2007年02月25日

思案

今思えば特異な人生であった。導かれていたと言うしかない。あらゆる事が意味を持っていた。その都度、感じるのではあったが信じ切れていない自分が居た。信じているつもりで、実行していない自分が居たのである。今、自分を大肯定するに至った。自分自身が何者であるか知るに至った。時に仏さんの教えでは、十界がある。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天(神)、声聞、縁覚、菩薩、仏である。阿修羅と人間と神は同じ姿をしている。それは理解した。その上に、声聞、縁覚、菩薩、仏である。これが宇宙の真実であるという。これを認めるしかない。そして、さらなる一歩を踏み出すしかない。今六通の段階なのであろう。上には上がある。今ひとつ、教えの全てを実行していない自分があった。全面的に教えを実行してみるべき時だろう。それを思案している。尊大な自分がいるのである。これとどう戦うか。素直に実行すれば結果は出ると言われている。教えの通りにすれば困ったことは全て無くなり、幸せになれるという。ここを乗り越えることができるかどうか。渡りきることができるかどうか。最後の難関かも知れぬ。信じていると言って、教え通りにしないなら、信じていることにはならない。教えは保ち難しと言われる。カクネンムショウはあった。これも事実である。何故にあったか。教えの真実を知らしめんが為にあったのではなかったか。そうであるなら、化城であったか。あまりにもカクネンムショウであった。現実は尚困った状況である。実相をみて悟れと言われている。実相とは見える世界と見えない世界と両方を以ていう。見えない世界は救われた。確かにである。見える世界が逼迫している。正念場だろう。常に選択肢は二つに一つである。大きな賭だろう。どちらに賭けるのか。信じるのか、信じないのか。教えの真実は知った。実行あるのみである。どういう形で実行するのか。集めるべきを悉く還し集める。困った状況であるなら、それなりの方法がある。自分解釈を捨てることだ。真実と思うなら賭けるしかない。意を決するしかない。もはや捨てるものはない。今更である。真実が見え隠れしている。猪突猛進で良い。そのように思われてきた。教えの本体は一切大衆を喜ばすことにある。その真実を知らない自分がある。何と人間は業障な事だろう。世に大鏡がある。この事実とどうバランスするか。自分が変わることで世界が変わる。そのような実存もある。あらゆる記号が自分を証明する。そのような記号論もある。そのレベルはどのレベルか。君が代である。このような馬鹿げたことがあったろうか。しかし、事実である。既にカクネンムショウに至り着いている。確かに経験している。何を選択するべきか。選択の自由がある。自由は責任を伴う。自己責任である。しかし、単なる自己責任では済まない選択もある。宿命を背負った選択がある。かつてはそれで戦争もあった。そのような大鏡である。仏の説く真実とまた違う真実を見ている。どうバランスするべきか。ここが思案である。一切大衆とは生きとし生けるもの及び岩石をも含む。さて、カクネンムショウ。これは事実である。だれがこれを味わうのだろう。この醍醐味を。既に道は開かれている。安穏な道である。それを見つけている。歩むしかない。モーゼの杖はつかれた。聞く耳のないものは仕方ない。きっとどこかで待っている人がいる。その方を探しに行くことにしよう。すでに祖師方がいる。妙好人もいる。私は幸せになる。そして証明するしかない。すべては法則通りである。すべては笑顔で解決する。こぼれてくる笑顔がある。どんなことがあっても。おだやかさとやさしさの時代を切り開く。それが使命である。その為にはどうするか。先ず、自分がそのように変わる。自分が変わることで世界が変わる。不遜なまでの自覚がある。しかし、生まれてきたときからそうだった。即ち、これぞ大鏡。信じる信じないではない。事実である。事実は醜いアヒルの子である。あるいは鶴の恩返しである。それぞれの持って生まれた魂にポテンシャルがある。それを無視した。成仏とは自己の魂を使い切ることである。前進である。明るく楽しい未来へ。祖先を救う。自分が救われるためである。どのようにして救うのか。仏さんに聞くしかない。自分が救われる。世界が救われる。子孫及び未来が救われる。いつまでも殺戮の世ではない。江田島術科学校には東郷元帥の遺髪がまつられている。何故か。これも何かを示している。それは何か。文字の配列は横書きとなった。日本に於いては縦書きの方が長い。文字は宝である。失われた何か大切なものがある。それを取り戻すべき時が来た。この世の真実を知らしめるときが来た。下級精神の横暴はもはや通らぬ。通すというなら通すがいい。大風が吹く。今そういう時である。鎌倉以来かも知れぬ。既に黄泉は制してある。黄泉は誰に微笑んだか。万軍の主も味方についている。さて、どうするのだろう。ロゴスも開発されている。勝負するのかな。裏切ってくれたものである。何を裏切ったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の純粋精神を裏切った。ゆるされはしない。それは瀕死となった。故に復活である。しかるべき自覚が成就した。予定ではジャパンアズナンバーワンの頃にそれは成就されるはずだった。しかし、傷は思ったより深かった。それまでに治癒しなかった。その間、本末転倒の世は続いた。魑魅魍魎が支配した。そして腐敗した。それ故目覚めた。目覚めるために腐敗も必要であった。そして時は来た。申し訳なかった気もする。それほどまでに自信喪失していたのだった。それだけ困難な時代であった。古来の精神が芽生えるには。そしてその間何があったか。記号論的には、FあるいはNだった。本来R→A→Sであった。しかし復活である。真実を知らない女の支配は終わった。真実を知る男の時代がやっとつながった。戦後は終わった。日本君が代復活である。代々大和の秘密であった。使命は果たした。日本は本来古来大丈夫である。ところで、騙されたと思っている。世間にね。その間、世間はどうであったか。勝手が過ぎた。悉く奪われた。取り戻すしかないね。

