化と定義される。何が言いたいか。 時代の流れがある。どこへ向けて流れているか。たとえば海へである。人間の欲望が解放されつつある。それで良いと思う。しかし、 犯罪化傾向は厳しく取り締まるべきである。たとえば、ハンセン病も克服された。精神の病気においても、善玉と悪玉がある。 人間の欲望の解放がすべて悪いのではない。それが、人間の求める幸せの形であるならば、実現しなければならない。しかし、 何事も証明を必要とする。そうしなければ、定理として使えない。証明できる人は限られている。神を証明する人もいる。 精神の病気の善玉・悪玉を証明する人もいる。あたかもジェンナーである。経験を通して証明する。一番槍である。それで、 個々のタブーが破られる。その証明は千尋の谷の一本の丸木橋に等しい。勇気を要する。誰かが渡る。その後で、 みんなが渡れるようになる。今、明らかに、世界は、ひとつの理念として、民主主義を選択している。 その過程で進むべき道を模索している。自由であって良い。平等であって良い。何を以って平等であるか。 特権の限りない庶民化である。いわゆるアダルトもその例外ではない。しかし、運用は慎重を要する。この件に関しては、大人に、 厳格に限定されるべきである。個人の責任を自覚している者に限る。教育の問題が遅れている。 日本の精神の清浄な価値は価値として遺す。しかし、世界の歴史の流れは受容する。難しい運転である。犯罪としては取り締まる。 人間の自由の解放は流れに任す。強制しても無理である。しかし、そのスピードは制御して良い。 運転能力のない者には制限するべきである。この意味、わかるであろうか。そのように思った。具体的には、 権利としてのプライベートの確立である。プライベートにするべきものを決める。そして、大人と子供の峻別である。 蓋をしても蒸気は漏れる。密閉しては爆発する。このあたりの常識化である。時代の流れを正確につかむ必要がある。 時代は流れている。その流れを知るには源泉を知る必要はある。しかし、人類の歴史はすでに下流まできている。 かつての特権の庶民化であると思えば、考え方はシンプルとなる。自由であって良い。但し、時代の流れにおいて、 尚早であることもある。麻薬などはその例である。あくまでも、目的はくらしであり、人間の幸福である。 社会生活において害悪は厳重に排除する。人格形成において大切な価値は価値とする。昼の社会と夜のプライベートの峻別をする。 社会のリーダーに対して、敬意を表する。自由の運用は慎重にするべきこととして慎む。少なくとも、公の電波等では慎む。 それに対して、タブーとしての道徳的規範を見直す。或いは払拭する。西洋の流れに学びつつ、時代の流れを正確に把握する。 そして、現代の在るべき文化を推進する。それで良い。そのように思われる。文化的社会の涵養が大切であり、その意味で、 過剰な経済至上主義は反省が必要でしょうね。人間の幸せは、お金ではないのは、昔より明らかなのだから。人間はパンのみにて・・ ・を待つまでもなく。精神の力を、ここで、思い出して、そして、新しい自由を実現することで、 良い社会を復活できるように思われる。もはや現実を古い道徳で縛ることはできない。幸せは、心の交流の自由であり、関係である。 ここを忘れていた。良い方向へ。この基盤を得て、健全な欲望実現のための裕福さの追及は良いことだと思われる。これから、 人格としての善悪の色がはっきりしてくる。今まで、十把人辛げに悪としてきた中にも善玉があったことがわかってくる。 文学において芸術性があれば善であることも、もっぱら傾向犯的であれば悪である。ハッカーとクラッカーの差に等しい。 見極めるべきはここである。本来の自由を求めているのに、蓋をすればどうなるか。社会政策の課題であるように思われる。 社会が健全な欲望実現のシステムを保障されることで、デフレと犯罪化傾向の問題の多くが解決できると思われる。しかし、 理想的には、やはり、根本は心のあり方である。だが、心の地平に至ることは、まだ、当分、現代社会は、時間がかかる。因って、 理想へ向かって、この現実で何をするべきか。時代の方向を正確に見極めることである。人間の願いは何か。しかしこれらの自由・ 欲望は何故縛られていたかを考えると、その取締りは、厳格でなければならないでしょうね。自由・欲望を手に入れるということは、 その運用において、その当事者は、より責任を持たなければならない。他者に対して、あるいは、 社会に対して害悪となる可能性を、 必然的に内在しているから。今までは過渡期だったから、あいまいな部分が多く、 被害もあった。ここで、基準を決めて、 社会として、そして、その中で暮らしている人間として、自由・欲望においても、 安全を得ることができると思われます。そして、 本来の幸せを獲得できますね。(ところで、多くの道徳について、本来、 女性はあまり重きを置いていない。むしろ、 生命の存続を無意識に願い、あるいは知っている。その意味では、当然、嘘もつく。 しかし、それ故に、 生命が持続するということがある。道徳よりも、生命にとって必要なことを知っている。生きるということが、 どれほど、 ある意味で残酷であるかを本能的に知っている。だから、ゲイ現象も起こってくる。 社会的に安住してきた男性にはわからない論理がある。)
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〜若い人たちへのメッセージ〜 記念碑として
〜若い人たちへのメッセージ〜 記念碑として
新パラダイス開拓団。
クラシック音楽が今も生きている。
バックハウスはベートーベン、ハンマークラービア。
今度は、山頭火になったみたい。
涙をこらえるにはつらいよね。
誰と会話する、自然とだ。
いつも会話していた。
誰も聴いては呉れなかった。
いつも私が悪者にされた。
悪いのは、君たちだよ。やはり。
もう、何もなくなってしまった。
バカどもといっしょに死にはしない。
ついてくるモノだけついてくればいい。
アジサシは、南極カラ北極間を旅をする。
どこかに新天地パラダイスはある。
私たちだけが知っている。
自分自身を研ぎ澄ます。自分自身を道具とする。
人類の英知をこき集めて。
いつも、最先端のパイオニア達には地図はない。
大航海時代もそうだった。
何を信じるのか。
羅針盤は、唯一、自分自身である。
面倒だ。なにもかも。
面倒は、さようなら。
ゲルマン民族の大移動。
新しい王国を作る。
君たちは今のまま沈むがいい。
私たちは生き残る。
これより新ミュージック歴代記のはじまりか。
武器よバイバイ。
いつも聞こえていた時代の声。
スタンドバイミー。
時代の通奏低音とフラッグシップはぼくたちの仕事だったんだろうか。
何時の世も。
Genuine goods アンティークをもとめての旅の始まりかも知れない。
唯一の私の具体的理解者テッチャンとのね。
お店の名前は、『アンティークブティックKURE』ってのはどうでしょう。
生まれてきたことの意味は、この人生をひとつの芸術として生きることだったのかも知れない。
後世のためにね。
もうチカラをぬいていいんだと思う。
悲しい目のままで自分の王国を建設すればいいさ。
ドコにもはたらくところがない。
だから、詩でもかいている。
2005/09/27 ハンマークラービアを聴きながら
しかし、みんな勝ったつもりでいる。安住している。勝手にするがいいさ。
上には上がある。ごめんだね。時代は変わったよ。
少しははたらいてみたら。もう、君たちの所得は零だよ。
バブルの穴は、国民の総預金高と同じだよ。
祇園精舎の鐘の声。
見苦しい、聞き苦しい。古くさい。
矢でも鉄砲でも持ってこい?
誰の言葉だろうね。いつでもいいよ。
とか、風の声。
私の好きだった漫画の一つに『カムイ外伝』がある。
世の芸術家はインスピレーションしか知らない。
出。エクスパイアレーションは誰が知っているのか。
そのために、何をしているのか。
昔、弁護士は三百代言だった。
結果責任主義。どういう意味か。責任。何に対する責任か。
ちくま教授が教えてくださった。
私は、かけ算の九九を五の段から習った。小学校2年生のことだった。
先生の名は、竹花先生。やはり広島高等師範卒だった。
小学校の頃、絵を一生懸命描いた。いつも入選していた。特選もあった。
小学校6年だったろうか。夜の川原石港を描いた。かなりの時間をかけた。
しかし、時の教頭先生が、白は色ではないということで却下した。
美術専科の橋本先生だったろうか、いつまでも台上で掲げてねばってくださった。
と、後で、風の音に聞いた。しかし、それで絵を描くことは止めた。
橋本先生からは、版画も習った。エッチングも習った。理論は中学時に音楽も含めて習得した。
その後、その教頭先生は寒い冬の朝、校舎の階段に足の親指をぶつけてヒビが入った。
家庭科の先生はひわだせんせいだった。
電気洗濯機の実践授業がおもしろかった。
(左足首が痛い。天気予報は乾燥注意報が出ているのに。)
最近、アトムの子とかいう。それはいい。
私は、もっと古い。
とか思った。雑感。
情緒。本来の読みはジョウショです。
私が小林秀雄を好きでない理由。中原中也に対する裏切り。
私は、ランボーが嫌いである。だから、ビヨロンの音など聴きたくはない。
今度は、パンセみたいになっている。P・ヴァレリィは好きである。
そのカイエ編が大好きだった。今は持っていない。ある頃、古本屋へ流した。
どのようにしてどのようなチカラをマスターするか。
得たものの秘伝である。
そして、そのチカラの運用・運転は得たものの自由である。
これが自由と言うことである。
勿論、自由には責任が伴う。
既に出ている結果についてもそうであるはずであるのに、まだ逃げようとしている者たちがいる。
自由個人主義の定義である。
風はどこから吹いているのか。見れば感じるはずであるのに。
周波数は、どこに合わせるべきか。Air!
林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。 洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。 明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.
●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、 海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、 だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、 あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)
≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、 貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫ (マルコによる福音書10-21)
≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫ (マルコによる福音書10-27)
そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、 求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」 の法則』p78)
だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
書物はいくら記してもきりがない。
学びすぎれば体が疲れる。
すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)
さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、 主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。 (ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。 正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、 雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、 天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、 だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、 多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、 ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。 そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。
●高齢化社会の中で、 インターネットを楽しみ、パソコン・ライフを実践することは、たとえば、かつて、新幹線ができたとき、新幹線に乗りたい、 といった気持ちを大切にして、つまり、自分の気持ちに素直になることではないでしょうか。東京オリンピックがあったとき、 カラーテレビで見たい、と思った頃の気持ちを。今、68歳の方も、まだ、あと10年は働ける社会が、始まっています。 だから、パソコンとインターネットを精一杯楽しむことをしてみましょう。しかし、何事も、案内人がいると、楽で安全です。 そこで、そのためのお手伝いができるなら、無上の喜びとするところです。また、図らずも、障害を持ってしまった方も、 パソコンをして、インターネットをして、それぞれが、楽しく、やさしく、生きていける時代が始まりました。だから、 みんなが、ほんとうの幸せを、もっと、楽しんでいい、と思われます。つまり、「周りが幸せになれば、その中にいる、自分も、 必ず、幸せである」という法則が実践されると、これが、「わかちあうこと」であり、つまり、全体のレベルが上がることで、 自分たちも、自然と楽な環境の中で生活してゆけるのです。一部の方だけが、利益を得る時代は、もう昨日までのことです。 だから、呉市だったら呉市中央公園へ出かけると、樹木がたくさんあって、美しく、整備されていて、お散歩するには最高です。 そこへ、パソコンを小脇に抱えて、あるいは、車椅子のひざの上において、出かけることも、きっと楽しいことです。 木漏れ日浴びて、そよ風吹いて。そして、小鳥たちが舞い降りてきます。もう、高齢者の方も、障害をもっておられる方も、 自分ごととして、インターネット社会へ、入っていける時です。その環境は整いました。しかし、情報は自分で管理する、 と言っても、それは難しいことです。それは専門家に任せて、自分たちは、この安全で楽しい、 そして最先端の技術であるインターネット空間を、思う存分享受し、豊かな、新しい暮らしを作り出していきましょう! インターネットは、私たち、庶民あるいは市民のものとなりました。【2004/11/20 Sat.】
そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。
(2005/09/27 16:47)
(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK−FMでミュージックプラザを聴きながら)
世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。
これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。
途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。
これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。
それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。
地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。
自分だけの地図が頼りだよ。
あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。
諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。
世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。
今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。
そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていること
を、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。
ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない人を知っている。」
これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。
ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、 その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、 どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』 を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、 フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、 その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、 一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。これを以て研究とは言うのですが、 我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。 その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。
今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。 時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。 次は孫の時代ですね。楽しみです。
表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。 喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。 場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。 剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、 構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。で、 うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。 これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。 場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。
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若い人へ:幸せになるための方法論として〜エクトン〜
(2005/10/24)
1992/3/3 (以下、読書ノート・メモです)
あなたにとって、一番良いアイディアを知っているのは、あなた自身です。あなたの選択について、年上の人たちがいかにあなたとは異なった感じを持とうと、あなたにできる唯一のことは、ゆるすこと。彼らには、あなたを受け入れさせることはできません。あなたが働きかけて、誰かに何かを感じさせることも、行為させることも、一切できない、それが真実なのです。
