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季節はずれのウグイスが鳴いたあとで顔洗う
 
呉市の朝日 休山
【隻手の音】:秋風の吹いて春風を呼んでいる_Spring World wide Coast!_from now on Today_for ever_Happy LIFE_for all the pure way! Where is your hapiness? Whose freiend are you? We are going to have good days with all our good friends together all days from now. Are you ・・・・・?Today We are all happy all over the world! Let's go, shall we?
音戸ノ瀬戸(清盛塚)
2005/09/18 刑法理論に目的的行為論というのがありました。今どのようになっているのかは知りません。ところで、この目的的というのが新しい時代の方法論の一つだと思われるのです。と言うのも、昨日宮島に参りました。そして、途中で見つけたトンネルが「みなと隧道」でした。興味が湧いて次に目にしたのは「要害山」です。この辺りで今回の小旅行の目的が定まったのでした。前回来たときは陶氏の亡霊を救うつもりでした。しかし今回は陶氏との戦いのつもりになりました。つまり自分が毛利氏となったつもりです。で、本丸は五重塔と決めました。そして写真を撮って来たのです。これを称して目的的小旅行と思いました。目的と手段について学んだのは筑間先生からでした。目的さえ定まれば手段はついてくる、と。そして、筑間先生からは多くを教えていただきましたが、中でも、手続きということについてでありました。簡単に言えば順序です。そして目次を見ればその本は解るということも。さらに、刑法の条文からいかに解釈論を組み立てるかということを告訴権を例に教えていただきました。刑法自体、条文の並びに意味があることも。さらに、刑法そのものがとても人間的であることも。それから、学術研究の様態は今までの人類の英知に何か一つ自分の仕事として付与できるモノがあればそれで足りるということも習ったのはこの頃でした。この事について、辻邦夫氏は生きるということは光のように駆け抜けることである、きしみ音の一つでもあればいい、あるいは爪のひっかき傷の一つも遺して、といったことを書いておられたように思います。また、塾をしていた頃お世話になった林谷実枝子先生という方がおられたのですが、その方は、今生のことは今生でカタが付くと申されていました。そして、お金は後からついてくるとも。私にとって、思い出のいくつかが全て既に私の唯一の財産であり、それで十分と思えるようになりました。恐らく私はかなりの勉学をし、読書し、経験を積ませていただいていると自負できるに至っているのです。これがお陰様だったと気づいて参りました。かけがえのない教育をされていたのです。皆様から。私の好かないことのいくつかに、卑怯なことがあるのですが、例えば祖父、父と同じ大学で、孫も同じ大学を受験すると殆ど無試験に近いという事を聞いたことがあります。私立大学のことではあります。ところで、私が大阪で就職活動をしたときのことではありますが、ある商事会社は父がいる場合、その子は入れないということでした。今思えば立派だと思います。次に、国家公務員上級職について、いわゆる天下りですが、70歳まで年収1500万円を保障し合うと聞いたこともあるのですが本当でしょうか。身とは殺盗婬、心には不善を念じる人間の弱さと怖さを思っています。今の若者達に言いたいのは、個人主義というのはすべて自己責任の時代だということです。精神の自由は保障されています。表現の自由も。思うのは自由です。しかし、結果として表に現れたら責任が出ます。だから、罰もあります。責任とは償うことです。お金で解決できればそれでよいですが、場合によっては労役、身体、生命で償わなければならないのです。だからよく考えて行動して欲しいのです。何をしても自由なのではありません。自由ということについてこれから考えていかなければならないのです。けれど、常に引き返すための黄金の橋は架かっています。このあたりは教育学部での勉強だけではわからないところです。そして、私のゼミの先生は石外克喜先生でした。先生のオハコは正調田原坂でした。懐かしく思い出されます。学生の頃、各学生が各ゼミで何をしているのか解らないのです。少なくとも各学生の卒論のテーマは知りたいと思い、ゼミナール連絡会議を作りました。そしてゼミ連主催の著名な先生による年一回の講演会とソフトボール大会を決めました。また当時の住所録も作りました。その時の相棒は山口雅司氏でした。
05/09/21 今日東京にいる高校の時の親友佐々木氏から絵はがきが届きました。その絵はがきです。よく文通していたのを思い出します。毎夜、朝までかかって便箋で十一枚書いていたように思います。私も快晴の富士をみています。
川原石港から見える日新製鋼
