幸せに至る道

  • この世の人生の目的は何だったのでしょうか。過去の失敗を少し修正して、幸せになることでした。
  • それは見える世界と見えない世界があって、見えない世界からやってきて、見えない世界に帰ります。
  • 見えない世界に認めて貰えることで、すべて調うのでした。
  • しかしながら、法華経には「人間みずから出づることあたわず」とあります。どういうことでしょうね。
  • 見えない世界に認めて貰えるかどうか。それがすべてです。
  • そして、何時かあなたは、日月照らし風が吹くでしょう。それはどういうことだったのでしょうね。そよ風を感じますか。風は魂でしょうか。風が慰めてくれるのでしょうか。それが桃源郷だったのかも知れませんね。
  • かつて日本は知っていました。思い出せばいいのではないでしょうか。それは限りなく幸せへ至る道でした。
  • それはあるのです。何時までも、見える世界だけを追いかけていては幸せは遠いですね。
  • この世は魂の遍歴の一齣でした。それが百代の過客でした。
  • 幸せになりましょうね。祖先に恥じない身となって。
  • 祖先にも好悪があります。祖先は見ています。そして応援しています。
  • あなたは幸せになるために生まれてきました。この事実に謙虚になりませんか。それが知性です。
  • カンニングで世に出ていませんか。それでは結果がどうなるか。少しの修正で良いのです。私たちは此処まで進化しました。
  • 多くを学びました。少なくとも、他人を笑いものにしてみんなで笑う類の衆愚より脱却です。本来日本はどのような國だったのか。思い出す頃となりました。
  • しばらく全人格のコントロールを失っていたのでしょうか。宇宙を彷徨えるハルのように。そして何時か自己修復するのです。それが生命でした。
  • そして本来の自分を取り戻し、自己コントロールが復活します。折れた骨は、治癒するとその部分が強くなります。自己コントロールは、頭寒足熱だったのでしょうか。適度の頭脳の緊張を取り戻し、しかも身体はリラックスしている状態でしょうか。あるいは自然体です。 and with smart smile.
  • 取り戻すべきは何だったのでしょうね。知性の尊厳でしょうか。あるいはディグニティです。それはありました。他人を笑いものにしてみんなで笑う現代お笑いバラエティはいじめでした。内実のない愚かな笑顔は見たくないですね。どんな笑顔が観たいですか。衆愚より脱出しませんか。本来日本は何を目指していたのでしょうね。武士道は決して野蛮ではありません。強きが故のやさしさがあります。代々の属性があります。あまりにも無視していたのではないですか。仕方なかったのでしょうか。しばらくそれらも葬り去られていました。明治以降のことでした。思い出す頃となりました。少なくとも武士には精神修養がありました。西洋化こそ文明開化と思われました。そして戦後、敗戦の故にそれに拍車がかかりました。しかし本来日本は滅し給わず。その種は遺されていました。頼朝は伊豆に流されていたのです。そしてあたかも伏流します。時を要します。自覚を要します。その時が来たのでしょうか。振り子が振り切れたのでしょうか。ために試練もありました。発見発掘開発実験検証確認したものがありました。それは何だったのでしょうね。風神雷神でしょうか。神風の吹く事実でしょうか。そうかも知れません。思い出す頃です。そして本来日本の自信と自覚の頃です。いくつかの間違いもありました。少しの修正で良いのです。この世を幸せ世界にしませんか。それは出来ると彼はいいます。見つかりました。本来日本の目指していた道。取り戻しませんか。思い出す頃です。希望に満ちています。もはや惑いはありません。それほどの試練を乗り越えたのでしょうか。そして何を見つけているのでしょうね。眠らされていたのです。何時か目覚めます。十九の春もありました。開発した力があるといいます。それは何だったのでしょうか。草薙の剣と金剛杵でしょうか。ないと思っていましたね。探そうともしなかったですね。彼は見つけたのでしょうか。シュリーマンのように。そしてそれが本来日本だったのでしょうか。神国日本。それは黄泉の受容祝福守護だと彼はいいます。黄泉を制して。民のためにする時、それはあります。愛も公共性概念も自分のためにしない。それが征夷大将軍の要件でした。何か見失っていました。それは何だったのでしょうね。自己利益追求の時代は終わりました。本来日本復活です。今も昔も黄金の國です。日本のDNAは宝の山です。確かにいくつかの失敗もありました。失敗の中に成功の種が宿っています。この度は良い選択があったようです。法華経に曰く、「唯、善業の因縁より出でたり」。思い出す頃となりました。聖徳太子も法華経でした。道元も最期に読んでいたのは法華経でした。平家納経も法華経でした。日蓮だけが法華経ではありません。法華経は他の経典とはその成立縁起を異にします。それはインド南部の海洋都市で編纂されています。そして仏教東漸。仏法を東へ伝えよ。漢字の読みには漢音と呉音があります。日は東から昇り、月は西より昇ります。明治の頃に縦書きから横書きとなりました。縦は上下の調整でした。それは秩序でした。横は助け合いでしょうか。そのあたりがこんがらがってわからなくなっていました。日本は混迷の中にあったのです。そしてそれらのもつれもほどける頃となりました。何が大切だったのか明らかとなったのでしょうか。西洋と東洋の合流です。かつて朱子学も陽明学となったように。陽明学の第一人者は佐藤一斎でした。『菜根譚』もありました。アウフヘーベンもありました。相当因果関係説もあります。アレクサンダー大王もいました。ディオゲネスもいました。そのようにして時代は進化するのでしょうか。そして、<一>より始まるのです。その時が来たようです。学問を要します。教育を要します。そして使命は果たされます。愚かな時代は終わりました。勘違いの世が正される時を迎えました。スタッフ一同勉励奮起勇躍実践の時節です。よかったですね。新しい時代です。思い出す頃です。あなたの時代です。西洋成功哲学及び四百年来市場原理は自分のためにする一人勝ちをよしとする思想です。本来日本の好むところではありません。思い出す頃となりました。日本は平和を知っています。江戸時代がありました。平安時代がありました。世界の中で上手に実現したいモノがありますね。
2009/05/31