今やっていることは、やりたいことであり、一番必要なことです。どんな仕事に就こうと、人のためになっているということを知っていてください。援助する人。微笑み。
あなたが持つフィーリングで、現実に展開する未来が決まります。すべての創り出される現実、すべての創造物は、あなたのフィーリングから始まります。
本当にカウンセラーになりたいなら、それに必要なあらゆるステップをとっていきます。どのようなカウンセリングがいいか、情報収集してください。望む結果を得るために、ある種のトレーニングが必要なら、探して受けてください。あなたが、本当に望んでいれば、そのためのお金も引き付けます。
この瞬間、自分に必要な情報をすべて得ていると理解したら、この瞬間にもっと満足して生きることができます。必要な情報は、すべて与えられているのです。常に自分と自分の周りの世界に対する無条件の愛を選択します。暖かい、認める、理解する、気楽に。
あなたが、彼らの期待や欲求や、こうあってほしいという欲求に合わせて生きる必要は全然ないということです。自分に正直に生きてください。もっと得てください。愛と知性と意識の拡大。リラックス。あなたの真実はあなたのものです。
自分のその時々のムードが、周りの世界の見方にどのように影響しているか。自分のフィーリングが、周りの現実に如何に影響を与えているか、に気づきます。また、自分の欲求や希望が、ときに、魔法のように実現するのを経験し始めます。
誰も、外側に責める人などいない。
自分自身以外に、なにも信じる必要がないとしたら、あなたは、天国に入ります。あなたが、愛を感じること。自分が、自分の経験する現実の全てを創り出していることを認めることです。自分の源から分かち合って、他の人に与える。本当は、あなたは既に全てを知っていて、この瞬間に知る必要のある物事は、すべて知る能力を持っています。
あなたが経験する、毎瞬毎瞬が、過ぎ去るショーです。執着すべきものは何もありません。目の前に展開されているショーを眺めていればいいのです。
相手が自分の「鏡」であると知っている二人が出逢うと、神と女神の出逢いです。
自分の前に展開されるショーはすべて、自分の内側にある創造性の表現だと気づいたとき、あなたは、もっとパワフルになります。この世界に生まれてきた目的は、肉体をもって生を生きるということを経験し、楽しむためです。
自由は、闘って勝ち取るものではなく、自由を感じることを、自分に許すことからやってきます。何かから逃れようとするのではなく、自分の望む新しい状態に向かって移動するときに、望むことを得ることができます。
直観に基づいて選択することには、なにも間違いはありません。安心感と希望。彼らが、すでに内側でしている選択に、気づかせてあげることです。できるだけ、広がりのある、愛情に満ちた形で表現することです。信用すればするほど効果的に作用してくれます。
フィーリングにしたがって行動することが、一番良いい。意識を、自分より深い欲求に合わせていく習慣をつける。思ってしまった以上、否定しない方がいい。エネルギーの高い状態になると、ある種の磁力を発生する。自分の内側で、自分を養い愛していい、という感覚、そうした意思を持つとき、それが外の世界に投影されて、お金が豊かさとなってやってきます。
豊かさは、自分自身と自分の周りの世界との関わりに於いて、でき得るかぎり、最も価値ある人生を実現しよう、という深い選択と意思に基づいてやって来ます。自分の選択した方向に向かう意思を明確に持てば、それを得るために必要なステップは、、一度に全てが現れないにせよ、毎瞬毎瞬、あなたに明らかにされます。その瞬間をあなたが本当に自分でそれを望んでやっているかどうかということだけが基準です。「自分が自分の現実を創り出す」ということを、その人に話す前に、相手の人のおなかが十分に充たされていることを先ず確認してください。基本的な欲求が満たされていなければ、哲学を受け入れることは困難です。
望みの実現が、自然に、心から信じられることが、それを実現する上で、大切なポイントとなります。種を蒔いた後に、取るべき行動は、必要に応じてあなたに明かされます。自分の人生の質を向上させて、喜びと幸せに満ちた生活。罪悪感を動機にした行動からは、いかなる行動であれ、望んだ結果は得られません。意識を最もフォーカスするものが、自分の現実となります。
それを変える一番いい方法は、それを「受け入れる」ことです。・・・(あらゆる失敗は)あなたが具体的でなかったからです。あらゆる関係は永遠です。終わりはありません。今、あなたがイメージの中で見たものを、深いところから欲しいと思っているなら、あなたは何らかの形で、現実に経験する出来事を創るはずです。
あなたが、自分の創り出したその人に対して、自分を表現しよう、開こうという気持ちがあったなら、相手の人があなたを見つけないでいることは、不可能です。自分自身をそのまま受け入れることによって、磁力的になります。心地のいい目だな、と感じることもあるし、隠し事があるように見えることもあります。求める人間関係を、完全な自分が、自分へのプレゼントとして引き寄せるものを受け取ってください。理由づけが少なければ少ないほど、あなたの人生はマジカルに、エキサイティングに、生き生きとするでしょう。
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2006年06月26日
一大事畢了
ありのままで 生きてゆける
何も 無理をすることはない
どうして このようなことになったのか
常に 理想を 求めていたのか
それもあった
さて 力を抜いて
生きてゆけそうだ
やっと 求めていたものが
手に入った
この世の 制空権である
それ故である
生まれた時から 一人で
戦っていたようだ
何とだっただろう
祖先達の無念をはらすため
であったのだろうか
一身で背負うには 重すぎた
何時の頃からか 明治をなきものにする
と 思っていた もう それさえも
忘れようとしている
過去は 乗り越えるためにある
この度の作業を始めたのは
昨年11月26日だったろうか
まる七ヶ月 要した
時をかければ 夢もかなう
秀吉の三夜城ではないが
この城 落とせないでしょうね
守備は 宇宙自然生命黄泉祖先
鉄壁である 万軍の主も味方についた
日月照らし 風が吹く
砦は城塞となった
始まりは生まれてからのことだった
どうも 予定されていたらしい
そして 突貫工事が始まったのは
七ヶ月前だった
いつまでも 暗中模索していた
何がしたいのか 明確ではなかった
何時の頃からか 神及び黄泉が
手伝ったようだ
導かれてのことだった
いつの間にか この 城塞が
できあがった
できあがったとき 自分自身に
気づいた
孤軍奮闘していた頃が 懐かしい
生まれた使命は果たしたようだ
これで 重荷を 降ろす
会津 白虎隊は 生きていた
その 無念は 晴らした
黄泉の國にて その敵は討った
ように思っている
仇の首は 取り 黄泉の國にて さらしてある
少し 疲れたようだ
何度か命を落としかけた
よくぞ 戦い抜いた
捨て身となって 最終突破 三方原となった
横須賀には 原子力空母ジョー・ワシントンも配備される
しかし 何もかも 失ったと思ったら
黄泉の守護のあることに気づいた
これで 大安心を 得た
一大事畢了である
戦いは終わった
これより 私の戦後復興である
しかし 独り相撲だったのかも 知れない
今となっては 何もかも アブザード
これより 気楽に生きるしかないね
十分に これまで ひとり 生きてきた
自己開発は 果たした
精神世界は 制覇したよ
そう思っている
読むものがなくなったら
書き始める
吉田健一氏が云っていた
文筆家にでもなろうかな
と 思っている
それだけの ことはしてきた
見てきた と 思っている
いつも 時代の声を 聞いていた
スタンドバイミー
いつも 黄泉から 見護られていた
この実存を 伝えることができると
いいね
確かな 経験的幸福論
伝えておきたいものがある
身分及び組織に安住するものには
決して わからぬ
ほんとうに 強いということが
どういうことであるか
神仏を畏れぬ あるいは
日本古来本来の価値を
無視及び愚弄したる
下級精神の支配による
腐敗の中で見失われた
卑弥呼の系譜 法華経 宿王華
尊祖父及び祖父直伝 Japan 純粋精神
すなわち 身心清浄
のこしておきたい
ものがある
祖父によってであろう 折られた
家伝 螺鈿の槍である
かつて 社会は 私及び本来の日本を 捨てた と 思っていた
そして 好き勝手している と 思っていた
それで にっちもさっちもいかなくなった と
そして 腐敗した と
何もかも 気に入らなかった
あらゆる 解釈に 欺瞞を 感じていた
自分解釈 嘘が 含まれている と
世間虚仮 唯佛是真 と
呉に 海洋少年団があった
入ろうとしたが 父によって 反対された
小学校の頃には 剣道をしていた
防具も借りて
県警 窪園七段だったろうか
かかり稽古も してもらった
しかし 剣道も 父によって 反対された
父は 知っていたのであろう
現代日本の 悉くが 無価値であることを
父は 予科練の 教官もしたと 言っていた
しかし その 真偽は 明らかではない
今 その意味は 理解している
そして
家に 真新しい 海軍の毛布と 落下傘の
ケンパス 及び 絹の紐 が
あったのは 事実である
父は カムチャッカに いたと 聞いている
その他 桑原家の 縁の方々が どこにいたのか
詳細は知らない ただ 台湾については
聞いている
祖父の遺した その面々の アルバムは ある
因って 日本を愚弄し腐敗せしめ裏切りしもの達を 決して
ゆるさぬとする 黄泉の意思
理解して貰えるであろうか
ある日 父は言った 私も同じだった と
おまえは大丈夫だ 私の子だと
それにしては 時間が かかりすぎた
精錬するべきものが 多すぎたと 云うべきか
しかし 世の中 代々の掟は 掟である
今も 昔も 変わりはしない
それを 無視したる面々 覚悟あるべし
事実として 純粋精神を 傷つけしは 黄泉よりの
相応の サンクションあるのみ
この世の 秘密開示 の 時節である
何故か
無事 歴代の真実が 誕生したからである
仮の権利ではない 歴代の本権として 行使するべきものがある
娘道成寺の道 成就されたればなり
最後の隹が 羽ばたいたが 故なり
この道 もはや 誰も 邪魔無し
縁とは何か 誰との縁か 生命の奥義
よくよく 憶念するべし と 申しおき候
このような ばかなことを思っていた
男が ひとり いても いいよね
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21世紀幸せ研究所設立
長い旅だった
何がしたいのかわからないままだった
しかし ここに至って 見つかった
自分のほんとうにしたかったこと
すなわちそれが 幸せ研究所
十分に読書した
十分に思索した
十分に修行もさせて頂いた
そして 見るべきものは 見た
得るべき チカラも 得た
自分が 何者かも 知った
それで 設立である
21世紀幸せ研究所
少し 疲れたようだ
身も心も 限界だ
しばらく ゆっくり しよう
もう ゆっくりして 良い と 思う
長い 旅だった
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思ってみれば
これでよかったのだろう
すべては恵まれていた
これ以上ない ものを 持って 生まれていた
しかし 時は 無駄なように 過ぎ去った
わたしにとって 時は 青春のままだった
その間 何を見てきたか 何をしてきたか
夢のようである
およそ 不思議な経験を 体験している
今となっては すべて 夢だった
まるで 倩女離魂 だった
しかし これで よかったのだろう
夢は 成就した
おそらく この世で 最高の チカラ を 得た
それは 今更 云うべくもない
大きな 犬をも ふるえあがらせる チカラ である
台風をも 制御する チカラ である
しかし もはや それを 行使 しようとも 思わぬ
その他 いろいろな 事を 見た
橋のたもとで 目の前に 獲物を鷲づかみにした 大鳥が 舞い降りたこともある
山道に迷ったときには 鳥が 導いてくれた
確かに 真実真理 と 邂逅した
この 事実は 事実である
そして あらゆる 謎が 解けた と 思った
汝自身を知れ の 汝とは 自分自身だった
これで良かった のだ と 思う
今 思ってみれば すべては 知らしめんが為に で あった
何を知らしめんとしたのか
自己自身を である
その 自己自身 とは 何であったか
もはや 秘密である
仏法は 王法に 合し 王法は 仏法に 瞑した
外は 雨が降っている 強いが やさしい 雨である
京都を旅行したことがある その時も 雨が降っていた
細くて 長い雨脚の 絹の糸のような 密度のある 美しく やさしい おだやかな雨だった
京都嵯峨野大覚寺あたりのことだった
いつもの ポプラ で お酒とおむすび を 買った
お酒は ブラックニッカ 180ml 299円 父の好きだったラベルである
さきほど 東北地方で 地震があった 津波の心配はないという
(2006/06/26 3:32am NHK-FM 加藤登紀子 『愛の賛歌』 『バラ色の人生』(1946) 『愛しかない』 を聞きながら)
and now all is good from now on I would like to live my own way and my true life certainly.
午前3時45分 広島 呉 に 大雨洪水警報発令 とのこと 24時間に雨量140ミリに達するおそれがあるとのこと 3:52am 風はない 今日の仕事のために眠ることにする good night
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人の花
人それぞれの顔がある
それぞれの花を咲かせている
いい目をしている人がいる
邪悪な目をしている人がいる
目を見ると およそ 見当がつく
詐欺恐喝師の目は詐欺恐喝師の目である
どのような目をしているか
邪悪な目である 虹彩がない
人を見るときは 目を見ると良い
信ずるに 値するかどうか わかる
しかし いい目をしていても
話してみると さほどではない人もいる
騙されないことだ
騙さば 騙される
人為には 勝てない
信用しすぎないように
善人に見えても エゴであるのが 人間である
自分の利益のために 生きているのが 人間である
しかし ほんとうに 良い人は いる
人は 信ずるに 値する
そのような人に めぐり逢いたいね
そのような 縁の中で 暮らしてゆきたいね
人の姿をしていても いろいろ である
蟻もいれば 蛇も いる
人間観察の妙 また 楽しからず哉
人に 迫力がある
本気になったときに それは 現れる
本気になって どれだけの チカラがあるか
神仏をも動かすチカラがあるかどうか
およそ 人格の差がある
はじめより 勝負は 決まっている
暴力では どうにも ならない
知力の差が ある
小手先ではない 神仏の守護を得た 知力がある
これを使えば あるいは 使わなくとも
黄泉は見ている そして 助力する
神通力 あるいは 如来の神力 は ある
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2006年06月25日
魑魅魍魎の自由
魑魅魍魎が自由を得て 跋扈している
かれらは パンドラの箱を開けた
そして なにもかも 喰ってしまった
喰ってはならないものまで 喰ってしまった
あるいは 喰おうとした
そういうこととは 知らなかった
どういうことだ
そういうことだ
あなたがたは パンドラの箱を 開けた
そして 自由と 思った
そして 好き勝手 した
ちがう
その間 何もかも 喰った
そして 喰ってはならないものまで
喰おうとした
それで 眠れる子を 起こしてしまったのだ
それで 本来の自然が芽生えた
あたかも オレンジ仕掛けの時計のように
時がきた
そして 眠れる子が 起きた
起きたからには 仕方ない
観念するしかない
泣きやむまで 待つしかない
ネコと子供には 先に 食事をさせろ
そうであるのに 食事をさせない
それで 済むと思っているのか
それで 済むと思っているのが
魑魅魍魎の自由であろうか
知らなかったとはいえ 罪は罪である
罪とは何か 本来の秩序に反することである
あなたがたは 度を過ぎた
人間であることを 放棄したかのように
自分たちの 勝手な解釈で 世を染めた
それで 済むと 思っているのか
本当に それで 済むと 思っているのか
真実真理を まだ 愚弄するか
知的傍観者は いかにも 知ったかのように
悪に 迎合しようとしている
何も 知ってはいないではないか
知っていたなら このような 馬鹿げた世に
なってはいなかったはずだ
さて どうするのか
責任は とってもらう
色々と 聞いていることがある
今更 詮索はしない
しかし 真実真理に背いた事実は 天に 記録されている
時が来れば その 裁きがある
今 その時が きている
裁くのは 神である とは 聖書のいうところである
悪とは何か 神の意志 あるいは 感性に 反することである
あなたがたの 解釈に よる のではない
神は むしろ きまぐれである 自然が 神である
自然を怒らせない方が良い まだ わかっていない
仏の顔も 三度まで と 決まっている
堪忍袋の緒も切れる 切れるとどうなるか
知らぬ訳でもなかろう
いい加減にした方が良い
神は 無理な要求をしているのではない
存在を認め ただ 畏れよ と 云っている
昔より そう である
敬虔と 謙虚さとを とりもどせ と 云っている
それらが まだ 世間を支配する魑魅魍魎に 見られない
それを 憤っている 公憤である
何を以て 善とするか 悪とするか 勉学するべし
善は 佛さんの所にしかない
いい加減にしないか
しかし このようなことも もはや どうでもいい
今までのことは 今までのこと
これからのことは これからのこと
思うようにならなければ それは縁なきこと
やがて 思うような縁が来る
縁は常にひとつでしかない
縁なき縁を切らねば次の縁は来ない
縁は黄泉よりやってくる 自分にふさわしく
その時々の自分を因としてね
因って 縁も自分次第と云える
良き縁を結ぶ ためには 良き自分となっておく
それだけの自己を発見しておく
そして 自覚しておく 汝自身を知れ
一切の 煩わしさから 解放されて
例えば 何もかも 気にせずに 誰か 愛する人と
静かに 暮らすことができると良い と 思っている
今更 世の喧噪に身をさらし その 犠牲となる気はない
ほんとうの しあわせを 手にできる と 思っている
残りの人生を ふさわしく まっとうできる と 思っている
必ず そうなる と 思っている
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みんな幸せを求めている
この世に生を受けて みんな 幸せになりたい
過去から 代々 幸せを 望み 目指してきた
しかし 悲しい現実
これはね 過去を清算する必要があるのだね
つまり 発生段階において 形態的に アメーバから
過去の姿を 経由して 人間となる
人間となってから 心の問題としても
過去を通らねばならない
そして 多くは その過程を突破できない
悲しみの過去に とどまる
悲しみの過去を 突破するにはどうするか
身心清浄 すなわち修行
過去を乗り越えると 幸せの大地が 広がってるよ
こころにおいて 過去を乗り越える
そのためには 勉学と努力 だね
申し訳ないけれど 知性だね 感性だね
ひとそれぞれに 持って生まれた差はある
しかし それぞれに 幸せの 可能性がある
平等即差別だね
このあたりを無視して なお 好き勝手している
こころは 過去のまま
幸せにはなれないね
幸せの条件 わかってもらえたかな
みんな 幸せへ 行ける
だから そのために 選択の自由として 保障するべきものがある
それで 悪は ゆるせない
詐欺も欺罔も暴力も ゆるせない
この道に反することを ゆるせない
しかし 世間は これを 知らない
知らないから まだ 詐欺も 暴力も している
究極の強さは 神仏に守護されること
それでも 刃向かわんとしている
さて 開発し 発見した 魂の周波数がある
これをもって如何せん
一隅を照らす すなわち この周波数を 伝搬する
そのために 存在する 勉学する
それが これからの 仕事
