今思えば特異な人生であった。導かれていたと言うしかない。あらゆる事が意味を持っていた。その都度、感じるのではあったが信じ切れていない自分が居た。信じているつもりで、実行していない自分が居たのである。今、自分を大肯定するに至った。自分自身が何者であるか知るに至った。時に仏さんの教えでは、十界がある。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天(神)、声聞、縁覚、菩薩、仏である。阿修羅と人間と神は同じ姿をしている。それは理解した。その上に、声聞、縁覚、菩薩、仏である。これが宇宙の真実であるという。これを認めるしかない。そして、さらなる一歩を踏み出すしかない。今六通の段階なのであろう。上には上がある。今ひとつ、教えの全てを実行していない自分があった。全面的に教えを実行してみるべき時だろう。それを思案している。尊大な自分がいるのである。これとどう戦うか。素直に実行すれば結果は出ると言われている。教えの通りにすれば困ったことは全て無くなり、幸せになれるという。ここを乗り越えることができるかどうか。渡りきることができるかどうか。最後の難関かも知れぬ。信じていると言って、教え通りにしないなら、信じていることにはならない。教えは保ち難しと言われる。カクネンムショウはあった。これも事実である。何故にあったか。教えの真実を知らしめんが為にあったのではなかったか。そうであるなら、化城であったか。あまりにもカクネンムショウであった。現実は尚困った状況である。実相をみて悟れと言われている。実相とは見える世界と見えない世界と両方を以ていう。見えない世界は救われた。確かにである。見える世界が逼迫している。正念場だろう。常に選択肢は二つに一つである。大きな賭だろう。どちらに賭けるのか。信じるのか、信じないのか。教えの真実は知った。実行あるのみである。どういう形で実行するのか。集めるべきを悉く還し集める。困った状況であるなら、それなりの方法がある。自分解釈を捨てることだ。真実と思うなら賭けるしかない。意を決するしかない。もはや捨てるものはない。今更である。真実が見え隠れしている。猪突猛進で良い。そのように思われてきた。教えの本体は一切大衆を喜ばすことにある。その真実を知らない自分がある。何と人間は業障な事だろう。世に大鏡がある。この事実とどうバランスするか。自分が変わることで世界が変わる。そのような実存もある。あらゆる記号が自分を証明する。そのような記号論もある。そのレベルはどのレベルか。君が代である。このような馬鹿げたことがあったろうか。しかし、事実である。既にカクネンムショウに至り着いている。確かに経験している。何を選択するべきか。選択の自由がある。自由は責任を伴う。自己責任である。しかし、単なる自己責任では済まない選択もある。宿命を背負った選択がある。かつてはそれで戦争もあった。そのような大鏡である。仏の説く真実とまた違う真実を見ている。どうバランスするべきか。ここが思案である。一切大衆とは生きとし生けるもの及び岩石をも含む。さて、カクネンムショウ。これは事実である。だれがこれを味わうのだろう。この醍醐味を。既に道は開かれている。安穏な道である。それを見つけている。歩むしかない。モーゼの杖はつかれた。聞く耳のないものは仕方ない。きっとどこかで待っている人がいる。その方を探しに行くことにしよう。すでに祖師方がいる。妙好人もいる。私は幸せになる。そして証明するしかない。すべては法則通りである。すべては笑顔で解決する。こぼれてくる笑顔がある。どんなことがあっても。おだやかさとやさしさの時代を切り開く。それが使命である。その為にはどうするか。先ず、自分がそのように変わる。自分が変わることで世界が変わる。不遜なまでの自覚がある。しかし、生まれてきたときからそうだった。即ち、これぞ大鏡。信じる信じないではない。事実である。事実は醜いアヒルの子である。あるいは鶴の恩返しである。それぞれの持って生まれた魂にポテンシャルがある。それを無視した。成仏とは自己の魂を使い切ることである。前進である。明るく楽しい未来へ。祖先を救う。自分が救われるためである。どのようにして救うのか。仏さんに聞くしかない。自分が救われる。世界が救われる。子孫及び未来が救われる。いつまでも殺戮の世ではない。江田島術科学校には東郷元帥の遺髪がまつられている。何故か。これも何かを示している。それは何か。文字の配列は横書きとなった。日本に於いては縦書きの方が長い。文字は宝である。失われた何か大切なものがある。それを取り戻すべき時が来た。この世の真実を知らしめるときが来た。下級精神の横暴はもはや通らぬ。通すというなら通すがいい。大風が吹く。今そういう時である。鎌倉以来かも知れぬ。既に黄泉は制してある。黄泉は誰に微笑んだか。万軍の主も味方についている。さて、どうするのだろう。ロゴスも開発されている。勝負するのかな。裏切ってくれたものである。何を裏切ったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の純粋精神を裏切った。ゆるされはしない。それは瀕死となった。故に復活である。しかるべき自覚が成就した。予定ではジャパンアズナンバーワンの頃にそれは成就されるはずだった。しかし、傷は思ったより深かった。それまでに治癒しなかった。その間、本末転倒の世は続いた。魑魅魍魎が支配した。そして腐敗した。それ故目覚めた。目覚めるために腐敗も必要であった。そして時は来た。申し訳なかった気もする。それほどまでに自信喪失していたのだった。それだけ困難な時代であった。古来の精神が芽生えるには。そしてその間何があったか。記号論的には、FあるいはNだった。本来R→A→Sであった。しかし復活である。真実を知らない女の支配は終わった。真実を知る男の時代がやっとつながった。戦後は終わった。日本君が代復活である。代々大和の秘密であった。使命は果たした。日本は本来古来大丈夫である。ところで、騙されたと思っている。世間にね。その間、世間はどうであったか。勝手が過ぎた。悉く奪われた。取り戻すしかないね。