お客様の中には理不尽な方がいる。勝手な解釈をして相手を責める。現場は大変である。営業段階の責めまで負う必要はないはずである。それでも会社はどう思うか。クレーム処理の問題点である。往々にしてそうしたお客もお客である。その口を怖れる。そして機嫌をとる。お客の言いなりとなる。それで良いのだろうか。そのお客を説得できなかったのは不徳の致すところである。しかし責任はない。そうした理解が会社にあるのかどうか。逆に質問したい。例えば、新たな事実が現場でわかって作業が出来ないとする。お客様はそれを納得しない。そして出来るといったではないかとか、何故事前連絡の時に確認しなかったのかとかいう。こちらは出来ないといっている。してはいけないことになっているといっている。権限もない。営業段階の事情など知らない。しかるべき窓口もご案内した。それで答えは出ている。出来ないことは出来ない。駄目なものは駄目である。一切権限は与えられていない。それでもお客は納得しない。何とかしろと答えの出せないことを言って責める。お前が悪いという。何とかしろという。出来ないことはない。しかししてはいけない条件が新たに発覚したので出来ないことを理解しない。それもお客様の事情である。例えばメーカー製ではないから出来ない。クレームにすれば良いと思っている。それで勝ったつもりである。会社はそれを怖れるからである。窓口をご案内すれば機械応答でつながらないという。知ったことではない。こうした事務処理を現場に負わせて良いのか。それだけの報酬を現場スタッフに支払っているのか。会社は回答するべきである。場合によっては会社もゆるされはしない。理不尽なお客の仕事まで頭を下げてする気はない。そのような卑屈な根性は持ち合わせていない。これが本音である。会社は現場を知らない。お客様は神様である。何を馬鹿なことをいっているのか。それで思い上がったお客がいる。誰がこのような仕事スタイルにしたのか。会社である。現場スタッフのために敢えて申し上げる。泣かされるのは常に現場である。現代戦争において死ぬのは前線の兵隊であり庶民である。将校は塹壕に隠れている。会社は何のためにあるのか。スタッフを護るためではないのか。むしろ援護射撃するべきである。クレーム処理の仕方に問題がある。会社も勘違いしないが良い。わびるべきは会社である。クレームに追い込まれ、現場処理をしなければならない苦境に立たされたスタッフに対して。そして、例えば事前連絡時に色々ヒアリングしておくようにとのことである。そうしないと支払われない場合があるとか。何をいってるんだろうね。そのようなことはわからないからお客様は無料設定スタッフを呼んでいる。そのようなことがわかるなら自分で設定する。あれこれとこちらの都合で聞いているとその場でクレームとなる。現場に行ってみなければわからない。会社は現場がわかっていないね。そもそも営業手当は会社から頂いていない。今のお客様は自分勝手な解釈でおかしい方がいる。何にクレームをつけているのか。対応の失礼であるらしい。あなたがさせたのである。クレームにするといえば思い通りになるとでも思ったか。相手が違う。そのようにして思い通りにしてきたのか。クレーム権の濫用ではないか。最善は尽くした。出来ないことは出来ない。会社はクレームを怖れる。それを暴力的に行使するお客様もいる。それで出来ないことをさせようとする。会社はどう対処するのだろう。面白いね。
さて、井伏鱒二の小説に『山椒魚』がある。オオサンショウウオは広島の清流に棲んでいる特別天然記念物である。しかし食べたのであろう。トキもコウノトリも食べたのか。それでいなくなったか。『山椒魚』の末尾は削られている。何が削られたのか。「もう恨んではいないよ」。これを復活である。既に失った青春も人生も帰って来ない。故に見つけた力がある。それは何だったか。縷々と書いてきた。古来大和の秘密である。或いは掟である。日本は日本である。これを護る。或いは護り通した。あなた方は愚弄無視破壊した。故に私の青春も人生も失われた。しかしそれで善かった。あなた方の色に染まった人生も青春も欲しくはない。私の住める時代ではなかった。しかしもはやあなた方の勝手は通さない。それだけの力を得ている。知らないことを以て否定することは出来ない。真実は真実である。あなた方の時代は終わったのである。早く観念した方が良い。認めた方が良い。これまではあなた方に負けていた。負けているとどうなるか。とことん食い物にされる。餌食となる。