自覚ありて 風の吹く 日の照らす
真実を 伝えん これからの 仕事として
あるべき姿を 確立せん 思いを 形とせん
世界は待っている みんなの 喜びの姿を
喜びを 恵まん 恵む人は 恵まれる
愛する人は 愛される 自分次第だね
周りが幸せであると その中の自分も 必ず 幸せである
素質と環境で人格はできる
環境とは エーテルのように 周囲を満たしている 霊達
良い霊と 仲良しになりたいものですね
周囲を 楽しい霊で 満たしたいものですね
目指すべきは 人格の形成
幸せも その人格を好きになってくれる 霊達の 成せる業
自然に好かれる 宇宙に受容される 守護される
それは 過去の 霊達に 認められることかも知れないね
そして 自己の魂を 育成していく
良い人格となって その人格を 魂に託して 未来へ つなげる
ただ それだけのことだよ 人生は
生まれてきた使命は これに気づき 幸せとなることだよ
なにも 心配することはない
気づくまでの 試練だ
気づけば 幸せ世界が 広がっている
自分の力で成就するものなどない
自分の力で為すべきは 人格 品格 の 涵養と 維持だね
それを 忘れて 何をしても 悪の結果
そろそろ 気づくべき 頃だね 21世紀の意味
やさしさで すべては 解決する方へ
そのための 勉学 努力 大切にしたいね
おだやかさへ シフとしたいね
凶暴性から さよなら したいよね
開発するべきは こころ 自己
物質文明の時代は 終焉した
こころの開発は 最も おくれて やってくる
現実の悲しみを 勉学 努力で 耐えて 乗り越えると
やがて その存在は 天界へ 引き上げられる
それが 幸せの形である
そして その後の人生の展開となる
天下をとるとは この展開へ至る 過程に過ぎない
天下を取るとは 自己の悪性を精錬して 焼き尽くし
神仏宇宙自然生命に受容され守護されることである
万軍の主も味方につく 思いは黄泉が助力し 実行し 実現する
このメカニズム 宇宙自然生命の真理真実であり 秘密です
自己の魂が 至って 開示される
すなわち 如来である 如来でなければ如来はわからない
如来の地図が 法華経
そこで 伝えられしは 一切種智慧 と 宿王華
宿王華開花 の 時節です
しばらく 本末転倒 民の支配だった
しかし その支配は 結果 腐敗
当然のことではありました
その腐敗が 土壌となって
純粋精神 宿王華 開花 です
時は来ました
(2006/06/25 8:11 NHK-AM ビーバー作曲の音楽『ロザリオのソナタ』『ラメント(嘆きの歌)・・・キリストの御心が実現されますようにと主に祈るその情景を託した歌・・・切々と悲愴なメロディを奏でる』を聞きながら 彼はバッハ及びヘンデルより40歳も先輩 この頃から宮廷音楽はあった 2時間にも及ぶ大曲 キリストの運命を見守るマリアがモチーフ 深くて清祥な祈りのような音楽 音楽として悪性が精錬されて結晶した宝石のよう[ヨウは尊祖父千畝の妻の名] モンテベルディの和声を思い出しますね・・・清祥な音楽に触れてその周波数で魂は浄化されるのですね・・・良い朝です・・・良い傾向です・・・世界はかくも美しい至宝で満たされている・・・NHKさん いつも ありがとう ・・・フィナーレはパッサカリア メロディが六十数回も下っていく その度に変奏がある ・・・一曲の音楽は一個の存在の人生の情景と表現ですね・・・表現の自由はこのためにある・・・すなわち芸術目的的行為人格形成人生論)
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2006年06月24日
人格と感情のメカニズムについて
この身体は 器としてあるのだろう
この身の回りは エーテル状態の 霊で満たされている
それぞれ DNAにおいて 受けとしての属性があるように
それぞれの 魂において 受けとしての属性があるのだろう
その受けに対して 身の回りを満たしている霊のどれかが入り込む
魂と霊との合体だ その時にオーラもでるのだろうか
オーラは 覚醒したものに 出るのだろう
そして この合体を通して その時々の人格あるいは感情となるのだろうか
多重人格も それで 理解できる 魔が差すということも
それぞれ 持って生まれた受けとしての属性があって その意味では
生まれながらである つまり決定論的である
しかし 外部からの霊に対して その霊は 器としての身体の中を 往来していて
その中から 自ら 受けとして 相手の属性を選ぶのだろう
この意味では 自由意思論的である
やはり 選択において自由であり 自己責任と言える
しかし この人格及び性格メカニズム理論 正しいかどうかはわからない
ただ このように思えば 一個の人間の 時々の 穏やかさと 激情を 理解できる
結果に対しては 結果無価値的責任と行為無価値すなわち道義的責任と 同時に問われる
ところで やはり やさしくありて すべては 解決するね
それまでの 厳しい修行的人生である あるいは 勤勉である
いつまでも そう真面目である必要もない
己が自信を得て 己自身を自覚すれば 修行は終わるね
要は 自己責任の原則の下 他に迷惑をかけなければ 何をしてもいい
常に焦るべき事は何もない この世に あるのは 本来無一物
ここを知って 現実に 対処する
これが 個人自由主義である だから 起こった事実に対しては関与責任がある
他に迷惑かけなければ あとは 気楽に 思うままに 生きるがいい
自由の定義である ここを キリストは 自分の欲しないことを 他人に施すことなかれという
ただ 子供達に対しては 選択の自由を 保障するという意味で 保護する
それが 本来の 成人ということだよ
様々な人間がいて良い 結果の悪に対しては処断する
さすれば 世の大人は 何者だろう
いろいろな種から咲いた花である
そして この世の存在の究極の分類は
目覚めているか あるいは 目覚めていないか だね
目覚めていれば 何をしても 善だ
目覚めていなければ 何をしても 悪だ
悪については その結果の程度において 処断される
目覚めて 事を為せば 何事も 成就する
仕事そのものが 喜びとなる
存在そのものが 祝福となる
いつまでも あくせくして お金の奴隷となることはない
極論すれば お金はなくとも 生きてゆける
鳥のように 花のように
仕事の評価は相対的評価だろう つまり客観的評価である
しかし 自己は自己以外に生きることはできない
その意味で 仕事は絶対的のものだ
他に迎合しては 何事も 自己の成就はない
因って 自己の絶対的仕事が 他の相対的評価と一致するまで
自己を修養する それは むしろ
自己のマイナスの属性を払拭する作業となる
あたかも 大理石から 自己の像を 彫り出すようなものだ
他を欺くことが仕事ではない 世の中は往々にして孫子の兵法第一条的である
間違っている その場はしのげても 人生の最後には 泣くことになる
人生は 喜びに満ちている 笑う門には福来たる
福は神である 神を迎える喜びが 人生の喜びであり 幸せである
神に 祝福されているのかどうか
神は 自然である 自然の守護があるのかどうか
人間の作為には 人間は勝てない
騙さば 騙される
真実真理神仏を知らず あるいは 無視及び愚弄して
騙して 勝ち組などと 決して 言わせない
posted by GT at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
地の塩としてのやさしさ
一隅を照らす ということがある
天台大師の言葉だったろうか
天台大師は弘法大師に密教を教えてもらった
しかし とうとうわからなかった
夏目漱石は円覚寺で坐禅した
しかし 悟りには至らなかった
則天去私はわかった
悟りとは カクネンムショウ
すなわち 日月照らす 風の吹く
大自然の守護を取りつけて 悟りです
本来の天下を取るとは これだったのです
しかし 現実生活においては
そのようなことも どうでもいいのかも 知れない
ただ 楽しめばね
しかし レベルが違う
さて 地の塩 としての やさしさ
その人の 持った周波数だ
その人が 存在することで 周囲が なごむ
その周波数で 花を 育てる
子を 育てる
その周波数が 縁だ
その周波数が マントラ 真言だ
宇宙自然黄泉の 周波数だ
だから チカラ ある
こうした 秘密が 古来 ある
それを 無視 あるいは 愚弄 するから
おかしくなる
それを 知らない方々の支配
明治以降 敬虔 なくした支配
腐敗 あるいは 堕落 でしかない
会社は人なり という
この周波数を持つ 人が存在するとき
その会社は 繁栄するだろう
そうした方が 縁となれば
そのグループは 繁栄するだろう
株式投資も 同じ事
だれが 投資しているのか
そうした方が 投資してれば
その会社は 繁栄するだろう
しかしながら そうした方は お金と縁がない
だから 投資はしていない
これからは 違うかも知れないけれど
嘘があれば インサイダー取引だね
やがて 枯れる
さて 地の塩としてのやさしさ
宇宙自然生命の不思議
大切にしたいね
わかってくれるだろうか
もう 一つのことしか云っていないね
一大事とも云う
真実真理は一つだね
この一つ なかなか 手強い
つかめない
真実真理の証明はね
日月照らす 風の吹く
この体験が つまり 隻手の音だよ
あるいは 歩々清風 独坐大雄峰
知ったというなら 証明してみると良いね
奇跡が 奇跡ではなく 事実であることを
そして 何でもするがいい 何でも言うがいい
それが 自由
そうでないなら 敬虔に 帰ろうよ
謙虚さに 帰ろうね
上には上がある
月へは行けても 太陽へは行けない
人間科学の思い上がりも 反省の頃かな
こころが そのまま 宇宙とリンクしてるよ
探索するべきは こころだね やはり
あらゆる 芸術も こころの 表出
科学など 及びもしない
野に咲く一輪の花さえ 作れない
鳥の羽の色 作れないね
21世紀 こころの大地は 開かれました
人類において 無限の可能性が 発見されました
掘るべきは こころ 無量の資源の 宝庫です
これまでの 人類の営みが
DNAとして 記録されている
あらゆる可能性は 自己の中にある
この宝 取るにどうするか
自己との戦いをする 自己と対峙する
自己の本体は何であるか
代々の 自己の解明なくしては
モーツァルトの天才も 説明できない
モーツァルトの前に バッハがいる
ヘンデル ハイドンが いる
こうした 代々の営みが 英知として
蓄積されている
やはり 勉学は 必要だね
要領だけで 他を犠牲にして 自らの地位を築く
そして自分たちだけの利益を追求する
そうした方法論は終わったよ
この400年の 物質文明の
世の大人達の時代は終わった
すでに 21世紀 情報理論(二進法)の世界である
二進法 つまり 善 あるいは 悪
すなわち All or Nothing !
posted by GT at 16:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記
【アウレリウス】(読書ノートより)
【アウレリウス】日々考えていることがあなたの精神を作っていく。 何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。 掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。 進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。 道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。 道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。 善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。 誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、 声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。 誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、 近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。
人間として自由を求めることは
正しい
しかし その自由が
人間の魂のレベルからすると
後退しているのではないか
カルバンより始まった
西洋重商主義の限界である
ペリー来航以降 日本も飲み込まれた
いつの間にか 本能的であることが
文化となってしまった
もしそうであるなら
人間の姿など しない方が良い
動植物のままで良かっただろう
野蛮がはびこりすぎた
知的階級は 傍観しすぎた
蒔いた種は 自ら刈る
自然の掟である
世の悲しい事件
明日は我が身と知るべし
もはや 自然は 勘弁しない
野蛮は もう たくさんである
下部構造としての経済活動が
あまりにも 前面に 出過ぎた
野蛮の 悲しさが きわまった
反省するべきは 人間の 本能である
本能は 自由ではない
ここに 断言し置く
正しい 自然に 帰れ
あなた方の解釈は 悉く
間違っている
浦島太郎は 帰還した
そして たまてばこを 開けた
そして 驚いている
人類の秘宝が これほどまでにあることを
そして 善財童子も 帰ってきた
やはり 人類の秘宝を 手にしている
しかし 現在社会は 何も知らない
欲得に 目が くらんでいるから
そして キリストを 処刑した民だから
神は 高きを低くし 低きを 高くする
ために やってくる
それは 善良な庶民と 健全な精神の解放
旧約聖書にしたためられていた
そして400年周期説
人類二千年来のプログラムが動き始めた
万軍の主も馳せ参じ味方についた 黄泉は全軍 活動を始めた
時代のパラダイムが音を立てて未来へシフトする
畏るべし
これまでの 過去を含む 代々の罪が 裁かれる
時を迎えた
容赦ない
そのためには 時が満ちるのを待たねばならなかった
19世紀末 ヨーロッパは すでに 腐敗していた
今 世は 十分に腐敗した
それが 土壌となった
蓮華が咲くべき泥となった
今ある自由は 仮城にすぎない
本当の 自由の城はある
代々 秘密に 守護された種がある
今 それが 開花する
すなわち 法華経 宿王華
如来の秘密が 法華経だった
やがて 如来がくるための 灯明だった
如来でなければ 如来はわからない
法華経もわからない
如来のDNAの記述だったのだ
このDNAが目覚めた
そして 自覚した
日本古来本来大和の復興である
NHKーAM 俳句をしていた 入選作に 色気ある品はないかと洗濯機
この句の解釈 花街の品はないかと 妻の寂しさ 過去の前科
女は見抜いている 何もかも
表には出さない しかし 暗に言葉はそれを語る
鈍感な方々にはわからない
美しいものは美しい 真実は真実
わからぬものたちが 勝手なことをしている 言っている
因って 腐敗した
腐敗達の天下となった
これより 浄化である
そういう 時である
Good-bye 腐敗
真実楽しい世界はすでにある
ミュージックがそうである
音楽演奏は自己を奏でる 精神 魂の音である
文章も本来そうである 文体
NHK− FM サキタハヂメさん の のこぎり音楽を聞きながら 2006/06/24 10:30am
オリジナル曲 『光のさす方へ』 ザンフィルのパンフルートを思わせる
それよりも 清祥であるのかも知れない
カーネギーホールでツーデイコンサートをするのが夢であるとか
木調のホールでどのような音がするのか聴いてみたい気がする
CDになると良いですね
ピアノはこまつなおこ 編曲も
そして 次は こまつなおこ編曲 ロンドンデリーのうたのソロ
今日も 音楽を 堪能させていただきました
いつも NHK-FM ありがとう
それにしては 竹中大臣は日本人としてのこの楽しみを知らないのだね
拍手喝采 この出会いと楽しみを日本に生まれたものたちとして大切にしたいですね
ラストラーダ弦楽アンサンブルのアンサンブル 良いですね
アンサンブルとビルトーゾ
さて私は生まれた使命は果たした
伝えるべき事は伝えた
すなわち 宇宙自然生命の秩序及び掟
並びに神仏宇宙自然守護の実体
及び過去代々の約束真実真理卑弥呼の系譜
天照らす邪馬台国大和の秘密
私にしかわからないことがあった
それぞれ おのおの 魂の遍歴において
未来の明るきことを祈る 黄泉よりの使者として
すなわち 日月照らし 風の吹く方へ
そして ダルマよろしく 西域への 帰途につく
ぶらりと 徳利をぶらさげて 歩いて
どこかで 見かけたなら よろしくお願い申し上げます
名を名乗れば わかってくださいね
私はゴトウです ゴトウではありません
祖父の定めた韻律です
放たれた鏑矢はすでに新羅を超えたであろう
すでに仇討ちは済んでいる 黄泉にて敵の首はすべて取り
裏切りし者達のその首は 黄泉にて並べてある
明治以降 民の卑怯身勝手 これまでである
新しい時代への方向性
黄泉にて決した
都の春は知らぬまま
孤独に旅する黄泉の花
咲きてはらす無念なる
を 日月照らし風の吹く
あはれなし悲しみなし涙なし
浄瑠璃は誰ぞ鏡ならむ
これまでも変わるものと変わらないものとの
事は言われてきた 歌われもした
しかし 何も変わらなかった
何故か 本来自覚するべきが自覚していなかった
この度 その自覚するべきが自覚した
すなわち 法華経 五十転伝
その喜びや如何
人類の夢が 目覚めた
これより 時代はシフトする
明らかな パラダイムの転換である
やっと 時代が追いついたと言うべきか
真実真理神仏はある ないのではない
知らないだけである
これまでの ミューズたちの仕事が 成就する
本当の幸せとは何か それぞれ 気づき始める
そして その気づいた花が 咲く
咲くことのできる時を迎えた
存在の旅は 終わった
詩 或いは 歌でしかなかった夢が
これより 現実化し 開花する
そのためには 下草は 刈り取られる
それが 淘汰であり ノアの洪水であり
フォトンベルトである
大宇宙の運行の中での メカニズム
それが 自然の営みでもある
それぞれの花が 出逢うべくして 出逢う
運命の時を迎えている
法華経 宿王華 咲く時節である
いざ咲かむ 幸せの花を
いざ歌わむ 幸せの歌を
時は来たれる
(平原綾香を聞きながら)
posted by GT at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
C・ウィルソン「宗教と反抗人」(読書ノートより)
C・ウィルソン「宗教と反抗人」(読書ノートより)
仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。
人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。
人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。
人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。
アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。
おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。
詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。
アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。
脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。
真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。
宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。
精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。
神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。
如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。
真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。
