古来大和日本武士道発進!

  • 【2008/05/29】全ては自分次第だった。如来の誓願は困苦代受だった。仏の願いは過去を未来に移すことだった。それは過去をトレースし、過去の悪を反省して、未来へ清浄となった魂をつなぐことだった。この観点から、この世でどう生きるべきか明らかとなる。それは過去の過ちを知り、それを懺悔して、己の悪を払拭することを意味する。真実の懺悔業となる。所詮人間である限り、間違いを犯す。間違いを間違いと知って、敢えてそれを行えば、それは故意である。常に引き返すべき黄金の橋が架かっている。引き戻せばいい。それを引き戻す選択をしないで、敢えて悪を実行することで、違法性の意識となる。それは犯罪であり、罰すべきものとなる。しかし往々にして悪の傾向を賛美する方々がいる。愚かさの名に於いて、それが人間だとする。或いは憧れる。日本ではそれが野放しにされている。テレビの現実もその傾向がある。それが人生だなどと吹聴する方々もいる。これにどう立ち向かうか。その意味で怠惰だった良識がある。そしてこの世に何が跋扈したか。ところが、最近になって新たな観点が浮上した。環境ホルモンもそうである。これまで存在しなかった新たな症状が発症した。難病奇病も、多動性も性同一障害も引きこもりも鬱もそれが原因ではないかという指摘がある。合理的な証拠はまだないとしてもこうした研究もあり、傾聴に値する。しかし明らかな腐敗を前に人間として反省する頃となった。理想を現実化するのもひとつの人生である。人は人であり、自分は自分である。自分の問題は自分で解決するしかない。自分のことは自分でなければ解らない。この世でどう生きるべきか。この世で為すべきは何だったのか。過去の悪を生きるこの世における自分自身に対する懺悔だった。だからといって卑屈になるのではない。消極的になるのでもない。人生大肯定で良い。その為の懺悔である。謝ることでゆるしてもらえる。心の罪は特にそうである。心に思ったことは現実化する。潜在意識に落とし込まれたことは必ず実現する。この世はそのように出来ている。であるなら、何を思うべきか。何を反省するのだったか。自分自身だった。冷静でなければならない理由がある。情報収集した事実に対して状況判断を誤るからである。自分が変わることで世界が変わる。どのレベルのことであるか。それぞれのことである。自分を高めていく。生命体としての進化傾向がある。それは向上心だった。それが無い時、甘えという。腐敗堕落が人生ではない。安易な勝ち組が人生の真の勝者ではない。悪いのは、全て原因は自分自身にあった。過去より持ってきたもの或いはこの世で積んだものだった。此処に気づけばいい。次に何をするべきか見えて来る。霊界は全てお見抜きお見通しである。間違いは間違いである。修復することは出来る。この世はそのチャンスである。世間に惑わされる必要はない。自分自身の良心に忠実で良い。それは過去に対する反省の上に立っている。自分を信じよ。自分を変えることが出来る。その時、明るい未来が見えて来る。好きだよと素直にいえる自分がいる。この世は美しい。この世は素晴らしい。生きていることはそれ自体喜びである。プラス思考で良い。ひとつでもマイナスはないか。その必要はない。人生大肯定で良いのだ。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。漱石が『こころ』の中で二度書いた。よほどのテーマだったのだろう。愚かさの中で埋没する理由はない。何も怖れるべきことはない。知れば良い。知れば幽霊の正体見たり枯れ尾花。一切の不安もない。無いのに有ると思っている自分がいる。本来何をやっても良い。他人の権利を侵害しない限り。思い違いしていたのは自分だった。申し訳ないことだった。「人間自ら出づること能わず。唯、善業の因縁より出でたり」。人間としての思いあがりはないか。全て自分自身である。大肯定の自分で良い。誰もがやがて知る時が来る。それが旧約聖書の目的でもあった庶民解放の意味である。かつて王侯貴族の自由を誰もが享受する。