世の方々は、西洋的自由を得て、幸せな世界が近いと思っている。しかし、これが、いわば、悪魔の罠である。その結果、遅かれ早かれ、滅びる。だが、何時の世にも、例えば、恐竜の頃のネズミのように、魂の選択が為される。次の世代の芽が出ている。それに、気づいた者が生き残る運命である。亡国の民となるか、力強く生き残るか、すべて、自分次第である。これは、代々の約束である。だから、滅びようと、生き残ろうと、別に、問題ではない。すべては、自然=神の定めた道である。反省とはこれを知って、自らの魂を、本来の姿に帰することでしかない。生まれてきた意味もここにしかない。人間レベルの解釈でどうなることでもない。魂あるいは命の法則がある。哀れなるかな世間。まだ、気づけないでいる。強きものが生き残る。その強さとは腕力ではない。精神力である。この精神力は、魂の精錬を通して得られる。そして、純粋精神を得て、神々が祝福する。その強さである。自然が神であるが、その力は、純粋精神の意思を通して発現する。神々もどの方向に働いて良いかわからない。そのディレクションを示すのが、純粋精神と言える。これは、人類の祈りであり願いである。これが、神秘であった。今まで、しばらくなかったことだが、この度、すでに、点火された。スイッチが入ったのである。おそるべしとはこれである。神々が動く。腐敗した自然を清らかな自然に戻すだけである。人類がもう少し存続したい、と選択したが故である。それで、神々が動く時節を迎えた。はやく、気づく方がいいね。 |