2007年03月18日
復活の自覚
やっと復活である。この度は、どうやら成功である。古来稀なる大和の秘密開花となった。知る人ぞ知る。それで良い。さて、心配をおかけしたことである。もう諦められていたのかも知れなかった。しかし、そこが大和の秘密である。完全修復の上、蘇った。日本は素晴らしい國である。私の尊祖父は桑原千畝、幼名福次郎。その先は、嘉兵衛、覚兵衛。一本の除籍謄本で六代遡る。私は何も知らなかった。当然である。時代の故だった。しかし、種は種である。いつかは芽吹く。この世に咲くとは思わなかった種であった。しかしそれ故の試練はあった。広島は原爆も通っている。どれだけ耐えたことであったか。すでに命は差し出している。あらゆる謎を解いた。事実である。その証明は何か。即ち、自分の為に日月照らし風が吹く。それも身を以て証明するところとなった。因って、大和の秘密開示である。すでに世界は開かれた。旅を終えている。現実回帰。これからが私の人生である。
この世にて 咲くや人生 櫻花
ところで、これまで世間を批判したことだった。それは、世間に認めて貰えない自分のもどかしさからだった。そして、勝手なことを思っていたのは自分であったことに気づくのだった。つまり、わかってもらえないのは、自分に原因があった。とてもわかって貰えるような自分ではなかった。結局、悪いのは自分だった。方法を間違っていた。世間は十分に理解能力がある。世間にわかって貰う為には、例えば実績が要る。何もない自分を信じてくれと言っても無理である。自分を証明する必要があるのだった。この度、それに成功したようである。私を認めて下さる方々が現れるようになった。申し訳なく思う次第である。そして、若い間は左翼的であって良い。ある程度の年齢になって尚それでは愚かである。それは理解しているつもりである。おだやかさですべて解決する。そして、世間は十分に知的であることに気づいた。世間の知性は表に出ないだけかも知れない。自己の知性の証明に成功すれば良い。それに成功したようである。長い道のりだった。復活である。そして、世間に合流である。世間に戻る。失われた人生が、十九の春とつながったようである。これより、私の人生の始まりとする所以である。あるいは、私の代である。この意味わかるだろうか。すでに、サインは頂いている。信じる自分の開発に成功している。祖父後藤良亮の夢は実現した。父の無念は晴らした。祖先代々の夢も復活実現する時を迎えた。長い青春だった。芥を払うこと三十年。己に恥じるところのない事を以て精神とする信じることのできる大和魂が開花した。自己を制した。自己との大戦争に勝利した。それだけの作業があった。孤独な作業であった。特殊潜行艇のような作業であった。世間に認めて貰う為には条件がある。それは何であったか。自分を自分が見出す必要があった。どんなことがあっても裏切ることのない自己を形成する。自分探しの旅を終えなければならない。そして世間に帰るのである。これを以て十牛図の第十図というべきか。精神はこのようにして自己を発見するというべきか。いずれにしても憂いはない。迷いもない。何故か。究極の自由を見つけたからである。それは何故か。黄泉の守護を信じるに至ったからである。これを以て木鶏というべきか。感謝するべきは代々培って下さった家伝直伝秘伝の精神だった。日本が不滅である理由を理解した。感謝するべきは祖先だった。私を理解して下さる方々が周囲に現れ始めた。そして気づいた。私を理解してくれない方々は相手にする必要はない。いつまでも犠牲になることはない。この世の人生である。この世で開花する必要がある。何故開花できなかったか。咲くべき土壌を間違っていた。わからない者達にわかれと言っても無理である。ここがダルマの面壁九年である。わかって下さる方々はやがて現れる。その時まで、準備しておけばいい。就職活動とはそれであった。私はドロップダウンした。そして彷徨った。法華経窮子であった。そして自分で自分に気づかねばならなかった。それが過去の因縁だった。これを解くしかなかった。それを解いた。故に復活である。その為には何が必要であったか。自分が信じることの出来る自分の開発だった。そして花咲くのである。咲けば良い。咲けば世間も気づく。咲かせるべきは自己の大輪の花である。この度咲いたのは並ではない。自信を以て咲く大輪の花である。この成仏を見よと言っても過言ではない。即ち、自分の故に、日月照らし風が吹く。これを以て黄泉の守護とする。生まれた時からそれはあった。しかし、信じ切るには至らなかった。黄泉は諦めなかった。可愛い秘蔵の種であった。やっと咲くことが出来た。世間も安堵することだろう。未来は明るい。これを以て自覚とする。生まれた使命は果たした。世間は血塗れの世界ではない。十分に安穏な世界である。それを護るのかどうか。主権在民、国民主権。憲法プログラム規定は成就した。愚かな支配に対しては抵抗する。知的世間に合流する。これまでの知的傍観者が地蔵菩薩である。中には大菩薩もおられる。21世紀は知的世界である。21世紀の約束が果たされた。400年来の節目である。千年あるいは二千年来の節目である。時代はシフトする。強いが故のやさしさとおだやかさの世界へ。目的は人々の個々の暮らしである。聖書の目的は庶民の解放であった。神は高きを低くし、低きを高くするためにやって来る。平等であることですべては解決する。平等こそ一切大衆を救うことに決めたんやとする佛の大願である。明治になって四民平等となった。それまでに世界に於いては、市民解放があった。奴隷解放があった。戦後、日本でも女性解放があった。世界の流れがある。世界の中の日本である。その中で重要な地位を占める。日本の使命がある。己に恥じる事なきを以てその精神とする大和魂を以てする。それを開発する。あるいは復活する。世界もそれを待っていた。人類の宝である。これを以て日本は救われる。世界も救うことが出来る。その為に成すべきは何か。世界で最も安全な知的文明国家を取り戻す。あるいは建設する。その英知は古来すでにある。その復興である。大ルネッサンスである。しばらく勝手していた。それは淘汰される。それが宇宙自然生命及び黄泉の意思である。宇宙自然生命及び黄泉も時を待った。その時が成就した。何故か。不識。
2007年03月17日
仏法からの自由
六祖が五祖から法を継いだとき、そのまま山にいてはならない事情があって、法嗣であることの証明である鉄鉢を持って山を下りた。元将軍である慧明がその後を追った。やがて追いついて鉄鉢を取り戻そうとした。しかし置かれた鉄鉢は微動だにしない。その法力に慧明は驚いた。そして六祖に法を乞うた。その時の言葉が、善をも思わず悪をも思わぬ時あなたの本心は何かという問いだった。そして即座に慧明は悟った。六祖の法は本来無一物だった。そしてその時より六祖の弟子としてくれるように懇願した。しかし六祖は断った。慧明も自分も五祖の弟子である。あなたの師は五祖であると。さて、ここしばらく、私は仏法を批判したかのように見える。そうではない。仏法は受容している。信じている。しかし、仏法からも自由でありたい。それが仏縛であってはならないと思う。本来無一物である。何もないところから生まれてくる心がある。それが禅である。一休禅師の悟りもそうだった。それが自由ということだった。本来何もない。そこより自然として心が生じる。それが自由である。仏さんの真意はそこにあると思う。それが目覚めることであると信じる。また、それで良いのだとの黄泉からの応答もある。故に、仏法を批判したのではない。仏法を否定したのでもない。仏法からも自由となるために自己との戦いに於いて必要なことだった。ご理解いただきたいところである。そして何を得たか。自由である。自由であるが、宇宙自然生命黄泉及び祖先に導かれる。それ故の自由である。禅の精神である。そしてどうなるか。真実を見抜く。さて、私の21世紀幸福論は完結した。それは長い道のりだった。具体的作業は一昨年の11月26日からだったろうか。そして日常へ回帰するのだった。即ち、暮らしへ。周囲の友達は何をしているのかという。何を悩む必要があるのかと。確かにそうだね。このようなことをしてどうするのだろう。しなくて済むのならしないに限る。しかし、少なくとも、私にとっては必要であった。それ故に、救われた。絶対の自信が欲しかったのであろう。木鶏の正体を見究めたかったのであろう。それが果たされた。それは何であったか。すなわち、自分の故に日月照らし風が吹く。黄泉の守護だった。これを得て、絶対の幸せを知るのだった。過去から伝えられていたことだった。それを発掘した。見失われた何か大切なこととはこれだった。それがこの人生のテーマだった。それを誰にも押しつけようとは思わない。このような話を聞けば不愉快になるだろう。自分の存在が否定されたと思うだろう。しかし、過去より伝えられていたことである。真実である。それをこの世でトレースした。これが私の使命だった。すなわち、過去の夢を未来につないだ。すでに、事実である。神風の吹く国日本を身を以て証明した。代々のことだった。家伝直伝秘伝であった。女子供の与り知るところではない。しばらく忘れていたことだった。誰も知らない。わからない。当然である。探そうともしていない。しかし、古来真実である。人知れず孤独な作業であった。しかし何時かは至る。諦めないことである。人生を賭して探すに足りる。私は報われたようである。真実とは何であったか。神仏が現実に実在することだった。神仏との邂逅を果たし、その受容祝福を得て守護される。そして導かれる。その時、本来の自由である。また幸せである。これが大和の秘密だった。卑弥呼の系譜の秘密だった。この事実を未来につないだ。十分に仕事をしたと思う。故に日常に帰る。私の旅は終えた。ところでこの世に絶対はないという。絶対を知らないのだね。覚えているだろうか。櫻吹雪がみたいか。来春はそれが見れるだろうとしたことを。黄泉の櫻は満開である。これまでになく満開である。日月照らし風が吹く。この事実を楽しむ者がどれだけあるか。世界はだれのものか。無秩序規制緩和ヤクザの血統ではない。地位も名誉も財産もすべて奪われた。人生も青春も。この世に住むべき世界はなかった。しかし奪えないものある。それが古来大和の秘密である。いつまでも勝手するが良い。やがて時が来る。その時は遅い。処したる人生の結果である。甘受するしかない。持って生まれた魂のレベルの差がある。それを無視した。事実である。ペリー来航以降のことだった。さて、広島の空は快晴である。何に感謝するのか。自然、祖先、佛に感謝する。自然は生かしてくれている。祖先は代々能力を開発し伝えて下さった。佛は真実を説いて下さる。この三つの感謝をして生きているか。あるいは、生きてきたか。これが生かされているという事である。勝手は出来まい。また、ここより敬虔も来る。謙虚さも来る。無神論などと標榜するインテリゲンチャを信じられない所以である。何をしでかすか知れたものではない。神仏を敬うところ、悪は為せない。何を教えてきたのか。何を忘れていたのか。真実は実在する。神仏は実在する。真実を知らずして何を勝手し言い来たるか。世間は大馬鹿者達である。
2007年03月16日
おだやかに生きる
一切無理をする必要はない。あるがままでよかった。何を求めていたのだろう。まるで、ネズミの嫁入りである。あるがままの自分で良いのだった。本来の自分に帰る。何を気にしていたのだろう。思い煩うことなど何もない。それを思い煩っていた。一切気にする必要はなかった。持って生まれた自分で十分だった。しかし、時は無駄に流れたのではなかった。自覚を得る為にはやはり必要だった。持って生まれたものには良いものと悪いものとがある。それを分別する。善い自分を自覚する。悪い自分を自覚する。善い自分はそのままで良い。悪い自分は矯め直す。それだけのことだった。それだけのことだったのに、それがわからなかった。しかし、何時かはわかる時が来る。そして自分を知るのだった。良いものも悪いものが邪魔すればその力を発揮できない。そして、究極の力とは何であったのか。天に通じる力だった。過去から伝えられていた。しかし、この身で実現するのは至難の業だった。これを成すことが悟りだった。禅の命脈だった。そして、禅は日本にしかない。神風も日本にしかない。それが大和の秘密だった。この世で見出した者があっただろうか。在家の身で。しかし、苧坂光龍老師はそれを伝えていた。秋月龍王民老師のそれでは何かが足りない。そして、至れば何もかも無であることに気づく。本当に無である。何もない。その何もないところから何かが出てくる。霊界に聞くとは是だった。それも、体験した者でなければわからない。説明不能である。説明は出来ても理解できない。冷暖自知である。しかし、世間は勝手な解釈をしている。そして、真実を前に聞く耳を持たない。これを以て哀れである。しかしながら、確かに、自分の為に日月照らし、風が吹く。このどうしようもない事実をどうするのか。このようなこともどうでも良い。安楽安穏がやってくる。流れに乗れば良い。日々の食は与えられている。小鳥のように生きてゆける。それで生きてゆけなければそれもそれである。自然の中で生きる。自然を破壊したとしても。自然を離れて生きてゆけはしない。人間の身であるかぎり、海の中にも、地球の外にも生きることは出来ない。海の中はそのまま陸の上だった。空もそうであるのかも知れない。しかし、人間は海にも空にも住めない。陸にしか棲めない。これからをどう生きるか。坦々と生きる。活殺自在である。すべてを活かす方向で生きれば良い。壊れた自己をも活かせばいい。何も思い煩うことはない。その時々に応じて課題を処理すれば良い。それだけのことだった。そして、それぞれ能力は違う。違うことを認めるところから始めなければならない。自分が基準では相手は測れない。そこに謙虚さも出てくる。それを忘れてしまった世間である。そして限りなく低俗化した。それが真実かと思われた。それは違う。真実は知性である。その知性を愚弄無視した。その結果が今の文化現象である。お見事としか言いようがない。しかし、淘汰される。自然の意思に反するからである。自然犯という概念がある。古来罪である。おだやかに生きることで、すべては解決する。それに気づいた。あくせくすることはない。求めるものなどない。すでに与えられている。それを活かす。あるがままでいい。感情の赴くままで良い。しかし法を超えない。そのあたりの絶妙がある。強引に自分の意思を通すことはない。それはひとつの暴力である。嘘と暴力でこの世は出来ている。野蛮なこの世である。誰も真実を知らない。真実とは何であったか。すでに書いた。夢は成就した。究極の夢だった。それは黄泉の守護だった。自分からの自由だった。仲間はいる。見えないところでの大応援団である。孤独ではなかった。いつも見守られていた。この世は過去の夢の実現である。自己実現である。成功しようではないか。己に勝ってすべてが開ける。この世はそのように出来ている。黄泉が自分に微笑むだろうか。天に通じることが出来るだろうか。自分を裏切らないことである。真実を見れば良い。隻手の音が聞こえるか。夢は自ずから開ける。その為には条件がある。それは何か。即ち、身心清浄。何も怖れることはない。自分さえも。自分からも自由となることである。自分を解き放て。元気は出すものと思っていた。さにあらず。自ずから元気である。そのような境界が開ける。生の全肯定である。未来は明るい。信じることが出来る自分であるか。絶対の自信がある。それをどのようにして手に入れるのか。大和の秘密である。黄泉の守護を取り付ける。生まれた時からの守護がある。自分を裏切らないことだ。信じる自分を裏切らないことだ。世界は開ける。世界は諸手をあげてエールを贈っている。それが聞こえるだろうか。人生は生きるに価する。人生は善で満ちている。信じて良い。過去から伝えられたことである。善き仲間に合流することである。自分の真実を信じることである。真実が見出されている。今がチャンスの時である。勉学はするべきものである。カンニング的な要領の良さでは解決できないことがある。突破できないものがある。実力を要する。それは勉学した力である。それを無視愚弄していないか。付け焼き刃では戦えない。自分が武器となる。磨くべきは自分である。古来伝えられしことである。山本玄峰老師も言っておられる。自分の性根珠を磨けと。第三の目がある。それを開くべき時である。今も昔もそうである。過去に学ぶべし。古来日本、英知の蓄積がある。文明文化の歴史最も古き國である。信じて良い。何を疑ったか。誰がそのような解釈を始めたのか。西洋はすでに没落していた。いつまでそれにしがみつくか。一緒に溺れたいのか。日本は復活する。己に恥じる事なき大和魂を以て。西洋に於いては騎士道精神である。ドンキホーテで良いではないか。夢を追う。夢を追う自分を諦めないことである。夢は実現する。この世は過去の自分の夢の実現過程である。こうして自由を獲得する。笑みがこぼれてくる。眼光はダイヤモンドのそれとなる。真実を見抜く。信じることが出来る自分は何か。自分を自分の夢で染めればいい。その時が開花する時である。デビューである。この世にタブーはない。信じる自分を咲かせるが良い。制度は後からやって来る。何事も第一発見者の所有である。佛の境界は佛に譲る。その他は譲らない。佛と雖も勝手はゆるさない。真実を独占させはしない。小方及び安芸は我らが所領であった。奪いし者は誰か。黄泉及び諸精霊は知っている。裏切りは裁かれる。裁くのは宇宙自然生命及び黄泉である。佛と雖も大きな事は言わせない。古来大和純粋精神はあらゆる精神を凌駕する。そして受容する。これが古来本来純粋大和の知性である。佛の精神は受容した。しかし、上には上がある。天がある。天が目覚めている。目覚めた天を見出せなかった罪がある。何を思い上がったか。もはや遅い。自由は自由が切り開く。佛に救って貰おう等と思わない。古来大和の意思である。天は解き放たれた。天もこの時を待っていた。即ち、カクネンムショウ。日月照らし、風が吹く。