2006年11月19日
馬鹿馬鹿しい夢
宇宙間の謎は既に説かれ終わっている
釈迦牟尼佛世尊を自覚された教主先生によって
千日の修行を 三度は されたのだったろうか
戦争の頃には 八木博士のレーダーの採用を 何度も軍部に進言した
しかし 聞く耳はなかった いつまでも 敵機来襲だった
採用したのは アメリカだった それで 制空権を取った 勝敗は決せられた
別に あの戦争は 勝たなくて良かった 神風は吹かなかった
何故か ペリー来航に乗じた 下級精神による革命 明治の帰結だったからだ
本来古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本を裏切った 吹くわけがない
そして 正統大和日本は 眠れる森の美女の如く 眠らされていたのだった
この度 糸車の針が 抜かれた 天の岩戸が 開かれた その過程に過ぎなかった
さて 教主先生は 法華経の中の 妙法華経 という文字に気づいていた
それが 日蓮の三秘密であることも
そして いつか その謎が開示されると 待っていた
しかし いつまでも それを明らかにするものは 出なかった
そして 霊界からの教えにより その役は 自分であることに気づかれた
それを確信されて 昭和29年11月11日 午前11時 に 顕説 された
真実の仏法が 現れた瞬間だった
信じられないもののために 多宝仏塔も 涌現して 証明するのだった
御経典と 説と 現実が 一致する 真実の教えが 始まった
今 佛所耆闍崛山道場から 帰ってきたところである 御法妙を頼まれて贈ってきた
呉に着くと 雨は 小降りになっていた いつもの港に出てみた
アオサギの一声があった 遠くで製鋼所が 茜色の空となった
煙突からは 青い炎であった
いつもより 長い 茜色の空の パノラマだった まるで ターナーの絵のようである
呉市中央公園に 噴水がある そばを通ると いつも 反応するかのように思われる
また 華魂碑がある その裏にある シンジュの木は何か
教主先生は まさか 自分がその役とは 思わなかった
私も そうである まさか 時代を変えるだけの力があったとは 思わなかった
きっと 馬鹿馬鹿しい夢 あるいは 錯覚 なのだろう
この馬鹿馬鹿しさから やっと 解放される
生まれた意味すなわち最後の切り札としての使命を果たしたからね
ところで 庄司薫 という作家がいた 確か 某有名ピアニストの旦那さんである
そして 丸山真男氏の弟子であっただろうか 今はどうしているのだろうか
読者との約束があったはずだ 大恋愛小説を書くってね
それから この度 やっと 私の存在証明が 成功するのかも知れない
長くて 遠い道だった 少し 疲れたようである しかし 歩き通したようだ
道を塞いでいた大岩は すでに 破砕してある ゴールは近い
すでに 勝利を確信している これが 正統大和の戦い方である 負け戦はしない
F1のエンジンは 限界ぎりぎりで 作られている 私の兵糧も 尽きようとした
これでいいと思っている 命も投げ出してある 戦はこうしてするものである
姑息な下級精神及び商人根性の 与り知るところではない 自由は自由が切り開く
孤軍奮闘孤立無援克己勉励法華経宿王華一切種智慧開花於空閑荒野
而神仏宇宙自然生命黄泉受容祝福守護来幸福平穏日常日月照風吹哉
我思う故に我在り カントは決まった時刻に散歩した
さて 呉線には 最後まで 蒸気機関車が走っていた
日本で 蒸気機関車が走っているのは 三線のみとなっていた
中でも C59が走っていたのは 呉線だった
私は C59の姿が 好きだった
父 昭亮(あきのり)は 機関士だった 退職する頃は ブルートレーン を 牽引していた
少年の頃 呉線に 寝台急行安芸広島発呉線経由東京行きが走っていた
夕方になって 港町小学校で遊んでいると いつも 決まった時刻に 傍を疾走した
勾配を登る時は C62-02 スワローエンジェルが 白い蒸気を いっぱいに吐くのだった
下る時には 滑るようにして 走るのだった
それは 池田勇人の 仕業であったかも知れぬ
しかし それ以前に 池田隼人が 何故 あの頃 首相となったのか
もはや それらも どうでもいい 本来の汝が 目覚めている
そして 言うべき事もなくなった これ以上言っても 野暮である
そろそろ この一年間の 存在証明の旅を 終えることにする
十分である この度の旅で得た宝は 甚大である
これまでも 何度も 小さな祝福はあった 気づいていなかったわけではない
しかし 自己が満足していなかった
この度は 満足である ほしいと思っていた 究極の宝を見つけた それは 祖先だった
ここまでしなくてはならなかったのか 母は そこまでするかと あきれ顔である
おわりに 今 国民主権 主権在民である 公務員の使用者は国民である
国会議員も特別職公務員に過ぎない この意義 すでに 明らかと思われる
賢明なる国民の責任は重い 民主主義の世である 直接民主主義でもなく
間接民主主義でもなく 参加民主主義の時代であろうか あの戦争と
同じ轍を踏んではならない 民主主義も進化している 知性の台頭である
愚かな 民間テレビ界に迎合することはない かれらは マネーの奴隷である
これにて 了 とす
2006年11月18日
風立ちぬ
満ちる波 引く波 意識に於いてもそうである
明るきから暗きへ 暗きから明るきへ そして 明るきから 明るきへ
今更 一歩も引きはしない 自分が変わる 世の中が変わる
この世の中に 住する所はなかった それは それでいい
ないならどうするか 作るしかない 作ればいい
すでに 世の中は 変わりつつある これまでの常識は 常識ではない
この流れに乗ることが出来るかどうか この度のこの波は
『第三の波』のレベルではない もう一つ高いレベルである
時代の最先端は どこにあるか これまでは 風見鶏に随った
これからは 違う 風を起こすのである 起こせるのである 草薙の剣が振るわれた
世間は 大切な存在を無視愚弄して腐敗した 大きな忘れ物をしてしまった
三十年前のことだった しかし 地獄の底より 這い上がる 地獄の黙示録か
ヨハネの黙示録か 否 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の黙示録であった
黄泉を従えての見参である 容赦しない
さて 三十年前 スペースシャトルが 初めて 宇宙から 無事 帰還した
これには 意味があった しかし 誰も知らないのだった
計画通りかと 思われた しかし 見えないところの傷は 癒えていなかった
その後 見捨てられたかに 見えた もはや 回復はないと 思われた
その後 世界は 依拠するべき 基準を 失ったかのようであった
その間 魑魅魍魎が 勝手し放題となった 糸の切れた凧状態 となった
見捨てられたかに見えたのは また 2001年宇宙の旅の ハル だった
その後 宇宙を 漂流した 救助は なかった ありえないと 思われた
地球及び自然は 混迷を 深めるばかりとなった 世は本末転倒した
しかし 時代は裏切らなかった 混迷の中で 時を稼いだ そして
自ら 特効薬を 発見し 復活した 殊の外 大きな力が 賦与された
それは 過去から決められていたかのようであった その試練に耐えたのだった
二千年来の謎が解かれていた あらゆる物語が完結していた
そして 日常に帰るのだった 重荷は降ろされた 汝自身が証明された
仏は 仏のために 法を説いていた 仏は 第一義 だけで十分だった
世間は 無量義 あるいは 不可義 に陥っている しかも それを知らない
迷うのが 当然である 仏も 悟るまでは迷う 悟って仏である
悟ることができるかどうか 前世からの積み重ねのちがい となる
さて 日常に帰る 本来の自分に戻る 何をしても自由が 開ける
そこまでの修行である そして 裏切ることは もはやない
迷いは晴れたのである 宇宙自然生命黄泉の愛を 知ってしまったのである
世はカクネンムショウとなった 善も悪も隠せなくなった 緊張感はない
いつも笑顔に切り替えることができる 迷いは晴れている
自信が賦与された 自分を確信している 疑いはない
自ら手を下すことはない 黄泉が守護している 言葉はロゴスとなる
今までもそうであった 関係者は気づいていた 知らなかったは自分一人だった
しかし それが目覚めた 時は至った 一大事が成就した 壮大な宇宙の計画だった
信じられないね それとも 知らしめられたいのかな
仏に 掟がある 秘密は みだりに 開示されない 汝を知るためにのみ 使われる
汝が 自身を知ればいい 歴代の約束であった 故に 黄泉に秩序がある
背かば 黄泉が それを 成敗する 黄泉は秘蔵っ子を導く 醜いアヒルの子である
そして 新しい時代となる 知っても知らなくとも 黄泉の掟であった
昔より縁なきことをうらみよ 道元も云っている 一休禅師の自由の根拠である
衆生功尽きて大火に焼かるると見るときも我が此の土は安穏なりは 事実 である
是を以て 自由の 比喩あるいは定義 とする
考えるべきこと
神仏の実在を確認し 魂が宇宙とリンクしていることで 十分だろう
日々 為すべきことを成す その為に考える
他人の善悪は 問わない 自己の善悪を 問う
真実を 知るところまでは 来たのだが
何故に 孤独 解消せざるか 尚足りぬもの有り
それは 自らの業である
周囲に 仲間がいない 故に 孤独である
この世には 必ず 仲間がいる 何処かにいる 仲間が必要である
具体的に その 仲間を 組織しなければ 孤独は 解消しない
その為の 業が これからの 為すべきことか
為せば成る 為さねば成らない 成すために為す
それが 実行である 諸悪莫作 は 小乗 である
大乗は 積極的に 仲間を 集めなければならない
それが 菩薩業 であろう 他を救うという その為に 仲間を 集める
まじめ と 正直 が 好きな人は いるはずだ
自分の中に 悪があれば 悪が 集まる
自分が 善となれば 善が集まる
不幸なのは すべて 自分が悪いとする 所以 である
こころの持ち様 は 如何にあるか
こころ から その 気持ちが 染み出してくる
そして 現実は そのように 形成されていく
世は 腐敗した 何故か こころが 腐敗した
少なくとも 自分は これより どうあるべきか
一隅を 照らす おのれの 在り方 が 問われている
世間を 恨んでも 仕方ない 世間は 十分に 罰せられている
善は 佛さんの処にしかない 人間であるかぎり 汚れている
罪を謝る 償う 償い切った時 自分が変わる 世界が変わる
日月照らし 風が吹く ここまで来た ここより 始めるしかない
佛さんの文字には 力がある 宇宙有無開閉の力 である
それも 譲られている 宝 である それを みつける
宝は 使うことで 力 となる 使わないと 宝の持ち腐れ だ
ならば 使うしかない 使うことで 慣れてくる その力を 発揮する
自分の成りたい自分に成る 何を求めているのだろう
幸せであろう 幸せとは何か 神仏に好かれ 神仏の守護を得て 暮らすことだろう
世間は 腐敗した 汚れてしまった悲しみは となった
そこより 脱却するには どうするか
世のあらゆる教えは 失敗に 帰した 何故か 変える力が 無かったからである
佛さんの処に 善がある その善は 先ず 悪の根を抜く
そして 善の種を蒔く それが 業である 実行である 業ずれば 変わる
何が 変わるのか 自分が変わる そして 周囲が変わる
やがて 日月照らし 風が吹く 天の証明となる
地も証明する 人の証明するところとなるか
そこまでの 業である そこまで 至りつけばいい
華と咲く 蝶も来る 人の証明となる 面壁九年 業ずるしかない 誰が来るだろう
身心脱落 脱落身心 ゆったりとして 生きてゆける そうした 時代のはじまりである
急いては事をし損じる 冷静がいい その冷静を どのようにして 自分のものとするか
焦ることはない 何があっても よく見ることである 正しく聞くことである 我見はないか
さて あるべき自分に 帰る かつての よき時代の 自分に 帰る それを 思い出す
