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この世で何を求めていたのでしょうか

2010-03-07



少し体調を崩していました。原因は暴飲暴食。もう無理は出来ませんね。

そしてこれで良いんだって、思えるようになりました。何もかも。不思議ですね。このような気持ちになれるなんて。誰もが生きている。悲しい現実がある。どうしてでしょうね。何か求めるものを間違えていたのかも知れないですね。

ここまで来なければわからなかったのでしょうか。これからです。これから、やり直しです。取捨選択の頃です。主体的に。勝利はあります。いろいろな形で。彼はどのような形で勝利したのでしょうか。悔いはないといいます。道元禅師は無手にて帰朝しました。

この世で何を求めていたのでしょうか。今日は父の誕生日でした。父は昭和二年3月7日に生まれ、平成元年5月22日に没しました。名は昭亮(あきのり)。16歳で志願兵となり、カムチャッカにいたといいます。復員は網走だったでしょうか。何故か家には、新品のパラシュートがありました。最後はブルートレインを牽引していました。その人生は昭和そのものでした。

父の教育はスパルタでした。父はいいました。お前は大丈夫だ。私の子だ。私もお前と同じだった。何が同じだったのでしょうか。今頃になってわかるようになりました。それにしても戦後は何だったのでしょうか。翻弄される必要はなかった。

彼はいいます。本来日本を取り戻す。そして大切なことは、わかっているかどうかでした。あるいは見えているかどうかです。何をわかっているのでしょうか。何が見えているのでしょうか。いえばいうほどおかしくなります。いう必要はないのです。わかっている人はわかっている。見えている人は見えている。それで良いのです。これがわからなかったのでした。

何故でしょうね。そうした環境にいなかったからでしょうか。世界が違っていた。その意味ではあまりにも辛かったですね。それ故に彼はいいます。彼を裏切った方々がいる。因縁とはいわせない。黄泉は知っている。黄泉は待っていた。黄泉がゆるしはしない。どちらが真実だったのでしょうか。彼は彼で良かったのでした。それにしては懺悔が深かったのでした。

これより始まります。何が始まるのでしょうね。楽しみですね。今も昔も変わらない一つの真実が明らかとなりました。即ち廓然無聖、日月照らし風が吹く。