明るい未来建設
【2008/11/14】
敢えて記そう。それは何か。今日、クロアチア特命全権大使とジャマイカ大使からの献花が原爆ドーム慰霊碑前で挙行された。そのお出迎えのお手伝いをさせて頂いた。クロアチア特命全権大使の花輪を慰霊碑前で手渡したのは私だった。その後、場所を変えての歓迎式があった。スピーチされたのはクロアチア大使館一等書記官の方だった。大使は東京で事務が出来たとの事だった。さて、底抜けの笑顔はなかった。クロアチアはチェルノブイリの影響を最も受けた國である。それでヒロシマの気持ちを理解しているとの事だった。その他、国家として色々と苦難の國である。その気持ちは察して余りある。ところで、ヒロシマの子供達は今、ヒロシマを理解していない。この現状は何を意味しているか。戦後、あまりにも浮かれていたのではないか。何をしていたのだろうね。政治も、行政も、教育も。ヒロシマを通して平和の意味を知った。現代戦争は無価値と気づいた。それにしては、国家として無視してきた。そうもいかなくなった。時代であるね。平和がなければ繁栄はないというのは、ジャマイカ大使代理のスピーチだった。私の祖父の故郷は広島だった。除籍謄本は広島市中区区役所に眠っていた。それより謎を解く事になった。今となっては、私はその為に生まれていた。そして全ての謎を解いた。自分ではそう思っている。証明もある。それは何か。自得するのみである。或いは廓然無聖である。
【2008/11/13】
『妙法蓮華経安楽行品第十四』の研究をしていました。そして思いました。成功の法則って、何だったんだろうって。明確な意識もそれですが、さらにそれは、智慧だったのでしょうか。その実体は、不懈怠でした。そして持って生まれた自分が生きるのです。それが徳分であり、その性質は大威神力であることもあるのでした。自己開発の究極であり、それが成就すれば、最大の財産ですね。爾の時、自信となるのです。怯弱もありません。不安もありません。生きてゆけるのです。ところで金剛杵ですが、これは雷を呼べるのですね。亦、転輪聖王という方がいて、この方が目覚めたら、どうなるのでしょうか。日本に於いては、それが征夷大将軍だったのです。王の耳、王の目もあります。面白い時代となりました。とても大丈夫な時代となりました。何故でしょうね。本来日本シャーマン国家復活だとのことでした。さて、今日は快晴でした。雲が一つもないのです。そして昨夜の月は皎々と輝いていました。清浄である事がどういう事であるか、少なからず感じ取りました。自然が帰って来つつあります。呉湾では小イワシが豊漁です。宇宙自然生命黄泉と個々の魂はつながっています。せっかく生まれてきたのです。少しでもきれいになって帰りたいですね。あの世へ。あの世はあるのです。知性で気づくのです。愚かな時代がありました。月に帰る頃です。大自然に生かされている。思い出す頃となりました。自分が本来の自分となって生きている。それぞれに花を咲かせる。それが平等でした。しばらく咲けない花がありました。本来日本の知性の花でした。何故でしょうか。戦後だったからでしょうか。その間、何が蔓延ったのでしょうね。しかし種はあるのです。何時か咲くのでした。そして咲いたのでしょうか。どのような花でしょうか。見える人は見えますね。見えない人は見えない。それで良いのです。花咲けば、蝶も飛んできます。そして遊ぶのです。良寛さんのように。それが帝則だったのですね。
【2008/11/12】
本来日本の基が目覚めた。それは何だったか。それはもうないのかと思われた。それはあった。本来日本の本懐だった。日本はどういう國だったのか。明らかとなった。全ての謎が解かれた。しかし妙法蓮華経法師功徳品第十九はいう。「唯独(ひとり)自ら明了にして、餘人の見ざる所ならん」。日本は大丈夫である。故にこれまでの好き勝手は通らない。各々、胸襟を開くべき時が来た。一切言い逃れはない。既に処したる人生がある。諸腐敗の責任はとって頂く。そして始める。