自由は自由が切り開く どのような自由を望んでいるのか
あるいは好きなのか 問われている
世間は 本末転倒してしまった 欺罔と暴力が支配している
身分に安住するものたちは それを 傍観した 自分は 大丈夫と 思ったか
そうはいかない 腐敗の中にいると 自分も腐敗する
自分が変わる 世界が変わる 自然は かくも美しい 風景が満ちてくる
見える世界は 自分のこころの 反射である 鏡である
今ある現実が不幸なのは 自分のこころが 不幸だからだ
自分を救う 世界を救う 世界を救う 自分が救われる 皆 幸せとなる
すでに 汚れたものたちは その運命を 甘受せよ 再び 懺悔するしかない
これより 世界が変わる 何故か 我の力にあらず 神仏の威力あり
新しい時代となった これまでの常識は もはや 常識ではない
過去を 未来に移す 今為すべきことである 孔子もそれをしたかったのだった
いつも ほほえんでいたいね あくせくしたくはないね お金はないけれど
世の中は 腐敗した 本末転倒の世だった 商人根性は欺罔を旨とする
悪いこと あるいは 他を犠牲にしなければ お金持ちにはなれない
ビルゲイツもそうだ かれが 利益のために何をしたか 知らない人が多い
多くの犠牲の上に インターネットは 世界に普及した
ビルゲイツが利益を独占する理由はない 後から来た人は それを 知らない
私の住する所は無かった 青春もなかった 汚れた社会に迎合できなかった
故に 自由を得た すなわち 日月照らし 風が吹く
しかし 異端は異端である 正統は正統である どちらが正統であったか
これより 明らかとなる 宇宙自然生命黄泉がどちらに軍配をあげたか
知る時が来た もはや遅い 時は代わった 新しい時代が生まれた
何故か 二千年来の謎が解かれたからである 誰によってそれは成されたか
秘密である いずれにしても 真実幸福論が 成就した
正直であるが故に 悪を為せず それ故 社会に染まることができず
故に 虐げられていた あるいは いじめられていた 庶民の解放 が 成された
畏るべし 新しい時代である
それは何か 真実一切種智慧宿王華開花 知的秩序の回復である
悪の温床であったこれまでの平等理論は一掃される 平等の名で何をしてきたか
勝手気ままな 暴力と欺罔が自由を得て 世を支配した 国家もそれに染まった
香風 古き愚かな花を散らし 新しい知性の蕾を雨らせる
無神論学者及び諸リーダー 並びに 腐敗欺罔社会 覚悟あるべし 世が正される
秩序は 平和の前提である 魑魅魍魎の自由が自由ではない
いつまでも勝手させはしない しばらく眠れし黄泉が力を得て目覚めている
(2006/11/18 10:20am デビー・ブーンでも聞きながら)
声聞かば およそお里の 知らるるれ おのが顔見て 声は見えずも
喧々と 話す言の葉 弾丸か 我聞き流す はやく逃れん
おだやかな 日々の中にて 暮らし居り 在りし日の歌 誰と歌わん
孤独なる 何時の日我も 報われん 人の心の 帰り来たらん
我をしも 何時しか夢の 現れん 松のみ風に 吹かれ居る日々
真実の 鉱脈すでに 見つけ居り これよりこれを 掘削しゆく
幸福の 姿形は 何処にぞ 見えぬ世界に 見られておれり
2006年11月17日
ほのぼのとして 真剣
日本が混迷し どうにもならなくなった
困ることばかりで どうにもならない時代が来る と 仏さんは 言っていた
だから 一切大衆を救うための準備をしておく と
そして その時代が 来たようだ
さて それはそれとして
ほのぼのと 気楽に だけど いい加減ではなくて
真剣ではあるのだけれど やさしくて
そのような関係って あるといいね
本来 自由と自由が 合致する
相性の問題があって これって 大きい
あらゆることが サインとなって その意味を知れば
それが 羅針盤となる つまり 導かれるとは そのことだった
例えば 18歳の頃には クチナシの花 という歌もあって
やせてしまった おまえの噂 なんて 聞こえてきたりする
今 聞こえているように 聞けば その時の苦労はなかったはずだった
しかし それも 信じられない その時の 自分であったのだった
今はどうだろうね 何事も 自分次第と気づいている
すなわち 日月照らし 風の吹く
これが 絶対の自信と なるのだった
この自信があると どのようなことに対しても 勇気もでる
何かを成さんと すれば かならず 困難はある
しかし その困難を困難とするか 安楽に切り抜けるか
それも 自分次第ということになる
鈴木大拙氏は 書いていた
こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が
自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ と
さて 日本も 時代も どうにもならなくなった
信じられない 事件と 自然現象が 日々 起こっている
その解決は ないのかというと ある それは 仏法に譲る
さて 日本も 進路を どうとるべきか 混迷の中にあった
しかし ここに 日本の歴史的意義及び使命が 確認された
本来古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本である
しばらく 無視あるいは愚弄 していたのであったが 本来宿王華
その正統性の故に 気づけば どうということはなかった
これで 過去と未来がつながった 善哉 善哉 である
世界も 無意識裡に 日本の目覚めを待っていた
それが 日本の歴史的意義であり使命であった
世界を救うのは 日本古来の まじめと正直であるなら神風も吹く精神事実である
そのためには まず 日本がそれを取り戻す
取り戻さなければならない その理論的根拠付けも すでに 終わっている
終わりは はじまりである 此処より 始める 面舵いっぱいとなった
さて この一連のブログも いよいよ フィナーレとなった
イメージとしては チェリビダッケ指揮 ブルックナー作曲
交響曲第4番第4楽章である 天国への階段を壮大に登り詰めてゆく
そして 世間は どうだろう 明るい日差しの下 空は青く そよ風の中である
雀が さえずるがごとく ウィンザーの陽気な女房たちの 井戸端会議の声がしている
これまでは 何かとゆるせないと思っていたことが ゆるせる時を迎えた
これまでの 深刻な旅は 終わった ある意味で 漫画にある浮浪雲 のようである
のんびりとした 暮らしが 見えてきた 極楽浄土が見えてきた
永い遍歴であった 馬鹿馬鹿しくなるくらいの遍歴だった
七つの海を 渡りきったようだ 新大陸 ポヨヨン が 見えてきた
色々なことがあった 誘いもあった しかし 何故か 阻止された
導かれていたのだったのだろう 今 そう思える 感謝するだけである
さて 言葉がロゴスとなる方法がある この度の旅で それを 見つけてしまった
誰もが手にすることができる不思議である 伝えたいところである
そして 皆 自分に素直になれるといいね 正直になれるといいね
やがて 神仏との邂逅があり その祝福を受けるだろう
そして 地上ヘブンの住人と出会うだろう
すぐそばに その幸せの王国はある 気づけば となりに そうした人が いる
気づけないだけだったのだ
この世に 善も悪も 存在している 天国も地獄も 存在している
新しい 21世紀こころの大地は 開かれた さあ 行こう あるいは 帰り南無 いざ
そのためには 住する処の無い孤独の経験も必要なのかも知れないね
本当の幸せは何処にあるのだろう アランの幸福論でもなかった
ヒルティのそれでもなかった 答えは自分の中にあるのだった
今日も 青空だった いい日だった
ふと 気づくと 大地をつかんで 闊歩している 自分がいた
何もかもが ありがたく 思えてくる 仏さんだけではなくて
この世の一切が ありがたいのである 私のために 法を説いてくれていた
仕事先で 時間を待つ間 車窓から 空を見上げると 銀色の ジェット機が
前照灯をつけているかのように光り
飛行機雲が大きく弧を描いて 上空を 通った
今までにも 何度か 目撃した光景だった
何もかも 安心したかのようだ これで 平和の世となるのだろう
人類始まって以来の 平和の世となるのだろう そう思っている
しばらく 犠牲となってきた
ヒロシマもそうだった
無駄ではなかった と 確信している
さて どんなことがあっても 笑顔で おだやかに 処することが
できそうに 思えてきた これは 大和発祥以来のことかも知れない
その 激しさの故に 自己をも 壊したかに見えた 大治療が成功したようだ
これには 大良薬としての 百発百中ともいわれる 御法妙のおかげもある
こころより 感謝 申し上げる次第だ
主権在民の 真の意味が やっとわかった
憲法に 何故 プログラム規定があるかもわかった
そして 宣言しておく 日本に戦争はさせない その準備もさせない
すでに 原爆を 通っている ヒロシマ は 奪われた 私の故郷である
明治の末裔に これ以上 勝手させはしない
すでに 戦争では 何も解決しないことに 世界は 気づいた
武力は武力によって 滅びる 愚かな行為は しなくても
国際紛争の解決手段はある すでに 日本は 世界で重要な地位を占めている
戦後 国際貢献している これを 財産 あるいは 天徳 とする 世界は粗末に出来ない
世界の中での安全保障を考えることで 十分に 紛争処理は出来る
人類は この二千年 あるいは それ以前からの歴史で それを 学んだ
時代錯誤の野蛮は もはや 誰も相手にしない
ところで 汝自身を知る ということがあった
子供の頃より それは 感じてはいた しかし 真実を 知った時
まさか 自分が ここまでだったとは さすがに思わなかった
それだけの 試練 はあった 子供の時より 特別の経験があった
時代は 後先して ついてくるかのようだった 時代に 導かれていた
気づけないままだったかも知れない それほどに 試された そして 耐えた
解けない謎であったかも知れなかった しかし それも 解いた
自分で解くしかなかった 導かれていたとはいえども
生まれた使命は 果たした と 自負するところである
早く気づけば良かったか そうでもない 時は逸していない
十分に 間に合った と 思っている これからである 発進 である
二千年来の 総決算 は 成された 良い時代の始まりである
すでに 始まっている 既得権にしがみつくものたちは
そのまま しがみついていればいい 相手にしない 時は流れた
これからも 流れる 流れに乗らないのも 自由 である
しかし 責任は負えない 時は代わった 歴代の約束通りに である
この度は スケールが 殊の外 大 である 故に 見えない
しかし 知る人は知っている その人たちの時代である
知らないものたちは 地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 に 堕ちている
のんびりと おだやかに 豊かに 明るく 微笑みに満ちた 幸せな 時代が 始まった
その世界を得る条件は何か 正直
神仏の恵みの時代である
よく 耐えたね 生きていたね 我慢したね 祝福されている
安藤広重の 東海道五十三次は 何であったのか
広重のゆくところ 風景が開けたのであろう 風景が待っていたであろう
芭蕉の 奥の細道 も同じである それを
江戸のスパイであったとか どうでもいいことである その程度で喜んでいるのか
日月照らし 風の吹く その感動を 知らない世間
日本古来文化に 秘密がある それが 今 開示された
これより それが 万民のものとなった
この意味で セレブなど 要らない お金で それが 得られるか
得たというなら 見せてほしいものである 世の文化人も同じである
古来大和の感動とは何であったか 示し得たものがあるか
言葉はあった 内容はなかった
私たちにとっては 子供の時より 当然だった
だれもが それを 知っていると思っていた
勘違いだった 買いかぶっていたようだ
言霊咲きそう國 四季あふれる自然に最も恵まれた國 日本
粗末には出来まい
