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河出書房新社刊、ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、『サピエンス全史 上』P255

新しいグローバル帝国

『紀元前二〇〇年ごろから、人類のほとんどは帝国の中で暮らしてきた。将来も、やはり人類の大半が帝国の中で暮らすだろう。だが、将来の帝国は、真にグローバルなものとなる。全世界に君臨するという帝国主義のビジョンが、今や実現しようとしているのだ。
 
二一世紀が進むにつれ、国民主義は急速に衰えている。しだいに多くの人が、特定の民族や国籍の人ではなく全人類が政治的権力の正当な源泉であると信じ、人権を擁護して全人類の利益を守るというのは、その邪魔にこそなれ、助けにはならない。スウェーデン人も、インドネシア人も、ナイジェリア人も同じ人権を享受してしかるべきなのだから、単一なグローバルな政府が人権を擁護するほうが簡単ではないか?
 
栄冠の誘拐のような、本質的にグローバルな問題が出現したために、独立した国民国家に残された正当性も、少しずつ失われつつある。どのような独立国であれ、地球温暖化を独立で克服することはできない。中国の天命は、人類の問題を解決するために天から授けられた。現代の天命は、オゾン層の穴や温室効果ガスの蓄積といった、天の問題を解決するために人類から授けられる。グローバル帝国の色はおそらく緑なのだろう。
 
二〇一四年の時点で、世界はまだ政治的にばらばらだが、国家は急速にその独自性を失っている。独立した経済政策を実施したり、好き勝手に宣戦を布告して戦争を行ったりすることや、自らが適切と判断する形で内政を実施したりすることさえも、本当にできる国は一つとしてない。国家はグローバル市場の思惑や、グローバルな企業やNGO(非政府機関)の干渉、グローバルな世論や国際司法制度の影響をますます受けやすくなっている。国家は、金融面での行動や環境政策、正義に関する国際基準に従うことを余儀なくされている。資本と労働力と情報の途方もなく強力な潮流が、世界を動かし、形作っており、国家の境界や意見はしだいに顧みられなくなっている。
 
私たちの眼前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されはしない。この帝国は後期のローマ帝国とよく似て、多民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、しだいに多くの起業家やエンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参加するようにという呼びかけを受けている。彼らはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが、帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。』