生徒と学生、そして子育て
小学生は児童、中学生、高校生は生徒ですね。大学生から学生です。児童及び生徒には教える義務があります(高校生は除きます)ね。学生は主体的に研究する。pupilとstudent。ところで、生徒の休みは何のためにあるのでしょうね。学生の休みは何をしてもすべて経験として糧となります。何をしても良いと思われます。しかし生徒に対しては、保護監督しておかねばならないのではないでしょうか。親と先生と社会とで。子供の自由は制限されているのではないでしょうか。フランス語でしょうか。子供は男でも女でもない。中性です。今子供の発育が早いようですね。しかし人生の縦の時の流れから見てバランスがとれているのかどうか。子供達の育つ土壌としての社会が腐葉土的栄養過多かも知れません。その意味で大人社会は反省する頃かも知れませんね。健全な子供達の育成のために。いつまでも子供達に対して無責任な社会であってはならないのではないのでしょうか。ベートーベンは言いました。なすべき事は多い。急げって。そんなに無理はしなくても良いのですが、以上の観点からすることで、むしろ簡単に楽に子育ても進むのではないでしょうか。この事に関して考えることは少なくて済みますから。
株式投資について 老後の楽しみとして その他 新しい仲間
この度購入した本: 木村剛著『投資戦略の発想法』(アスコム刊) さて、ペイオフも現実化しますね。大切な財産管理をどうするか。預金するのではなく運用する。今までは運用は政府あるいは銀行だった。これからはいよいよ市民参加の時代。だからでしょうか、財産の個人運用を身につける。時代の流れですね。制度も整ったようです。老後の楽しみでありますね。いろいろな楽しみ方。いいですね。またこれまで社会のために働いてきた方々の当然の権利でしょうか。呉市中央公園の近くにステキな喫茶店があります。きっと定年退職された方の趣味のお店です。これからこうした知性が社会にあふれるのでしょうね。よろしくお願い申し上げます。宇野千代さんの生き方。ひとつの理想的な生き方ですね。若さにあふれていた。それは市川房枝氏の生き方。それぞれ形はちがうけれど、生き方の精神は共通ですね。本当に良い時代となりました。ところで、10月3日は、金環日食(地球から見る月が太陽より見かけ上小さいため、月の影の外側に太陽が環状に欠け残る日食)だったのですね。URL:日本語.JPで中継されたとのこと。(資料提供:お名前ドットコム)また、中国でシャンハイガニが値崩れしているそうです(H-FM)。カニというと日の出ガニなんてのもありますが、一番旨いのはやはりワタリガニではないでしょうか。呉市吉浦の祭りはダンジリなんか出てにぎやかです。船を町内引き回すのは勇壮です。カニ祭りとかとも呼ばれています。そして、浜崎あゆみさんの涙。どのように思われますか。プレスリーの孤独。新しい仲間ができました。てっちゃんからの紹介です。新しいTARAO・のrAdiO鷓http://city.dokyun.jp/DK.php/189140 『ぴんくはーと』さんもよろしくお願い申し上げます。http://my.minx.jp/kyokochi/ 好きなミュージシャン。スティービー・ワンダー。その『キー・オブ・ライフ』というアルバム。45分テープでエア・チェックしていてよく聴きました。そして、その後、CDも買いました。しかしそのCDも今はない。昨日、ユーミンの『ノー・サイド』 があるかなと思って、呉駅ビルのコーナーで調べて貰いました。二枚組のアルバムの中にありました。ゲットしたいものです。
大切なのは過程・プロセス。個々の結果は通過点に過ぎない。示すべきは個々の力量。個々の可能性。何かするかな。何をするのかな。イクスペァリメント・スティション。常に見られてる。ショー。面接試験はトイレの中もご用心。カメラがあるわけではない。口にしたことは鳥がそれを運ぶから。思ったことは、しみ出す。表出。
恋愛について ロマンと現実
前略 若者達 様
