2005/10/17
配慮するべき事
それぞれに好みがあって、それはその通りです。しかし、それぞれの意思と行為に関する結果に対して、相応のサンクションがあることは別論です。意思に対しては自然から、そして、行為による結果無価値に対しては国家から。個人が社会に存在し、それぞれの社会が国家に存在し、それぞれの国家が世界に存在し、世界は地球に存在し、地球は宇宙に存在している。この秩序を破ることはできません。そして、基底にある自然の掟は、掟です。と思われます。公の電波等でそうした秩序を乱せば、社会が乱れる原因となっているとするなら、どういうことになるのでしょうか。要はフォローですね。何をしても良いのだけれど、その必然としての結果があるということに対する謙虚さを忘れていては、結果困るのは誰かということです。この認識を欠いていたために、今、現実がどうなってるかという反省がいるのかな、って思われるのです。自由の定義が明確ではなかった時代に看過されていたのは仕方ないとしても、もはや、時代が流れを作ろうとしているときに、配慮するべき事が、やはり、あるのかも知れません。そのように思われるのだけれど、順々に気づくことでしょうか。公共の福祉。公共性。