スパーク


2013年11月07日

  • バランスが大切である。知性と感性のバランスである。いくら知性があっても感性において野蛮であればそのギャップが不幸の原因である。その両者を育む必要がある。秀でた知性があったとするのであれば、それに見合った感性を涵養して両者が同レベルに至ったとき、スパークする段階に至る。そうして目が輝くのだった。男と女も同じだった。その時、不思議な出会いがある。人間関係は同レベルで触発する。精神力とそれに見合った集中力の開発。スパーク。


目の輝き


2013年11月07日

  • 好きなことをすればいい。楽しんですればいい。仕事も勉強も。苦学はいつまでも苦学ではない。苦学を通って楽学となる。自分が楽しんでした仕事は相手を楽しませることができる。秘密は目の輝きにある。理性が喜んだときの目の輝きと感性が喜んだときの目の輝きは違う。どちらもが喜んだときの目はどのような輝きだろうか。神の目の輝きとなるだろう。神とは理性と感性の完成体であり、それは創造力と普遍の愛だった。人間においてはそのどちらかだった。そしてこれらは反力として機能していた。それは物質と精神だった。バランスが大切である。それより精妙なハーモニーが生まれる。調和である。物質的な富と精神的な富がある。この両者の富をアウフヘーベンする時代となった。それが創造化の時代のテーマとなった。西洋と東洋の合流である。目は輝いているか。それがこの世の通行手形である。法華経においてこれを以て貿易するべしとするそれである。それが隻手の音を聞いた白隠禅師の二度目の悟りで得た目の輝きだった。一度目は許さなかった正受老人も二度目のそれは無条件に認め、祝福し、ともに喜んだ。すべて顔に書いてある。目の輝きがあれば、何をしてもいい。成功する。尤も邪悪或いは狡猾な目の輝きが目の輝きではない。


朝になると


2013年11月07日

  • ところで夜な夜な、何をしてるの。まるで靴屋さんだね。朝になると立派な靴が並んでる。紳士が靴にこだわるのは何故だろうね。職人としての精神にこだわり、選んでいたんだね。靴磨きってのもあったね。たいてい成功する人になる。何故だろうね。富豪の靴を熱心にピカピカに磨くことで富豪から目をかけられる。そして富豪の精神を知ることになるからだった。人間は一人では生きてゆけない。だれかに認められて社会で仕事ができる。それで誰かの弟子になって成功への道がある。だけどね、遙かなる孤高の精神にはそれさえ必要としないってこともあるんだ。それを独覚あるいは縁覺などと言って貶めることはできない。真実の師は見えない世界=偉大な精神だった。それを今、宇宙と呼んでいる。かつては仏だった。あるいは神だった。人間レベルでは理解できない。