幸せになりたいね

2010年08月25日

  • 幸せになりたいね。幸せって何だったのだろうね。思うようにならないね。思うようになったら幸せだね。思うことをやめた時、満ち足りている。大丈夫だったんだ。そして気づく時が来る。すべて見えない世界で決する。見えない世界とは何だったのだろうね。祖先の総体だった。愛とは何だったのか。動植物も喜ぶ周波数だった。それが仏の大慈大悲だった。私達は生きている。生かされている。導かれている。思うことをやめた時、見えてくるものがある。それは何だったのだろうね。幸せになりたいね。幸せって何だったのだろうね。幸せはある。幸せになろうよ。確信がそれをもたらすだろう。何を確信するのだったか。悪・野蛮・軽薄・嘘・愚は滅びる。何に乗じて成功したのだったか。日本精神骨抜き占領政策は失敗に帰した。それが見抜かれた。巧妙だったね。ペリー来航は何だったのか。四杯の上喜撰で夜も眠れず。ある意味で、軍事的市場開放請求だった。その前にアヘン戦争があった。明治政府の目的はひとえに不平等条約改正だった。故に鹿鳴館もあった。廃仏毀釈もあった。第二次世界大戦は何だったのか。植民地の再分割請求だった。その前に列強による帝国主義があり、世界の植民地分割支配があった。各種の軍縮会議もあった。日本は悉く臥薪嘗胆だった。故に原油を求めてのパレンバンへのパラシュート部隊降下作戦もあった。愚かな時代だった。その後、敗戦を経てそれらが全て間違っていたことを学んだ。故に戦争放棄である。既に人類としての技術と英知の蓄積がある。かつて市民革命は流血から始まった。その後、名誉革命となった。戦争は常に平和が目的だった。これより流血なくして平和を目指す。新しい時代の目的である。良い時代にしようね。私達の時代である。戦う民主主義という概念がある。戦後、民主主義の名で何をしたのだったか。娯楽を与えての支配だった。カラカラ浴場あるいはコロシアムとして。それでどうなったのだろう。家庭及び子供達の精神が壊された。これが敗戦ということだった。本来日本が、新しい理念で目覚める頃となった。ロマン・ロランの『死んだ男』のように。忍耐強く導いたのは黄泉だった。黄泉は待っていた。黄泉が動き始める。この世の勝敗は決した。究極の幸福論は何処にあったのか。知る人は知っている。誰もがそれへの憧憬があった。それは何だったのだろうね。何を味方につけるのだったか。征夷大将軍の要件がある。それは何だったのか。幸せになろうね。それはある。知らないことを以って否定できない。貶めることはできない。仏は誉め奉るべし。神は畏るるべし。

大乗の時代

2010年08月22日

  • 大乗仏教と小乗仏教があります。何を以って大乗といい、何を以って小乗というのだったのでしょうか。例えば仏になることを以って大乗というのです。救われるためには仏になるしかないのです。それが可能であるとするのが大乗だったのでした。だれもが仏になることができる時代を迎えようとしています。何を以って仏というのだったのでしょうか。真実の仏法とは何だったのでしょうか。例えば、自然と自分との関係を悟ることでした。旧約聖書はこれを例えば、山に向かって海に飛びこめといえば飛び込むとします。それはどういうことだったのでしょうか。すべて、見えない世界で決するとするところです。見えない世界は化人を使わして実現します。見えない世界に認められてそれは顕現します。それが真実だったのです。それが仏ということだったのです。

至ってみないとわからない

2010年08月18日

  • 夢窓国師の『夢中問答集』を読んでいると、いわゆる悟りを求める心があっては、まだ本当の悟りではないとあります。しかし、悟りを求める心こそ大欲であり、それは人々を仏道に導くことだとあります。このあたりが矛盾しているようだけど矛盾していないのです。さて、心こそ問題だったのですね。この心を無心にすることができると悟りです。これが難しいのです。簡単なのだけれど。このように矛盾しているように見えるのです。至道無難禅師は、道に至るのは簡単なのだけれど、唯計らいを嫌うとあります。心こそ計らいだったのです。放下著ということがあります。放てば手に満てりといわれます。そして結局、自受用三昧を以て標準とするとしたのは道元でした。そして道元は言います。身心脱落、脱落身心。コロンブスの卵だったのです。身心が脱落して、脱落を身心が知るというところでしょうか。至ってみないとわからないのです。何処に至るのでしょうね。般若心経のギャーティです。すなわち、ベートーベンの喜びの歌です。そして実感するしかありません。何を実感するのでしょうか。諸仏の受容祝福守護です。この時、不思議な体験があります。そして信じざるを得なくなるのです。それが真実だったのです。この世は一切法空です。それを体験するしかないようです。さて、何もかもつべこべ言う必要はなくなりました。すべては己が原因です。結果は甘受するしかないですね。すべて因縁とするところです。前世からの因縁もあります。思うようにならないですね。何故でしょうね。前世に蒔いた種もあるのです。人間レベルである限り、どうなるのでしょうね。さて皆様、本日もお健やかでありますように。