何処かに書いたことかも知れませんが、もう一度書きます。恋の始まりはどこからでしょうか。男子が女子を選んでいると思ってないでしょうか。 違います。ここに男子がサッカーしているとします。遠くから女子が品定めしているのです。そしてそれぞれがターゲットを決める。ここから始まるのです。だから、女子が恋の決定権を持っている。これはセクハラの基準でもありますね。男子はいいカモですね。それでその恋が終わったとします。女子は次のターゲットへ。男子は思い出に閉じこめられる。それをロマンとか思っている。ロマンと現実。男子諸君、負けるな。そして、英雄色を好むとか申している殿方がいる。推して知るべし。自然が味方しない。それから、眞の力は男の領分です。そしてそのエネルギーは恋愛から来る愛する情熱です。だから、失恋したときあるいはしかけたときが男にとってチャンスです。ここをどのようにして昇華し次のステージへ行くか。幸不幸の分水嶺ですね。男子諸君、がんばれ!次のステージはきっとパワーアップしてるよ。そして、そこでの恋がまた待っている。いいことですね。これがこの世のパラダイスだよ。みんな、君にエールを贈っているのですよ。人生バラ色ですね。(H-FM 恋愛向上委員会を聞きながら 2005/10/11 12:16pm)サヨウナラって言おうね。きっぱりとサヨウナラしようね。それが次のステージへ行くための条件だよ。そして本当の思い出となる。そして、いつか、またきっと会える。良き思い出として。あるいは友達として。これが恋の秘密。そして人生の最高の醍醐味。信じて良いよ。その人のこと。確かにあったその人との純粋だった時間は天に永遠に記録されているのだから。消えはしないのだから。良かったね。それから、男子諸君に言いたいのは、女子が探しているのは、男の子です。男の子ってイメージは何でしょうね。例えば、金太郎、桃太郎。強いということは何が強いのでしょうか。人格。力が強いのもいいですね。ギター上手でも良いですね。勉強ができるのもいいですね。そして、大切なことは、その強いは一つで良いのです。だから、自分の一番得意なことを見つけてそれを磨けば、十分に生きてゆける世の中です。早くそれを見つけてくださいね。そして、自信を持って、勇気で以て、社会に飛び込んでください。必ず、掬い取ってくださる方がいます。(20051011 14:37) 匆々
追伸 男は顔じゃない。お洒落はあって良いかも。
帆布 尾道
帆布は帆船の帆に使われた厚手の綿織物。丈夫で通気性が良くて。テントとか画布とか。この作品の一つを近くの書店で見つけました。そして母に少し工夫して貰って、ずっと欲しいと思っていた私のお経典のブックカバーとなりました。
NPO法人 工房おのみち帆布
〒722-0035 尾道市土堂2-1-16
TEL 0848-24-0807
音戸ノ瀬戸 江田島 能美島
音戸ノ瀬戸は清盛が開きました。清盛の像は近くの高烏台にあります。この瀬戸は、清盛が掘り込んだものです。つまり、浅いところを深くした。さて、近くには江田島、能美島があります。見ると一つの島に見えます。しかし、海軍兵学校ができた頃でしょうか。水路が埋められました。もしこの水路、今あったら世界一狭い水道だったでしょうか。尾道は尾道水道でしょうか。 (H-Fm 玉置浩二 さんの歌がかかってる。そう言えば、薬師丸ひろ子さんと妹は同じ誕生日だった。妹と同じ日に同じところで結婚式だったのは城みちるだった。クレイトン・ベイ・ホテル)国道185線。安浦のあたりにモアイがいるよ。そして、熊野から阿戸を通って八本松へ向かう頃、飛行機がいるよ(今もいるかな?)。風力発電装置もあったよ。
村上ファンドVS阪神電鉄のこと 等等
さて、昨夜もてっちゃんと語りました。彼は、シルバーもがんばるけれど、今大切なのは人間関係だと思うから、そちらもがんばる、と言っていました。また、呉駅前のベンチでは、いっちゃんという方がはなしかけてきました。新聞配達をしているとか。缶コーヒーをおごってもらいました。ところで、先日、3万円も出して修理してもらったソニーのC1無印ですが、久しぶりに使ってみようかと思ってみたところ電源が入りません。 複雑な気分になりましたが、そもそも、パソコン自体、消耗品かも。どうするか、保留です。ソニーはいわばパソコンでは後発でした。 バイオのB5ノート。そのデザインとブランドでブレイクしました。確かに505シリーズは何かとよかった。しかし、今もそうですが、何かと独自なところが多い。たとえば、マウスとかもジャックの大きさが標準と違ったりです。計画生産ということで、生産性の効率が上がったのは事実です。それで、注文しても追加生産がないことがありました。まさに市場戦略的にはよかった。だけど、それはメーカーサイドの論理だったのかも。