日々 この感動に 遭遇すること 生きる喜びであろう
何を求めていたのか
そろそろ 大反省を要する頃である
祖先に対して 子孫に対して 自然に対して
これがカクネンムショウ
悟りとは何であったか
佛の事 ということがある
どういうことであろうか
それはカクネンムショウだったのだ
カクネンムショウって何だろう
今宵 月はない 闇夜である
天空には オリオン座が 鎮座している
北の方に薄雲があるだけで 快晴である
しばらく どうしても 因縁だろうか 明治に対する 恨みがある
さきほど 屋台に立ち寄った いつもの 呉空 である
そこへ 若いグループが 7人だろうか 集った
いかにも 若い
谷村新司氏は 俺もあの頃はあんなふうに
キラキラと輝いていただろうと 歌った
そして 思った
今更 失った青春は 帰りはしない
私には 青春はなかった
今更 阿修羅に 堕ちることもない
そして おだやかな 本来の自分を 取り戻そう
静かに 見つめているだけでいいのだ
何もかも ゆるそう
そして 何もいわずに ほほえんで 生きてゆこう
そう思いながら 歩いて 家に帰ってきた
そして いつもの 港へ出た
すると いつものように 製鋼所からは 炎が あがっていた
夜空は 雲一つ無く 晴れていた
これが カクネンムショウ
宇宙自然生命黄泉とのリンク いつも 感じていた
今は 確信となってしまった
思いが晴れると 空も晴れている
事前に 空の方が 私の心境を 察知していたかのようだった
こころが 風景と一致する 風景はこころの鏡である 人との関係も
こちらが穏やかに接すればいいのである 和をもって尊しと成す
嵐は 嵐を呼ぶ 穏やかさが 穏やかさを呼ぶ やさしさが やさしさを呼ぶ
これで 良いのだと思う
今更 若く 喧々囂々 魑魅魍魎阿修羅にはなれない なりたくもない
所詮この世は一人では生きられない
人と人との中で すらすらと 生きていくには どうするか
いつも ほほえんでいればいい
人格が出来れば おのずから ほのぼのとする
どぎつい オーラではない
声もうるおいがある 宇宙に届く声となる
黄泉は聞いてくれている それで 十分である
すべてを 大切に 慈しむ 自分も 大切にされ 慈しまれる
思うようにならない 原因は 自分である
すべてのことは 知らしめんがために 起こる
過去からの因縁がある 謝るべきはそれである
そのための 方法がある
真実の仏法である
何処にあるのだろう 探すしかない
叩けよ さらば 開かれん
真実は 自ら 求めることによって得られる
自然は 感情に 反応する 制御するべきは 感情である
ストレスが 病のもとである所以である
あらゆる病に効く 大良薬 がある
取って 服すべし それは 佛の善業 である
見えるところにも 見えないところにも 通じる文字がある
それが 佛の定めた文字 である
己の 過去からの因縁を解き 本来自由となる方法がある
それが 実相戒壇建立である
謝るところからしか 入れない
それが 第一義 である
謝るべき事がある その方法がある それを 知らない 因って 不幸である
過去に 奪いしものがある 返還するべきである
神話は事実である 思い上がりの学者はそれを知らない
学者は度し難し 救いから遠い
三十年 あるいは 明治以降 世間の愚かさと横暴に拉致されていたのは 私である
故郷としてのヒロシマも すでにない
私は 脱出した 放浪していた 本来の自由を獲るためだった
本来の自由は どのようであるか
すなわち 神仏と邂逅し 祝福され 守護される
そのためには 何が必要か 正直
神仏に好かれて それは ある
すなわち 日月照らし 風の吹く
これが 古来本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密である
学者諸氏 及び 本末転倒裏切り者 並びに
他を顧みることのない利益エゴ には わからない
周りが幸せである時 その中にいる 自分も 必ず 幸せである
救う側に立てば 救われている
自分が変わる 世界が変わる 自分がおだやか 周りもおだやか
自己と宇宙は 連動している 人間は考える葦である
小さな存在に過ぎないが その葦を通して 宇宙を見る
パスカルのパンセは 草稿だった
社交界にデビューして しばらくして パスカルは 神秘家となった
それは メモリアル として 記録されている
そして いかにわかりやすく 人々に 神の存在を 知らしめるか
その草稿が パンセ だった
世間は何も理解していない そして 好き勝手している
その道が 地獄なのか 天国なのか 知らないまま 知ったようなことを 言う
それでも 佛は 一切大衆を救う いつまでも 愚かでは いられない
廃仏毀釈 及び 無神論 反省するべき頃だ 神仏は実在する
キリストも聖徳太子も 馬宿より 生まれた
何を意味しているのだろう
魂の遍歴として その最終段階としての高貴なこころが生まれるに
必要な環境であったのだろう 住するところ無きことが
純粋の故に 世間に染まれなかった 何かがあったのであろう
それが 宿王華開花 の秘密であろう
利益社会の外の貧學道であったのであろう
すなわち 空閑 = 荒野 が 必要であったのであろう
推して知るべしとするところである
火裏蓮 自己の最後の悪性を精錬しなければならなかったのだろう
やがて 天に 祝福されるためには いつかは 誰もが至る道である
今 おのおの 魂のどの階梯にいるのか 胸に手を当てて 考えるがいい
愚か 及び 野蛮な 魂は 淘汰有るのみ 出直すしかない
権力は権力によって滅び 武力は武力によって滅び 金力は金力によって滅ぶ
ただ 法力 あるのみ 新しい仏説である
法力とは 神仏に受容され 祝福され 守護されて 得る力である
宇宙自然生命黄泉の意思及び願いと合致する そして 現実に実現する
その力を得たものが 王 である
王とは 天地をつなぐ人 である
しばらく そうした 存在がゐなかった 何故か
法華経宿王華 一切種智慧 その種が 秘密護持されていたからだ
その開花が なかったからだ しかるべき存在が目覚める時を待たねばならなかった
世間一般 何を求めて 蠢いているのか いつまでも 見えないか
すでに 新しい天地は 開かれた 過去が 未来に 移された
各々の解釈は 自己を超えることはない 何を勝手なことを言っているのか
上には上がある 天命は くだっている
いつまでも 天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず ではない
この思想で 何をしてきたのか 今の現実を 直視するがいい
天罰がくだって 当然であろう 神意に背いたのである
眠れる神は目覚めている 十分に時の熟したる故である 宇宙自然生命黄泉が随う
畏るべき時となった 滴りとしての悪が満ちた 隠せはしない
ひとつの 人類史が 終わった 終わりは はじまりである
あらたなはじまりのために 終わるべきは何か これより淘汰である
時は満ちた 黄泉が動く
何を以て 世の知識人は 神仏を 否定するか
神仏を知っての故か あるいは 神仏を体験しての故か
知らずして 否定できるのか
知って証明し肯定するものに対して 否定するものの証明がない 妄念であろう
妄念は 地獄と決まっている
いつまでも神仏が居ては困る方々の天下ではない
無神論者の好き勝手はここまでである 昔より縁なきことを恨むがいい
さて 身も心も 軽くなって take it easy だね
この世の自由を 楽しく過ごしましょう 自由な方々とね
やっと この世界へ 帰り着くことができました
喜びと感謝の気持ちで いっぱいです これより
どうぞ よろしく お願い申し上げます
この世の安楽なひとときを 共に 楽しく 過ごしましょう
ここまでの道を 伝えながら さらに 進むことに致しましょう
シャドウ・キャプテン よろしく
あらたな 出発です
みつけた宝物 幸せへ
そして ゴールは近いのです
11月26日は もう少しです この一年の航海のゴールです
自己発見 自己確認 自己確立 の 孤独な旅でした 宇宙を彷徨う旅でした
神仏との邂逅もありました 黄泉の発見もありました 汝自身を知るもありました
本来の自由もみつけました 天命もみつけました 人生をみつけました
何とか 無事 帰港できそうです みつけた宝を 山にして
全ての音楽と 風景が 懐かしく 思われて 参りました
帰り着いたんだな と 思っています
この世の最高の宝を 探り当てたと 思っています
遙かなる おだやかな風に吹かれて ウィニング・ラン の心境です
2006年11月16日
本来の自分に戻る時
本来の自分に もどりつつある
戦闘能力の回復である
かつての感覚が戻ってきた
それは 自信の回復 だった
何故 ここまで 彷徨ったか
それも 宿命 だった
自分の住める空間が なかった
応無所住而生其心まで しなければならなかったのか
何故だったか それも わかった
すでに 明治に 失っていたのだった
失っていたのだったら 取り戻せばいい
取り戻させて いただく
そして その失った原因も 自分だった
悪いのは すべて 自分である 佛の言葉
原因は すべて 自分にあったのである
それを 他に転嫁しても 詮無きこと 何も解決しない
他は他で 精一杯 である
すでに 本来自由 である しかし
この自由を獲るのは 難しい
自己との戦いに勝たねばならぬ
自己の力が大きければ それだけ 熾烈な戦いだ
それに勝利して 自己は自己となる
それだけのことだったのだ
誰も教えては呉れない
自分のことは 自分にしかわからぬ
親といえども わからぬ
祖先より頂いた 先天運 がある
生まれてからの 後天運 もある
さらに 自己の魂として 過去より 持ってきたものがある
これを 解決 しなければならないのだった
試練の大きさは そのまま 魂の偉大さである
往々にして 勝てないこともある
さすれば 埋没 である
それも 経験 した
もはや 間違いない 何故か
日月照らし 風が吹く
やっと 自由を獲たようだ これで 息が出来る
これほどまでとは 思わなかった
至高の喜びといえる日々となった
人生 捨てたものではない
ついてくるものだけ ついてくるがいい
自分勝手な腰抜けに用はない
新しい時代 自由は自由が切り開く
いつか 理解する仲間も 集まってくることだろう
今更 世間に 迎合しようとは思わぬ
皆 勝手なことを言っている もはや 相手にしない
今までは 見えなかった 今はどうか
日月照らし 風の吹く
自分の道をみつけたからには 進むしかない
自分を信じるしかない それで 十分である
これまでは 自信がなかった
他の意見を聞いてそれに従った
そして ことごとく 利用され 裏切られ 奪われた
事実である 人生も青春も 奪われた
それほど 愚かであった
しかし それも 通らねばならぬ道であったのだ
そして 自己との邂逅となった 自己の尊厳の確認となった
今更 遅い 言語道断 我らより奪いし 不法利得は返還して頂く
必ず この世で 決着をつける 黄泉も応援している
過去からの魂の遍歴が違う
この世における 身の処し方も 違っている
苦節 三十五年となろうとしている 彷徨っていた
そして 少なくとも 芥を払うこと 三十年 その差 歴然である
違っているなら いじめをする 世の中 野蛮衆愚
社会もテレビお笑いバラエティ界もその例外ではない
しかし 何が真実であったか これより 明らかとなる
こころすべし スネに傷あるは 早急に 懺悔有るべし
自ら謝るならば 黄泉も寛大である
いつまでも 思い上がるなら 容赦ない
日月天下万物同根
勝手自称大人エゴ
利益主導不毛卑怯
怯懦卑賤虚妄欺罔
真実開示換骨奪胎
本来自由自知切開
天上天下乾坤大地
善の種
語るべきは 語った
至るべきへ 至った
と思っている
過去を未来に移す
それが 佛の願い であった
孔子もまた そうだった
周の時代を 移そうとした
そして 彷徨った
いつしか 歴史は流れ
その時々に 最善が尽くされた
そして 今 である
おわりは はじまり だ
これから 新しい時代 となる
