時代を開くのは

2009/09/10


時代を切り開くのは 常に若い気持ちだった 若さとは 年齢ではなくて いつも人生に 夢があり 輝く目をしている 冬来たりなば春遠からじ 自分の顔に責任を それは迷いが晴れて 「世界の中心で愛を叫ぶ」 それが現実となる 空が青く晴れ渡るのが 己の魂と連動していると 信じることができる そのような瞬間が来る 大自然の祝福と やさしさの中で さわやかな風を感じて 日々が過ぎてゆく 生きていると思う 幸せなんだと思う 自分との戦いがある それに勝利して 黄泉があなたを認めると あなたの日々が 一瞬にして変わる 美しい景色が待っている あなたは生まれた 幸せになるために きっと知る日が来る 過去からの夢がある 願いがある 私達は今 その実現過程にある

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若者が時代を変える


20世紀の知性といわれた人にポール・ヴァレリィがいました。かつて小林秀雄氏も憧れた人です。ヴァレリィはいいました。「私は生きた。愛した。書いた」。人生とはそうしたものだったのです。

知識がいくらあっても、それが智慧とならない限り、意味はありません。すべては生きるためにあるのでした。私たちは今、社会を形成して、その中で生きています。人間生活を営む上で知識は必要です。だから勉強一般を否定できません。人間の尊厳を失うことになります。

社会には亦、社会契約があって、自由の一部を差し出して国家を形成しています。それが現代民主主義の大前提です。それなくしては野蛮であり、弱肉強食となります。つまり、善悪を無視した虚偽とバイオレンスの恣となります。それは人間あるいは人類の選択として拒否しているのです。そのあたりの人権的なことを知らずに、勝手している方々がいます。芸能人の中にもいます。

法律を守るというのは人格表現です。何もかも自由ではありません。その辺りを公器としてのテレビ界は反省する頃です。そして本当に豊かで自由な社会を作っていかなくてはならない時となっているようです。

ある本を読んでいると、明治維新は若者のパワーが幕藩体制という古い仕組みを壊し、新しい近代国家を作ったとありました。しかし今も昔も変わっていないといいます。つまり、かつての幕府が政府となっただけで、越後屋にあたるのが悪徳企業だといいます。何れにしても、今の世の中は明治維新に等しいという認識があります。

歴史は常に、腐敗が極限に達して変革をもたらすのでしょうか。鎌倉幕府の成立も関ヶ原もそうであったのでしょうね。そしてこの度は静かに進行しています。その流れは確かなようですね。

時代は限りなく進化します。生命としてどのような生き方をしていくのでしょうか。その進化傾向があります。それが時代の流れであり、時代を形成するのは、万物の霊長としての人間のこころです。こころで思ったことが実現するのです。

強い信念となれば、勇気も当然となります。未来は常に未知です。しばらく巧妙な欺罔的利益追求の世の中でした。しかしこれでは幸せにはなれない。本当の幸せを求めて私たちは生まれています。過去に失敗があり、それを少しの修正をしながら、未知なる未来を拓いていくのです。

何時の時代もそうでした。ショパンもリストも革命の人でした。ミケランジェリは大脱走をしています。かつてフランス革命はギロチンがありました。やがて市民革命も名誉革命となりました。日本に於いても江戸無血開城がありました。平和はヒロシマを通して学んだといえます。故に先進諸国家間での核兵器の選択は事実上ありません。それを使用すればどうなるか知ってしまったのです。水爆が4つあれば、日本は壊滅するほどであると聞いたことがあります。

人類は限りなく愛と平和を求めています。それが人類の祈りです。流血なくして平和を勝ちとることが未来の夢です。それを実現する頃となったのでしょうね。何時までも越後屋の利益のために騙されることはないのです。

自己利益追求である限り、弱肉強食であり、餌食とされていたのは正直な人間でした。それに乗じてテレビ界もありました。それがセレブですか。本当の幸せは何処にあるのでしょうか。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。愛とは自分のためにしないことでした。お互いに尽くし合えばいいのです。

