イザヤ書

8・11 主は御手をもってわたしをとらえ、この民の行く道を行かないように戒めて言われた。

9.5-6 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

10・24 やがて、わたしの憤りの尽きるときが来る。

10・27 その日が来れば、あなたの肩から重荷は取り去られ、首に置かれた軛は砕かれる。

12・2 見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌。わたしの救いとなってくださった。

14・24 わたしが計ることは必ず成り、わたしが定めることは必ず実現する。

14-30 乏しい者も、糧を得、貧しい者も、安らかに伏す。

(かつてローマ帝国があった。今、その末裔はいない。古代エジプトの末裔はいるのだろうか。何故滅んだのか。)

19・24 どこにいるのか、お前の賢者たちは。彼らに命じて、お前に告げ知らせよ。万軍の主が、エジプトについて定められたことを。

21・1 ネゲブに吹き荒れるつむじ風のように彼は来る。

21・2 欺く者は欺き続け、荒らす者は荒らし続けている。・・・私は呻きをすべて終わらせる(『呻吟語』もあったね、論語より勝れているとも言われている)。

21・5 宴は広げられ、座は整えられ、人々は飲み食いしていた。「立て、武将たちよ。盾に、油を塗れ。」

22・11 しかし、お前たちは、都を造られた方に目を向けず、遠い昔に都を形づくられた方を、見ようとしなかった。

22・19 主人の家に恥をもたらす者よ。

22・22 わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう(宇宙の王、佛は、宇宙を有無開閉する四大原動力を持っていると言われている)。

22・25 だが、その日には、と万軍の主は言われる。確かなところに打ち込まれていたかなめは抜け落ち、それに掛けられていた重荷は、壊され、落ち、断たれる、と主が語られた(解放、自由)。

(太陽は父、月は母。その子たちは、今、毎夜、遊女となって世界中で姦淫している。)

25・8 (主は)死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を、地上からぬぐい去ってくださる。

26・1 我らには、堅固な都がある。救いのために、城壁と堡塁が築かれた。城門を開け。神に従い、信仰を守る民が入れるように。堅固な思いを、あなたは平和に守られる。あなたに信頼するゆえに、平和に。どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩(ロックンロールだね、君が代は、今宵苔むしローリング、さざれ石となって平和)。

26・7 神に従う者の行く道は平らです。

26・10 神に逆らう者は、(神の)憐れみを受けても、正しさを学ぶことがありません。

26・18 主よ、苦難に襲われると、人々はあなたを求めます。

26・19 あなたの死者が命を得、わたしのしかばねが立ち上がりますように。

27・1 さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ。激しい憤りが過ぎ去るまで。

27・5 わたしを砦と頼むものは、わたしと和解するがよい(和平)。

28・26 神はふさわしい仕方で彼に示し、教えられる(法華経の如来と同じことを言っている、智慧、知性を嘲っていたことが罪か、名宛人、主体は人間、愚かさの支配に対する警鐘、この真実を知り得、密かに自分だけの砦を築いていた知識人たちも、その傍観の故に、結果、社会腐敗の責任ついて、同罪か)。