【H20/11/12】
彼はいった。見るべきは見た。聞くべきは聞いた。結論からいおう。あらゆる解釈が書き換えられる時を迎えた。何をしてきたのか。何を思いあがったか。インカより始めて何を奪ってきたのか。そしてどうにもならなくなった。恐竜が滅んだ時、既にネズミはいた。常々代々、そうだった。生命は硫化水素の海より生まれた。酸素は猛毒だった。それを克服してきた。それが進化の過程だった。世界は今、どのような状況であるか。それより脱する事は出来るのか。出来ると彼はいう。それが万物の霊長としての人間の自覚だった。何を思いあがったか。何を勘違いしたのか。努力を笑いものにした。真面目を犠牲にした。カンニングで世に出て閥を成した。一度や二度の成功で、我が儘勝手支配した。既に処したる人生がある。事実がある。各々責任はとらされる。テレビ及び芸能界、その罪、甚大である。庶民を衆愚に導いた。それも既に事実である。何を愚弄したのか。何を裏切ったか。何を奪ったのか。知るべき時が来た。何を知るのだろうか。ヨハネの黙示録であるか。ノアの箱船はある。誰が乗る事が出来るのか。善良な庶民である。それが庶民の解放だった。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る。旧約聖書に秘められていた。それが二十一世紀の約束だった。キリストは何故磔となったのか。真実真理をいったからだった。預言者はそれを知っていた。故に預言者にとどまった。禅に於ける歴代の祖師方もそうだった。故にいう。釈迦の世に出でて、かえって人を惑わせる。どういう事か。釈迦を知れば、むしろ思いあがった。そして次に来る祖師方を評価出来ない。そしてどうなるか。当然、報いがある。大自然の掟である。それに逆らえるか。逆らった。そしてどうにもならなくなった。大自然と共に生きて幸せである。本来人間はそうだった。それを科学の名で思いあがった。科学で推論は出来る。それは証明されれば正しい。しかし科学者はそれで世の中を変える事は出来ない。そのチカラはない。仮説を立てる事しか出来ない。そのチカラとは何だったのか。誰がそれを知っていたか。仏だった。しかし明治は仏をも壊した。それが文明開化であった。本来日本を無視愚弄して、西洋化しようとした。それは出来なかった。しかし、今もその延長である。そしてどうにもならなくなった。彼はいった。時は来た。何の時であるか。真実の平等実現の時である。黄泉もこの時を待っていた。黄泉は実在する。黄泉が動く時がある。それはどういう事か。しばらく嘘と暴力での支配があった。善良な庶民が餌食となった。何時までもそれは通らない。何を以ての故であるか。ある自覚を以ての故である。征夷大将軍は、何故征夷大将軍となったか。無駄な努力があると思うか。それで、要領であるか。一切が意味を持つ瞬間が来る。持って生まれたものがある。それが分際だった。小林秀雄氏はいった。超えんとして超える事が出来ないものがある。それが精神の秩序である。或いは覚樹王である。それを無視した。無理もない。それが戦後だった。そして何が蔓延ったか。この世はどうなったか。報いはある。当然である。責任はとって頂く。各々、既に処したる人生がある。大江健三郎氏の『同時代ゲーム』がある。テーマは作る人と壊す人だった。両者同一である。即ち、作る人が壊す人だった。この世を壊す事も出来る。それを敢えてしない。それが慈悲だった。何を思いあがったか。何を愚弄無視粗末にしたのか。何を奪ったのか。取り返すべき時が来た。彼はいった。一切成敗する。容赦しない。それほどの自覚が来た。彼が彼だった。これより君が代である。新しい時代である。どうにもならない。真実が明らかとなった。花と咲くまではわからない。咲いたからには仕方ない。新しい時代となった。始まりである。未来は明るい。明るい未来建設。