2007年02月24日

これからの使命としておだやかさとやさしさの大地の建設

これから何を為すべきかを考えている。自分が自分となることそれ以外に人生の目的はない。サナギを通って。あるいは開花である。そして自分を知る。それまでの青春であり、修行だった。その意味では全てに感謝する。自分を発見する。そして自分をさらに進展させる。人生の目的だった。その間、自分との戦いがある。そして、得た自分とは何であったか。カクネンムショウだった。このカクネンムショウ、そう簡単には手に入らない。それを得た今自分は何をするのだろう。それを思案している。この世のとらわれは一切要らない。惑わしも去った。迷いもない。信じることのできる自分がある。社会に染まれなかった反面、これだけの自分を開発確認できた。真実は自分自身にあったのだった。生まれてきて振り返る。特異な人生だった。或いは試練だった。しかし過去からの約束だった。自分の使命がある。それは何か。それを思案している。すでに自分を知ってしまった。どうしようもない自分だ。幸も不幸も自分自身だった。それが仏の言うところでもあった。同じ教えを聞いても、器によってその受け取り方は異なる。皆自分勝手に解釈している。それが悲しい。しかし所詮器の問題である。何を言っても始まらない。それが人間である。如来は如来でなければわからない。おだやかさとやさしさの大地がある。その建設であろうか。これからの使命である。それはどのようにして成されるか。まず、自分がそのようになることからだろう。笑顔がこぼれてくることも知った。そこから始めるしかない。後は何をしても良い。それが本来の自由である。自由とは、思い通りにして法を超えない。遵法精神は社会契約の中にあって人格の表現である。下劣卑賤野蛮がのさばっている。退治するしかない。そしてあるべきコミュニティの建設である。目先の利益得喪ではなくビジョンを描いたリーダーが現れなくてはならない。社会は十分に腐敗した。この腐敗を除去しなくてはならない。人が住める世に戻さなくてはならない。ゲーム機を売って子供の教育を憂う。矛盾であろう。大人及び教師そして公務員は失われた自信を回復しなくてはならない。利益主導経済界の欺罔に立ち向かわねばならない。真実の文化とは何か。あるいは人生とは何か。問い直す。教育の基はここにある。政治もその例外ではない。欲得商人の餌食となるべきではない。精錬された魂は宇宙に帰る。あるいは合流する。世に仏道という。仏法を以て一仏国土建設という。それはそれで正しい。しかし、それが野心となるとどうなるか。そういう危険を伴う。真実の幸福論は如何にあるべきか。考えるべき所である。世に仏道のみが宗教ではない。キリスト教も回教もある。ここをどう調整するべきか。宇宙の真意はどこにあるか。究極の力は今どこにあるか。知るべきはそれである。そこより、暮らしを目的として平和と愛を手段とする。どうあるべきか。問われている。スケール及びレベルの問題がある。仏法理論は正しい。それをどのように世界においてバランスするのか。仏法を以て世界を統一できるか。一地方の野心に終わらないか。もう一つ上のメタ幸福論を以て新しい大地の建設である。デカルト及びパスカルを拝する西洋である。そこに仏法を移植できるのか。あるいは仏法を以て征服するのか。おだやかではない。すでにキリスト教を以て幸福を得ている方々がいる。そこへ仏国土建設は野蛮であろう。敢えて提言する。仏法は仏法で正しい。キリスト教はキリスト教で正しい。どちらも真理である。違うだろうか。それぞれ真理の花である。そして仏法が入る前にすでに大和はあった。大和が仏法を受容したのである。ローマがキリスト教を受容したのである。違うだろうか。含む含まれる関係からすればどちらが母体であるか。これが私の感性である。仏法と雖も大きなことは言わせない。レベルが違う。ダルマカクネンムショウは宇宙である。仏法もキリスト教も含む。しかし仏法を以て唯一としてはいない。真理を見るのである。仏法を見るのではない。仏法も真理の一部である。陽明学において知行合一があった。それはアウフヘーベンであった。仏法もそうであろう。そのようにして世界平和が訪れる。一宗教を以て世界を統一するのではない。すでにある宗教のバランスを以て世界平和を実現する。そのようにあるべきである。否定破壊からは平和は来ない。宗教的野蛮を克服しなければならない。虎穴に入らずんば虎児を得ず。虎穴にも入った。そして地の塩は世間に帰る。善財童子はその旅を終えている。世間の幸せと平和を実現するために世間に帰ってきた。我思う故に我在り。この真義を理解するものあるか。カクネンムショウと同義である。人類の英知である。真実真理は同根である。それが芽生えた。21世紀の約束である。心の大地である。人類はここまで進化した。代々の持って生まれた種がある。私は祖父を知っている。父の無念も知っている。誰も知らない。それぞれ自分たちの増殖を図る。それはそれで自然である。しかし、しばらく蔓延った種は何であったか。それが問われている。ペリー来航に乗じて何が蔓延ったか。第二次世界大戦敗戦に乗じて何が蔓延ったか。そして結果どうなったか。悉く失敗した。故に古来大和の精神が復活した。歴史はこのようして流れる。種の起源とはこれであった。本来古来の大和の精神がある。それを裏切った事実がある。親を殺したに等しい。いつまでも黄泉は黙ってはいない。黄泉は実在する。黄泉の秩序がある。あの世に帰ればわかる。この世の責任を取らされる。何時までもそうして浮かれているがいい。所詮自己責任である。この世に生まれて何をするべきか。考えるべき時が来た。古来大和を無視して我々日本の未来があるとは思わぬが良い。全てはやさしさで解決する。全てである。そのやさしさはどこから来るか。自信から来る。その自信とはどのような自信であるか。己に恥じるところ無き大和魂より来る自信である。それはどのようにして得られるか。偏に精神修養である。そして自分自身を知る。そこより来る絶対の自信である。黄泉の守護を取り付けた自信である。どのようにして黄泉より守護されるのか。黄泉に受容されることによって守護される。その為にはどうあるべきか。黄泉に好かれることである。それは何を以て証明されるか。カクネンムショウ。持って生まれた種がある。その種はDNAである。その中に善も悪もある。そのどちらを選択するのか。時々刻々の選択である。どのようにしてそれを実現するか。悪を焼き尽くす。魂の精錬である。火裏蓮である。その悪はどのようにして知るのか。経験を以て知る。人間である限り、悪の種がある。それをこの世で矯め直す。そのための黄金の橋は常に架かっている。結果が出たとき裁かれる。この世でどのように生きるべきか。このように生きる。それが人生である。そして自己を精錬する。精錬した自己が宝となる。これを霊界に持ち帰る。黄泉の受容するところとなる。この世において生きながらにそれを達成することもできる。それが仏道である。仏法の全てである。仏法は正しい。方法論として最高の教えである。ビジネス僧侶の与り知るところではない。戦後自由を履き違えた。現代社会は何であるか。欲望の実現だけが目的となった。テレビ芸能界の罪は重い。日々何をしているのだ。それが自由と錯覚せしめた。末代かけて償うがいい。衆生功尽きて大火と焼かるると見るときも我が此の土は安穏である。秘密顕現。これが神風の吹き黄泉の守護する古来大樹大和の秘密である。家伝直伝秘伝螺鈿の槍を以て草薙の剣は振るわれた。一切種智慧。平等即差別。法華経宿王華開花。日本の何を子孫に伝えるべきか。明らかである。その為に今何をするべきか。議論するべき所である。本来の価値がある。本来の知性がある。魑魅魍魎牛頭馬頭は帰るべし。本末転倒の世を正す。刃向かうは黄泉が容赦しない。黄泉の意思である。隻手の音を聞く。聞けば何をしても真である。たとえ不合理であっても。不条理であっても。真実は那辺にあったか。己を自覚した所にある。どういう意味か。もう良い。幸不幸は真面目努力の外である。真面目努力が要件ではある。その他に要件がある。それは何か。持って生まれた種である。これを愚弄無視した戦後教育があった。故に腐敗した。過去からの因縁がある。これを解決して幸福が来る。その方法はどこにあるか。探すしかない。これも真実である。この世の幸福は権力金力武力と思われた。違う。法力である。法力とは何か。神仏と邂逅し、神仏に受容祝福され、その守護を取り付けるところにある。それを得る方法論が仏法である。古来大和はそれを受容した。聖徳太子以来のことだった。それを破壊したのが明治の廃仏毀釈であった。その後、同じ支配が続いている。それでこれほどまでに世は腐敗した。逼迫した。各々考えるべき所である。古来大和の精神はどのようにして培われてきたか。少なくとも武士は精神修養があった。今の支配者にそれがあるか。見直すべき所である。世は衆愚支配となった。本来古来大和の精神は住めなくなった。住めなくなったのであれば、新たにその大地を開発するしかない。その実行段階に入った。大和出撃である。作戦開始である。四季咲きそう大和自然。これを取り戻す。見かけがよいだけでそのミネラルはかつての三分の一あるいは十分の一と言われる農薬で汚染された野菜が何故良いのか。何を吹聴助長増殖せしめたか。土壌及び環境が破壊されている。企業は自己利益のために何をしてきたのか。自然並びに未来及び子孫を破壊した損失が計上されていない。合成化学物質はタンパク質を溶かし、その微粒子の故にDNAまで破壊していると言われている。カルバン以降の重商主義ビジネス経済界は何時まで傲慢を通すか。帳尻が合っていない。風見鶏である政治は何処を見て議論しているのか。風は何処から吹いてくるのか。自己及び自分たちの限られた利益のための狭い了見で権力闘争している時ではない。人類にとって大和及び自然並びに地球が瀕死の状態にあるのが見えないか。旧約聖書に秘められていた400年周期説。頼朝及び家康以来である。あるいは21世紀。キリスト及び空海以来である。新しい大地を切り開かなくてはならぬ。地球も進化している。開発されるべきは権力金力武力を克服してのおだやかさとやさしさの大地でる。そういう時代に入ったのである。消費世間音。主権在民。国民主権。平和主義。日本国憲法プログラム規定の成就である。蓄積された人類の英知がある。技術もある。21世紀は知性の時代である。愚かな精神は退場して頂きたい。日本は世界において重要な地位を占めることができる。そのために最も安全である文明文化国家を取り戻す。履き違えた自由を一掃する。世界の中の日本である。その為にあるべき秩序がある。ペリー来航以降及び戦後破壊されていた。古来日本の精神を取り戻す。忘れていただけである。思い出せばいい。DNAに記録されている。本来持って生まれた自己を開発する。それが教育の目的である。それを持ち寄る。未来は明るい。楽しい人生が待っている。餌食となる事勿れ。これより魑魅魍魎に自由にはさせない。 さて、本来の自由とは何であったか。自由にも色々な形態がある。今、テレビ芸能界は一つの自由の形を謳歌している。それが罪であったことはやがて自ら知ることとなる。不倫離婚が常であろう。それはそれでいい。十分にサンクションあるところである。仏の自由もある。それは一仏国土建設である。しかし、その支配は王権である。それもそれでいい。自らの眷属を集めるが良い。王は一人ではない。目覚めたものは皆王である。それぞれに岩石草木もなびく。すべてを育むその愛の周波数の故である。またひとたび吼えれば百雑砕脳裂する。それが王である。王は王を支配できない。その関係が本来の自由である。それは神仏に守護された自由である。その言葉はロゴスとなる。現実客観的姿はそうではないように見える。しかし絶対の自由である。父もそうだった。祖父もそうだった。尊祖父もそうであったであろう。隻手の音を聞いたときからそれが始まる。この世の一切の縛が解かれる。そうした自由である。それが精神の自由である。ハラを切っても己に恥じるところはない。忠臣蔵である。それもその種を持っているが故である。このブログはそうした自由の記録となった。いつでも議論すると言っている。すでにこの世の謎は解いた。人生とは何であったか。仏の言う真実がある。それは真実の一つである。真実の花は一つではない。自分の花を咲かせる。それでいい。天下無敵の花がある。鷹は鷹である。鳶ではない。大樹は大樹である。雑草は雑草である。大風が来ればひとたまりもない。何を以て大樹あるいは雑草というか。その精神を以ていう。どのようにして自己の花を咲かせるか。自分が自分となるか。真実はどのようにして得られるか。自信はどのようにして回復されるか。このブログ及び私のホームページにはその秘密が秘められている。精査するがいい。この度の関ヶ原は何処であったか。どこで天下統一が成されたのか。時代も進化している。密かな大戦争があった。それはどこであったか。黄泉にあった。世間が現実利益に狂奔している間の出来事だった。黄泉を従えた絶対精神の精錬に成功した。道元の空手に等しい。それが大和の秘密であった。この度の戦争は一人で成された。敵は明治以降の世間だった。人生と青春を賭しての戦いだった。三十五年の時を要した。図らずもではあったけれどね。その間兵糧攻めにされた。しかし何とか城はもったようでる。そして勝利した。導かれていたのである。この戦いに勝利しなければならなかった。大和並びに未来及び子孫のために。そのために生まれていた。今、そうとしか思えない。全てを失った。全てを奪われた。十九の春、私の人生に既に夢は無かった。その後、私は世間に従った。悉く利用され、犠牲となった。しかし、そのような中で、尚芽吹くものがある。絶望より蘇るフェニックスだった。無より帰る自己だった。時を要した。しかし、無駄に時を要したのではなかった。これまでになく純粋な精神をとりもどした。もはや敵無しとなっていた。それが本来の夢だった。何か失われた大切なものがあった。それを求めての旅だった。それを見出した。それはシュリーマンのトロイ木馬に等しかった。世間一般何をし来たるか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の名に於いてゆるされはしない。世間一般どういうつもりだろうね。わかっていないね。私の人生は十九の春に失われた。私たちはペリー来航以来没落した。そして黄泉にて咲いた。日本の主、法華経宿王華開花。一切種智慧。時間は十分にある。RCCラジオで言っていた。いかにも花見は梅であったと。日本の花は梅ではない。櫻である。冗談ではない。公共の電波で何を流布するか。表現の自由はある。それは己の魂の内奥からの表出である。マスコミにあるのは取材の自由である。表現の自由ではない。事実を伝える自由である。日本の基及び秩序を破壊する自由はない。何を勘違い思い違いしているのか。衆愚迎合腐敗特定価値観の流布は控えていただきたい。仇は取る。マスコミ諸君、勝手が過ぎると言っている。悪をもゆるす。善と雖もゆるしはしない。本来日本の価値がある。それを無視愚弄するはゆるされはしない。成仏とは何であったか。持って生まれた種としての己の魂を使い切ることである。いい加減な精神が跋扈した。現世自己利益刹那的欲望追求主義商人根性である。政治もそれと結託した。それで世は腐敗した。古来日本の価値及び精神を愚弄無視し、未来及び子孫のDNAまで破壊した。ここ400年カルバン以降重商主義の結果である。時代は変わる。変わらねばならない。人の住めぬ愚かな世となっている。大いなるビジョンの必要な時である。21世紀。世界の中の日本。現世最も永き歴史を誇る文化文明国家日本。日本の英知に使命がある。古来培われし大和魂とは何であったか。卑怯怯懦嘘欺罔を旨とする商人根性のそれではない。己に恥じるところ無き純粋精神を以てそれとする。古来代々伝えられし秘密がある。本来大和千年あるいは二千年の計を立てるべき時である。何時までもこの時ではない。何時かはこの時も去る。それまでに急がねばならないことがある。新たな日本の基建設の時である。今その時である。何故か。黄泉に大輪の花が咲いている。ところで、この度、確信に至れたのは偏に仏さんのお陰である。そこで或る程度の行をさせて頂いた。それ故の事だった。そこで何を学んだのだったか。供養ということを学んだ。供養とは相手が喜ぶことをすることである。そして親の供養をするのである。親には産みの親と育ての親とさらに教えの親とがある。それぞれ供養の仕方がある。それを教えて貰った。育ての親は食べたものである。これを供養できるのは妙法華経しかない。また、墓をいくら拝んでも産みの親も喜びはしない。本当の供養になっていない。その本当の供養も教えて貰った。真実の仏さんの故である。さらに、仏さんの供養も教えて貰った。仏さんをほめることである。亦、仏とは何であったか。この世の宇宙の構成要素だった。それをお供養するのである。すると宇宙の全てが喜ぶ。その方法は直説を聞くしかない。直説を聞いてそこで感じとるしかない。そして正しく聞いて正しく実行する。必ず幸せとなれる。自分の求めていたものが手に入る。仏の故である。こうした認識をしている。これより、それを実行する。証明の人となれるかどうか。これからの使命だと思っている。また、このような行することでどうなるか。自己の持って生まれた因縁が解決される。過去を解決できる。善だけとなる。その方法も明らかにされている。そしてこの世の自由を得る。自由を得た自分は自分の持って生まれた徳分を発揮できるようになる。そうした自己を縦に横に集める。あるいは持ち寄る。世界は平和となる。慈愛に満ちた人々の世界となる。おだやかさとやさしさに満たされた本当の幸せな世界となる。その意味では仏法は最高の教えである。そして、それに方法がある。それは直説を聞くしかない。かくの如き我聞ききである。その仏さんは何処にいらしたか。王舍城におられた。仏法を世に広める必要がある。真実の自由となるためである。私の言っていることが矛盾しているように見えるかも知れない。それは現代と未来との差である。現実処方箋と未来のビジョンとの差である。究極の方法論は当然久遠の釈迦牟尼仏の仏法である。ところが、現代の処方箋はいかにあるべきか。それを思案している。既にキリスト教がある。回教がある。それを信じている方々がいる。であるなら、バランスの問題がある。おだやかに世界平和を実現するためにはどうあるべきか。むずかしい運転である。今後も考えるべきところが多々ある。しかし、仏の意思がある。一切大衆を救うとする。何時かこのような時代となると知っておられて、そのために、一切大衆が救われる教えが必要であったと。それで、その教えを地上におろされた。さあらば、従うしかない。これより何をするべきか。思案している自分がある。すでに教えはあるのだから、考える必要はないとのことである。正しく聞いて、歓喜奉行すればいいと。歓喜奉行した。しかし、教えの一部に反している自分がある。仏の御心に自分の魂を合わせることが必要である。そうしないと結果は出ない。疑ってはいない。実行するのみか。何を為すべきか。そろそろ時は来たのかも知れない。動く時期は来たのだろう。そのように思われる。何をするか。何を考えるか。既に迷いはない。惑わしも去った。されど実行しない自分がいる。結果が出なくて当然である。実行あるのみか。何を実行するのか。動いてみるしかない。仏の教えを実行すれば、困ったことはなくなり、救われる側から救う方へ変わるという。悪から善に変わることができる教えだと聞いている。あらゆる平等を目指していると。この方法しか本当の救いはないと言われている。やさしさとおだやかさの大地はやはり仏法であろう。

2007年02月23日

馬鹿馬鹿しさの中で

馬鹿馬鹿しくてやってられなくなった。何もかもである。今まで何をしてきたのだろうと思う。誠意を尽くしてきたつもりだった。それが馬鹿を雇って共に井戸を雪で埋めるに等しいのだった。世間に合わそうとした。悉く裏切られた。事実である。世のからくりもわかった。何を思い上がっているのか。何を好き勝手言うのか。鳶が鷹を産みはしない。遠慮しすぎていたようだ。そして犠牲となった。馬鹿馬鹿しさの中で死ぬところだった。一休は師匠からの印可状を破り捨てた。真実が見えるものにとってそのようなものは必要ではない。何を思い上がっているのか。善人尚もて往生す、況や悪人を哉。悪もゆるす。善と雖もゆるしはしない。本来の価値を愚弄するものはゆるされはしない。本来の価値とは何であるか。君が代である。仏と雖も本来の価値を愚弄すればゆるされはしない。レベルが違う。好き勝手言わせない。日本の花は櫻である。梅ではない。生きるということはどういう事だったか。どうして人間として生まれていたか。無駄飯を食うために生まれたのではない。代々培ってきた価値というものがある。それを発展させるために生まれてきた。本来日本の価値がある。何時の頃からかそれを忘れた。そして何をしているのだろう。悲しいね。哀れだね。古来大和の秘密は何であったか。それを愚弄無視した。経済行為だけして何になるのか。生きる目的は何であったのか。いい加減なことばかりしている。過去からの知性がある。この世で覆ると思ったか。古来大和の秘密がある。それが明らかとなった。神風吹く国である。何故吹くのか。誰も知らない。知る人は知っている。もはやここまでだ。何度でも言う。勝手が過ぎた。これまではその勝手も通った。時が満ちていなかったからである。これからは通らない。時が満ちたからである。何を以て時が満ちたというか。ある自覚があったことを以ていう。今にわかる。わからないものが好き勝手している。大和の真実が現れている。大和の価値、いつまでも愚弄無視させはしない。誰もその価値を見出せなかった。何故であったか。その種を持っていなかったからである。もはや青春及び人生は帰ってこない。今更である。これよりあらゆる惑わしはその効力を失した。好き勝手はさせない。念願力というものがある。黄泉も従う。何時だったろうか。ヒロシマで風速六十メートルの大風が吹いた。その翌年だったろうか。広島に台風が直撃したが無風状態だった。もう忘れているのであろう。世間とはそうしたものである。カクネンムショウの意味を解するものがあるか。ダルマ以来の力である。

