ビューティフル



本来無一物ということがあります。どういうことだったのでしょうね。本来無一物です。これではわからない。でも、本来無一物です。どういうことでしょうね。かぐや姫が月に帰りました。何故月に帰ったのでしょうか。月に帰ったかぐや姫に聞くしかありません。

ありがたし日本となりし春の月

どういうことだったのでしょうか。これはわかりませんでした。感じてはいました。しかしわかるはずもなかったのです。そして何時か時が来ます。時計仕掛けだったのでしょうか。どうでも良いですね。もはやどうにもならないのです。秘密は解かれました。自由です。

何時か悪性を去るのです。そしてわかります。すべてわかります。春の月です。それが本来無一物でした。わかりませんね。もうやめましょう。感謝するしかないのです。人生に乾杯となりました。すべて自分次第でした。すべてです。幸せも、不幸せも。だれかが書いていました。自分は成りたい自分に成ると。間に合ったのでしょうか。それにしてはボロボロとなってしまいました。修復ですね。迷いはないのです。不安もありません。疑いもなくなりました。どうも夢ではないようです。このようなことがあったなんて。不思議です。驚きです。今宵も雲一つない月が輝いています。4日目ですね。何があったのでしょうか。達磨はいいました。不識。知ったことではないと。それで良いみたいです。自由の定義です。日本は平和を学びました。そして選択したのです。世界は待っていました。重要な使命があります。それは何でしょうね。そろそろわかる頃となりました。持って生まれた花があります。どのような花を咲かせますか。いくつか修正を必要としていたようです。それが青春でした。父のものは父に返し、母のものは母に返して咲くのでした。己の花を咲かせるのです。それがこの世の使命でした。

悪舌を抜きて咲きたる櫻かな

彼は何処で何をしていたのでしょうか。この世の旅は終えたようです。この度は何を持ち帰ったのでしょうね。新しい時代となりました。ご苦労様でした。そしてお疲れ様でした。天も地も喜んでいます。

『瓢鯰図』というのがありますね。笑顔でのらりくらりでしょうか。どういうことでしょうね。本来無一物。本来善も悪もなくて、縁を以て始終成壊するというところでしょうか。人間である限り、悪だと聞いたことがあります。そして本来は善だった。鈴木大拙氏は元気と不傷害をいっていたでしょうか。それがのらりくらりの生き方かも知れません。『のたり松太郎』という漫画もありました。『のらくろ』もそれだったのでしょうか。この辺りがお笑いの原点だったのかな。それならそれで良いですね。要はおだやかにやさしく生きてゆけるなら、幸せです。その時、ゆるしゆるされる関係が成立しています。そこに愛があるからでしょうか。何れにしてもこの世は素晴らしい。生きるに価します。

beautifulを英英辞典でみると、喜ばす何かとあります。あるいは嬉しくさせる何かです。相手が喜ぶことをすることで、自分も喜ぶことになります。他の幸せを祝福することで私たちも幸せになれます。それはあります。私たちは幸せになるために生まれてきました。そして幸せを実現した人もいます。学ぶべきは学び、自分のものとしていくことで、幸せになることが出来るのですね。目指すべきはそれだったのでしょうか。

只今、5:30am。昨夜はある方々に招待されて、カラオケに行きました。誕生日のお祝いをして頂きました。その後、徹夜してしまいました。仮眠することにします。

只今、10:20am。目覚めました。今日の活動開始です。

世界は待っています。そして惜しみなくエールを贈ります。新たな愛の伝道者に対して。それがスターです。輝くのです。輝けばいいのです。何時か人格の宝石として。そして何をしても良い。すべて亨ります。中国四千年の人間統計学であった易学の伝えたのもそれでした。それが人生理論の原型でした。それが四聖何するものぞであったのでしょうね。学ぶべきは学び、時が来て、すべてが意味を持つ瞬間がやってきます。パスカルに於いてはそれが『メモリアル』でした。あらゆる成功は同じメカニズムです。そして次の成功者のためにサポートしています。あるいは方法論を伝えているのでした。私たちは何故生まれたのでしょうね。幸せになるためでした。幸せは近いのです。少しの修正を要します。野蛮を脱して成功はあります。自分では正しいと思っても、相手が聞いてくれないことがあるものです。何故でしょうか。相手の魂が承知しないからです。言葉は義だけではありません。しかし義です。亦ロゴスです。こうした論理が鈴木大拙氏のいう即非の論理かも知れません。確かに幸せはあります。ないと思っている自分があるだけです。人はひとりでは生きてゆけません。意味がありません。みんなの幸せを願う時、大義名分があります。その時、神風も吹きます。大義名分こそ征夷大将軍の要件でした。そして戦もありました。それは何処までも民のためにという目的がありました。それが天下泰平でした。それを知らない方々がいろいろと解釈しています。そしてどのようなイメージが出来たのでしょうか。本来日本はどのような國だったのでしょうね。現代戦争は市民を盾にしてだれのためにしているのでしょうね。不思議があります。不思議は知る人には事実でした。知らない人には不思議です。

今日も穏やかに晴れています。明日の午後から崩れると天気予報はいっていました。

見える人 何もいわずに 春の月

やさしさに そよ風の吹く 櫻咲く

一点の 雲なき春の 続きたり

自分を信じることが出来ますか。その時、愛を知るでしょう。それは自分のためにしないことでした。勇気も当然となります。惑わされることはありません。迷いも不安も疑惑もありません。それはあるのです。それが歴代の人類の英知の結論だったのです。そしてこの世は素晴らしい。人生はビューティフルとなるのでした。

2009/04/12