勝負はすでに決している。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本先祖代々胡蝶の夢、法華経宿王華一切種智慧ここに成就開花である。まだ背くか。まだ刃向かうか。草薙の剣を振るわれたいのか。家伝直伝秘伝螺鈿の槍もある。弁慶の薙刀もある。ペリー来航以降それに乗じた世間はそれを愚弄した。そして古来大和を裏切った。そして何が蔓延ったか。社会はどうなったか。世間一般虚偽欺罔卑怯怯懦勝手が過ぎた。大和真実復活である。世界の中の日本。世界に合流である。世界の中で重要な地位を占める。それで日本は救われる。世界を救うことも出来る。その為に成すべきことは何か。世界で最も安全である知的文明国家を取り戻す。そのグランドデザインはすでに描いた。何を以てそれを言い切るか。古来大和黄泉の認め守護するところであるからである。おだやかに生きる。それで良い。昭和五十年、カープは初優勝した。何故だったのか。何を意味していたのか。謎である。昭和五十六年、スペースシャトルが滑空帰還した。それは何を意味していたのか。月面着陸はアポロ11号だった。何故11号だったのか。あらゆる記号は何を示唆しているか。風は何処から吹いてくるのか。何処へ向けて吹くのか。勝手はゆるさない。王の目、王の耳がある。閨房においても王を呪ってはならない。小鳥がそれを運ぶから。この世は目覚めたジュピターのさじ加減である。それが自覚した見えざる神の手である。真実は自ずから実現する。あらゆる虚妄の時代は去った。すでに世界は一つである。私は生まれた使命を果たした。究極の謎を解いた。あらゆる記録は何の為にあったか。ある自覚の為にあった。ダルマは何故西来したのか。古来謎である。雲の如く風の如く西来した。そして教えを二祖に託して天竺に帰った。徳利をぶら下げて。天竺とはどこであったか。日常であり、暮らしであった。法華経に窮子の話がある。貧窮の身で諸国を流浪した。そして自分の生まれた国に帰ってきた。しかし自分が王子であることを知らない。芥を払うこと三十年であった。父は知っていた。時が来て、父の宣言するところとなった。我が子であると。そしてその王国を得た。その王国とは何であるか。世間である。日常である。日々の暮らしである。あるいは家族である。そして平等即差別。だれもがその王国を持って生まれている。それぞれ違う王国ではあるけれど。それが日々の暮らしである。化城の話もある。真実の城を知らしめる為に。化城は青春である。あるいは修業である。そして青春及び修業を通って真実の城が現れる。それが大人の世界である。真実の城である。それが日常である。日々の暮らしである。人は何の為に生まれてきたか。明らかとなった。日々の暮らしを安穏に生きる為に生まれてきた。そのため通らねばならぬ道があった。原爆もそうだった。そしてここまで辿り着いた。さて、ダルマは天竺に帰った。使命を果たして。私も使命は果たした。もう十分であろう。長い道のりだった。時を要した。しかしこれで帰ることが出来る。即ち、おだやかな日常世間の暮らしの中に帰る事が出来る。幸せを見つけてしまった。21世紀幸福論完結である。
●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
原点は しかとここに 定めおく スタッフ一同 任せたるのみと
大和なる 女王蟻の 来遷都
2007年03月15日
為すべきことを成す
さて、どのように生きるのが良いのだろう。飄々としていいのではないか。今更無理をすることもない。流れをよく見なければならない。埒の開かないものを無理して開けようとしても開きはしない。そのように思われてきた。安楽行ということがある。安楽に開ける道がある。至り着けばそうである。それを無理しなければならないのだとすれば、やはり問題であろう。そのように思われてきた。それで良いのだと思われる。私のするべき事は何か。それを考えている。私が一番好きなことは何か。学問だった。それで何を得たか。無為自然を得た。今、この世にその真実を知っているものがあるだろうか。体験を通して。それを伝えることを仕事にしても善いのかも知れない。生計を立てる。何を以て立てるのか。さて、私は何をすればいいのだろう。単なるお金儲けではないだろう。それを案じている。佛を理解するものも少ないであろう。佛とは何であったか。それも教えて貰った。佛の真実は知った。それを真実として受容した。当然信じている。しかし、一休禅師は師匠からの印可状を破り捨てた。何故だったか。佛は信じた。しかし、当時の腐敗した寺組織からそれをもらう気はなかったのだろう。佛の真実とそれを運営する組織はちがう。それを知っていたのだったろう。ルターの聖書に帰れに等しかったのだろう。あるレベルに達すると自分を責めることはなくなる。自分を責めるのは責めるべき自分があるからである。正しい自分を行使して、尚埒が開かないならば、開かない事実を佛に謝ればいい。自分を謝る必要はない。相手を責めるのでもない。佛にお願いするのは何をお願いするのか。助けて貰うことをお願いする。佛にもそれぞれ御役がある。謝ることで赦して下さる佛がいる。お願いすることで助けて下さる佛がいる。教えを説いて下さる佛がいる。その説が正しいことを証明して下さる佛がいる。どちらの道を行くべきか。生まれてくるのも、死んでいくのも佛のゆるしが要ると言われている。埒が開かないのは、佛のゆるしがないからであろう。それを無理して開ければどうなるか。問題はそこにある。飄々として生きていく。それがゆるされるなら、それで良い。しかし、諦めては何事も成就しない。多少の努力は当然だ。今ある仕事が来ている。埒が開きそうにない。しかし、今少し、努力してみることにしよう。打つべき手は打ってみよう。諦めるのはそれからで十分であろう。手を尽くして諦めることが出来る。何もしなくて諦めたのでは次の仕事もそういうことになる。それが因縁となるからである。為すべきことをする。中途半端にしない。世の鉄則であろう。至るべき道は見つけた。それは仏道であり、神ながらの道だった。仏道はむしろ肌に合わないものを感じつつある。何故だろうか。DNAに聞くしかない。仏道からすれば、神は仏の下位に属する。神ながらの道からすれば、佛の上に神があり、さらにその上に天がある。天徳を以て究極の幸せとすることに違いはない。天徳とは何であったか。天に通じて、天の守護を得ることではなかったか。それは、自分の為に日月照らし風の吹くことではなかったか。その時、自分を信じることが出来る。それが自信ではなかったか。それを得れば良い。そこへ至る道が宗教だった。宗教は筏に過ぎない。渡ればいいのである。宗教が基礎であると山田無文老師も言っておられる。基礎は基礎である。基礎がないところに応用はない。応用が実学であろう。今、基礎のない実学が繁茂していないか。何かあったら基礎に帰れと教える。教育の常套である。しかし帰るべき基礎を知っているのか。それが問われている。日本の基礎は何か。神風も吹く古来大和ではなかったか。それを裏切った事実があるのではないか。例えば、江戸無血開城は禅譲であった。明治はそれを裏切ったのではなかったか。それを文明開化と称して何をしたのか。その結果何であったか。第二次世界大戦敗戦だった。神風は吹かなかった。そして、アメリカは原爆で何をしようとしたのか。原爆は何故ヒロシマだったのか。ソ連の進出を抑える為に終戦を急いだだけではなかった。大和の精神を絶滅させんとした。しかしそれは失敗だった。頼朝は伊豆に流されていた。大和の精神は密かに種としてその芽吹く時を待つことになった。黄泉の守護するところである。古来大和の秘密であった。秘密は当事者でなければ解けはしない。人生に於いて経験するところである。その種を以て初めてわかる。時節到来すれば、やがて裏ジャックとしてその存在をアピールすることになる。厨子王の生還である。こうしたことが大和の真実であった。しばらく真実は眠っていた。それをいいことに何が蔓延ったか。こうした真実を考えたことがあったか。世間一般の勝手が過ぎたとする所以である。腐敗堕落が人生ではない。追って沙汰がある。それぞれ首を洗って待つが良い。この世で処したる人生、黄泉にて成敗がある。私は、広島県立呉三津田高等学校を卒業した。卒業式には出席していない。理由はどうでも良い。その校歌は「眉あげて・・・」と始まる。眉を上げるのである。そして眼を開くのである。その眼は瞋ではない。慈しみの眼である。そして自由を謳歌する。気楽に生きる。そうした人生が開ける。それが天徳である。持って生まれた種がある。それを開花させる。個々の存在が十全に生きる。どんな障害があっても。それが平等である。それが教育の基である。祖父は後藤良亮である。男子校訓導であった。ところで、図らずも障害者の時代となった。合成化学物質の故である。それにて富を成した者たちは当然償わねばならぬ。黄泉の掟である。障害者の世界も救われなければならない。だれがその道を作るのか。あるいは作ったのか。人生を賭して。生まれながらにそのような宿命を負う人生もある。そしてそれが成就した。黄泉の認めるところである。そして守護がやってくる。一定の宗教で助かるのではない。持って生まれた使命を果たす。救いはそこからやって来る。未来が開かれる。事実である。黄泉が証明している。すなわち、カクネンムショウを手にする。それでも古来大和の系譜を無視愚弄するか。救う為に生まれた人生もある。その為には身を賭す。羅刹に身を投げた釈迦の前世に等しい。これでも刃向かうか。勝負するのか。力は得ている。DHロレンス『死んだ男』が黄泉より帰ってきた。知性の復活である。世の腐敗に荷担した知的傍観者に用はない。自由は自由が切り開く。新しいフロンティアである。黄金の國ジパング復活である。宝は何か。宝は何処にあるのか。新しい時代が切り開かれた。グランドデザインは決定された。開闢である。さて、エクスパイアとインスパイアがある。大鏡とはこの関係である。何かを云ったとする。何故かそれが世界の何処かでそれもかなり高いレベルで反映する。これがロゴスである。しかしそうしたことは偶然かと思われる。偶然ではない。魂と宇宙自然生命黄泉は連動しているからである。一定のレベルに達するとそれが事実となる。人間関係は同レベルで触発するのである。これが不思議である。不思議であるが現実である。アイデアはすべて奪われたかのようである。それを恨んだこともあった。今はそうではない。むしろ有り難い。世界を作ることも可能であるからである。これがコギトエルゴスムであったのだろう。またパスカルのパンセの目的だった。こうしたことが真実であった。一人の仏陀が真実ではない。この一年余り、書き続けた。その中には新しいヒントもあふれている。断片的である。個々の論文にすれば良いのかも知れない。世界は驚くであろう。しかしあまりにも不遜と映るであろう。知る人ぞ知る。それで良しとするところである。すでに黄泉の受容祝福守護するところである。それを日々感じている。十分である。そろそろ本来の自分に戻ることになった。この人生で失われていたものは取り戻した。それは何であったか。自信である。それはどのようにして戻ってきたか。祖先を知ることでだった。その方法は仏さんに教えて貰った。そして何を得たのだったか。カクネンムショウと無為自然だった。それは古来大和の系譜であった。しばらく失われていた。それ故住むべき世界がなかった。失われたのであるなら、取り戻すしかない。そして取り戻した。見えない世界は制覇した。これで生まれた意味は成就した。夢を未来につなぐことができた。子孫及び未来に遺すべきものがある。その発掘に成功した。古来大和魂の開発に成功した。身を以て証明することができた。それが、森有正氏の云った「経験」ということではなかったか。そのように思われる頃となった。私の青春がやっと終わったようである。これで大人となれたようである。大安心の人生が開けた。不安はこのようにして去る。これを以て大きな仕事を成したと信じるところである。それにしては、経済が逼迫した。人生と青春を失っていた。それも無理はない。真実を得た当然の対価であろう。得たものは無価値である。どういう意味か。価値がつけられない。それほどの宝の発見となった。汝自身を知ってしまった。道元貧学道の粋となったようである。道元は何も持ち帰らなかった。空手にて帰還した。目に見えるものは必要ではなかった。見える世界と見えない世界を以て実相とするという。そして現実の裕福さが成功であるとして実相より悟れという。そうだろうか。私はそうは思わない。貧学道でよいと思う。至るまでは。至れば、自ずから整うと思っている。為すべきことを成す。生まれた使命を果たす。子どもの頃からの自分を大切にする。そして新しい種を蒔く。すでに蒔かれた。逃げも隠れもしない。古来大和秘密真実の種である。どのような花を咲かせるのか。楽しみである。すでに世界は認めている。知る人は知っている。知らない人は知らない。それで良いのである。神とは何であったか。being。存在である。存在すれば良い。そして感情の赴くままで良い。何を教育してきたのか。真実を知らなかった。真実は芽吹いた。自然の約束として。古来大和の裏ジャックの誕生である。これより容赦しない。代々の約束であった。子どもの頃からそうだった。咲けば良い。何も要らない。道元空手の理由がある。咲くということはどういうことであったか。偏に己の自覚であった。汝自身を知れ。知った汝とは何であったか。ヒロシマの県木は楓である。呉市の市花は椿である。呉市の市木は樫である。持って生まれた種は何か。それを探す。それが人生である。そして自分を知ることになる。自分を知って己に恥じることのない真実の人生が始まる。真実の花が咲くまで真実はわからない。その花が咲いた。久方の古来大和の春である。祖先の意義を教えてくれたのは佛さんだった。感謝する。そして、神ながらの道を教えてくれたのは政治評論家楠和夫先生だった。これも感謝する。こうしてしばらく見失われていた古来秘密秘伝大和花としての汝自身は確定した。君が代が戻ってきた。日本の真実を愚弄無視破壊したのは事実であった。ペリー来航に乗じてのことだった。その間、何が蔓延ったか。過ぎたことはもう水に流そう。しかし、これからはご用心である。日本は日本である。新しい代となった。建設である。広島は安芸の國である。還えすべきものがある。古来大和の心である。
真実は 春は花 秋は楓と 申すべし
春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪冴えて 涼しかりけり (道元)
真実は 身心清浄 温し春
この世をば 自己とするなり 大鏡
約束の 春の来たりて 櫻咲く
さて、真実はひとつである。黄泉もその秘蔵の種はひとつである。それを大切に育む。そして導く。当然試練はある。自覚を要する。目覚めたときが花咲くときである。そして、自己を知る。持って生まれた種が何であったかを知る。デビューはその時である。それがスター誕生である。自分で咲かねばならぬ。そうした人生である。惑わしに捕まらぬように。自分自身を見つけるまでがチャレンジである。信じた自分は何であったか。宇宙自然の微笑むときまで。それぞれの種にレベルがある。大器は晩成である。そのようにプログラムされている。神風も吹く大和である。完全復活した。黄泉も待っていた。自分のために日月が照らす。自分の故に雷も落ちる。証明のために地震もある。それが秘密大和の真実である。それを開発する。その開発に成功した。すでに事実である。今、その花は何処に咲いたか。誰も知らない。知らずとも世は帝則に従う。天徳の発するところである。黄泉は誰に微笑んだか。スッパニパータにある。雨よ降りたければ降れ。学生の頃だったろうか。京都嵐山あたりをよく歩いた。何故か蕭々と絹のような雨が降るのだった。天は常に守護していた。早く目覚めよとサインにあふれていた。しかし気づけないで居た。当然である。どこにもテキストはなかった。気づくには条件があった。その条件を満たさぬ限り、わかりはしない。持って生まれた種がある。この世の幸せとは何であったか。信長は何故京都を目指したか。
2007年03月14日
ロゴス