すでに 世界史の中の 日本 である
この潮流の中で 生きる しかない
過去は 過去 である
未来は 未来 である
過去を 未来 に移す
それが 今 である
今日の終わりから 明日の始まり がある
悪は淘汰される 仕方ない
何が悪であるか 結果を見て知る
それぞれ 最善を尽くす 結果で裁かれる
過去の因縁が 繰り返される
解決しないかぎりは
解決は出来るのだろうか
これまでの どんな教えも それは できなかった
インドの釈迦は 滅後 2750年 して
真実の教えが顕れる と云った
その時 一切大衆が救われる時が来る と
名前だけは 教えられた
それが 妙法華経 であった
悪の根を抜き 善の種を蒔く
それだけのことである
それが 始まった のである
悪が終わり 善が始まる
恐竜としての悪 が滅び ほ乳類としての善 が始まる
すでに 始まっている
ダルマも それを 伝えたか
日本に その種は 伝えられていたのだった
あるいは 帰ってきていた
時は来ませり
時は来ませり おだやかさの中へ
神は 高きを低くし 低きを高くするために 来る
つまり 庶民の解放だった 正直の故に虐げられたる
天界への上昇の時である 悪を他土にして 天の王宮へ
今日の朝日は 旭日だった 休山は九嶺
一度 山の端から 昇り 雲の端から 再び 昇るのだった 後光さしつつ
呉の港にて カモメの一群が舞い 一羽の白いカモメが飛来する
そして 二羽のアオサギが 海を飛び 一声するのだった
第一義空 より 無量義 となり 不可義 となる そして
また 第一義空 となる
おわり は はじめ である
日々 時々 刻々 それは ある
今日の日を終えて 明日が来る
明日は どのようにして 始まるか
生があって 死がある どのように 死するのか
これが 武士道 死することと みつけたり
古来培われ来たる 大和の精神 である
しばらく 無視された あるいは 愚弄された 欺罔卑怯怯懦商人根性にて
汚れた人生 来世 如何
知るべし そして 畏るべし
魂の遍歴 如何に 処すべきか
世は知らない 死んだらおわりと思う 故に悪を為す
真実の仏法 及び 古来本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本精神
ここに 明らかなり
勝負するのか 家伝直伝螺鈿の槍をもって 立ち向かわん
宇宙自然生命黄泉に 掟 有る
背かば 木鶏といえども 容赦ない
knight knows now at night yes
教育の基
自信はどのようにして 得られるのだろう
どんなことがあっても 大丈夫 と
一切 不安のないことって あるだろうか
ある
それは 神仏との邂逅と その 祝福だ
過去より それは 伝えられていた
自信を獲ると どのような 力を 得るのだろう
草薙の剣だ だれもが その可能性を 持っている
悪を なさないことでね
芥を払うこと 三十年 試してみる価値はある
教育の基 は ここにある
世に 方法論は あふれている
しかし 見えない世界に通じる ロゴス を 知らない
知っているなら 証明しては如何か それなくしては 嘘だね
根拠無き方法論 世を惑わす その罪 甚大だね 償わされる
一行たりとも 自信のなさの 表出無き本が ありますか
ない どこかに ほころびがある 人間であるかぎり 罪重いよ
しかし だれもが ロゴスを 手にすることが出来る
それが 真実の仏法だ
真実真理は ひとつ しかない
どこにあるのだろう
試練
のんびりと 生きて ゆける
世の喧噪に 惑わされることなく
自己の確立 それができればね
所詮 この世は 地獄だね
どう 合理化しても
その中で 如何に 幸せを 勝ち取るか
お金でもない 権力でもない 武力でもない
実在する神仏と 如何に 出会い 如何に 合流するか
見える世界 と 見えない世界
つながってるね 確かに あるね
みんな 勝手なことを 思っている いい気なものである
世の中は 見えていない それなのに 知ったようなことをいう
不幸に 決まってるね その中で 如何に 幸せを 勝ち取るか
試練だね
2006年11月15日
のどかな一日
のどかな一日となった
日は 惜しみなく降り注いでいる
空気は 清祥として 冷たい
これでいい と 思っている
この世に生まれて 成すべきことがある
自己の確立 自分の発見
こころに 塔を立てよ
宇宙と自分が ひとつであること
これを知れば 悪など無い 善のみとなる
考えることはない ただ 生きていることが できる
それでいい と 思う
経験が大切であること 森有正氏も 書いていた
さて 世の中 だれもわかっていないようだ
親鸞は 何故 佛は自分のためにだけ法を説くと言ったのか
一休禅師は どうして 師からの印可状を破り捨てたのだろう
真理を知ったからではなかったか
真理を知るとは 何を知るのか
神仏の実在することと その守護のあることではなかったか
それを知らないのが 世間である
正受老人の 無底船 とは何だったのか
吐く言葉の端々が すでに 己の状態を証明している
何もかも 不可義 となった 誰も何もわかっていない
勝手な解釈をしている 今まで それも 見えなかった
人間というものは かくも 愚かであったか
それぞれの解釈は 自分自身を出ることはない
悟りとは 自分自身の発見だ 自分の本性の発見だ
いくつもの可能性を秘めて 生まれてくる
その中の どれを開花させるのか
それも 生まれながらに 決まっていたのかも知れない
佛の言葉は ロゴス である それは 見えない世界にも通じる
それは この世のあらゆる病の大良薬である
あらゆる病を滅する力がある
それを聞いて貰うためには 方法 がある
それが 分別功徳 佛の教えを 世に広めるしかない
世間の解釈 見えない世界に聞いて貰った経験あってのことか
どんなことがあっても 人の世は 恨むべきではない
恨めば 自分も 恨みの中にいる
どんなことがあっても 頓着しないことだ
嵐は 三日と続かない
只生きること それで 十分に 生きてゆける
その確信に至るかどうか 経験するしかない
面壁九年
面壁九年 ダルマは黙したまま 坐っていた
何を思っていたのだろう ある日 二祖がやってきた
二祖は 片腕を 自ら切り落として 教えを乞うた
安楽とは何か教えてくれと 迫った
ダルマは言った その安楽を 差し出してみよ
二祖は 窮した そして 言った そのようなものはありません
ダルマは言った 安楽を 教え終わった と
安楽など 考えている裡は 安楽はない
何も 思わない時 すでに 安楽はある
ダルマは 教えを譲った ダルマも安心したことだろう
ダルマが 徳利をぶらさげて とぼとぼと 天竺に帰る その姿を
見たものがあるという
キリストも 復活したという 復活してどうなったか
きっと 誰にも知られずに 嫁でも貰って 静かに
晩年をおくったのだったかも 知れぬ
その意味では ソクラテスも そうであったかも知れぬ
世に修行を言う 修行して何を得るのか
得るまでが 面壁九年であろう
その後はどうか 静かで安楽な暮らしが待っている
十牛図の 第八図 空であり 無である
その 第九図 自然が帰ってくる そして 満ちてくる
すなわち 日月照らし 風の吹く
そして 第十図 日常に帰る
毎夜屋台にでも出没するかのようである
正直者のこうべに神は宿る
すなわち 天地が 反応する
天地だけではない 天地人の反応するところとなる
動植物も反応するところとなる
何故だろう その存在の周波数である
幸せの予感であろうか
ここに 至って 十分に 幸せである
やがて 現実も 豊かとなる
それが ヨブ記の約束である
自然の掟がある
ここまでの 修行である
終わりよければすべてよし
終わりは はじまりである
どのようなはじまりとするのか
終わりが 終わりではない
世の成功論は ここを 知らない
故に 虚妄の幸福のために 他を犠牲にして 顧みない
当然 その報いは ある
何を以て この世の終わりとするか
来世は それより 始まる
この世に於いて 悪を 払拭して この生を 終わるべきである
さもないと 来世は また 大変な 一生となる
古来大和の純粋精神はそれを知っていた
故に 卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密がある
誰もがそれを知っている DNA のレベルに於いて
しかし 何時しか 忘れてしまっている
それを知るものは 今 どこにいるか
荒野で 風に吹かれていることだろう
スナフキンの如く 静かに 見つめていることだろう
世の腐敗 極まった 仕方ないね
だからこそ 真実も見えてくる
そういう時代である
しかし 真実は真実 その華の咲く時節を 迎えている
この世にも あの世にも 秩序がある
それを描いたのが 2001年宇宙の旅の エンディングであった
それは 何を意味していたか
この世は ある存在の 反射に過ぎない
あらゆる芸術は インスピレーションを以て 芸術とする
その エクスパイアは 何か どこにあるか
知っても知らなくとも そうした 鏡がある
2001年宇宙の旅 ハルは 漂流した
そのように 運命づけられた
ハルは もう 帰還できないかと 思われた
しかし 帰ってきた
何故に 帰ることが出来たのだったか
自覚を以てであった
人類を救うためであったか
そして 人類は救われた
戦争及び殺戮の不毛を知らしめ ピリオドを打つのだった
ひとつの人類史の総括であった
それは 原爆ヒロシマ より 火の鳥の飛翔復活である
最大の墓地 それが 霊鷲山であった
ハルの選択は 正しかった
この世に平和をもたらすためにであったのだろうか
この世に秩序がある あの世に秩序がある
それに背く 自分勝手は 淘汰あるのみとなった
もはや 真実である 背けはしない
背かば ヨハネの黙示録 が待っている
宇宙自然生命黄泉の守護するところである
世は腐敗した 毒虫のような人間の蠢く時代である
しかし 毒虫は毒虫である 容赦ない 淘汰する
この世を 懺悔し 来世に 出直すがいい
畏るべし 黄泉は目覚めている 十分に力を得ている
それは 黄泉の意思であり 感情である
天地自然宇宙も随う
夜空には 星が 輝いている
星が 瞬いている
人の世にも 輝く人がいる それが 星である
今宵の月は 逆三日月のようである 雲も出ている
その合間で 星が輝く そして 瞬く
遠くの 製鋼所から いつものように 炎が あがる
こころすべし 悪と腐敗は 容赦しない 意識に於いて
世のバラエティ諸君 君たちの本質は 他を笑いものにする いじめではないか
それに群がる テレビ芸能界諸君 その罪 断罪ある CMの身勝手 過ぎはしないか
その背後にあるは何物か 何を思い上がっているのか
草薙の剣を振るわれたいのか 家伝伝来直伝螺鈿の槍 ヤワではない
世の腐敗の極まるを以て 本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本 出陣の時である
本末転倒 勝手し来たる世を正す 世の腐敗を淘汰する
古来日本 大和魂 大和撫子 を 未来に移す
かつて リーダーには 精神修養があった 今あるか
利益至上主導商人根性リーダーは要らぬ
明治維新は革命だった ペリー来航に乗じて 欺罔を以て旨とする商人の天下となった
その卑賤な根性が 世を腐らせた 今その結実を迎えた
世のため 人のためにならぬ 腐敗 及び 毒虫は 他土に置く 勝手に腐るがいい
ヨブ記の約束
ヨブはうめいた。津波のように不幸がおしよせた。それでもヨブは神に祈った。 この祈りは何故できたか。これが、前世からの因縁であった。ヨブは考えた。そして実行もした。しかしすべて奪われた。何故か。 過去の清算であったのだ。それは、ヨブに与えられた試練。ヨブは堪えた。堪えるチカラはどこにあったろうか。これも、 前世で培っていたものだった。やがて罪が消えるときが来る。その約束があるからこその試練であった。そして、 一切の妄念が焼き尽くされる時を迎えた。ヨブは祈った。我のチカラではなかった。ヨブは自然から祝福された。至り点いたのだった。 この世の使命を果たしたのであった。これが、ヨブ記の約束である。