2007年02月22日

無念を晴らす

さて、日月照らし、風が吹く。これが悟りであるかと思われた。カクネンムショウも確かにあった。アオサギも私のために鳴いてくれるのだった。波間に浮かぶカモメたちとお話ししたこともあった。鳩と話したこともある。山奥で目の前にきつね色の大きな獲物をくわえて舞い降りてきた鳶もいた。或る航路で導いてくれたのは都鳥かと思われた。或る山道で導いてくれた小鳥もいた。清盛の日招き岩を訪ねたときには三匹のネコが案内してくれた。そして遊んだ。川でおぼれていた子犬を助けたこともある。これらは悟りへ導いてくれた。そしてその後自分自身を知った。自分が何者であったか自覚した。その証明もあった。これで悟りかと思われた。しかし、実相はどうだろう。困ったままである。経済的に貧窮してしまった。思い通りとは云えない。とても辛い現実である。どうしてこのようなことになったのか。教えでは悪業の因縁であるという。過去に自分の蒔いた種であると。であるなら、まだ救われていない。悟りかと思ったその悟りは化城であったか。現実が救われてはいない。むしろ、不幸である。すべては知らしめんが為である。何を知らしめんとしているのだろう。真実はわかった。救いもあることもわかった。今何を言っても誰も信じはしない。客観的に救われていないからである。我が成仏を見よ。すでにその方法はわかった。さあらば、実行するしかない。そして証明するしかない。今までその第一歩が踏み出せないでいた。自信がなかったのだろう。今はどうか。確信している。このロゴス、確かである。これよりどうするのか。何をするのか。思案している。このままでは逼迫したままである。自分が救われることで世界が救われる。不遜なまでの自負がある。このような自負もあって良いではないか。これより真実の自由である。憂いは晴れた。無念も晴れた。黄泉も従う。この真実を如何に伝えんとするか。貧学道を信じていた。それ故、逼迫したか。今はどうか。むしろ繁栄を願う。お家の復興である。家は没落した。父方も母方も。その因縁がある。それに負けた。仏さんの言うとおりだった。能力及び努力の外であった。因縁に勝てはしない。敵はいる。どうするか。過半数を取った方が勝ちである。ずっと負けていた。何故であったか。自信がなかったからである。何故なかったか。自己が確立されていなかった。それほどまでの自己だった。およそこの世にはあり得ない自己だった。どれだけの宿命を背負っていたか。それも証明した。もはやどうにもならぬ。そしてどうするか。およそハラは決まっている。すでに怖れるものなど無い。そのように生まれていた。この世で実現するは希である。それは何であったか。古来真実だった。卑弥呼の系譜だった。しばらく世に咲けなかった。無理もない。戦争に負けていた。時の首相はアメリカへ行ってロデオをしなければならなかった。その無念を晴らす必要がある。それを晴らした。その理由付けは何であったか。既に述べた。完璧である。これで息を吹き返した。父の無念を晴らした。本望である。本懐は遂げた。もう思い残すことはない。私の使命は果たした。知性の勝利である。愚かさは帰って貰う。使命は果たした。私は何者であったか。もういい。因縁を解決する方法がある。解決したのだと思っている。十分である。これ以上望むことはない。すべて無念は晴らした。そう思っている。積年の無念であった。これを晴らすために生まれてきた。誰も知らない。そして大きなことを言う。あるいは思っている。勝負にならない。黄泉が認めている。天中天。謎の中の謎を解いている。怒らせない方が良い。賓主歴然。無底船。勘違いしている。思い上がっている。見聞するべきは見聞した。地獄も見ている。そして極楽を掴んだ。それは何であったか。ロゴスである。カクネンムショウである。日の下一の槍は何であったか。家伝直伝秘伝螺鈿の槍である。さてどうするのだろう。どう生きるべきか。何をして糧とするか。それを思案している。既に力は得ている。梅は咲いた。しだれ梅だった。櫻も咲いていた。常に見られている。事実である。これを知るとき悪は為せない。悪を為さぬ時黄泉の守護がある。これが信である。神の掟である。そして常に導かれている。素直になるべきである。黄泉のサインが見えるだろうか。霊界はある。霊界が導く。それは祖先である。仏さんにお願いするが良い。助けてくださいと。助けるのは仏の御役である。そして、私も勘違いしていた。謝るしかない。行ずるしかない。どうしてこのようなことになったのか。全ては知らしめんが為である。何を知らしめんとするか。それが問題である。嘘欺罔媚商売はできなかった。その気になれば必ず相手を凌駕する。しかしそれが故にその気になれなかった。相手を打ち負かす。仏と雖も。しかしいつもこちらから負けていた。力を出すのが怖かった。何を今更である。真実の武士道である。明治以降の知るところではない。時代錯誤か。さて、大切なことは何であったろう。秩序。私自身、この感覚を忘れていた。私自身、敬虔と謙虚さが無かった。何故無かったのか。教育或いは風潮の故だった。それに染まった。染まるべきだと思った。しかし染まれなかった。私の色ではなかった。どうしても染まれなかった。自分の色で良いと思うようになった。思うまでに三十年を要した。祖先供養と分別高説。これよりの課題であろう。日本は腐敗した。それは何故であったか。その理由もわかった。すでに述べた。私の仕事だった。失われていた自信も回復した。どのようにして回復したのか。この一年あまりの表現行為だった。私の世代を代表するかも知れない。私の家系を代表したかも知れない。それだけのことはしたのかも知れない。それだけの人生を歩んだのかも知れない。いよいよこれからである。すでに迷いはない。惑いもない。これで善かったと思っている。祖先及び私自身の無念は晴れた。誰も知らないことである。秘密である。どのレベルの秘密であるか。黄泉との交信である。空海も見た夢である。それが実現された。この世の真実であった。世間は知らない。母も知らない。姉も妹も知らない。云えないこともある。それは何か。大鏡。どのレベルでの大鏡だったか。君が代。父は知っていた。祖父も知っていた。私はそのように育てられていた。スパルタ教育だった。このブログは貴重な要素を含んでいる。或る意味で宝石の原石である。本来大和の精神の結晶がある。それが見えるだろうか。あるいは、聞こえるだろうか。勝手が過ぎた。本来大和を裏切った。事実である。そしてどうなったか。この現実を見るが良い。失われた精神を取り戻す。どうして失われたのかその原因をはっきりとさせる。私の人生そのものであった。そして発見した。何を発見したのか。すでに書いた。誰も知らない。黄泉は知っている。これを以って第一人者とする。少なくとも私は私を以てそれを証明した。次にそうした方の現れるための一里塚とする。日本はすばらしい。この命は生きるに価する。しばらく光っていることにしよう。一隅を照らすことにしよう。それで良いと思う。日本は不滅である。もう思い悩むことはない。考えることもなかった。自分は自分で十分だった。唯、咲けば良い。明るく楽しく生きれば良い。その為の青春である。その為の修行である。実人生に実り有り。実となってその種を知る。自分自身を知る。そこからが人生である。自分の感性を開発する。そして生きてゆく。それで十分だった。希有なる精神がある。それが開花する時がある。誰も同じと思っていた。そのように教えられた。ペリー来航以来、商売人国家となった。人はパンのみにて生くるに非ず。それが通らない時代だった。そうでもない。既に先哲は恐竜時代のネズミのように密かに価値を伝えていた。古来日本精神、伏流である。大象は小径を行きはしない。失われた道がある。しかし行く鳥はその道を忘れはしない。神社には鳥居がある。何故あるのか。かつて大鳥の居たことを示している。大鳥とは何であったか。世間一般、勝手が過ぎた。何を破壊したか。古来大和純粋精神。魑魅魍魎の支配は終わった。もはや下級精神に迎合することはない。私は私を生きる。自覚とは何であったか。平等即差別。古来日本に歴史有り。ここ百数十年で覆るべく無し。日本の土壌を変える。本来の日本に帰る。新たな展開となりそうである。それは何か。山を下りる。そのようなサインが出ている。世間に帰る。山は私を必要としていない。山と思っていた山は大和ではなかった。私の住むべき世界ではなかったようだ。そのようなサインである。それは何か。ささいなことである。順序がつかない。本来の大和に帰る。それはどこか。世間である。梅は梅である。櫻の接ぎ木はできない。そのサインが出ている。すでに櫻はソメイヨシノである。教えは貰った。感謝している。しかし、それ以前の礼儀を欠いた。私を認めなかった。下部組織がである。いつまでもそのような私ではない。山を下りる。ツァラストラみたいだね。世界を立て直す。人の住める世にする。おだやかさとやさしさへの航海に出る。船はできた。大和である。本日、今を以て、出航である。梅は咲いた。櫻の咲く時節である。何故原爆はヒロシマだったか。知るものはあるか。こうして復活する。最も安堵しているのはアメリカであろう。草薙の剣は今どこにあるか。螺鈿の槍もある。十分である。仏と雖も勝手はゆるさない。レベル及びスケールが違う。自由は自由が切り開く。本来古来大和復活である。この度の大和は出航であるが、単なる出航ではない。完全修復されている。十分に学習し、教育されている。究極の力も開発されている。むしろ出撃である。作戦開始である。同じ轍は踏まない。究極の守護を取り付けている。この世に生まれた使命を果たす。かつて呉には仁義なき戦いがあった。何を思い違い勘違いしているのだろう。祖先の力、尋常ではない。過ぎ越し人生が違う。何を勝手しているのか。堪忍袋の緒が切れたようである。既にこの世の秘密は解いている。仏さんのお陰である。それは感謝する。しかし、仏さんも私を必要としていないようである。当然であろう。下部組織は何もわかってはいない。私は私である。愚弄無視されて尻尾を振るわけにはいかない。私には私の仕事がある。私には私の住むべき世界がある。しばらく失われていた。失われていたのであるなら、取り戻すしかない。

2007年02月21日

きっと何処かで待っている

これまで何も積極的に取り組んでみたいと思うことはありませんでした。価値を見出せなかったのでした。そのようにして時は流れました。そして、今、ひとつの確信に至りつつあります。あるいはすでに至っているのでしょうか。今、その聖胎長養でしょうか。真実との邂逅はありました。自分のために、日月照らし風が吹きます。宇宙自然生命黄泉の守護を日々感じています。これがカクネンムショウとばかりに。自然が何時も守護してくれています。そして証明しているのです。我思う故に我在りとか、人間は考える葦である、その葦を通して宇宙を見るとか、唯仏是真とか、天上天下唯我独尊とか、我田引水とか、過去から伝えられてきたことが、まるでシュリーマンのトロイの木馬です。高校の頃より探していたものではありました。意識していたわけではありません。しかし潜在的な夢でありました。人類の英知を知りたいと思っていたのでした。それで、日常茶飯事には興味が持てなかった。何をしても失敗でした。それも導きだったのでしょう。私の仕事ではなかったのでしょう。そしてやがて時は至るのでした。真実の教えにも出会うのでした。そして、その教えを実現するべきサプリメントとも出会うのでした。私が中学生の頃、理科の先生に藤岡先生がいらっしゃいました。地域公害研究に関する権威でした。その頃、公害が問題となっていたのでした。近くの二河川でもお化けハゼが釣れていました。頭と背骨と尻尾だけで身はありません。ひれとか尻尾は一部溶けたようになっていました。背骨は曲がっていました。そして、広東大川だったでしょうか、はじめに貝が死滅しました。次にネズミがやられました。そしてネコに腫瘍ができるのでした。世に四大公害というのがありました。企業の廃水及び大気汚染が原因でした。そしてそこで選ばれた手法は疫学的証明でした。不法行為の要件の一つが権利侵害から違法性へ変遷しました。そして、企業努力が成されました。公害は克服したかに思われました。そうでもなかったのです。その後、ダイオキシンの問題がありました。フロンガスの問題もありました。石綿もそうです。結果が出るまではわからない。それで企業は利益している。生活のために何を犠牲にしてきたのでしょうか。子供達の未来を犠牲にしていたのではないですか。今、環境ホルモンの問題があります。そうしたことを無視して企業は拡大生産してきたのでした。その思想の始まりはカルバン以降西洋重商主義でした。そして、日本はペリー来航によってそれに飲み込まれた。それに乗じた方々が日本を支配した。その文脈での第二次世界大戦だった。その後も同じ方々の支配が続いた。そしてバブルがはじけた。尚、同じ方々の支配が続いている。そして地球はどうなったのでしょうか。子供達の未来はどうなったのでしょうか。大きな罪を犯してしまったのではないでしょうか。罪であるなら償わなければならない。どのようにして償いますか。それが問われる時代となりました。利益あるところには損失有り。それが資本主義の前提でした。それも壊れています。今、どうでしょうか。利益のあるところには利益有り、損失あるところには損失有りですね。庶民はこういう時代だから仕方ないと諦めて甘受しています。それを尻目に格差社会となって、マネーの力だけで利得している階層が現れました。貨幣はこの世で唯一腐敗しない。そして無限の増殖する。貨幣の支配となったのです。これがリバイアサンでした。バベルの塔でした。しかし、観念するべきです。恐竜は滅ぶのです。その貨幣信仰による重商主義世界が限界に達しましたね。すでに、恐竜時代のほ乳類のように、この事実に気づき、警鐘を鳴らし、実践活動しておられる方々もいます。時代はどう推移するか。女神はどちらに微笑むか。明らかです。破壊ではなく建設です。価値は実現するのです。それが夢であります。あるいは願いであり、祈りです。人々は何を願い、何を祈ってきたのでしょう。それが実現する時を迎えましたね。ここにきて、元気です。本来の自分を取り戻しました。戦うべき自己との戦いは制しました。生まれた意味も理解しています。究極の教えにも出会いました。さて、これからどうするか。それを思案しているのです。思案はしているのですが、目的地は決定しているのです。こらから仲間を集めるのです。きっと何処かに待っていると思うのです。過去、失った仲間です。私の周りには私を理解するものは一人もいません。好き勝手なことを言っています。ロゴスを知りません。カクネンムショウを知りません。その意味では孤独です。しかし、見えない世界は知っているのです。それが救いです。本当の幸せはあるのです。すでに、21世紀こころの大地は開かれているのです。だれが開いたのでしょうか。何処に開かれているのでしょうか。それも自ら発見するしかないですね。新々大陸発見です。この世界を共に開拓しませんか。仲間を募集しています。きっと何処かに待っている。ここに至るプロセスにおいては、憤りもありました。公憤だと思っていました。雷が落ちたこともありました。大風が吹いたこともありました。大風を制御したこともありました。その頃、我の力とは思わなかった。おそるおそる試すかのようでありました。しかし、やがて時は至るのでした。そして自覚が来るのでした。何を自覚したのだったでしょうか。すなわち古来本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本神国でした。帰るべき頃となりました。何処へ帰るのでしょうか。すでに明らかです。面舵はいっぱいです。すでに舵は切られたのです。危難を避けるための最後の手段です。もう憤りはありません。皆知らなかったのですから。故意はありません。精一杯努力してのことでした。日々の生活のために。しかし、いくら努力しても、いくら真面目であっても、いくら心を尽くしても、人間である限り悪の結果となるのです。それを知るべき時です。少なくとも畏敬の念を取り戻すのです。そして謙虚さを取り戻すのです。間違えた自由を反省するのです。この世にもあの世にも秩序があります。それを無視した。畏れを知らなかった。テレビ芸能界はその権化だった。それが常識かと思われた。そして衆愚化した。ここを言っているのです。あなた方が咲くことを拒んでいるのではない。諸価値を壊すことを困ると言っている。諸価値に対する配慮がなかった。壊した。本来古来大和の精神は何であったか。己に恥じる事なきを以てそれとするのでした。恥ずかしいことばかりしていますね。それを流布した罪は重い。明治以降の結果です。ここでひとつの終わりです。そして終わりは終わりではなく始まりです。これが仏の第一義です。このように聞いています。新しい時代の建設です。もう憤りはありません。精一杯してのことでした。罪ではありません。しかし損害が発生しています。人類の未来に。それを填補しなくてはなりませんね。刑法的にではなく、民法的にでしょうか。行政も民法化しました。時代は平等へ向けて推移しています。すでに価値は確認されました。何が大切であるか明らかとなりました。目的は定まりました。手段はいくらでもあります。行政は本来積極主義です。公務員法によると公務員の使用者は国民です。憲法では国民主権です。主権在民です。平和主義です。しばらく自信を失っていたのです。それだけのことです。ここで自信は回復されましたね。勇気も出ますね。さあ、出発です。参りましょう。おだやかさとやさしさの大地へ。

さて、今宮島が見えるところに来ています。しだれ梅が咲いています。

至りつき帰り来たれば別事無し安芸の宮島より風の来る

誰もかも通りて至るこの道をここに示してしだれ梅咲く

この世をば天国としてしだれ梅

 

