青い空と白い雲


  • 青い空と白い雲 何もかも打ち捨てたりて上の空 何も思わず也自然法爾 真実は日月照らし風の吹く 大風制御雷鳴響く
  • If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive. (Philip Marlowe)
  • こんなにさわやかな日々が訪れるとは思ってもみなかった。日々は喜びとなり、生きていることが幸せとなる。これが求めていたものだった、と確かに思えるようになった。人生は素晴らしい。世界はなんと美しいことだろう。生まれてよかった。本当にそう、思える時を迎える。日本は大丈夫だよ。それは伝えられていたのだった。
  • はじめに言葉ありき。言葉とは光だった。光は救いだった。
  • [2013年03月23日] 探していたものは見つかるのでした。それは何だったのでしょうか。永遠の愛であり、やすらぎだったのです。それはあるのでした。過去からの約束でした。あらゆる悲しみを通っていつか至るのでした。それを真実としていいのです。真実は神仏の実愛だったのです。
  • 何もかも実になりけりこの世かな己見つけて光り輝く
  • 東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ …… 道真
  • 梅は咲いたか桜はまだかいな 一切種智慧法華経宿王華
  • 桜咲く時節因縁到来す春風吹いてゆるしゆるさる
  • 知る人は知る。知らない人は知らない。それでいいのである。だが、知らないことを以て否定できない厳然とした真実がある。
  • どうしようもない。彼だった。生まれた時からそうだった。とても不思議な人生があった。



それをさがしていた


  • 禅の悟りって何だったのだろうか。苦節三十有余年、それを探していた。
  • 敬子:「随分と長い冬でしたね。寒くはなかったですか。私は平凡な人生でした。」
  • みゆき:「私たちは、何も考えていなかった。あなたの言葉で聞きたい。」
  • 【2013年06月09日】人間として生まれて開発確認するべきは知性だった。何を以て知性とするのであったか。知性とは何だったのか。どこへ至るのであったか。そしてその知性を何に使うのであったのか。明らかとなった。


究極の目的


  •  目指すべきは何だったのか。学力であるか、学歴であるか、金銭であるか。地位であるか、名誉であるか。それらが自ずからついてくる究極の目的は何だったのか。現代学校教育に於いては、生きる力からさらに真実真理を希求する人格の育成とある。それは、何だったのだろうか。徳であるか。それは、人間性だった。
  •  何を以て人間性とするのであるか。本能のままに欲望を追求する動物性ではない。堕落することが大人になることではなかった。しかし、往々にしてそれが人間性だと思っている。芸能界などがそれである。
  •  Aと非Aがあるとする。それは対立概念であり、それぞれ他を排斥しようとする。権力闘争などがそれである。もう一つ高い次元がある。そこより見れば、両者は互いに対立していながら成立する。それが仏教だった。お釈迦様が、極楽の池から地獄を見るようなものである。地獄は地獄で原因に対する当然の結果だった。悪人正機説も出て来る所以である。仏教はそれに目覚めさせる。そして初めて自由となる。
  •  何者にも制約されない。時間も空間も超越する。そしてすべて一つであったことに気づく。それが永遠の命であり、普遍の愛だった。本来私たちは永遠の命の一齣だった。さすれば、生死を克服する。生も死も、大海の波に過ぎない。大海は普遍の命だった。これが法身であり、仏の御命である。私たちは永遠である。ここに絶大の自信となる。地獄に趣くのであるか。極楽を現成するのであるか。自分次第である。
  •  お釈迦様は悟りを開かれて、それに気づいた。それを摩尼珠と言って良い。それを磨く。見極める。それが究極の目的である。これをしない限り、何をしても不幸に趣く。白隠禅師の隻手の音である。そして、さらにお釈迦様が発見されたのは、だれもがこの仏性を具有していることだった。それは何か特別なものではない。心である。それが理想としての人格である。本来日本はそれを知っていた。それを目指していた。つまり、生命の進化傾向であった。本来日本に帰るとは、この意味である。


いつも喜びの心で


  • いつも喜びの心でいると日月がやさしく輝きます
  • さわやかな風が吹きます 美しい風景が待っています
  • 好ましい人間関係が訪れます 夢は実現します 思考は現実化します
  • わたしたちはなりたい自分になっています
  • インド哲学に於いて既に観念が現実化するとされていました
  • また神の属性に二つあって それが創造力と普遍の愛でした
  • ところが往々にして両者は反力として機能します
  • これをどのように調整するかが鍵でした
  • さらに 神とサタンとの永遠の戦いがあります
  • ノアの箱舟とか ヨハネの黙示録 バガバッドギーターの記述
  • そしてアトランティス大陸の沈没とか恐竜の滅亡がありました
  • ギリシア哲学のテーマはプシケーであり 輪廻転生でした
  • 四聖が気づいていたのは何だったのでしょうか
  • それらが三十数年来のテーマでした いつかその謎を解く
  • それが『失われた何か大切なものを求めて』だったのです
  • 夢は成就しました 二千年来の物語の完結です
  • そして始まるのでした それは昭和50年のはずでした
  • あるいは昭和56年にもチャンスがありました
  • しかし 埋没したのでした いつか復活するのです



