コミュニケーション

2009.08.14

  • カウンセリングは相手の話を聞くことに徹する。それについて一切論評しない。ひたすらに聞く。何故だろうね。相手は何故苦しんでいるのだろうね。過去からの記憶からのがれることができない。どうしてもそれを抱えている。いつまでも同じ悲しみの中にいる。それが繰り返しやってくる。それよりのがれたい。どのようにしてのがれることが出来るのだろう。それがわからない。そして話し始める。幸せなど自分にはないと思う。あるのにないと思う。相手の話を聞いてあげる。聞いてあげるだけでは解決しない。どうするのだろうね。その話を自分の中に取り入れる。受容する。認めてあげる。その話も掬われたい。掬われない限り、消えない。どうすればその話を掬うことが出来るのだろう。それは悲しいお話である。その悲しみを喜びに変えることが出来るだろうか。出来れば消える。成仏する。どうするのか。その話を体内に取り入れる。瞬時にその話が体内を駆けめぐる。善のエネルギーに変じる。そのためには何が必要なのだろうね。自分がそうした関数の箱となる。それが相手の話を聞いてあげることだった。聞くだけでいい。相手が楽になる。それからコミュニケーションが始まる。笑顔当然の世界が来る。乗り越えようね。悲しみを。そしてこれが感じることだった。感性だった。あるいは情緒だった。そして此処に至るためにはこうしたことを知ることを要する。知性である。知性を通って感性に至り、観じていくコミュニケーションが成立する。故に知性を欠いた感性は相手の魂が承知しない。これまでのお笑いが不愉快である理由である。微妙な問題がある。要は相手が納得するかどうか。往々にして野蛮が先にまかり通る。いつまでも通らない。