しかし、あなた方は食ってはならないものまで食った。もはや遅い。その報いはある。どういうことか。これからわかる。愚かだったね。ところで、病院の婦長はどうなっているのだろうね。両足踵骨を骨折した時のことだった。私は車椅子から松葉杖になって三日目に私の意思で退院した。何故だったか。婦長が退院許可を取っていたことを知ったからである。主治医も担当の看護師もゆっくりと治療するようにいってくれていた。しかし婦長は違っていた。それが病院経営であるか。リハビリ室で自らの回復を誇るタクシードライバーは何時までも大きな顔で入院している。何故だろうね。病院と仲が良いのだろうね。或いは世間通なのだろうね。私はお金がなかった。それで袖の下はしなかった。その間、婦長がどのような処遇をしたか。知らないわけではない。詳細は割愛する。唯、婦長が悪いのではない。実弾としてのお金の威力である。税務署は婦長及び医師の入院に伴う便宜のための不当利得を把握しているのだろうか。 亦、この度広島新球場が建設される。楽しみなことである。場所はもと国鉄操車場である。ところが入札率が予定価格の97?バーセントだったとか。談合であるか。もはや国民はそれをゆるさないといっている。嘘が多すぎる。何を根拠に勝手しているのか。それを示して頂きたい。あなた方が根拠とする以上の根拠を以て問う。返答されたい。そして改めて思う。私は私である。私は私を認めていなかった。私は私を裏切っていた。故に埋没した。これより容赦ない。私は私を生きる。それでのたれ死んでも良い。武士は食わねど高楊枝である。商人根性は持ち合わせていない。それから生命は残酷だね。女性は生命そのものだね。男性諸君、女性には勝てないよ。そして生来嘘つきである。これを妄念という。相対的に暴力では勝てないからだね。処世術だ。それ故、可愛いと思えてくる。仲良くも出来る。女性は自らを生命であることを知っている。そして生命として生きる。花と咲き枯れることを知っている。それで最も美しい時に伴侶を選ぶ。そしてすべてを投げ出す。命を預ける。男はそれに気づけない。不倫は文化などとと思うだけで伴侶に対する裏切りである。そして裏切る。幸せな家庭はやって来ない。哀れな晩年となる。行きはよいよい、帰りは怖い。皆、怖い人生を歩んだ。年貢の納め時が来る。幸せは家庭にある。今からでも遅くない。幸せな家庭を作れば良い。あらゆる経済行為も制度もその為にある。それ以外に目的はない。意味もない。女は生命的である。生きることを選択する。子孫を残すことを本能とし、優先する。それ故嘘もつく。花と咲く時、蝶が来る。故に道徳は関係ない。それが古来神聖な場所には入れない理由だった。しかしそれは克服されたね。
ところで法とは何だったのだろう。この世の一切だった。親鸞は仏は我が為にのみ法を説くといった。それはどういうことだったのだろう。至り着いて知るところというべきか。そして過去を振り返る。するといつもそうであったことに気づく。これを幸せといって善かった。しかしなかなか気づけないものである。いくつもの出逢いがあった。しかし悉く別れた。何故だったか。一緒に行こうとはいえなかった。険峻な旅が待っていたからだった。一人で歩まねばならなかった。そして今確信している。私の人生は真実だった。いえないことが多い。いうべきだろうか。この世はそうだったのか。このような馬鹿げたことがあるものか。それはどういうことか。誰も知らない。すべて黄泉からのサインである。君が代だった。或いは大鏡である。君とは誰だったか。こんな宿命があったとは。これからでも遅くない。幸せになる。私が惑うわけにいかない。迷うわけにいかない。皆そうである。その為に生まれていた。いつかわかる。わかる時が必ず来る。私は確信している。あなたがたもいつかこの道を歩む。失ったものが大きければそれだけ得るものは大きい。私は何を失ったのか。何を得たのか。真実の愛も知った。真実の恋愛もあった。それは孤独であったけれどそうだった。そういうことだったのだ。この世で為すべきことは成した。とても満足している。精神的にはね。そして何もかも気にならない。多少はなるのだけれど、以前のように気にならない。これで生きてゆける。皆様に感謝である。悪はゆるさない。この身を賭して戦うべきか。その必要もないことに気づいた。それぞれの道である。それぞれの運命が待っている。関わる必要はない。その因縁を背負う必要はない。仏に任せれば良い。この世の草履銭は請求されるよ。この世に生まれて何をするべきか。