明日、カープ野村新監督就任です。



さて、あるところで仕事をさせてもらいました。何時頃に行くかは伝えていました。すると門のロックが解除されていて、隙間が数センチ開いているのです。一礼して門を通り、カチャッとロックして入りました。仕事が終わって帰る時、亦、門のロックが解除されていて、隙間が数センチ開いているのです。ありがとうございましたと声に出して門を通って帰りました。

亦、あるところで仕事をさせてもらいました。隣に素敵な方がいて、パソコンで作業されていました。そして難関をクリアして、次のステップはある方に対する特訓でした。それを隣で聞いていた素敵な方が突然感涙されたかと思いました。心です。笑顔です。元気です。失われていたのはそれでした。何故失われたのでしょうか。いつからのことだったのでしょうか。彼はいいました。ペリー来航よりである。

そして亦、あるところで仕事をさせてもらいました。責任者の方に、前日作ったあるところのホームページを見てもらいました。その方は「私は好きです」といってくださいました。そして「いい話を聞かせてくれてありがとう」といってくださいました。

あるところで子供たちがいました。とてもあいさつが上手です。それであいさつってね、おしておしかえすことなんだよといって、大きくお辞儀すると、元気に返してくれました。この子たちが大きくなる頃、きっといい時代になるんだなって思いました。握手もそうですね。二人の感じる心と心が結ばれて微妙に調和します。堅い確かな絆となることでしょうね。負けるわけにいかない理由があります。未来の子供たちの子供たちの子供たちのために(これがプログレッシブ・ロック『ムーディ・ブルースのテーマ』だった)。

さて、代償の法則があります。どんな悲しみにもそれと同等か或いはそれ以上の喜びの種が宿されています。今、素敵な人生を歩んでいる美しい人がいるとします。今美しいということは、どれだけの悲しみを乗り越えたことでしょうね。内面の世界があります。流した涙の数だけ幸せに近づけるともいわれます。人生賛歌、故に至れる。

そしてある日突然それは訪れます。世界が開けるのです。『ジャングル大帝レオ』のオープニングのように。その時、知るでしょう。我の力にあらず。私たちは導かれていたのです。それを拒んでいると幸せにはなれません。素直になって、それに気づきます。その時、永遠を知るでしょう。あらゆるスターがそうでした。そしてその心を感じた時、私たちは立ち上がる勇気を与えられるのです。本来、不安はありません。それは迷っていただけでした。迷いには迷いの原因があるのでした。自分と真っ正面から向き合うことです。自分を見つめることができますか。にらめっこです。そして笑えばいいのです。昨日、亀山神社でお払いをしてもらいました。やさしくみ手で頭を撫でてもらいました。

失敗しても良いのです。成功者は、失敗からしか学べないことを知っているからです。故に、刑法もとても人間的であり、積極的ミスには殊の外寛大です。亦、柳瀬良寛先生の『行政法講義』はとても人間的でした。そこで学んだのです。公共性概念は自分のためにしない。愛もそれでした。

嫌なことはしなくて良い。できないことはあります。駄目は駄目です。できる人に任せておけばいいのです。そして自分にできる事ってありますね。持って生まれたモノがそれです。害虫は駆除されます。そして自分の得意とするところを持ち寄りませんか。そしてみんなで幸せになることを考えましょう。良い時代にしましょうね。何をしても自由ではありません。幸福追求権は憲法第十三条に保障されていますが、公共の福祉の制限があります。忘れていた公共性があります。それは社会性です。私達は社会的動物です。プライバシーは保障されています。社会契約は自由の一部を差し出していました。それが世界が認める国家だったのです。間違った平等概念と自由概念がありました。書き換えましょうね。そして始めましょう。