28・29 主の計らいは驚くべきもので、大いなることを成し遂げられる(佛も然り)。

29・4-5 亡霊のようなお前の声は地の下から聞こえ、お前の言葉は塵の下からかすかに響く。・・・そのことは突然、瞬く間に起こる。

32・4 軽率な心も知ることを学び、・・・

32・8 高貴な人は高貴なことをはかり、高貴なことを擁護する。

33・1 お前は略奪し尽くしたときに、略奪され、欺き終えたときに、欺かれる(時が満ちるということ)。

33・6 知恵と知識は救いを豊かに与える。主を畏れることは宝である。

33・10 今や、わたしは身を起こすと、主は言われる。今や、わたしは立ち上がり、今や、自らを高くする(佛はすでに立ち上がっておられる)。

33・13 遠くにいる者よ、わたしの成し遂げたことを聞け。近くにいる者よ、わたしの力強い業を知れ。

33・15 正義に歩み、正しいことを語り、虐げによる利益を退け、手を振って、賄賂を拒み、耳をふさいで、流血の謀を聞かず、目を閉じて、悪を見ようとしない者、このような人は、高いところに住む。その高い塔は堅固な岩。彼の糧は備えられ、水は絶えることがない(これはそのまま、歴史であり、内面の戦いであり、国家である。是を自覚することが、如来の知恵であり、ここに至れば、宇宙が祝福する。それが、神力である。禅においては、自己一身の問題であるという。その意味での行であり、人生であり、生まれてきた意味があり、使命である。そして、ここを知って、知性とは言うのであり、智慧の泉があふれる。愚かな世間、これ以上、知性を嘲ることなかれ。少なくとも、公の電波で、愚かさを正当化することなかれ。あなた方の、姦淫の罪は重い)。

33・18 あのとき、数を調べた者はどこにいるのか。量った者はどこにいるのか。やぐらを数えた者はどこにいるのか、と。

33・24 都に住む民は罪を赦される。

35・2 花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。

36・3 今お前は誰を頼みにしてわたしに刃向かうのか。

37・20 私たちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上すべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください。

37・23 お前は誰をののしり、侮ったのか。誰に向かって大声をあげ、高慢な目つきをしたのか。(神とは知性である。知性を笑いものにしたバラエティ=お笑いの罪がある。大和民族の精神の繊細さがある。明治以降、愚弄された。神を侮る者がいれば、その者に対しては、死に神が来る。)

37・26 お前は聞いたことがないのか。はるか昔にわたしが計画を立てていたことを。いにしえの日に心に描いたことを。わたしは今実現させた。

37・28 お前が座っているのも、出て行くのも、入って来るのも、わたしは知っている。(これが如来の証明である。気づくまでは、検閲かと思った。全ては神の計画の中にある。孫悟空が佛の掌の中にあるに等しい。そして、神は忍耐強く待っていた。秘密の種が花咲く時をである。この時、時が満ちる。全ての悪が裁かれる。如来の智慧の力と自信が証明される時でもある。不可思議、全ては、この時のために、準備されていた。知っても知らなくても。しかし、知るべき方々は、この時が満ちるのを、待っていた。この時を待って、自然=神々も動く。万軍の主の喇叭が鳴り響く。総攻撃となる。)

37・32 エルサレムから、残った者が、シオンの山から、難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就させる。(世間の欲情に染まらなかった方々である。あるいは、空閑=荒野にて、地に埋もれし知性ある、地より涌出せし方々である。地蔵菩薩。)

37・36 わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。(今、この城塞は、魂=精神の格調のみである。守るべき砦は、ここのみとなってしまった。しかし、この砦は譲れない。大和魂=純粋精神の砦である。もはや、背水の陣とはこれを言う。Z旗は揚げられた。)

38・5-6 わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。

38・8 太陽は陰の落ちた日時計の中で十度戻った。(清盛の日招き岩か。)

(背水の陣での試金石、神佛を認め、信じることができるかどうか、世間の知識人、そして、マスコミ関係者に、問う。無神論はもはや克服される。無神論者こそ、明治の残党、近代知識人、亡国の民。故は如何。神仏の前に正直を得る。神仏を否定する者は嘘をつく。妄念=嘘こそ地獄の門。世のリーダーたちの試金石である。)

40・21 お前たちは知ろうとせず聞こうとしないのか。初めから告げられてはいなかったのか。理解していなかったのか、地の基の置かれた様を。  

一般に、西洋絵画におけるキリストの肖像は優しい美男であるが、真実はどうであったか。聖徳太子の肖像は羅刹のようである。チカラを得た者の顔である。彼も少年の頃は美男であったであろう。チカラを得るまでは。ハリウッドにおいて、スターの肖像が何を意味しているか。ジョン・ウェインが懐かしくはないか。唾棄すべき腐敗社会をどうするのか。男は男、女は女であって、自然。人間の傲慢が極まっている。何故か。本来、人格者であった市民社会の制度である民主主義が、衆愚化しているからではないか。それを黙認した、現代知識人たちの責任ではないか。 