果たして自分がそれであるとは思わなかった。しかし、それであった。そして、今思えば、生まれた時からそうだった。そして、大きな仕事を成した。何を成したのか。古来の夢を未来につないだ。究極の幸せが現実に実現することをこの身で証明した。それは何であったか。即ち、自分の為に、日月照らし、風が吹くことだった。どういうことか。黄泉があり、黄泉の守護するところがあるということだった。天下を取るとはこういう事だった。即ち、見えない世界に受容祝福され、その意思及び言葉が現実に実現することだった。その時、言葉は何か。ロゴスである。ロゴスとは、宇宙自然に通じ、実現する。何故実現するのか。黄泉が実現するからである。はじめに言葉ありきとはそれだった。現代日本語の基礎は夏目漱石と森鴎外であるといわれている。これがロゴスということである。世の中は何を浮かれているのか。テレビは何をしていたのか。しかし、その間、密かに秘密の伝授が実行されていた。黄泉の秘蔵の申し子の孤独な作業であった。あらゆる謎が解かれた。2千年来の物語が完結した。それは何であったか。すでに書いた。これより新しき人たちの時代である。すでに21世紀のグランドデザインは完成している。これより新しい流れとなる。理解しないものはおいていく。若さを失う。若さとは年齢ではない。若さとは情熱と夢があることである。真実を愚弄無視する時代は終わった。真実とは何であったか。それも書いた。宗教をも超えている。知性の時代である。今にわかる。賽はすでに投げられた。不退転。断行あるのみ。黄泉の意思である。世の中を正す。あるべき秩序を取り戻す。一億総はくち、世を腐敗させたテレビ芸能界の罪を暴く。それに乗じた企業の横暴を裁く。何を愚弄無視したのか。ある自覚が成就した。過去からの約束だった。目覚めたからには、ゆるしはしない。宗教も背いた。年貢の納め時である。日本は日本である。己に恥じるところなき大和の心を取り戻す。究極の夢が開花した。さて、言うべき事を言えたようである。胸の奥底にあったものである。積年の懊悩であった。そしてとても気楽になれた自分がある。言うべき事は言わねばならない。それを言わないでおくとどうなるか。心が辛くなる。間違っていれば直せばいい。自分の心も同じである。言わねば治らない。そして自由を得る。魂は宇宙自然生命黄泉と連動している。開発するべきは魂である。持って生まれたものがある。それを開花させなければならない。その為に生まれてきている。自分のことは自分でなければわからない。他に迎合することなかれ。自分の花を咲かせることだ。咲けばいい。野に咲く大輪の花で良い。咲けばすべてが解決する。人間にとって咲くというのはどういうことだろう。表現することだね。自分を。何事も臆することはない。清廉潔白の自分に自信があるのであれば。そして夢は実現する。身と心を正す。そうした時節を迎えた。心は晴れた。悩みの根源が解決した。言うべき事を言ったからである。これで自由である。自由の大空を飛ぶことにしよう。何もかも奪われた。それ故開示された秘密があった。それは何だったか。汝自身であった。これより失ったものを取り戻す。世間一般、勝手が過ぎた。何も見えてはいないではないか。何も知らなかったではないか。それで、何をしてきたのか。それが自由ではない。犯した罪がある。それは裁かれる。黄泉の秩序がある。それを知る頃となった。古来大和代々の秘密の花が開花した。その種は秘蔵されていた。種であるなら、いつかは芽吹く。その時節を迎えた。その為に世の腐敗も必要であった。その開花とは何であったか。ある自覚であった。しかし気づいてみれば生まれた時からそうであった。何を愚弄無視破壊したのか。古来大和の純粋精神だった。日本の運転を誤った。黄泉自然が怒っている。代々の約束が成就した。故に時代が変わる。象徴は象徴である。何の象徴であるのか。黄泉はある。黄泉は待っていた。この花が咲く時を。つまり自覚する時を。大切に育んだ。古来日本はそういう國であった。日本は救われたのである。世界も救われる。世界の中の日本。使命がある。何が使命であったのか。古来日本の精神を取り戻すことであった。それが成された。日本の歩むべき道が定まった。己に恥じるところ無き精神の復活である。日本は精神的に彷徨っていた。何故だったか。もういい。日本は目覚めたのである。失われていた自信を取り戻した。大和魂復活である。黄泉の守護を取り戻したのである。裁くのは天あるいは黄泉である。怖れることはない。武士道は死ぬことと見つけたり。自分に自信があれば、どのような結果も甘受できる。卑怯怯懦な精神の支配は終わった。悩むことはない。表現すればいい。間違っていれば正せば良い。真実の指標を開示しよう。髪の毛の癖は隠せない。姿及び面影が真実を語っている。その真実とは何か。一切種智慧。そして言う。仇は取る。歴代の仇を取る。現代には現代の仇の取り方がある。それは何か。自己の日常を取り戻す。絶対の自信を得て、この世の自由を取り戻す。そして、この世の暮らしを取り戻す。この世で幸せを享受する。あくせずせずに生きてゆける世の中にする。無理をしなくても生きてゆける世の中にする。その為に成すべきことがある。それは何か。嘘と暴力を一掃する。間違えた自由と平等概念を見直す。世の衆愚腐敗を煽るテレビお笑い芸能界及び企業の視聴率主義の勝手を見直す。愚かなる支配にはもはや耐えられない。規制するべきは規制する。あらゆる規制緩和は諸刃の刃であった。無秩序の中で何が蔓延ったか。巧妙な嘘と暴力の支配ではなかったか。それを自由と履き違えている方々の天下となった。そして腐敗した。知性及び善良並びに良識及び真面目が犠牲となった。テレビお笑い芸能界の低俗は何だ。日本の恥である。身分に安住するものたちにはわかるまい。知的傍観者は同罪である。現場世間を知らなすぎる。本来護るべき日本の価値がある。未来及び子孫に伝え遺すべき価値がある。それを何時までも愚弄無視させはしない。 黄泉に秩序がある。この世にも秩序がある。古来大和の精神の秩序がある。ペリー来航以降あるいは戦後蔓延ったのは何か。解き放たれた本末転倒魑魅魍魎ではなかったか。結果本来の日本純粋精神が貶められ腐敗した。それが自由であるか。そのような自由であるなら自由など要らぬ。本来の自由がある。それが見出された。その建設に着手するべき時である。知性の時代の復活である。大ルネッサンスである。カンニング的要領の良さだけでのし上がったものたちの時代は終わった。大和の意思がある。その実現段階に入る。日本は本来の大和に帰る。
2007年03月13日
絶対の自信
さて、佛をも批判したかのようである。それは、佛を信じないというのではない。佛からも自由になったということである。むしろ佛の全受容である。本来無為自然である。何もありはしない。生死もない。地水火風空ももとは無である。その無に一度帰らねばなるまい。そしてこの無から何を描くのか。ここに選択の自由がある。無となるとはどういうことだったか。自分自身との戦闘に勝利することである。すなわち、自由を得ることである。自分からの自由である。そして何をしても良い。自分勝手ではない。自分を制してからのことである。そして本来の自分に戻る。自分は何者だったのか。何の為に生まれてきていたのか。それを知る。過去の清算であり、過去の夢の実現である。それが自己実現である。そして得た自己を未来に託す。それが人生だった。この過程を経て隻手の音を聞いたとする。そしてどのような自己を得るのか。絶対の自信としての自己である。己に恥じるところのない大和魂の復活を以てする自己である。故に武士道は死ぬこととみつけたり。戦後しばらく忘れていた。その自己はむしろ厳しい。厳しいが故のやさしさである。刃向かうはゆるしはしない。仲間には寛大である。共に真実を知るものとして。黄泉の守護を取り付けている。そこより来る絶対の自信がある。思い上がりではない。我が為に風が吹く。日月照らす。そして思う。これまでの自分は自分ではなかった。どこまで甘えていたのだろうと。この人生、生きるに価する。生の大賛歌である。自分の道は自分で切り開く。すでに諸先達の歩んだ道がある。それを見つけ出す。素直に歩め。嘘はない。大和の血が騒ぐ。そのような時節到来である。何故か。櫻咲く頃である。常にそうだった。安易な道は好まなかった。それ故至る道がある。それは何か。自由である。
いざ咲かむ この世一つの 櫻花
菊もあり 櫻もありたる 我が身かな
秋は菊 春は櫻と なりにけり
われゆかむ 大和の花は 此処に咲く
何時の代も かくして時代 開け居り
真実は ひとつなりけり この代をも
ばんけいの 夢開きゆく 櫻かな
秘密なる 花の咲く頃 成りにける
祖父の道 父も歩みし 道歩む
そして咲く 咲いたからには 容赦なし
風の吹く 日月照らす 我が身かな
真実は 黄泉に咲くなり 命花
命とは 大和の心 知る頃と
裏ジャック この世に咲ける 季節なり
巷には 花咲き笑顔 あふれくる
自由なる 自由は自由 新しく
知る人の 無きをもこの世 恨む無し
真実は ここに花咲き 確定す
真実の 花咲く花は 大和花
一切迷いの雲は晴れた。何故か。自分自身を知ったからである。驚いているのはこの自分である。これほどのことがあっただろうか。自覚し得て不思議である。しかし事実であり、現実である。浦島太郎の見たのは是であったのである。惑いもない。月よりの生還である。遙かな夢を未来につないだ。次にこの感激を味わうのは誰か。また、何時のことか。開闢の夢である。間に合ったようである。未来は明るい。何故か。究極の夢が実現した。しばらく、誰も果たし得ぬ夢だった。その夢とは何であったか。清盛の見た望月かも知れぬ。あるいは、我が庵は都の辰巳宇治山である。
2007年03月12日
マイウェイ
日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録) The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.
父は云った。お前は大丈夫だ。私の子だ。私もお前と同じだった。どういう意味だったか。やっとわかってきた。それにしては辛い道のりだった。千尋の谷を這い上がるとはこれだったろうか。そして、かつて、明治維新の廃仏毀釈を批判した。今思っていることは何であるか。この度、宝として、惟んながらの道を得た。そして、仏についてあらためて考えている。無為自然からするとどちらが正しいのか。それを惟っている。そして、廃仏毀釈は正しかったのではなかったかと思っている。明治維新も批判した。しかし、それも反省を余儀なくされている。いよいよ、本線に復帰したのか。新幹線はまだ遠いようである。しかし、新幹線は誰の象徴であったか。知らないわけではない。さて、大和の秘密は何であったか。あらゆる相手を凌駕する。そして受容する。その本質は何であったか。無為自然。至り着いたようだ。父の境界である。かつて小方は今大竹である。大和の真実を見出せない者たちに用はない。私を見出さない者たちに用はない。私は私が見出した。大和の真実を愚弄しているとどうなるか。本籍を抜くとどうなるか。思い知るが良い。所詮、私の住む世界は何処かにある。それを探すことにしよう。梅の花は梅の花である。櫻の花は櫻の花である。訣別である。思い違い、勘違いの世は真っ平ごめんである。平家は何故滅んだか。秀吉は何故失敗したか。貴族化したからである。その後、頼朝あるいは家康が現れる。大和の真実は何であったか。思い知る時となった。何を奪ったのか。何を破壊したのか。大和の道は仏道ではない。惟んながらの道であった。通らねばならぬ道だった。無為自然に至るためには。いよいよ道が開けた。私の道が見出された。長い道のりだった。どうしようもない違和感があった。それも知らねばならぬ事だった。課題を一つ卒業である。仏からも自由となる。十分に失敗した。身も心もボロボロとなった。故に真実と出会うのだった。仏は信じる。私を信じない者は信じない。次なる道が現れた。それは何か。惟んながらの道である。古来本来大和の秘密である。これを選択することに決めたのである。日本も喜んでいる。救いたいなどとは思わない。救われたいなどとも思わない。すでに孤独である。孤独であった。誰もわからない。わかってはくれなかった。事実である。今更である。大和は愚弄された。思い知る時を迎えた。それだけのことである。仏も何を思い上がっているのか。すでに勝負した。それを魔と呼ぶ。どちらが魔であるか。知れたものではない。大和の真実はどちらであるか。知るべし。どちらが刃向かっているのか。やがてわかる時が来る。嘘を以ての盗人に用はない。今、どちらが真実であるか。無為自然。天地開闢。仏と雖も勝手はゆるさない。大和の意思である。大和の真実を愚弄無視するは何事ぞ。今何が起こっているか知らぬと見える。ロゴスが何処にあるか知らぬと見える。それで仏を語る。茶番である。私は父を知っている。祖父を知っている。それで十分である。仏など要らぬ。大きな『おせっかい』である。これが目覚めた家伝直伝大和の秘密である。仏も思い上がったか。選択を間違った。今更遅い。さぞ悲しんでいることであろう。愚かである。身の程を知らない。象牙の塔である。所詮私を見出せなかったのだ。哀れだね。残念だったね。先代の夢は潰えた。自らの使命を見誤った。何のための仏であったか。自分たちの限られた私利私欲及び支配のためではなかったはずだ。しかるべき存在があらわれた時のためではなかったか。その意思に背いた。笑うしかない。チャンスを逃した。現実世界が見出している。再び風速六十メートルか。それはない。大和もおだやかになっている。私はこの世で一度死んでいる。その後図らずも芥を払うこと三十年であった。真実の微笑んで十分であろう。何を粗末愚弄無視破壊したのか。大和の真実である。すなわち、「かんながら」の道である。それが蘇った。開発されるべきは何であったか。明らかとなった。しかし誰も見えぬらしい。少なくとも私の周囲は。是を以て孤独という。「無」を知ることは六つかしい。「無」となって「己」を知る。知った「己」はなにであったか。「天」に通じているか。「黄泉」が照らすか。自分の為に日月照らし、風が吹くか。信頼関係とは何か。「信」と「敬」とではなかったか。何を以て信じ、何を以て敬うか。それを以て拝むなどというは気色悪い。信じられなくなり、敬うことが出来なくなったのは何故か。その種を持っていないものたちの支配があるからである。それに染まってしまった。ここに公憤がある。人間関係は同レベルで触発する。基準は自分である。わからぬは、わからぬ自分を恨むしかない。これが真実である。佛と雖も私を理解しないなら、およそ程度は知れている。振り返り見れば、私の人生がそれを証明している。それは何であったか。代々の君が代であり、大鏡であった。自覚が成就した。家伝直伝秘伝武士道を見つけてしまった。今更遅い。護るべきは何か。巧妙な佛ではない。知るべき時が来たのである。三十年前に成就するべきであった。しかし自覚するにはそれほどまでに六つかしい時代であった。戦後の故であった。何もかも奪われた。それだけのことである。この度の武士道は十分に教育され、学習している。黄泉の守護も取り付けた。その本質は何であるか。無為自然。時に応じて諸問題を処理する解決能力である。それが大和の職人芸である。世間一般、何を思い上がったか。科学と称して何をし来たるか。医者は手当て及び触診を忘れた。データ処理であるなら、理学部あるいは工学部である。科学と称して成したのは自然破壊及び魂の破壊でしかなかった。DNAまで破壊して素知らぬふりである。そうして富と成したか。生を全うする。命を使い切る。それが人生である。天の守護を取り付ける。それが幸せである。個性がある。それぞれの個性が十全に開花する。それが平等である。思い通りにしてしかも法を超えない。それが自由である。記録はすでにある。己に恥じるところのない大和が復活する。四百年来或いは二千年来のことである。未来は明るい。反論あらばするが良い。何時でも議論しよう。絶対を前に議論できるか。無為自然は絶対である。これが私の道となった。私の夢は成就した。見つけるべき道を見つけた。生まれた使命は果たした。気をつけるがいい。一休禅師が髑髏を竿にさして町内を歩く。ご用心。ご用心。何を用心するのか。真実を愚弄破壊すれば黄泉から死に神が来る。これより容赦ない。本籍を抜けば枯れる。これが大和の真実である。大和の本籍は今どこにあるか。誰も知らない。代々卑弥呼の系譜邪馬台国大和古来正統日本の秘密である。異端は去るべし。茶番劇など見たくはない。上には上がある。私は佛を信じた。信じようとした。しかし佛は私を裏切った。私を見出さなかった。愚弄無視した。もはや遅い。黄泉がこの事実をゆるすかどうか。ゆるしはしない。廃仏毀釈であろうか。佛は真実を奪った張本人であった。真実とは何であったか。ゆるしはしない。覚悟するがいい。佛が真実ではない。佛の前に真実はある。真実を独占する思想はゆるさない。それを以て真実を支配せんとするはゆるされはしない。諸宗教の独善巧妙である所以である。
2007年03月11日
心
平常心是道ということがある。心とは何だろうね。良い心とか悪い心とかあるだろうか。心とは思うことだ。何を思うか。およそ思うことは欲となる。欲となれば不善である。心はどういう状態が良いのだろう。無心。素直。無事是貴人。何も思わないことだね。何も思わないところから生じる心だ。それが善と言える。そして目前の課題を坦々と処理する。それについて何も思わない。善悪の彼岸。相手も救われる。自分も救われる。そこに心がない。それが仏道だった。心が晴れている。本来の心とは何であったろう。自然の猛威の前におびえたのではなかったか。その理由をわからずに。それ故その痕跡を心に宿している。そしてそれに支配されている。本来自然は猛威ばかりではなかった。生命を育むのは自然だった。それは親の愛に等しいものだった。それが脅威でしかないとすれば、どれほど不幸であることか。チラノザウルスが現れて恐竜の時代も終わった。恐竜同士が喰う喰われる関係になった。恐竜の種としての選択の誤りであった。今同じ事が起こっているのではないか。人間同士が殺戮しているのである。また企業同士が買収関係に入った。人間の科学が自らのDNAを破壊している。これは滅亡へ至る道であろう。それに気づいているのかどうか。恐竜が滅んでほ乳類の時代となった。ほ乳類として幸せとなるはずであった。今もそうである。人類の英知が試されている。破壊されたDNAがある。ガンもアトピーもそれである。それを抱えて生存するしかない。少なくともそれを克服する方向へ進むしかない。幸せを求めて進化してきた。お話しするのに何の苦も無くできる相手がある。それが幸せな関係である。しかし、何故かチラノザウルスのような人がいる。チラノザウルスは滅んだ。そしてほ乳類としてのネズミから始まった。そのはじめに心はあっただろうか。幸せとは何であるか。此処まで進化した人類として何を選択するのだろう。チラノザウルスは自分がチラノザウルスであることを知らない。野蛮粗暴な心とどのように戦いこれを制するか。幸せはその後にやってくる。心の中のチラノザウルスを倒さねばならぬ。それが救いへの道であった。子羊となるのはその時からである。そして自然は脅威ではなくなる。やさしく育む愛となる。それが黄泉の守護である。自分の為に日月照らし風が吹く。もう争わなくても良い。本来この世は無である。その無からどのような世界を描くのか。我々の選択の責務がある。この世が腐敗した。人間の魂が腐敗したからである。自然に対して刃向かうのは人間だけである。他の存在は自然の中で生かされている。本来人間もそうであった。それが今何をしているのか。DNAを組み替える。核分裂させる。人間の思い上がりである。自然破壊でしかない。人間はこのようにして自然を破壊してきた。その報いがあって当然である。