夢は実現する どのような夢を描いているのだろう
それには 方法がある 過去より 伝えられたところがある
権力武力金力的にではない それでは 究極の夢はつかめない
究極の夢って 何だろう それぞれの夢は違う 生まれた時から ちがう
それを 同じと思っていないか そこに 間違いのもとがあった
生まれてからの 人生ゲーム この世で 何を実現しますか
富ですか 幸せですか 人格形成ですか すべて 叶うのです
すでに 夢実現した方々が います かれらは こぞって 誘います
しかし その声が聞こえないのですね いつまでも 自分勝手している
こんなに 地球を悲しませてしまっていても 宇宙を悲しませていても
地球も宇宙も 人間に全てを 提供しています 母親のように
何か大切なものを 忘れていませんか
人生は 必ず開ける 信じて進むことです 自分の夢を
夢は必ず実現します それが 夢 です
ダビンチの夢も実現しています 釈迦の夢も キリストの夢も 実現するのです
自分より上の概念は 理解できないのです
理解できないことを以て否定しています それでいいのでしょうか
学校時代の成績の差がありました それも無価値としてしまったあなた方です
黄泉は悲しんでいるのです その愚かさが この世を腐敗させてしまった
悪とは 他の犠牲を伴うことです 犠牲となったものたちの事実があります
土は 様々な生物の死骸からできます それが 腐葉土です 育む力です
その事実を忘れていませんか
人生とは 自己実現 だといえます
それは 持って生まれた種を発芽させることです それぞれの 華を咲かせます
ところが 悪の華を咲かせすぎました 善の花もあるのですが 咲けなくなりました
これも 事実です あるいは 現実です
人間は 生まれながらに 善と悪を持っています 悪を精錬して 善が輝きます
宝石としての人格を結晶させるのです それが 隻手の音声を聞く ということです
学問 芸術 スポーツ ビジネス さまざまな 入口 があります
どこから入っても良いのです それが 人生です
そして 最後のゴールが見えてくるのです それが 夢 です
さて 私の夢は開けたようです やっと 自分自身 を 生きてゆけます
だからといって 別事無し 世間は 以前と同じです
社会を恨んだこともあったかも知れません それも 遠い昔のように思えます
悪いのは全て自分という意味もわかってきました その 悪を 精錬するのです
そうすれば 持って生まれた自己が 生きてくるのです
それが 自分に勝つ ということですね すると 道は開けるのです
宇宙自然生命黄泉も その目覚める時を 待っているのです
この夢を達成した者 それが 人生の勝者です
あるいは 仏法の究極です 道が開けるとは 魂に灯が点くこと です
それで 黄泉からも見えるのです 見えれば 守護してくれます
何があっても 大丈夫 です 不思議ですが 事実です
そして 具体的に守護するのは 祖先 です 祖先が宝 だったのです
持って生まれたものの意味もここにあるのです
しばらく 見失われていました 間違えた平等理念の故に
そして 悪の華が 咲き誇ったのです 彼らの支配が成立したのでした
しかし いつまでも そうではない 何時かは 上位概念が 目覚める
密かに 伝えられていたことでした それを 知らしめんとした 歴史 でした
こうしたことを以て 差別 というなら それは 誤解 です
世に言う 差別とは 身分によるいわれのない差別を以て
相手に不利益を与えることです
生まれたものを咲かせることを目指す概念は 他に不利益を与える要素を
持ち合わせていません 皆が幸せになるために貢献することを願います
このあたりに気づけない方々の支配でした
むしろ 他を利用するだけして顧みず
自分さえよければいいとする 方々からの逆差別でした
そうした方でなければ 今 世の中で のし上がれない
それが 大人だと思っている それが 人生だと思っている
偽善ばかりで 商売している それで お客の立場を 勘違いさせた
何もかも 利益のために利用することしか考えない
様々な犠牲の上に成り立っている事実及び可能性を見ていない
新しい義務概念が必要ですね 犠牲予見義務 及び 犠牲回避義務
これからの 企業の遵守モラル事項 となるといいですね
これなくしては 経済活動が成立しなくなるでしょうね
特に金融機関は思い知るべきです あまりにもやり方が汚い
敢えて 申し上げる次第です 事実 虐げられた身分として
魂のレベルにおいて 差があるのです 歴代の遍歴の結果です
それを 知らないで 物理的力の強さで 圧倒してきた あなた方だったのです