夢の実現過程


平成25年1月18日

  • この地上において真実の幸せとは何だったのだろうか。だれもがそれを求めている。しかし何をしても迷妄の中に沈み、彷徨っている。神はいるのだろうか。その言葉は聞こえない。姿が見えない。神は死んだとニーチェは言った。また、ワルハラ城も焼け落ちた。神はいつもあなたの背後に隠れている。どのようにすれば神は姿を現すのだったか。神はいる。昼夜神を求めて祈り、すべてを神にささげた時、神は姿を現すだろうか。どれほど祈ればいいのだろう。孤独の中で泣き叫ぶがごとく唯神を求めて、この世のすべてが無意味と思えるまでだった。人間的なものが純真な愛の炎で焼き尽くされて清浄となる。その時、神が姿を現す。大死一番とはそれだったのである。物質的な幸せは迷いだった。迷いはサタンの仕業である。神はサタンを一撃で滅ぼすことも出来る。しかし、それぞれがサタンと戦うことを選んだ。そして神を知る。知って愛し始める。その愛が真実となった時、神は姿を現す。サタンを倒すとは、この世のものに対する執着を捨てることだった。あなたの神に対する愛が真実であると神が受け入れたとき、神はあなたの心の宮に宿る。神は待っていたのである。あなたの心が成熟する時を。それは雌の小鳥が雄の小鳥を選ぶに等しい。いつか神とあなたは一つになる。人間の愛はいつか消える。神の愛は永遠である。不滅である。神との合一こそ、この世に生まれた意味だった。それはゲームだった。このゲームに勝利することが出来るだろうか。神は試している。それが試練だった。どんな試練も乗り越えるためにある。そして至るのである。どこに至るのであったか。神に至るのだった。神と合流し、神があなたの心に宿り、神はあなたを通して言葉となり、光となる。言葉は光だった。世界があなたを見捨てても、神はあなたを見捨てない。求めるべきはそれだった。そして神はあなたにすべてを与える。あなたに必要なもののすべてを知っている。神に無関心な者に対して、姿を現すことはない。人間として地上に生まれた目的は、唯、神を知ることだった。それ以外に理由はない。神を知って、神との邂逅がある。そして神の与える至福の中で、永遠の愛を知る。あなたは不滅だったのである。それは、永遠の安らぎだった。これが法華経に言う「願います」だった。真剣に求めることで、神は必ず姿を現してくださる。そして永遠の幸せを与えてくださる。これが真実だった。すべては愛だった。すべて光だった。言葉は光だった。すべてこの世のものは幻影だった。神こそ唯一の真実だった。神は仏だった。すなわち、世間虚仮、唯仏是真。それに気づいて、すべてが真実となる。不思議だね。そうだったのだよ。すべてが喜びとなる。神こそすべてだった(大海)。私たちはその一部だった(波)。知ることだよ。理解することだ。そして真実を求める旅が始まる。始まった時、ゴールがある。神との邂逅がゴールだった。これが生まれた意味だった。私たちは幸せになるために生まれている。それは実現する。神と一つとなって、神はあなたを通して語り始める。信じるべきはこれである。これが過去からの夢の実現過程だった。