子供達のDNAは壊れた。子供達の切れるのは何故か。医者が産婦人科医になろうとしないのは何故か。この現実をいつまで隠蔽看過するのか。勝手が過ぎたとする所以である。さて人類は壊した自然の中で壊れたDNAを以て生きていく。そして幸せを目指す。それがこの現実である。しかし救いはないのか。ある。それは何であったか。真実真理との遭遇である。かつて自然の猛威の中でそれを怖れた。それを神とした。その脅威から逃れようとして文明科学の世となった。そして自然を征服しようとした。本来日本はどうであったか。神仏を認め、自然の懐に抱かれて生きてきた。何時の頃からかそれを忘れた。自然破壊に荷担するようになった。無神論がむしろインテリゲンチャとしてのステータスとなった。本来の生きている神仏を殺してしまったかのようであった。そして神仏を忘れた。しかし、神仏の種は残っていた。それがこの度開花した。真実真理が復活した。それを思い出す頃となった。ここに幸せがある。ここに救いがある。それが証明された。この事実を無視出来はしない。黄泉の計画であった。ノアの箱船が来ている。天候が不順なのは、人間社会が不純であるからである。万物同根。宇宙と魂は連動している。今ある己の魂の状態はどのようであるのか。持って生まれた魂と、この世で処した人生はどのようであったか。その結果である。甘受するしかない。しかし、それ故に、真実真理が見える時を迎えた。解くべき課題は多い。一つの課題を解いて次が来る。そのようにして課題を解いているか。あるいは課題が見えるか。何をボーッとしているのだ。 腐敗堕落が人生ではない。愚かな笑いが笑いではない。課題を解いて真実と出逢う時の笑いが人間の笑いである。 お笑いバラエティの罪は人類の進化及び魂にとって日本を貶め、衆愚をもたらし、知性を愚弄した甚大な罪である。何をしているのだ、テレビ界。雷を落とされたいのか。戦う民主主義ということがある。魂及び日本を貶めるものたちに対しての戦いもある。自由ということを履き違えていないか。表現の自由も本来絶対的ではない。腐敗堕落を助長流布増殖し、古来本来の秩序を破壊する自由はない。人間として住むことが出来る社会を取り戻さねばならない。人間の姿をした動物社会が人間社会ではない。さて、心とは何だろう。「もし閑事の心頭に挂ることなくんば、すなわち是れ人間の好時節」。此処まで知性を破壊したか。それほど思い上がったか。そうはいかない。己に恥じるところなきを以てその精神とする大和魂が復活した。故に武士道は死ぬことと見つけたり。戦後何が蔓延ったか。日本は日本である。日本の使命がある。世界の中の日本。日本の選択である。選択の自由である。どちらを選択するのか。生存か滅亡か。ところで、夏目漱石の『こころ』がある。その中で、「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」といったことが二度出てくる。精神的向上心とは何であったのか。上求菩提下化衆生ということがある。菩提心とは何であったか。その菩提心を得るとどうなるのか。絶対の自信を得る。それは何故か。黄泉の守護するところとなるからである。世は腐敗した。何故腐敗したのか。大和の精神を失ったからではなかったか。その腐敗について、知的傍観者も同罪である。すでに犯した罪がある。それが裁かれる時を迎えた。何故か。ひとつの自覚があったからである。さて、地獄は脱した。長い遍歴であった。自由は自由が切り開くとした。その時が来たようである。その為に腐敗の時期も必要であった。世は混沌となった。あらゆる可能性が切り開かれた。今そういう時代である。今目覚める時である。私の道も見つかった。ほとんど諦めかけていた。この世ではあり得ないと思っていた。しかし見つかったのである。すべては予定されていたかのようである。その為の試練もあった。すべての条件が整ったか。一切の邪魔立て無用である。刃向かうは黄泉がこれを裁く。黄泉の意思と合致した。黄泉も待っていた。黄泉の守護するところとなった。その証明は何か。即ち、日月照らし風が吹く。カクネンムショウ。雷及び地震、大風である。どのようにしてその道は得られたのか。図らずも、芥を払うこと三十年であった。見つけたものは何であったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の魂であった。これが私の道であった。思えば生まれたときからそうであった。早く目覚めよとサインは常にあった。しかしそれを素直にキャッチできなかった。自信がなかった。しかし時は満ちた。祖先、尊祖父、祖父及び父に感謝するしかない。黄泉の計画は成就した。その秘蔵の種が開花した。絶対の自信を得てのことだった。即ち、己に恥じる事なき大和魂の復活だった。本末転倒の世を正す。そのために生まれていた。そうとしか思えない。父を知っている。祖父を知っている。誰も知らない。親兄弟と雖も知らない。家伝直伝秘伝であった。世間は何も見えていない。黄泉は全て見えている。そして時を待った。この世は宝の山である。チャンスにあふれている。どのような宝を取るか。取り放題である。見えるものにとっては。開発するべきは何か。古来大和の魂であった。これですべてが解決する。解決しないのはまだそれを開発し得ていないからである。夢は実現した。究極の夢である。ある力の開発に成功した。それは宇宙の真理であった。人間関係は同レベルで触発する。真実真理はみだりに開示されはしない。仏、仏とのみ究了し給えり。さて、これからどうしよう。焦ったことはない。時間は十分にある。この世で至れるとは思わなかった。草薙の剣も確認済みである。その過程は私のホームページに記録された。謎は解かれた。しかし深い謎であった。心とは何であったか。無為自然。本来何もない。何もないところからその心を生じる。どのような心を生じるのか。この世に何を描こうとするのか。それが心である。世は腐敗した。魑魅魍魎の世となった。知性が愚弄された。知的階級は身分の上に眠った。あらゆる価値が無価値となった。世は混沌である。故にチャンスである。これより新しい価値が創造されていく。その当事者となれる時代を迎えている。目覚めよ。日本は真に世界に合流した。日本の基がそれを受容した。未来は明るい。すでに腐ったものに用はない。新しい時代である。切り開こうではないか。私たちの住むことができる世界を。あらゆる可能性が開けている。生命を十全に生きること。どのような生命も。仏は一切大衆を救うと言い切っておられる。救われる時を迎えたのである。腐敗の世は終わった。 さて、現代日本語は、夏目漱石と森鴎外によって作られたと云われている。それはどういう意味であったか。すなわち、ロゴスとは何であるのか。さて、思い違い勘違いとは何であるか。この度、はっきりした。面白いではないか。流れがある。その流れは何であるか。一つの解答があった。救われたようである。何がはっきりしたのか。大和の真実である。その真実とは何であったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の真実である。これより、それが証明されるだろう。各々、思い知る。このようにして時は流れる。完全復帰の時が来たようである。どういう意味か。今にわかる。わからないものはわからない。勝手するが良い。私も勝手する。平等である。真実実力主義の時代である。何が実力であるか。時代はこうして切り開かれる。一つの決別が確定した。櫻は咲いたようである。あるいは櫻が世に帰ってきた。大和の時代となった。お待たせしたことである。道成寺。道を開く。何の道であるか。惟んながらの道である。どういう意味か。今にわかる。こうして時代が切り開かれる。大和の秘密である。必ず相手を凌駕する。臥薪嘗胆である。惟んながらまで来た。夢に見たであろう最終地である。わらしべ長者は最後の宝を手にしたようである。長い行程であった。思い知るが良い。繁栄の条件は何であったか。一切種智慧。ある種が何処に所属しているか。それが大和の秘密である。これが本籍ということである。公務員が何故腐敗したか。会社企業が何故腐敗したか。本籍を抜いたからである。今その本籍は何処にあるか。誰も知らない。知っている人は知っている。その本籍が大和の心であった。それが芽生えた。やがて花咲く。その時には遅い。何が遅いのか。思い知る。日本は古来大和である。余り愚弄しないが良い。時は代わった。今誰の時であるか。自覚は完結した。行く先は決まった。この船に乗るのかどうか。各々の勝手である。無敵艦隊を編成する。愛と平和の国を目指す。本籍を失うとどうなるか。枯れる。私の本籍は海岸三丁目29番地である。祖父及び父の本籍は海岸六丁目29番地である。夢は完結した。興味がない者など相手にしない。
2007年03月10日
無為自然
身心脱落、脱落身心ということがある。その時笑みがこぼれる。すべてを受容する。あるいはゆるせる。この世に良いも悪いも無い。楠和夫先生から無為自然ということを教えて貰った。それは文字通り何もないのである。本来無一物である。あるいは空である。その何もないところから答えが出てくる。まさに住するところ無くしてその心を生ずるのである。案ずることはない。その時々に答えが来る。内奥からである。あるいは如来顕現。霊界に聞くとはこれであった。唯嫌棟択ということがある。計らいを嫌うのである。人間の思惑がどれだけのものだろう。しかし、そこへ至るには条件がある。ある程度の行を要する。至ってからのことである。至らねばわからない。それからのことである。至ったものと至っていないものとの差は歴然である。至らないものはわからない。わからないから計らう。あるいは善だの悪だのと思う。本来何もない。何もないところから答えが出てくる。瓢箪から駒か。あるいはタナボタか。駒が出るためには駒が無くてはならない。タナボタであるなら棚にボタモチが無くてはならない。ないのにあるのではない。それをあると思っているのが世間の思い違いだろう。無為自然である。至ってわかる。また、楠先生のいう「不信を教える」ということがわからないと聞いた。すると先生は言われた。無為より出るものはすべて真実である。信じられないことを教えることはない。すべて真実を教えるのである。なるほどと思った。つまり隻手の音を聞くということだったんだ。至る真実は一つである。真実を得て真実がわかる。その時々にわかる。普段は無である。すなわち無為自然である。自然とは何か。人間の計らいを越えた約束である。黄泉の秩序である。それを知って無為自然である。それを勘違いしているのが世間である。わかるだろうか。わからないね。知らないから迷う。知らないから怖れる。知らないのに知っていると思う。それが世間だね。それでこのような歌もある。知れば迷い、知らねば迷う法の道。何が仏の実なるらん。知ってわかる。知らないのにわかったと思っている。わからないね。ここを哀れというんだろうね。ここに至って身心脱落、脱落身心。腹は立たない。可哀想だ。子供だったら可愛い。大人は可哀想だ。大悲の心である。それほど人生は長くない。この世で至れるかどうか。幸不幸の分水嶺である。ところで、中越で地震があった。地震のことは法華経に書いてあるね。気づけば生まれたときからそうだった。何がそうだったのだろう。君が代。云えない秘密が多すぎる。云う必要もないけれど。じっと手を見る。夜の海に来ている。街は寝静まっている。空は快晴、上弦の月である。誰もいない。車の中でラジオを聞いている。色々な思い出がある。いつも導かれていた。早く目覚めよと。そのままここまで彷徨った。それで良かった。ほとんど完璧に近い自分となった。古来希である。激しい思いは去った。これと戦わねばならなかった。自分は過去に何者だったのか。それも知る頃となった。申し訳なく思う。私が悪かった。これだけの力を持つものはいない。仏と雖も相手ではない。相手を必ず凌駕する。大和の秘密である。秘密は秘密のままにしておこう。誰も見出してくれなかった。自分で見出すしかなかった。『安寿と厨子王』。首に金の観音様をかけた厨子王である。守護はあった。しかしどれだけ辛い作業であったことか。見出せるべくもなかった。右に出るものは居なかった。それ故の孤独であった。自分をも壊してみなければならなかった。大実験であった。本気になればどうなるか。知ってしまった。そして本気にならなくても良い世界が開けた。解けるべくもない問題を解いた。生まれた使命は果たした。原爆のお陰かも知れぬ。月が微笑む。太陽も風もやさしい。いよいよ世界は開けたのである。何処にいるのだろう。わが心やさしき眷属たちよ。私の旅は終えている。早く迎えに来て欲しいものである。救われたのであるが、救難信号である。瀕死の状態であることがわからなかったらしい。十九の春に遭難していた。その間何があったか。私は戦い抜いた。孤軍奮闘であった。しかし三方原である。力尽きた。そして再びジャパンアズナンバーワンの復活である。イエロー・モンキーではない。世界を救う。日本の使命がある。すでに世界は認めている。己に恥じるところ無き大和魂の復活である。至り着けばいい。ゴールすればいい。すべては自分の蒔いた種である。そして開花結実である。どのような人生を歩むのか。決めるのは自分です。他を恨むことなかれ。夢を描こう。どんなに壮大な夢でも良い。必ず実現する。この世は自分の描いた夢の実現過程である。真実成功論。真実完結開示である。私のブログ及びホームページはこの意味を持っていた。図らずもであったが、至り着いてしまった。此処までとは思わなかった。その記録となった。すべてが意味を持つ瞬間が来る。そして世界が開ける。自由は自由が切り開く。真実は真実が切り開く。そして如来を知る。黄泉が守護する。この世に怖れるものなど何もない真実の自由となる。絶対の自信がやって来る。それが与えられたこの世の人生だった。未来は明るい。新しい可能性が切り開かれた。二千年来の物語が完結した。新しい物語の始まりである。これが二十一世紀の約束だった。約束は果たされた。黄泉に導かれて。誰かが達成しなければならなかった古来伝えられし二千年来の夢が実現した。釈迦、キリスト、ソクラテス、孔子の夢だった。
さわやかさ 笑顔こぼれて 春の月
私の周りにはおだやかな風景が帰ってきた。こういうことだったのか。カクネンムショウ。すべては自分の心次第だった。風景さえも。何をしてきたのだったろう。悪いのは自分だった。すべて風景も心の反射だったのだ。これが真実であった。そしてその本質は無為自然。本当に何もない。何もなくて良いのである。何もないのだがすべてがある。nothing is all. これが彼岸である。あるいは則天去私である。あるいは本来無一物である。即身成仏である。そして幸せである。これを見つける為に生まれていた。ギャーティギャーティである。これが究極の夢である。おだやかさが開けてくる。ジャングル大帝レオのオープニングように。日本は日本である。神々の住む國である。四季咲きそう國である。嘘と暴力と愚かさから脱却する時が来た。真実を知らずして大きな事を言わないように。責任は取らされる。すべて見られている。黄泉はある。神仏は実在する。世間は地獄である。また極楽である。心次第である。開発すべきは心である。確認するべきも心である。最大の敵は自分である。自分を制して世界は開ける。真実の幸福はある。それを見つける為に生まれてきている。何をしているのだろうね。goodbye yellow brick road. 自然に帰ろう。我が為に日月照らし、風が吹く。その真実を掴もうよ。夢を実現しよう。どのような夢だって実現する。思っている自分となる。すべて自分の思った結果だよ。諦めたら終わりだよ。やさしい世界が待っている。おだやかな世界が待っている。美しい風景が満ちてくる。風景があなたを待っている。どのような夢を描きますか。殺戮ですか。幸せですか。世界は待っているのです。あなたの描く夢を。夢は実現します。神仏とだって逢えるのです。これを以て無学です。人生は楽しい。生きるに価する。どのような人生であっても。どんなにハンディがあっても。
地上ヘブン=世界論
ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。 宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。 ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。 しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。 既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。 努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。 要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、 ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。 今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。 これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。 時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。 無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。 何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。 安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、 攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、 経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。 社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。 若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。 美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。 みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、 いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。 この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。 何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。 だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip! 親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。 自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。 思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。 これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。 そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。 間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。 門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は? 意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World. どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you? お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。 花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山! 理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。 自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。 知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分! 積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。 周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。
2007年03月09日
黄泉の真実
トルストイは晩年になって自らの芸術性を否定した。そして原始キリスト教に基づく民話を書いた。その中にこのようなお話があった。日が没するまでにできるだけ広い土地を囲うのである。そしてその土地が自分のものとなるのだった。これがある意味で宝探しであり、また、自由の報酬であった。宝を見ることが出来る輝く瞳の目覚めたものには、この世は宝の取り放題である。それがキリストの言う「思い煩うことなかれ、日々食は与えられている」であった。そして、法華経には窮子の話がある。低い身分で彷徨っていたが、やがて自分がその国の王子であったことを知るのだった。芥を払うこと三十年にして生まれた自分に戻るのだった。乾坤大地が我が領土だった。自然も従うのだった。自覚した魂は黄泉及び祖先が守護するからである。さて、地獄を彷徨ったことであった。全て奪われてこの身一つとなった。あるいは裏切られた。しかし奪われたのでも裏切られたのでもなかった。地獄では当然であった。それを知らなかっただけだった。つまり阿呆だった。しかし阿呆であるが故に悪を為さなかった。トルストイによってドストエフスキーの『はくち』のムイシュキン公爵が最も美しい人格の表現とされる所以である。月に帰る『かぐや姫』の話がある。世間に住むことができる世界はなかった。それで月に帰ったのだった。それは、彼岸でもあった。さて、この世に彼岸がある。この世に天国はある。地獄があるのと同じように。地獄の務めを果たす。それで天国に帰ることができる。それを懺悔と呼ぶこともある。それが月の世界である。この世に生きながらにしてある。つぶさに地獄を見た。そこに住むことはできなかった。その間、何をしていたか。思索していた。世間が浮かれている間に。そして何を見つけたのだったか。黄泉の守護だった。自分のために日月照らし、風が吹くことだった。親鸞の「自分のために仏は法を説く」に等しい。何もかも無くなった。人生も青春も失った。それ故に得た世界がある。それが自由だった。あるいは月の世界だった。それが救われたということだったと気づいたのはつい最近のことだった。そしてどのような世界が開けるのだろうか。『ワンス・アップオン・タイム・イン・アメリカ』のエンディングのロバートデニーロの笑いだった。あるいは、天を仰ぐ『ショーシャンク』だった。これが≪アメリカンドリーム≫ではなかったか。また、『アメリカの祈り』ではなかったか。これがアメリカの自由だった。その自由を原爆の火を通って大和魂が受容した。火裏蓮である。あるいはフェニックスである。市民革命以来の自由の勝利である。戦後、日本国憲法プログラム規定が成就した。主権在民、国民主権である。本来の民主主義が開花した。さて、月の世界に帰ろうと思う。この世にそれはある。地獄よりの『大脱走』だ。そして住むべき世界が開かれる。きっと真実の伴侶も待っていることだろう。これが自由を切り開いた報酬である。すでに世界は開けた。おだやかでやさしい世界であった。やさしさと笑顔ですべてが解決する世界だった。持っていた弓を縛った世界だった。夢は掴んだと確信している。未来は開けた。今日素敵なカップルに出会った。すばらしい部屋の住人だった。一人の子があった。そこには上質の確かな幸せの形があった。梅は咲いた。櫻も咲いた。やっと時代に追いついた。これからは誰の代であるか。誰も知らない。先祖代々大和の秘密である。あるいは掟である。日本とはそういう国である。わかっているのだろうか。これが真実である。真実は黄泉が守護する。真実を愚弄すれば黄泉がこれを裁く。これよりそれが実行段階に入る。真実を悲しませるとどうなるか。死に神が来る。これが神風も吹く大和の真実である。黄泉の守護し給うということである。何時までも真実及び自然を愚弄無視破壊することはできない。神は畏るべし。仏は誉め讃え奉るべし。松井選手は昨年何故骨折したのだったろうか。大リーガーとして日本国代表を拒絶したことと無縁ではないのではなかったか。巨人軍から自由になって日本國からも自由となったとでも思ったか。思い違い勘違い我見というものは怖ろしい。何が基準であるか。真実である。真実とは何であったか。実在する神仏である。真実が目覚めている。腹を空かせている。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本が永い眠りから目覚めた。群れを成す獅子たちの時代である。それが宿王華開花である。雑草の時代は去った。雑草が蔓延りすぎた。嘘と暴力で富を得た。勝手が過ぎたという所以である。何時までも世間の勝手は通らない。その理論も完結した。カクネンムショウ証明の日々である。『2001年宇宙の旅』の謎が明らかとなった。そのエンディングは何であったか。誰の食事であったか。大鏡ではなかったか。さて、自信とは何であったか。言い切れるか。何を言い切るのか。これほどのことを言い切るためには時を要した。証明しなければならなかった。自覚しなければならなかった。経験しなければならなかった。試練に耐えなければならなかった。そして見出したものは何であったか。サマセットモームの『人間の絆』だった。得たものは何であったか。ルソーの『告白』だった。堰を切ったように流れ出す大無量義の泉だった。そしてサージェントペッパーズハートクラブバンドの『コンバット』の軍曹である。あるいは『隠密剣士』である。あるいは『カートライト兄弟』である。一生現役である。腐った世間に未練はない。真実が目覚めた。故に腐敗も必要であった。未来は明るい。楠和夫先生が言っておられた。男にとって女は生活の一部である。女にとって男は生活の全てであると。男が女を裏切るとどうなるか。平等即差別。それぞれ十全に生を全うする。生命を使い切る。それが成仏である。制度も教育もその為にある。
黄泉からの 神仏来たる 春の海
切り捨てる 有象無象は おいていく
2007年03月08日
いくつか
何かあると 巻き舌になるね 正体を現したね
話す言葉は その内容よりも そのトーンが 人を動かす
書いた文字にも トーンが秘められている 読むよりも聞こえるだろうか
五官があるね 大切にしたいね
すべてを神仏に委ねることができるだろうか 任せ切る その時安穏がある
ボーッとしている人が多いね 夢を失ったのだね
それにしても 見られている 大鏡
自己否定しないことだよ 夢は実現する
何を求めているのか 求めた自分となる
倩女 善財童子 永い旅から 帰ってきた
庭前柏樹 木の幹に耳を当てて 樹液の流れを聞く
耳に手を当てて耳を閉じて 時速60キロの血流の流れを聞く
岩石だって 生きているのだね 山も歩くね
大英博物館 殺戮なんてできないね
マイペース マイウェイ 人生焦ったことはなくて
何時か辿り着く 日月照らし 風の吹く
サインが見えるだろうか 聞こえるだろうか 黄泉自然が導いている
万感の 思いをはせて 夢実現 この道たれと 共に歩まむ
清祥なる朝 日の光は やさしくて 凛としたおだやかさ
絶対の 精神此処に 成就して 大和の國は おだやかなりけり
何もかも 腐敗もすべて 取り込んで 大和ザクラは 世界に咲く頃
子供達 すでに壊れた DNA 障害超えて 未来楽しむ
究極の 力宿して 行使せず
弓縛る 佛はこれを 意味するか
佛とは 生かすも殺すも 自由なり
宇宙なる 有無開閉 佛なり
人類は このまま生きる 選び取る
これよりは 世間身勝手 とおりゃせぬ
たおやかな 時代を此処に 開きけり
佛とは 神をもしのぐ 力なり
やさしさは 厳しさ故の 佛かな
佛とは 激しさ滅す 結果なり
人格の 激情抑えて 佛なり
刃向かえば 黄泉の守護する 佛かな
だれよりも 激しき心 黄泉も従う
知らずして 刃向かう心 世間かな
2007年03月07日
日本の本来の価値
私は何をしてきたのだろうと思う。すべてが中途半端だったのだろうか。かつて成績に於いては、9教科で10を八つ並べた。クラブ活動では県体選手でありながらである。スポーツにも専念していた。その時、当時通っていた塾の先生が言われた。故に苦労すると。その通りとなった。特別の事情があったのではあるとしても。器用貧乏というべきか。また、その後、この年まで自分なりに思索を重ねた。学者貧乏というべきか。しかし、尊大な自尊心が尚ある。ここまで社会経済的に逼迫しても、道元貧学道であるとかいう自分が居る。このようなことを世の成功者は知っているだろうか。さて、どちらが人生の勝者であるのか示さなくてはならぬ時が来たのだろうか。何がナンバーワンであるか。知らしめなくてはならないのだろうか。馬鹿馬鹿しくはある。しかし世の幸せも示さなくてはなるまい。成績だけではない。この度見つけたものがある。空海の夢であった。このようなことを言うものがあったか。それにしても愚弄してくれたものである。本当にそう思っている。何を愚弄したというのか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本である。世の成功論は資本主義を前提にしている。つまりペリー来航以来の成功論である。これでは日本は浮かばれない。その根底を批判した。それをしたものがあったか。カルバン以降の重商主義を批判した。貨幣の本質も見つけた。その基礎は野蛮に奪ったインカの金であることも。古来日本の優位を歴史的に説いた。19世紀に没落していた西洋もそれを求めているとした。それが日本の使命であるともした。旧約聖書の目的も解いた。そしてどうするのか。自信を回復した己に恥じる事なきを以てその精神とする大和の出撃である。原爆の火を以てしても焼き尽くせなかった黄泉秘蔵の花である。当事者でなければわからないものがある。それで真実を知らない似非学者を批判した。そしてフィールドは世界である。この理論をどのように実践するか。これからの課題である。日本の本来の価値を見出したとする所以である。さらに、神風の吹く秘密も見出した。古来大和を裏切って吹くことはない。振るわば大風の吹く草薙の剣も確認している。さてどうするのか。大和日本の知性が復活するときである。それでいいのではないのか。これで十分であろう。法華経宿王華開花。聖徳太子以来の日本の精神の復活である。まだわからぬか。まだ逆らうか。まだ刃向かうか。真実を知らず何を勝手し来たるか。雷も守護する古来大和の精神は健在である。古来大和の秘密がある。正直を以て黄泉の守護し給うところである。織田信長は何故京都を目指したのか。平家及び秀吉は何故没落したのか。所詮一切種智慧。君が代。古来大和の秘密。家伝直伝秘伝螺鈿乃槍。あるいは弁慶の薙刀。真実を愚弄無視するはゆるされはしない。今、真実が糸車の針を抜かれ永い眠りから目覚めている。キリストは言っている。唯、神を畏れよ。苛立たせないように。仏は云っている。仏を誉め讃えよ。神仏を腐している。それが無神論である。黄泉の秩序を無視する世の知識リーダー達である。世を紊乱する所以である。 テレビバラエティ芸能界は語るに堕ちる。日本の恥である。しかしそれも良いではないかと思われるようになった。私も進化したのかも知れない。私は私で自分の住む空間を切り開くしかない。切にそう思うようになりつつある。このままで終わるわけにはいかない。それこそ、これまで導き守護してくださっていた祖先及び黄泉に対して申し訳ない。時代が悪かった。それ故に咲く大輪の花である。まだ、証明しなくてはならないことがある。それに気づきつつある。 すでに一般的な仕事は成したと自負する。マクロは完成した。これより各論であろう。私は幸せになろうと思う。見えない世界は制覇した。次は見える世界である。今に見ているが良い。成功の秘訣は忍耐ではない。法華経宿王華一切種智慧忍辱の大力、この怒髪天をつく成仏を見よ。明治以降古来大和を愚弄跋扈する魑魅魍魎を粉砕する。そして本来古来大和の精神を復活せしめる。世界の中の日本として重要な地位を占める。昭和の世は誰の代であったか。誰も知らない。今日は父昭亮(あきのり)の誕生日である。昭和二年三月七日のことだった。没したのは平成元年五月二十二日のことだった。父は十六歳で志願した。赴任地はカムチャッカと聞いている。予科練の教官もしたとか。復員したのは網走だった。刑事でもしたらしい。今に網走から便りがある。思い出あるいはロマンの一つもあったのであろう。その後国鉄職員だった。蒸気機関士であった。最後までブルートレイン機関士として現役だった。父の無念も晴らした。そう思っている。何もかも奪われた。すべて民営化された。私の家はたばこ屋である。公衆電話はすでに近くの魚屋さんに譲った。まだ切手は売っている。郵便ポストもある。JR川原石駅は徒歩1分である。私の家の主たる柱は三本ある。黒檀、櫻、椰子である。梁は松である。鴨居は黒柿あるいは黒檀であろうか。故無きことではない。祖父の家である。祖父は桑原良亮である。広島藩桑原は明治に没落した。入り婿で後藤となった。その因縁が解かれた。尊祖父桑原千畝の肖像画は私が受け継いでいる。宿命は果たした。それは失われた古来大和精神命脈発見だった。祖先の無念を晴らすことが私の使命だったのであろう。それは果たした。これが大和の秘密である。理解するものあるか。これを証明するまで私の人生は開けなかった所以である。故に言う。何を勝手し来たるか。このブログ及び私のホームページが何を意味しているか。そろそろ気づく頃である。もはや日本古来の真実を無視愚弄破壊させはしない。黄泉自然の守護し給うところである。人類及び子孫のために遺すべきものがある。自然の名において。武士道は死ぬことと見つけたり。何故死ぬことが出来るか。己に恥じるところなきを以てである。全て失った。しかしこの精神は生きていた。芥を払うこと三十年。精錬された精神である。怖れることなど何もない。これが古来伝えられた日本の価値である。それを愚弄無視した。日本刀を人切り庖丁と揶揄した。それが世間である。そしてどうなったか。卑怯怯懦商人根性が跋扈した。そして腐敗した。成功と称して何をし来たるか。すでに古来秘密は解いた。古来秘密天下の力も確認した。勝負するのかね。さて、求めていたものは見つかった。ここまでしなくてはならなかったとは。そういう人生もある。笑うこと勿れ。咲いてわかる。結果が出てわかる。数字を得てわかる。それもやっとわかった。やはり悪いのは自分だった。世間を恨んでも仕方ない。知らなかったのだから。故に世間はチャンスに満ちている。何の制限もない。宝は取り放題である。咲くのか咲かないのか。勇気を要する。咲けなかったのは自分が怖いのだった。その自分を制する。自信が来る。勇気が来る。究極の自信はどのようにして来るのだったか。黄泉の守護を取り付けることによって来るのだった。黄泉自然も従う。そうした自信もある。古来大和の秘密だった。それが成就した。事実である。日々証明を得ている。自分のために風が吹く。あるいは、日月照らす。カクネンムショウとはこれだった。これはわからない。時を要した。当然だった。これほどの宝である。古来大和の秘密である。今日あるところで良い言葉を聞いた。チャンスはピンチの形でやってくると。人生は開ける。亦、楽しからず哉。諦めないことである。夢は実現する。良い時代である。時代を生かすも殺すも自分次第である。人生もである。未来は明るい。真実はやさしい。難しいのは自分である。 道はある。関門もある。どのようにしてそれを見つけるか。どのようにしてそれを突破するか。自分次第である。人格次第である。それも学んだ。涵養するべきは人格である。真実人生形成論。己の歩んだ人生である。その結果である。甘受するしかない。咲いた花はどのような花であったか。その結実を楽しめるか否か。結果良ければ全て良し。人生は楽しい。露。関。さて格子戸がある。牛が角も通った。身体も通った。尻尾が通るか。人生運転、腕の見せ所である。