大企業の製品も信用できなくなった昨今です。エコ冷蔵庫も嘘でした。何処に智慧を使っていたのでしょうか。あまりにも欺罔的な利益追求の世の中となっていますね。公正取引委員会の出る幕が多くなっているようです。

嘘とバイオレンスはゆるされません。人間社会の掟です。しかし野蛮な目をしている方々が多いですね。見える人は見えています。見えない人は見えない。何が見えていないのでしょうか。見える人が活躍する時代となったのでしょうね。

そして明治維新は若い人たちによって推進されました。時代を変えることが出来るのは常に若い人のチカラです。そして時を要します。今、その時ですね。若いということは年齢だけではありません。時代をよりよきモノとすることを願う気持ちです。

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若い人たちへのメッセージ ~記念碑として~


新パラダイス開拓団。クラシック音楽が今も生きている。バックハウスはベートーベン、ハンマークラービア。


今度は、山頭火になったみたい。涙をこらえるにはつらいよね。誰と会話する、自然とだ。いつも会話していた。誰も聴いては呉れなかった。いつも私が悪者にされた。悪いのは、君たちだよ。やはり。もう、何もなくなってしまった。バカどもといっしょに死にはしない。ついてくるモノだけついてくればいい。アジサシは、南極カラ北極間を旅をする。どこかに新天地パラダイスはある。私たちだけが知っている。自分自身を研ぎ澄ます。自分自身を道具とする。人類の英知をこき集めて。いつも、最先端のパイオニア達には地図はない。大航海時代もそうだった。何を信じるのか。羅針盤は、唯一、自分自身である。

面倒だ。なにもかも。面倒は、さようなら。

ゲルマン民族の大移動。新しい王国を作る。君たちは今のまま沈むがいい。私たちは生き残る。これより新ミュージック歴代記のはじまりか。武器よバイバイ。いつも聞こえていた時代の声。スタンドバイミー。時代の通奏低音とフラッグシップはぼくたちの仕事だったんだろうか。何時の世も。Genuine goods アンティークをもとめての旅の始まりかも知れない。唯一の私の具体的理解者テッチャンとのね。お店の名前は、『アンティークブティックKURE』ってのはどうでしょう。生まれてきたことの意味は、この人生をひとつの芸術として生きることだったのかも知れない。後世のためにね。もうチカラをぬいていいんだと思う。悲しい目のままで自分の王国を建設すればいいさ。ドコにもはたらくところがない。だから、詩でもかいている。2005/09/27 ハンマークラービアを聴きながら

しかし、みんな勝ったつもりでいる。安住している。勝手にするがいいさ。上には上がある。ごめんだね。時代は変わったよ。少しははたらいてみたら。もう、君たちの所得は零だよ。バブルの穴は、国民の総預金高と同じだよ。祇園精舎の鐘の声。見苦しい、聞き苦しい。古くさい。矢でも鉄砲でも持ってこい?誰の言葉だろうね。いつでもいいよ。とか、風の声。私の好きだった漫画の一つに『カムイ外伝』がある。世の芸術家はインスピレーションしか知らない。出。エクスパイアレーションは誰が知っているのか。そのために、何をしているのか。昔、弁護士は三百代言だった。結果責任主義。どういう意味か。責任。何に対する責任か。ちくま教授が教えてくださった。

私は、かけ算の九九を五の段から習った。小学校2年生のことだった。先生の名は、竹花先生。やはり広島高等師範卒だった。小学校の頃、絵を一生懸命描いた。いつも入選していた。特選もあった。小学校6年だったろうか。夜の川原石港を描いた。かなりの時間をかけた。しかし、時の教頭先生が、白は色ではないということで却下した。美術専科の橋本先生だったろうか、いつまでも壇上で掲げてねばってくださった。と、後で、風の音に聞いた。しかし、それで絵を描くことは止めた。橋本先生からは、版画も習った。エッチングも習った。理論は中学時に音楽も含めて習得した。その後、その教頭先生は寒い冬の朝、校舎の階段に足の親指をぶつけてヒビが入った。家庭科の先生はひわだせんせいだった。電気洗濯機の実践授業がおもしろかった。(左足首が痛い。天気予報は乾燥注意報が出ているのに。)最近、アトムの子とかいう。それはいい。私は、もっと古い。とか思った。雑感。