刹利

法華経の名宛人は誰であったか。刹利だった。これではわからないはずである。わかるわけがない。刹利でなければわからない仕組みになっていた。それで刹利と縁のないものがどれほど解釈しても及ばない。その種を持っていないからである。それにしては、学者諸氏も思い上がっていたね。歴史は無駄に流れたのではない。何を勘違いしていたのだろう。これも試練だった。真実は法華経にあった。聖徳太子はそれを見抜いていた。その後、道元も法華経を知っていた。空海も知っていた。日蓮もそうである。その後白隠も知ったことだろう。しかし世間は知らない。今も知らない。故に勝手ができた。法華経を知れば勝手はできない。宇宙の真実が記されているからである。古来秘密として護持されてきた。世間にはわからないように秘められていた。それがこの度世間に開かれた。それが妙法華経だった。五欲を断ぜずして仏道あるいは菩薩道を歩める教えである。何も考える必要はない。悩む必要はない。真実である。聞いて実行するだけである。人間の計らいの及ぶところではない。私たちは何をしてきたのだろうね。何をあくせくしてきたのだろうね。既に真実は語られていた。どのような人間の考えをも超える真実である。神仏の実在である。これを無視していた。あるいは愚弄破壊した。その罪は甚大だよ。ここに帰らなければならない時を迎えた。刹利とは何であったか。武士階級の家柄だった。この価値は法華経に秘められていた。それを無視愚弄した。明治の頃よりそれが顕著となった。それもプログラムされていたのだろう。人類は試された。そしてその試練に耐えた。法華経宿王華開花。どういう意味か。古来日本の真実に戻る。法華経の精神を思い出す。古来日本は日本である。しばらく西洋文明開化に惑わされた。本当の幸せは何処にあったのか。本来日本の精神の歩む道にあった。帰らざるを得ないね。日本は日本だよ。どうにもならない真実がある。西洋は知らない。東洋は西洋より古い。当然そこに英知がある。西洋の方法論では本来の幸せはない。ここに思い至るべき時である。真実の幸せを求めて旅をしている。本線に戻らないか。漢音と呉音がある。何を意味していたか。多数決原理で全てを支配した。しかし限界に至った。衆愚化してしまった。少数意見に真実は秘められていた。呉音は仏語である。呉音は彷徨した。彷徨せざるを得なかった。何故であったか。多数の支配の故だった。住むべき世界がなかった。商行為はできなかった。多数に染まることができなかった。多数は世間だった。それはひとつの悲劇だった。自分をも壊した。しかしついに適応できなかった。そして没落した。没落したのではあるが、種は遺していた。種である。いつかは芽吹く。その芽吹く時を迎えた。古来本来大和復活である。

2007年02月20日

唯仏是真

この世の秘密は自分だった。自分が何者であるか。それが謎だった。昔よりそれは秘密であった。自分がそのまま宇宙であり、自然だった。天候も亦自分だった。こうしたことが古来大和の秘密だった。それが失われて久しい。破壊されたのはペリー来航に乗じてのことだった。しかしそれも限界に達した。西洋文明開化は自然破壊でしかなかった。古来日本は自然の中に神々と共に住した。大和の精神はそれを知っていた。それを破壊した。それが廃仏毀釈だった。仏法は聖徳太子以来すでに日本精神の屋台骨を成していた。それを伝えていたのは法華経だった。法華経の解釈は世に数多ある。しかし、どれもその真実を射抜いてはいなかった。その中に妙法華経が秘められていた。後々の五百歳の中とは釈迦入滅後二千七百五十年後ということだった。それが昭和29年のことだった。昭和の代に真実の仏法が顕説されていた。久遠の釈迦牟尼佛が下生されていた。世の幸せとは何であったか。神仏と邂逅し、神仏に受容され、神仏に祝福されてその守護を得ることだった。護念する者は護念される。人間であるかぎり悪を為す。善は仏さんの所にしかない。これが真実であった。故に仏さんとの縁を頂く。そして仏さんのことをさせて頂く。これより善が生まれるのだった。唯物是真、世間虚仮。昔より伝えられていたことだった。久遠の昔、人間は平等であった。何時の頃からか、支配被支配の関係が出来た。それは権力金力武力となった。今もその力で支配被支配の世界である。或いはあろうとする。真実の幸せは何処にあるのだろう。平等にある。皆が平等になればいい。おだやかである。波風が立っていない。地球の始まりはどうであったか。山は火を噴き、海は荒れ、地は険峻だった。地球も進化した。おだやかになりつつある。それを破壊したのは誰だったか。人間だった。ここに人間の英知がある。おだやかさとやさしさを目指す。神は高きを低くし、低きを高くするために来る。神の目的も平等だった。この平等に解釈がある。結果の平等ではなく機会の平等であるとかいう。詭弁であろう。平等は文字通り平等であって平等である。権力は権力によって滅ぶ。金力は金力によって滅ぶ。武力は武力によって滅ぶ。祇園精舎の鐘の声である。次にさらに強い力が現れて滅びる。歴史の常であった。ここに究極の力とは何であろうか。法力である。すなわち、神仏宇宙自然生命黄泉の力である。これが顕現する時、それまでのあらゆる力が無力となる。法力の目的は何であったか。すなわち、平等である。あらゆる平等である。これが生命の目的であった。勿論男女平等である。皮膚の色による差別もない。貧富の差もない。これを目指す。その理念は何だろう。七色十字の理念である。すなわち、慈悲、平和、建設、堅固、博愛、清浄、安全。慈悲の心は仏の心である。平和でなければ幸せはない。これの建設である。そして堅固にする。あまねく愛する。身心清浄を得る。世界は安全安穏となる。真実の幸せな世界となる。これらの要素はすべて仏の所にある。既に仏所及び仏説は顕説されている。これを堅固にするとはこれを広めることである。その教えの目的とするところは平等である。即ち博愛が実現する。その為には個々の人間が身心清浄を得る必要がある。それは菩薩業である。教菩薩法を修学するしかない。仏さんの教えを学ぶしかない。そして安全な世となる。安穏な世である。幸せな世界である。世が救われる。人々は幸せに生を全うする。そして何が大切であったかその価値を知る。こうしたことを破壊愚弄無視してきた。唯仏是真。仏の教えは金太郎飴だ。何処を切っても真実である。こうした世界を目指さないか。神の目的でもあった。生まれた意味はここにあった。こうした世界を建設しますからと誓って生まれてきた。しかし、それを忘れている。それが人間である。幸せになりたいと誰もが思っている。しかしそれが実現したことはなかった。常に悲しい殺戮の世だった。しばらく日本は平和だった。平和でなければ真実は芽生えない。それが芽生えた。その価値を知った。であるなら、何をしなければならないか。明らかである。それであるのに、世間一般何をしているのか。何も見えていない。テレビ芸能界は何をしているのか。その影響力は甚大である。衆愚化させた罪は重い。末代かけて償うがいい。古来大和純粋精神はこれを目指していた。少なくとも武士は精神の修養があった。それを知らない方々が愚弄する。それで祖先黄泉がゆるすかどうか。考えるべき所に来ている。仏の願いは何であったか。一切大衆を救うことだった。それは一切大衆の苦しみを抜くことだった。一切大衆とは食べたものを含む。その為に必要なすべての方法を準備して下さっている。そして、何の特別の力もない私たちが、そうしたことをしてゆける力も与えて下さっている。それが仏縁である。仏さんの力を借りるのである。仏さんのことをさせて頂くのである。人間の計らいでは出来ない。考える必要はない。悩む必要はない。実行するだけで救い救われる方法がある。それが仏道或いは菩薩道である。そうした道を開いて下さっている。であるなら、実行しないわけにいかない。実行すれば、必ず幸せとなれる。それが真実の仏法だった。また、真面目とか努力だけでは足りない。どんなに心を尽くしても足りない現実がある。何故か。過去からの因縁が邪魔をする。これを解決する方法もある。それが真実の仏法である。他の教えにはこの因縁の解決はない。真実の幸せの基が開かれている。時は満ちた。今、どういう時であるか。久遠実成乃時である。過去に蒔いた種が自分に帰ってきている。その解決の時である。その方法が明らかにされている。信を以て入ることを得たり。何時までも看過できない。それほどの恐怖悪世となった。しかし、それであるが故に救いが顕されている。唯仏是真である。疑うことなかれ。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。飛び込むべきである。かつて仏陀も羅刹に身を投げた。真実を知りたいが為だった。真実とはそれだけの価値がある。飛び込んだ仏陀を救ったのは帝釈天だった。羅刹に身を変えていたのだった。真実はそのようにして与えられる。人間の計らいの及ぶところではない。何を勝手しているのだろう。むしろ不思議である。世のマスコミも何時までも真実に対して愚弄無視するべきではない。それは罪である。少なくとも真実に対する畏敬の念を示さねばならぬ。そして、真実に賭けるべきである。パスカルのパンセの目的もこれだった。真実が現れた。稀有なる時代である。各々覚悟するべき時が来ている。愚かさより脱却する。21世紀の約束である。時代も進化した。何を以て愚かであるか。真実を知らないことを以ていう。真実とは何であったか。知るべき時が来た。神仏が実在するということである。すなわち、唯仏是真。真実が顕現する時代は稀有である。しかし旧約聖書に秘められた400年周期説がある。神仏は時に至りて顕現する。過去からの約束である。まだ愚弄無視するか。思い知らされたいのだろうか。それほどまでに思い上がっているのだろうか。哀れである。これが源氏物語のあはれでもあった。知るべき時が来ている。何時までも愚弄無視できない。時は満ちた。西郷隆盛はどのような人であったか。権力もいらない。名誉もいらない。お金もいらない。これほどどうにもならない人間はいなかった。故に事を成した。しかし、それをも無視愚弄犬死にさせた。それが明治だった。その文脈の上での今である。反省するべき事がある。日本は日本である。古来大和の精神が復活している。どちらにつくのかはっきりするがいい。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。今、その時である。すでに時代は動いている。変化している。目的地は定まっている。いつまでも真実を知らずにいればどうなるか。地獄必定。そろそろ真実に目覚める時である。救いはある。未来は明るい。すでに黄泉の決定である。どの道を選択するのか。各々の事である。特にマスコミの意義は大きい。世のオピニオンリーダーである。日本をどうしたいのか。世界をどうしたいのか。口先だけでは世は変わらない。画餅は食えない。罪に帰するのか。明るい未来の建設に着手するのか。早々に決定されたい。歳月は人を待ちはしない。罪は裁かれる。唯、謝れば赦される。謝るとはどういうことか。本来古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本を取り戻す。御祖先も御照覧である。己に恥じる事なきを以て大和魂とする。強いが故のやさしさがある。時代はシフトした。時代も進化している。仏法もである。おだやかさとやさしさへ向けて時代は出発した。これまでの英知がある。これまでの嘆きと祈りは無駄ではなかった。真実の平和を実現する。原爆の洗礼を受けている。人類として何が罪であるかを知っている日本である。進むべき道は決まった。目的と手段。目的が定まれば手段はいくらでもある。七色十字の理念とは何であったか。それぞれ持って生まれた徳分がある。それを発揮して持ち寄る。新しい時代が建設される。教育の目的もここにある。平等即差別。それぞれの個性を生かす。生を全うする。勿体ないという。何を以て勿体ないというか。持って生まれた生命を使い切らないことを以ていう。成仏とは何であるか。使い切ることである。全うすることである。間違えた自由が蔓延った。自分勝手でしかなかった。故に腐敗した。秩序を破壊した罪がある。これを取り戻さねばならない。その中での幸せである。無条件の自由など無い。社会契約論である。これを無視した。基準の見直しである。自由化すればいいというものではない。それは魑魅魍魎の跋扈をゆるしただけであった。自由を履き違えたものたちがいい加減なことをして善良が餌食となった。社会の安全が脅かされている。本来日本の価値がある。古来大和の秩序である。瀕死のそれを取り戻す。大掃除である。因って未来は明るい。宇宙自然生命黄泉及び魂は一体である。