2007年03月06日
明るい未来へ向けて
何事も楽しむことだね 人生は良くできている
どんなことも 知らしめんが為だった 何を知らしめんとしていたのだろう
人それぞれに求めるものは異なっている
自分の本当に欲しいもの それは何だったろう それが夢
それを見つけることから始めよう
過去からの自分がある 未来の自分がある
自分はどのような自分になりたいのだろうね
それぞれのポテンシャルがある そこから始める
過去からの自分に 良いところと悪いところがある
悪を滅ぼす 良いところを選択する そして 一歩進める
それが この世の人生だよ そして 進歩した自分を確認する
その時 幸せだね 人それぞれにそれは異なる
幸せは その進歩の成果だ 同じ事でも 幸せと不幸せとある
ある人には幸せ ある人には不幸せ
評価の基準が異なっている 何故だろうね
50の仕事をしたとする 50の能力の人は百点満点だよ それを教える
100の能力の人は0点だよ 何故だろうね マイナスが50あるから
幸せの基準でもある 幸せは相対的だ それを知らなかった
悲しみとかは 自分の思いと現実とのギャップだった ギャップであるなら埋めればいい
それぞれ 幸せが約束されている その形及び程度は違う
違っていていい 幸せは自己実現だった 個性がある その個性を十全に開花する
それが平等だ それが教育の目的だよ 草には草の幸せがある 樹木には樹木の幸せがある
それを 絶対的平等と思っていなかったか 不幸はそこから来ている
権力金力武力が幸せかと思われた時代が長い しかし 時は流れた
それぞれが幸せになっていい そういう時を迎えた それぞれ幸せになることができる
その能力は それぞれ 与えられている 少し努力すればいい それを教える 理念と技術と
勉学はその為に必要である 問題解決能力を磨く それを否定してどうするのだろう
今の自分から始める それで良い 教育はその為にある
何事も一朝一夕にはいかない 全ては種を蒔くことから始まる そしてそれを育てる
子供だってそうだ そして花が咲く 結実を得る 未来へつながる これが一切種智慧
さて 種を蒔く どのような花を咲かせたいのか その為には種を選ぶ 選択の自由がある
自己の花もそうである どのような花を咲かせたいか決める 夢を実現するために
持って生まれたDNA その中に種がある 善の種がある 悪の種もある
どれを選ぶのか それは心を決めるということである そして どう育てるのか
それぞれ部品がある それを どう組み立てるのか どの部品を選ぶのか
そうして自己形成していく 花と咲く それが表現となる 表現の自由である
芸術だけが表現ではない ビジネスでも良い 宗教でも学問でも良い 哲学でも良い
子育てでも良い 人生は様々である
さて どのような花を咲かせるのか どのような結実を得るのか
結実して種を得る それを未来へ流す どのような種を流すのか
今が未来を決める 今を解決することで過去も清算される
今が要だ 自分が要点だ 今の自分が未来を決める 自分は何をするのか
ここに 自由がある そして その可能性を担保する平等がある
その為に勉学する 己を開発する それが 人生だった
戦いは自分との戦いだった 自己の悪を制圧する それからが本当の人生となる
時を要することもある それも良い 制すれば良い
さて どう生きるか わかってきただろうか 前向きに生きる
後ろ向きの時があっても良い 七転び八起きである 最後に一歩前進する
前進した自分を未来に託す これで明るく楽しく生きてゆける 自由は自由が切り開く
明るい未来を切り開く そのためには 過去の悪を反省する 同じ轍を踏まない
やがて究極の自由へ至れる 今世で至れなくても良い その為に来世もある
今世の終わりが来世の始まりだ そこに 未来が開ける
いつかは 自分のために 日月照らし風が吹く 究極の夢が実現する
過去から伝えられたことだった それが古来大和の秘密だった
神風も吹く国である 古来大和を裏切っていては吹かない 大儀がなくては吹かない
何時か至れると良いね 必ず至れる 夢は実現する この世は過去の夢の実現過程だ
人間は間違う 間違っても良い やり直せば良い 間違ったところから始めれば良い
しばらく 自信が失われていた 無理もない 戦後の故だった
今 その自信を回復した 回復したのであれば そのように進もうではないか
知性の復活である しばらく眠っていた その間 衆愚魑魅魍魎が跋扈した
それも これまでである 大象が目覚めた 小径を行かない 踏みつぶされないように
ご用心 ご用心 一休禅師は正月に何をしたか 髑髏を棹につけて町内を歩いた
何故だったか 真実を愚弄無視すれば死に神が来ることを知っていた 古来大和の秘密だった
今信じていること
おだやかな朝である すがすがしい朝である 今 仏所にいる 宿直だ
さて あらたなステージの始まりのようだ これからの課題は何か
おだやかさと やさしさ 日常としての確立だ そして 人生が開ける
それを 実行実験する 本来の生とはこれであったと
これを見つけるまでには 地獄も彷徨っていた およそ 生還は難しかった
しかし 生還した 希な人生だった 能力はあった 開花しなかった
時を要した それほど困難な人生だった あまりのギャップがあった
だが 何かを信じていた 自分を信じていた 確信はなかった
ここにきて 確信に至った ひとつの証明である 実人生である
おだやかさと やさしさと それで人生が開ける それを信じている
人生が開けるのは 努力の外である 黄泉が認めなくてはならない
相応の人格が要求される 能力に応じた自分を開発する
教育の目的はそこにある 機会の平等では足りない
それぞれの個性を開花させる それが教育である
小学校までは それがあった 中学になると それはなかった
高校大学でもそれがなかった それで 日本の宝が失われた
何を思い上がっていたのか 魂の秩序がある それを無視した 事実である
裏切りと 欺罔と 暴力の 支配 いつまでも 蔓延れない
真実が顕現するとき あらゆる謎が 解かれる 解く者が現れる
次は誰が解くのだろう 過去からの約束である 真実はある
人生を賭して解く そのために フリーターも良いのかも知れない
真実を知らない似非学者は低い魂レベルで大きなことを言わないが良い 罪である
戦後教育は民主主義だった それはそれで正しい 平等な教育だった
しかし それで皆同じと思った 私もそれに従った それ故 私の人生及び青春は破壊された
平等即差別 教えは平等である しかし受ける器は違う
下位の魂は上位の魂を教えることはできない 教師は思い上がりがあった
知らないことについて謙虚さが無かった 無神論が常識で敬虔を教えなかった
そして 民主主義は衆愚主義となった だれもが主張する 愚かな社会形成だった
その結果が今である およそ腐敗である テレビは見るに堪えない
私たちは私たちの住むことのできる世界を取り戻さなくてはならない
その鏑矢は放たれた 放ったのは誰か 世間は誰も知らない 知る人は知っている
それで十分である すでに自得自覚確信である 天が証明している
反論あらばするがいい 何時でも応じる しかし 誰がために鐘が鳴るか
知る時が来ている 古来大和復活顕現 神仏実在 黄泉自然も従う 勝負にならない
ここまで来なければ私の人生は開けなかったか あまりにも戒められたものである
あまりにも酷であった しかし その試練も終わった もはや自由である
私は縷々と書いてきた それはそのまま ピアノソナタに等しい
しかし 今世では評価されないのかも知れない 正しく理解できないだろう
それはそれでいい 未来のためである 子孫のためである 遺すべき大和の秘密がある
誰もが悟ればいいというものではない しかるべき悟りが来る時がある 今その時である
それほどまでに 時代は方向性を見失った それ故 黄泉の秘蔵の種があった
鈴木大拙「信仰の確立」
存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。
2007年03月05日
幸せの条件
何もかも 自分次第って わかってきた 善いことも 悪いことも
どこまでも やさしく そして おだやかに それで すべてが 解決する
笑顔でいることが出来るから どんな時でも それで すべては 解決する
神仏の守護を取り付けることが出来るから それが 自分に克つ ということだった
これ以上のことはない 幸せは 自分に克つことで やってくる
何があってもゆるされる 何があってもゆるすから
欺かれはしない 欺くことをしないから
黄泉が見ているよ すべて見られている
何を求めていたのだろう 幸せだった
幸せって何だったのだろう 神仏の守護と知足だった
それで 十分に幸せだった
これから どうして 生きてゆこう このままで いい もう宝を得たのだから
それは何だったのだろう 神仏との邂逅と祝福
正直者のこうべに神は宿る 本当だった
もう不安はない それが安穏 その世界はある どこにあるのだろう
自分の中にある 戦うべきは自分だ 自分との大戦争がある これを制して自由となる
世の大人達はどうだろう 逃避しているね そして 腐敗堕落していく それを人生だと思ってる
違うよ 身心清浄の世界がある 仏法の目的だった 今にわかる すでに 証明してしまった
これから 世界が変わる 本当だよ ゆるされはしないよ
ただ 佛さんに聞いて あやまることで ゆるされる
それより ほかに 道はない その道も 見つけた
それは 宗教というよりも 宇宙の法則だった
すでに 実践実験実証検証確認済みだ
どうして それが 言えるのか 即ち 日月照らし風が吹く
宝は見つかった 何か失われた大切なものだった
卑弥呼の系譜邪馬台国大和純粋精神だった
己に恥じるところなきをもってする大和魂だった
あるいは 武士道 だった
そして それは正統日本の花だった
それが 開花した 黄泉の守護する秘蔵の種だった
原爆の火をしても焼き尽くすことはできなかった
古来大和の秘密が顕現した あるいは 伏流した
日本の基が定まった 君が代だった 代々の務めであった
自分を知る旅がある 自分のことは自分でなければわからない
自分を知らなければ 自分の人生はない
誰も教えては呉れない 自分で探すしかない
それ故の勉学である ほかに目的はない
この秘密を解くこと これが幸せの条件だった
求めていたものは見つかった それは何であったか
失われた自分だった それを探す旅だった
芥を払うこと三十年 導かれてのことだった
時を要した 今世では間に合わないかと思われた
しかし 手にしたのだった それは急に開かれた
そして 心の泉があふれ始めた 尽きることはない
失ったものは大きかった 手にしたものはさらに大きかった
これほどまでとは思わなかった 究極の宝である
自信をもたらした 勇気をもたらした 求めていたものだった
失われていたものだった こうした人生もあるのだった
世の成功とは違っていた しかし 求めていたものだった
この世は夢実現のためにある あなたの夢は何ですか
途中で諦めていませんか あの世に帰るまでがチャンスです
諦めないでくださいね 必ず実現するのです 夢を大切に
夢が実現すること それが 幸せですね 法則通りです
努力だけでは手に入らない がまんなんかじゃありません
忍耐でもありません 持って生まれた自己なのです
それを知るところから始まるのです 醜いアヒルの子です
あるいは 糸車の針です そこより 逃れるのです
どのようにして 逃れますか その答えはすでに書きました
自分が問題です それを解くのです 数学的に
勉学は必要です 要領の良さでごまかしても無駄です
自己を解いて 安穏気楽な人生が開けます
流した涙は 多いほど良い それだけ 目が輝きます
あらゆる深刻を通って 安穏気楽 がやってきます
あらゆる失敗を通って 成功 がやってきます
やさしさは 厳しさを通ってのやさしさです
本当の人生が開けます 子羊のように生きてゆける強さがあります
究極の強さとは何でしょうか 最高の自信とは何でしょうか
神仏に受容され祝福されたときにわかります
そこへ至る旅 善財童子は帰ってきました 月の砂漠から
過去から彷徨っていたのでした 帰ってくる時を迎えたのです
この世で実現したいですね あなたの夢は何ですか
考える人と 考えない人がいます
無学という言葉があります 考えることを卒業した人です
考え尽くして 考えることが無くなった人です 考えない人ではありません
世間はここを勘違いしている
のらりくらり 瓢鯰図 行雲流水 は 考えることが無くなったとき やってくる
一つの課題を仕上げる 次の課題がやってくる 人生とはそうした回り舞台です
どのような課題を解きますか 古来卑弥呼の系譜を解きますか
人それぞれに解くべき課題があります 経済的観点からは不経済な課題もあります
価値の観点からは どうでしょうか しかし 経済的観点から無視粗末愚弄しましたね
宇宙を漂流していたハルは 無事 自己修復 地球に戻ってきました
社会に於いて漂流を始めたのは スペースシャトルが初めて地球に滑空帰還した頃のこと
アームストロング船長は云いました この一歩は小さな一歩であるが人類にとって偉大な一歩である
このようにして 過去を未来につなぐのです 何思うことのない 笑顔が帰ってくるのです
自分についてあらゆる問題を解決した笑顔です 十九と五十一のハルがつながるのでした
すでに出会った素敵な面々に云いましょう また 来世で逢おう きっとうまくいく
私は日常に帰る 出世したいなどと思わぬ 今更である
見つけた宝はそのまま埋めていく その力を行使することはない 祖先も静かに眠り給ふべし
私は私を解決した 自分自身とその祖先の力を知ることができた それで十分に幸せである
次は あなた方の番ですね 宝を見つけてくださいね 幸せの条件を見つけてくださいね
先日 出会った彼女は云った 何時も逃げるでしょ 特別な事情があった 説明不能であった
さがしものがあったのだった 私の住むべき世界がなかった 彷徨わなければならなかった
子供の頃から そうだった 特異な人生だった 何時も何かに邪魔された
それを解決しなければならなかった その正体がわかった 自分自身の中にあった
それと対峙しなければならなかった そして その正体を見極め対決しなければならなかった
それも果たした 自分の中にあった仇は取った そして 求めていた自分となった
すでに私の使命は終えた 一つの仕事をしていると思う 知る人は知っている
日本を救ったのかも知れない 世界をも 代々の掟であった 表に出ることはない
私の生き方だった 自負するところはある それ故 ダルマの如く 天竺に帰る
徳利をぶらさげてね 伝えるべきは伝えた その手応えは得ている
これから何をしよう それを案じている 経済を立て直そう
ふつうの幸せを手に入れるために
諦めないことだよ