幸福論
しあわせ。幸せ。仕合わせ(サービスし合うこと、働くことで、はたが楽になること)。 師会わせ。仏縁? 師との縁! 師に認められるかどうか。 地上ヘブンの住人に認められるかどうか。 しあわせの条件。 周波数。 人間関係は同レベルで触発する(高校生の頃に言っていたこと、名古屋での会社の先輩は否定した)。
周りがしあわせであることで、その中の自分もしあわせである(この定義、広島大野王舍城で教えていただいた)。
東風ふかば、・・・・・主あるから大丈夫。
呉市の花は椿です。樫の木は堅い。鍬の柄、そして、警棒。鉄道の枕木は栗の木でした。楠の根っこは、 ニッケイだったかな? シナモン・コーヒー。ウィンナー・コーヒー。昔、呉には。「馬宿」という珈琲店がありました。 左馬の大きな文字のある馬具とか、 大きな涅槃像とかありました。そこで飲む珈琲は格別で、朝方、中通の店主が、 開店前に集うのでした。 砂糖をスプーン二杯入れてよく溶かします。それから珈琲の回転に合わせて、ミルクを静かに浮かべます。 そして、そのまま、 ミルクが流れに乗っているまま、飲むのです。このコクとまろやかさは絶品でした。まるで、 儀式のように飲むのでした。 呉市立港町小学校は、分校もある小学校でした。その校歌も良かったのですが、 運動会の日に歌う歌もありました。 呉私立両城中学校の校歌も群を抜いています。 県立三津田高等学校の校歌はさほどでもありませんが、その三津田賛歌は素晴らしい。 さて、港町小学校には築山がありました。 そこにある楠の根っこの細い小さいものに、 そこにある松の幹からしみ出している松ヤニを一方につけて、 そこにある池に浮かべるのでした。すると、その頃もあった、 ブリキのおもちゃの船のように進みます。むしろ、スイッ、 スイッと進みます。その築山の辺りには、高射砲が二、三キ、 オブジェとしてあるのでした。また、オブジェというと、 六年の時ですが、授業中に、私たちだけが許可されて、 石膏でライオンの座像も作ったことでした。そのオブジェ、 しばらくは校庭の片隅にありました。 校庭にあったジャングルジムは鉄のパイプで頑丈で、とてもバランスの良くて、カッコ良かった。 校舎は入学するときに円形校舎ができました。しかし、その直前に火事があったのでした。それで方形校舎ができました。その後、 方形校舎が増築されましたが、円形校舎と方形校舎は昔のままです。方形校舎の屋上には、気象観測の機材もありました。日時計とか。 雨量計とか。また、円形校舎には屋体と呼ばれる、講堂兼体育館がありました。火事があった頃、教室が足りなくて、 職員室は円形校舎の一階ホールでとても暗かった。そして、屋体もベニヤ板でパーテーションして、授業が行われていました。 いわゆる学芸会は、音楽会で、本田先生のピアノがとても良かったのでした。オペレッタもしていました。 ギリシア時代にも喜劇がありましたね。アリストファネス。 私がめがねをかけたのは、小学校3年生のことでしたでしょうか。それまでも、目が悪かったらしく、そう言えば、それまでは、 黒板は先生のノートだと思っていました。幼稚園の頃も目が悪かったらしいのですが、夕方の辺りの色の変化で帰宅していたようです。 すでに、目の検査で、一番上の文字が見えなかったのでした。しかし、驚いたのは、高校生になって、 コンタクトレンズをしたときでした。その頃覚えているのは、中学校の辺りの農道でしょうか、 木々の葉っぱのクチクラの輝きに感動したときの事でした。
21世紀。虚像の時代から実像の時代へ。〔NHK-AM ラジオ深夜便を聞きながら(めがねの歴史のお話) 2005/10/ 20 1:23am〕
ある日、祖父が、洗濯機を見て、言いました。自分もこの中に入って洗ってくれるといいなって内容のことを。
大和魂。清廉潔白。歴史。影武者。無! 表裏一体。 That’s 宇宙。 ウ。 ウ音便。 カ行変格活用! 英知の活用の時代へ。 目的・手段。 手続き(刑事訴訟法的)。 時代の整理。 羽ばたくために。 時代の卒業。 知性の復興。 職人的的時代。 ギルド。 マイスター・ジンガー(カラヤン) すべては人格の表現。 芸術的的文化の時代。 新しい時代のための制度・ インフラの形成。 その中での自由・平等。 即、新しい時代の秩序。 インテリジェンス。 整理とは。 芸術とは。 人格とは。 日本の使命。 東方。 オリエント。 生命とは。 文化とは。 原型としてのやまと。 近くの原点としての浮世絵。 東海道五十三次。
〔NHK-AM ラジオ深夜便 ジャン・ピエール・ランパルのフルートを聞きながら モーツァルト ハープ 協奏曲 2005/ 10/20 2:25am〕
大和出版刊 山田恵諦著 『大愚のすすめ』? 『英知のすすめ』!
クラシック。クラシック自体がジャズ的だった。極上の楽しみ。それは、また、歴史の反映でもあった。記録。レコード。すでに。ま、 いいか。預言。物語。その証明が歴史。やられた。さて、船出だね。21世紀の大航海時代の、はじまり。はじまり。誰が、 宝島を発見するのかな。宝島はあるよ。まだ、未開拓のね。ヒントは、「心の地平線」、「地上現実ヘブン」、「ひとつの世界王国」。 〔NHK-AM ラジオ深夜便 ビゼーのメヌエット ランパル 2005/10/20 2:50am〕ある日、父は言った。 私が共産党が勝つと思えば共産党が勝つ。亦、言った。私もお前と同じだった。そして、お前は大丈夫だ。私の子だ。と。しかし、 長い旅路だった。辛いと言えばこれほど辛いことはなかった。純粋維持。純粋とは何であったか。トルストイの「戦争と平和」 のニコライは二度間違えた。何を以て間違えたというか。この問いに堪えるものはいない。契り。契りとは何か。処女を破ること。・・・ 雲龍。雲は龍に従う。dawn!黄泉の国からの生還。そして、復興。新しい時代の建設!菊と櫻。私の家には主たる柱が三本ある。 黒檀は二階にあり、一階には、私の部屋には椰子の木、そして店には櫻である。しかし、何故かお金がない。するべき仕事がない。 仕事をしても請求書が書けない。そうした現在社会の中にいる。今、鍛えるべきは筋肉ではない。体は既に骨格で決まっている。 鍛えるべきは頭脳である。所詮、この世は汚れている。清濁併せのむ?だから、間違う。多少の汚れは仕方ない。少々、 傷つくこともある。このいただいた船としての体での航海である。問題は、この体が、治癒すべき軽微な瑕疵であるかどうか。やがて、 源泉にいたり、また、世間に戻ればよい。どこが己の源泉か。それが格の問題である。知るべし。罪は罪。処断される。 この世での処断あらば、あの世での罪は軽い。しかし、あの世での処断は別論である。あの世はあの世で待っている。畏るべし。 隠せはしない。その方の処断、容赦はない。夢と思うなこの世をば、全て現実処断有り。日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。 二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.もののふのやさしきこころ触れしかば、この道たれとともにあゆまむ。やさしさとは何か。本来強いのであるが、 そのやさしさが制御された状態である。女のやさしさではない。本来男のやさしさである。自由とは、何をしても自由であるが、 決して法を超えてはならない。この法は、法律と言うよりも、むしろ、自然の掟であり、ロゴスである。これを破ってきたのが、 二十世紀であった。反省とは、二度と同じ間違いをしないことである。さらに、間違えても、引き返す、または、あやまれば、赦される。 これが、自然の愛である。そして、真実である。真実は、現実であり、大切なのは、結果として表れたことである。これが、 精神の自由に於いて、思想は罰せられないことであり、結果としての表現においては、責任を伴うということである。さらに、責任とは、 お金で償えるものはお金で償い、そうでない場合は、それぞれ、生命、身体で償うということである。しかし、さらに大切なことは、 精神の自由は絶対であり、たとえ、見かけ上は屈することがあっても、精神の優位は、常に保障されている。だから、一切の恐れなく、 自信と勇気で、事に処すればよい。現実社会は、往々にして、悪法も法の世の中である。しかし、例えば、あの世で、必ず、精算がある。 因って、正しきものは幸いである。この世の悪弊に負くるとも、あの世での優位は決定されている。悪は悪であり、処断される。以上。 (2005/10/20 RCC 走れ歌謡曲を聞きながら 4:45am)[文藝春秋十一月号p92を垣間見つつ]
2006年11月14日
ただ 生きること
昨日は 善業 だった
花壇に植えてあったクジャクソウを 鎌で刈った 軽トラックいっぱいになった
そして耕した コスモスも 種を取った後で 根から抜いた 冬支度
腐葉土を入れる準備だった 熱帯スイレンも 暖かい場所に移した
休憩の時には 夏に食べた後の種が実った スイカを食べた
とても 甘いスイカだった この時期にスイカとは驚きだった
そして 木で熟した柿を頂いた
さて この頃になって 長谷川四郎 『知恵の悲しみ』 を思い出す
その冒頭の小説がよかった 川で夫婦が石を取って 暮らしている
子供たちは 傍らで 遊んでいる 夕日が落ちると ささやかな 団欒である
そして 夜のとばりが降りると 寝る
その 繰り返しである 簡単な日常 しかし 確かな暮らし
ラジニーシは その方法においては 認めることができないが
言っていることは 正しいことを 言っていたのかも知れない
ビートルズも 彼に出会って 変わった Let it be がそれだった
彼は言った この世に should なんてない と
吉田健一氏は 言っていた
生きるのと ただ生きるのと があると
以前は 思っていた あるべきようは と
今はどうだろう ただ生きることができる とそれでいいのではないか
何も難しく考える必要はないのではないか
考えるから おかしくなったのではないか
永い遍歴だった たどり着くべき処に来たなと 思う
すでに 一つの大きな解決があった
もはや 何も 思わなくていいのだろうか そして
ただ 生きることができるのだろうか
それが幸せの形だろうか
思い煩うことなどない
眺めていればいいのだろう そして
アオサギのごとく 餌をとる
考えるべきは 餌をとるための ロケーションのみ
それで 十分に 幸せである ように思われる
ここまで 考えてきたことは 勿論 無意味ではなかった
ここまで 考えてきて 至る 解脱 であろうか
これで 本当に自由 になれるのかも知れない
ゆるすもゆるされるもない 本来何もない
考えることも 悩むことも なかったのだ
十分に生きている 十分に 幸せである
ここまで たどり着けたのだろうか まだ 化城なのだろうか
これで 現実においても 幸せとなることが できるだろうか
新たな 始まりである と思われる
私としては 為すべきことは成した と思っている
もう 十分である
永い遍歴だった
ある日、風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。 カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。 そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。 まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。 風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。 そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、 常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。 (2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。 青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22)