そして、携帯電話においても、ピッチのソフトで大ポカをしたことがあって、製品の回収とかもあった。ソニーとあろうものがと思ったものでした。さらに、ハリウッドの映画会社の買収とかもありましたが、それがアメリカ国民感情を害した。また、いわゆるゲーム関連事業。子供たちを勉強から遠ざけてどうするのかと思ったこともありました。しかし今となってはそれらも含めて社会全体がソフトな社会へと成長してきているんだと思われます。企業だって生きている。失敗もある。そこからどう脱却し新たな戦略を組むか。おもしろいですね。ゲーム感覚で楽しみながら、何事も、と思われるのです。反省しつつ。 今私の心がけていること二つ。信号は守る。赤では必ず止まる。次に、煙草を路上で吸っても絶対にポイ捨てはしない。紙の部分とか葉っぱは捨ててもフィルター部分はポケットへ入れてる。最近、各お店の前に灰皿が置かれるようになりました。喫煙者にとって嬉しい。そして、公園とか道路とかとてもきれいになっています。散歩も楽しいばかりです。それから、たとえば小鳥が囀るように、行き交う人のおしゃべりの声が、あちらこちらで聞こえてきます。とても穏やかな空気です。現在の呉の街のアトモスフェアです。良い町になりました。さて、村上ファンドVS阪神電鉄について。これをどう見るか。個々の論点はどうなっても別にかまわない。
要は事実としてのカブラ矢のひとつですね。ホリエモンもそうだった。新しい時代の生き方がそこに見られる。彼らによって、成功物語がつづられている。この山を越えたら次は何をするのだろうって。それが人生そのものでしょうね。パソコン一台でビルワン・フロァの事務処理能力がある。人間の脳自体使われているのは1/500。それで十分生きて行ける。パソコンだって然り。ワードの機能はたくさんある。しかし実際のビジネスシーンでは1/10も使えれば十分。要は自分の表現が人生ですね。そのツールとして何をどのように使うか。すべてはツールです。働くこと自体が人生のツールと言えるのかもしれない。ここに仕事を楽しむという概念が生まれる。つまり、個人が企業と対等に勝負する時代となった。そのための三種の神器は、今、パソコン(インターネット)・英語(中国語)・簿記(感覚)と言われています。ここに簿記感覚とは、貸借関係、つまりお金の流れです。ところで、オーディオがはやっていたころ、大切なのは入り口と出口(スピーカー)だった。お金も収支が大切。ここを明かにしておけば良い。そして自由に使って楽しめば良いですね。たくさん儲け(設け)てたくさん使って、そして、お金のフローができて、周りが幸せになっている。良いことですね。機関車のような人がいてくれるから、世の中、面白い。それで、みんなが活気づく。いよいよハッピーな空気が支配する世の中の実現ですね。社会全体のボトム・アップ。庶民レベルのボトム・アップ。大人の世界。さて、江田島は海軍兵学校。今、第一術科学校。ここに資料館があります。私も何度か行きました。見学させていただけます。そのお目当ては、私の場合、横山大観の富士の絵だったりします。かつて、ロンパールームがありました。お天気坊やというのがありました。今もあって良いですね。懐かしく思われるテレビ番組です。 年老いるといって、自ら老いることはないのではないでしょうか。若いとは幸せへの夢があることだから。この夢をなくすることが老いることのように思われます。幸せ、永遠に求めて良いと思われます。それが、精神的自由を得る方法でしょうね。自ら老いることはなくて、老いることに拍車をかけることもないと思われるのです。いつも若くいることができるから。大切なのは老いない意思ですね。そしてそのために何をするか。目的を定めて手段で楽しめば良いですね。目的的に主体的に生きる。この主体性を説かれた刑法の先生は団藤重光先生でした。(2005/10/12 10: 05am RCCラジオ ごぜんさま を聞きながら) [今回のこのブログはコンパックのPC: DESKPRO EP SERIES 6333/3.2 JPN(CPUはペンティアム2、OSはWin98sec)でアップしました。十分快適に作業できました。]
散歩