黄昏になって溶鉱炉から鉄が流れるのだろうか、空がまるでターナーの絵のようになります。夜にそれがあると、空はまるで幽玄の世界のようになるのです。
呉潜水艦アレイからすこじま(夕日)
この日、はじめに二隻の掃海艇の先導でした。そして一隻の潜水艦がパォーと入港するのです。やがて一隻の4002号輸送艦が控えめに入港するのでした。その日の夕日です。
中学の時に作った本箱とブックエンド
野村先生のアメリカ号(川原石港)。ほかに先生は色々と作っておられます。どれも傑作ばかりです。
広島城の辺りです。随分と整備されて美しくなっていました。しかし、私はまだくぐることをしていないのです。
宮島五重塔
2005/09/21_2 ガウディの城は何故今も建設されているのでしょうか。どこにその設計図があるのでしょうか。
宮島五重塔の下で
2005/09/19 道元は最期に法華経を読んでいました。何故か私は旧約聖書続編つき新共同訳を読んでいます。どのページを開いても・・・・・・・。両足踵が少し痛みます。癒えるのを待つしかないですね。さて子供の頃呉にも動物園がありました。確かライオンもいたように思います。キリンさんもいたように思います。初めてゾウさんを見たのは呉市椿号ボランティアで砥部動物園へ行ったときのことだったでしょうか。さて昔、大きな岩がありました。九州那珂川辺りでのことでした。水の流れを塞いでいるのでみんな困っていました。その時ある指導者がいたのです。その時その指導者が持っていたのはご宝珠であったと言われています。そしてそのチカラで大きな岩を砕き水が流れ始めたのでした。そして豊かな生活が始まったのでした。今困っている人は助かるためにこのご宝珠を頂くのも良いことかも知れません。私の知る限り、チカラのあるご宝珠が確かにあります。ただ、中村元先生が言っておられました。どの宗教でも良い、真実をみればって。高橋和己氏の『邪宗門』というのもあります。これを読んでみるのも良いのかも知れません。要は現実社会を生きるチカラを取り戻せば良いのですから。勿論カルトはだめです。仏典のドコをみても殺生は奨励してはいないのですから。生まれてきた以上、幸せになる権利があります。大切なのは、全て使い切ることです。これが成仏と言うことだと思われます。だから怖れずに命を使い切ることです。モノを大切にするとは、そのモノを使い切ることだと思われます。頑張って楽しい生活空間へ合流したいものですね。やさしさにあふれている世界があります。みんな手をさしのべています。これがheavenです。今やっと全ての人が救われるところにきているのです。だから、・・・・・。愛とか平和とかはその架け橋です。やさしさの世界がすぐそこにあるのです。本当のやさしさの世界の建設の時代が始まっているように思われます。いよいよ、お楽しみはこれからです。今の自分で十分だったんです。だから、・・・・・。ここまで時代はやっと辿り着いたのです。一つだけ条件があります。嘘をつかないことです。日本のこころは本来とてもキレイです。
宮島要害山辺り
2005/09/17 The Last is lasting from now on for ever ! Because ・・・・・ We're living now, then and all old our good days, so for future certainly is in the loved and loving world this our earth under the sun and the moon as long as THE BAND is blessed by all our genuine natures. さて高倉健は誰の面影であったのでしょうか。ところで、神々について本当の怖さを知っている者がどれだけいるのでしょうか。
山本五十六はいつも真っ白な軍手をしていました。彼は指を負傷していたのです。彼が御前会議に呼ばれて意見を求められたときに、連合艦隊は6ヶ月しかもたないことを申しました。彼は留学の経験からすでにアメリカのチカラを知っていたからでありました。なのに今から思うと残念な戦争ではありました。
そこのけそこのけお馬が通るとか、負けるな一茶これにありとかありますね。東風ふかばにおい起こせよ梅の花、主(命)あるから心配いらない、というのはどうでしょうか。
経済学に於いて、バターと大砲の二者択一時代は終わったのかも知れませんね。自然財とかありましたがこの活用はできるのでしょうか。南極条約も聞いたことはあるのですが、南極だけでなく世界に適用できる日が来ると良いですね。今瀬戸の海は大潮です。潮位は子供の頃より高いように思われます。手を伸ばせば届くところまで潮は満ちているのです。そして思うのはオランダのポルダーと風車でした。あるいは輪中でした。Time and tide wait for no man. 今必要なのは、自然の声に対するYesManでしょうか。ところで文学は創作ではなく、インスピレーションでもなく、スケッチであるべきではないかと思われます。私小説など書くべきではないと思われます。源氏物語が何故美しいのでしょうか。それは内容ではなく、その文体にあるように思われます。その文体のやさしさに。そして、インスピレーションを言うなら、それはインスパイアーとエクスパイアー、つまり呼吸です。ところで自分だけが助かろうと思っても救いはない。周りが楽になればその中にいる自分も楽になる。