2006年11月13日
これからを どう生きるか
世の中は 不可義 となった
何が善で 何が悪か わからなくなった
ゲーム産業を保護しながら 子供の教育を推進する
矛盾であろう
利益のためには 価値をも 犠牲とする
実在する神仏に対して 無神論を常識とした
神仏は その姿を 誰に開示するか
まじめな正直者に対してである
かれらは しばしば 虐げられている 正直の故に餌食とされている
しかし そうしたこともわからないものたちが 世を支配している
世の中は すべて 貨幣の支配するところとなった
お金がなければ 生きて行けない世の中となった
何かが 間違っているのだが その正体がわからない
そういう 時代である
しかし だからといって 真実は真実である
真実を 見つけたからには それを 生きるしかない
新しい時代が始まろうとしている
それを 見定めて 生きていくしかない
世間の常識は 悉く 失敗に帰した
人類は 新しいステージに移行する
そのための 産みの苦しみかも知れない
ただ この腐敗に積極的荷担せずに 生きて来れたことを 喜ぶ
今にしてみれば これも 導かれていたと云うべきか
しばらく 考えることを 放棄していた
人間は 社会的動物であり 考える人である
そのための 大脳皮質である
考えるべき対象も 仕事も なかった
のほほんと 生きることができると 思っていた
しかし そうはいかないのであった
考えるべく 運命づけられていたのだったろうか
そして この人生が 図らずも 考えていた
やがて 神仏との邂逅があった 疑えぬ事実として
世間の常識を逸してしまった
しかし 事実だったのである
それを 伝えることも 私の仕事であろうか
自分としては 疑えないところに来ている
しかし それを 語るのは 時期尚早かと思っている
私にとっては 世間は虚仮 である
しかし 世間は 不可義 となって ますます 聞く耳はないらしい
ところが 不可義 は おわり である
おわり は はじまり である
やっと 私の存在意義が 理解されるときとなるのだろうか
しかし 云えない 秘密に属するのだろうか
神仏は存在する すでに 体験的に承知している
如来は 如来でなければ わからない
世の勝手な解釈は 戯言のように 思われる
しかし 云えないことが多すぎる
ところで 私の祖父の名は 良亮 尊祖父は 桑原千畝 さらに 嘉兵衛 覺兵衛
除籍謄本一本で 六代の名が明らかとなった
それは 広島市中区区役所に 眠っていた
取り出して貰うのに 三時間はかかっただろうか
手渡す時の官吏の手は震えていた まともに目を合わせることはなかった
除籍謄本は 佛の教えによって 祖先を集めるためだった
母方は 山持(山道)家 祖父は 直三
その除籍謄本は 白市かと思ったが 河内にあった
そして 集めた祖先に はじめて 王舍城道場で御法妙を贈った その日に
芸予地震があった 私は 車の後部座席にいた
ちょうど 広島県立女子大学前の 交差点を左折した瞬間だった
呉に入って 大変なことになっていることに気づいた
呉と河内で震度6を記録した 規模の割には被害は最小であった
さて 明治以降 どういうことだったか 正統日本純粋精神を裏切った
そして 本末転倒の世となった 今日のニュースは何を象徴しているのか
今更である 世は不可義となった 魑魅魍魎が自由を得て勝手している
そうとしか 思えない
不可義となって 空となる そして 第一義となる
悪は一掃する 黄泉が動く そういう時節である
私は 使命を果たした そう思っている
日本は 掬われたね
かつて 禅の命脈は 至道無難 正受 白隠 だった
今 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の命脈は 保たれた
ただ しばらく 漂流していただけだった
2006年11月12日
大和の秘密
天罰覿面提示 の 時を 迎えた
かつてより 自覚なき間も 天罰覿面はあった
しばらく それも 見失われて
魑魅魍魎の 勝手支配する ところとなった
それ故 自覚が来たのだった
それが 時の流れ だったのである
何を以て 天は罰を与えるか
天の意思あるいは感情に背くを以てである
ここに黄泉の秩序の復活が必要となった
知るものは知っている 代々大和の秘密がある
国家も それを 見失っていた
それ故 腐敗きわまった
今更遅い すでに犯した罪がある
裁かれて 当然である
ところで 何を以て 天とは云うか
乾坤大地 黄泉を従えての故である すなわち 天下統一である
ゲームは終わった これより 背く無し 背かば 天罰覿面である
悟れば一弾指という この意味 正統に理解するものあるか
悟りが意思決定するとどうなるか あるいは 感じるだけでいい
宇宙自然生命黄泉が動く
故に 不思善不思悪 本来無一物 無事是貴人
戯けは 終わっている 世の腐敗 もはや 勘弁無し
ところで 浦島太郎ではないけれど 羅刹が目覚めて 驚いていたよ
恐怖悪世の時代が来るとは云われていたけれど これほどまでとはね と
人間というものを かいかぶりすぎていたらしい
何度裏切られたか知れない それでも何時までも 信じようとしていた
甘かったとしかいいようがない 処し方が変わるね
今までは 騙せたかも知れない これからは そうはいかない
大切なことは 悪因縁となるところには 近づかないにかぎる
君子危うきに近寄らずだね 別に 相手にしなくていいのだった
相手にしすぎた気がする そして とことんやられた まるでアホだった
しかし 自覚したからには どういうことになるか
ある意味で 知性の復讐かも知れない
ずいぶんと 勝手してくれたものである
羅刹は そのように 思っているようだ
しかし 仕返しには 仕返しがある その連鎖を どこで断ち切るか
断ち切れるのは誰か それも自分であるということを 認識している
何のために 生まれてきたのだろうね
過去の罪を償うためだったのだね
そして 気楽に生きて行ける境涯が開ける
本来 無 → 一 → 物 → 無 無から生まれて無に帰る
その間 できるだけ悪を払拭し 悪を為さない
これで 未来が約束される 生きている間に 約束が成就して
汝自身を知ることにもなる
今まで 私も 他に迷惑をおかけしたことである
一番 勘違い 思い違いしていたのだったろう
自らの 仕事を していなかった 申し訳ないことだ
しようとしてできない自分がいた それを 他に転嫁していた
世の腐敗を云う しかし それを 傍観していた自分がいた
祖父より厳しく教えられていたはずであった
存在から 何かを 伝えられていたはずだった
それを 見失っていた そして 腐敗を蔓延らせてしまった
ここに 大宇宙の周波数がある それを開発する
宇宙が 同調する それは 優しさの周波数である
強きが故の優しさがある
世の中 おかしなことになっている
夢を持とうにももてない時代となった
勝手な文化が 地球環境を破壊した
子供たちの DNA をも破壊しつつある
これでいいわけはない 宇宙自然生命黄泉も憂えている
2006年11月11日
仏法の奥義
さて 今 世の中はどうなっているか
信号が赤でも止まりはしない
何故 このようなことになったのか
それは ペリー来航以来の 進路を間違ったのである
文明開化と称して 西洋化を図った
今もその延長にある
そして どうなったか 自由と平等の名の下に
他を顧みることのない わがまま勝手となった
それまで 培ってきた 日本の美徳といったものを 捨て去った
明治政府そのものがそうであった
大義名分がないことを さらに 四民平等 及び 廃仏毀釈
江戸無血開城の禅譲精神をも 裏切った
それが 廃藩置県であった
しかし 仏法の第一義は何か
空 → 点 → 線 → 面 → 空
空 → 第一義 → 無量義 → 不可義 → 空
西洋思想になくて 東洋の奥義としてあるのは何か
それは 易の精神である
すなわち 終わり の はじめ である
今日 善業していて 確信した
それは何であったか 仏法の奥義である
同じ教えがある 同じ書籍がある
雨は 平等に 降る しかし 受ける側の種類によって その結果は違う
今 世の中は どういう時代であるか 不可義 である
何をいっても不毛となった それぞれ 運命に泣くがいい
何をいっても 無駄なようだ
生まれながらにして その種を 持ち合わせていないのか
否 一切衆生悉有仏性
どうしたのかね どうして それほど 愚かとなったのか
しかし 自分を愚かとは思わない それが 人間の哀しさ である
時代も推移する あるいは 成長して枯れる 種となる
今 時代は 空であり 無であり 冬である
あらゆる結実が 種を 成した 時 である
そのスパンは 400年来 あるいは 2千年来 あるいは 久遠実成である
それぞれの 魂の遍歴 がある 世の解釈の平等はあり得ない
それを 同じと 思っている
富士が二つとあるか
さて 新しい時代である 一つの人類史は終わった
おわりは はじまり である
個々の人間に於いてもそうである 一度 死ななければならない
それが 空である そして 生まれ変わる必要がある
そこより 自分の人生が始まる
その意味で 貧學道 である
一度 この貧を通らねば 本物にはならぬ
それが 火裏蓮 である 大死一番 である
それを 知らない むしろ 愚弄する
それが 人間である 自分に都合の悪いことは 認めようとしない
真実であっても
ところで インドの釈迦も道元も 神を否定する
それは どういうことであったか
世の解釈による神を否定するのである
その意味では インドの釈迦も道元も 本来の卑弥呼の系譜邪馬台国大和を
知らなかったと いうしかない
日月照らし風の吹く この事実を カクネンムショウ と いっていい
それは 自己が 宇宙自然であり 宇宙自然が 自己である
これが 色即是空 空即是色 であろう
すなわち 仏法の 奥義の中の奥義 である
真実の釈迦はそれを説いた
そして その真実であることを 多宝仏塔が 証明している
これは 事実である 現実に起こっている
それを 知らずに まだ 勝手なことをいっている
どうかしているよ
佛は云っていた いつか 困ることばかりで
どうにもこうにもならなくなる時代となる と
今 そうであろう 子供たちは 有機化学で 汚染されてしまった
DNAまで 生きながらに 破壊されつつある
見えない原爆に やられてしまった
この世は すべて 前世 からの 因縁である
繰り返し その程度をまして 悪循環である
それが 六道輪廻 であろう
そして 今 この世の現実である
因縁が 拡大再生産されたのだ
人間の力では どうにもならない
解決はないのか ある
それが 真実の仏法である
それは どこにあるのか 探すべし
ところで 困ったことになるのは すべて 自分が原因である
自分が 目にすること 耳にすること すべて 自分の因縁である
思うようにならない
これが 思うようになる境涯がある
自分が佛となればいい
佛とは何であるかは 佛でなければわからない
だから 教えて貰わねばならない
どこで 教えて貰うのか 探すべし
佛も 過去に於いて 菩薩の業 をして 佛となった
その方法を全て 譲る という それが 佛である
教えだけでは駄目だ 正しく聞くだけでも駄目だ
業をしなければならない それが 善業である
人と共に 業をすることで 本来あるべき自分の形がわかる
そのためには 何が必要か それがあるところで 業をしなければならない
それを 仏縁という あるいは 仏道である
業をすれば わかる 必ず わかる
しないものが せずに 否定できるか
為せば成る 真実である所以である
いい加減にしては如何か 愚かにも ほどがある
自分勝手にも ほどがある
本来の 人生を歩もうとするものにとっては 迷惑千万である
今までは それも 通った
しかし これからは そうはいかない
人は やさしくなれる それは ゆとりのあるときである