文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。
何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。
自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。
真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。
どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。
人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。
全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり。
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いくつかの詩篇
ブレ−ク
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず
ブレーク
人は全て各自の妖怪に支配さる
時至りて人間として目覚め
湖の中へ妖怪を投げ捨てるまで
イェ−ツ
我々が真に生き始めるのは 人生を悲劇と感じてからである
谷川俊太郎
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
ヘッセ
内面への道を見つけたものには
燃える自己沈潜の中で かつて
自分の心が 神と世界を ただ
形象 比喩として 選ぶのを
知恵の核心をおぼろに感じたものには
すべての行為と思考が
世界と神を含んでいる
自分の魂との対話になる
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2006年06月23日
魂の到達(NHK-AMメモ)
本来の自分に気づくことだ
自分は誰なのか
考えが世の中についてゆけなくなる
自信を失う
身体が衰えていく
しかし変化しない永遠のものがある
世の中は変化するものに執着している
変化しないものを
ひとつひとつ味わって手放していく
そこに小さな悟りがある
押してもだめなら引いてみる
人間関係もどうしたらよいのか
わかってくる
どのようにしたら幸せになれるのかも
たくさん知っているわけでなくとも
わかってくる
一つの最高の体験をしているから
すべてわかってくる
人間の本質 存在
体験して知る
それがサマディ 悟り エンライトメント
向こう側の自分になる
魂の到達
煩悩を超えて 深い静寂の中へ
至高なる存在となる
色々なステージがある
すべての煩悩を焼き尽くして
本来の自分となっていく
どこからも邪魔されないで
瞑想していく
執着して こころが こだわっている
スイッチをオフにする
気をつかう 頭をつかう
それで 寝ても夢を見る
日々 本来の自分を覚醒している
深い眠りが来る
覚醒がポイント 眠っていてはだめである
五欲から 自由な人になる
こころが 自由になる
こころが 解き放たれる
何事も 心配しないことが
何かを 成し遂げる
心配していれば
全力投球のつもりがしていない
事は成就しない
今までの価値観がブレーキとなっている
心が解き放たれていれば
目標を定めたとき 100%のチカラとなる
無心であることの大切さを
わかっているのだが 実行できない
日々 無心となることを 練習する
それはこころと身体のバランスとをとること
身体がととのうことで こころも ととのう
見えない存在 大いなるチカラ
これを信じる
信じるとは 疑いがないこと
最高に価値があることがある
身心を清めて
自分のことについて 誰も知らない
自分を知り 外を知って
最高の人になる
教えは 一万年以上前からある
実践の行をして 自分となっていく
宇宙に満ちているエネルギーが
自分の中にある
それに目覚める
大いなる神
その分身としての自分
そこに 帰っていく
土から水となり火となって風となり空となる
自然のプロセスである
自分の中にあるもの
その一つを味わって超えていく
また一つを味わって超えていく
最後に空となる
すべてを産み出すチカラが
自分の中にある
不安 知識 価値 勝ち負けの心 で暮らさない
心をつかうと いいこころでも 疲れる
いい人になろうとすると 疲れる
強制されない自然がいい
最終的に何が大切か
ただ気持ちよいだけでは 堕ちる
覚醒していること
パワフルなチカラ 光 あるいは 音 マントラ
ヒマラヤの聖者アリババが
日本の人にサマディを伝えるように言われた
苦しみから解放されること
社会生活をしながら瞑想をしていく
煩悩を破壊するチカラがある
真言はマスターからいただくと チカラがある
言葉の波動 スートラ
秘宝として伝授
出家 社会的煩わしさがなくなる
皆を導く尊い方に施し 功徳となる
福が来たと 施しをしてきた
人生の目的は何か
心の総合ケアとして 心を清めること
年寄りを大切にすることで
老人問題はなくなる
一般の人は修行に入れない
愛が大切となる
聖者に学ぶ
他人に施す 助け合う
ビジネスに成功した人は
高いところから眺める
得たものを皆に分配する
身体の弱い方
自分自身が素晴らしいことに気づく
やさしさ
大いなるもの 神から与えられたものがある
すべては 学びであることを知る
深呼吸を何十回かする
身体の毒素を吐く
こころのストレスを吐き出すつもりで
呼吸を見つめる(5分)
悩みの方へ行かない
色々なことに感謝する
見えないところからの恩恵に対して
自分にそぐわないことは 警告
自分の間違いに 感謝する
気持ちが切り替わる
自分の過去の経験に 嫌なことがある
感謝することで
自分のこころに 新しいエネルギーが
充填される
何を選択したら 気持ちいいのか
エネルギーを消耗しなければ 楽
心配しない
子供のことも 信頼して 見守る 見つめる
いい波動エネルギー
信頼エネルギーは 信頼エネルギーを 呼ぶ
変えようとしても 良いものは出てこない
暴力性を呼び出す
自分の発する 良いもの それが愛
あるがままを 受け入れる
自分を卑下しない ジャッジしない
すべては 学び そして 出会い
色々な自分がいた だが
自分が解放されて 楽になる 自由になる
感謝して ゆるしていく
深呼吸して 冷静になる
そして 話をしていく
人を傷つけることがよくない
すべては 愛である
自己防衛で 人を 悪く言う
人は皆 内側に 素晴らしいものがある
例え いじめられても ゆるしていく
バランスが大切である
身体のバランス こころのバランス
人のいいところを見て 信頼していく
相手の中にも 純粋性がある
自分が良いものを出すと 相手も出してくる
疑いと不安からの解放
自分を信じる 信頼する
日々 感謝して 生きる
見つめること 高度な覚醒である
無知ではできない
瞑想して 楽になる
ゆとりをもって 立ち止まる
瞑想しても がらくたばかり出てきては 落ち込む
身体から入るヨガがいい
身体がバランスがとれてくると こころも安定してくる
楽しく スポーツするのも 良い
心をこころにしていくこと 難しい
こころと身体をととのえて
本来の自分と出会い
こころのしがらみから 解放されて
自由となる
休むときには 休む
無駄にエネルギーを漏電しない
アンバランス エネルギーの浪費 から 迷いへ入る
ある日突然 悟りが来る 導かれている
信頼は大きな力を持つ
信仰することで 神からパワーをいただく
あちらこちら掘れば 自然地球も くしゃみする
何事も冷静に受け止めていく
悪い方へ行かない
自然治癒力 生命力
何事にもとらわれない 自由の人
愛に満ちて 楽に 生きていく
蓮の花は 泥の中にあって 泥を超えている
あなた自身が素晴らしい人間である
愛と生命力がある
神すなわち無限の命から与えられた存在である自分
に気づいてそれを信頼して生きる
無心 エンジョイ 力強く
心が平和で 調和がとれて 幸せの人
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2006年06月30日
言葉の真実
昔は 剣の修行があった
今 それに 匹敵するのが 恋愛による 修行と 云える
人格の涵養 それが 目的である
剣の果たし合いにおいては 強いものが勝つ
しかし 勝負の醍醐味は どこに あるか
決闘の極意は 遅れて撃っても 勝てる
勝ち負けは 神仏が 決めるから
最終目的は 身心清浄 神々の 認めるところとなる
その後 神々が 味方につく
自らも 神力 を 得る 達人 と なる
言葉の修行がある
写経 或いは御経読誦
それは 宇宙に通じる 言葉のリズムを 体得する
自分の言葉が ロゴス となるかどうか
言葉の周波数 神仏宇宙自然生命祖先にも 通じる
黄泉に認められる 黄泉が助力する
そうした 自分を 発見することができるかどうか
すぐれた文章を 書き写す 良い修行となる
やがて 自分の言葉が 見つかる
あらゆる 表現に 意味が 満ちる
表層の言葉ではない 真実の言葉となる
そのためには 手紙を書くのが良い
自分を 見つめる ことになる
手紙を書くことは 自己の発見 である
自己と言葉が 合致する 手紙の効用である
やがて 飄飄と 生きている自分へ 至る
そのためには 修行としての手紙が よい
恋愛の目的は 自分を読んでくれる
相手 を みつけることにあるのかも知れない
お経さんは 佛さんからの ラブレター だと
誰かが 言っていた
いい俳句を見つけたことがある すなわち
亡き父の もとに届いた 年賀状
言葉というのは こうした 情緒(じょうしょ)
言葉を大切にするところから 始めると 良い
あまりにも 粗末に してきた 本来の価値 言葉の感性
取り戻そうではないか
言葉の野蛮が 世を 席巻している
言葉が 人を 動かす
真実の言葉は 神仏宇宙自然生命祖先 の認めるところとなり
黄泉が動き 助力し 実現する
すなわち ロゴス である
言葉の真実 今 伝えん
自ら 吐いた言葉は その後 自らを 規定する
その思いが 真実であるなら 天に届き
黄泉祖先の 知るところとなり
黄泉祖先が 助力し 実現する
夢は 実現する 真実の夢であるなら
だから 諦めないことだ
自分の 真実の願いが あるならば
それが 夢であるならば
実現するまでが 青春である 修行である 夢である
さて ステキな 人を見つけた 妙に気になる人である
ふじわら という姓である 名はまだ知らない
ところで 長谷川四郎に 『よく似た人』 という 小説があった
とても 好きな小説 だった
このよく似た人との合流を果たすこと
これが 幸せの 条件だよ
生まれた時に 父母より DNA の中に 宿した種が それだ
かつて遙か昔には 同じ 花だった
しかし 人の営みの中で 散り散り 散華した
明治の頃には その魂は ソメイヨシノ に突然変異し 宿り 全国に 散らばった
かつて 江戸の大名屋敷で愛でられた 魂達の 悲劇であった
しかしね 種であるなら やがて 芽吹くよ
いくら 世間で粗末にされ 捨てられても
胡蝶の夢も 夢なら いつか 覚める
目覚めているかどうか よく似た人の条件である
日本は 野蛮腐敗の天下となった
しかし 本来の主権まで 譲った覚えはない
思い知る時が 来た
時は天 あだや おろそかになさらぬように
黄泉も目覚めている 万軍の主も味方についた
もはや どうにもならぬ
世間身勝手 自分解釈 好き勝手
これより 決して 通らぬ
どこからでも かかってくるがいい
天衣無縫 天下無敵
刃向かうは 黄泉の成敗あるのみ
代々の約束 宿王華 今 果たさむ
ある日の 広島 の 風景
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2006年06月29日
可能性としての平等
今 自由 と 平等 です そして 民主主義
これは どういうことを 意味しているのだろう
しばらく 間違えた自由を 自由と思っていたね
ほんとうの 自由が どういものか 見えてきたね
自由とは 思い通りにして しかも 法を 超えない
ここに 法とは 法律ではなくて むしろ 宇宙自然生命の秩序及び掟
すなわち 神仏宇宙自然生命より受容され守護された 本来の自由
代々 それを 目指してきたんだね
平等とは 機会の平等であって 結果の平等ではない
と 言われてきました
むしろ 平等とは 生まれながらにして 可能性としての 平等 ですね
持って生まれた DNA の中に 無限の可能性がある
開発するべきは あるいは dig it するべきは 自己自身だった
さて どの種を蒔き どの花を咲かせるか ここに 選択の自由がある
悪の花を咲かせるのか 善の花を咲かせるのか
咲かせた花は実となり 種となる
日々 考えたり 行っていることで 自分が
DNAレベルにおいて 書き換えられていく
往々にして 選択を 間違う それで 腐敗し 不幸となる
自分の花が何であるのか それを 知るまでの 試練
汝自身を知れ とは このことだった
花と咲けば 仲間がわかる
咲くまでの孤独 咲けば 宇宙自然が やさしく ほほえむ
ひとりではない ひとりだと思っていたのは 自分だった
だれもたすけてくれない と 思っていたのは 自分だった
宇宙自然生命祖先は たすけたい と 思っている
そのためには 咲かなければならない
咲かなければ どこに いるのか わからない
咲くことだよ 咲かせることだよ 教育の目的はここにある
しばらく 教育も 怠惰だったね
信じる 自分を発見したなら その種を 蒔く
咲けば 実となり 種となる
何を 思い煩うことがあろう
信じた道を 進めばいい
これが なかなか 難しい
自分自身が 見つからない
世は 腐敗 泥の中 すなわち 地獄 と決まっている
地獄の中で 咲く花は 火裏蓮
泥の中で 咲く花は 蓮華
佛の前に 蓮華として 化生することが できるかどうか
殆どの人は 堕落する
そして 自分たちのために 堕落世界を 増殖していく
しかし 悪魔小悪魔は その正体を 見破ると 逃げまどう
それまでは 好き勝手
さて どうする ?
あらゆる人が 王子 王女 となることができる
それが 可能性としての 平等
そして 自由 を 得る 何をしても良い
お金は 寿 すなわち 寿命を削った対価
お金は大切だ しかし お金だけが成功ではない
精神的な成功がある 達成感
何かを達成する 何でもできる 自分 に 気づく
それは 自信
自信があって 勇気となる
何があっても 怖れない 自分
殺すぞ と 言われても
命は すでに 捨ててある 佛に 預けてある
究極の自信はね 宇宙自然生命祖先の 守護
そのためには どうするか
宇宙自然生命祖先 に 好かれる 自分となることだ
そのためには どうするか
自分自身を知ることだ
そのためには どうするか
日々の 思考と実践 だ
何もしなければ ストーリーは 始まらない
何時の頃からか 私は 悟り ということに 憧れていた
無意識に 悟ってみたいと 思っていたのだろう
そのために 本も読んだ 修行もさせてもらった
何もかも 失ったかのように 思った 存在さえも
しかし それは 生まれた時から 導かれていたかのようだった
良い子といえば これほど 良い子は いなかった
悪い子といえば これほど 悪い子は いなかった
しかし 悪いことをすれば 自然現象として或いは事件として
何かが 起こっていた
気づくまでは まさか そのようなことがあるとは 思ってもみなかった
しかし 大鏡 増鏡 古鏡 浄瑠璃 長唄 ・・・
主人公は 自分である
私の場合は 一個の 彫像をするようであった
突然に 悟り に至ったのではなかった
気づいてみると 悟り だった
もはや 間違いはないと 思っている
この世で 最高の 幸せを 達成したと 思っている
人生は 私立大学的 要領 ではない
量ではない 質である 品格及び人格 である
正義は勝つ まじめと努力 が 勝つ
ところで 自由と平等 は 対立概念である
と 言われてきました
そうでしょうか むしろ 自由と平等は ほんとうは
両立概念であることが 明らかとなりました
自由と平等は 人生の 幸せの 両輪です
この車輪を 転ずることに 致しましょう
そして ほんとうの 民主主義を 作りましょう
幸せは 周囲が幸せとなることで その中にいる
自分も 必ず 幸せである
平等大慧会で 教えて いただきました
仕事とは 仕える業であることも
夫婦の関係も 人類が見つけて至った 幸せの鍵
それは 男尊女卑でも レディファースト でもなくて
一夫一婦制の下で お互いに 仕える気持ちがあれば
きっと 幸せ です 真実夫婦平等論です
【読書ノートより】「秘せずは花なるべからず」(世阿弥)ゆとりは生活の花であり、これは秘密の価値なくしては咲かすことができない。 心というものは言葉に到底尽くし得ないことを彼(良寛)は知っていたので、言葉を殊の他慎んだのであろう。全て言葉をしみじみ言ふべし。外からは窺い知れない内面を有することとなつかしい感情をひき起こすことが魅力ある人間の本質である。愛は本来心の秘密であり、秘密を告白するようにしか愛は告白できない。先を見届けようとすることを止めること。存在の根拠には秘密がある。裏は分からぬ、先は見えぬということでストーリーははじめて発展する。
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十牛図 第八図 〜 第十図
十牛図の第八図が 無 あるいは 空
それまで 牛の足跡を見つけて その後
牛と格闘し 牛に乗って家に帰る
そして 牛は理想であるが それまでも 空ずる
すなわち 無 となる
ここが 神秘の世界であり 自己も客観も なくなる
というのは パスカルにおける メモリアル に 等しい
それまでの あらゆる価値観が 破壊される
自分が 思っていたことが すべて 間違いであったことに
気づく そして
それまでは 概念でしかなかった 理想 が
現実に存在していることを 自覚 する
そこには 神仏 を 含む
宇宙自然生命の 真実 と 邂逅する
あらゆる 価値観が 破砕される
しかし 確認される 価値観は 言葉にすると 以前と 同じ
ここを 禅においては 花は紅 柳は緑
あるいは 盧山烟雨浙江潮
未到千般恨不消
到得帰来無別事
盧山烟雨浙江潮 蘇東坡
言葉は同じだけれど 内実が 異なる
この 異なるを 世間は 知らない
世間は 前解釈 の 域を でることはない
そして 知る 日月照らす 風の吹く
これが すなわち カクネンムショウ
自然が 自分に対して 満ちてくる
いつも 宇宙自然の 守護の中にいる
ことに 気づく 胎蔵界
そして 心魂を滅して 念ずれば 黄泉をも動かす
チカラ があることを 知る 金剛界
この 体験を以て 悟りとする
That's 第八図 〜 第九図 である
しかし この チカラ 確認するに とどまる
行使するべきではない ことに 至る
それぞれの こと であるから である
その意味では 人類など 滅びようと 滅びまいと
宇宙自然にとっては どうでも よい と 知る
魂の遍歴は 人間も 通過点に 過ぎない と
確立された 魂は 牛に戻っても 良い と
ここを過ぎて ほんとうの 自由 へ 至る
その間 修行は 懺悔であり
目的は 身心清浄
私は この修行を 平等大慧会 で させてもらった
そして 第十図とは何か
帰還である
世間へ帰る そして 何をするか
一隅を照らす
どのようにして 照らすのか
存在するだけで良い 開発された 周波数がある
宇宙自然生命黄泉祖先 へ 通ずる 周波数である
時には ぼやけることもある
しかし 一度開発された周波数である
その火を 絶やさないようにすればいい
自然と それは 伝搬する 周囲が 変わってくる
何をしても良い 隻手の音である
これが 佛の 云いたかったこと
佛が救うのではない
自分は自分が救う
佛は その方法を 説くに すぎない
思い上がりの 世間 である
佛よりも 偉いと 思っている 輩が 多い
悲しむべきかな
知らぬまま 刃向かう 勝ったつもりでいる
天に刃向かえば
黄泉のサンクション ある を 知らぬまま
天の守護するところがある
すなわち 日月照らす 風の吹く
天に好かれることだ 神仏に好かれることだ
佛は 佛とのみ 究了 する
如来は 如来になってみなければ わからない
それで 世間 如何 と するか
武士は食わねど高楊枝 ホテトル及び不倫などに 用はない
腐敗世間及びセレブは何をしているのか
日本古来の精神 及び 恥を知らぬず
西洋腐敗精神に迎合したる この大馬鹿者 !