何を考えるべきだったか。問われる時を迎えた。何故か。不識。男は精神に生きる。女はそれを知らず、生命を選ぶ。私は大きな仕事をした。誰も知らない。何時の世もそうだったのだろう。誰もが待っていた。或いは探していた。花は何処へと。やっと楽になれた。これが私の使命だった。後はあなた方である。もう譲ったからね。私の人生はもうこれでゆるして頂く。重荷を背負っていた。十字架だった。それは何だったか。戦争とヒロシマだったか。仕方ない。誰かがしなければならなかった。何をしたというのか。古来大和の精神の復活である。それは困難を極めた。戦後の浮かれた時代の故だった。しかし道は開けた。未来は方向付けられた。日本は大丈夫である。世界も大丈夫である。歴代の人々の願いと祈りは無駄ではなかった。日本は日本である。そして秩序がある。あなた方はそれを裏切った。それを戦後自由と思った。戦後は日本の歴史のどれだけであるか。日本の本質は変わりはしない。その報いはある。取り戻さなければならない。未来に対して云いおく。私はこの身を犠牲に供した。図らずもであった。祖師西来意に等しい。ヒロシマの因縁はきつすぎた。草薙の剣とは何だったか。偏に精神或いは脳力だった。それは持って生まれたある周波数だった。それが脳力だった。何でも出来る。この世を方向付けることも出来る。持って生まれたポテンシャルエネルギーは異なる。質的にもである。それをあなた方は無視した。むしろ愚弄破壊した。大きな罪である。気づいた方から始めるが良い。未来は定まった。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。今、その時である。そして二千年来の物語の謎が解かれた。此処より始めれば良い。幸せの条件が定められた。こうした人生もある。こうした仕事もある。ビジネスが出来るのもそのお陰である。あなた方は何も知らない。知らずに勝手なことをしている。そして間違う。間違いを間違いと気づかない。一休髑髏である。奪ってはならないものがあった。それを奪った。どうなるか。悲しませてはならない。何故か。死に神が来る。古来伝えられていた。何時か見失っていた。ペリー来航以降それに乗じた下級精神支配の故だった。彼らにとって古来日本が培ってきた大和の精神は邪魔だった。そして幼稚な西洋理念を追いかけ、それに染まろうとした。そしてどうなったか。見ての通りである。しかし大和の秘密種は黄泉の守護するところだった。種である。いつか芽吹く。無神論の時代は終わった。それが不幸の原因だった。私はそれを探さなければならなかった。私にしか出来ないことがあった。当事者でなければわからないことがある。それは果たした。真実に刃向かわない方が良い。黄泉の守護し給うところである。或る自覚が成就した。これまでそれはなかった。この世では得られないかと思われた。その自覚のためには何が必要であったか。絶対の自信だった。それを見つけ出した。見つけ出せばいつも守護されていた。しかし気づけないでいた。法華経窮児の物語だった。誰もが夢を諦める。それが大人になることだと思っている。違う。諦めなければいつかは夢は叶う。大きな夢も叶う。どうしてこのように住みにくい世の中となったのか。皆、お金の奴隷となった。正直の価値を否定した。大臣がそれである。国民に何を期待できるだろう。銀行は高利貸しとなった。手を出さない方が良いよ。私は大丈夫である。私は復活する。長い潜行だった。何もかも失った。それも必要だった。自分自身を見出す為だった。この世の謎を解くためだった。この世に生まれた意味を見出した。この世の目的は果たした。高校以来のテーマは完結した。思い残すことはない。何も怖いものはない。唯、自分自身を畏れる。私はこの世の務めを果たした。困難孤独な作業だった。誰も知らない。そうしたものである。もはやこれ以上為すべき事はない。安楽とさせて頂く。自由はこのようにして手に入れる。黄泉の秘蔵っ子がいる。古来大和の秘密である。そしてサインがある。仇は黄泉が討つ。そして起こるべき事は起こる。これで我慢しろと。求めるべきは権力、武力、金力ではなかった。法力である。法力とはこの世の一切である。大切なことは信じることと自覚である。黄泉の守護はあるか。それがすべてである。それが霊鷲山の掟である。霊鷲山はこの世の最大の墓場である。それは何処であったか。ヒロシマであった。古来大和の精神がある。あなた方はそれを愚弄無視破壊した。ペリー来航以降それに乗じてのことだった。しかしその種は遺されていた。地に埋もれていた。これよりその開花である。あなた方にとっては迷惑なことであろう。古来武士道は日本精神の至った結晶だった。商人階級の知るところではない。あなた方の解釈は間違っている。少なくとも武士には精神修養があった。今、あなた方にそれがあるか。過去を未来に移す。仏の大願である。過去の何を移すのか。選択の時である。時は満ちた。