昨日は、何もする気になれなくて、昼からは散歩でした。近くの川で、降りる石組みの階段がありました。ちょうど日陰となっており、腰掛けるのに十分な空間でした。そこに座り込み、足を投げ出して、ちょうど家では柱にもたれるように休みました。白い蝶、朱橙色に黒のまだら紋の蝶がとんでいました。当たりではコオロギ。目の前にバッタ。そして浮かび上がったように40cm前にオミナエシの花。 トンボもやってきます。2cm位の赤いトンボも。スズムシのような声も聞こえて参ります。向こう岸ではパトカー。トラック・車が橋を走ります。活気づいて参りました。背後で救急車の音。病院でした。そうして1時間くらいのんびりでした。空は快晴。雲一つありません。日差しは少しキツイのですが、その場所空間はおだやかな風でした。それから、電話をしようとすると、バッテリが切れました。そして、歩いてスーツ工房ししど屋へ行きました。主人はこれから広島へ行くといいます。便乗。ドライブを楽しむこともできました。さて、夜には、テッチャンと語りました。歩いて家に帰る途中で、裏の海岸へ寄りました。すると、 いつもの製鉄所の炎がとても大きくて。そして、その炎はしばらく高くあがっていましたが、ポッと消えるのでした。その時の消え方はまるでマッチの色をしていてそのマッチの消え方に似ているのでした。つまり、消えた瞬間、黒い煙がたなびくのでした。家に帰って、夜はぐっすりと眠るのでした。着の身着のまま中国製の絨毯の上で。(RCCラジオ ごぜんさま を聞きながら 2005/10/ 13 9:04am)さて、陽水のアルバムに『氷の世界』があります。今でもその完成度に於いて群を抜いていますね。このアルバムに「心もよう」があります。この曲、本人はそれほどでもなかったそうです。しかし、何かもう一曲必要だった。それでスタッフの方が進言したようです。さて、この「氷の世界」、いいですね。それから塾をしていた頃、ある女の子が受験して、その様子を話してくれました。問題は愛知用水か明治用水が答えだったのですが、わからないから、「井上陽水」と書いたそうです。この時はみんなで笑いました。今、 きっと幸せになっているでしょうね。テッチャンから銀のアクセを頂きました。これはいいです。思わずこれだけで勝負したら、って言いました。さて、指輪ですが、子供の頃、小学校の足洗い場のある流しのところで、子供が遊んでいて指から抜けなくなりました。石けんつけて泡を立てて簡単に抜けました。 てっちゃんとは、呉中央桟橋の二階のテラスへ行き、ここでは、船の着岸・発進を見るのが好きです。大型トラックが乗船を待っていました。 フェリーが着くと、笛のピピッ、ピピッに導かれてバックで入船です。車体が船内にはいると、ピピッ、ピピッのリズムが少し早くなりました。 ゆっくりと、まっすぐに収まりました。するとすぐにフェリーは逆回転のスクリューです。遠くでカモメの群れが渡ってゆきました。 水面はさざ波。キラキラキラキラ輝きます。瀬戸の海です。幾枚か携帯電話で写真を撮りました。良いのがあるかなって、楽しみです。駅前の公園にはたくさん鳩がいました。坂へ行って参りました。最近開発された町です。大学とかもあってきれいな駅です。帰りの電車の中で、呉のYouMeで買っていたNHKラジオ深夜便No.63と、呉駅ビルで買った佐藤愛子著『老残のたしなみ 日々是上機嫌』(集英社文庫) をぱらぱらと読んでいました。そして、小屋浦駅でふと山際の空を見上げました。すると、空の色と雲の形が、まるで、東海道五十三次の版画の世界でした。あたりは急に日の光がさしたように思われました。そういえば、子供の頃の夏はいつも晴れ渡り、入道雲が白く輝いていたように思います。そして、以前から思っていたのは、天応にある山。箱根の山かと思っていました。 当時、日本一のキャンパスを誇っていたのは、北海道大学でした。今はどこでしょうか。広島大学かも知れません。その頃、森下教授の口癖のひとつが、「広大、狭大(ひろだい、セマダイ)」だったようです。ある学生が流川のパブへ飲みに行って、大学は何処かと聞かれて、「コウダイ」というと、そのコーナーは何だか雰囲気良かったそうです。今、広島大学のキャンパスには山が三つあって池もあるそうです。それでも計画よりは随分と縮小されたそうですね。そして、工事が始まると水が足りないことに気づいた。総合大学(総合大学はユニバーシティ、単科大学はカレッジ)だから、理学部なんかあって、水を大量に消費するからでしょうか。それで、太田川から水道を通すことになったのでしょうか。その水道に大学一個建設するだけの費用がかかったのでしょうか。その費用は旧敷地の売却利益だったでしょうか。