末代 祟るべし
これ以上 世間身勝手 及び その増殖 ゆるしはしない
古来大和秘密精神の城塞の意思である
(2006/06/29 20:44 NHK-FM ピアノ独奏 「展覧会の絵」を聞きながら)
posted by GT at 20:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
資本主義の中で自由の進化
今 世界は 資本主義
日本も世界の一員であり
その中で 重要な地位を 占めたいと
思っている
その為の 努力も してきた
しかし 気づいてみると 何か おかしい
凶悪犯罪国家となっている
あらゆる 本来の 情緒が うしなわれつつある
その理由も明らかとなった
古来日本の価値を 見直すべき頃となった
日本の 価値を 見直して
あらためて 本来の形或いは姿を 取り戻すべき頃であることに
気づいた
そして 再び 健全な精神と 善良な庶民の
幸福論を 目指すべきである と
資本主義が 悪いのではない
それは ひとつの フィールドとしてある
パラダイムの変換は 精神レベルでの 問題であろう
戦後教育の中で 見失われていたもの
それは 古来日本精神
その価値は すでに 世界が 認めているはず
日本が 日本であるために
為すべきことは 何か
そして 世界をフィールドとして どう 戦うか
逼塞した日本の 究極の 打開策は 何か
すでに 明らかである
日月照らし 風は 吹く
大安心の 境涯は どのようにして 開くか
「ばかばかしさの中で犬死にしないための方法序説」(庄司薫)
というのがあった
それが 見いだされた と 云うべきか
経済なくして 生活はない 人生はない
経済を 何に 使うか
目的 と 手段
今 問われているのは 目的 である
気楽な人生は ある
何を 苦しむことがあろう
所詮 この世は 法則通りである
その 法則に反して 幸せはない
その 法則が 見えなくなっていた
法則 は 科学
人間は 本来 偉大である
その 偉大さを とりもどさなくては ならない
自分勝手な方々が あやまった 自由を行使して
世を 乱した あるいは 腐敗させた
あるべき 基盤を とりもどす
それは 古来大和の精神を とりもどすことから
はじまる
そして 再び 自由
自由の進化と云えるのかも知れない
自由を得て 何をするか
自由である
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。 その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである(C.ウィルソン)。
posted by GT at 05:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
2006年06月28日
Welcome to Japan !
しかし 世の中 変わったね
良い日本になりつつあるね
今まで 好きたい放題していた方々が
できなくなりつつあるのではないかな
繁華街では 取り締まりも 厳しくなってるよ
スタンドでは接待はできないことになっている
ダンスもできないことになっている
それが摘発されて 90日の営業停止もあったそうだ
届けをすればいいのだけれど
その手続きには 10万円かかる
ほんとうにがんばる人が 生きてゆける 時代の
到来だね これまで 虐げられていた方々がね
あまりにも 勝手がすぎていたというべきか
罪 重いよ 当然だね
私にとっては 遅きに 失した観もある
しかし 男の人生は 五十からだよ
まだまだ これからだ
実力があるなら 必ず 芽吹くよ
あきらめるのは まだ 早い
そして 例えば バブルの頃の利率のまま 借金に
苦しんでいる 中小企業の方々に 申し上げたい
お金なんか キツネの木の葉だよ
やはり 人生 どうにかなるよ
正直でいればね
嘘で固めた 自分勝手な 自分計算しなければね
しかし 往々にして 都合が良いのが 人間だ
すべては 自分の蒔いた 種だよ
甘えるときには 甘える
助けてもらえるときには 助けてもらう
いつか 助けてあげるつもりでいれば 良いよね
しかし そうした 余裕もないのが 人間だ
奪ってばかりの 人間が 多いね
しかし 中には いい人もいる
そうした 人と縁を 結びたいね
そうした 縁を 大切にしたいよね
これまでの 人生で 余裕があるなら 必ず
乗り越えることができるね
命あれば 必ず 夜明けは来るね
私の場合は 長い夜だった
やっと 黎明を 見ている
生きていて よかった と 思っている
お金が大切なのは わかる
お金は 寿 つまり 寿命を削った対価だ
たとえば 派遣社員は どうがんばっても 月15万円
企業の勝手で 搾取されている
しかしね 怖いのはね 正当な対価でない場合
そのギャップはね 天に 記録されているよ
銀行の これまでの 所行もね
低金利で 国民に支払うべき 利息を 喰ったよね
それで 何事もなかったように のうのうと しておれると
思っているのかな
かつて 仮登記担保 及び 譲渡担保で 何をしてきたか
そうした 罪を 消せるとでも 思っているのかな
勝手がすぎるね
天は そう 甘くないよ
そして 組織と身分に安住している方々 堕落したね
すでに その間 でたらめが すぎた
ビジネスと称して 何をしてきたのか
まっとうなビジネスをしてきたものは 少ないね
国家を 喰い物にしてきた方々も 多いね
犠牲となったものたちは 黙っているように 思っているかも知れない
死人に口なしとばかりに
そうは いかない
時を待っているだけだよ 復讐のね
往復だ 必ず 帰ってくる
黄泉の世界は 現実と 真反対だと思って良い
真実 事実の世界だよ
人間の 自分勝手は 通らない
やがて 思い知る
生きている間に それが 現れなくてもね
死んでから わかるよ
だから 生きている間に 懺悔だね
生きている間に 死ぬことだね
それが 即身成仏だ
昔より 大死一番 と 言われている
死人となりて なり果てて とね
そうして 真実 すなわち 神仏との邂逅 が
あるのだね
空となって 満ちてくるものがある
放たば 満てり だ
何が 満つるか お楽しみです
人生は 潮の 干満だ
時代も そうだよ
待てば 海路に 日和 あり
ほんとうに なごめる 日が来る
信じて いいよ
だから 身心において 諸悪莫作 だ
それから 富を得る秘訣だけどね
あくせく まじめに はたらくだけでは だめだね
そうして ある 真実に気づく 必要がある
世に流布している成功論では 足りない
究極はね ヨブ記だよ
聖書の内容はね ただの物語ではない
真実の記録だよ
人間の神秘の可能性だよ
だれだって モーゼにもなれる
いくつかの 条件を 満たせばね
しかし 往々にして その条件を 知らない
探そうともしない そして
自分勝手なことを 思っている
自分勝手なことを している
それでは 富は来ない
富は 来るものだよ
神も 来るものだよ
如来だね
さらに 如来は 如来になってみなければ わからない
人生って おもしろいよ
壮大な ゲームだよ
あがりは ある
生まれながらに 運命づけられている
何か 失われた 大切なことに
気づいたものが ほんとうの 勝ち組だ
神仏が かれらに ほほえむ
人生は 自ずから 開ける
それまでの 青春だ
だから 若い人たちも 必ず こうした
夢の実現のあることを 信じてほしい
世の腐敗の中で 負けないでほしい
真実の 声に 耳を 傾けてほしい
真実は 決して 裏切ることはない
まじめで 正直であることは 目的ではない
むしろ 手段だ
まじめと 正直と 努力の むこうに
新たに 開ける 自由が ある
だれも 教えてくれなかったね
しかし 時代も追いついた
庶民のレベルで こうした 自由と富を
手にすることができる 時代 と なりました
さて 大正天皇は ノイローゼ だったのかな
それには 大正念を なさしむ と 法華経にある
ノイローゼの 主たる原因は 恋の悩みから 発する
自己において 主観と客観が乖離する
現実から落ちこぼれとなる
で どうして その種が 日本にも 運命づけられたか
世の腐敗の故だよ だから
ビートルズたちも 罪は重い
ビートルズ信者には 申し訳ないが
麻薬に 等しい
日本純粋精神にとってはね
こうした 毒が 蔓延している
そして 雑草の時代となったのだ
それほど 雑草に 価値があるのかね
それなら どうして 下草は 刈るのかね
自分勝手も ほどがあるとは このことだ
雑草も 生きることができるのは 良い
しかし 雑草だけの世の中になってどうするのか
自然が それを ゆるすとでも 思っているのか
雑草が 蔓延った
雑草には 雑草の 位置がある
森林の主は 樫の木である (呉市の木は樫の木だったかな)
雑草の侵略はゆるさない
この傾向はどこから始まったのか
何を原因とする結果なのか
敗戦である その後の間違えた民主主義教育の結果である
アメリカの占領政策の目的は 日本の本来の精神を骨抜きにすることだった
それが 功を奏したか
イギリスも フランスも 階層国家である
日本において その階層は 無視された
それで 日本精神が 瀕死の状態となった と 云える
自由を得た 魑魅魍魎が 好き放題する国となった
その間 知的階級も どうしてよいかわからないまま 傍観した
今 凶悪犯罪国家となっているのも うなづける
また ビートルズは 麻薬に等しいという理由
それは アヘン戦争と 同じ構図 と 云える
ローリングストーンズのように 悪を 悪のまま 演ずるなら
まだいい
ビートルズはどうか いかにも 紳士あるいは正義ぶってはいないか
問題は この 偽善にある
魑魅魍魎を勘違いさせた かれらは 自由を得た
この度 私の家が 雨漏りした
かかりつけの人に みてもらうと 瓦が 何枚か 割れていた
写真を撮ってあげましょうか と 言われた
まだ 割れ口が 白いでしょ と
どういうことか
最近 テレビアンテナを 立て直してもらった
そのとき 瓦が何枚か めくれている とのことだったそうだ
そうでは あるまい
これまで 雨漏りなどしていない
問題は この種の 嘘である
正直さ がなくなってしまった
これを ビジネスと 称している
追加オプションで 予定を 遙かに超えて 設置代金は支払った
ビジネスと称して 何をしているのか
この件に関しては 具体的には 不問とした
今 この世の腐敗は 自分計算による嘘 に 基づく
わからないと思っている
いつかは バレル のに
戦後占領政策の 帰結であろうか
そうした 魑魅魍魎跋扈の時代となった
共和制の限界 と 云うべきであろうか
反省するべきは ここである
だれかが 云わねばならなかったことである
だれも 云うことができないでいたことである
本来の 古来日本に もどろうではないか
民として ほんとうの 幸せな 生活と 人生を 確保するために
卑弥呼の系譜 古来大和 神國日本の価値 思い知るべき頃である
第二次世界大戦には 神風は 吹かなかった
何故か
そのチカラが リーダー達に なかったのだね
無理もない 正統ではなかったのだから
ペリー来航に乗じた 下級精神の 支配だったのだからね
その時 支配は 譲られた 江戸無血開城であった
しかし 異端の悲しさ 本来古来日本を 裏切り続けたよね
その帰結が 敗戦であり バブルの崩壊だった
ここに 至って それが 証明された
また あらゆる 歴史解釈が まちがっていた
日本古来の精神を知らずしての解釈であったからである
武将達の 繊細な こころ 感性を 知らないもの達の 解釈であった
精神の繊細なくしては 武将にはなれない 戦に勝てぬ
神仏に好かれずして 神仏は微笑まない
教育もそうである
江戸の頃 どれだけ 精神が 成就していたであろうか
そうしたことを 知らないで 低い精神での 教育だった
古来日本を 無視した あるいは 愚弄した 教育だった
私の 小学校の頃までは まだ 高等師範の精神 が 生きていた
しかし その後は どうなったか
日本古来純粋繊細精神は 息絶え絶えとなった
さて 本来古来の日本に帰り
ほんとうの 民主主義国家を この世に 建設しようではないか
日本はどうあるべきか その形を議論するべき頃ですね
しかし それらのことは それぞれの当事者に お任せして
私は 私の言葉を 歌うことを 始めましょうか
文体は人格 魂の声の響き
源氏物語においても そうだった
枕草子の 明るく かわいい声が 懐かしい
私におきましては あらゆる謎が 解かれました
晴れて 自由 と なりました
自由の歌を 歌う 時節です
言論の自由です 何を言っても良いのです
恣意的中傷誹謗 で なければね
公の真実であれば どこまで 云ってもかまわない
それが 言論の自由です
それを あたたかな 言葉で 表現するのも良いですね
言葉には 周波数があるのです
神仏宇宙自然生命黄泉祖先 と 同調する 言葉もあるのです
それが ロゴス です
この ロゴス 誰にもあるわけではありません
DNAに その 種を 要します
しかし だれもが その可能性を秘めているのです
すなわち 言霊 さきわう 國 日本
言葉も 二千年も経てば 命が やどるのです
この事実 真実 大切にしたいものですね
おだやかさの 中で 幸せに 生きる 自由
みなさんの世界にも 開けますように
そのためには どうするか
戦後の方法論は 悉く 失敗に 帰しました
古来日本精神に 謎を解く鍵が 秘められています
日本は この種の 宝庫です
見直したいものですね 自然四季に満ちた ほほえみ世界 日本
やさしさへ 向けて 花咲く 日本
日本発見 新しい 時代の 始まりですね
Welcome to Japan !
かつて 静かに しかし 確かに テイク・オフ との 号令があった
覚えているだろうか
そして おだやかに 離陸した
時代は 静かに 満ちている
面舵は いっぱいに 切られた
これより 方法は なかったからである
400年周期説に基づく 時代の大変換は
成功裡に推移している 知るものは知る
この時と潮に 乗るのか それとも 流されるのか
それぞれの 選択 ですね
ある日 父は 云った
コカ・コーラのくびれたグラスが割れたときである
壊れたグラスをもとにもどせ
時代に対して云うに云えぬ知るものとして代々のもどかしさがあったであろう
その無念も晴らしたようだ
私が 自由を得たことで 祖先たちも 成仏したことであろう
天でごはすよ 人生は 田原坂 『天』という歌が流れている
枉げて通れぬ道がある と
(NHK−AM 2006/06/28 12:50pm)
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2006年06月27日
自由について
自由というとき、何を以って自由というべきか。 キャプテン・ドレイクによるアマルダ海戦の勝利が何をもたらしたか。イギリスにおいて、ピューリタン革命・名誉革命を通して、 それは、フランスの市民革命に至った。ここで市民の解放があった。その間、アメリカにおいて、 リンカーンによる奴隷の解放があった。そして、現代において庶民の解放がなされつつある。貴族の間で、たとえば、 さまざまな絵画は寝室において自由であった。それらの特権が解放されていく。時代の流れである。 人間が本来求めていたことが実現されていくのである。政治は人間の欲望の現実化と定義される。何が言いたいか。 時代の流れがある。どこへ向けて流れているか。たとえば海へである。人間の欲望が解放されつつある。それで良いと思う。しかし、 犯罪化傾向は厳しく取り締まるべきである。たとえば、ハンセン病も克服された。精神の病気においても、善玉と悪玉がある。 人間の欲望の解放がすべて悪いのではない。それが、人間の求める幸せの形であるならば、実現しなければならない。しかし、 何事も証明を必要とする。そうしなければ、定理として使えない。証明できる人は限られている。神を証明する人もいる。 精神の病気の善玉・悪玉を証明する人もいる。あたかもジェンナーである。経験を通して証明する。一番槍である。それで、 個々のタブーが破られる。その証明は千尋の谷の一本の丸木橋に等しい。勇気を要する。誰かが渡る。その後で、 みんなが渡れるようになる。今、明らかに、世界は、ひとつの理念として、民主主義を選択している。 その過程で進むべき道を模索している。自由であって良い。平等であって良い。何を以って平等であるか。 特権の限りない庶民化である。いわゆるアダルトもその例外ではない。しかし、運用は慎重を要する。この件に関しては、大人に、 厳格に限定されるべきである。個人の責任を自覚している者に限る。教育の問題が遅れている。 日本の精神の清浄な価値は価値として遺す。しかし、世界の歴史の流れは受容する。難しい運転である。犯罪としては取り締まる。 人間の自由の解放は流れに任す。強制しても無理である。しかし、そのスピードは制御して良い。 運転能力のない者には制限するべきである。この意味、わかるであろうか。そのように思った。具体的には、 権利としてのプライベートの確立である。プライベートにするべきものを決める。そして、大人と子供の峻別である。 蓋をしても蒸気は漏れる。密閉しては爆発する。このあたりの常識化である。時代の流れを正確につかむ必要がある。 時代は流れている。その流れを知るには源泉を知る必要はある。しかし、人類の歴史はすでに下流まできている。 かつての特権の庶民化であると思えば、考え方はシンプルとなる。自由であって良い。但し、時代の流れにおいて、 尚早であることもある。麻薬などはその例である。あくまでも、目的はくらしであり、人間の幸福である。 社会生活において害悪は厳重に排除する。人格形成において大切な価値は価値とする。昼の社会と夜のプライベートの峻別をする。 社会のリーダーに対して、敬意を表する。自由の運用は慎重にするべきこととして慎む。少なくとも、公の電波等では慎む。 それに対して、タブーとしての道徳的規範を見直す。或いは払拭する。西洋の流れに学びつつ、時代の流れを正確に把握する。 そして、現代の在るべき文化を推進する。それで良い。そのように思われる。文化的社会の涵養が大切であり、その意味で、 過剰な経済至上主義は反省が必要でしょうね。人間の幸せは、お金ではないのは、昔より明らかなのだから。人間はパンのみにて・・ ・を待つまでもなく。精神の力を、ここで、思い出して、そして、新しい自由を実現することで、 良い社会を復活できるように思われる。もはや現実を古い道徳で縛ることはできない。幸せは、心の交流の自由であり、関係である。 ここを忘れていた。良い方向へ。この基盤を得て、健全な欲望実現のための裕福さの追及は良いことだと思われる。これから、 人格としての善悪の色がはっきりしてくる。今まで、十把人辛げに悪としてきた中にも善玉があったことがわかってくる。 文学において芸術性があれば善であることも、もっぱら傾向犯的であれば悪である。ハッカーとクラッカーの差に等しい。 見極めるべきはここである。本来の自由を求めているのに、蓋をすればどうなるか。社会政策の課題であるように思われる。 社会が健全な欲望実現のシステムを保障されることで、デフレと犯罪化傾向の問題の多くが解決できると思われる。しかし、 理想的には、やはり、根本は心のあり方である。だが、心の地平に至ることは、まだ、当分、現代社会は、時間がかかる。因って、 理想へ向かって、この現実で何をするべきか。時代の方向を正確に見極めることである。人間の願いは何か。しかしこれらの自由・ 欲望は何故縛られていたかを考えると、その取締りは、厳格でなければならないでしょうね。自由・欲望を手に入れるということは、 その運用において、その当事者は、より責任を持たなければならない。他者に対して、あるいは、 社会に対して害悪となる可能性を、 必然的に内在しているから。今までは過渡期だったから、あいまいな部分が多く、 被害もあった。ここで、基準を決めて、 社会として、そして、その中で暮らしている人間として、自由・欲望においても、 安全を得ることができると思われます。そして、 本来の幸せを獲得できますね。(ところで、多くの道徳について、本来、 女性はあまり重きを置いていない。むしろ、 生命の存続を無意識に願い、あるいは知っている。その意味では、当然、嘘もつく。 しかし、それ故に、 生命が持続するということがある。道徳よりも、生命にとって必要なことを知っている。生きるということが、 どれほど、 ある意味で残酷であるかを本能的に知っている。だから、ゲイ現象も起こってくる。 社会的に安住してきた男性にはわからない論理がある。)
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〜若い人たちへのメッセージ〜 記念碑として
〜若い人たちへのメッセージ〜 記念碑として
新パラダイス開拓団。
クラシック音楽が今も生きている。
バックハウスはベートーベン、ハンマークラービア。
今度は、山頭火になったみたい。
涙をこらえるにはつらいよね。
誰と会話する、自然とだ。
いつも会話していた。
誰も聴いては呉れなかった。
いつも私が悪者にされた。
悪いのは、君たちだよ。やはり。
もう、何もなくなってしまった。
バカどもといっしょに死にはしない。
ついてくるモノだけついてくればいい。
アジサシは、南極カラ北極間を旅をする。
どこかに新天地パラダイスはある。
私たちだけが知っている。
自分自身を研ぎ澄ます。自分自身を道具とする。
人類の英知をこき集めて。
いつも、最先端のパイオニア達には地図はない。
大航海時代もそうだった。
何を信じるのか。
羅針盤は、唯一、自分自身である。
面倒だ。なにもかも。
面倒は、さようなら。
ゲルマン民族の大移動。
新しい王国を作る。
君たちは今のまま沈むがいい。
私たちは生き残る。
これより新ミュージック歴代記のはじまりか。
武器よバイバイ。
いつも聞こえていた時代の声。
スタンドバイミー。
時代の通奏低音とフラッグシップはぼくたちの仕事だったんだろうか。
何時の世も。
Genuine goods アンティークをもとめての旅の始まりかも知れない。
唯一の私の具体的理解者テッチャンとのね。
お店の名前は、『アンティークブティックKURE』ってのはどうでしょう。
生まれてきたことの意味は、この人生をひとつの芸術として生きることだったのかも知れない。
後世のためにね。
もうチカラをぬいていいんだと思う。
悲しい目のままで自分の王国を建設すればいいさ。
ドコにもはたらくところがない。
だから、詩でもかいている。
2005/09/27 ハンマークラービアを聴きながら
しかし、みんな勝ったつもりでいる。安住している。勝手にするがいいさ。
上には上がある。ごめんだね。時代は変わったよ。
少しははたらいてみたら。もう、君たちの所得は零だよ。
バブルの穴は、国民の総預金高と同じだよ。
祇園精舎の鐘の声。
見苦しい、聞き苦しい。古くさい。
矢でも鉄砲でも持ってこい?