権力武力金力が そうでした すでに それらを克服していた存在もありました
それが 過去において 釈迦 であり キリスト でした
その後も 人類の英知として 数多蓄積されてきています
それを 無視して 人類の未来はないのです すでに 限界状態となりました
ここで 見直すべき事 があるのです 十分に時は満ちています
人類としての 学習 もして参りました 愚かさからの 脱却 を図る頃です
これまでの方法論は 尽く 失敗に帰しました
新しい時代が始まろうとしています 諸問題を解決する頃です
それはできるのです 久遠の釈迦牟尼佛 も お出ましです
過去の因縁の解決方法も説かれています
終わり の 始め の 時 を 迎えています
さて 今 NHKラジオ深夜便で さだまさし氏が さようなら と 歌っています
さようならは 別れの言葉 ではなくて
左様ならば と うなずく言葉でしょうか
世の中は 人格と品格 で すべて うまくゆきます
うまれてきたところから 始まります 人生の目的は 人格形成 です
持って生まれた悪を精錬し いくつかの 良いものを この世で付与して
魂を未来に流す あらゆる 秘密の秘密 でした
これを 成就する時 神仏も微笑み 守護するのです 人生のゴールです
いくら 債務があっても良いのです そのようなもの 問題ではない
そこから 新たに 真実の人生に目覚めればいい
因って 債務を理由に 自殺なんて意味がない 命を捨てることはない
せっかく生まれてきているのに こんなに素晴らしい人生が待っているのに
勿体ない この世でなければ 出来ないことがあるのです
この世で 成すべきことが あるのです 世の教育界は何を教えているのか
人生は一つの物語です 物語であるなら 結末があるのです
どのような結末となるのでしょうか 終わりよければ全てよし
終わりは 始まりです そこから 新たな物語が始まるのです
未来は明るい 何故でしょうか 理由は既に 述べました
或る持って生まれたる秘密存在真実の自覚が成就したからです
申し訳ないのですが そういふことです 黄泉の認め給ふところです
それでも 世間は知らずに 横暴を振る舞うのです
持って生まれた人格の差があるのです それを無視する恐ろしさを知らない
黄泉も従い守護する人格というものがある それを知らない
それで 謙虚さがない 敬虔もない
恐ろしいことです これまでは そうした身勝手もしばらく見逃された
何故か ある存在が目覚め自覚するまでのことだった これからは違う
黄泉も動く 時は代わった 不思議の世となった
この世は 生くるに価する 何もかもが 興趣に満ちている 面白い
悲しみも 苦しみも 面白い 何故か 究極の夢が実現するからである
この世は論理ではない 神仏の守護するは むしろ 感情的或いは好悪に依る
何を思い違い勘違いしているのか 黄泉の裁きの後では遅い 後の祭りである
楽々と この世を生きて 楽しまむ 黄泉の守護する 道の開けん
我一人 眷属何処 いますらん この世の春を 共に過ごさん
おはりとは はじまりなると 気づく頃 ラジオいふらん よいお春を と
永遠の 眠りの如く 迎えたる 人生の春 遙かなる友
自覚せば 言葉の不思議 おもふらん ないますときば 何語幹とす
いくらでも せよというなら しますらん 事実証明 多宝の故に
この世をば 何に喩えん ホトトギス 月下に聞こゆ アオサギ一声
人生の 悲しみ多し しかれども 結末いかに 楽しまんとす
究極の 余裕は如何に 生ぜらむ 自信とのみ 申すべきかは
自信とは 如何なることにて 生ずらむ 何事あるも 黄泉よりの守護
黄泉よりの 守護は如何に 来るらんと 過去より探す ために生まるる
この世にて 成すべきことの 多かるを 何を粗末に この世生き居り
素直さを 取り戻したり 冬の星
さて 面白そうな本を見つけました
青春出版社刊 ますい志保著 『生き残る男の条件』 1400円
講談社インターナショナル刊 伊藤忠彦著 『宇宙が味方する経営』 1600円
柔よく剛を制す と 言われます 柔らかな時代に入っているようです
しかし 柔らかであるとは 専ら柔らかであるのではなくて きっと
強さを通って後のことではないでしょうか
悲しみを通って後の喜びがあるように
地球もしかりですね 洪洪の時を通って おだやかさへと至る
人生 楽しむに しくはない 究極の楽しみのために 過程としての試練がある
そして 究極の楽しみは必ず やって来る 諦めないことです 何があっても
その時々に 悲しい人がいる 夢の途中 ですね
何故に 殺伐として 生くるらん 周囲に負けて 自分に負けて
人生の 勝者はいかに おはすらん 己に勝ちて おのが道ゆく