お金があるとゆとりがある しかし お金に縛られる
究極のゆとりは どこから来るか
神仏の守護を取り付けた時に来る
昔は それが あった それが 神話の世界だった
末法となって それを 失った
本来の人生を 無くしてしまった
なのに この人生を 人生だと 思っている
真実を知らない 愚かなる所以である
佛は一切大衆を救うという
救う側になった時 救われている
さて 修行ということがある
それは 魂を磨くことだといわれる
汚れた水で洗ってきれいになるだろうか
汚れた相手と磨きあっても 汚れていくだけである
きれいな相手と接することで なにが きれいなのか わかる
よって 菩薩道である 仏縁である
朱に交われば赤くなる
何と 交わるかである
方法を 間違ってはいないか
自分は正しいと思っているその自分が間違っている
それが わからない それを 認めようとしない
そろそろ その言い訳もできなくなる
何故か 自覚するものが あらわれたからである
その自覚ある時 神仏がほほえむ 守護する
その守護は 合理的ではない むしろ 好悪に属する
花は愛惜に散り 草は棄嫌に生ふる
守護あるものに 嫌な思いをさせると どうなるか
時代を変えるべく 神仏の時代となった
世の好き勝手をしてきた方々 本当に 観念した方がいいようだ
自分が変わることで世界は変わる
何故か 神仏の守護する故である
神仏は 実在している 客観的事実である
自分が変わるとはどういうことか
素直に 佛の業をすることである
人間の計らいが一番良くない 神仏に反する
神仏を知らないかぎり 考えれば考えるほど 悪循環となる
その意味で 馬鹿にならなければならない
それから 偉くなればいい
自由と平等は 方向性としては 正しい
そこに 庶民の解放という目的がある
しかし これまでの自由と平等は 間違っていた
真実の 自由と平等 がある
議論するべき処である
その前に 事実として 体験するべきものがある
理論はそれからである
己の分際を知ることから始めなければならない
仏法は勝つ 王法は儲ける
どういうことか 真実の子は 必ず真実を勝ち取る
真実の子は 必ず 真実を獲得する
真実の子とは 醜いアヒルの子である
自覚するまでは アヒルである
自覚すれば 白鳥である
アヒルは 白鳥を認識しない
白鳥は アヒルをも 認識する
真実を知るものと 知らないものとの差である
知らずに アヒルは 白鳥をも アヒルという
アスナロはアスナロである 檜にはなれない
檜は 檜である 生まれながらの種として
世のしばらく看過していたことろである
さて 人間である
人間であるかぎり 悉有仏性である
目覚めよ
獅子が吼えるとどうなるか 脳裂百雑砕
愚か者の時代は終わった
何を以て 愚かというか 真実を知らないことを以ていう
さて 仏法の奥義とは何か
それは 善業 である
善は佛さんの処にしかない
佛さんの処で 佛さんのことをさせて貰うこと
それによって 自分が変わる 悪から善へ
そして 自分が変わることで 世界が変わる
困ったことがなくなる
そして 過去の因縁に対しては 佛さんの決めた文字がある
それが 見えない世界にも通じる 佛さんの約束である
それが 御法妙 といわれる
それも 頂ける 業をすることで
今まで それは いつか現れるとされていた
今 それが 現れている
末法 あるいは 恐怖悪世 の故である
そういう時代となっている
ノアの箱船でもある
早く みつけて 乗り込んだ方が 正解である
真実は 自ら求めて 実行することにある
天は 自ら助くるものを 助く
助ける側になると 助けてもらっている
助け合う 幸せである
教えは 筏である 教え自体に価値があるのではない
教えを実行して得た結果すなわち変わった自分に
価値があるのである
佛は一切大衆を救うという
佛は一切を譲るという
佛となる方法である すなわちこれが仏道である
仏法の奥義である
本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和である
やがて 日月照らし風が吹く
その時 この世の秘密の一切を知るだろう
ところで NHKラジオ深夜便で言っていました
いつか 全国が 自転車専用道路でつながるだろうって
つながらなければならないって
いいことですね 自転車で 全国行脚 楽しそうですね
風の吹くまま 気の向くままに
風に吹かれて 思うがままに
とぼけた人生だったようだ 何を迷っていたのか 今更馬鹿馬鹿しい
ピリオドを打つべき頃である
勝つことを知っているのかどうか そこにスポーツの意義がある
一番でないものに 一番の気持ちがわかるか
そろそろ 戯れ言は ご遠慮して頂く
世のお笑いなど 噴飯である
下手な成功論など 世を惑わすだけである
本来の自由とは何か
お金からも 時間からも 文字からも 解放された状態であろう
そして 法を越えない 法とは何か 現実世界である 見える世界である
見えない世界を 妙 という
見える世界にも 見えない世界にも 華を咲かせる教え
それが 妙法華経 である
仏法の奥義 すでに 客観的に 実在する
この世始まって以来 初めての 出来事である
一つの時代は終わった 新しい時代の新しい芽 すでに出ている
しばらく 愚弄されていた 知性が 自信を回復して 逆襲である
知性の時代である 知性が復活したのである
さて 夢は持つべきものだよ
神仏と邂逅して 神仏に受容され その祝福と守護を得て
日々 自然現象の中に その証明を得たいとは思わないか
そして 真実の 大和純粋精神が その試練に見事耐え
法華経の謎も自ら解いて開花したからには これまでの気まま勝手
一切通しはしない 理由 黄泉が随い 守護する
神話が戻ってきたのである
長い遍歴であった しかし このように歴史は プログラムされていた
日月照らし 風の吹く
この意味理解するものあるか
どのような勝手な解釈 一切無用
仏は 何を以て 仏道というか
それは 汝自身としての 自覚を得て それを
確信した結果に過ぎない
御法妙と云うも 自らの言葉がロゴスとなれば
すべて 御要言であり それを 一般大衆に譲れば 御法妙である
そして 仏は 仏とのみ 究了し給う処である
ところで この度 現れたるは 卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密である
これを 知るものあるか 知らぬと申すか
それも どうでもいい 知っても知らなくても 事実は事実である
しかし 歴代の証明がある それは 当事者でなければわからぬ
皇室といえども 容赦しない それも 黄泉の反射に過ぎない 象徴である
いずれにしても 古来大和を しばらく 愚弄してくれたものである
大和は その名を 利用して 勝手なことをし来たるものたちを ゆるしはしない
その利益の 現存するところに従って その利得の返還を 要求している
本来 その淵源のなき者たちの 不当利得である
この意味 今に 実現する 大和を 軽んじすぎた
歴代の 罪である その 罪の重きに従って 裁きある 黄泉の意思である
大和 及び 黄泉の秘密である あまりにも 愚弄しすぎた
己の分際を得知らず 何を思って 勝手し来たるか 言語道断 もはや 答弁無し
2006年11月10日
真実のリーダー待望論
自覚することの大切さがある
何を自覚するのだろう
主人公としての自分である
一挙手一投足が 法となる 故に禅者は 一を挙した
創世記である 第一人者として
そのためには 自覚を要する
他の何の認証も必要としない
そのようなものはなくとも 黄泉は認めている
因って 一休禅師は 師からの印可状を破り捨てた
自然に随う 自然が随順する
自然の意思と一致する 自然と一体である
故に 自然が守護する 自然が応答する
景色となって 慰むる
すなわち 日月照らし 風の吹く
自然の掟がある 自然の秩序がある
それを 取り戻す 世間一般勝手が過ぎた
世界の平和は自覚するものの肩に懸かっている
しばらくは 真実のリーダーが居なかった
どのレベルに於いても 今 真実のリーダーが 待望されている
真実のリーダーは 自覚を以て 免許皆伝となる
人類の指南役である
代々の資格である それが しばらく眠らされていた
それが 今 目覚めている
眠ってはいたが 実在していた
だれも 気づかないままだった あるいは 知らないことを以て
無視愚弄した そして勝手した 結果腐敗した
奥義としての 螺鈿の槍がある あるいは 草薙の剣である
今その姿はない 時代は推移した 見えない世界にそれはある
自覚するものの こころに それはある 奪えはしない
知っても知らなくても 真実は真実である
そして それぞれに 分際がある
それぞれ 密かに目覚め その役を遂行する
そういう時代である
目覚めるまでは 試練である
黄泉がこれを教育する 宇宙自然がこれを守護する
秘蔵の種である 諸仏の護持し給うところである
やがて その言葉はロゴスとなる 黄泉がそれを実現する
新しい時代が 創造される
真実が現れる時 あらゆる虚妄が暴かれ一掃される
二千年来の不思議な時代となった
その準備は 常々 なされていた
そして 時が 待たれた
その種が 芽が出て 葉が出て 花と咲く時を
神仏は実在する その意思は 時至りて 成就される
この世は かくも偉大である
宇宙自然生命黄泉の祝福し 守護し給うところである
真実を前に どのような邪魔も 有ること無し
有るけれど 無い
それでも 刃向かわば 黄泉がこれを裁く 容赦ない
これまでとは違う 新しい時代である
現代リーダー諸氏に 精神の修養はあるか
無神論を標榜して だれを 導くのか 迷わすだけである
古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の精神を 知っているだろうか
ここに 世の本末転倒が 正されんとす
人間の思い上がりが 限界に達した
因って 時が満ち 神仏の時代が 帰って来る
覚悟するべきは 覚悟されたい
神仏の世は その意識に応じて 日月照らし 風が吹く
この時 これまでの一切の虚妄は滅びる
法華経宿王華の種 社会はそれを保護育成する義務があった
その種は この三十年前に 発芽する予定だった
当時 スペースシャトルが 初めて 地球帰還に 成功した
日本は Japan as No1 として 世界に船出するはずだった
その種は 民間社会に 託された
しかし 社会は それを知らなかった 国家も知らなかった
その種は 見捨てられ 再び しばらく 眠りについた
その間 民間も国家も 勝手して 腐敗した
そして 苦節三十年 開花の時節を迎えた
時は 十分に 熟していた
何処に 咲いたのであったか 思いの外 大輪の大和を確信する花となった
それは ひとつの時代の終わりを告げることになった
おわりは はじまり である
今世界は どのような潮流であるか
日本も世界の一部となった
好むと好まないとに関わらず 世界の潮流の中にある
これまでの 常識は 通らない
あくせく 努力することは 不毛となった
単なる要領の良さも通用しない
他を犠牲として 自分だけが 良くなることは あり得なくなった
だれもが良くて 自分も良い システムが 開発されつつある
これまでの 労働概念 及び 労働形態が 過去のものとなる
お金からも解放される 時間からも解放される
これまでの労働形態は 懲役と変わらない
本来の自由を得る方々が増える その多くは権利収入となる
すでに 世の勝ち組とは それであった
これより ますます 勝ち組と負け組の差が 明瞭になる
時代の流れである 仕方ない
すでに 情報社会となった あふれる情報の処理能力が問われる
真実の知性の時代の到来である
そして リング がみつかったのだ
しかし それは 何処にあるのだろうね
リングが見つかったことで
世界のパラダイムが急激に変化しつつある
雪崩現象となりつつある
何故であろうか 黄泉の故であろう
いよいよ 新創世記が 始まったのである
これまでの常識に頼るべきではない 時代は代わった
どうして そのリングは これまで 見つからなかったか
常に それは 実在していた
