涼やかな目もと
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて涼しかりけり (道元)
2008.10.19
今朝、灰が峰に登った。夜景と朝日をみたいと思ったからだった。頂上の展望台に寝そべってカメラのシャッターを切ったが、さすがにちょっとピンぼけだった。三脚があるといいね。遠くの日新製鋼からは炎が上がった。以前に来たときよりも、夜景がきれいだと思った。阿賀の辺りとか、江田島辺りも、きれいだった。カメラは手すりの間をすり抜けるように構えていた。上手にするべきだった。今は何が起こるか分からない。自己責任の時代となって、過失責任もあり、注意力が必要とされている。かつて母の祖父の家では、玄関に鍵をかけたことはなかった。今では考えられない。殺伐とした社会となってしまった。何故そうなったのかはもう良い。その頃に戻したい気はするとしても。さて、カメラのレンズを手すりの間から抜くときに、フードがはずれた。眼下を見下ろせばクリフだった。明るくなって探そうかと思ったが、そのまま帰ることにした。時間帯を見ると午前5時前だった。ふと思った。空亡ということがある。今日はついてないなと呟いた。さて、別に学者として研究したわけではなかった。専門修行僧或いは修験者として修行したわけでもなかった。迷い迷って彷徨っていた。何時か導かれていた。誰もがその可能性があるのだろう。それぞれの属性に対して、数多の遺伝子要素があるのではないか。日々の思考と行動との相互作用でそれらが選択決定されるのではないか。それを霊が入れ替わるといっても良いのかも知れない。そのように人格も形成される。魅力ある人格というのはどのようなものか。そばにいるだけで、ホッと出来るかどうか。発している周波数がある。それが愛であるのかどうか。愛であれば、動植物も感応する。岩石もそうかも知れない。それぞれの相に何を見るか。笑顔であるか。微笑みであるか。それとも呻きであるか。苦悩の英雄ベートーベンもやがて喜びの歌となった。諦めないことだね。何を諦めないのだろうね。喜びの世界はある。努力が良いよ。必ず、至ることが出来る。浮かれた人生を歩んでいる方が多い。やがて倦怠期が待っている。お笑いでは救いはない。刹那的逃避に過ぎない。本当の幸せって何だったんだろうね。彼の人生は不幸かと思われた。そうでもなかった。得た喜びは何だったのか。黄泉の守護とか、天の祝福とかいっていた。それはあるのだろうか。もしあるとしたら、どうすれば至れるのだろうね。何があっても気にならなくなると、日々是好日(にちにちこれこうにち)だね。美しい風景が待っている。美しい人が待っている。やさしい関係でくらしてゆける。言葉はなくても。眼と眼が一瞬合致する。美しい表情がクローズアップされる。そうしたセクシーな時間が多くなる。涼やかな目もと、秋波=愛の周波数を感じて。青空には鳳凰の姿の雲が舞っていたりする。おだやかに生きてゆこう。それが成功だったのかも知れない。西洋成功哲学の目的もそれを手に入れることではなかったか。彼らはお金が手段だった。古来日本に於いてはどうか。昔より幽玄に憧れた。桃源郷はある。西洋と東洋、どちらが深いか。或いは古いか。西洋絵画は塗りつぶす。東洋絵画は間を重んじる。或いは楽しんだ。彼はいった。恋は鯉。秋は安芸。広島城は鯉城。恋の里。母方の祖母は山持サト。祖父は山道直三(なおぞう)、即ち直参であるか。誰もがうらやむオシドリ夫婦だった。どうでもいいね。誰か勝負してみますか。何時でも良いよ。勝負は今、刀ではない。知性=言葉だよ。古来大和は負ける戦はしない。準備万端するまで勝負しない。それが自信回復だった。或いは自己建立。その時の自信は絶対であったりする。勝負は構えたときに決まっている。勝利の確信がある。それが秩序でもある。それまでは貶められる。醜いアヒルの子だったりする。それが試練だった。或いは修養だった。面白いか、面白くないか。個人主義のあらゆる基準である。若さとは年齢ではない。人間の魅力が一番の財産である。知性はその属性である。愚かさは面白くない。野蛮も面白くない。さて新しい時代となったね。この波に乗れるかどうか。それが若いかどうかだね。今、肩をすぼめている人がいる。今、時代を闊歩する人がいる。鷲は鷲である。鷹は鷹であり、獅子は獅子である。かつて獅子だった方々がいる。しばらく埋没していた。私たちは生かされている。聞こえるだろうか。自然の一部として自然からのサインを。見えるだろうか。出会えるだろうか。自然は黄泉を含む。黄泉からのサインがある。祖先は子孫の幸せしか願っていない。故に導く。嘘と欺罔の世の中である。誰もが疑心暗鬼となった。社会保障も当てにはならないと思う方が多い。さて、ある映画監督がテレビで風俗のレポートをしていた。彼は自分では遊んでいないという。此処である。餌食となるのか。餌食にするのか。正直者が馬鹿を見るといわれる。餌食にされただけだね。これを教育は知らない。それでこのような世の中となった。資本主義だってそうだった。お金持ちのために有能な労働者を育成した。子供達はそれに気づいている。