誰の言葉だろうね。いつでもいいよ。
とか、風の声。
私の好きだった漫画の一つに『カムイ外伝』がある。
世の芸術家はインスピレーションしか知らない。
出。エクスパイアレーションは誰が知っているのか。
そのために、何をしているのか。
昔、弁護士は三百代言だった。
結果責任主義。どういう意味か。責任。何に対する責任か。
ちくま教授が教えてくださった。
私は、かけ算の九九を五の段から習った。小学校2年生のことだった。
先生の名は、竹花先生。やはり広島高等師範卒だった。
小学校の頃、絵を一生懸命描いた。いつも入選していた。特選もあった。
小学校6年だったろうか。夜の川原石港を描いた。かなりの時間をかけた。
しかし、時の教頭先生が、白は色ではないということで却下した。
美術専科の橋本先生だったろうか、いつまでも台上で掲げてねばってくださった。
と、後で、風の音に聞いた。しかし、それで絵を描くことは止めた。
橋本先生からは、版画も習った。エッチングも習った。理論は中学時に音楽も含めて習得した。
その後、その教頭先生は寒い冬の朝、校舎の階段に足の親指をぶつけてヒビが入った。
家庭科の先生はひわだせんせいだった。
電気洗濯機の実践授業がおもしろかった。
(左足首が痛い。天気予報は乾燥注意報が出ているのに。)
最近、アトムの子とかいう。それはいい。
私は、もっと古い。
とか思った。雑感。
情緒。本来の読みはジョウショです。
私が小林秀雄を好きでない理由。中原中也に対する裏切り。
私は、ランボーが嫌いである。だから、ビヨロンの音など聴きたくはない。
今度は、パンセみたいになっている。P・ヴァレリィは好きである。
そのカイエ編が大好きだった。今は持っていない。ある頃、古本屋へ流した。
どのようにしてどのようなチカラをマスターするか。
得たものの秘伝である。
そして、そのチカラの運用・運転は得たものの自由である。
これが自由と言うことである。
勿論、自由には責任が伴う。
既に出ている結果についてもそうであるはずであるのに、まだ逃げようとしている者たちがいる。
自由個人主義の定義である。
風はどこから吹いているのか。見れば感じるはずであるのに。
周波数は、どこに合わせるべきか。Air!
林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。 洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。 明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.
●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、 海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、 だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、 あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)
≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、 貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫ (マルコによる福音書10-21)
≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫ (マルコによる福音書10-27)
そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、 求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」 の法則』p78)
だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
書物はいくら記してもきりがない。
学びすぎれば体が疲れる。
すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
神は、善をも悪をも
一切の業を、隠れたこともすべて
裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)
さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、 主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。 (ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。 正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、 雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、 天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、 だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、 多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、 ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。 そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。
●高齢化社会の中で、 インターネットを楽しみ、パソコン・ライフを実践することは、たとえば、かつて、新幹線ができたとき、新幹線に乗りたい、 といった気持ちを大切にして、つまり、自分の気持ちに素直になることではないでしょうか。東京オリンピックがあったとき、 カラーテレビで見たい、と思った頃の気持ちを。今、68歳の方も、まだ、あと10年は働ける社会が、始まっています。 だから、パソコンとインターネットを精一杯楽しむことをしてみましょう。しかし、何事も、案内人がいると、楽で安全です。 そこで、そのためのお手伝いができるなら、無上の喜びとするところです。また、図らずも、障害を持ってしまった方も、 パソコンをして、インターネットをして、それぞれが、楽しく、やさしく、生きていける時代が始まりました。だから、 みんなが、ほんとうの幸せを、もっと、楽しんでいい、と思われます。つまり、「周りが幸せになれば、その中にいる、自分も、 必ず、幸せである」という法則が実践されると、これが、「わかちあうこと」であり、つまり、全体のレベルが上がることで、 自分たちも、自然と楽な環境の中で生活してゆけるのです。一部の方だけが、利益を得る時代は、もう昨日までのことです。 だから、呉市だったら呉市中央公園へ出かけると、樹木がたくさんあって、美しく、整備されていて、お散歩するには最高です。 そこへ、パソコンを小脇に抱えて、あるいは、車椅子のひざの上において、出かけることも、きっと楽しいことです。 木漏れ日浴びて、そよ風吹いて。そして、小鳥たちが舞い降りてきます。もう、高齢者の方も、障害をもっておられる方も、 自分ごととして、インターネット社会へ、入っていける時です。その環境は整いました。しかし、情報は自分で管理する、 と言っても、それは難しいことです。それは専門家に任せて、自分たちは、この安全で楽しい、 そして最先端の技術であるインターネット空間を、思う存分享受し、豊かな、新しい暮らしを作り出していきましょう! インターネットは、私たち、庶民あるいは市民のものとなりました。【2004/11/20 Sat.】
そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。
(2005/09/27 16:47)
(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK−FMでミュージックプラザを聴きながら)
世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。
これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。
途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。
これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。
それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。
地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。
自分だけの地図が頼りだよ。
あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。
諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。
世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。
今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。
そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていること
を、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。
ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない人を知っている。」
これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。
ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、 その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、 どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』 を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、 フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、 その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、 一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。これを以て研究とは言うのですが、 我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。 その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。
今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。 時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。 次は孫の時代ですね。楽しみです。
表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。 喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。 場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。 剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、 構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。で、 うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。 これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。 場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。
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若い人へ:幸せになるための方法論として〜エクトン〜
(2005/10/24)
1992/3/3 (以下、読書ノート・メモです)
あなたにとって、一番良いアイディアを知っているのは、あなた自身です。あなたの選択について、年上の人たちがいかにあなたとは異なった感じを持とうと、あなたにできる唯一のことは、ゆるすこと。彼らには、あなたを受け入れさせることはできません。あなたが働きかけて、誰かに何かを感じさせることも、行為させることも、一切できない、それが真実なのです。
今やっていることは、やりたいことであり、一番必要なことです。どんな仕事に就こうと、人のためになっているということを知っていてください。援助する人。微笑み。
あなたが持つフィーリングで、現実に展開する未来が決まります。すべての創り出される現実、すべての創造物は、あなたのフィーリングから始まります。
本当にカウンセラーになりたいなら、それに必要なあらゆるステップをとっていきます。どのようなカウンセリングがいいか、情報収集してください。望む結果を得るために、ある種のトレーニングが必要なら、探して受けてください。あなたが、本当に望んでいれば、そのためのお金も引き付けます。
この瞬間、自分に必要な情報をすべて得ていると理解したら、この瞬間にもっと満足して生きることができます。必要な情報は、すべて与えられているのです。常に自分と自分の周りの世界に対する無条件の愛を選択します。暖かい、認める、理解する、気楽に。
あなたが、彼らの期待や欲求や、こうあってほしいという欲求に合わせて生きる必要は全然ないということです。自分に正直に生きてください。もっと得てください。愛と知性と意識の拡大。リラックス。あなたの真実はあなたのものです。
自分のその時々のムードが、周りの世界の見方にどのように影響しているか。自分のフィーリングが、周りの現実に如何に影響を与えているか、に気づきます。また、自分の欲求や希望が、ときに、魔法のように実現するのを経験し始めます。
誰も、外側に責める人などいない。
自分自身以外に、なにも信じる必要がないとしたら、あなたは、天国に入ります。あなたが、愛を感じること。自分が、自分の経験する現実の全てを創り出していることを認めることです。自分の源から分かち合って、他の人に与える。本当は、あなたは既に全てを知っていて、この瞬間に知る必要のある物事は、すべて知る能力を持っています。
あなたが経験する、毎瞬毎瞬が、過ぎ去るショーです。執着すべきものは何もありません。目の前に展開されているショーを眺めていればいいのです。
相手が自分の「鏡」であると知っている二人が出逢うと、神と女神の出逢いです。
自分の前に展開されるショーはすべて、自分の内側にある創造性の表現だと気づいたとき、あなたは、もっとパワフルになります。この世界に生まれてきた目的は、肉体をもって生を生きるということを経験し、楽しむためです。
自由は、闘って勝ち取るものではなく、自由を感じることを、自分に許すことからやってきます。何かから逃れようとするのではなく、自分の望む新しい状態に向かって移動するときに、望むことを得ることができます。
直観に基づいて選択することには、なにも間違いはありません。安心感と希望。彼らが、すでに内側でしている選択に、気づかせてあげることです。できるだけ、広がりのある、愛情に満ちた形で表現することです。信用すればするほど効果的に作用してくれます。
フィーリングにしたがって行動することが、一番良いい。意識を、自分より深い欲求に合わせていく習慣をつける。思ってしまった以上、否定しない方がいい。エネルギーの高い状態になると、ある種の磁力を発生する。自分の内側で、自分を養い愛していい、という感覚、そうした意思を持つとき、それが外の世界に投影されて、お金が豊かさとなってやってきます。
豊かさは、自分自身と自分の周りの世界との関わりに於いて、でき得るかぎり、最も価値ある人生を実現しよう、という深い選択と意思に基づいてやって来ます。自分の選択した方向に向かう意思を明確に持てば、それを得るために必要なステップは、、一度に全てが現れないにせよ、毎瞬毎瞬、あなたに明らかにされます。その瞬間をあなたが本当に自分でそれを望んでやっているかどうかということだけが基準です。「自分が自分の現実を創り出す」ということを、その人に話す前に、相手の人のおなかが十分に充たされていることを先ず確認してください。基本的な欲求が満たされていなければ、哲学を受け入れることは困難です。
望みの実現が、自然に、心から信じられることが、それを実現する上で、大切なポイントとなります。種を蒔いた後に、取るべき行動は、必要に応じてあなたに明かされます。自分の人生の質を向上させて、喜びと幸せに満ちた生活。罪悪感を動機にした行動からは、いかなる行動であれ、望んだ結果は得られません。意識を最もフォーカスするものが、自分の現実となります。
それを変える一番いい方法は、それを「受け入れる」ことです。・・・(あらゆる失敗は)あなたが具体的でなかったからです。あらゆる関係は永遠です。終わりはありません。今、あなたがイメージの中で見たものを、深いところから欲しいと思っているなら、あなたは何らかの形で、現実に経験する出来事を創るはずです。
あなたが、自分の創り出したその人に対して、自分を表現しよう、開こうという気持ちがあったなら、相手の人があなたを見つけないでいることは、不可能です。自分自身をそのまま受け入れることによって、磁力的になります。心地のいい目だな、と感じることもあるし、隠し事があるように見えることもあります。求める人間関係を、完全な自分が、自分へのプレゼントとして引き寄せるものを受け取ってください。理由づけが少なければ少ないほど、あなたの人生はマジカルに、エキサイティングに、生き生きとするでしょう。
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2006年06月26日
一大事畢了
ありのままで 生きてゆける
何も 無理をすることはない
どうして このようなことになったのか
常に 理想を 求めていたのか
それもあった
さて 力を抜いて
生きてゆけそうだ
やっと 求めていたものが
手に入った
この世の 制空権である
それ故である
生まれた時から 一人で
戦っていたようだ
何とだっただろう
祖先達の無念をはらすため
であったのだろうか
一身で背負うには 重すぎた
何時の頃からか 明治をなきものにする
と 思っていた もう それさえも
忘れようとしている
過去は 乗り越えるためにある
この度の作業を始めたのは
昨年11月26日だったろうか
まる七ヶ月 要した
時をかければ 夢もかなう
秀吉の三夜城ではないが
この城 落とせないでしょうね
守備は 宇宙自然生命黄泉祖先
鉄壁である 万軍の主も味方についた
日月照らし 風が吹く
砦は城塞となった
始まりは生まれてからのことだった
どうも 予定されていたらしい
そして 突貫工事が始まったのは
七ヶ月前だった
いつまでも 暗中模索していた
何がしたいのか 明確ではなかった
何時の頃からか 神及び黄泉が
手伝ったようだ
導かれてのことだった
いつの間にか この 城塞が
できあがった
できあがったとき 自分自身に
気づいた
孤軍奮闘していた頃が 懐かしい
生まれた使命は果たしたようだ
これで 重荷を 降ろす
会津 白虎隊は 生きていた
その 無念は 晴らした
黄泉の國にて その敵は討った
ように思っている
仇の首は 取り 黄泉の國にて さらしてある
少し 疲れたようだ
何度か命を落としかけた
よくぞ 戦い抜いた
捨て身となって 最終突破 三方原となった
横須賀には 原子力空母ジョー・ワシントンも配備される
しかし 何もかも 失ったと思ったら
黄泉の守護のあることに気づいた
これで 大安心を 得た
一大事畢了である
戦いは終わった
これより 私の戦後復興である
しかし 独り相撲だったのかも 知れない
今となっては 何もかも アブザード
これより 気楽に生きるしかないね
十分に これまで ひとり 生きてきた
自己開発は 果たした
精神世界は 制覇したよ
そう思っている
読むものがなくなったら
書き始める
吉田健一氏が云っていた
文筆家にでもなろうかな
と 思っている
それだけの ことはしてきた
見てきた と 思っている
いつも 時代の声を 聞いていた
スタンドバイミー
いつも 黄泉から 見護られていた
この実存を 伝えることができると
いいね
確かな 経験的幸福論
伝えておきたいものがある
身分及び組織に安住するものには
決して わからぬ
ほんとうに 強いということが
どういうことであるか
神仏を畏れぬ あるいは
日本古来本来の価値を
無視及び愚弄したる
下級精神の支配による
腐敗の中で見失われた
卑弥呼の系譜 法華経 宿王華
尊祖父及び祖父直伝 Japan 純粋精神
すなわち 身心清浄
のこしておきたい
ものがある
祖父によってであろう 折られた
家伝 螺鈿の槍である
かつて 社会は 私及び本来の日本を 捨てた と 思っていた
そして 好き勝手している と 思っていた
それで にっちもさっちもいかなくなった と
そして 腐敗した と
何もかも 気に入らなかった
あらゆる 解釈に 欺瞞を 感じていた
自分解釈 嘘が 含まれている と
世間虚仮 唯佛是真 と
呉に 海洋少年団があった
入ろうとしたが 父によって 反対された
小学校の頃には 剣道をしていた
防具も借りて
県警 窪園七段だったろうか
かかり稽古も してもらった
しかし 剣道も 父によって 反対された
父は 知っていたのであろう
現代日本の 悉くが 無価値であることを
父は 予科練の 教官もしたと 言っていた
しかし その 真偽は 明らかではない
今 その意味は 理解している
そして
家に 真新しい 海軍の毛布と 落下傘の
ケンパス 及び 絹の紐 が
あったのは 事実である
父は カムチャッカに いたと 聞いている
その他 桑原家の 縁の方々が どこにいたのか
詳細は知らない ただ 台湾については
聞いている
祖父の遺した その面々の アルバムは ある
因って 日本を愚弄し腐敗せしめ裏切りしもの達を 決して
ゆるさぬとする 黄泉の意思
理解して貰えるであろうか
ある日 父は言った 私も同じだった と
おまえは大丈夫だ 私の子だと
それにしては 時間が かかりすぎた
精錬するべきものが 多すぎたと 云うべきか
しかし 世の中 代々の掟は 掟である
今も 昔も 変わりはしない
それを 無視したる面々 覚悟あるべし
事実として 純粋精神を 傷つけしは 黄泉よりの
相応の サンクションあるのみ
この世の 秘密開示 の 時節である
何故か
無事 歴代の真実が 誕生したからである
仮の権利ではない 歴代の本権として 行使するべきものがある
娘道成寺の道 成就されたればなり
最後の隹が 羽ばたいたが 故なり
この道 もはや 誰も 邪魔無し
縁とは何か 誰との縁か 生命の奥義
よくよく 憶念するべし と 申しおき候
このような ばかなことを思っていた
男が ひとり いても いいよね
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21世紀幸せ研究所設立
長い旅だった
何がしたいのかわからないままだった
しかし ここに至って 見つかった
自分のほんとうにしたかったこと
すなわちそれが 幸せ研究所
十分に読書した
十分に思索した
十分に修行もさせて頂いた
そして 見るべきものは 見た
得るべき チカラも 得た
自分が 何者かも 知った
それで 設立である
21世紀幸せ研究所
少し 疲れたようだ
身も心も 限界だ
しばらく ゆっくり しよう
もう ゆっくりして 良い と 思う
長い 旅だった
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思ってみれば
これでよかったのだろう
すべては恵まれていた
これ以上ない ものを 持って 生まれていた
しかし 時は 無駄なように 過ぎ去った
わたしにとって 時は 青春のままだった
その間 何を見てきたか 何をしてきたか
夢のようである
およそ 不思議な経験を 体験している
今となっては すべて 夢だった
まるで 倩女離魂 だった
しかし これで よかったのだろう
夢は 成就した
おそらく この世で 最高の チカラ を 得た
それは 今更 云うべくもない
大きな 犬をも ふるえあがらせる チカラ である
台風をも 制御する チカラ である
しかし もはや それを 行使 しようとも 思わぬ
その他 いろいろな 事を 見た
橋のたもとで 目の前に 獲物を鷲づかみにした 大鳥が 舞い降りたこともある
山道に迷ったときには 鳥が 導いてくれた
確かに 真実真理 と 邂逅した
この 事実は 事実である
そして あらゆる 謎が 解けた と 思った
汝自身を知れ の 汝とは 自分自身だった
これで良かった のだ と 思う
今 思ってみれば すべては 知らしめんが為に で あった
何を知らしめんとしたのか
自己自身を である
その 自己自身 とは 何であったか
もはや 秘密である
仏法は 王法に 合し 王法は 仏法に 瞑した
外は 雨が降っている 強いが やさしい 雨である
京都を旅行したことがある その時も 雨が降っていた
細くて 長い雨脚の 絹の糸のような 密度のある 美しく やさしい おだやかな雨だった
京都嵯峨野大覚寺あたりのことだった
いつもの ポプラ で お酒とおむすび を 買った
お酒は ブラックニッカ 180ml 299円 父の好きだったラベルである
さきほど 東北地方で 地震があった 津波の心配はないという
(2006/06/26 3:32am NHK-FM 加藤登紀子 『愛の賛歌』 『バラ色の人生』(1946) 『愛しかない』 を聞きながら)
and now all is good from now on I would like to live my own way and my true life certainly.