交通整理の警察官に従うのは何故か
交通整理があるとき、ガードマンがいて、信号があって、警察官がいるとします。誰に従うのでしょうか。例えば官庁。あるいは市長。現場では警察官が庁です。権力の権原です。人格の表現として守るべきものがあります。すると護って貰える約束です。約束なんですね。
やさしい社会に勇気を出して飛び込もう。背を向けるのではなく。
この度中国で公式発表がありました。エベレストの高さは、8844m。少し低くなりました。氷の厚さが減ったのか、あるいは褶曲活動の減退なのか。いずれにしても穏やかさと安定へ向けて世界が進んでいるのでしょうか。第二次世界大戦の悲劇は悲劇です。 オペラの悲劇も人間の悲劇です。モニュメントとしてあるいは反省として歌い演じ続けられているのですね。そして、ここを糧に幸せへと人類は進んでいるのでしょうか。世界は既に一つですね。理念もなにがしあわせにとって大切なのか気づいています。 これからその実現なのでしょうね。時に論者は中国の脅威とか言われていますが、たとえば、IBMのあこがれのThinkPadは今中国の企業で生産されています。譲られたのですね。また、日本のサンスイの技術は韓国へ譲られています。つまり、IBMも日本もパースペクティブを持っていてのことなんでしょうか。コカコーラの自動販売機が呉駅前の阪急ホテルにもありました。世界はひとつの理念でつながっているのです。困ったことはこの理念に反して自分勝手な計算をする方々でしょうね。だから、私は安心もしているし信頼もしているのです。人類の英知といったものに。そして、この大地に足を踏みしめることもできるように思うのです。感謝ですね。幸せになれますね。社会に安心して住むことができますね。そうした意味で社会はかぎりなくやさしいと思われます。後は勇気を出して、自分の自由空間を確保することではないでしょうか。侵略はいけない。迷惑もいけない。それぞれが幸せである掟のように思われます。
不思議な遊び(五人用)とその他
一人を決めます。残りの四人がその子の頭の上に掌を下向きにして、五重塔のてっぺんにある避雷針のようなもののように手を順々に下から上へかざしていきます。(注意。それぞれの手が接しないこと。)そして四人が、東西南北のように対角線となって、ゆっくりと時計回りに一回転するのです。その後、素早く、仰向けになったその子の脇の下と膝の裏側四箇所に、一人ずつ、両手を組んでひとさし指だけ伸ばして、一本ずつ差し込む。その子は力を抜いて身を任す。膝も少し折れ加減。そっと持ち上げる。・・・・・どうですか。軽いでしょ。(注意。このまま素直に実践してみてくださいね。子供用です。)
トランプゲームで一番面白いのは、ナポレオンでしょうか。如何に切り札を作るか。攻めるか護るかの状況判断。敵は誰かな。味方は誰かな。ゲームです。
テッチャンから連絡がありました。001
今日はジョンレノンの生誕65周年ですね。メッセージ。そのはじめのソロアルバム。作家もその処女作へ向けて書いていくと言われています。煩悩即菩提?気の向くまま風の吹くまま。行雲流水ではわからないかも(かれらはstill三衣一鉢に縛られてる。これをも脱げば光がさすのでしょうか。)知れないこの現実真実世界がありますね。自然と同化する?。自分が自然となる瞬間があるのではないでしょうか。目指すべきはそこですね。ミュージシャンがやはり最先端のように思われるときがあります。さて、自分が自然であり自然が自分であることを知る。そうしてハッピー空間に遊ぶ。いつも遊んでいることができる。そこに絶大な余裕が生まれる。これが自由ではないでしょうか。ここが目標かな。アメリカから日本が学ぶべきはココだったのかも知れません。彼らが撃たれたら、或いは縛られたら、或いは閉じこめられたら、或いは隔離されたら、夢がなくなりますね。彼らの方が上だったのかも知れません。
ある人の句 浜までは海女も蓑着る時雨かな
現代日本語の基礎は、森鴎外と夏目漱石が始めたと言われています。今もそれについて語られています。色々な本があって楽しい本屋さん。自分の感性でどんな本をその時手にするのかな。言葉も魂も生きてるって事、もっともっと本屋さんにならんでくれるのも良いのかも。
詩は詩人をもって呈すべし。剣は剣客をもって呈すべし。ミュージック、わかってはじめてミュージックですね。わからないからと言って、否定することなかれ(なかれとは首を刎ねるという意味かも知れないよ)。ミューズのこころは自然が守護しているのだよ。とか、誰か言っていた。ところで、井上陽水の「とまどうペリカン」ってのも面白いですね。
