カープ最終戦を聞きながら スポーツ論
- 今カープが試合している。背番号7野村選手の引退試合である。17年間リーダーだった。その間、私はカープに興味はなかった。ひさしぶりにナイターを聞いている。山本浩二監督にとっても最後の試合である。監督は是でユニホームを脱ぐ。黒田投手にとっては最多勝がかかっている。新井選手は、ホームラン記録がかかっている。今43本。山本浩二選手の44本に並ぶかどうか。あるいは抜くのか。面白くなりそうだ。相手は横浜、投手は三浦。或る意味で色々な占い要素がある。今、緒方選手がホームランを打った。弾丸ライナーである。前田の時には、実況アナウンサーのコメントが良かった。何か怒りを抑えたような表情があると言った。何に対しての怒りだろうか。栗原は時代を担うという。確かに良いときに打ってくれる選手である。こういう選手が役に立つ選手である。いくらホームランを打っても負け試合では意味がない。打って勝つ選手がいい。カープが強かった頃、山本浩二選手はここというときに必ず打ってくれるのだった。必ず期待に応えてくれた。これが集中力のある選手の特徴である。精神力の格の高さである。そして、その頃、7,8点の差など何時でもひっくり返してくれると思っていた。そして、試合も後半に入って7イニングともなるといつもと言ってよいほど、カープマジックがあった。なぜだったのだろうか。今にして思えば理解できるところがある(こうしたことを語って良いものかどうか。まだ、制御している自分がある。何もかも書けない自分がまだある。書いて良いのだろうか)。今2対2の同点となった。ホームランである。黒田の女房役のホームランである。ここからが面白い。プロ野球は面白いことが大切である。これがプロであり、観客はそれに酔う。勿論実力がある。その実力をどう生かすか。ここに個々の選手の商品価値が生まれる。高い所得の所以である。ファンを楽しませること。この意味でまた黒田は良い投手である。かつてカープには、安仁屋投手がいた。巨人に弱いカープだった頃である。巨人に勝てるのは安仁屋投手だけだった。巨人キラーだった。その頃、外木場投手がいた。確かノーヒットノーランを二回している。完全試合もあっただろうか。その頃、RCCから、カープ選手の一覧の小冊子があった。毎年申し込んでそれを見ていた。各選手のプロフィールとかカープでの記録とかの小冊子だった。あれはよかった。今、野村選手に笑みがこぼれた。彼は何かと厳しい選手であったという。これがプロスポーツ選手の条件であろう。自分に厳しく、そして、後輩にも厳しく。自覚があるためである。自分のチカラを信じているからである。しかし、そのチカラも引き出すためには条件がある。自分に克ち、自由を得なければそのチカラが発揮できるものではない。前田選手のホームは美しい。イチローのスタイルとは違った美しさがある。かつて、前田選手が最も素質のある選手だと思ったこともあった。塾をしていた頃、その写真を生徒の下敷きに見たときだった。確かに、子供達に夢を与えていた。単なるグッズではなかった。私の頃には長嶋選手、王選手だった。私にとって印象的なのは王選手の傾斜した一本足打法の写真だった。王選手もその打法の確立にはコーチとの毎夜の格闘があった。こうして選手は生まれるのだった。その厳しさ、サポートしてくださった面々の優しさを知っているのは、当事者自身であろう。今、この厳しさが前面に出ない時代である。個性だけが重視されている。それもよかろう。しかし、やはり、グループとして育ち育てられる喜びは別論である。素質が成就する条件がある。それは厳しい過程を通らねばならない。しかし、成就の喜びは、わかちあえてまた価値を増す。個は個のみにてならず、個を産み育てるということがある。これを枯らしてはならないだろう。これが、また、日本の良いところである。日本が野蛮でないために後世に遺すべきものがある。これが、不変であり、不易である。そして普遍である。スポーツにはスポーツ選手しか知らない秘密がある。それは自己との戦いの遍歴である。この意味に於いて勝敗の結果はさほど重要ではない。鑑賞すべきはここである。孤高の精神世界がある。アメリカのショービジネスも然り。日本はまだまだ文化的には発展途上である。しかし、かつて、日本精神はあらゆる文化現象に於いて最高峰を極めていた時代がある。知性の復興の所以である。偉大なスポーツ選手そしてショービジネスのスター達はその過程に於いて流した涙の質と量がちがう。学び習いそして称讃すべきはここである。偉大な人間には理由がある。その理由を知るべき頃である。堕落傾向を美化し、そこに安住する軽薄さの与り知らない世界がある。スター達は秘密を知っている。成功の秘密である。ファインプレーの生まれる理由を知っているのである。これを以て天才ともいう。クラシックの精神ともいう。粗末にできない。これが、本来の芸術的心である。 (2005/10/12 19:54)