時代はそのように進化している。愛と平和を手段として明るく楽しい日々の暮らしを如何に生きるか。本来人生はそのように出来ている。日々食は与えられている。話す言葉にご用心。既に黄色いお足が見えている。全て露。己の腑をさらけ出している。それに気づけない。気づけないままに、自己主張している。それを見抜く相手もいる。賓主歴然。それでも気づけないままに不幸へ赴く。大切なことは何だったのか。他人の気持ちを傷つけないことだった。傷つければ傷つけられる。始めに傷つけたのは何か。自分の些細な言葉だった。そして言葉と言葉の応酬となる。そしてどうにもならなくなる。人間関係が壊れるね。何事も人間関係だった。それを壊したのが価格破壊だった。人間性の喪失化傾向がある。環境が滅びる前に人間の身体としての滅びが来るともいわれている。唯自己利益追求が問題である。諸価値を破壊して顧みない。考える頃である。何を考えるのだろうね。人類としての生存である。かつて鈴木健二氏が講演でいっていた。核の脅威は地球にとって痛くもかゆくもない。困るのは人間である。そうだね。酸素がこの世に現れる前の地球は硫化水素の海だった。氷河期もあったね。生命体としてどう生きるのか。石油化学は何だったのか。何時までも看過出来ないところに来ている。石油化学で利益する者たちはこの問題を隠蔽している。庶民レベルで気づかねばならない。何時の世もそうである。新しい考えに対しては出る釘は打たれる。市民革命もそうだった。明治維新もそうだった。それらに匹敵するパラダイムの変換の時である。時代のうねりである。気づいた人が立ち上がるしかない。何時の世もそうである。未来のために。子ども達のために。子ども達は既に気づいている。知らないのは或いは知ろうとしないのは、そして知っていて敢えて否定或いは隠蔽するのは、身分に安住し、それを以て利益とする方々である。手段を選ばないね。そして世は腐敗した。事実である。歴史は繰り返す。振り子は振れる。生命体は生きんとす。未来をデザインしよう。何時までも無内容なお笑いバラエティのカラカラ浴場で馬鹿笑いして興じている時ではない。それは本来の笑いではない。時代の危機である。しばらく埋もれていた知性達よ、立ち上がれ。腐敗がもたらした結果、立ち上がるべきあなた方の時代だ。ところでブログの効用はすばらしいね。表現の自由はこのためにあったのだろうか。これで自信を回復できる。何も怖れることはない。黄泉の守護も確認できる。こうした力が人間の究極の目的であり、憧れだったことは、アンドリュー・カーネギー氏も指摘している。それなのに、こうした力を持つ方々が埋没した。むしろ野蛮な方々が支配している。何時までもそうはいかない。表現するが良い。ブログするが良い。時代は彼らによって変革されるだろう。何時までも愚かな時代ではない。ブログによって自己を回復し、自己を修正し、一切の不安から逃れ、恐怖を克服し、未来を見据える自信を取り戻した例が此処にある。何をして来たのか。何をしているのだ。時は来た。準備は整った。勝負するのかな。古来大和は負ける戦はしない。大義名分、神風の吹くを待つ。準備万端、失われた知性が回復された。愚かさの中で共に溺れることはない。知性ジャパン、未来へ出航する。本来日本健在。庶民レベルで初めて黄泉を制した。それだけの孤高孤独な旅があった。十九の春以来のことだった。長い冬だった。大冒険だった。これより誰もが乗り越えることができる。どのような傷害も。未来は明るい。時代は動き始めた。或いは時代は切り開かれた。古来大和及び代々ご祖先ご照覧受容祝福守護、此処より始まる。彼はいっていた。家伝直伝秘伝螺鈿の槍。生まれた意味を確認し、代々の使命は果たしたよ。古来大和魂及び日本純粋精神を未来に伝える。日本を救ったよ。人生と青春を賭して。道元曰く、身心脱落、脱落身心。さわやかな頭脳となって自然が反応する。生きている時間、宇宙自然生命黄泉の守護。大和の心、これを信じる。宇宙と魂は連動している。愛の周波数を開発し、発せよ。誰もが持っている。動植物及び岩石も喜ぶ。