NHK−FMイーブンズを聞きながら(交信) 2005/10/05 23:25 come out! take out! out? no. come on? yes! thank you. You're welcomed. please remember us to your friends and your home town,will you? We are very happy to share the time and the age together with you the World. thank you! We are also going to the peace and freedom land. Please understand us and let us take part in the World. thank you. We Japanese like music so much, too. Because there is no lies in music! Please from now on continue your songs so long as life is here in this world on the earth under the sun and the moon in the space. We are truely to catch the value o'  the World. thank you, equality and clerality. thank you. thank you so much. you and me. he? you say shut up. yes. we also do it. thank you. OK! Oh, King! Let's know the way for the Kingdom of one music World. thank you. sorry, from now I go to see the sea. thank you from the bottom of my herat tonight. (2005/10/06 0:16am)
2005/09/16 かつて日本国憲法の小冊子が家の何処かにあったのであるが、今どこにあるのか解らない。確か、戦後すぐに制定されたモノに関するモノであった。宮沢○○氏の著であり、祖父の印があったように覚えている。学生時代に憲法の講義は好きになれなかった。理由は先生が気に入らなかったからだ。学生を小間使いにしていた。その後その先生は随分と学会では発言力があったように思うが何故だかは知らない。ただ、憲法13条の理論は良かったように覚えている。つまり、受け皿である。そして今思うのは、もろもろの理論が例えばプログラム規定であった理由も今頃になって理解できる。もう一度憲法の規定そのものを読み直してみようかと思っている今日この頃である。今思えば、同級生の一人がある商事会社に入社した。私も面接は受けたが受け入れては貰えなかった。随分と辛い思いをしたことを思い出す。しかしそれもこれも強くなるために必要であったのだとappreciateはしている。しかしそれにしても現代社会はどうしてここまで腐ったのか。浦を見せ表を見せて紅葉は散らない。旧約聖書に続編があることをどれだけの人が知っているのであろうか。そしてトルストイが晩年にどのような過程を経たか。何故あらゆる作品を自らその芸術性を否定しイワンのバカをはじめとする民話を書き、人生論及び人生の道を著し、そして最期は奥様を後にして彷徨し、鉄道の駅でのたれ死にしたのか。誰かその理由を知っているのであろうか。さらに、モームの絆という作品すなわちサマセットモームの絆BANDを読み切っている者がいるか。ルソーの告白を読み切っている者がいるか。枚挙に・・・・・・。ダンチョネは父の口癖でもあった。そして、世界で最も美しいとトルストイが絶賛したのはムイシュキン公爵であった。母について言えるのは、私は一度も感情的に叱られたことがない。一度もぶたれていない。全て思い通りにさせてくれた。私のために。祖父に叱られたことが一度ある。板間に正坐させられた。しかし観念して神妙にしていると赦してくれた。祖母について言えるのは、寝ていると、「男をマタイではいけない」とか、そして、「人が見ている」といつも言っていた。父について言えるのは今にして思えばドコまでも厳しい父だった。そして、本当の強さとやさしさを教えてくれていたのだった。しかしこの種の事は誰も私に具体的でなかった。私は全ての謎を自分で解かねばならなかった。あたかも宿命であるかのように。これが、Do it yourself. だったのだと思う。例えば、長谷川四郎の『知恵の悲しみ』とか石原吉郎の『海と望郷』とか高橋和己の『孤立無援の思想』であるかのように。