軽やかに生きるのが良い


2013年03月03日

  • 運を開く。空気があるように運気がある。これに乗れば運は開ける。そのために開かれた自分となる。チャンスはいつもあるのだけれど、かたくなになっているとそれをつかめない。デフレとなって物が売れない時代だけれど、売れるところは売れている。また、商品に対する価値観が変動して、日常生活に資するモノはほどほどのモノで良いと思えるようになった。それで日本の製品が悉くガラパゴス化してしまって、国際競争力を失っている。つまり、売れなくなった。ソニー及びパナソニックの苦悩はここにある。それはそれとして、開かれた自分となる必要がますます強くなった。苦悩は苦悩の無価値を知るためにある。仏陀の苦行もそうだった。ある意味で無駄な努力だった。苦悩しなくて良い。無駄な努力は無価値である。運気がある。それをつかめばいい。それは執着しないことだった。何もかも好きになれば良い。軽やかに生きるのが良い。ネガティブな自分を捨て去って、大肯定の思想で生きていく。周囲には楽しい人が集まる。彼らこそ、才能も能力もある。一人では生きてゆけない。何をするにも仲間が必要である。いつか、気づくことになる。そして新たな人生が始まる。人生、楽しむにしくなし。哀しい人は哀しませておくしかない。自らその哀しみを捨て去る時が来る。幸運は舞い込んでくる。準備が出来た人のところへ。快い人間関係が創造されるだろう。果報は寝て待つ。結果は天に任せる。そのための準備がある。人格の形成である。感情のコントロールである。馬鹿は死ななきゃ直らない。馬鹿につける薬はない。好んで苦悩し、無価値な努力を努力と思っていた自分自身が大馬鹿者だったのである。それを捨て去って、人生が開ける。常に遅いということはない。気づいた時が始まりである。今世で気づくといいね。今世で気づけない人は、そのために来世がある。若さとは年齢ではない。常に夢を持っていることである。向上心があることである。漱石も書いていた。「精神的向上心のないやつは馬鹿だ」。腐敗堕落が人生ではない。不倫は文化ではない。馬鹿になることが幸せではない。お客様が神様ではない。お客様の中に神がゐるかも知れないというところから謙虚さが出てくる。神仏は実在する。それが真実だった。敬虔さを失って久しい。そしてどうなったのだろうね。自分さえ良ければ良いと思う。横断歩道(歩行者優先)を歩行者が渡ろうとしているのに、止まる車は皆無である。どうなっちゃったんだろうね。日本はこのような国ではなかった。何がはびこったのかとするところである。面白ければ良いのではない。この世は過去からの夢の実現過程である。前世がある。来世がある。魂は不滅である。死んでも死なない自分がある。旅の恥は書き捨てではない。来世をどこから始めるのであるか。それらを無視していた。「後生だから」ということを忘れていた。人格に品位を失っている。子ども時代を思い出すがいいよ。大きなことは言えない。


わたしたちの時代


2013年06月02日

  • 情報は発信したところに集まります。情報は価値あるものであり、それは利益を生み出します。どのような情報を誰が発信するかが重要です。この世は知性の秩序が支配しています。知性とは何だったのでしょうか。開発するべきはそれでした。知性の完成した存在が神であり、仏だったのです。帰するべきはそれでした。わたしたちは新たな時代を迎えています。第三の波は情報化でした。第四の波は創造化です。創造性は神の二つの属性のうちの一つで、もう一つは普遍の愛です。私たち人類は万物の霊長である人間として神の七つの力も賦与されています。確認するべきはそれだったのです。いよいよ、そうした領域に入ったのです。21世紀の約束として。すばらしい時代です。野蛮を脱してそれはあります。野蛮とは嘘とバイオレンスです。あらゆる野蛮を克服してわたしたちの時代です。


廬山は煙雨浙江は潮


2013年06月02日

  • 「未だ到らざれば千般恨み消せず。到り得て還り来たれば別事無し。 廬山は煙雨浙江は潮。」 どういうことだろうね。悟ったら煩悩がなくなるわけではない。悟っても三毒はある。それでいいのである。それにとらわれないと言うことだった。



2013年06月11日

  ほのぼのと勝利の美酒に酔いしれる何もなくてぞこの道至る

  至り得て還り来たれば別事なし妄を除かず真を求めず

  そのままでそのままでいい人生を過去より未来幸せの道

  生まれ来てここに確かに定め見る我が人生に喜びの歌

  何もかもゆるしゆるされ愛を知るこれぞ仏と確信の朝

言葉


2013年06月02日

  • 言葉は光である。生成原動力がある。滅多なことは言えない。そうであるのに、あらゆるメディア、お笑い等、何を言い放つ。子供たちが勘違いしている。子供たちが壊れてしまっている。壊した者が償う。もとにもどす。ローマ法以来の大原則である。


証道歌


2013年06月02日

  • 『証道歌』を読んでいて気づいた。悟ったからといって煩悩がなくなるわけではないのだった。それでいいのだった。そのままで。煩悩が出てきてもそれにとらわれず、客観的にそれをながめている。所詮世間虚仮。すべては空であり、無である。そのように体の隅々まで合点すれば、すったもんだはないのだった。それが本来無一物。「廬山は煙雨、浙江は潮。至り得て還り来たれば別事なし。廬山は煙雨、浙江は潮」というのもそういう意味だったのである。「妄想を除かず、真を求めず」もそうである。妄想はあっていいのだった。真を求めようとしても、それは言語に絶する。自得してそれを相手に伝えたくても、相手がそれに興味がないなら伝わらない。それを伝えようとするから辛い。妄想を除こうとするから苦しい。無駄な努力をしていたのは、釈迦の苦行に等しい。このあたりが解明して、さらに死んでも死なない自分があるということがわかるとそれが無生だったのである。前世からの続きだよ。この世でどこまで解明するのであるか。所詮、それぞれの問題である。


不思議な通信


2013年06月02日

  • 私たちはどこかでつながっている。人間関係は同レベルで触発される。不思議な通信があるね。


果てしない旅路を感じるまでに


2013年06月02日

  • 果てしない魂の旅路を感じるまでにどれだけの試練があったことだろう。そして気づくのだった。自分自身はいったい何者であったのであったかを。ある新聞に書いてあった。属性がなければわからないことがある。