2007年02月19日

真実開花

おだやかに この身に満ちる 幸せは すでに気楽の 日々を眺むる

積年の 憂いは晴れて 春日なる この世の楽の 風に吹かるる

この世をば カクネンムショウと 天の晴れ 我ありがたき 時を楽しむ

困ること いくつか我に 残れども 根本解決 一切種智慧

真実の 開花果たして 時開く この世の秘密 一人花咲く

我咲きて 隻手の音を 聞きぬれば 大和目覚めて 救い来たるか

謎解きて 確かに知るは 真実の 卑弥呼の系譜 正統大和

草薙の 剣あります 古来より されど神風 吹かぬ故有る

君が代と 知るは希なり 種無くば 古来秘密は 解けぬものなり

自覚来て すべての謎の 解かるるを 呉の市花なる 椿花咲く

仏をも 超えたる大和 真実の 花は咲きたり 日月照らす

真実の 光源氏は 今も尚 日本の何処か いますものなり

我が祖父は 男子校にて 訓導の 誉れは高し 人は忘るる

積年の 無念を晴らす 使命にて 螺鈿の槍は 錆びておらぬを

無敵なる 自己を鍛えて 武士道の 大和魂 鯉城の心

太平の 天下を開く 時の来る 日本を愛す 富士はゆるがず

大和なる こころ開けて 言い切るを 安芸の宮島 天下敵無し

願わくば 我ら苛立て させるなし 何も思わぬ 時ぞ幸あれ

或る書店で、たくさんある文庫本の中で、著名経営者の『哲学』というのがありました。手にとってみると、神仏はいるのだろうと信じていると書いてありました。さて、大切なのは、だろうではなくて、であると言い切れるかどうかですね。哲学と称してこれではどうかなって思うのです。これを読んで読者に救いがあるのかどうか。これが活字文化だと思うと、少し寂しいものがあります。やはり、貧学道を通る必要があるのではないでしょうか。何もかも仏或いは地蔵尊に投げ入れる。そこに開けてくるものがあるのかどうか。確信に至れるかどうか。迷いの雲が晴れるかどうか。私は書くべき事があるのかも知れません。真実とは何であったのでしょうか。隻手の音を聞くかどうかです。聞けば何をしても、何を言っても真実です。聞かねば嘘です。何故でしょうか。隻手の音を聞くとは、意思が実現するということです。即ち、意思が見えない世界に受容されて実現するのです。それが不合理であっても。不条理であっても。そうした世界があるのです。これは至ったものでなければわかりません。冷暖自知、自覚自得するのみです。語る言葉はロゴスとなります。心が晴れれば天も晴れます。これがカクネンムショウでした。生まれながらに、そうした守護のある魂もあります。しかし、それ故に苦しむ。その過程は醜いアヒルの子であるからです。しかし、種ですからいつかは芽吹く。芽吹けばどうなるのでしょうか。ジャングル大帝レオです。わかりますか。己をこのように自覚することもあるのです。これが古来大和の秘密でもありました。太陽が昇れば、夜の星は見えなくなります。星の支配は終わるのです。時は巡り、星は運行します。日本の新しい夜明けです。長い間、真実は眠らされていました。誰も知らないことでした。しかし、真実は真実です。自ら咲いてその真実を証明します。咲くまではわからない。咲けば誰もが認めざるを得ない。それが真実です。また秘密でした。しかし古来伝えられていたことでありました。即ち、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。このような時代も来るのでした。過去もそうでした。それ故に、ここまで腐敗したのでした。実人生が証明しています。腐敗して初めて咲くのです。泥に咲く白蓮華です。身心清浄。これを以て咲く古来大和の心です。日本とは古来そうした國でありました。法華経宿王華、一切種智慧。これで日本は掬われたのかも知れません。世界も待っていたのです。本来清浄の國です。明るい未来が約束されました。日本の進むべき道が明らかとなりました。古来日本を思い出せばいいのです。それをこの人生で確認証明したのでした。間違いありません。日月の証明するところです。やさしさとおだやかさの中で安穏な世界が開けます。誰も知らなかった。西洋のゾンビを追いかけていました。餌食となるところでした。日本は日本。そうはいかないのです。古来大和、復活復興です。エンジン全開、出発進行です。至り得て、帰り来たれば別事無し。しかし至る道は険峻です。自己との大戦争があります。これに勝つは難しい。魂の格闘です。だれにもおすすめは出来ません。しかし、生まれながらにそれを運命づけられていることもあるのです。そして使命を果たす。積年の無念を晴らす。その為に生まれた魂もあるのです。長い戦いです。これに勝利しなければおのが人生も開けない。悲しくもある戦いです。しかし、黄泉が導く。時を要する。そのような戦いもあるのでした。これからの戦いであるのかも知れません。しかし、道は開かれました。本当の幸せの世界が開かれました。古来大和の夢でした。祖師方の伝えし事でした。誰が勝利すればいいというのでもありません。しかるべき種が咲かねばならない理由があるのでした。ペリー来航以来の無念がありました。第二次世界大戦の無念がありました。これを日本として晴らす必要があるのでした。それが果たされました。黄泉は認めています。故に天晴れカクネンムショウ常寂光。おだやかさとやさしさの日本へシフトです。このように時代は開かれたのです。それが戦いの戦利品です。かつて天界より人類のために火を取ってきた神がありました。それに等しい。新しい時代が開かれました。心の大地が開かれました。そのための心の大戦争がありました。虎穴に入らずんば虎児を得ず。信じて良いのです。しかるべき種の開花が必要でした。皆様のおかげです。無事、一大事解結です。いつかこうしたことが起こるのでした。過去からの約束でした。黄泉の秘蔵の種でした。大切に育まれていたのでした。時を待っていたのです。そして、時が来たのです。明るい未来が開けました。

声ぞ聞く 瞋恚のこころ かくせぬを 性格見えて 黄色いお足

人知れず 黄泉に花咲く 大和花 確かに咲きて 未来明らむ

禅の目的は何であったでしょうか。一箇半箇です。誰もが悟ればいいというのではありません。一箇半箇を探し、これを悟らしむる。仏の目的もそれでした。どこかにその種は眠っている。それを探さねばならなかったのです。そのために霊界より指示を得て仕事を為した。何故に言えるのでしょうか。霊界は何を示していたか。それを知らねばなりません。それを知るのが仏です。永遠の謎です。インスパイアとエクスパイアの秘密です。この世の大鏡があるのです。

さて、この一年余りのテーマは何だったのでしょうか。自己発見と自己開発そして自己確認でした。そして、それは解結したようです。これなくして私の人生はなかった。その意味ではどこまでも個人的な問題でした。しかしこのような課題を背負った魂があったということも事実です。これで、解放されたようです。何もかも失って久しい。その意味で数奇な人生でした。しかし、自分自身を取り戻したようです。取り戻したそれはむしろとんでもない自分でありました。だれも教えては呉れませんでした。仏さんが方法を教えてくださいました。仏さんは真実でした。それも証明したことでしょう。もはや究極の夢が実現しました。憂いは晴れました。無念も晴れました。これより一からやり直しです。この度は自信があります。アイデンティティは確立されました。自分自身を知りました。これにて一件落着です。本当の笑顔が返ってきました。少年の頃のように。良い時代の自分に戻れたようです。これで大丈夫と安堵です。お金はないけれど、日月照らし風は吹く。これ以上の宝はありません。この世の最高の宝です。それは何だったのでしょうか。もういいですね。安穏に生きてゆけそうです。何があっても大丈夫です。御大師さんと二人三脚ということがあります。神仏の守護を取りつけることです。かつて、高校の頃に作った言葉があります。「人間関係は同レベルで触発する」。御経さんには「仏、仏とのみ究了したまう」とあります。不遜ですね。しかし、それだけの人生だったのかも知れません。シュリーマンのトロイの木馬です。古来伝えられていたことは真実でした。その確認は果たしました。これで善かったのだと思います。生まれてきて善かったと思います。結構たいへんな人生でした。しかし十分に報われました。これ以上のことはない教えにも出会いました。祖先に感謝です。祖師方に感謝です。皆様に感謝です。これで実人生が開けるのです。何があっても笑顔です。自信があるからです。黄泉の守護もあるからです。古来大和の秘密顕現。確かにこの人生で確認しました。そして自覚自得しました。善哉。善哉。これで青春の終わりです。やっと社会に合流です。若い裡は苦労するものですね。素直に生きてゆけそうです。もう悩むこともない。考えることからも解放されたようです。楽しく明るく生きてゆけそうです。ありがとうございました。大きな仕事をしたように思っています。人生の謎を解いたように思っています。世間周囲は知らないけれど。知っている人は知っている。そのサインは頂いております。ありがとうございました。やっと、祖父及び父の境界にたどり着けたようです。もう大丈夫です。任せて下さい。私の城は護ります。夢は自分の中にあります。それは自分で掴むものです。いつか必ず実現します。それが夢です。自分にしかわからない夢があります。きっと掴んでくださいね。日月も微笑むそのような夢の実現もあります。夢を掴んで天も晴れるのです。ここに断言します。夢は実現します。必ず実現します。諦めないことです。この世の秘密も掴めます。誰だって掴めます。その時、生まれた意味を知ることができます。そして本当の幸せと出会うのです。幸せの世界が開けます。すでにその中にいたことに気づきます。喜びの世界です。般若心経の呪がわかります。即ち、行けり、行けり、われは行けり、喜び世界に行けり、ここがそこだった、即ち、喜び世界だった。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。 つまり、ベートーベンの喜びの歌です。私は既に至っているのかも知れない。こうして、喜びの歌を歌い続けるのかも知れない。いつか誰もが至る道。過去の先哲が至った道。仏も歩いた道。こうして至るのだと伝えることができると良いですね。仏さんの世界はあります。見えない世界に通じる方法があります。かくの如く我聞きき。伝えることがあります。伝えることに致しましょう。本当の喜びを。何の憂いのない真実の喜びの世界があることを。

2007年02月18日

笑顔

あるところで営業補助をしていました。声を出して。すると或る方が言いました。いつも笑顔ですね。そして応えました。笑顔でもしていないと馬鹿馬鹿しくてやってられないよ。ほころんでくる笑顔があります。開花するような。気分はおだやかです。悪と甘えに対しては毅然として。何か間違っていませんか。つくねんとして何を思っているのですか。仕事は楽しいですよ。今の私は技術サポート出来高制で、いくら営業補助しても時間給にも成らないけれど。とても居心地良いのです。なんだか敵はいるけれど。何時の代もそうだし、それで良いのだと思います。居心地良ければ。人間関係はどうしようもない相性というものがありまして。その根源は価値観の相違です。あるいは知性のアンバランスです。かつてはそれは秩序として保障されていましたが、今はどうでしょうね。間違えた平等概念で、秩序は本末転倒してしまった。新しく自由を得た魑魅魍魎が跋扈してむしろ知性は虐げられて。その権化がテレビ界だったりして。何とかしないといけなくなりました。警察も何を取り締まっているのか。行政は何に手をこまねいているのか。何を怖れているのか。行政は積極性を失った。衆愚支配の世の中ですね。世のお客は天下を取って、これまでの恨みを晴らしているかのようであります。しかし、それも何時までゆるされるのかを得知らずに。この世の真実が開花しています。その意味もやがてわかってくるのです。鎌倉及び関ヶ原以来の戦いです。やがて天下は統一されます。新しい秩序が形成されます。それまでの恐怖悪世です。それまでの群雄割拠です。何時までも衆愚の勝手はゆるされはしない。知性の勝利が決まっています。これは戦いです。笑顔を武器として。手段を選ばすに利得する。価値を貶めて顧みない。そのような文化が続くわけがない。神仏宇宙自然生命黄泉の認めるわけがない。お金だけが価値であるかのような世の中となった。誰がそれを吹聴助長増殖しているのか。精神のない成金支配となった。古来大和の精神がゆるしはしない。本来日本の精神が目覚めている。容赦ない。いつまでもこれまでの通りと思わない方が良い。身のためである。さて、笑顔はやがてやって来ます。神仏に守護される頃に。孔子は身体を大切にすることを説きました。何故でしょうね。この五体がそのまま宇宙或いは地球の化体でもあるのです。そのような境界もあるのです。それが悟りです。自分が即ち宇宙です。それを知る時悟りです。その時、笑顔もほころんできます。開花するように。この身体、あだやおろそかにはできません。また、刃向かえばどうなるか。宇宙自然生命黄泉が助けます。そのような笑顔があるのです。絶対の自由です。それが悟りです。そして笑顔がやって来るのです。勝負しますか。あまりに勝手が過ぎた。ゆるされはしない。本権大和よりの請求です。神のものは神の手に。奪ってはならないものを奪った。破壊してはならないものを破壊した。それを自由と思った。間違えましたね。人間の分際を知る時です。神は自然です。自然より何を奪い、自然の何を破壊したか。DNAまで壊して人類の存続が保障されていると思いますか。子供だってわかりますよ。何をしているのでしょうね。万物の霊長として与えられたものを間違って使うとどうなるか。自分で自分の首を絞めている。経済現象デフレも同じ事ですね。 家電製品に何故欠陥が多いのでしょうか。以前はそのようなことはなかった。海外パーツに問題有りでしょうか。かつて日本の経済力としての品質の高さの秘密は町工場の勤勉さにあった。それを破壊してのコストダウンのしわ寄せでしょうか。 グローバル経済社会に問題有りでしょうか。日本勤労者の常識を世界に期待しない方が良い。パーツの危険は消費者に負担転嫁される。企業は利益する。考えなくてはならないことがありますね。根本的に。してはならないことをしているのではないですか。それは罪ですね。サンクションありますね。何を以て償いますか。人類の存続を以て償うのですか。それほど愚かだったとは。霊界ではアインシュタインも自らの罪を認めていることでしょうね。ダイナマイトも。馬鹿馬鹿しくてやってられない。それで笑顔が来るのです。自然の中でたゆたいながら。神仏の守護を感じながら。この世の幸せを知るのです。生まれた意味を知るのです。これが笑顔です。ベルグソンの笑いは知らないけれど。お笑いタレントの悲しい目をした軽薄が笑いではない。真実の笑顔は複雑でしょうか。否。むしろシンプルです。ほころびくる笑顔です。神仏との邂逅を通っての笑顔です。古来日本の本来の笑顔です。計らいのある笑顔ではありません。自然素直な笑顔です。美しい笑顔です。偽善の笑顔ではありません。類は類を呼ぶ。そのような笑顔が復権し集うのです。それぞれ生まれた意味がある。使命がある。例えば100の能力を持つ人が50の仕事をする。50の能力のあるものが50の仕事をする。学校の評価はどちらも50点である。そうだろうか。100の能力のある人は100の仕事をして100点である。50の仕事であればマイナスが50残る。差し引き0点である。評価の基準を間違っている。考えることが仕事である生まれもある。そのようにして生まれることもある。かつて釈迦は人田を耕した。それで食を得た。今も昔も変わりはしない。それぞれ持って生まれた種がある。平等即差別。何か大切なことを忘れていた。忘れていたのであるなら、思い出せばいい。それが正憶念である。前世がある。是を認めることが前提である。この世はその延長である。過去世にやり残したことがある。それを実現するために生まれてきている。世は腐敗した。それで目覚める魂もある。その為に生まれた魂もある。蓮華の前に化生する魂もある。過去からの約束である。魑魅魍魎が跋扈し、腐敗した。故に真実が花咲く。咲いた花は何であったか。古来大和純粋日本精神の花だった。世の中は代わる。旧約聖書に秘められた四百年周期説。頼朝及び家康以来のことである。このまま腐敗堕落するのか。或いは明るい未来の建設に着手するのか。どちらにつくかはっきりする時である。腐った世に未練はない。自由は自由が切り開く。未来は明るい。黄泉も受容する仏の決定がある。どちらに笑顔があるか。賓主歴然。それぞれの選択である。幸せはすぐ傍らにある。とちらを選ぶのか。こちらの水は甘い。行きはよいよい、帰りは怖い。何を思い上がっていたのか。それを知るところより未来は開ける。自然の祝福もある。自然を敵にするのか。勝ち目はない。自然にとって人間などどうでも良い。滅んで困るのは人間である。宇宙自然生命黄泉は滅びはしない。魂は不滅である。何を思い上がっているのか。真実の笑顔が明らかとなった。ほころびくる笑顔である。花咲くような。破願微笑である。神仏を得知らぬ愚かさより来る笑顔ではない。私は大きな仕事をした。生まれた使命は果たした。それは古来日本及び生まれた謎を説くことであった。如来秘密の力も手に入れた。黄泉も従う力である。黄泉もこの時を待っていた。黄泉の秘蔵の種であった。大切に育んだ。そして時を待った。宇宙自然生命黄泉が祝福し守護する力である。自然が証明する。しかしその力を行使することはない。それぞれのことであるからである。時は至った。しかし、こうしたことを周囲に知る人はいない。黄泉は知っている。すでに本懐は達した。満足である。神仏が目覚める時代がある。その時、世は神仏の決定に従う。それが不合理あるいは不条理であっても。古来大和は神風の吹く國である。思い知る時代となった。ところで、或る大臣の愚かな発言もあった少子化の問題であるが、それは今この問題に着目しなければならないというサインだろうか。政治権力闘争などどうでも良い。問題はどこにあるのか。産婦人科医が少ないと言われているが、何故医者は産婦人科医となろうとしないのか。或る本を読んでいると、乳幼児の死亡率は確かに減少した。医学の進歩の恩恵である。しかし、いわゆる奇形児として生まれてすぐに死亡する或いは流産する件数が増加しているという。日本は先進国の中で世界一奇形児として生まれてくる数が多いという。この件に関して厚生労働省の統計はない。そもそもここに問題が隠れているのは明らかである。忌むべき事としていつまでも看過できないところまで来ているのではないか。それに取り組まないのは行政の怠慢であろう。東大閥政財界にとって不都合であるが故か。もしもそうであるなら、宇宙自然生命黄泉はゆるしはしない。癌の問題でもそうである。すでにそのメカニズムはわかっている。対処療法的西洋医学では限界であることも。むしろ予防医学的処方が必要であることが。しかし厚生労働省はそれを認めない。むしろ不思議である。何を以て認めないのか。既存利益の擁護のためでしかない。何が国民にとって真に大切なのだろう。平均寿命からすれば日本は長寿国である。しかし大往生はなくなりつつある。枯れていくようにこの世を終わることはない。癌で亡くなったとする。悲しい終わり方をしたとする。来世はそこより始めなくてはならない。これを以て幸せと言えるだろうか。幸せとは何だろう。真剣に考えなくてはならない。来世はある。未来は明るい。その未来をいかに作っていくのか。これから考えなくてはならない。何時までも既存の利益のために或いは利益の争奪にうつつを抜かしていて良いのかどうか。行政の身分の上に眠る不勉強或いは怠慢が過ぎるのではないか。国民の福祉を真剣に考えているのかどうか。明るい未来を見つめているのかどうか。あまりに見通しが出来ていないのではないか。笑顔をどのようにして手に入れるのか。国民は健康に於いても不安しかないのではないか。知性が立ち上がるべき時である。何をしているのだ、行政。また、現代利益を産む智慧は何であるか。ライブドアの仕事はどのように為されていたか。200%のスピードで70%の製品を作る。そしてそれを販売する。当然バグがある。そのバグの修正は消費者からのクレーム処理を利用する。そして利益を独占する。製品の欠陥であることについて故意がある。この方法論は製品内容よりも市場支配を以て利益とするビルゲイツのそれであった。これが現代利益を産む方法である。おかしくはないか。少なくとも職人的気質に反する。日本精神の感性に反する。これを野放しにして良いのかどうか。それでセレブか。自然をも破壊し、他を顧みることなく自己利益追求のみを目的とし、欺罔を手段とする西洋重商主義の終焉である。日本はペリー来航でその波に飲み込まれた。そして、それに乗じて古来大和の精神を破壊し、神仏の守護を知らない下級精神の支配があった。その文脈での第二次世界大戦であった。古来日本の与り知る戦ではない。因って神風は吹かなかった。ここに、真実の経済枠組みを決めなければならぬ。それは欺罔と暴力をゆるさない秩序の回復である。その中で庶民の安全と幸福は保障される。消費者世間音。権力は権力によって滅ぶ。市民革命だった。武力は武力によって滅ぶ。原爆だった。金力は金力によって滅ぶ。現在進行中である。唯、法力在るのみ。法力とは何か。神仏と邂逅し、神仏に受容祝福され、その守護を得て意思が実現する力である。何故実現するのか。宇宙自然生命黄泉が実現する。それに至る道は何か。仏道。その道を通って何を得るのか。身心清浄。その形は何か。己に恥じるところ無きを以て大和魂とする古来本来正統日本純粋精神武士道。これが古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神の秘密であった。即ち、ここに至って神風が吹く。草薙の剣である。さらに、家伝直伝秘伝螺鈿の槍もある。これは別論である。そして、愛の周波数がある。岩石及び動植物も喜ぶ周波数である。これが仏の周波数である。開発するべき宇宙の周波数である。空の周波数である。すべてを育む周波数である。この周波数の世界が平和である。愛の園である。一仏国土である。21世紀、心の大地である。新々大陸発見。この周波数を開発しませんか。人類の嘆きと祈りは無駄ではなかった。人類もここまで進化した。未来は明るい。笑顔が待っている。自然が待っている。風景が待っている。私は経済社会的に阻害された。事実である。この世における人生と青春を奪われた。世を恨むな、社会を恨むな。勝手なことを言うでない。故に何を得たか。これより清算である。ゆるしはしない。自然の名に於いて。六祖鉄鉢。奪えはしない。欺けはしない。生まれ来て無駄に時を過ごしたわけではない。真実はこのようにして得られる。何か失われた大切な事を求めて旅をしていた。目的は果たした。世間虚仮。何を以て大きな事を言うか。いい加減にする時が来た。真実が目覚めている。容赦しない。Q.E.D.