それが学校教育の崩壊の原因だった。この辺りで気づく頃である。真面目であることは、餌食にされることだった。しかし、時は代わった。真面目であることで至る世界がある。それが示された。それは何だったのか。無敵である。何故か。黄泉が守護する。天が祝福する。その要件は何か。正直だけで良い。裏切らないことである。嘘は通らない。これまでは通ったとしても。覚悟されたい。新しい時代である。涼しい目をしているか。凶暴な目をしていないか。狡猾な目をしていないか。それが如是相である。上野清著『易学の研究』という本がある。易を数学的に扱ったりしている。そして著者はいう。疑うから研究したと。そしてその末尾でいっているのは何か。五官で相手の相を感じることである。易は中国四千年の統計人間学である。孔子も参加している。そこには当然秘密が隠されている。それは何だったのか。宇宙の法則といっていい。勝手が過ぎた。これは確かである。終わりは終わりではなく亦始まりである。佛の第一義もそれだった。四百年周期説は旧約聖書にあった。日本の歴史もそれで或る意味で説明できる。今、二十一世紀、あらゆる公約数がある。さて、新しい時代となった。この波に乗ろう。お金が無価値とはいわない。勘違いしたお金は無価値である。幸せはある。その道はある。既に先達の歩んだ道である。それが見つかっただけだ。そのように彼はいっていた。未来は明るい。彼は何者だったのか。四聖何する者ぞ。彼の取り組んだ課題だった。故にその代償も大きかった。それだけの事だった。それが道だった。人生とは何だったのか。漱石は精神的向上心のない奴は馬鹿だと『こころ』で二度書いた。『こころ』は本来前半部分で終わっていた。新聞連載で後継者が居なかったので引っ張った。それが手紙部分だった。ドストエフスキーは何故あれだけの量が書けたか。彼は出版社からの借金に追われていた。何よりもギャンブルが好きだった。彼は銃殺刑にされかけて九死に一生を得た。日蓮の龍ノ口に等しい。その時の経験は『はくち』の中に描かれている。ショパンもリストも激しい人生を歩んでいる。リストに至っては古い体制と戦うために銃を取った。ミケランジェリというピアニストがいた。彼は捕虜になって大脱走している。芸術家とはそうしたものである。浮かれた人生を歩んではいない。常に謙虚さが必要である。テレビ芸能界の思い上がりがある。何か勘違いしている。大御所の芸能人に多い。競馬で何千万も負けたと如何にも誇らしげな歌手がいる。国民的時代劇映画スターがバラエティに興じている。たかが台本を覚えるのに、東大生より勉強して東大生より偉いという歌手がいる。背景は何か。成功である。お金である。アメリカンドリームである。そうだろうか。禅では上求菩提、下化衆生という。大衆を間違った方へ導いていないか。今の成功が本当の成功と思うか。化城である。真実の城はある。示さないか。その方を。知らずに思い上がるか。それで謙虚さがないか。日本を滅ぼすつもりであるか。カラカラ浴場を以て。ローマは何故滅んだか。内部民衆の腐敗から滅んだ。日本にも常にそのような危機があった。直近では大正ロマンだった。それはデカダンスだった。その前は元禄であったか。その都度何を以て克服したか。戦乱だった。しかし今となっては、戦争の無価値を知った。それがヒロシマだった。本来戦は武士同士でするものだった。今はどうか。一般市民が犠牲となる。或いは環境及び自然生命を破壊する。もはや戦争の時代ではない。日本は高い代価を支払ってそれを知った。即ち平和の意味である。代々人々の祈りと願いは何だったか。愛と平和ではなかったか。それが踏みにじられてきた。二十一世紀である。そろそろ気づく頃である。そして誰もが平和に暮らしていけるだけの英知と技術が蓄積された。血を流さずに平和を手にすることが出来る時代となった。そして真実の愛とは何だったのか。欲情に基づく動物的なそれは野蛮な愛である。本来の愛は、神に於いてはアガペであり、佛に於いては慈悲である。人間は万物の霊鳥として此処まで進化した。目標が定まった。或いは目的である。目的が定まれば手段はいくらでも考えればいい。試行錯誤でいい。道は定まった。実行である。一歩踏み出す。それが勇気である。これが二十一世紀の約束であり、フォトンベルトの嵐の意味だった。人類は高いレベルに進化する。それは始まったのだ。人生は芸術的となる。同じ表現であっても、全体の趣旨からそれは芸術と判断される。或いは傾向犯となる。人間である。人間性は動物性ではない。何か勘違いしていたね。淘汰が始まる。既に汚れた方はご用心。蓮は泥より咲く。今まで餌食にされた方々の花が咲く。それは知性であり、正直である。これまで餌食としてきた方々は、香風来たって、古き花を散らし、新しい蕾を雨(ふ)らす。雨らすとはどうい事か。雨は天。レイン、レイン、レイン。制度が変わる。憲法制定権力の目覚めである。それは本来日本の精神であった。それは何だったか。既に記した。憲法改正もある。その時が来たのだろう。故に未来は明るい。明るい明確なビジョンを示す時である。時とは何だったのか。彼だったのかも知れない。