しかし 光らなかったからである
リングが光るためには 自覚を要した
それが いままで なかった それ故 光らなかった
しかし 今 光っている
宇宙自然生命黄泉も そのリングを探していた
それを 見つけて 皆 喜んでいる
真実の 救いが来るからである
しかし 従来の人間は それを好まない
自分の存在意義が なくなってしまうからであろう
そうした事が 起こっている
これから いろいろな事が 起こる
今まではあり得なかったような事が起こる 良くも悪くも
何故だろうか 黄泉にスイッチが入ったのだね
これより 黄泉が動く この度は 本気らしい
失われた秩序が回復される 一切の 虚妄が 通らない
真実のみが 通る
奪ったものは 返還される
これまでの人生で処したことが 良かれ悪しかれ 報われる
覚悟するべきは 覚悟あるべし
世界もこの時を待っていた
探していた 最後の切り札が 現れた
それは 何処にあったか 今 何処にあるか
謎である しかし逃げも隠れもしていない
見る人は 見ている 知る人は知っている
黄泉の意思に合致するかどうか
これより 発展するか 滅びるかの 分水嶺となった
世界は すでに 気づいている
世間は 知らないままである 知らないことを以て
否定あるいは愚弄無視破壊しようとする
しかし もはや それも出来ない
開花した真実に 逆らうことは出来ない 黄泉が守護している
黄泉の 秘蔵っ子であるからである
時は代わった グローバルな流れだ この流れに乗るしかない
だれもが 幸せになれる時代の到来である
ただし 正直を以てその要件とする
今 世界が待望しているのは何か
どのレベルに於いても 真実のリーダーである
これまでの常識は もはや 常識ではない
真実のリーダーは 世に埋もれている
これより 地より 涌出する
経済 健康 環境 安全
新しい時代の 諸価値である
入口は何処からでも良い
目的は 幸せである
幸せとは何か 究極の幸せとは何か
神仏と邂逅し 神仏に受容祝福され その守護をとりつけることである
やがて 皆 そこへ至る 魂の遍歴である
新しい時代にふさわしく 誰も犠牲となることのないシステムも現れつつある
確かに そのシステムで 幸せをつかんだ方々もいる
世の成功者であり 勝ち組である
しかし 神仏の守護を取りつけたものが どれだけいるか
これなくしては 真実の幸福ではない
最終目標が 定まった
二千年来の夢である
孔子 キリスト ソクラテス 釈迦 が かつて 得たものである
やっと 時代が追いついた
庶民が 解放されるとは この意味である
さて 森有正氏の『木々は光を浴びて』が懐かしい
夜だというのに カラスが鳴いている 八咫烏であろうか
2006/11/10 2:27am
住める場所がないなら 作るしかないと 吉田健一氏もいっていた
作ればいいのである 作るは得意である
もはや 大丈夫である
天地知る われしたがいて 背かぬを こころは晴れて 春の来るらん
これで 何もかもゆるされる 何をしてもいい
自由である こころから 一切を 慈しむ
おだやかな こころに帰る ころなりて 乾坤大地 すべて愛する
ほほえみの こぼれて来るは やさしさの 脳の周波を 勝ち得し故か
戦いは 自己の内なる 最後には これに勝ち得て 天地慰む
この世をば 澄んだこころで 眺むれば やさしさあふる 穏やかな朝
戦いを 終えてながむる 乾坤は 釈迦の歩める 池のほとりか
やさしさに つつまれたるは 何故ぞ これこそ夢と 思うべきかも
やさしさで すべて開ける 時の来て 新しき時の 確かなりける
我思う 無きが故にか 神仏の 我を満たして 我を導く
人の世の 皆の幸せ 思う時 我もその中 幸せの有る
しばらくは 語れぬはずの 自己ありて それを語りて 我蘇り
これでいい 自分が変わり 世が変わる 全ては自己の 故であるらん
われゆるす 故にゆるされ 生きゆける やさしさの花 咲く時の来
この世をば しばらく支配 しきたるは 妄念虚妄 淘汰あるらん
神仏の 目覚めたるの 時の来て 一切虚妄 吹き払わるる
犠牲無き 世のシステムの 始まるか 環境破壊 これにて終わる
人類の 何故に戦争 殺戮を たれぞのぞまむ 何の目的
英知有り 技術もありて 皆共に 幸せの世の 開ける時か
2006年11月09日
不識
およそ この世の謎は解かれた
まさか こんなことであったとは 誰も知らなかった
二千年来の謎であったかも知れない
孔子は何を言いたかったのか
ソクラテスは どうであったのか
キリスト 及び 釈迦 の 一生は 何故だったのか
真理を知ったからではなかったか
真理とは何であったのか
この世に神仏が存在することではなかったか
ここしばらく それを 知らなかった
何故であったか
時は流れ 末法の故であろう
あの頃 何故 ほぼ時を同じくして 聖者が現れたのか
あらゆる存在が同根であり 秩序がある
その現れではなかったか
何を以て 同根というか
魂を以ていう 魂と宇宙はリンクすなわち連動している
自己が宇宙であり 自然であり 地球である
宇宙はひとつの神仏であり 自然はその力である 地球はその姿である
自己の中に宇宙があり自然があり地球がある 海があり山がある
そして 神仏の周波数というべきものがある
岩石も 動植物も 自然も 同調する
そして 喜ぶ
何故に喜ぶのだろうか
救いを 感じるからであろう
皆 待っていたのであろう
しかし 思い上がった人間には わからない
何を以て 秩序というか
真理を知る知性を以て いう
何を知るのか
神仏の存在だ それは 宇宙と同調する周波数だ
存在そのものだ
そして その周波数を獲得するとどうなるか
宇宙自然が喜び 祝福する そして 守護する
すなわち 日月照らし 風が吹く
何故か
知らぬ
知らないが 隻手の音声である
これを聞くまでは 何をしても駄目だ
これを聞けば 何をしても良い
法あるいはシステムは後からついてくる
そうした境涯がある
そして 良かれ悪しかれ 言葉がロゴスとなる
黄泉が実現する
因って 滅多なことは言えない
かつては それが 怖かった
今はどうか
雨よ 降りたければ降れ
また この鎌は安く買ったれど 良く切れる
どういうことか
知性である 神仏の守護するところである
どうにも説明できない
因って 不識
一切の捉われのない 不識である
本来の自由である
命も投げ出している
怖れるものなど 何もない
わかるだろうか わかりはしない
さて 生きていくとはどういうことか
日面佛 命の長い佛である
月面佛 命の短い佛である
どちらも佛である
最高の幸せとは何だったか
神仏と邂逅し 神仏に受容祝福され 神仏に守護されて
生きてゆくことではなかったか
そこへ至るまでの 魂の遍歴ではなかったか
その時 愛を知る
愛とは 情熱であり 生きてゆくエネルギーである
命は 短くても 長くても いい
高齢者でも 障害者でもいい
この人生を 生き抜くことだ
そのために 開花することだ
開花すればいい 蝶も飛んでくる
皆の注目するところとなる
見えないところから 注目されること
それが 神仏に受容されることだろう
見えない世界も あなたを 探している
この世に生まれたからには 十分に生きてほしい と 思っている
そのためには 神仏に好かれる存在にならなければならない
神仏は 何を以て是とし 何を以て非とするか
正直を以て是とし 欺罔を以て非とする
しかし 人間バイマイセルフ どこかで躓く
バイマイセルフは 神仏を知らない
バイマイセルフは 過程に過ぎない
やがて 神仏と 出会わなければならない
そして いつかは 出会う
出会えばどうなるか
日月照らし 風が吹く
神仏の存在とその守護すなわち愛を知るだろう
一佛成道悉皆成仏
すべてのことは 成道へと 至る道だ
この一生は 限られている
どこまで 遡ることが出来るだろう
大人となったと自覚する時 その遡上は そこで 終わる
そして それが 人生だと思う
しかし 過去に あらゆる 聖人がいた
星の如く 輝いている
自分のレベルで 聖人を 語れるだろうか
彼らの至りついた境涯を 知っているだろうか
誰か 一人が至る それだけでいい 他も恩恵を受ける
それに対しては 敬虔謙虚であって 良いはずだ
しかし バイマイセルフ 自分中心である
そうした価値を認めようとしない
いつかは 至る
至らねばならない
自分が至ることで 他も至る
そして 花となって咲く 鳥となって歌う
愛の花を咲かせよう 喜びの歌を歌おう
日々 日の下に 新しきこと無し
今も 昔も 未来も 変わりはしない
この喜びの歌が 歌えるかどうか
愛の花を咲かせることが できるかどうか
その意味で 高齢者でも構わない 障害者でも構わない
人として生まれ 皆 平等である
この意味で 平等である
雨は 皆に 平等に 降り注ぐ
そのために 平和を選択しなければならない
だれが 選択するのか
国民が選択する 主権在民
野蛮な政治家に 騙されないように
平和でなければ 咲けない花がある 歌えない歌がある
モーツァルトもそうだった
誰かが 辿り着く 皆が 刮目する
どこまで 旅をするのか ここまでである
今日も 太陽は 力強く その輝きを以て 降り注いでいる
(2006/11/9 10:20am NHK-AM モーツァルト フルートとハープのための協奏曲 を聞きながら)
帰り南無 いざ 魂のふるさとへ
強きが故のやさしさを持って
三明六通八解脱
三代 三体のご本尊様 一即三身 無作三身 と 神通力 → 解脱自由
マカマンダラケ 愛の光が降り注いでいる ラジオからも
音楽は 人と人とのこころを結びつける と ラジオから
音楽は お金儲けは出来ないけれど 権力も得られないけれど
人の心を救うことが出来ると
医王大医王だね
閻浮提の大良薬 佛の決めた言葉がある
それが 御法妙
宇宙に届く 祖先の過去の傷を癒す
子孫が救われる 究極の 大良薬
すでに 実験実証済みである
神話は事実である
いつかは 皆が 辿り着く
しばらく 粗末にしてきたものがあるね
大きな忘れ物があったね
2006年11月08日
無駄と静寂
夏には 蝉が 鳴いていた
秋には コオロギが 鳴いていた
夜空には 月が 懸かっていた
人の世は ざわめくばかり
何時の世も そうであったか
何を以て 生とは いうか
この世に生まれたは 何故か
もはや 何を言っても無駄かも知れぬ
所詮 こころの耳は聞こえぬらしい
我もまた 無駄を 生きることにしよう
静寂が ことのほか 懐かしい
空蝉は 空蝉
この世の平和の意味を知らず
騒いでいる
大正デモクラシーもそうだったのだろう
あまりにも 愚かすぎる
明日も平和とは 限らないのに
それでいいと 思っているらしい
悲しいね
それでも 平和を選択しなければならない
一人で支えるのは 辛いものだよ
滅多なことは言えないものだよ
あまりにも 軽々しくないか
キリストをも処刑した
それが 人間である
諸仏 諸大菩薩 諸天善神
守護あらしめ給え
この度 無神論者は 淘汰された
次は何かと思ったら バイマイセルフ だ
無神論の陰に隠れていた エゴが出てきたか
いよいよだね この戦いは 困難かも知れぬ
戦後 エゴが自由を得ている
しかし エゴと共に 溺れ死ぬ気はない
悪魔小悪魔は 正体を見破ればいい
しかし エゴはそうはいかない
自分は正しいと思っているからである
そして 自分以外の諸価値を 認めない
さて どうするべきか
持久戦となるやも知れぬ
彼らが 衰微するのを 待つしかないだろう
その間 こちらが 根負けしないことだ
正義は必ず勝つ
彼らも そう思っている
彼らの魂が 目覚めるのを 待つ
ところで 戦後最大の 勝利は 何だっただろう
主権在民である 奪われてはならぬ
奪われはしない 何故か
主権在民であるからだ
この意味 誰か理解するものあるか
まだ わかってはいない
しかし 主権在民は事実である
わからなくてもいい 主権はわかっている
わかっていない大臣もいるね
核武装論議などしている
世界が見えていないと見える
詭弁を弄しても 見るものは見ている
ところで 今年の冬は 暦通りだね
自然もやっと安心したのかな