誰もが幸せになって良い

2011年10月12日


  • 誰もが幸せになって良い。私たちは幸せになるために生れている。幸せとは何だったのだろうか。自由と平等だった。愛に満たされて日々喜びの中で暮らしてゆけることだった。ところが今、世相はどういうことになっているのだろうか。疑心暗鬼で殺伐とした社会となってしまった。どうしてそのようなことになったのかはもう良い。大切なことは誰もが幸せになることである。そのための要件は何だったのだろうか。明らかとなっている。しかし何かが邪魔をしている。何が邪魔をしているのだろうね。既得権に固執する愚かさだろうか。本当の幸せとは何だったのか。真実とは何だったのか。神仏の実在とその受容祝福守護だった。愚かでは見えない。聞こえない。そしてわからないことを以って否定する。あるいは貶める。神仏にも好みがある。道元曰く。「花は哀惜に散り、草は棄嫌に生ふる。昔より法の潤いなきことを恨みよ」。いつか必ず誰もが至る。どこへ至るのだったか。ギャーティである。それを彼岸と言っていい。あるいは解脱である。それまではわからない。むしろ都合が悪い。そしてますます時代は悪くなっている。取り戻すべきは何か。精神である。心である。そして聖人賢者と同じ月を見る。誰もが幸せになって良い。愚かでは至れない。どの程度の知性であるか。汝自身を知れ。そして謙虚になろう。あらゆる地位及び名誉が価値を失った。何故だろうね。真実を知らずに何をしても無駄である。白隠禅師曰く。「隻手の音を聞けば何をしても良い。聞かない裡は何をしても駄目だ」。知性だった。