頼朝と義経。やはり時の権力者は頼朝。彼の肖像画の目を見ればわかるように思われる。義経、頼朝の逆鱗に触れたのかも知れないですね。三代将軍実朝。その後、北条氏。力量の変遷だったのでしょうか。
20051005
さて、再び、ブログの開始です。よろしくお願い申し上げます。
今、ブログの時代です。そして、世の勝ち組とか申しているネット方法論は終わっています。つまり、メールで会員を集めるとか、本で集めるとか。それで、セミナーを開いて・・・・・って方法はね。とか思われます。しかし、功労賞には値するかも。ですね。
16:13 RCCラジオを聞いています。今日はサザン・オールスターズのアルバム発売日。7年ぶりとか。合宿もしたそうです。おそらく相当に熱が入っていますね。楽しみです。さて、KUREは雨です。おだやかな。以前、京都を一人旅したときのような。細くてやさしい雨です。
チャンスは逃すな、ってありますね。おそらくこの度のオポチュニティは今までとはその質が違います。それで、解釈の基準も変わっています。それは何でしょうか。早く探さなくてはならないですね。と思われます。なんだか明るいような気がします。「あはれ」よりも「をかし」のような。そのような気がするのです。よい時代の到来かな。そのようになるのかなって。日本がいよいよ船出かなって。楽しみですね。
学生の頃のゼミ卒業旅行のことでした。広島からフェリーで大阪南港まで行き、特急に乗って白浜、そこでレンタカーで南紀を旅行したのでした。勝浦で泊まりました。ホテルは「浦島」。海と接した露天風呂だったかな。船で岩ノ下をくぐったり。その操船技術には驚きました。太地ではシャチを見ました。鯨の博物館では驚くことばかりでした。那智の滝へも参りました。いい思い出です。潮岬では雪でした。串本では大阪市立大卒の方が石外先生を訪ねて来られました。水中公園も面白かった。石外先生とは一緒に風呂に入りました。そして、途中、先生は白浜空港から次のお仕事へ飛ばれたのでした。
さて、本当の幸せは祝福された自分を見つけることですね。人生は生きるに値する。きっと地上ヘブンは見つかります。あきらめないで。道しるべをしっかりと見つけてね。
ところで、世界は既に一つですね。理念は勿論自由と平和と。そしてそのためにみなさんが頑張っていらっしゃる。有難いことですね。嬉しいことですね。それぞれがこの崇高な理念へ向けて合力となる。日本が世界で信頼されるためには、日本がひとつの素晴らしい合力となる。そうしたチカラは本来日本の使命かもです。世界も日本の純粋性を待っていたなんて思えたらよいですね。歴史的な約束かも知れなくて。って。そして思うのは、秩序です。つまり、場合によってはね警察も必要ですよね。今、世界の警察を自ら任じて実行している国はドコでしょうか。アメリカと日本と・・・・・。現実は厳しいところもありますね。しかしこれ故に私たち庶民は楽しく暮らせるのでしょうか。2005/10/05(水) 23:18
カープ最終戦を聞きながら 20051012
今カープが試合している。背番号7野村選手の引退試合である。17年間リーダーだった。その間、私はカープに興味はなかった。ひさしぶりにナイターを聞いている。山本浩二監督にとっても最後の試合である。監督は是でユニホームを脱ぐ。黒田投手にとっては最多勝がかかっている。新井選手は、ホームラン記録がかかっている。今43本。山本浩二選手の44本に並ぶかどうか。あるいは抜くのか。面白くなりそうだ。相手は横浜、投手は三浦。或る意味で色々な占い要素がある。今、緒方選手がホームランを打った。弾丸ライナーである。前田の時には、実況アナウンサーのコメントが良かった。何か怒りを抑えたような表情があると言った。何に対しての怒りだろうか。栗原は時代を担うという。確かに良いときに打ってくれる選手である。こういう選手が役に立つ選手である。いくらホームランを打っても負け試合では意味がない。打って勝つ選手がいい。カープが強かった頃、山本浩二選手はここというときに必ず打ってくれるのだった。必ず期待に応えてくれた。これが集中力のある選手の特徴である。精神力の格の高さである。そして、その頃、7,8点の差など何時でもひっくり返してくれると思っていた。