しかしよくぞ泳ぎ切ったと思う。清流は近いようだ。人に命があるように、地球にも宇宙にも命がある。そして全ての命が畳の上で皆さんに惜しまれて皆さんにお礼を言いながら逝きたいものである。日々常に善と悪の二者択一である。そしてその織りなす綾がその人の人生である。人生を美しい絨毯として織り上げるために何が必要なのか考えると良いように思われる。『燃える秋』、『カモメのジョナサン』を読んだのは、何時・ドコであったであろうか。全ては私のチカラではなかった。大いなる願いと祈りに導かれていたのだと思う。1588アルマダ海戦はドレイクの、リンカーン大統領16代、21世紀の約束は、心の地平の開かれて、愛と平和を架け橋に、やさしさへと時代は進化して。これにて一切赦される。勝っても負けても赤勝て、白勝て。クーベルタン男爵の言うように。参加することに意義ありて。現代のお釈迦様は言われた。権力、金力、武力の時代は終わった。ただ法力あるのみ、と。法力とは何か。今ドコにあるのか。 What is Houses?  Who broke the Houses! 胡蝶の夢も夢であるなら覚めるときが必ず来る。Thank you.(2005/09/21)
05/09/22 昨夜呉駅前で、若者達がストリート演奏していました。すると、一人の青年が話しかけてきたのです。彼は20歳代ですが、この度、統合失調症で障害者手帳を貰うつもりだと言います。是で楽になれた、と。表に表現してこれからは生きていく、と。この青年は学卒でNECで働いていたと言います。今はロッテリアでアルバイトです。事情を知って雇ってくれたそうです。若者達にこの現象が多く現れている、とのこと。理由は何かと問うと、失恋したことと仕事がないことが長く続いたことだと言います。とても純粋な青年でした。今に良い時代が来るからもう少しの辛抱だ、と話したことでした。時はないな、とあらためて思います。かつてキリストは言いました、 私は高きを低くし、低きを高くするために来た、と。生きることは価値がある。しかし、その為には自分と戦う必要がある。自分に勝ったとき、その人はやっと大人になる。今、大人ではない大人が多すぎる。とか語りました。すでに、この種の病が何故その人に現れるのかは気づいている。虐げられた人びとに起こる。明治維新で破れた側に多い。時代は過去を反省し、償わなければならないのかも知れない。方法論は不当利得返還請求的で良いのかも知れない。本来我々の所有権も或る意味で仮のモノにすぎないのだから。(昔は公地公民もあったのは何故か。)詐欺的、脅迫的にいい加減な経済行為をして勝手に勝ち組などと言わせてはならないのではないかと思った。
05/09/21
学生の頃、好きな先生に森下教授がいた。刑事政策の権威だった。その頃習ったのは、クーデターの意義と、あおり罪と被害者学であった。私の好きな行政法の先生は田中二郎先生ではなかった。柳瀬良幹先生だった。憲法はどの理論を読んでも好きになれなかった。民法などどうでもよかった。私の卒論は不法行為の一般的成立要件論だった。そこで論じた一つは、不法行為に於いて、故意と過失は別に論じるべきであるということであった。本来故意は軽微であっても赦されないのではないか、と。そして法律にすきまはあっても、抜け穴はないと思ったのはこの頃だった。社会法や社会学、商法、労働法など勉強しなかった。暇さえあれば麻雀だった。誰に習ったのか覚えていないが、弁論の全趣旨とは、その人の人格であると知っていた。そして、私が一番好きだった専門書は、もうその題名も忘れてしまったのではあるが、秩序に関するモノだった。Peopleは本当の歴史書がドコにあるか知っているのだろうか。誰も知らない。ただ、感じることができるだけである。アトモスフェアとフィーリングこそ宝である。アトモスフェアとは雰囲気であるが、面影と言っても良いのかも知れない。また足跡を遺すとはどういうことか。鳥居は何故建っているのであろうか。神々の足跡である。船が走れば航跡が遺る。そして波が生まれる。そして、大象は小径を歩まない。全ての道はどこへ通じているのだろうか。大道は無門。底なしの船もある。子供の頃懐かしく思われるのは、隠密剣士、エイトマン、遊星仮面、スーパージェッター、ソラン、マッハゴーゴー、『失われた世界』、『ハッサン物語』。父の膝の上でみていたのは、ライフルマン。祖父が好きだったのはプロレス。金曜の午後8時からだった。ディズニーランドの時だけはみせて貰えていた。ところで、仏典に於いて法華経は何故クマラジュウ訳が聖典なのだろうか。また、私の好きな仏典上の人物は維摩居士である。音楽の父が1バッハ、母は2ヘンデルとかクラシック音楽は何故遺っているのか。シューマンとクララであるが、その時、ブラームスの役割はなんであったのか。謎ばかりである。マーラーは言った。何時か私の時代が来る、と。苦悩の英雄はベートーベンだった。天才はモーツァルトであった。私の好きな指揮者はホルストシュタインであったであろうか。しかし源泉は3ハイドンではないのだろうか。私が塾をしていた頃、必ず教えていたのが、say、speak,、とtalkの区別だった。