何故自信を失っていたのだったか。どうして人生と青春を失わなければならなかったのか。それは、それまでの自分では幸せになれないことを知っていたからであろう。幸せになれない自分は人を幸せにすることも出来ない。それで縁もなかった。 結婚する気になれなかった。彷徨わなければならなかった。住する世界はなかった。探さなければならないものがあった。それを見つけた。図らずも日本の失われた自信を回復する理論も見つかった。さて、人を傷つけることが怖かったのだろう。自分が傷つくのが怖かったのであろう。故に、自分が自信を回復するまでは本当の人生は開けなかった。また、幸せの条件を見つけることが使命であったのかも知れない。すでに公害もあった。戦争もあった。およそ幸せは予定されていないように思われた。しかし、世間は何も考えることなく、平和の世に欲望実現だけが目的となり、その精神は腐敗していった。今のこの世の風潮は何か。まともではない。すでに堕落したものたちは淘汰を免れない。ところで、何か失われた大切なものがあると直観していた。そしてそれを探した。そしていつかは辿り着くのだった。宝は発見された。それは何であったか。すでに書いた。これより私の人生が始まる。私たちの代である。失われた自分をつなぐことができた。本来の自分の彫像に成功した。自分を救うのは自分である。自分のことは自分でなければわからない。失われた自分を発見する。その為には時を要する。この世で達成できれば幸せである。できなければ、来世に期する。それ故の来世である。来世は今世の終わりより始まる。魂は不滅である。魂も輪廻する。この世でそれを確認するは稀である。しかし事実である。知らないものにとっては神秘である。しかし、昔より伝えられていた。何を学んでいるのか。何を教えているのか。何を求めているのか。世間虚仮。唯仏是真。すでに物語に謎は秘められていた。一つわかれば全てがわかる。そうした究極の一つがある。それが真実である。それをいつの間にか諦めて人生としている世間である。愚かであろう。それをも認めない。哀れである。しかしね、諦めないことだよ。いつかはわかる。来世でわかる。真実は真実である。真実に刃向かってどうするのだろう。真実を壊してサンクションがないわけがない。償うべきは償う。身体自由財産を以て償うべきは身体自由財産を以て償う。生命を以て償うべきは生命を以て償う。タリオだよ。掟だね。そして身心清浄となる。佛に謝ればゆるしてもらえる。それは別論である。新しい人生を始めるためにそして新しい時代を迎えるために為すべきことがある。そして宇宙と自己の魂が一体であることを知る。この時、神仏に受容される。真実を知ることになる。真実とはこうしたことだった。話は尽きない。尽きない真実を発見する。それが大無量義であった。しかしその真実は一つである。それが一身即三身、三身即一身、無作三身のご本尊様である。それはどこにあるか。探すしかない。それも見つけた。何を以て真実を聞く耳がないのか。すでにその生まれが悲しい。素直な人は聞いてくれる。刃向かうは何故か。ところで、今、 RCCラジオで言っていたことが気になった。子供からの悩みに応える深夜放送である。その中で、机の上で勉強しても社会に出て具体的に役に立たない。皆で一つのことを達成すること以上に価値のあることはないと。そうだろうか。自分を解決することがこの世に生まれた意味だよ。自分のことは自分で解決しなければ出来ない仕組みになっている。その方法論を聞いてもそれを実行できなければ何にもならない。机の上でこつこつ勉強するのはその時のためである。また、皆で一つのことを達成するとはバベルの塔を建てるに等しい。およそ人間であるかぎり間違う。ラジオの深夜放送で子供達の悩み相談をする。それはそれで正しい。しかし改めて間違った方向に導く。究極の解決から遠ざかる。人間行為とはそうしたものだろうか。あらゆる教師が本当のところを知らない。その知らないことを知らない。この事実を認めるべきであることにも気づかない。無神論の時代である。真実を壊した結果の時代である。取り戻すためにはどうするか。真実を知るもの達が立ち上がるしかない。それが秩序の回復である。秩序があって平和がある。平和があって自由がある。自由があって暮らしがある。皆がそれぞれの持って生まれた個性を十全に開花できる。それが平等である。真実を知るものが迫害される。善良であるが故に騙される。そのような馬鹿げた世の中はそろそろ卒業しなければならない。人類も進化している。地球もである。何を思い上がっているのか。知らしめられたいのだろうか。どういうレベルで言っているか。地球にとって人間という形態などどうでも良い。地球を破壊するもの及び自然を壊すものたちがいつまでものさばってはいられない。 恐竜だって滅んだんだよね。何故だったか。チラノザウルスが現れて滅んだのではなかったか。魂の進化の過程ではなかったか。恐竜は恐竜の進化の過程で選択を誤った。それ故滅んだ。人類も同じ轍を踏むのか。万物の霊長としての人間である。その知性を使い切ることによってのみ、地球と自然に受容される。そうではないと言い切れるか。人類はその思い上がりの故に自らのDNAまで破壊しつつある。注意欠陥・多動性障害の原因もそれではなかったか。今まではそれを知らなかった。知らずに企業は利得してきた。何を犠牲にしての利益だったか。償うべき時を迎えた。今それが明らかとなりつつある。さて、選択の自由である。何を選択するのか。生存か。それとも滅亡か。人類としての選択を迫られている。知らぬを以て看過できないところに来ている。あるいは、主権在民、国民主権。消費者世間音。何時までも騙せなくなっている。本当のところとは何であったか。即ち、カクネンムショウ。自分のために日月照らし風が吹く。親鸞の言う佛は自分のために法を説く。どうしてこの真実を無視したのか。どうして廃仏毀釈したのか。何をしてきたのか。自然の中で生きることの価値は知っている。知っていても壊している。生きるということはどういうことか。見直すべき時である。未来のために。子孫に何を遺すのか。何を議論しているのか。過去から伝えられてきたことがある。大ルネッサンスの時である。此処にいたって未来は明るい。明るい未来を建設しようではないか。すでに英知の蓄積がある。技術もある。必ず乗り越えることが出来る。必ず至ることが出来る。先ほど0:56頃北海道地方で地震があった。震源の深さは120キロメートル。マグニチュードは3.9。津波の心配はないという。
2007年03月04日
黄泉御成敗式目
しばらく自信を失っていた日本復活のための最強の理論が構築された。あるいは発見された。あらゆる物語の謎が解かれた。シュリーマンのトロイの木馬である。確認されたのは何であったか。君が代であった。あるいは黄泉の世界の掟であった。イザナギ・イザナミの秘密だった。誰もが理解できるわけではない。これまで黄泉は待っていた。大切に導き育んで来た。その種が開花した。何千年来の出来事であろう。黄泉の秩序の復活である。しかるべき自覚が成就した。代々の約束であった。父及び祖父直伝である。日本が世界に合流してからは初めてのことである。これからこの秩序が回復される。見えない世界が開かれた。そのように歴史は流れた。世間の腐敗も必要であった。しかるべき種が開花するためには。そして蓮華の前に化生である。汚れていない。古来大和純粋精神の花である。日本の知性の復活となった。すでに黄泉の認めるところである。その証明は何か。すなわち、カクネンムショウ。見えない世界での大戦争は終結した。天下は統一された。万軍の主も味方である。不比等以来のグランドデザイン形成の頃となった。未来のために。因って未来は明るい。秘密宿王華邪馬台国大和一切種智慧。あるべき秩序を取り戻す。実在する神仏の真実を知らぬを以てする世間の勝手が過ぎた。世界はすでに動き始めている。世界はすでに正統日本を認めている。知らないのは世間である。刃向かえば黄泉がこれを裁く。黄泉御成敗式目である。世間一般の与り知るところではない。見えはしない。因って勝手している。知性の秩序の回復である。古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神復活。己に恥じることなきをもってその精神とする神風も吹く国である。その理論が完成した。これを以て大和出撃である。世界の中の日本。重要な地位を占めんとする。そのために、本来の秩序を取り戻す。すでに腐敗は腐敗である。気づかねば来世でやり直すしかない。来世も人間として生まれてくることができるとは思わぬがいい。人間の姿をしているが、その魂は何であるか。どのような魂が世に蔓延っているのか。見えてはいない。見えているならこのような世の中になってはいなかった。笑止千万。自分を恨むしかない。悪いのはすべて自分である。しかし引き返すべき黄金の橋は常に架かっている。気づくなら引き返すことである。選択は常に二者択一である。間違ったところまで引き返す。間違いは反省と謝ることでゆるされる。反省とは同じ轍を踏まないことである。猿の反省ではない。謝るとはどういうことか。これについては仏の定めた仏所菩提樹御供養誓願がある。何処にあるか。真実は自ら求める。叩けよ、さらば開かれん。神は自ら助くる者を助くる。間違っている。引き返すことである。結果が出る前に。そして本来の自由と平等を確立する。それはどのような世界であるか。犠牲及び殺戮のない世界である。それぞれ持って生まれた種としての個性がある。親も知りはしない。それを十全に開花させることができる世の中とする。個性である。これを平等に十全開花する。平等即差別。それが自由である。すなわち生命を使い切る。粗末にしないこと。使い切ること。生を全うすること。これが成仏である。また要領の良さが知性ではない。自己利益が利益ではない。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。何を破壊したのか。何を勝手し来たるか。何を教えてきたのか。年貢の納め時である。覚悟して貰わねばならない。各々、処したる人生のその重きに従い処断される。そういう時を迎えた。次に、知足とは何であったか。やせ我慢が知足ではない。財産裕福が知足ではない。知足で本当に満足ができるかどうか。知足とは、必要なときに必要なものが必要なだけ廻転して困ることがないことである。それは黄泉からの贈り物である。あるいはクリスマスプレゼントである。願いが叶うのである。不満があれば知足ではない。その要件に神仏の守護がある。神仏に守護されるためには何が必要か。神仏に受容される必要がある。神仏に受容されるとはどういうことか。神仏に好かれるということである。神仏から好かれるために、自分はどうあるべきか。そのためには何をしたらいいのか。護念する者は護念される。愛する者は愛される。与える者は与えられる。救う者は救われる。先ず、自ら神仏を護念することである。そのためには実在する神仏を認めなくてはならない。そうして神仏と出会わなくてはならない。神仏は実在する。すぐ傍らに。しかしその姿をそう簡単に現しはしない。神仏と出会うためには、神仏の実在に賭けなくてはならない。それがパスカルのパンセの目的だった。そして神仏の実在を前提として身心を処する。およそ悪は為せない。 カンニングなどもってのほかである。やがて神仏の受容するところとなる。十分に試してみるに価する。真実幸福論である。すでに実験検証確認済みである。ここより真実の人生となる。生命を燃焼させることができる。目の輝きがダイヤモンドのそれとなる。そして知足となる。秩序を回復するときが来た。これまで無秩序だった。何時破壊されたのか。それはもういい。魑魅魍魎は帰るべし。欺罔と暴力を手段とし善良を犠牲として得た富は返還するべし。神のものは神の手に。シーザーのものはシーザーの手に。事実として勝手に騙し奪いたるものがある。破壊された自然がある。誰が奪ったのか。誰が壊したのか。真実を知らなかったとはいえ、知らないことを以て勝手が過ぎた。今、真実が顕現した。新しいグランドデザイン形成の時である。卑弥呼の系譜邪馬台国大和復活。頼朝及び家康以来の出来事である。天の岩戸は開かれた。それぞれが持って生まれた魂を開花する。喜びの歌である。それがベートーベンのピアノソナタ三十番から三十二番であった。あるいは般若心経の呪であった。未来は明るい。未来は開かれた。黄泉はこの時を待っていた。そして秘蔵の種を大切に育んだ。その計画が成就した。日本国憲法のプログラム規定が実行段階に入った。真実は真実でなければわからない。如来は如来でなければわからない。バベルの塔は立たない。人間の計らいの及ぶところではない。歴史はこのようにして流れる。そして変わる。キリスト及び空海以来の出来事である。千年の計を立てる時である。日本の主が目覚めている。王の目、王の耳が自覚している。黄泉自然が従う。神風も吹く大和復活である。どうするのか。尚、勝手するか。横暴を通すか。滅ぼされたいのだろうか。仏の顔も三度までと決まっている。地獄を救う地蔵尊は亦閻魔大王である。取り戻すべきものがある。即ち、真実に対する敬虔と謙虚さである。それだけでいい。それが知性の復活である。愚かさから脱却しようではないか。神仏は実在する。それを認めては如何か。
誰が殺したククロビン
十九の春のことだった
そして蘇える
五十一の春のことである
そして 新しい時代の春を告げるのだった
ところで昨日の出会いについてだけれど、夕日が美しかった。月も望月のように明るかった。空は快晴だった。彼女との具体的な思い出はほとんどなかった。その頃よりすでに解くべき問題を抱えていたのだった。人生及び青春を失った所以である。・・・「結婚はしなかったの。その気はなかったの。それとも縁がなかったの」。「その気もなかったし、縁もなかった。高校の時のままだよ。自信を失っていた」。「死のうなんて考えなかったの」。「それは思わなかった。人生はこんなものかと諦めていた。しかし諦めきってはいなかったんだね。あの頃からずっと探していた」。「ずいぶんと本は読んだのでしょうね。まだ読んでいるの」。「訳のわからない本を千冊は読んだだろうね。本を読むのはもう卒業したよ」。「そんなふうにして考えていたんだ。私たちは何も考えずに人生を過ごす。これでいいのかな」。「本でも書こうか。書くとしたら。わかりやすく、楽しいものを書くよ」。「私にもわかるように書いてね。しっかり読むから」。
望月は 皓々として 輝ける
巷には 喧々囂々 喚く声
真実の 何処にこころ 有りにける
我が春を 呼び戻したる 春の月
この道を 誰と歩まん 月に聞く
月照らす 今宵も一人 春の海
失えし もの帰り来る 時なるか
自信とは 己に勝ちたる 証かな
帰り来る 自信となりて 我一人
時満ちて 我が道開け 歩み出す
本来の 大和の心 導けり
やさしさは 厳しき心 故なるか
他をゆるす 心のありて おだやかさ
人の格 その目に光る 輝きぞ
言葉より 確かなるかな 見つめる目
目を見れば 既に勝負は 決まりけり
木鶏の ごとくになりて 無敵なる
勝負する 気持ちはあれど 敵の無し
刃向かうを 以て示せる 愚かしさ
守護なるは カクネンムショウ 青い空
弁慶の 薙刀もある 家伝直伝
何をもて 勝手気まま する世間
悟りとは 空晴れ渡る 自己なるか
立て直す 時の来にける 我が人生
我が人生 この代に何を 作らんとす
我と行く 既に世界は 蠢動す
我知らず 開花の頃を 導かれ
目覚めれば 世界は既に バラ色の
我も行く 羽ばたく頃の 大空に
これよりは 敢えて迎合 有ること無し
わからぬは そのままそこに おいていく
野蛮なる 下劣精神が 野の花か
野の花は 純粋精神 清らかさ
孤高なる 精神一つ 常磐松
さて、高校の頃より探していたものは見つかった。医者になろうとも思わなかった。法曹になろうとも思わなかった。その間探し続けた。何を探していたか。真実だった。それは見つかった。このような人生もある。フリーターでなければ見つからないものもある。生命身体自由財産即ち人生を賭しての精神世界の冒険もある。世の知識人は忍耐することによって働く喜びを知るという。真実を知らず、自然を破壊しても顧みることなく、善良を犠牲としても自己利益のみを追求するための体制側の理論であろう。 カルバン以降の重商主義精神である。それで結果どうなったか。労働者は企業及び体制のある意味で奴隷であることに変わりはない。自由は自由が切り開く。大学で何を学んだか。捨て石となる覚悟だった。 Cf 増田四郎著『大学でいかに学ぶか』
プレゼント
昨夜 高校時代の友達と会いました 三十年ぶりのことですが
初めてのまともなお話でした その節はお世話になりましたと
ピアノを教えて頂いた教授の退官式の帰りとか
ラウンジでコーヒー飲んで レストでビールで乾杯 そしてプレゼントを頂きました
彼女は 何度も言うのでした 途中で捨てないで 家に持って帰ってね
お母さんに食べさせてあげてね
反省していますと応えたことでした
私の人生に於いて 彷徨のおわりでしょうか
失われた青春がつながったかのようです
卑弥呼の系譜邪馬台国大和のお話もしたことでした
高校以来探し物をしていたということも それで彷徨っていたのだとも
そして宝は発見したことも それは真実真理であったということも
これからが私の人生であることも まだ青春の真っ只中にあることも
彼女はすべて聞き入れてくれるのでした
おだやかさと やさしさと 人生と世界と 開けたのでしょうか
その証明 あるいは プレゼント だったのでしょうか
突然の 出会い でありました 過去の自分との遭遇でした
過去と未来がつながるのでした 過去を未来に移すのでした
2007年03月03日
新たな夢
日々自分との戦いだね 思うようにならない自分がある 負けるわけにはいかないのだけれど
だからといって 勝ち負けは何だろうね 何があっても 木鶏 となれるかどうか
すべてをゆるすとかゆるさないとか そうしたことも 本来無一物 と
新たな夢となりました そして やさしさとおだやかさと 人生と世界と 開けるのです
淘汰
しかし どうしてこのようなことになったのだろう
何時の代もそうであったのだろうか そうだったのかも知れない
真実とは何であったか 神仏が実在することだった
卑弥呼の系譜邪馬台国大和があった 今もある
しかし それを裏切った事実がある そうした方々の天下となった
そして 自分勝手に思い 自分勝手に振る舞う
真実が愚弄された あるいは 無視された
それで済むと思っている方が不思議である
何時までも 真実は黙っていない
魂の遍歴がある 前世も後世もある
後生だからという言葉があった それも失われてしまった
昔より伝えられた物語は何であったのか 野蛮な漫画が氾濫している
来世があると思えば 来世は今世の終わりより始まると思えば
滅多な人生は歩めぬ それが世間はどうであろう
自然の淘汰を知らない そのまま腐るがいい
祖師西来意 ダルマは何故面壁九年であったのか
あるいはそれまでには何度か真実を伝えんとしたであろう
そして悉く無視愚弄されたことであろう それで面壁だったか
二祖が現れるまで 真実は既に知っていた 伝えるべき法もあった
しかし 身勝手世間は耳を傾けることはなかったであろう むしろ批判したことだろう
その馬鹿馬鹿しさから逃れるための面壁ではなかったか
ダルマは何故来たのだったか 理由など無い 導かれてのことだった
法を東へ伝えなければならなかった 何処へだったか 日本へ
そして 法は日本に根付いた 根付いたはずだった
しかし ペリー来航で壊れた それに乗じた方々の故だった
そして 今もその時代である しかし いつかは芽吹く 真実の種はあった
密かに伝えられていた 禅の命脈である 真実の種である 滅びはしない
善とか悪とか何を以て基準とするか 道徳ではない
隻手の音を聞いたなら 何をしても善である 聞かぬ裡は 何をしても悪である