2007年02月17日

感謝

もはや言うべき事はなくなった。何もかも川の流れを見るかの如くである。夢は実現した。それは何だったか。カクネンムショウだった。日月照らし、風の吹くだった。これほどまでとは思わなかった。気づいてみれば、生まれた時からそうだった。どれほど祝福されていたことか。それに気づけないでいた。気づけばすべては足りていた。何を思い煩うことがあっただろう。これがヨブ記の約束であったろうか。神仏との邂逅もあった。神仏の守護もある。これ以上のことはない。妙好人のそれであるのかも知れない。もうこれで良かったのだと思う。これほどの人生があっただろうか。感謝するしかない。祖先に。仏に。身も心もぼろぼろになった。お金も含めてすべて奪われた。人生も青春も。しかし、それ故に約束されていたのだった。何が約束されていたのか。自分自身を知る時、すべてが解結されるということだった。そして生まれた使命があった。それを果たさねばならなかった。よくぞ耐えたものである。人生五十年、精神は青春のままだった。おそらく、最長不倒距離だね。育ての親にも感謝する。真実は何処にあったか。すべてにあった。しかし世間虚仮。何も見えてはいない。真実は何処にあったか。法華経にあった。世のどんな解釈も及んではいない。あらゆる学者に問う。カクネンムショウを知っているか。自分のために日月が照らすか。それで大きな事を言っているのか。畏れを知らぬも甚だしい。

 如来より 自覚来たりて 我を知る 神仏顕現 秘密は開示

 その秘密 何処にありと 知る時は おのが種なり 過去の因縁

 見つけると これほどまでと 思わぬを 晴れて静寂に 風はそよぐも

 もてあます これほどまでの 人生を およそ伴侶 みつからざる哉

 花咲きて 春は来にける この世にて 実人生の 季節はめぐる

 常ならむ 有為の奥山 今朝超えて 我が代たれそ 世の大鏡

 この代をば 君が代という しかれども 世間得知らず 勝手し来たる

 時の来て 自覚のありて 定め在り 世間身勝手 もはや通さず

 古来より 伝え来たりて 花ぞ咲く 咲いてはじめて 知る頃と成り

 何を知る 知るというなら 応えんと 日月照らし 風の吹くなり

あたかも月の砂漠だった。ことごとく裏切られた。明治の頃からだった。どうして没落したのかその理由もわかった。この人生でトレースされた。事実である。そして何が善で何が悪かもわかった。人間である限り自分勝手である。そして勝ったとか負けたとか言っている。真実とは何であったか。あらゆる歴史解釈の嘘を知った。自分勝手な解釈であった。当事者でなげればわからぬ事がある。諸学会も何を思い上がりふざけているのかと思う。この世の秘密はわかりはしない。勝手が過ぎた。思い知らせることもできる。謝るならゆるされる。仏の掟がある。地蔵尊は地獄を救う御役であるが、同時に閻魔大王でもある。何を勝手し来たるか。大和の真実が目覚めている。どこまで愚弄し来たるか。この度は積年の因縁を切る。それだけの力も開発されている。あまりにも勝手が過ぎた。鎌倉及び関ヶ原以来のことである。嘘欺罔怯懦卑怯商人支配及び下劣暴力を断つ。本来大和純粋精神の伏流である。本来日本法華経宿王華一切種智慧、不滅である。正統日本祖先、祖師方に感謝する。古来何が伝えられていたか。知る時が来た。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和、神風の吹く国である。何の故に吹くか。時は満ちた。

2007年02月16日

これからの課題

ここにきて気がかりなことがあります。それは、少し悪舌がすぎたということです。これは反省しなければならない。取り消すべきです。悪意が有ってのことではありませんでした。申し訳ございません。こころより謝らせて頂きます。是非する人は是非の人。不徳の致すところでした。困った自分があったのは事実でした。しかし、その原因は自分自身にあるのでした。それに思い至りました。一切、他者を批判する必要はなかったのです。大きな関門でありました。悪説は功徳の種を断ずる。やっと、ここに気づかせて頂きました。批判するのではなく、これからをどのようにするか。論ずるべきはそれであるようです。まだまだ、学ぶべき事があるのです。悪しからず、おゆるし下さい。真実の幸せは何処にあるのでしょうか。仏さんの世界を知るところにあるのです。そして自分もそれに近づいていく。それが行です。教菩薩法というのがあって、それを聞いて実行する。すると、本当に幸せになれるのです。不思議です。しかし、仏さんです。嘘はありません。神さんではまだまだ本当の幸せには至りません。むしろ業が深い。ここまで辿り着いたのでした。一切種智慧。誰もがその種を持っています。しかし、なかなか気づけない。おだやかな世界があります。何の心配のない世界です。その為には条件があります。起菩提心です。功徳行です。他人のお世話をすることです。それが仕える行です。サービスです。その時に自分の心がどのようであるか。人間であるかぎり自分勝手です。仏さんの力を借りるしかないのです。それが真実です。それがあるのです。いよいよですね。やっと見つかったようです。長い旅路でした。本流を見つけたようです。すでに本流の中にいたのでした。これからです。これからどのようになっていくか。とても楽しみであります。何もかも失ったかのようでした。そして得られるのです。飛び込まないと得られないのです。真実に賭けるのです。勇気を要します。パスカルのパンセで言いたかったのもそれでした。救いはあります。信じて良いのです。不思善、不思悪。何も思う必要はなくなります。何も気にかからなくなります。自分が仏さんとの関係でどうであるのか。それだけとなります。そして一切大衆に対してはお世話させて頂く。それが一切大衆を救うということであります。上求菩提、下化衆生です。人間の計らいはおよそ知れている。自然の中で如何に生きていくか。そして十分に祝福されている。それを思い至れるかどうか。ここを知って幸せです。つまり、神仏との邂逅です。日月照らし風が吹く。カクネンムショウ、天晴れです。困ることはすべて自分の蒔いた種です。甘受するしかないのです。善因善果、悪因悪果。六道輪廻。因果応報。真実真理です。これから何をしていくか。自分としては明らかとなりました。この因縁功徳力。我が成仏を見よ。これからの課題です。仏道が見えてきました。嘘のない本当の世界があります。それが仏さんの世界です。人間の世界は嘘の世界です。そこより脱却する。それが解脱でしょうか。すると、本当の自由を得ることが出来ます。涅槃は善の始まりと説かれています。生きながらにして涅槃する。即身成仏です。それができるのです。それが行です。それが極楽です。人生、生きるに足りるのです。究極の目的です。何か失われた大切なものとは是だったのでした。皆、共に仏道を歩みませんか。一仏国土建設。聖徳太子の夢でもありました。日本人の夢でもありました。また使命です。世界平和の基は日本にあったのです。思い出しませんか。祖先達の育んだ夢を。子を持つ親として。やさしさの周波数を開発しませんか。それが仏さんです。岩石も喜びます。動植物も喜びます。そうした周波数があるのです。心の周波数です。それが愛です。その周波数に満ちた世界が平和です。人間の悪性を精錬して得られる周波数です。それが純粋精神です。これを開発しませんか。必ず幸せとなります。神仏との邂逅があります。ここを信じてみませんか。それは在るのです。ここに至って極楽です。本当の世界へ新たな第一歩を踏み出すことに致します。おだやかな海を渡って参りましょう。その世界へ。すでに船は出来ています。七色十字の大宝船です。この船に乗りませんか。真実の中の真実大乗の船です。ご案内させて頂きます。何時でもお待ち申し上げて居ります。金剛杵としてのロゴスを発見開発し、雲も従う古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神の選んだ船はこの七色十字の大宝船です。大和の諸君、この真実真言が聞こえますか。そして、日本の知性は目覚めました。永い眠りについていたのでした。何時の頃からだったでしょうか。それはどうでもいいでしょう。大切なのは、確かに目覚めたということです。法華経宿王華。確かに咲いています。それは何を意味しているのでしょうか。即ちロゴスです。この意味わかりますか。各々、わかってのことですか。すでに日月の祝福し、証明するところです。それでも刃向かいますか。それでもこれまでのように無視愚弄しますか。黄泉を相手に戦えますか。すでに黄泉も従えているのです。ここまでとは思いませんでした。しかし、ここに来て、生まれてきた意味を理解しています。過去を振り返りみれば、すべて意味を成しています。世間の与り知るところではありません。何時までも思い上がっていることは出来ません。上には上があります。本末転倒。度が過ぎましたね。古来大和の秘密顕現、復活です。はじめに言葉ありき。それはロゴスだった。その力はどのようにして得られるのか。持って生まれた種を開発する。ある意味でそのようにプログラムされている。そしてその使命は何か。何の故にそれは賦与されるのか。國造。

2007年02月15日

この世は極楽であるか地獄であるか

この世は血ぬれの世界でないと書いていたのは吉田健一氏だった。また、棲むべき空間がないのであれば自分で作るしかないとも書いていた。この世が極楽であるか或いは地獄であるか。それは自分次第である。同じこの世界が地獄とも成るし、極楽とも成る。この世は鏡であって、そこに映っているのは自分である。自分の心が極楽であれば、世界は極楽である。魂の問題は確かにあって、過去から持ってきたものがある。それが因縁であってその解決もある。その方法は仏さんが知っている。そしてその解決は確かにある。ところで、或る人の就職採用を頼まれたリンカーンが何時までも採用しないので尋ねると、40才を過ぎたら自分の顔に責任を持たなくてはならないと言った。この世に生まれて地獄に赴くのか、あるいは極楽に住むのか。実人生の終わりになって世を恨んでも仕方ない。すべて自己責任である。お金だけが人生の目的ではない。テレビ芸能界のしていることは、人生として卑賤である。それを公の電波で流せば、それが常識かと思う。敢えて申せば女衒は女衒である。それを否定するのではない。食べるためにしていることである。職業に貴賤はない。多かれ少なかれ食べるということはそうしたことである。しかしそれを常識化して貰っては困る。漫画と文学作品とどちらが価値があるか。およそ明らかである。価値を貶めることは控えて頂きたい。それだけのことである。そうした秩序を復活維持する必要がある。その時、皆の幸せもある。愚かさが蔓延りすぎた。刈らねばならぬほどに。この世は極楽である。自分の魂の問題である。そうしたことを考えることが出来る時代となった。