午前3時45分 広島 呉 に 大雨洪水警報発令 とのこと 24時間に雨量140ミリに達するおそれがあるとのこと 3:52am 風はない 今日の仕事のために眠ることにする good night
posted by GT at 02:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
人の花
人それぞれの顔がある
それぞれの花を咲かせている
いい目をしている人がいる
邪悪な目をしている人がいる
目を見ると およそ 見当がつく
詐欺恐喝師の目は詐欺恐喝師の目である
どのような目をしているか
邪悪な目である 虹彩がない
人を見るときは 目を見ると良い
信ずるに 値するかどうか わかる
しかし いい目をしていても
話してみると さほどではない人もいる
騙されないことだ
騙さば 騙される
人為には 勝てない
信用しすぎないように
善人に見えても エゴであるのが 人間である
自分の利益のために 生きているのが 人間である
しかし ほんとうに 良い人は いる
人は 信ずるに 値する
そのような人に めぐり逢いたいね
そのような 縁の中で 暮らしてゆきたいね
人の姿をしていても いろいろ である
蟻もいれば 蛇も いる
人間観察の妙 また 楽しからず哉
人に 迫力がある
本気になったときに それは 現れる
本気になって どれだけの チカラがあるか
神仏をも動かすチカラがあるかどうか
およそ 人格の差がある
はじめより 勝負は 決まっている
暴力では どうにも ならない
知力の差が ある
小手先ではない 神仏の守護を得た 知力がある
これを使えば あるいは 使わなくとも
黄泉は見ている そして 助力する
神通力 あるいは 如来の神力 は ある
posted by GT at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
2006年06月25日
魑魅魍魎の自由
魑魅魍魎が自由を得て 跋扈している
かれらは パンドラの箱を開けた
そして なにもかも 喰ってしまった
喰ってはならないものまで 喰ってしまった
あるいは 喰おうとした
そういうこととは 知らなかった
どういうことだ
そういうことだ
あなたがたは パンドラの箱を 開けた
そして 自由と 思った
そして 好き勝手 した
ちがう
その間 何もかも 喰った
そして 喰ってはならないものまで
喰おうとした
それで 眠れる子を 起こしてしまったのだ
それで 本来の自然が芽生えた
あたかも オレンジ仕掛けの時計のように
時がきた
そして 眠れる子が 起きた
起きたからには 仕方ない
観念するしかない
泣きやむまで 待つしかない
ネコと子供には 先に 食事をさせろ
そうであるのに 食事をさせない
それで 済むと思っているのか
それで 済むと思っているのが
魑魅魍魎の自由であろうか
知らなかったとはいえ 罪は罪である
罪とは何か 本来の秩序に反することである
あなたがたは 度を過ぎた
人間であることを 放棄したかのように
自分たちの 勝手な解釈で 世を染めた
それで 済むと 思っているのか
本当に それで 済むと 思っているのか
真実真理を まだ 愚弄するか
知的傍観者は いかにも 知ったかのように
悪に 迎合しようとしている
何も 知ってはいないではないか
知っていたなら このような 馬鹿げた世に
なってはいなかったはずだ
さて どうするのか
責任は とってもらう
色々と 聞いていることがある
今更 詮索はしない
しかし 真実真理に背いた事実は 天に 記録されている
時が来れば その 裁きがある
今 その時が きている
裁くのは 神である とは 聖書のいうところである
悪とは何か 神の意志 あるいは 感性に 反することである
あなたがたの 解釈に よる のではない
神は むしろ きまぐれである 自然が 神である
自然を怒らせない方が良い まだ わかっていない
仏の顔も 三度まで と 決まっている
堪忍袋の緒も切れる 切れるとどうなるか
知らぬ訳でもなかろう
いい加減にした方が良い
神は 無理な要求をしているのではない
存在を認め ただ 畏れよ と 云っている
昔より そう である
敬虔と 謙虚さとを とりもどせ と 云っている
それらが まだ 世間を支配する魑魅魍魎に 見られない
それを 憤っている 公憤である
何を以て 善とするか 悪とするか 勉学するべし
善は 佛さんの所にしかない
いい加減にしないか
しかし このようなことも もはや どうでもいい
今までのことは 今までのこと
これからのことは これからのこと
思うようにならなければ それは縁なきこと
やがて 思うような縁が来る
縁は常にひとつでしかない
縁なき縁を切らねば次の縁は来ない
縁は黄泉よりやってくる 自分にふさわしく
その時々の自分を因としてね
因って 縁も自分次第と云える
良き縁を結ぶ ためには 良き自分となっておく
それだけの自己を発見しておく
そして 自覚しておく 汝自身を知れ
一切の 煩わしさから 解放されて
例えば 何もかも 気にせずに 誰か 愛する人と
静かに 暮らすことができると良い と 思っている
今更 世の喧噪に身をさらし その 犠牲となる気はない
ほんとうの しあわせを 手にできる と 思っている
残りの人生を ふさわしく まっとうできる と 思っている
必ず そうなる と 思っている
posted by GT at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
みんな幸せを求めている
この世に生を受けて みんな 幸せになりたい
過去から 代々 幸せを 望み 目指してきた
しかし 悲しい現実
これはね 過去を清算する必要があるのだね
つまり 発生段階において 形態的に アメーバから
過去の姿を 経由して 人間となる
人間となってから 心の問題としても
過去を通らねばならない
そして 多くは その過程を突破できない
悲しみの過去に とどまる
悲しみの過去を 突破するにはどうするか
身心清浄 すなわち修行
過去を乗り越えると 幸せの大地が 広がってるよ
こころにおいて 過去を乗り越える
そのためには 勉学と努力 だね
申し訳ないけれど 知性だね 感性だね
ひとそれぞれに 持って生まれた差はある
しかし それぞれに 幸せの 可能性がある
平等即差別だね
このあたりを無視して なお 好き勝手している
こころは 過去のまま
幸せにはなれないね
幸せの条件 わかってもらえたかな
みんな 幸せへ 行ける
だから そのために 選択の自由として 保障するべきものがある
それで 悪は ゆるせない
詐欺も欺罔も暴力も ゆるせない
この道に反することを ゆるせない
しかし 世間は これを 知らない
知らないから まだ 詐欺も 暴力も している
究極の強さは 神仏に守護されること
それでも 刃向かわんとしている
さて 開発し 発見した 魂の周波数がある
これをもって如何せん
一隅を照らす すなわち この周波数を 伝搬する
そのために 存在する 勉学する
それが これからの 仕事
自覚ありて 風の吹く 日の照らす
真実を 伝えん これからの 仕事として
あるべき姿を 確立せん 思いを 形とせん
世界は待っている みんなの 喜びの姿を
喜びを 恵まん 恵む人は 恵まれる
愛する人は 愛される 自分次第だね
周りが幸せであると その中の自分も 必ず 幸せである
素質と環境で人格はできる
環境とは エーテルのように 周囲を満たしている 霊達
良い霊と 仲良しになりたいものですね
周囲を 楽しい霊で 満たしたいものですね
目指すべきは 人格の形成
幸せも その人格を好きになってくれる 霊達の 成せる業
自然に好かれる 宇宙に受容される 守護される
それは 過去の 霊達に 認められることかも知れないね
そして 自己の魂を 育成していく
良い人格となって その人格を 魂に託して 未来へ つなげる
ただ それだけのことだよ 人生は
生まれてきた使命は これに気づき 幸せとなることだよ
なにも 心配することはない
気づくまでの 試練だ
気づけば 幸せ世界が 広がっている
自分の力で成就するものなどない
自分の力で為すべきは 人格 品格 の 涵養と 維持だね
それを 忘れて 何をしても 悪の結果
そろそろ 気づくべき 頃だね 21世紀の意味
やさしさで すべては 解決する方へ
そのための 勉学 努力 大切にしたいね
おだやかさへ シフとしたいね
凶暴性から さよなら したいよね
開発するべきは こころ 自己
物質文明の時代は 終焉した
こころの開発は 最も おくれて やってくる
現実の悲しみを 勉学 努力で 耐えて 乗り越えると
やがて その存在は 天界へ 引き上げられる
それが 幸せの形である
そして その後の人生の展開となる
天下をとるとは この展開へ至る 過程に過ぎない
天下を取るとは 自己の悪性を精錬して 焼き尽くし
神仏宇宙自然生命に受容され守護されることである
万軍の主も味方につく 思いは黄泉が助力し 実行し 実現する
このメカニズム 宇宙自然生命の真理真実であり 秘密です
自己の魂が 至って 開示される
すなわち 如来である 如来でなければ如来はわからない
如来の地図が 法華経
そこで 伝えられしは 一切種智慧 と 宿王華
宿王華開花 の 時節です
しばらく 本末転倒 民の支配だった
しかし その支配は 結果 腐敗
当然のことではありました
その腐敗が 土壌となって
純粋精神 宿王華 開花 です
時は来ました
(2006/06/25 8:11 NHK-AM ビーバー作曲の音楽『ロザリオのソナタ』『ラメント(嘆きの歌)・・・キリストの御心が実現されますようにと主に祈るその情景を託した歌・・・切々と悲愴なメロディを奏でる』を聞きながら 彼はバッハ及びヘンデルより40歳も先輩 この頃から宮廷音楽はあった 2時間にも及ぶ大曲 キリストの運命を見守るマリアがモチーフ 深くて清祥な祈りのような音楽 音楽として悪性が精錬されて結晶した宝石のよう[ヨウは尊祖父千畝の妻の名] モンテベルディの和声を思い出しますね・・・清祥な音楽に触れてその周波数で魂は浄化されるのですね・・・良い朝です・・・良い傾向です・・・世界はかくも美しい至宝で満たされている・・・NHKさん いつも ありがとう ・・・フィナーレはパッサカリア メロディが六十数回も下っていく その度に変奏がある ・・・一曲の音楽は一個の存在の人生の情景と表現ですね・・・表現の自由はこのためにある・・・すなわち芸術目的的行為人格形成人生論)
posted by GT at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
2006年06月24日
人格と感情のメカニズムについて
この身体は 器としてあるのだろう
この身の回りは エーテル状態の 霊で満たされている
それぞれ DNAにおいて 受けとしての属性があるように
それぞれの 魂において 受けとしての属性があるのだろう
その受けに対して 身の回りを満たしている霊のどれかが入り込む
魂と霊との合体だ その時にオーラもでるのだろうか
オーラは 覚醒したものに 出るのだろう
そして この合体を通して その時々の人格あるいは感情となるのだろうか
多重人格も それで 理解できる 魔が差すということも
それぞれ 持って生まれた受けとしての属性があって その意味では
生まれながらである つまり決定論的である
しかし 外部からの霊に対して その霊は 器としての身体の中を 往来していて
その中から 自ら 受けとして 相手の属性を選ぶのだろう
この意味では 自由意思論的である
やはり 選択において自由であり 自己責任と言える
しかし この人格及び性格メカニズム理論 正しいかどうかはわからない
ただ このように思えば 一個の人間の 時々の 穏やかさと 激情を 理解できる
結果に対しては 結果無価値的責任と行為無価値すなわち道義的責任と 同時に問われる
ところで やはり やさしくありて すべては 解決するね
それまでの 厳しい修行的人生である あるいは 勤勉である
いつまでも そう真面目である必要もない
己が自信を得て 己自身を自覚すれば 修行は終わるね
要は 自己責任の原則の下 他に迷惑をかけなければ 何をしてもいい
常に焦るべき事は何もない この世に あるのは 本来無一物
ここを知って 現実に 対処する
これが 個人自由主義である だから 起こった事実に対しては関与責任がある
他に迷惑かけなければ あとは 気楽に 思うままに 生きるがいい
自由の定義である ここを キリストは 自分の欲しないことを 他人に施すことなかれという
ただ 子供達に対しては 選択の自由を 保障するという意味で 保護する
それが 本来の 成人ということだよ
様々な人間がいて良い 結果の悪に対しては処断する
さすれば 世の大人は 何者だろう
いろいろな種から咲いた花である
そして この世の存在の究極の分類は
目覚めているか あるいは 目覚めていないか だね
目覚めていれば 何をしても 善だ
目覚めていなければ 何をしても 悪だ
悪については その結果の程度において 処断される
目覚めて 事を為せば 何事も 成就する
仕事そのものが 喜びとなる
存在そのものが 祝福となる
いつまでも あくせくして お金の奴隷となることはない
極論すれば お金はなくとも 生きてゆける
鳥のように 花のように
仕事の評価は相対的評価だろう つまり客観的評価である
しかし 自己は自己以外に生きることはできない
その意味で 仕事は絶対的のものだ
他に迎合しては 何事も 自己の成就はない
因って 自己の絶対的仕事が 他の相対的評価と一致するまで
自己を修養する それは むしろ
自己のマイナスの属性を払拭する作業となる
あたかも 大理石から 自己の像を 彫り出すようなものだ
他を欺くことが仕事ではない 世の中は往々にして孫子の兵法第一条的である
間違っている その場はしのげても 人生の最後には 泣くことになる
人生は 喜びに満ちている 笑う門には福来たる
福は神である 神を迎える喜びが 人生の喜びであり 幸せである
神に 祝福されているのかどうか
神は 自然である 自然の守護があるのかどうか
人間の作為には 人間は勝てない
騙さば 騙される
真実真理神仏を知らず あるいは 無視及び愚弄して
騙して 勝ち組などと 決して 言わせない
posted by GT at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
地の塩としてのやさしさ
一隅を照らす ということがある
天台大師の言葉だったろうか
天台大師は弘法大師に密教を教えてもらった
しかし とうとうわからなかった
夏目漱石は円覚寺で坐禅した
しかし 悟りには至らなかった
則天去私はわかった
悟りとは カクネンムショウ
すなわち 日月照らす 風の吹く
大自然の守護を取りつけて 悟りです
本来の天下を取るとは これだったのです
しかし 現実生活においては
そのようなことも どうでもいいのかも 知れない
ただ 楽しめばね
しかし レベルが違う
さて 地の塩 としての やさしさ
その人の 持った周波数だ
その人が 存在することで 周囲が なごむ
その周波数で 花を 育てる
子を 育てる
その周波数が 縁だ
その周波数が マントラ 真言だ
宇宙自然黄泉の 周波数だ
だから チカラ ある
こうした 秘密が 古来 ある
それを 無視 あるいは 愚弄 するから
おかしくなる
それを 知らない方々の支配
明治以降 敬虔 なくした支配
腐敗 あるいは 堕落 でしかない
会社は人なり という
この周波数を持つ 人が存在するとき
その会社は 繁栄するだろう
そうした方が 縁となれば
そのグループは 繁栄するだろう
株式投資も 同じ事
だれが 投資しているのか
そうした方が 投資してれば
その会社は 繁栄するだろう
しかしながら そうした方は お金と縁がない
だから 投資はしていない
これからは 違うかも知れないけれど
嘘があれば インサイダー取引だね
やがて 枯れる
さて 地の塩としてのやさしさ
宇宙自然生命の不思議
大切にしたいね
わかってくれるだろうか
もう 一つのことしか云っていないね
一大事とも云う
真実真理は一つだね
この一つ なかなか 手強い
つかめない
真実真理の証明はね
日月照らす 風の吹く
この体験が つまり 隻手の音だよ
あるいは 歩々清風 独坐大雄峰
知ったというなら 証明してみると良いね
奇跡が 奇跡ではなく 事実であることを
そして 何でもするがいい 何でも言うがいい
それが 自由
そうでないなら 敬虔に 帰ろうよ
謙虚さに 帰ろうね
上には上がある
月へは行けても 太陽へは行けない
人間科学の思い上がりも 反省の頃かな
こころが そのまま 宇宙とリンクしてるよ
探索するべきは こころだね やはり
あらゆる 芸術も こころの 表出
科学など 及びもしない
野に咲く一輪の花さえ 作れない
鳥の羽の色 作れないね
21世紀 こころの大地は 開かれました
人類において 無限の可能性が 発見されました
掘るべきは こころ 無量の資源の 宝庫です
これまでの 人類の営みが
DNAとして 記録されている
あらゆる可能性は 自己の中にある
この宝 取るにどうするか
自己との戦いをする 自己と対峙する
自己の本体は何であるか
代々の 自己の解明なくしては
モーツァルトの天才も 説明できない
モーツァルトの前に バッハがいる
ヘンデル ハイドンが いる
こうした 代々の営みが 英知として
蓄積されている
やはり 勉学は 必要だね
要領だけで 他を犠牲にして 自らの地位を築く
そして自分たちだけの利益を追求する
そうした方法論は終わったよ
この400年の 物質文明の
世の大人達の時代は終わった
すでに 21世紀 情報理論(二進法)の世界である
二進法 つまり 善 あるいは 悪
すなわち All or Nothing !