さて、会社からの指示があった。お客様に謝罪するようにとのことである。お客の暴言に屈しろというか。そうはいかない。会社の対場はわかる。しかし私の立場もある。さて、どうするか。商人根性は持ち合わせていない。だから、世の中が腐ったのだ。・・・・・・その後考えた。謝る理由はない。仕事自体を辞めようと思った。しかし各方面は迷惑したことだろう。この現実を如何せん。相手に謝る気はない。理由が見出せない。お客の言いなりか。理不尽はゆるせない。しかし各方面に対しての為に謝る必要があるのだろう。因って謝ることにする。しかし、お客の思い上がりがある。これは事実である。この度、近くのため池で遊んでいた子供とそれを助けようとした方が亡くなった。もう一人の子供が意識不明の重体である。この度の件、会社のスタンスを見せて貰った。会社にとってお客は大切であろう。スタッフよりもであるか。自分たちの利益のためにスタッフに全責任を負わせる。会社の立場とお客の立場とのギャップがある。スタッフの与り知らない契約時の問題がある。設定スタッフが現場でそれを埋めていることを知らない。このような場合のために会社はあるのではないか。スタッフの立場を擁護するべきではなかったか。会社は自分の利益のためにスタッフを見殺しにする。愚かだね。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。殺伐とした世の中である。会社も呪われることだろう。これで事が済んだとは会社も思わぬが良い。事の次第は天及び黄泉が知っている。会社は何のためにあるのか。スタッフは単なる奴隷か。だれも受けない辺境ばかりの仕事だった。ガソリンと時間を無駄に使ったようだ。見させて貰ったよ。謝ることは謝る。このような理不尽なことに関与したことに対して。お客様は神様ではない。この欺罔は不幸のもとである。傷ついたものは何か。何もわかっていない。おかしな世の中となったものである。あなた方の幸せは遠いね。新たな懺悔である。私は別に構わない。問題ではない。遺恨はあなた方に遺る。そっくりお譲りする。今後こうした案件に苦しむことになるだろう。あなた方がさせたのである。責任は何処にあるか。利益する会社にある。スタッフではない。スタッフには何の権限も与えられていない。営業及び契約の事情に起因する責任はない。その処理に関する報酬は支払われていない。何かあったら責任をスタッフに負わせる。良い気なものである。それで良いのか。商人根性は恐ろしい。波風立たず、利益すれば良いとする。この傾向が原子力発電所のデータも改竄させる。さらに、これで勝った思うお客の根性はもっと恐ろしい。社会は回答するべき問題である。お客がそれほど大切か。何故だ。それによって失うものよりも大切か。やがて思い知る。企業活動が地球環境及び遺伝子レベルでの生命を破壊した。しかし素知らぬふりである。その間、利益した。しかし損失がある。企業はどうするのか。誰に責任を転嫁するか。何時までもそれが通ると思っているのか。厚顔も此処までである。顔を洗って出直すが良い。正直の故に力がありながら最下層の犠牲者は何時までも黙っていない。時は代わった。君が代である。自然が動く。黄泉が動く。そうした時節となっている。これからどうなるか楽しみである。会社の横暴がある。お客の横暴がある。すべての現場スタッフのために敢えて云う。これを云うための仕事であったか。この仕事はもう終わりにする。菓子箱を持って謝ってくる。ご安心を。・・・・・・事の顛末である。当日夕方、再訪問して、お母様にはお詫び申し上げました。本日(9月3日)、午前9時過ぎ、再々訪問し、改めてお母様にお詫び申し上げました。そして、午前9時30分、ご本人様の携帯にお電話申し上げさせて頂きました。先日の再訪問を評価してくださり、快く、ゆるして下さいました。さらに、本日、午後8時30分、ご本人様から、小生の携帯電話にご連絡があり、 本日の再々訪問をご評価してくださり、そこまでしてくれてありがとうとのことでした。