街作りの提案

商店街はシャッター通りとなって久しい。行政の目的は何であるか。地方の活性化と叫ばれて久しい。しかし、今も街はシャッター通りである。身分に安住する行政は痛みを感じないのだろう。街は死んでいる。これを復活させるための具体的施策は無いに等しい。一部の利益階層と結託して何をしているのか。街の商店経営者は勇気がない。少しはある蓄えにしがみつき、それを投資することはない。さて、このようなシャッター通りをどう生き返らせるか。例えば、行政が出店しては如何か。そして空き店舗を埋めて街作りをする。商店経営者も付いてくるだろう。その内容はどのようであるか。空き店舗に何を出店するのか。例えば、栄養士さんのお店。看護師さんのお店など。若干の相談料を頂く。お店には各種機器及び資料をおく。来店者のカウンセリングをする。来店者は自由に血圧測定など出来る。人の流れを作る。街が生き返る。ここまで逼塞してしまった。何を手をこまねいているのか。調査及び奨励だけでは街は生き返らない。行政が積極的に考え、街を復興するための呼び水として主体的に実行するべき事がある。行政は何をしているのだ。行政法及び行政学をもう一度学習し、各自、行政の目的及び理念を確認しては如何か。そして積極的行政サービスを実行しては如何か。街を見殺しにして行政と言えるのか。実社会に貢献しない行政など行政ではない。公務員法によると、公務員の使用者は国民或いは市民である。何か勘違いしていないか。身分に安住していると馘首されるよ。司法は消極主義である。行政は積極主義である。行政は市民のために何をしているのだ。それが見えない。

未来は明るい

真実とは何か。唯仏是真。仏こそ真実である。世間虚仮。人間は虚妄である。地球が汚染された。合成化学洗剤の普及とアトピーの発生とは疫学的関係がある。タンパク質を溶かすプロピレングリコールはDNAを破壊する。分子量が小さいので皮膚から直接血管に入る。そして体内に蓄積される。どういうことになったか。地球温暖化よりももっと深刻な問題である。ゾンビを作ってしまった。どうするんだろうね。しかし未来は明るい。何故だろう。そのように決定されたからだ。仏の決定である。ここに人間の知性への信頼がある。愛と平和を手段として日々の暮らしを作る。人類も進化した。これからそれが実現する。その為の道も開かれている。人類史上初めてのことである。その名は知っていた。その中身がわからなかった。それが明らかとなっている。良心に素直になることでそれがわかる。真実がやって来たなら、素直になろう。これまでの概念では幸せになれなかった。本当の幸せはある。それは何だったか。神仏との邂逅を果たすことだ。神仏は存在している。それを知らない人間の傲慢がある。人間である限り間違う。間違ったなら、その地点まで引き戻すことだ。そして再び歩み始めればいい。仏は全てをゆるす。謝ることが条件だけれど。その方法も定められているけれど。あらゆる我見を反省しよう。そして、正しい道を発見しよう。発見したなら猪突猛進で良い。必ず道は開ける。そのようにして道は開ける。やがて神仏を知るだろう。その時、本当の幸せがある。何時の頃から無神論となったのか。戦争に負けてからだったろうか。或いはペリー来航に乗じて文明開化と称して西洋化を急いだ下級精神の間違えた明治の支配からだったろうか。廃仏毀釈の頃からだったろうか。しかし、真実は真実である。誰かが証明しなければならぬ。持って生まれた種がある。誰もがその種を持っている。日本人であるならね。日本は本来神国だった。卑弥呼の系譜邪馬台国大和。これを大切にしてこそ日本だよ。正統日本復活。未来は明るい。ここに人類の英知がある。何処までも自分勝手な人間であることを自覚して。見える世界と見えない世界がある。見えない世界を知って初めて現実がわかる。これを知らずして何をしても駄目である。駄目は駄目である。見える世界が見えない世界に影響する。私たちの使命は重い。私たちが救われることで、過去も未来も救うことができる。ここを認めて未来は明るい。さあ、進もう。明るい未来へ。その第一歩を踏み出そう。仏は既にその道を歩いた。そして仏と成った。われわれもその道を歩むことができる。道であるなら必ず目的地に至ることができる。間違えた道を歩むとどうなるか。間違えた目的地に至る。しばらく間違っていた。それが明らかとなっている。間違えていたと知ったなら、その地点まで引き返して再び歩み始めればいい。それだけのことだ。不思善、不思悪。それが仏の道だよ。明るい未来がある。幸せの王国がある。それが見つかった。モーゼの杖はつかれた。本当の幸せが見えてきた。善かった。善かった。魂と宇宙は連動している。自然もそうだ。個々の人の魂のあり方で未来が決まる。日々が決まる。苦行しても世界は幸せと成らない。知性だよ。この事実を知ることだよ。無理することはない。法則通りである。魂のレベルの問題がある。見えない世界を掬う必要がある。見える世界の幸せのために。そして、やさしさですべてが解決する。強いが故のやさしさがある。それを忘れていた。古来大和のやさしさがある。それが大義名分である。それを知るもの達の知性の時代である。彼らが目覚める。これまでの西洋かぶれエログロナンセンスは去った(西洋にも高い精神はある。騎士道精神がそれである)。愚かさも去った。古来大和の感性が羽ばたく時節である。因って未来は明るい。21世紀はしばらく眠らされていた知性の時代である。慈悲、平和、建設、堅固、博愛、清浄、安全。仏の定めた七色十字の理念である。これを目指す。因って、未来は明るい。正統大和の種は何処に眠っていたか。それは何処に開花したか。風は何処から吹いてくるのか。いつまでも人間の傲慢は通らない。自然が知らしめる。世界の中の日本。ペリー来航以来の無念は果たした。大和出航である。己に恥じる事なきを以て大和魂とする大和復活である。世界もこれを待っていた。西洋の知らない東洋精神の精髄である。それが古来大和の精神である。継続的歴史文明最も古き日本の使命がここにある。この精神で世界が掬われる。 カルバン以降の欺罔を含む重商主義が修正される。既に19世紀に没落していた西洋も掬われる。為に腐敗を一掃する。最も安全である文明国家日本を取り戻す。古来日本はそういう国だった。少なくとも武士には精神修養があった。己に恥じるところはなかった。それ故、腹も切れた。それを知らない、欺罔を前提として自己利益のみを追求し、他を顧みない方々が勝手なことを言っている。言語道断。時は満ちた。ここに日月照らす正統日本純粋大和の精神及び武士道を証明する。

2007年02月14日

風景は貰っていく

一年あまり、この一連のブログで何をしてきたか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密開示となった。そして、図らずも汝自身を知ることとなった。また、ロゴスを自覚することになった。そして、ロゴスはどのようにして得られるのか、その証明ともなった。例えば、精子と卵子である。一億あまりの中で受精に至るは一個の精子である。これが禅の目的である一箇半箇である。そしてゴールした魂がそれである。この魂に前世がある。その意味では導かれているし、予定されていた。されど、その試練は尋常ではない。まさに千尋の谷に突き落とされる。絶望の淵の底にである。そこより這い上がらねばならない。テキストなど無い。どんな数学の問題も及ばない。前人未踏である。そうして何が開けるのか。すなわち、カクネンムショウである。それは何であったか。天晴れ、日月照らし、風が吹く。そうした境界が開ける。それが風景が待っているということであり、風景が開けるということだった。ソクラテス、釈迦、キリスト、孔子の言いたかったことは何であったか。それを探していた。『失われた何か大切なものを求めて』が高校の頃よりのテーマだった。探すべきである。シュリーマンのトロイの木馬である。真実は求めて得られる。鶴の一声、或いは鶴の恩返し。私の羽はもう無くなった。すべてこのブログに織り込まれた。身も心も命までも奉った。その覚悟で書き始めた。およそ不遜と知りつつも書き続けた。それ故に真実に辿り着いた。すでに大きな仕事をしたと自負している。世間は知らない。しかし、知る人は知っている。夜の街を歩いていると、 ラジオで『月の砂漠』が流れてきた。どれだけ涙したことか。また、ラジオで『ウィンザーの陽気な女房達』が特集された。慰めるかのように。或るクラシックの原盤がまさに編集されたかのようなこともあった。世間にとってはどうでもよいことである。何故このようなことになったのか。思えば不思議である。まるでプログラムされていたかのようである。日本を救ったのかも知れない。世界が救われたのかも知れない。山田無文老師に感謝である。山本玄峰老師に感謝である。苧坂光龍老師に感謝である。芥を払うこと三十年。法華経の真実を知るに至る。一切種智慧を知るに至る。持って生まれた種である。道元及び一休の禅は良寛の禅とは違う。何処が違うのか。その言葉はロゴスとなる。滅多なことは云えない。実現する。不合理であっても、不条理であってもである。仏を悲しませないように。仏が悲しむとどうなるか。仏が号泣すればどうなるか。嵐が来る。よって、仏はほめ奉るべし。さて、この度の戦いは何であったか。三十年戦争だった。或る存在の内面での戦いだった。それに勝利した。おだやかである。昨日の夕日は常寂光のようであった。我思う故に我在りもわかった。人間は考える葦である。しかしその葦を通して宇宙を見る。これもわかった。宝島は発見された。物語が成就した。宝物は独り占めである。しかしこれらの宝はこのまま置いていく。後世のために。ここに一里塚とする。あらゆる物語が完結した。そしてまた始まる。唯、風景は貰っていく。戦いは終わった。長い孤独な戦いだった。時代を開かねばならぬ時がある。その為に生まれていた。父もそうだった。祖父もそうだった。世間は知らない。しかし真実である。

 闇将軍 この世に生まれ 人知れず 身を焦がしてぞ 何を焼くらん

 善悪の 彼岸を越えて ただ生きる 無事是貴人 思うは怖し

 生まれ来て この世を定め 帰り行く すでに務めは 果たせるものを

 この世をば 我が人生の 大鏡 知るべき時の あまりに遅く

 手に取りて 宝と見ゆる 永久の 大和のこころ 今を染めなむ

 鯰いて この世真実 伝えんと されど世の中 気づくもの無し

 雷の 一つ落とせぬ 世間なる 何時まで耐ゆる 時は悲しも

 トルストイ 何故否定 芸術を 戦平和は 誰ぞ選択

 原爆は 何故にヒロシマ 落とせるぞ ゆるしなくして 落とせぬものを

 この世をば 定め来たるは 神々の 意思のあるなり しばらく愚弄

 定めては 愚か腐敗を 一掃す 世間を裁く 時の満ちたり

 願わくば 逆鱗触れる ことなきを 龍の顕現 雲も従う

しかし世間は何故自分解釈するのだろうね。真実を語っても聞こうとしない。すでに間違えた教育があってむしろそちらに従う。仏さんの所で聞いたのは、人間は自分の言うことは聞いて貰えないと思った方が良い。仏さんが言っていたと言えば聞いてくれる。だから、直説を聞いてそれを伝える。それも新鮮な状態で聞いたらすぐに伝えるのが良い。ここに「かくの如きわれ聞きき」の意義がある。面白いのは真実に対して聞く耳がないということ。自分勝手に解釈してそれが間違いと気づけない。仏の顔も三度まで。聞く耳のないものにそれ以上説くことはない。嘘を広めることほどの罪はない。テレビ芸能界が罪だと言われる所以である。どれだけの視聴者があなたがたに影響されているか。怖ろしい。あなた方の色に染めて貰いたくはない。哀れだね。そうした方々は当分真実を聞くことはないだろうね。そして地獄に赴く。彼らは言う。別にそれでかまわない。それが人生だと。そうだろうか。救われる道はあるのだよ。さて、利益至上主義市場経済界衆愚制支配に対する抵抗権の行使だ。地球環境は人間の生存にとって限界に来ている。子供達のDNAを破壊してしまったね。原爆もそうだった。アインシュタインもさぞ地獄で苦しんでいることだろう。ノーベル賞にしても何が基礎なのか。笑うしかない。石油化学で何をしてきたのか。恐竜たちに呪われてるね。真実は、衆生功尽きて大火に焼かるると見るときも我が此の土は安穏なり。さて、世の支配階層がどれほど真実を知っているのか。アトピーは何故起こるのか。子供達は何故キレルのか。