主とはまたチカラを得た人間であり、無限の智慧を獲得した存在であり、その手段は、法華経に在る通り、手段である、とも言える。21世紀、時は満ちた。目的、手段。目的が定まれば、手段はやってくる。万物の霊長である人間に、自然が期待している。人間もここまで進化した。ニュー・フロンティア、心の地平。新しいパイオニアたちの時代である。新ゴールド・ラッシュ成るか。黄金の國、ジパング。東方見聞録。常に日本は黄金の國である。今、黄金は、大和魂=純粋精神である。日本に秘められて伝えられし宝である。ある時は武士道、いつも、日本を救うチカラである。このチカラが世界を救う時を迎えたと言って良い。Dig it ! 掘るべき鉱脈は是である。日本の財産である。それがクラシック。精神のクラシックは、世界において、日本である。是がオリエント=東方の秘宝である。目覚めるべし。何時までも腐敗・愚かではいられない。神・佛の住所は、日本である。これまでのあらゆる謎は解かれた。やがて、新たな封印となる。21世紀の目撃者が記録する。時代はこうして変遷する。人類の新しいはるかな旅の始まりである。久遠の昔もそうであったように。原点に戻った。今は、そういう時である。  

40・28-31 あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主はとこしえにいます神。地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

41・1 島々よ、わたしのもとに来て静まれ。国々の民よ、力を新たにせよ。進み出て悟れ。互いに近づいて裁きを行おう。・・・・・・・(11:36am 2005/12/16 NHK-AMラジオを聞きながら)  

禅宗『無門関』に「倩女離魂」の話がある。月の王である人間と女との分裂、あるいは、人間において魂との分裂。人間に生まれて果たすべきは魂との合体であり、これを得て、自由無限軌道に乗る。仏陀が明星を見て輝き始めたように、その人に火が点る。+と-で火か点る。マイナスとしての試練=悲しみ・逆境はその為にある。悲しみが大きければ大きいほど、点った灯は明るい。点って灯である。一隅を照らす。

【QED「我証明せり」】  


2005年12月15日

イザヤ書

1.7 お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で、異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて、荒廃している。

1・18 論じ合おうではないか、と主は言われる。

1・20 お前たちが進んで従うなら、大地の実りを食べることができる。かたくなに背くなら、剣の餌食になる。主の口がこう宣言される。

1・21 どうして、遊女になってしまったのか。忠実であった町が。そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに。今では人殺しばかりだ。

1・27-28 シオンは裁きをとおして贖われ、悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。背く者と罪人は共に打ち砕かれ、主を捨てる者は断たれる。  

(唯、愛せよとか言っても愛せるものではない。愛は、地獄を通って初めて知ることができる。因って、愛だけを説いても、世間は、むしろ迷う。羊ではない狼の群れを制御しようとしてもできるものではない。また、羊として遇することは、人間の尊厳に反する。愛を説くだけでは世界は救えない。因って、例えば、佛の智慧、如来の手段がある。万物の霊長たる人間を導くには、旧来の手段では不能である。在来の説法は噴飯ものである。真実を知らない方々の言葉であるからである。言葉が概念として上滑りしている。だから、庶民は信じない。説法者の思い上がりがある。心に於いて。音声にそれが露呈している。神でもないのに、神を語っても、庶民は聞きはしない。先ず、説法者が神となっては如何か。はじめより諦めてはいないか。誰もついて来ない。ついて行かない。現実を見よ。この現実からの脱出のためにどうするのか。具体的処方が必要である。チカラある言葉がロゴスとして出てこなければならない。説法者は無責任に説法している。本気で掬う気があるのだろうか。それで、庶民は疑う。この意味、わかるだろうか。庶民は、その魂において、真実の言葉を待っている。過去からの模倣の言葉では誰も信じない。「本を読んだり人から聞いたり、そのように他所からはいってきたものは大したものではないという。”自己の胸襟より流出して蓋転蓋地なるべし”」[大蔵出版刊、苧坂光龍著述、『提唱無門関』p5]説法者の説法より、ミュージックの方が、より真実を語っている。)  

2・18 偶像はことごとく滅びる。主が立って地を揺り動かされるとき、岩の洞穴、地の中に入るがよい。主の恐るべき御顔と、威光の輝きとを避けて。