平和な日々を生きる。21世紀の約束、真実幸福論はこれを以てする。権力ではなかった。武力でも金力でもなかった。心の時代、無事開闢。誰もが幸せになれる。幸せになって良い。基は定まった。本来日本の秩序を定める。愚かな時代は終わった。何をしても良い。職業選択に貴賤はない。成金どもは何を勘違いしているか。自己人格形成責任論完結。持って生まれたものがある。愚弄無視破壊できないものがある。何を笑いものにしたのか。衆愚テレビ界の罪がある。思い知る頃となった。古来日本純粋精神、原爆の火を以てしても焼くこと能わず。その種は遺されていた。その花が咲いた。もう咲かないと思っていた花が咲いた。People are great ! 母は何があっても娘を信じていた。周囲は心配した。娘は母のように生きればいいのだと思っていた。信じることで救われる。信じる者が救われるのではない。微妙なところである。この世を楽しもうね。彼はいっていた。これより知らしめる。何を知らしめるのだろうか。知性の秩序だといっていた。愚かな支配があった。それでどうなったか。しかし時が来ていなかった。その時が来た。確認しなければならないものがあった。開発しなければならない力があった。取り付けなければならない守護があった。取り戻すべきものがあった。全て整ったと彼はいっていた。これより思い知る。彼の人生はそのために奪われた。失って初めて気づく。そうした持って生まれた人生を歩まねばならなかった。この世では解決できないであろうと思われた試練もあった。解くべき謎があった。彼は歩み通した。既にその記録もある。もはや彼を侮れない。世界も彼を無視できなくなった。しかし彼は何処にいるのだろう。不思議な話である。彼こそ影武者だといっていた。何がいいたかったのだろうね。もっと聞いておけばよかった。大岩を砕いた。これで誰もが幸せになれる。上には上がある。謙虚さの必要な理由である。決闘の極意は遅れて撃っても勝てる。勝ち負けは神仏の決するところである。思い上がっていないか。裏切っていないか。間違っている自分を正しいと思っていないか。一番にならなくて良いというその論理は何を意味しているか。敬うべきは敬うべし。畏れるべきは畏れるべし。精神の秩序を回復する。古来大和日本武士道精神は今も生きている。商人根性に用はない。世界を救う精神が古来日本にある。それは何だったのか。何時までも愚弄無視できない。世を腐敗に導いた責任はそれぞれとって頂く。年貢の納め時である。容赦しない。
  • 【2008/05/28】何を為すべきか解らなかった。それが見つかるまで何をしても本気になれなかった。何を探していたのだったか。世界はどのようにして出来ていたか。どのようにして世界を味方につけるのだったか。私の少年の頃からのテーマだった。それは見つかったようだ。試練もあった。とてもこの世で乗り越えることは出来ないほどの試練であった。仏さんとも出会った。そして私は見つけた。何を見つけたのだろうね。これで本気になれる。彼はいっていた。苦労したことだと。何故苦労であったのか。戦後の故だといっていた。戦後六十年、世は腐敗した。この時を待たねばならなかった。どうしてそれほど困難だったのか。彼こそ本命中の本命だった。どういうことか。秘密に属する。しかしその秘密は解かれた。歴史は繰り返す。どういう意味だろうね。世の勝手が過ぎた。振り子が振り切れた。日本には日本の秩序がある。黄泉にも黄泉の秩序がある。何時までも無視できない。時を要した。それも運命だった。彼は何処を彷徨ったのだろう。何を見てきたのだろう。もはや謎である。しかし彼はいっていた。真実はある。それは神仏の実在である。何がいいたかったのか。誰もが無視した。彼は孤独だった。彼の思いと現実とのギャップは如何ほどだったろう。彼を大切にしておくべきだった。彼を大切にした者は必ず幸せになれた。不思議だね。決して裏切りはしない。彼は黄泉が守護していた。彼を悉く裏切った。彼から悉く奪った。そしてどうなったか。見る目がなかったね。今更である。失われたものは取り返しがつかない。