2005年12月26日

ユーモアについて

ウィットとかありますが、これって、品格が有ってのこと、単なるお笑いではなくて、それが、ジョーク。英語では、日本語の敬語に当たるものがない、それで、センテンスを長くして、相手を思いやる気持ちを示したり、あるいは、表現を工夫したりする。しかし、同じセンテンスでも、相手を苛立たせることもある。その場の雰囲気である。で、発声としての音声の問題がある。とってつけたような音声ではない。ハートがある。日本語に於て敬語を使えばよいと言うわけではない。しかし、形式としての敬語にこだわっている社会がある。実質的文化は、英語に学ぶところ大である。だから、内容が残酷な童話でも、親しめる。音声、リズム。これは、そのまま人格の表現である。子供たちは、言葉を通して、人生を学んでいる。今、たとえば、テレビにおけるパフォーマンスに、そうした洗練された文化がない。日本は、まだまだ、後進国だろうか。音楽に於て、西洋とのギャップは、百年ある、と、明治の頃には言われていた。高貴さに於て、如何。庶民の目指すハードルであるね。声は大切だ。相手の心を動かすのは、文字でもなくて、内容でもなくて、意味でもなくて、声=人格だから。観音菩薩、声を聞いて、地蔵尊に伝えてもらえることで、救われる。声が神仏をも動かしている。その鍛え方、御経讀誦。音響。神仏の周波数がある。神仏と同調する声がある。声=音を獲て、人生=人間関係は楽しめる。自然=神とも会話できる、応えてくれる。小鳥ともお話しできる、花々がささやく、蝶も舞う、猫とも遊べる、宇宙が如ウィンザーの陽気な女房たちとなる。是諸仏法、是諸やまとごころ、是諸21世紀幸福論、バラ色の人生だね。知性文化に乾杯!クラシック、古来伝えられていたこと。情緒(ジョウショ)。言葉は、しみじみと、いふべきもの(良寛)。善悪を超えた人格がゐて、アトモスフェア、フェアレェディ!人格的高周波の時代が始まっている。人格、品格、格調。ところで、御経讀誦、あるいは、善業の効果として、眼根懺悔す、つまり、見える世界が明るく美しくなる、輝き始める、色は鮮やか、クリアとなる。真剣な御経讀誦をするとね。ただ、讀誦すればいいというわけではない。だから、既存の寺は、本来の機能を果たしていない。要は自己一身の問題だ、自己究明だ、自分が何者か知ることだ、それなのに、世間一般、何を目指しているのか。修身斉家治国平天下→楽:家庭、「ホーム」;ハウス、「家」、そして、Houses。・・・暗夜行路?日天航路!在家禅は、苧坂光龍著『提唱無門関』。本当の自由、三楽。