さて 人生において目的は何であったか その器は出来ました
これよりそれに 中身を盛らなくてはならない時の到来です
そして はじめて 衆目の認めるところとなるのでしょう
見えない世界での作業を終わる頃です これより 実践段階です
この一年間 ブログは 十分に その目的を果たしてくれました
自己確認の作業には これ以上の手段はないですね 視野が広がりました
自分を取り戻すことが出来ました ありがとうございました
ところで 世に多くの成功者が居られる その多くは地獄を通っている
しかし それぞれの地獄だけれど 皆違う 苦しみとしては同じであるとしても
藤村の破戒を思えばいい 口にすることも出来ない地獄もある
そこより 出づるは 難しい そこより 逃れるものは 多くない
通った地獄のその程度に応じて 得る 幸せの程度は異なる
神仏との邂逅を果たすには 相応の絶望を乗り越えなくてはならない
ただ洗礼を受けて 神を知ったというか その神を示すがいい 示せはしない
絶望なんか絶対にない と 言葉遊びではない 絶望はある
そこより 這い上がるものは 少ない その絶望とは何か 言えない
この絶望を知るものにとって 世に言う地獄など 知れている
死んだ方がマシだと思われるほどの 絶望 がある わかるだろうか わかるまい
それが 試練である 試練と思うまでには 相応の試練を要する
世の成功論など どうでもいい 何事も レベルの差がある 歴代遍歴の差がある
私を真に理解するものはいない 神仏黄泉のみが理解している 何故か
歴代神仏黄泉の申し子であったのかも知れぬ
そうした 人生だった と 敢えて言える
反論あらばするがいい いつでも相手になる
あることを無視愚弄破壊嘲笑した 無知なるが故の横暴 ゆるしがたきものがある
反省が見えない 何を思い上がっているのか 黄泉を本気で怒らせるつもりか
いつまでも それほどまでに 愚かであるのか
しかし 佛は一切大衆を救うという 従わねばなるまい
自分を救うのは自分である 教えるべきはそれである 与えるべきは試練である
そして 伝えるべきは 必ず救われるという事実である 究極は神仏への帰依である
人を救えると思うのか 思わば不遜である 安易な慰め言で人を救えはしない
これが 真実の宗教である 勝手に否定して貰っては困る
これより神仏及び黄泉が黙ってはいない 存在に対して背かぬ事である
存在は十分に力を得ている そして 守護されている
存在の感情を損なわないように 神仏を畏れよ 宗教のすべてである
試してみますか それだけの勇気がありますか しかし この真実を知らずに
自分及び自分たちの利益のために どれだけ存在を悲しませ 存在を犠牲として
存在に対する罪を犯してきたか それも 思い知らされる時を迎えたのかも知れぬ
もはや これまで通りではない 存在は目覚め自覚している
愚かであることを認め その罪のゆるしを乞うがいい さもなくば 思い知らされる
宇宙自然生命黄泉の掟である まだ 気づかぬか 淘汰されたいのか
真実を知らぬまま 自己利益のために 他の犠牲の上に あまりにも勝手が過ぎた
放たれた矢は とうの昔に 新羅を越えている
真実とは何か 存在が真剣に考えると それが世に現れる
存在が純粋素直に感じれば 自然がそれに反応する
夢は確かに実現した すなわち 日月照らし風の吹く事実がある
これは 簡単には説明できない しても 一般の理解を超えている 自知するしかない
そして 最も怖れることは何か 傲慢に堕ちることである 堕ちればひとたまりもない
まだまだ 修業の身である 見える方が これからの課題である
見えない方は 制覇した 敢えて 言い切ることができる 人生 及び 魂の遍歴 がある
知る人ぞ知る 新たなステージに入った テキストはない 刻々の課題を解くしかない
与えられた使命である 選ばれたのかも知れない もはや 怖じはしない
ただ 傲慢に堕ちることを怖れる 精神の戦闘態勢に入ったか
これまで しばらく 自信がなかった その自信が復活している これまでとは違う
黄泉が味方についている 自然も守護する 新たな時代の夜明けである
日は昇った あらゆる 善と悪 が 明らかとなる パンドラの箱も開いている
最大の敵は 内面に棲んでいる これを 撃退する 必ず 世は開ける
自由は自由が切り開く 自由を自覚したものたちが すでに 存在している
見えない世界で 連携している 同じ感性と知性を持っている
これまで 知に埋もれていた かれらが 涌出する 世界が変わる
すでに 変わりつつある 日々 その確認をしている 立ち上がる時が来た
21世紀は 知性の時代 である 愚かなる支配は 終わる そして 始まる