父はいった。壊れたコップと同じものを此処に持ってこい。持ってこれるはずもない。同じものなどありはしない。代々の教えであろう。裏切ったね。何を裏切ったか。行政もその例外ではない。代々の統帥権は今も黄泉に生きている。事実である。古来大和の秘密である。容赦しない。その力が賦与されることもある。それほどの危機である。甘かったね。商人根性に用はない。魑魅魍魎は帰るべし。さて、どうするんだろうね。まだ勝負するのかな。既に都詰めである。螺鈿の槍は抜かれた。そんじょそこらの伝家の宝刀ではない。既に日月及び風によって証明されている。何れにしても出陣となった。そこまで追い込まれたというべきか。これまでも何度かチャンスはあった。しかしその気になれなかった。準備が調っていなかった。ジグソーパズルの最後の一枚が見つかっていなかったからだった。今はどうだろう。準備は調ったようだ。探していた最後の切り札が見つかった。焦ったことはない。人生捨てたものではない。すべては時が解決する。流れに従うのみである。クトゾフ将軍もそうだった。ナポレオンも冬将軍には勝てなかった。明るく、楽しく、日々の暮らしを取り戻す。その為の準備だった。内面のコントロールを取り戻す必要があったようだね。誰もが幸せになりたいと思っている。本当の幸せとは何だったのだろうね。穏やかさの中での日常がどれほど尊いか。知るところとなった。実現するしかない。探していたものは見つかったようだ。信じて良いみたいだ。まだまだ時を要するのだろうか。急がなければならない。もう迷う必要はないのだから。惑う必要もないのだから。明るくポジティブでいこう。今日も美しい朝である。考えるべきことはそれほど多くなくて良い。朝方散歩していると、町中を流れる川伝いにアオサギが飛来した。遠くで鳶が鳴いている。新たな一日が始まった。何れにしても大丈夫である。諸関係は修復されつつある。複雑な事情があった。これを解かねば何も始まらなかった。とても個人的なことだった。そして解決を得たのだろう。取り組むべき仕事も見つかった。やっと本気になれる。希望の光が射してきた。明るい未来へ向けて、健康で文化的な明るい一歩を踏み出そう。全ては自分次第だった。風を感じるままでいい気がする。それ以上のことは受け流すことだね。構わないことだね。日々の暮らしを幸せに生きたいね。社会の中で暮らしている。人間関係の中で生きている。どう振る舞うべきか。当たり前が当たり前でありますように。男女平等。庶民平等。
  • 【2008/05/29】全て自分次第だった。既に縷々と書いてきた。それは悉く真実だった。今にして思えばそういうことだった。生まれた時からそうだった。しかし気づくまでは真実とはいえなかった。気づくということはどういうことだったのか。隻手の音を聞くことだった。彼自身、そのような馬鹿げたことがあるとは思わなかった。あるから不思議である。そしてこの種の可能性は誰もが持っている。しかし選択の自由がある。自らどのような人生を選ぶのか。世間では真実の追求を何処かで諦める。それが大人だと思う。或いは人生だと思った。最後まで追求する者は希である。しかし真実は真実だった。誰かが至らねばならなかったのだろう。そして真実が真実となるのだった。それが果たされた。果たしたのは誰だったか。彼だった。少年よ大志を抱け。抱いた大志は何だったか。明らかとなったのかも知れない。誰も知らなかった。周囲巷は未だ誰も気づいていない。しかし、世界は認めている。彼は満足しているだろうか。しかし失われた彼の人生と青春は戻ってこない。宿命というには悲しすぎた。しかし彼は歩み通した。天の認めるところとなった。世界が動き始めた。世界もこの時を待っていた。日本復活である。汚名は晴らした。浮かれたこの世で世間に染まらないということがどれほど辛い人生を余儀なくされたことであったか。知る由もない。しかし、彼は何を見たというのだろう。何を知ったというのだろう。どのような力を得たというのだろう。謎は謎のままである。あまり多くを語らなかった。そしてもう彼はいない。