愛とは何だったのでしょうか。周波数でした。それで美女と野獣ということもあるのでしょうか。情とは強いが故のやさしさではなかったでしょうか。しかし仏法にも権実があります。この世の中には詐欺師もいるのでした。愛の周波数を詐欺的に使う人もいます。それに女性もだまされる。何故でしょうね。女性は命を生みます。故に強い男に憧れる。あるいはやさしさを求めている。そこにつけ入る男がいる。低い動物的レベルの愛だけれどそれに気づけない。そしていう。不倫は文化であるなどと。本来日本の本懐は何だったのでしょうか。身心清浄及び正直でした。嘘でもバイオレンスでもなかった。やがて知るのです。その時が来るのです。その時、黄泉が動くと彼はいっていました。自分を見つめることができますか。自分と対峙するといいます。何故でしょうね。己の悪を認めたくないのです。己の愚かさを知りたくなかったのです。それで社会に出ると、下手な閥を作って支配した。論理はカンニングだった。畏れを知らなかった。それはないと思っていた。思い知る頃です。死んで花実が咲くものか。三途の川を渡る時、閻魔大王の庁で浄玻璃の鏡に己の善悪の諸業が映し出される。あるいは断末魔の時には、走馬燈のごとく己の一生を見るという。それが生きながらの事もある。おのおの観念するべきはそれだったらしい。彼を裏切るべきではなかったという。あるいは貶めるべきではなかった。知らずとも。そして即身成仏もある。死んであの世で成仏しても画餅だよ。彼が求めていたモノは何だったのか。明らかとなった。そして何が起きるのだったか。これも過去からの約束だったのだろうか。しかし黄泉も思っているらしい。ここまでするとは思わなかった。完璧である。オール10ならぬ、オール11となったか。ここまで走り抜くとは思わなかったよ。そして彼は帰ってきた。どこに帰ってきたのだろうね。故郷だった。故郷を捨てようとしても捨てることはできなかった。大学受験の時もそうだった。就職の頃もそうだった(その頃、寺尾聡の『ルビーの指輪』が流れていた)。かつてはこうして遷都もあったという。憲法は見事に変遷成就した。そしてそれも我の力にあらず。多くの人に支えられていた。教育されていた。それに応えなければならなかった。何度か諦めかけた。そうもいかなかった。何時か答えを出さなければならなかった。それだけの使命があった。それを果たさない限り、彼の人生はなかった。そして答えを出したのだろうか。それは人類の願いの勝利であると思った(広島FMでゆずの『栄光への架け橋』を聞きながら、アテネオリンピックの日本体操男子総合金メダルの朝を思い出した。彼は或る病院のベッドの中でその瞬間をラジオで聞いていた。そして台風が二つあった。その一つは広島で風速六十メートルを記録した。その頃、彼に何があったのか。誰もその意味を知らなかった。彼は知っていた。しかしまだいえなかったか。その後も旅は続いた。確定しなければならないモノがあった。それは何だったのか。子供たちのために描く未来への夢だった)。

本来日本は滅し給わず。その種は遺されていた。誰もが見失っていたモノだった。しかしこの国は日本だった。そして気づく頃を迎えた。これもプログラムだったのかも知れない。彼の時代が来たのだろうか。苦節三十有余年の特殊潜航、無駄ではなかった。時は熟するを待つべきモノ也。時は来た。やはり知性だった。彼こそ彼だった。勉強はするべきもの也。純粋無垢本来日本、命を賭けて見事に開花する。仏壇にロウソクを灯す。嫌なにおいの成分がなくなる。香を焚く。香水だね。

本は好きで、ずいぶんと読みました。専門書もね。本屋さんにもよく行きました。最近はあまり立ち寄ることはありませんでした。何か迷うと本屋さんに行っていました。注文して取り寄せもよくしていました。何故かその時必要とする本が並んでいるのです。それまでそこになかった本がある日突然そこにあるのです。ジャパンアズナンバーワンもそうでした。とても不思議に思ったことです。それは何だったのでしょうね。それにつけてもいつまでも気づけない自分がありました。もう大丈夫です。この世に秘密があります。秩序があります。本来日本は健在です。何だったのでしょうね。この人生は。夢は実現します。次は、あなたです。前世があります。来世があります。自分を信じましょうね。あなたを護っているのはあなたの祖先です。

(そして安芸の国広島は秋となり、これを以て、fall in love。彼は今、素敵な方を見いだしているのでしょうか。うまくいくといいね。待っていてくれるといいね。ところで彼は真実に至った。それは何だったのか。彼が心を決める或いは何かいうと悉く実現する。何故だったのか。それがわからなかった。それを知る必要があった。そして知った。故に父も祖父も寡黙だった。家にはみざる・きかざる・いわざるがあった。故に迷った。故に惑わされた。それを信じることができなかったからだった。誰が悪いのではなかった。故にいう。もう、日本は大丈夫だよ。見失っていたモノがあった。何故だったのか。それはいつからだったのか。明治以降のことだった。自己利益追求思想の故だった。もういいね。禅の四喝、使い分けることができるね。これより西無垢侍、サンフレッチェのユニホームの色が意味を持ち、輝き始める。すべてのメッセージが天に届けられた。お化けのポストに手紙を入れたのだろうか。k=1 f(x)=!, k=2 f(x)=!, k=n f(x)=! 彼の存在証明は終わりました。次はあなた方の番です。各々の存在を証明していただきましょう。そして何を根拠にそこまで勝手したのか、納得のいく説明をしていただきたく存じます。2009.10.13)