posted by GT at 16:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記
【アウレリウス】(読書ノートより)
【アウレリウス】日々考えていることがあなたの精神を作っていく。 何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。 掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。 進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。 道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。 道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。 善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。 誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、 声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。 誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、 近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。
人間として自由を求めることは
正しい
しかし その自由が
人間の魂のレベルからすると
後退しているのではないか
カルバンより始まった
西洋重商主義の限界である
ペリー来航以降 日本も飲み込まれた
いつの間にか 本能的であることが
文化となってしまった
もしそうであるなら
人間の姿など しない方が良い
動植物のままで良かっただろう
野蛮がはびこりすぎた
知的階級は 傍観しすぎた
蒔いた種は 自ら刈る
自然の掟である
世の悲しい事件
明日は我が身と知るべし
もはや 自然は 勘弁しない
野蛮は もう たくさんである
下部構造としての経済活動が
あまりにも 前面に 出過ぎた
野蛮の 悲しさが きわまった
反省するべきは 人間の 本能である
本能は 自由ではない
ここに 断言し置く
正しい 自然に 帰れ
あなた方の解釈は 悉く
間違っている
浦島太郎は 帰還した
そして たまてばこを 開けた
そして 驚いている
人類の秘宝が これほどまでにあることを
そして 善財童子も 帰ってきた
やはり 人類の秘宝を 手にしている
しかし 現在社会は 何も知らない
欲得に 目が くらんでいるから
そして キリストを 処刑した民だから
神は 高きを低くし 低きを 高くする
ために やってくる
それは 善良な庶民と 健全な精神の解放
旧約聖書にしたためられていた
そして400年周期説
人類二千年来のプログラムが動き始めた
万軍の主も馳せ参じ味方についた 黄泉は全軍 活動を始めた
時代のパラダイムが音を立てて未来へシフトする
畏るべし
これまでの 過去を含む 代々の罪が 裁かれる
時を迎えた
容赦ない
そのためには 時が満ちるのを待たねばならなかった
19世紀末 ヨーロッパは すでに 腐敗していた
今 世は 十分に腐敗した
それが 土壌となった
蓮華が咲くべき泥となった
今ある自由は 仮城にすぎない
本当の 自由の城はある
代々 秘密に 守護された種がある
今 それが 開花する
すなわち 法華経 宿王華
如来の秘密が 法華経だった
やがて 如来がくるための 灯明だった
如来でなければ 如来はわからない
法華経もわからない
如来のDNAの記述だったのだ
このDNAが目覚めた
そして 自覚した
日本古来本来大和の復興である
NHKーAM 俳句をしていた 入選作に 色気ある品はないかと洗濯機
この句の解釈 花街の品はないかと 妻の寂しさ 過去の前科
女は見抜いている 何もかも
表には出さない しかし 暗に言葉はそれを語る
鈍感な方々にはわからない
美しいものは美しい 真実は真実
わからぬものたちが 勝手なことをしている 言っている
因って 腐敗した
腐敗達の天下となった
これより 浄化である
そういう 時である
Good-bye 腐敗
真実楽しい世界はすでにある
ミュージックがそうである
音楽演奏は自己を奏でる 精神 魂の音である
文章も本来そうである 文体
NHK− FM サキタハヂメさん の のこぎり音楽を聞きながら 2006/06/24 10:30am
オリジナル曲 『光のさす方へ』 ザンフィルのパンフルートを思わせる
それよりも 清祥であるのかも知れない
カーネギーホールでツーデイコンサートをするのが夢であるとか
木調のホールでどのような音がするのか聴いてみたい気がする
CDになると良いですね
ピアノはこまつなおこ 編曲も
そして 次は こまつなおこ編曲 ロンドンデリーのうたのソロ
今日も 音楽を 堪能させていただきました
いつも NHK-FM ありがとう
それにしては 竹中大臣は日本人としてのこの楽しみを知らないのだね
拍手喝采 この出会いと楽しみを日本に生まれたものたちとして大切にしたいですね
ラストラーダ弦楽アンサンブルのアンサンブル 良いですね
アンサンブルとビルトーゾ
さて私は生まれた使命は果たした
伝えるべき事は伝えた
すなわち 宇宙自然生命の秩序及び掟
並びに神仏宇宙自然守護の実体
及び過去代々の約束真実真理卑弥呼の系譜
天照らす邪馬台国大和の秘密
私にしかわからないことがあった
それぞれ おのおの 魂の遍歴において
未来の明るきことを祈る 黄泉よりの使者として
すなわち 日月照らし 風の吹く方へ
そして ダルマよろしく 西域への 帰途につく
ぶらりと 徳利をぶらさげて 歩いて
どこかで 見かけたなら よろしくお願い申し上げます
名を名乗れば わかってくださいね
私はゴトウです ゴトウではありません
祖父の定めた韻律です
放たれた鏑矢はすでに新羅を超えたであろう
すでに仇討ちは済んでいる 黄泉にて敵の首はすべて取り
裏切りし者達のその首は 黄泉にて並べてある
明治以降 民の卑怯身勝手 これまでである
新しい時代への方向性
黄泉にて決した
都の春は知らぬまま
孤独に旅する黄泉の花
咲きてはらす無念なる
を 日月照らし風の吹く
あはれなし悲しみなし涙なし
浄瑠璃は誰ぞ鏡ならむ
これまでも変わるものと変わらないものとの
事は言われてきた 歌われもした
しかし 何も変わらなかった
何故か 本来自覚するべきが自覚していなかった
この度 その自覚するべきが自覚した
すなわち 法華経 五十転伝
その喜びや如何
人類の夢が 目覚めた
これより 時代はシフトする
明らかな パラダイムの転換である
やっと 時代が追いついたと言うべきか
真実真理神仏はある ないのではない
知らないだけである
これまでの ミューズたちの仕事が 成就する
本当の幸せとは何か それぞれ 気づき始める
そして その気づいた花が 咲く
咲くことのできる時を迎えた
存在の旅は 終わった
詩 或いは 歌でしかなかった夢が
これより 現実化し 開花する
そのためには 下草は 刈り取られる
それが 淘汰であり ノアの洪水であり
フォトンベルトである
大宇宙の運行の中での メカニズム
それが 自然の営みでもある
それぞれの花が 出逢うべくして 出逢う
運命の時を迎えている
法華経 宿王華 咲く時節である
いざ咲かむ 幸せの花を
いざ歌わむ 幸せの歌を
時は来たれる
(平原綾香を聞きながら)
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C・ウィルソン「宗教と反抗人」(読書ノートより)
C・ウィルソン「宗教と反抗人」(読書ノートより)
仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。
人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。
人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。
人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。
アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。
おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。
詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。
アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。
脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。
真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。
宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。
精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。
神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。
如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。
真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。
文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。
何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。
自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。
真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。
どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。
人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。
全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり。
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いくつかの詩篇
ブレ−ク
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず
ブレーク
人は全て各自の妖怪に支配さる
時至りて人間として目覚め
湖の中へ妖怪を投げ捨てるまで
イェ−ツ
我々が真に生き始めるのは 人生を悲劇と感じてからである
谷川俊太郎
黙っていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
ヘッセ
内面への道を見つけたものには
燃える自己沈潜の中で かつて
自分の心が 神と世界を ただ
形象 比喩として 選ぶのを
知恵の核心をおぼろに感じたものには
すべての行為と思考が
世界と神を含んでいる
自分の魂との対話になる
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2006年06月23日
魂の到達(NHK-AMメモ)
本来の自分に気づくことだ
自分は誰なのか
考えが世の中についてゆけなくなる
自信を失う
身体が衰えていく
しかし変化しない永遠のものがある
世の中は変化するものに執着している
変化しないものを
ひとつひとつ味わって手放していく
そこに小さな悟りがある
押してもだめなら引いてみる
人間関係もどうしたらよいのか
わかってくる
どのようにしたら幸せになれるのかも
たくさん知っているわけでなくとも
わかってくる
一つの最高の体験をしているから
すべてわかってくる
人間の本質 存在
体験して知る
それがサマディ 悟り エンライトメント
向こう側の自分になる
魂の到達
煩悩を超えて 深い静寂の中へ
至高なる存在となる
色々なステージがある
すべての煩悩を焼き尽くして
本来の自分となっていく
どこからも邪魔されないで
瞑想していく
執着して こころが こだわっている
スイッチをオフにする
気をつかう 頭をつかう
それで 寝ても夢を見る
日々 本来の自分を覚醒している
深い眠りが来る
覚醒がポイント 眠っていてはだめである
五欲から 自由な人になる
こころが 自由になる
こころが 解き放たれる
何事も 心配しないことが
何かを 成し遂げる
心配していれば
全力投球のつもりがしていない
事は成就しない
今までの価値観がブレーキとなっている
心が解き放たれていれば
目標を定めたとき 100%のチカラとなる
無心であることの大切さを
わかっているのだが 実行できない
日々 無心となることを 練習する
それはこころと身体のバランスとをとること
身体がととのうことで こころも ととのう
見えない存在 大いなるチカラ
これを信じる
信じるとは 疑いがないこと
最高に価値があることがある
身心を清めて
自分のことについて 誰も知らない
自分を知り 外を知って
最高の人になる
教えは 一万年以上前からある
実践の行をして 自分となっていく
宇宙に満ちているエネルギーが
自分の中にある
それに目覚める
大いなる神
その分身としての自分
そこに 帰っていく
土から水となり火となって風となり空となる
自然のプロセスである
自分の中にあるもの
その一つを味わって超えていく
また一つを味わって超えていく
最後に空となる
すべてを産み出すチカラが
自分の中にある
不安 知識 価値 勝ち負けの心 で暮らさない
心をつかうと いいこころでも 疲れる
いい人になろうとすると 疲れる
強制されない自然がいい
最終的に何が大切か
ただ気持ちよいだけでは 堕ちる
覚醒していること
パワフルなチカラ 光 あるいは 音 マントラ
ヒマラヤの聖者アリババが
日本の人にサマディを伝えるように言われた
苦しみから解放されること
社会生活をしながら瞑想をしていく
煩悩を破壊するチカラがある
真言はマスターからいただくと チカラがある
言葉の波動 スートラ
秘宝として伝授
出家 社会的煩わしさがなくなる
皆を導く尊い方に施し 功徳となる
福が来たと 施しをしてきた
人生の目的は何か
心の総合ケアとして 心を清めること
年寄りを大切にすることで
老人問題はなくなる
一般の人は修行に入れない
愛が大切となる
聖者に学ぶ
他人に施す 助け合う
ビジネスに成功した人は
高いところから眺める
得たものを皆に分配する
身体の弱い方
自分自身が素晴らしいことに気づく
やさしさ
大いなるもの 神から与えられたものがある
すべては 学びであることを知る
深呼吸を何十回かする
身体の毒素を吐く
こころのストレスを吐き出すつもりで
呼吸を見つめる(5分)
悩みの方へ行かない
色々なことに感謝する
見えないところからの恩恵に対して
自分にそぐわないことは 警告
自分の間違いに 感謝する
気持ちが切り替わる
自分の過去の経験に 嫌なことがある
感謝することで
自分のこころに 新しいエネルギーが
充填される
何を選択したら 気持ちいいのか
エネルギーを消耗しなければ 楽
心配しない
子供のことも 信頼して 見守る 見つめる
いい波動エネルギー
信頼エネルギーは 信頼エネルギーを 呼ぶ
変えようとしても 良いものは出てこない
暴力性を呼び出す
自分の発する 良いもの それが愛
あるがままを 受け入れる
自分を卑下しない ジャッジしない
すべては 学び そして 出会い
色々な自分がいた だが
自分が解放されて 楽になる 自由になる
感謝して ゆるしていく
深呼吸して 冷静になる
そして 話をしていく
人を傷つけることがよくない
すべては 愛である
自己防衛で 人を 悪く言う
人は皆 内側に 素晴らしいものがある
例え いじめられても ゆるしていく
バランスが大切である
身体のバランス こころのバランス
人のいいところを見て 信頼していく
相手の中にも 純粋性がある
自分が良いものを出すと 相手も出してくる
疑いと不安からの解放
自分を信じる 信頼する
日々 感謝して 生きる
見つめること 高度な覚醒である
無知ではできない
瞑想して 楽になる
ゆとりをもって 立ち止まる
瞑想しても がらくたばかり出てきては 落ち込む
身体から入るヨガがいい
身体がバランスがとれてくると こころも安定してくる
楽しく スポーツするのも 良い
心をこころにしていくこと 難しい
こころと身体をととのえて
本来の自分と出会い
こころのしがらみから 解放されて
自由となる
休むときには 休む
無駄にエネルギーを漏電しない
アンバランス エネルギーの浪費 から 迷いへ入る
ある日突然 悟りが来る 導かれている
信頼は大きな力を持つ
信仰することで 神からパワーをいただく
あちらこちら掘れば 自然地球も くしゃみする
何事も冷静に受け止めていく
悪い方へ行かない
自然治癒力 生命力
何事にもとらわれない 自由の人
愛に満ちて 楽に 生きていく
蓮の花は 泥の中にあって 泥を超えている
あなた自身が素晴らしい人間である
愛と生命力がある
神すなわち無限の命から与えられた存在である自分
に気づいてそれを信頼して生きる
無心 エンジョイ 力強く
心が平和で 調和がとれて 幸せの人
posted by GT at 06:30| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記