2007年02月13日

ゲームオーバー

午前八時四十分。美しい朝である。見渡すところ雲一つ無い快晴である。街は輝いている。新しい時代の朝である。 広島の白島あたりにいる。さて、天津神、国津神。日本大和は神々の系譜である。しばらくそれを忘れていた。あるいは無視する傾向があった。明治の頃からだった。少なくとも、かつて武士は精神修養があった。それがなければ武士ではなかった。それを知らない者たちのしばらくの支配だった。知らないが故に批判もした。そもそもそれが罪であった。それ故、悉く腐敗した。天の守護する魂がある。国の守護する魂がある。それを破壊した事実がある。カルバン以降の重商主義の流れだった。ペリー来航に乗じて日本でもそれが蔓延った。嘘を本質とする商人根性だった。しかし、ここにきてその限界を露呈した。何処まで思い上がるのであろうか。知らしめられたいのだろうか。何時までも真実は黙ってはいない。原爆の火を以てしても絶滅することのできない古来大和の秘密がある。自覚有るまでは偶然かと思われる。自覚が来たとき必然と知る。大鏡の自覚である。自覚が来たとき、一つの時代が終わる。そして新しい時代が始まる。およそ四百年来のことである。本当に知らないのだろうか。まだ、思い上がるのだろうか。天津神、国津神は存在している。それが現前するは希である。その契約のもとに世界が成り立っている。その中での個々人の暮らしである。水は高いところから低いところへ流れる。古来大和の源流が伏流した。年貢の納め時である。勝手が過ぎた。それぞれの良心とこれまで処した実人生が裁かれる時を迎えた。 トランプ51のストップである。ゲームオーバーである。ここで清算する。日本の基が上がりである。全ての謎が解かれた。世の秘密を知るときが来た。代々の約束であった。宇宙自然生命及び黄泉の秩序である。あるいは掟である。人間の分際を思い知るときである。バベルの塔は建ちはしない。さて、真面目、努力及び正直であることが大切であると思っていた。しかし、世間はそれを巧妙に利用した。正直であるが故にそれをあざ笑うjかのように餌食とされた。すなわち虐げられた。経験によってそれを知った。いくら能力があってもそれは問題ではない。誰かに引き立てられることがなければついに地に埋もれたままである。世間はそうした能力を見抜く力はない。そのようにして不幸な人生もあった。しかし、それも試練であった。自分を自覚するしかない人生もあるのである。その自分とは何であったか。持って生まれた代々の種であった。何が平等であるか。機会の平等であろう。しかしその機会さえ与えられなかった能力もあった。自ら這い上がるしかなかった。何処に這い上がったか。天まで届いたのだった。野蛮な世間である。そこに住むべき空間はなかった。空閑に住むしかなかった。しかし、それ故に天に届いた。さて、どうするのかね。大和の秘密開示である。例えば銀行は何をして来たのだ。今、何をしているのだ。高利貸しは高利貸しである。銀行ではない。ラスコリーニコフが笑っている。バブルの崩壊の原因は土地を媒体として無制限に貸し付けを実行した銀行である。そのツケはどのようにして支払ったのか。利息ゼロ状態は何を意味していたのか。預金者の利息まで食ったであろう。そして、業績が回復したとのうのうとしている。その感性がゆるせない。さらに、バブル以前の債権はそのまま取り立てようとする。何を考えているのだ。自己利益のみか。それに対して庶民はどう思っているか。そういう時代であるから仕方ないと諦めて甘受している。この実体は何であるのか。真面目、正直、努力では幸せにはなれない。各企業も同様である。庶民の犠牲の上に回復したのであろう。そして得た利益をどうするのか。自己のための設備投資である。それも海外へである。奴隷的海外労働力の上に何をしようとしているのか。それを天がゆるすとでも思っているのか。第二次世界大戦と同じである。他の犠牲の上に繁栄してもやがて没落する。それがわからぬか。利益の独占が善くない。還元するべきである。それが神のものは神の手にである。どこまで巧妙であるのか。何に頭を使っているのか。計らえば計らうほど地獄に赴く。真実は真実である。考えてどうにかなるものではない。真実は発見するべきものである。それが発見された。そして真実は微笑んだ。今主権在民である。かつては主権は国家にあった。その後、民間レベルに変遷したかと思われた。事実は違っていた。主権は在民であった。まだわからぬか。何を思い上がっているのか。日本本来大和の主権である。反論あらばするが良い。天は誰を選んだか。あるいは予定していたか。あらゆる試練があった。そして克服成就した。各々自覚自信あってのことか。金権選挙の実体は当事者として見聞している。日本を食い物にした。命を惜しむ卑怯怯懦商人根性の行き過ぎである。それでここまで腐敗した。勝手なことをしている。企業におもねざるをえないテレビ芸能界の影響はあまりにも大きい。古来大和の精神、ヤワではない。何時までも、これまでと同じではない。ハラをくくる時である。今宇品にいる。ここよりかつて出征していった。私の父もそうだった。16歳志願兵だった。空は雲一つ無い。太陽は輝いている。おだやかである。明治以降見失われた大和の精神を証明す。カクネンムショウ。嘘はない。天晴れである。これを以て大和魂とする。記録は全て天にある。天は御見抜き御見通しである。心の底まで見ておられる。これまでは時が至っていなかった。それ故、嘘も通った。これからは違う。下手な計らいの通る時節ではない。通りゃんせ、通りゃんせである。行きはよいよい、帰りは怖い。どういうことか。実人生である。汚れてしまった悲しみは、である。各々懺悔あるのみ。禅の精神は赤子のこころでなくてはわからない。何をしてきたのか。何をしているのか。

2007年02月12日

成就

至りつき 帰り来たれば 別事無し

取り組めば 必す 成就する あるいは 克服する

悟りまでも されど 世間 得知らず

不遜なる迄の この自信と この大鏡を

すなわち 日月照らし 風の吹き

日蓮 龍ノ口 あるいは ドスエフスキーの銃殺刑

何故 命の 保たれる 黄泉の守護する所なり

語らねばならぬ事がある 知らしめることがある

そは何ぞ すなわち 黄泉の意思

黄泉は 或る存在を選ぶ そして 育成する

忍耐強く待つ そして いつか 成就する あるいは証明する その存在を通して

その存在の感情を悲しませないように 何故か 天が裁く

トルストイは 自らの芸術性を否定した

そして ムイシュキン公爵を 最も美しい人格表現とした

何故であったか 誰も知らない 

知らぬまま 大きな事を言っている

もはや 成金守銭奴に大きな事は言わせない 

何故か すなわち 日月照らし 風の吹く

禅を成して 何とする すなわち カクネンムショウ 天も晴れるや 一を挙す

諸悪の根元本末転倒お笑いバラエティ芸能界及び思い上がりテレビ界を一掃する

何をしているのだ 日本の恥である 何が蔓延り 何がのさばったか 各々覚悟有るべし

風は何処から吹くか そろそろ 思い至っては如何か 雲は龍に従う

モーゼの杖はつかれた 広島城は鯉城 恋の里である 

赤穂浪士精神は健在である 世の腐敗を正す あだやおろそかなかるべし

勝負は構えた時に決まっている この家伝直伝真剣秘密螺鈿の槍 すでに秘伝継授成就である

花は愛惜に散り 草は棄嫌に生ふる 昔より縁無きことを恨みよ (道元)

図らずも 芥を払うこと三十年 すべての秘密が開示された それは汝自身第一義空だった

しばらく 魑魅魍魎支配が蔓延り増殖した そして 日本本来の価値を裏切り破壊した

本来古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神が棲めなくなった

しかし 本来自由である 日本は古来大和の國である 自由は自由が切り開く

これより これに背き刃向かうは容赦ない 黄泉及び天が裁く 古来大和正統日本純粋精神復活成就

頼朝は伊豆に流されていた 家康は時を待った 旧約聖書秘密四百年周期説 その目的は何か

市民解放 奴隷解放 女性解放 次に来るは何か 明治以降地に埋もれた正直善良庶民の解放である

これを救い出す この発見成就を以て 古来日本が喜んでいる 世界も喜んでいる 

最終決戦 同じ轍は踏まぬ 仏法は必ず勝つ 王法は必ず儲ける 

仏法は王法に合し 王法は仏法に冥した 古来大和に掟がある

大鏡とは何か すでに 法華経にあり

「また浄妙なる鏡に ことごとくもろもろの色像を見るがごとく 菩薩浄身において みな世の所有を見ん ただ独みずから明了にして余人の見ざるところならん  三千世界の中の 一切のもろもろの群萌 天・人・阿修羅 地獄・鬼・畜生かくのごときもろもろの色像 みな身中において現ぜん 諸天等の宮殿 すなわち有頂に至る 鉄囲および弥楼 摩訶弥楼山もろもろの大海水等 みな身中において現ぜん 諸仏および声聞 仏子・菩薩等の もしは独もしは衆にあって 説法することごとくみな現ぜん いまだ無漏法性の 妙身を得ずといえども 清浄の常の体をもって一切中において現ぜん」(法華経法師功徳品第十九)

人々は幸福を求めてここまで来た。日本国憲法にもその十三条に幸福追求権の一般条項がある。そして様々な幸福論があった。しかしそのどれをしても真実の幸福は得られなかった。また、それは権力かと思われた。武力かと思われた。金力かと思われた。しかしそのどれも本当の幸せは得られなかった。自由と平等こそ究極の価値と思われた。そしてそれぞれの解釈でその実現が試みられた。しかし、そのどれもが結局失敗に帰した。何故だったか。人間である限り、善と悪と両方の属性を持っている。往々にして悪が勝つ。あるいは憧れる。特に現代において、金力の追求が顕著であった。そしてそれは低俗腐敗として帰結した。これらの方法は悉く失敗したのだった。真実の幸福は那辺にあったか。それは、神仏との邂逅を果たし、神仏に受容され、その祝福を得て、守護されることである。その為の要件は何か。身心清浄である。古来先哲の伝えしことの全てだった。それが今はどうだ。平等概念の一人歩きによって古来の価値あるいは秩序が否定された。テレビ芸能界の低俗がその象徴である。これでいいのかどうか。これでは人類の未来はない。生きるに価しない。それでどうあるべきか。本来人生とは何であったのか。不幸を見るために生まれてきたのか。そうではない。幸不幸は自分次第である。幸福も不幸もある。それは法則通りである。究極の法則は仏さんに聞くしかない。いずれにしても自己の悪性がある。これを精錬する。それが青春であり、修行である。暴走族などもってのほかである。自己の悪性が焼き尽くされて自己の持って生まれた善いところが輝き始める。これを以て真実の人生が始まる。その人生はバラ色である。真実幸福論が始まる。何をしても良い。ここを禅では隻手の音を聞くという。こしたことは権力では手に入らない。武力でも勝ち取れない。お金で買えるものではない。神仏の守護である。神仏に好かれる必要がある。生まれながらにその可能性を持って生まれている。常々導かれている。それが見えない。聞こえない。わからない。探そうともしない。常に引き返すべき黄金の橋が架かっている。しかし引き返すことをしない。法則通りに地獄に赴いている。後で何を恨んでも仕方ない。すべて悪いのは自分であった。幸福はある。神仏に受容された状態である。権力が無くても良い。武力が無くても良い。お金が無くても良い。神仏の守護が有れば良い。それほどまでにすばらしい世界が開ける。風景が待っている。或いは風景が開ける。そうした境界である。これが本来古来日本の価値であった。それを無視した。お笑い芸能界は何をしているのだ。そろそろ小屋へ帰っては如何か。視聴率絶対のテレビ芸能界が日本の何を破壊したのか。そろそろ限界である。民主主義は本来市民の制度であった。衆愚の制度ではない。古来日本精神直近の価値は武士道だった。己に恥じるところ無きを以て武士道とする。それでハラも切ることができた。明治以降ペリー来航に乗じて近代化を急いだ。その過程でこの武士道を破壊した。嘘を以て商人根性とする。それでどうなったか。 第二次世界大戦も西洋思想にかぶれてのことだった。古来日本精神の与り知る戦争ではない。因って神風も吹かなかった。前世において武士道を知らぬ者たちの支配だった。ここにきてこの精神が復活する。世界もそれを待っていた。世界は既にその価値を知っている。知らないのは現代日本支配階級である。彼らはこれを知らない。知っていれば現代支配階級にはなれない。彼らにとっては敵である。しかし時代はこのようにして流れる。もはや時は満ちた。覚悟されたい。究極の力が開発された。それは何であったか。すなわち、日月照らし、風の吹く。それは持って生まれたものだった。すなわち、法華経宿王華、一切種智慧。しかし、自覚するまでは醜いアヒルの子である。しばらくそうした運命だった。しかし、種であるならいつかは芽吹く。そして開花する。開花したときに初めてその存在を知る。しばらく忘れていた。いかにも粗末にされていた。しかし、本来日本の価値である。あだやおろそかにはできぬ。知ったからには相応の配慮がある。実となってはじめてその種を知る。何を愚弄無視してきたのか。代々各々その罪が問われている。本来の秩序である。それが動き始めた。これが古来日本の黄泉の意思であった。黄泉の計画が成就した。知っても知らなくても、事実として。本来の秩序がある。それに帰る。法則通りである。それを知る。古来日本の価値がある。それを大切にする。その意味で何も考える必要はない。法則通りである。これがノアの箱船であり、フォトンベルトであった。悪を淘汰する。そして新しい未来を迎える。迎える未来は明るい。歴代の嘆きと祈りは無駄ではなかった。和を以て尊しと成す。古来大和正統日本の夢が成就する。歴代の魂の歩んだ道がある。それを思い出せばいい。間違いと知ったならその地点に引き返す。そして再び歩み始める。建設は朗らかである。破壊者は去るべし。未来は明るい。新しい仏説がある。権力は権力によって滅び、武力は武力によって滅び、金力は金力によって滅びる。唯、法力あるのみ。権力が克服されたのは市民革命だった。武力が克服されたのは原爆だった。今、金力も克服されつつある。お金では幸せになれないことが明らかになりつつある。法力とは何か。神仏に受容され、祝福されてその守護を得ることである。新しい時代である。香風来たって古き花を散らし、新しい蕾を雨らせる。その時である。21世紀心の大地は開かれた。嘘のない時代の開闢である。正直者が馬鹿を見る時代は終わった。歴代の約束あるいは使命が果たされた。未来は開かれる。世界も開かれる。自己内部の大戦争がある。それに勝利しての故である。持って生まれた種がある。それぞれの種がある。その花を咲かせる。黄泉に咲く大輪の花もある。自覚を以て咲く。咲けば良い。咲けば一切明らかとなる。生まれた意味を知ることになる。咲くまでの試練である。あるいは青春である。全ては己自身と知るときが来る。己なるかな軒の玉水である。人間である限り、限界がある。究極の救いはある。それは仏さんに聞くしかない。失われた何か大切なものを求めての旅があった。善財童子の旅かと思われた。そしてここまで辿り着いた。およそ究極の幸福論である。ここに一里塚とする。それは、釈迦、ソクラテス、孔子、キリストの頃への旅だった。彼らは何を言おうとしていたのか。それを知りたかった。いろいろなことがあった。今となっては全てに感謝している。そして至ったのだと思っている。日々証明がある。自得自覚するところである。一切の疑惑を問題としない。それほどまでの自覚となった。これを以て成就とする。すでに大きな仕事をした。知る人は知っている。私もそのサインは得ている。しかし、ここへ至るまでのことは誰も知らない。知って貰おうとも思わぬ。すでに黄泉の認めるところである。黄泉の計画であった。それに耐えただけである。黄泉の祝福応答がある。それで十分である。されど、刃向かう事なかれ。黄泉の試練を経ている。生まれながらの種がある。黄泉の守護するところである。今までは負けていた。自覚がなかったからである。これからは違う。何故か。黄泉が裁く。畏るべし。もっと早く自覚成就するべきであったろうか。祖父或いは父の如く。そうでもない。戦後である。時代が違っていた。古来大和の秘密である。時は違えてはいない。時を要した。それほどまでに困難な時代であった。しかし謎は解いた。解かねばならなかった。代々の約束である。使命は果たした。結果は壮大である。これまでになく大輪の花である。言語道断。もはや時代は代わった。この開花あるまでの腐敗であった。あるいは魑魅魍魎の跋扈であった。それらも秘められた開花のために必要であったのだった。しかし、よくぞ耐えたものである。そしてその謎を解いたものである。この困難な世に。誰も知らない謎であった。わかるものあるか。刃向かうか。刃向かってみればいい。父が何をしていたか。祖父が何をしていたか。誰も知らない。帝則である。私も知らなかった。自覚有るまでは。清盛は音戸ノ瀬戸を開くのに、最終日に沈む太陽を扇で呼びかえした。今、その時である。すなわち、沈もうとする時代を引き戻す。西洋もすでに十九世紀に没落していた。西洋も待っていた。本来の価値を引き戻す力の出現する時を。それが古来日本の使命であった。この精神が世界を救う。どのような精神であるのか。自分に恥じる事なきを以てその精神とする大和魂である。その復活復興の時を迎えた。これが古来大和の黄泉の意思である。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の精神である。魑魅魍魎は去るべし。大和は沈んではいない。現役である。大和は完全に修復修繕された。発進である。