問題点の整理である。結論からいうと、契約の段階でややこしいのである。携帯電話の契約もそうである。どれがお客にとって利益なのかさっぱりわからないではないか。それでお客は日頃から憤懣があるのである。騙されているといった感覚があるのである。何かあるとそれが噴き出す。競合脱線だ。例えば、無線LANアダプタはお客様のご用意する必要がある契約がある。その方が、レートが低い。しかし、パックで買ったパソコンにそのアダプタがない。お客様はそんなことはわからない。現場で初めて判明する。その時、お客様はどうするか。現場スタッフを会社の代表として責める。現場スタッフには何の権限もない。仕事を休んで待っていたという。2ヶ月の無料期間をどうしてくれるのかという。これが現場の実情である。営業段階の問題だ。設定スタッフの問題ではない。さらに、お客様はパソコンの専門家が来ると思っている。何でも聞こうとする。会社はフロー以外はしてなならないという。現場でどう調整するか。電話線の工事ではない。会社の思いとお客様の思いとの間にギャップがある。それを現場で調整する必要がある。会社スタッフは少なくとも1ヶ月、現場研修をしては如何か。さて、藪をつついて蛇が出たようだね。取引行為は多少の欺罔行為を含む。今、どうだろうか。あらゆるシステムが欺罔的ではないか。商売そのものが利益追求である。それを如何にもお客の利益としている。既に欺罔である。正直者は馬鹿を見る。それが商売の世界だ。大臣まで嘘をつく。祖先が泣いているよ。黄泉がゆるしはしない。一部の利益階層が利益を独占した。その期間が長すぎる。庶民はどう思っていたか。こんな時代だから仕方ないと思っている。そうだろうか。空前の好景気があったのではなかったか。庶民には流れてこなかった。全て何処に消えたのか。企業の負債填補に消えたのか。庶民は高レートのままの負債を追いかけている。それを負け組と笑った。そして欺罔で庶民を餌食にする。それが勝ち組だと誇る。庶民は貧困から抜け出せはしない。その期間が長すぎる。庶民が消費者である。お客である。皆、ピリピリしている。一触即発である。身分に安住しているものにはわからない。一年前の庶民の意識と今のそれは違う。庶民もこの不条理に気づき始めている。これでいいのか。日本はどうなるのだろうね。何時までも欺罔行為で餌食にはならない。社会経済の運転を間違えたね。このあたりに気づいているのだろうか。青年があまりにも所得が低い。これが問題だよ。かれらはいくらかは稼げる。それ故に夢を持てない。日本は駄目になるよ。考えるべき事は何だろうね。正直にならないか。シンプルにならないか。目的と意図を明らかにしないか。これらが隠蔽されている。それを智慧と思ったか。それで支配できると思っているのか。時は代わったよ。庶民はバルカン半島ならぬ火薬庫の状態となっている。政治は何処を見てしているのだろうね。誰の利益だろうね。私利私欲では政治にならない。正直では商売にならない。会社は何のためにあるのだろうね。お客の利益のためであると申すか。先ず社員及びスタッフを護ることを考えては如何か。アメリカナイズされてクレームも利用しようとする時代である。サービスの本質を失った。70パーセントの完成度でリリースする。残りの30パーセントは何であるか。お客の不利益である。それをも自らの利益とする。クレームそのものがシステムに予定されている。責任は誰に転嫁するのか。商売根性は恐ろしい。本来日本は職人的だった。100パーセントの完成度を当然とした。加工貿易の國だった。日本はどうなろうとしているのか。製品にあまりにも粗悪品が多い。人件費の故に海外生産する。他国資本が日本市場を席捲する。利益をトロールする。彼らには利益しか目的はない。やがて資源は枯渇する。このままで日本がどうなるか。微分係数を計算しては如何か。目先の利益と欲望に溺れていないか。本来の日本を再確認しないか。国益を考えようよ。その中での私的利益の追求だよ。日本の価値とは何だったか。品質だ。それで勝負すれば良い。世界標準で勝負しようとしていないか。このままでは何時かやられるよ。コストも庶民に還元されると思うべきではないか。海外生産で潤っているのは誰だ。庶民を食い物にしている。国力は衰える。愚かな選択をしていないか。日本は持たない國である。それを思い出す。貴族化すれば滅びる。平家も秀吉もそうだった。テレビ界諸君及び自称セレブ諸氏、何か大きな勘違いをしていないか。将来は見えているのか。この世は美しい。美しいこの世を見ているか。人の心も美しい。