情緒。本来の読みはジョウショです。

私が小林秀雄を好きでない理由。中原中也に対する裏切り。私は、ランボーが嫌いである。だから、ビヨロンの音など聴きたくはない。今度は、パンセみたいになっている。P・ヴァレリィは好きである。そのカイエ編が大好きだった。今は持っていない。ある頃、古本屋へ流した。どのようにしてどのようなチカラをマスターするか。得たものの秘伝である。そして、そのチカラの運用・運転は得たものの自由である。これが自由と言うことである。勿論、自由には責任が伴う。既に出ている結果についてもそうであるはずであるのに、まだ逃げようとしている者たちがいる。自由個人主義の定義である。

風はどこから吹いているのか。見れば感じるはずであるのに。周波数は、どこに合わせるべきか。Air!
●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺(洋流の変=ペリー来航)。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。(2005/09/27 16:47)(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK-FMでミュージックプラザを聴きながら)

世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。自分だけの地図が頼りだよ。
あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていることを、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。

ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない事を知っている」。これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。これを以て研究とは言うのですが、我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。次は孫の時代ですね。楽しみです。

表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。で、うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。みんな幸せになりましょうね。好い時代となりました。

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若者達へ託す未来


嵐は三日と続かない。しかし、この三日が長いこともある。夜明けは近いが、夜が明けないと、夜明けを実感できない。精神の嵐は、その深刻さに於いて、比類ない。それは、未知の世界での旅路である。生還する者は少ない。世間は未知なるが故に、解釈を超えている。しかし、その世界は何時か開かれなければならなかった。人類の存続の条件でもあった。物質文明が、精神文明へと移行する。それは、人類の課題としてのプログラムであったのかも知れない。新しい地平である。これが、進むべき道である。現代文明は、このままでは、限界である。中国及びインドが、資本主義的消費文明を成就するとき、環境問題から、地球がどうなるか考えてみると、およそ、温暖化傾向に拍車がかかる。南極の氷が溶ければ、水位は6m上昇すると聞いたこともある。世界の港湾都市がどうなるか。現代の若者は、お金が無くても生活を楽しむことを既に知っている。彼らは、すでに、その抗体を手にした。彼らの感性を大切にすることで、彼らは新しい時代を創るであろう。問題は、現代社会の諸リーダー達だ。淘汰は免れないのかも知れない。長い魂の遍歴である。早く気づいた方が良い。今、理念として、克服するべき問題は、お金である。いくら装ってもお里は知れる。ひよこがいくら隠れても黄色い足が見えている。権力及び武力の問題は、理念的には解決された。実践はこれからであるとしても。幸せとは何かを考えるとき、公理としての理念の発見が第一である。次は、定義。そして、定理。人間レベルが考えることができるのは、定理に過ぎないのかも知れない。ここに、畏れがある。畏れを知って始めて謙虚になれる。思い上がり、勘違いの、人間レベルである。定義を間違うとどうなるか。理の当然である。公理は自然。因って普遍・不変・不二である。これをも認めることのできないかに見える、世の諸リーダ達である。戦争開始も、時のリーダーの意思決定に過ぎない。責任はある。現代社会が喪失していたのは、知性の秩序である。諸問題は必ず解決できる。

美しい心 優しい心 強い心 (NHKラジオ深夜便 2005/11/21 4:48am 「母子地蔵に救われて:ダウン症の子と共に」より)

精神一到(一刀)何事か成らざらん。為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり。・・・本当である。イギリス議会は、 男を女にすること以外は何でもできるという。人類の夢、正しければ、見えない世界が、その実現に動く。祖先・諸精霊の夢でもあったのだから。信念が正しければ、隻手の音が聞こえる。間違っていれば、悪魔がささやく。世間は悪魔の声に支配されている。しかし、正直者の頭に神は宿る。これが事実である。これを忘れていたのである。

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