あなたは一人ではない

2010年07月15日

  • 私たちは幸せになるために生まれていました。幸せとは何だったのでしょうか。いつまでも「茶色い戦争がありました」では幸せではないですね。いくら能力があっても、みんなに認められなかったなら孤独です。自分に力があると思えば、自分の思いと現実とのギャップが不幸です。それほど力がなくても、うまくいく人がいます。どういうことだったのでしょうか。ここを仏法で、例えば『夢中問答集』に因縁とあります。そうだったのです。私たちは過去の失敗を繰り返していたのです。幸せも多様化しています。多様化とは、それぞれ皆異なるということでした。肌の色もそうです。私たちの本体は魂であり、もとはひとつです。みんなでひとつの輪となって座ればいいのです。一人は怖い。それでグループを作ります。そして上下関係ができるのです。その時、リーダーに情があれば、ずいぶんと楽しいグループとなることでしょう。ところが、現代社会はとても殺伐としています。何故でしょうか。戦後、経済を何とかしなければならなかったのです。それで子供たちを大切にすることがなかったのです。愛情が注げなかったのです。それで、自分は大切にされていないと思うのです。ここが悲しい現実です。自分が大切にされていることを感じて、自尊感情が育ちます。自分を命として扱えるようになるのです。そして他者も大切な存在だと気づきます。みんな違うのです。違う存在をそのまま認めて、みんなでひとつの輪となれば、きっと幸せです。しかし、自分さえ良ければいいという過去の思いがあります。自我の形成に失敗していたのです。これに気づけばいいですね。創造力と普遍の愛が、インド哲学において、神の二つの属性でした。往々にして、創造力は普遍の愛に対して反力として機能します。それで物質的な幸せを追求すればするほど、精神的な愛から遠ざかるのでした。ここに気づく頃です。それが人間だったのですね。それで、あまりにも嘘とバイオレンスが支配しています。正直とやさしさを取り戻していいのです。それが進化傾向でした。気づく頃となりました。私たちは、この過ちを繰り返していたのですね。さて、どうするべきなのでしょうか。正直と愛の両立です。すると、不思議な力が働きます。それが、見えない世界の受容祝福守護だったのです。その時、本当の幸せだったのです。これを実現したいですね。それまでは、孤独なのかもしれないですね。ここが悲しいですね。しかし、ここが確信に至れば、孤独ではありません。見えない世界が見守っています。これが本当のあなたは一人ではないということです。四国でお遍路さんは、弘法大師に出会うというのもそれでしょうか。You see ?

輝けば良いのです

2010年07月08日

  • 輝く人生があります。どのようにして輝くのだったのでしょうか。既に輝いています。その輝きに気づけば良いのです。そして愚痴は一切言わないことです。一切いいわけもしないことです。所詮この世は実力次第です。それを信じていれば良いのです。何時か時が来て、花と咲くことでしょう。それまでは試練ですね。花と咲けば蝶もトンボも飛んで来ます。輝けば、さわやかな風に慰められることでしょう。気づけば良いのです。そして始まるのでした。それが人生だったのです。常に遅すぎるということはありません。あなたは導かれています。祖先を信じることができますか。私たちは幸せになるために生まれています。幸せはあります。幸せになりましょうね。死んで花実は咲きません。花と咲いて輝きましょう。私たちは群れをなして生きています。はぐれるとどうなるのでしょうか。餌食となるだけでした。どの群れに属するのですか。人間です。子供たちは何を面白がっているのでしょうね。テレビ界のレベルの低いお笑いに毒されたかのようです。カラカラ浴場のように。世界は愚かさを好みません。思いやりとは何だったのでしょうか。それが人間性でした。困った人がいて、それを見て面白がっているのがいじめです。それがお笑いでした。すなわち、いじめの構造だったのです。困った人がいて、その人を一人にしてはいけない。それが人間性でした。マザーテレサの心だったのです。高度な人間性を目指さないですか。そもそも、面白いということが問題だったと思いませんか。視聴率主義が私たちを何処へ導いたのでしょうね。無関心でいいのでしょうか。私たちは生きています。人間として進化しています。輝けば良いのです。