つまり、sayとは、よく考えて言うこと、speakは話すこと、talkはおしゃべりかな、と。そして1say、2-1speak、2-2talkと分類していた。小学校の頃、コントラバスを担当した。野村先生から寄贈されたモノだった。先生は2絃使って演奏するように言われた。しかし私は4絃を使った。そして、調弦も、松ヤニによる馬尾毛の弓の手入れも移動運搬も自分でしていた。32連符のピチカートも無難にこなせていた。練習は給食の時間に音楽室準備室で毎日した。ひとりだった。窓ガラスがハウリングしてくれていた。指は水ぶくれだった。人差し指が使えなくなると中指で、そして薬指、親指で練習していた。舞台は呉市民ホールだった。曲は『ウィンザーの陽気な女房たち』だった。そして、宇宙開発に於いて、人工衛星がネットを作っている。だったら、人工地震もあっていいよね。その意味でノーベル賞の意義はあるのでしょうか。二度と過ちを犯さない、とは二度と同じ轍を踏まないこと。幾たびの世界大戦の意義はそこにあるはずだった。変わるモノと変わらないモノがある、と聞いたのは就職したときの人事部長からだった。何を以て不易、不惑、不二と言うのだろう。ホーキング氏の宇宙理論があった。彼の理論はまるでシナプスがあらたなバイパスを模索するようであった。断言して、心の病は治せる。西洋からの流行病に過ぎない。しかし、身体の怪我・骨折はモトに返せない。因って孔子も身体を大切にした。中国山地は老人の山脈である。地球も齢を重ねた。もう穏やかであって良いのだと思う。あらゆる悲しみは海に流せばよい。涙も枯れる。明治維新。世界に合流した。火裏蓮。すでに原爆の火はくぐった。十牛図。8の無も超えた。スデにニッテンスイシュである。これより始めて日々是好日!とか?ですね。・・・ss。私の大好きな本に、岩波文庫33−301−1『ブッダのことば』(スッタニパータ)中村 元訳ワイド版がある。雨よ降りたければ降れ、と。(^_^)_!『何か失われた大切なもの』が私の高校時代からのテーマでした。この思いを果たすために是までの私の人生があったのだ、今にして思えばこれが私の夢でした。そして風の音に失ったものはすべて還して呉れるという声が聞こえたように思います。(05/09/21  13:26)コンピュータ理論の神髄はあらゆるものが01で表現できるということですね。その意味も理解できる今日この頃です。そして、C(3)T(20)でG(7)となることも。ところで、そのデッサン力で私が好きな画家が二人います。ダビンチとピカソです。そしてダビンチのメモがその時代の英知の結集であり、その時代の夢であったと誰かが書いていました。杉浦民平氏だったでしょうか。今飛行機となり、潜水艦となってその時代の夢は実現しているように思います。これが文明であり文化であったのですね。はやくこの流れに乗るのがいいですね。これが大乗で、大丈夫だったのですね。ブッダは言っていました。仏法は筏にすぎない、って。筏は渡り終えたら次の人に遺しておきましょう。どなたかのSongの古いコートを脱ぐように。葦舟ラー号の耳ナシの孤独な漂流もやっと新天地を見いだせたようです。とても怖い旅でした。内面での大戦争でした。ここまで見護ってくださった方々に感謝しかありませんです。すべてのストーリーに導かれて苦難の旅にピリオッドです。Thank you. ところで、私の好きなSingerにブレンダリーとディビィーブーンがいました。後者のCDはゲットしていますが、前者は何故かみたことがないですね。そして好きだったアルバムにCSNとセブンスソジャーンがありました。前者の「大聖堂」なんて大好きでした。後者で好きだったtuneは「I'm just a singer」だったでしょうか。
JR宮島航路 宮島の鳥居
私のために舞ってくれた幼いアオサギ 呉市中央公園 スタドラー鉛筆
江田島 呉市中央公園の椿
メタセコイア(呉市中央公園) マイラケット
2005/09/16 呉にて
風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。(2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22) ところで、決闘の極意を書いておきます。遅れて撃っても勝てる。勝ち負けは神仏が決めるから。
呉の電波塔 呉駅前の塔(UFO?)
於呉市中央公園 呉市郷原山田の里
尊祖父 廣島藩桑原千畝
父(昭亮[アキノリ])
の蔵書(トラトラトラ)
母(喜恵子)の作った花

祖父(良亮)の作った花瓶
祖父(良亮)
の彫った版画
於呉駅望東方
See Kure, It ! (the Secret) QED
(built on 2005/09/18 09:53am)
   
Thanks for all the stars
and
all the peoples
that have already gotten
powers...I would like to
participate in J now.

Thank you.
(2005/09/23 04:12am)