2005年12月20日
生育と脳波
ほのぼのとして、そっと思うだけで、すべてのことが、整っていく、つまり、夢も実現していく、けれど、待つことの大切なのは、パソコンシステムの安定への時間、と同じで、しかし、確かに、それは、植物の生育のようで、芽が出て、それからは、自然の力が、育んでくれる、私たちは、そのために、少し手入れするだけで善い、すなわち、私たちの意識と思いが、自然行為に対しては、破壊行為となっているのかも知れなくて、よく観察しながら、その生育を見守り、それで、あらゆる現象も、すくすくと生育する、間違いは、考えることが、それだけで、世界に影響していることの事実に、気づけないでいたこと、つまり、誰かが何かを考えると、その考えは、脳波となって、空気に振動を造り、誰かがそれに反応する、それぞれの周波数があって、同調する、すると、現実に起こるのは、たとえば、テレビの怖さ、小説の怖さ、アスラの現象は、そうして、与り知らないところで、起こる、その脳波の作成者、責任、有るね、だから、やさしい脳波を思い出して、その脳波を発することで、社会も変わることができるのかも知れないのは、これが、コギトエルゴスムだったろうか。
神々は存在するとして、大切なのは、神々を苛立たせないように、自然は神々の感情で動く、自己証明のために、神は正直者に宿るとして、正直者が呻いている社会は、不幸だね。正直というのは、身と心の清浄だったんだね。人間の上に神がいる、その事実を忘れていた、ここしばらくは、それが、たとえば芸能界・テレビ界の思い上がり、勘違い、しかし、やがて、時は熟すよ。そして、神が目覚めて、自信を得たとき、自然が意思を持ったと言えるのかも知れなくて。その時、人間からは、その意思を測り知ることはできなくて、それで、神秘、それ故であろうか、神を畏るべしということにはなっている、のに、しばらくは忘れていたことだった。神とは自然の子だったんだね。つまりは、竜の子太郎だよ。善神が世に現れたからには、悪は滅びるね。善悪の基準は、人間の都合ではない。自然だ。これが、空閑=荒野の掟だった。地蔵菩薩の涌出だね。彼らの時代に切りかわるね。つまり、悪とは、トン・ジン・チ。愚かさは悪だよ。これからは、知性の時代となったね。悪は諦めた方が良いね。始めは小さな悪の癖がね、やがて、凝って、鬼となる、その鬼が角が生えて家に棲みついて元服するとね、魔となり、これが禍を起こす、しかし、この魔もね、改心したいと思ってる、それで、佛さんに頼んだ、すると、佛さんはね、これを受容した、それで、魔も仏子だけは守る約束となった、そして、神の住所が日本であるように、魔の住所も日本だよ。今、時は大なる申酉戌、桃太郎も出てきて鬼退治、牛頭馬頭は帰って貰う。ある時は桃太郎、ある時は金太郎、ある時は一寸法師、すべて、神の子だった。おわり、そして、はじめ、の時ですね。人間的愚かさと無恥の根は抜く、知性と品格・謙虚さの種を植える。神います、清浄なる本来の大和を復興する。神及び如来の意思は実現する。自然が動く。世界が動く。華は咲く。雀は歌う。
「不思善不思悪正当恁麼の時、那箇か是れ父母未生以前、本来の面目」、六祖恵能大鑑禅師が明上座に対して発した言葉です。何も思わなくて善いのです。すべては、成るように成る。鳶が鷹を生むことはない。成るような自分に成って、後は、天命に任せばよい。ここをキリストは、思い煩うことなかれ、と言う。例えば、神は花嫁も与え給う。お似合いのね。ここを信じて待つしかない。待てば、やがて嵐は過ぎ去る。人の子として、住める空間が開かれる。神には神の約束があり、仏には仏の約束がある。仏、仏とのみ、究了したまう。そして、その種は、みな、それぞれ、持っている。さて、どの種を見つけるか、そして、咲かせるか。醜い花は疎まれる。自覚した神は、その意思を実現するとき、およそ、人間の想像を絶する、つまり、自然が動く。神の子には、神の子の試練がある。仏の子には、仏の子の試練がある。それらの試練を通してのみ、神の子は神となり、仏の子は仏となる。そして、得たチカラは何か。如来は神力を知って、それを使うことなく、そこへ至る方法を手段としての教えで説く。学ぶべきは何か。学ぶべきを学ばずして、何をしているのか。
霊長類の研究を通して、人間がわかる。人間は進化しすぎたとも言える。文化的傾向よりはその動物性傾向がね。上野動物園では、ボスザルと呼ばなくなった。確かに、ボス的存在がいる。彼は、餌を独占して中央にいる。その周りに、メスが集まる。その周囲に、独身の雄ザルが取り巻いている。しかし、自然界においてはこの秩序はない。餌は何処にでも有る。その全てを支配することはできない。むしろ、ベネフィットとコストの関係で、マイナスが大きい。サル社会は合理的である。さて、ボスザルがいて、それをメスが取り巻き、さらに、その外周に独り身の雄ザルたちがいるとする。いつまでも、独り身でいるわけにいかない雄ザルがそれまでのボスザルと取って代わったとする。すると、そのサルは、かつてのボスザルの子をかみ殺し始める。自分の子孫を残すことを急ぐためである。子ザルに乳をやるメスは、次の子を繁殖しない。(by NHK-AM)人間社会も、いつも、未だに、同じことが起こっているようだ。平和の名の下に、何をしているのか。本当の平和について、考えるべき頃だね。21世紀文化人として。
かつて、ブラジルにいた奥様とお話しした。その子は、小学4年生で日本に帰国した。今なら、ポルトガル語が話せる帰国子女として、重宝されただろう。しかし、当時は違っていた。時の校長先生は、小学2年生から始めるよう提案した。その奥様は、拒んだ。確かに学力に差があった。日本の言葉も定かでなかった。日本の生活において、ポルトガル語を忘れさせることに、日々、戦いだった。さて、リオデジャネイロでは、日本人は尊敬されていた。彼らは問う、シモネ?コリアーノ?日本人の勤勉さとまじめさを知っていた。ボタンを買いに行って、日本人だとわかると、カウンタの中に入って、自由に探し、選ぶことを許された。他の外国人にはなかったという。それは、それ以前に、つまり、明治の頃に、ブラジルに移民した日本人のお陰でもあった、と。そして、その奥様の仰るには、ドイツ人はその実直さにおいて、日本人とよく似ている。ところで、最近、上海へ行ったときに、上海の人は、日本へ行きたいそうである。しかし、夢であるようだ。日本へ行くためには、240万円に当たる金額を預けないとビザが降りない。帰ってこないからだという。帰ってこなければ、その保証金は没取されるのだろう。しかし、上海の庶民には、それだけのお金はない。また、日本への渡航費用もない。そして、言っておられた。今の、日本のテレビを見ていると、恥ずかしいことばかりしている。これでは、日本はダメになる。周辺諸国は、日本がダメになることを待っているのかも知れない。また、リオでは、大統領がいない時期が4ヶ月あったそうである。その時、土地の人が言った、家から出ないように、買い物が有れば行ってあげるから、と。銃を抱えた方にパスポートを見せろと言われたときは、それは、怖かった、って。自由と安全が何故にあるかを知らず、たとえば、世の芸能人たちの腐敗は、ローマの退廃である。何をしているのか。