「今日改革刷新した後、世の中の状態は如何に成り行くべきかといふ事を、今後の数年或は十数年の後までも考慮して、然る後に適当なる改革の法を確立して、断行すべきである、といふのは、すべて物が終るときは復た始まるといふことがあるのであり、それが天の運行の状態であるからである。天の運行は、始があれば必ず終があり、終があれば復た始がある。それと同じく、世の中の情態も、治まることがあれば必ず乱れることがあり、乱れることがあれば必ず復た治まるのである。それが世の中の情態であり、天の運行の情態である。それ故に、蠱を治めるにも、前の終、即ち今の蠱を治めるにも、前の終、即ち今の蠱の乱れに至ったところの原因来歴を究め、今の後、即ち此後如何なる情態に成り行くべきかといふ事を考慮し、即ち物事の終と始とを熟慮して、適当なる方針を定めるべきである。」
さて、情態は情態であり、状態ではない。刑法が人間的であることの所以である。そして、この度、天体の運行は、地球誕生以来、或いはそれ以前から、希有な時代である。こうしたときの計は、人類の存亡にかかっているとも言える。これらの事象に世界は気づいている。日本は、その歴史的純粋性のある国として、期待されている。日本が、今、日本であることの使命でもある。と、思われる。為すべき事は何か。何を選択するべきか。すでに、人類は漂流して久しい。制度はだれのためのものか。安全は何故に保障されるのか。人類は人類の秋を迎え、冬をしのごうとしているのかも知れない。それが、この度の冬を越えることで、果たされるのであろうか。正念場である。とか思われる。易に於いて地図は河図であった。来年の春はきっと春ですね。景色も東海道五十三次のような、春の空と雲ですね。呉では小屋浦の辺りでそのような景色でした。天応の山は箱根の山のようであります。坂は大阪かな。大阪、坂なし、山梨、山有り。今日も瀬戸の海は穏やかです。
「香風時に来たってしぼめる華を吹き去ってさらに新しきものをふらす」「衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず 我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず 余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て 為に無上の法を説く 汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり 我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く 神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり 園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり 諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る 是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず 諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る 或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり 汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず 医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すというに 能く虚妄を説くものなきが如く 我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり 凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う常に我を見るを以ての故に 而も恣の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん 我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 度すべき所に随って 為に種々の法を説く 毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」 (訓読 妙法蓮華経 小形)
「本を読んだり人から聞いたり、そのように他所からはいってきたものは大したものではないという。「自己の胸襟より流出して蓋天蓋地なるべし」・・・はたからはいってきたのでなしに自分の五臓六腑、いわゆる丹田・気海でこれが爆発し、宇宙的に拡大していったものでないと、無限のいわゆる摩尼珠にはならないという。「縁によりて得る者は始終成壊す」・・・暑さもいつまでも暑いわけではなく、過ぎればやがて涼しくなり、寒さも次第に暖かくなる。縁というものはしょっちゅう変わってくるものでありますからあてにならない。しかし、お互いこちらがだんだんと暖めていって態勢を整えてゆくと、一触即発、ツイッと触れただけで爆発するようになる。それが整っていないと、いくらスイッチを入れても映ってこない。」(『提唱無門関』 苧坂光龍(述) 大蔵出版)
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