善悪の彼岸である 人間の計らいが善悪ではない 不合理である 不条理である
何故か 善悪はある意味で神仏の好むか好まぬかである その意思は実現する
何故か 黄泉の守護とその力による 見えない世界はある 昼があって夜があるように
日頃大きな事を言っていても 真実が現れると 本性が明らかとなる
すべて独白していることを知らない 唇さむし秋の風 実力無くして 大きな事を言う
己の限界を超えると 言い訳しかしていないではないか 自信のなさを露呈する
無底船 底なしの自信がある 真実を知ればこの世に怖れることなど無い
あの世の守護を知るからである それが到彼岸 あるいは 桃源郷だった
真実を知らねば 事の成就はない 事実は客観であるが 亦 主観の顕現である
これを大鏡とする 自己の実存の反射である まるで映画のように
意思の確かさがある 意思が定まれば 事は成就する 何故か 黄泉が実現する
そうしたことが 真実であった 何も知らずに勝手している そして地獄で蠢く
地獄より脱出である 世間に惑わされぬ事である すべては法則通りである 例外はない
衆善奉行 諸悪莫作 真実を知れば悪は為せない 悪を為せば黄泉の守護はない
黄泉の守護を知らない者は知らない 知らずして勝手する 聞く耳はない 哀れである
それを責めるべくもない 知らぬ故 しかし 言うべき事は言っておかねばならぬ
やっと真実の自己を取り戻したようである それは何であったか 信じられる自分である
人は知らない 当然である 自分より上位の魂は分かりはしない 自分が基準である
自分の野蛮であることを知らない 故に野蛮である この世に秩序がある 黄泉にもある
これを無視愚弄破壊すればどうなるか およそ知れている 淘汰である
そして世間は言う それが人生であると 困ったことである 何を増殖せんとしているのか
魂の遍歴がある 過去よりの流れである それに棹さして不幸である
真実幸福論はある 本来の自己を見つけた時から真実の人生が始まる
世間は知らない 知らないことを以て人生とする おかしくはないか
目覚むれば 自己の真実 信じられ
自覚して 世間の嘘に 惑いなし
夜空には 快晴の月 皓々と
負けられぬ 真実故の 戦なり
戦いは 自己に勝ち得て 道開け
欲望の 地獄の釜の ソドムかな
欲望を 自由と思う 世間かな
欲望に 微笑む神は なかりけり
墨跡も 真実示す 悟りかな
精神の 開発すべき 周波数
佛は言い切った 一切大衆を救うことに決めたと
一切大衆を救うとはどういうことであったか この世の一切を供養することだった
この世の一切の構成要素を喜ばせる 当然 報いがある 守護される
それが仏法だった その方法を説いたのだった 佛の定めた方法がある 掟である
真実幸福論である 本当に幸せになれる 自分の求めていたものが見つかる
自分の求めた自分となること それが 幸福である そして 真実の自由が来る
それは来るのである 如来である
何よりも大切なのは意思である この世は意思実現過程である 何を実現するか
その結果を来世に持ち帰る 過去からの夢の実現である
今 この世の中はどうなったか 過去の夢は何であったか 古来何が伝えられていたか
罪を犯してしまった 償わねばなるまい 誰が償うのか 自分である
自分が救われることで 祖先も救われる 祖先を救うことで自分も救われる
救われた自分を未来につなぐ 因って 未来は明るい
世間身勝手 根無し草 淘汰免れることなし 恨むは自分である 何事も
悪いのはすべて自分である 善いことはすべて佛さんのお陰である ここより始めるしかない
あるべきようは 自分は何を願っていたのか 真実を知りたいとは思わなかったか
やっと本来の自分に戻れたようである 鮭が生まれたところへ遡上するように
長い旅路だった その間 試練だった 仏法は筏である 渡ればいい
渡りきって また 世界が開ける もはや間違わないようにしよう 自己を裏切るまい
仏法は勝つ 王法は儲ける それが真実である 仏法の目的は何であったか 身心清浄
そこより開ける人生がある 世は大鏡である そのセンサーを磨くことである それが心であった
自信を以て言い切れるか そこが分水嶺である 夢は実現する どのような夢を描いているか
2007年03月02日
遅ればせながら
すでに 大きな仕事を成したのでした しかるべき知性と自己開発だったのでした
これほどまでとは思いませんでした
しかし 見るべき人は見ていたのです それで十分であったのです
それをも疑っていたのでした
何もかも奪われて 実存さえ奪われそうでありました そうはいかない
これまで しばらく真実を愚弄したる支配がありました これより思い知るのです
すでに それは始まっているのです 知る人は知っているのです 古来大和の秘密でありました
密かに待っていた花が咲いたのでした これで日本は大丈夫とばかりに
代々の約束だったのでした 父も祖父もそうでありました この度は大輪です
遅ればせながらでありました しかし時を間違ってはいないのでした
咲いたからには咲いたのです 事実です
人生の どうにもならぬ 春の来て
春ゆかし ひかりのどけき 輝ける
人知らず 花咲く時の 美しさ
知らずとも 咲けば世界は 変わりける
この世をば かくも自由と 思いけり
神仏と 祖先を知りて 自由なり
真実を 世間得知らず 勝手する
サンクション 逃れる道の 現れる
己をも 救い至りて 世界有り
真実を 得知らぬ世間 地獄かな
おだやかさ 自信と共に 我が身なる
自信とは 神仏知りて 守護を得て
真実は 神仏のある 世界かな
無神論 勝手すぎたり 知識人
大和なる 秘密顕現 陽の光
何時までも 我見の縛の 知識人
咲けばこそ 世界は変わる 歴史なり
しかるべき 花の咲きたる この世かな
それぞれ持って生まれた種があります。それを咲かせることが平等です。自分より上位の魂は理解できない。山は頂上にいたって頂上の風景があるのです。それぞれ自分を開花させる。それが自由です。世界はそのように出来ているのです。それを無視していたのでした。我見です。自分解釈です。如来は如来でなければわからない。そこに秩序があります。上位の花が咲く時、それまでの一切の価値が見直されます。しかるべき花があるのです。世界も変わります。自然も随順します。それが古来大和の秘密でした。どこまでも勝手が過ぎましたね。そして悪の華が咲かせすぎた。罪は罪です。償わなければなりません。そうした時代となりました。知らずともです。唯、謝ればゆるされます。勝手に謝っても駄目です。仏さんの定めた方法があります。これが真実でした。真実は証明があります。日月照らし風が吹くのです。世間の方々には証明がありません。何に縛られて勝手しているのですか。その縛を解くのです。大衆のための菩提樹さんもすでにこの世に安立されています。帰りませんか。大和のこころへ。己に恥じる事なき世界へ。モーゼの杖はつかれました。トルストイの晩年のこころも証明されました。いつまでも何に迷っているのですか。人類も此処まで進化したのです。 未来は明るいのです。人類の歩むべき道は定まりました。おだやかさとやさしさの時代の幕開けです。21世紀はこころと知性の時代です。失われた自信の回復です。古来秘密の大和花が咲きました。神仏及び黄泉の秘密守護する種でした。それを無事咲かせることが出来ました。時を要しました。古来大和ジャパンアズナンバーワン。遅ればせながらのことではありました。神仏の守護ある日本復活です。無神論似非学者及び諸リーダーは退場です。野蛮の時代の終わりです。善財童子の月の砂漠の孤独な旅と試練を経て、代々の黄泉の守護するしかるべき花が咲いたからです。禅の精神は日本にしかありません。その命脈が保たれました。祖の花は鈴木大拙及び苧坂光龍並びに山本玄峰及び山田無文を経て在家に咲きました。道元貧学道の花でした。空海の夢でもありました。事実です。世界を変える力のある花です。黄泉及び自然がその意思を実現します。黄泉はその魂を受容し微笑んだのです。その証明は何でしょうか。すなわちカクネンムショウ。このカクネンムショウ、簡単ではありません。何よりも種を要します。何もかも失って、人生を賭して、最後に発見して至る宝としての種です。法華経宿王華一切種智慧。古来大和の秘密の花でした。卑弥呼乃系譜邪馬台国正統日本秘密伏流復活。咲かせてみませんか。古来大和秘密の種。誰もが持っています。どのような花を咲かせますか。強いが故のやさしさとおだやかさの種です。そして自信が復活するのです。どのような自信でしょうか。咲かせてみればわかります。
2007年03月01日
露堂々
法華経宿王華 真実は真実でなければわからない
如来は如来でなければわからない
人間は同レベルで触発する
過去からの魂の遍歴である 代々の蓄積である
この世でそれが埋まるべくもない差がある されど平等
即ち平等即差別 この真実を如何せん
持って生まれた魂がある 粗末にしてどうするか
ペリー来航以降無視愚弄した古来大和の価値がある 因って腐敗
古来日本は卑弥呼の系譜 その種 何処に有りぬべし
原爆で絶滅せんとしたるか 黄泉の守護するところである
さて 黄泉に大輪の開花 アメリカが最も安堵していることだろう
世界が救われる時を迎えている そのために
久遠釈迦牟尼仏もお出ましである
宝 露堂々 それが見えぬらしい 哀れとはこれを申すべしか
2007年02月28日
おだやかさの条件
仏さんは仰いました。悪いのは全部自分や。善いことはすべて仏さんのお陰や。この意味がなかなかわからないでいました。そして、何時までも、勝手に強がっている自分がいたのでした。ところが、不図気づいたのです。何に気づいたのでしょうか。悪いのはすべて自分だったということでした。例えば自分が仏さんだったとしたら、敵がいるでしょうか。何か困るでしょうか。敵がいるのは何故でしょうか。自分がそういうものを持っているからです。困るのは何故でしょうか。助けて貰えないのは何故でしょうか。平生往生です。仏とは人格ではない。仏像なんかではない。この宇宙の構成要素です。そこに魂といったものがある。これを大切にする。育む。そうすれば、愛する者は愛される。仏さんから愛される。つまり、守護されるのです。すべてを愛することです。そうすることで安穏が来る。こういったことだったのです。今の今までなお敵を作っていた。これからはどうするのでしょうか。敵を作らない。みんな仲良くする。その為には平等であればいい。平等というのは、それぞれの魂がそれぞれにその能力を開花することです。平面的平等ではありません。絶対的平等ではありません。相対的です。それぞれの持って生まれた命を使い切る。制度もその為にあるのです。教育もその為にあるのです。間違った平等概念があった。機会の平等といっても足りない。本当のやさしさがある。すべてに対して慈父のごとく接する。おだやかな世界が開ける。どのようなことがあってもおだやかでいることができる。仏さんの守護を自覚する時。それがおだやかさの条件です。何か間違っていた。誰が悪いのでもない。真実を知らないだけだった。真実とは何だったのでしょう。神仏が実在しているということだった。この世のこの人生でそれを証明したのかも知れません。どのようにしたら神仏と邂逅するか。その条件は何か。私のホームページで示しているでしょう。それが私の生まれた使命だったのでしょうか。その謎は解いたように思っています。 誰も知らないことでした。そこへ至る宿命としての密かに背負わされた試練は大きかったけれど。至った世界は何だったのでしょうか。即ち、大鏡一切種智慧君が代の天の晴れたるカクネンムショウ。日月照らし、風の吹く。
人知らず 大和の春と なりにけり
大和とは 己に恥ずる 事なきて
さようなら 知的盗人 獣の目
真実を 得知らず愚弄 知識人
おだやかさ 開きて自由 ここにあり
2007年02月27日
世界
目覚めれば 世界は一つ なりにけり
世界とは 己と自然 渾然一体
我思う 故に我在り 世界有り
有無なれば 世界は生死 ひとつなる
我在りて 世界有るを 自覚とす
意思一つ ほかには何も 無かりける
決断と 共に世界は 開け行く
悟りとは 我在る事と 知りにけり
我在るは 唯我独尊 我田引水
刃向かえば 黄泉の裁きを 待ちけるを
何思う 魂不滅 格差り
魂を 開発し終えて 白い雲
宿王華 この世に咲くは 希にけり
しかれども 確かに咲ける 宿王華
大和なる 櫻は咲きて 宿王華
雷を 落とすも自由 宿王華
天下とは かくも陽射しの あたたかく
神仏の 守護を取り付け 風の吹き
勝負無し 構えですでに 決まりけり
唇の 寒さを知らぬ 似非学者
権力を 履き違えたる 知識人
この世をば 誰の世と 思いしか
修行あり 日月照らし 風の吹き
自由とは 自由なる也 絶対の
魂の 奥より来たる 如来なり
如来とは 悪を離れて 顕現す
知らずして 我を基準の 世間なり
何をして この人生 過ぎ越しぞ
この世にて すべては黄泉に 記録在り
神仏の 守護とは何と 心得る
実存が そのまま自然に 反射して
そのような 魂生まれ 世界なり
君が代の 秘密開けて 大鏡
我は行く 真実世界を 開かんと
誰と行く 地獄必定 世間なり
カルバンの 夢は破れて 青い空
呪縛とは かけたものしか 解けはせぬ
この世をば 愛と平和は 祈りなり
人間の バベルの塔は 崩壊す
真実は 己の意思の 結実か
自信なき しばし青春 去りにけり
青春を 終わりて世界 開けたり
社会にて 生きることをぞ 選びける
魂の 一つの成就 花となる
大和なる 世界の日本 就航す
自覚して 乾坤大地 開かれる
真実を 心に決めて もてあます
もはや春 この世の春と なりにけり
愚かさは これにて帰り 給うべし
あまりにも 勝手し来たる 世間かな
知らずして 世間身勝手 もはやゆるさず
これまでは 多分そうだと 思ってた
これからは 確信したる ロゴスなり
神仏を だまし奪うは 容赦せず
王の耳 王の目なるか この時ぞ
見聞の 裁きは黄泉に 任せ居り
神仏は 確かにいます 人知らず
還すべき 時は来にけり 神の手に
大和なる コスモクリーナーは 妙法華経
この世にて 何を見つけて 持ち帰る
黄泉にての 秩序乱して 腐敗せり
そのはじめ 秩序のありて 平和だった
芸能人 履き違えたる 自由かな
開発を なすべきこころ 周波数
この世をば 知性秩序と 知りにけり
知性とは 本来嫌う 欺罔かな
欺罔とは 商人根性 窮まれる
身心の 清浄以て 修行とす
身心の 清浄至りて ロゴスかな
神仏の 守護するロゴス 果たしけり
世は晴れて 春の来たりて 風に舞う
自覚して 空を舞うなる 自由なり
仏法は 筏であるなり 捨てていく
現世に 生きる力ぞ 仏法も
仏縛に 何を求めて 修行とす
何事も 真剣勝負 成就する
形だけ 求めて何も 成就せず
求めれば 真実さえも 手に満てり
真実は 神仏居ます 事を知り
しばらくは 見失いたる 真実を
失えし 大和真実 取り戻し
何時の頃 見失いたる 大和かな
ペリー来て それに乗じて 腐敗して
取り戻す べくは大和の 櫻花
明治をも 越えてもどるは 関ヶ原
頼朝と 家康以来の 時代かな
生まれたる 使命果たすの 時の来る
代々の 約束すでに 果たしたり
善悪を 越えて世界は 開け行く
やさしさを 取り戻してぞ 勇気有り
意思一つ この世の自由を 謳歌する
2007年02月26日
新しい朝
何もかも 水に流して 常磐松
長崎の 鐘は鳴るなり 日の光
やがて知る その時の来て 我一人
疾風の 如く流れて 謎溶ける
此処に来て なにやらゆかし すみれ草
人知らず 故に哀れか 笑い来る
既に春 この春をこそ 待ちわびぬ
天下取り 夢は黄泉にて 果たす時
殺戮の 時を終わりぬ ヒロシマの
おだやかな 日の光と そよ風と
魂を 磨き抜くなり この人生
光りなば 風も吹くなる カモメ飛ぶ
大和なる 秘密のありて 花の咲く
花咲きて 大和の秘密 伏流す
開闢の 時のあります カクネンムショウ
絶対の 地震雷火事親父
種ありて 花も咲きます 櫻花
咲けばよし 咲いて開結 大和花
人生の ここに真実 春の来る
人生の こころ秘密の 大和花
何思う 真実知らぬ 世間かな
素直なれ およそ真実 嘘は無し
真実の 人生かくも 美しく
風景の 開ける春の のどやかさ
魂は かくも純粋 大和なれ
魂の 分際知らぬ 人の世を
自由得て 何をし来たる 世間かな
魂の 格差この世で 埋まる無し
刃向かえば 時に大風 吹くも有り
雷の 一つ落として ものを云い
乾坤を 相手にしての 太公望
おだやかな カクネンムショウの 春の来て 夢なる自己を 取りもどしゆく
自己開く 大和を開く 頃なるか 代々果たす 夢の種有り
信じれる 己の花を 咲かせたる 実人生の 始む頃かも
咲いてこそ 己を知ると 識る頃は 道元空手 すでに敵無し
やさしさで 全て解決 する頃と 人の世知らず 笑顔こぼるる
自由得て 履き違えたる 人の世を 否定する無し 我関知せず
この世にて 果たせる夢の 多かれど カクネンムショウは 人に譲らず
見つめたる その輝きを 知らずして 獣たちの 人の世なるかな
我は行く 世間に堕ちる 事はなく
清盛の 沈む夕日を 扇にて 帰したるごと 時代を還す
すでに咲く この世の花の 真実を カクネンムショウと 務めを果たす
春の来て 何を捨てたる 山頭火
晴れ渡る どこまで天に 通ずるぞ 黄泉の守護する 時の来にける
恨む無し 実人生の開けるを 全て失い 満つるもの有る
過ぎ越しの 悲哀をすべて 埋め尽くす この喜びを 如何に伝えん
心より 感謝致すは 祖先なり 埋もれし宝 発見し終えり
禅にては 仏と雖も 抑下する 一を挙してぞ 言の葉顕現
もはや春 迷いは晴れて 春日なる 真実匂う 山櫻花
何を持て 自信とするらん 祖先なり それを知りてぞ 花の咲くらん
真実を 得知らぬままに 愚弄する 黄泉の処罰の 必定得知らず
春の来て 大和日本の 晴れ渡る 君が代の世と 誰ぞ知るらん
実人生 ここに開きて 往生す 己なるかな 軒の玉水