法華経安楽行品

【2008/11/15】

法華経に安楽の心について書いてあった。「もしは口に宣説し、もしは経を読まん時、楽(ねが)って人及び経典の咎を説かざれ。また諸余の法師を軽慢せざれ。他人の好悪長短を説かざれ。声聞の人に於いてまた名を称してその過悪を説かざれ。また名を称してその美(よ)きを讃歎せざれ。また怨嫌の心を生ぜざれ。善くかくの如き安楽の心を修するが故に、諸々の聴くことあらん者その意(こころ)逆らわじ」と。法華経の目的は、「如来の滅後に末法の世の中に於いてこの経を説かんと欲せば安楽行に住するべし」という事だった。それは四法に安住すべしという事だった。そして縷々と説いてある。そして「我が所説の中に於いて、法華最も第一なり。すでに説き、今説き、まさに説かん。しかもその中に於いて此の法華経、最もこれ、難信難解なり」とする。何故だろうね。それは一切法空を説くからで、これがわからない。これがわかれば、法華経宿王華一切種智慧を知るという。やはり行じない事には解らぬものらしい。行ずるに、何を行ずるのか。如是我聞、歓喜奉行。「是の人、歓喜して法を説く。阿辱多羅三藐三菩提を究竟することを得たるが故なり」。「讃佛こそ無量無上の功徳あり」。「法華経の蔵、深固幽遠。能く人の至るなし」。せっかく人間に生まれてきた。そして何をするべきだったのか。供養だった。今からでも遅くない。しかし供養にも権実がある。本当の供養とはどうする事だったのか。これも既に世に出ている。探すしかない。真実の供養は本当に受け取って貰える。見える方見えない方両方に喜んで貰える。それが真実の仏法だった。それは何処にあるのだろうね。既に見つけた方々もいる。「如来世雄、常に(世間に)います」。「業障の故に見る事能わず」。それは無いと思う。知らない。わからない。探さない。しかしそれはある。太陽があるように。そして何時も導いてくださっている。サインがある。それに気づけるかどうか。気づけば極楽。気づかねば地獄。地獄より脱する。この世でそれは出来る。あの世で出来ても意味はない。さて、この世に生まれてどう生きるのだったのか。浮かれた世間にもの申す。かつて本来日本は知っていた。

故知一切法空

【2008/11/15】

色々な人がいて、色々な考え方があって、それで良いと思われる。様々な経験も生かすためにある。困苦を通って、勝妙な楽というものがある事を知ったなら、道標とするがいい。それぞれの事である。それで良い。すべてをゆるす。自分もゆるされる。それしかない。素直な人があれば、ために説こう。あえて聞かぬ人には、聞かれれば説く。稀求しない。求める人はきっといる。この世に生まれた意味が必ずある。それを生かすことだ。焦る事はない。救いはある。それを知っただけで、この世に生まれた意味は十分である。幸せとは何だったのか。それを知って、淡々と生きる。思い煩う事は何もない。本来無一物。一切法空。是を得て、人生は楽しい。是を楽しむ時が来る。五官で大地を闊歩せよ。或いは天空を舞う。この世は私たちのためにある。楽しもうではないか。大自然の中で生かされて生きている。大自然を大切にしようね。きっと大自然が護ってくれるよ。サインはある。明確な意識を開発せよ。天は知る。故に太陽も輝く。故知一切法空。

しかし長かった。何が?遍歴だ。特殊潜航だった。何をしていたの?探していた。何を?何かだ。見つかった?見つかったようだ。どれくらい彷徨ったの。三十有余年。長かったね。長かった。色々な事があったね。すべて意味を持ったよ。私にしかできない仕事があった。それは仕事だったんだ。務めは果たした。その為に生まれていた。本当にそう思う。私がしなければならなかった。それは果たした。戦後の本当の解決だった。代々の務めとして。困難だったよ。しかし、もう大丈夫だ。黄泉もゆるしてくれた。天も認めている。そうした仕事がある。誰も知らない。知らずに勝手した。裏切った。愚弄した。粗末にした。報いはあるよ。良くも悪くもね。何時か知る時が来る。それは近い。やっと自由を得た。求めていたのはそれだった。成就したようだ。衆愚から日本を救ったよ。