そして、試合も後半に入って7イニングともなるといつもと言ってよいほど、カープマジックがあった。なぜだったのだろうか。今にして思えば理解できるところがある(こうしたことを語って良いものかどうか。まだ、制御している自分がある。何もかも書けない自分がまだある。書いて良いのだろうか)。今2対2の同点となった。ホームランである。黒田の女房役のホームランである。ここからが面白い。プロ野球は面白いことが大切である。これがプロであり、観客はそれに酔う。勿論実力がある。その実力をどう生かすか。ここに個々の選手の商品価値が生まれる。高い所得の所以である。ファンを楽しませること。この意味でまた黒田は良い投手である。かつてカープには、安仁屋投手がいた。巨人に弱いカープだった頃である。巨人に勝てるのは安仁屋投手だけだった。巨人キラーだった。その頃、外木場投手がいた。確かノーヒットノーランを二回している。完全試合もあっただろうか。その頃、RCCから、カープ選手の一覧の小冊子があった。毎年申し込んでそれを見ていた。各選手のプロフィールとかカープでの記録とかの小冊子だった。あれはよかった。今、野村選手に笑みがこぼれた。彼は何かと厳しい選手であったという。これがプロスポーツ選手の条件であろう。自分に厳しく、そして、後輩にも厳しく。自覚があるためである。自分のチカラを信じているからである。しかし、そのチカラも引き出すためには条件がある。自分に克ち、自由を得なければそのチカラが発揮できるものではない。前田選手のホームは美しい。イチローのスタイルとは違った美しさがある。かつて、前田選手が最も素質のある選手だと思ったこともあった。塾をしていた頃、その写真を生徒の下敷きに見たときだった。確かに、子供達に夢を与えていた。単なるグッズではなかった。私の頃には長嶋選手、王選手だった。私にとって印象的なのは王選手の傾斜した一本足打法の写真だった。王選手もその打法の確立にはコーチとの毎夜の格闘があった。こうして選手は生まれるのだった。その厳しさ、サポートしてくださった面々の優しさを知っているのは、当事者自身であろう。今、この厳しさが前面に出ない時代である。個性だけが重視されている。それもよかろう。しかし、やはり、グループとして育ち育てられる喜びは別論である。素質が成就する条件がある。それは厳しい過程を通らねばならない。しかし、成就の喜びは、わかちあえてまた価値を増す。個は個のみにてならず、個を産み育てるということがある。これを枯らしてはならないだろう。これが、また、日本の良いところである。日本が野蛮でないために後世に遺すべきものがある。これが、不変であり、不易である。そして普遍である。スポーツにはスポーツ選手しか知らない秘密がある。それは自己との戦いの遍歴である。この意味に於いて勝敗の結果はさほど重要ではない。鑑賞すべきはここである。孤高の精神世界がある。アメリカのショービジネスも然り。日本はまだまだ文化的には発展途上である。しかし、かつて、日本精神はあらゆる文化現象に於いて最高峰を極めていた時代がある。知性の復興の所以である。偉大なスポーツ選手そしてショービジネスのスター達はその過程に於いて流した涙の質と量がちがう。学び習いそして称讃すべきはここである。偉大な人間には理由がある。その理由を知るべき頃である。堕落傾向を美化し、そこに安住する軽薄さの与り知らない世界がある。スター達は秘密を知っている。成功の秘密である。ファインプレーの生まれる理由を知っているのである。これを以て天才ともいう。クラシックの精神ともいう。粗末にできない。これが、本来の芸術的心である。 (2005/10/12 19:54)
21世紀海防論
思うのは、成功している方々って、それなりに、それぞれ、才能もあって、そして、環境も作っておられる。たとえば、マルシアさんってのはその代表かも知れない。だから、愚痴を言ったり、弱音を吐いたりしていたのでは、埒が開くわけがない。勉強もして努力もして。しかし問題なのは、やはり姑息さがみえかくれしていること。あるいは、卑怯であることは五十歩百歩であること。これが世の一般であること。これは、しかし、罰せられるよ。天はそう甘くはないよ。仏法に於いて、三悪は、トン、ジン、チ。つまり、むさぼること、怒ること、愚かなこと。これは、どうみても、免れていない。だから、謙虚さだね。やはり。一般に謙虚さを忘れすぎている。と、思われる。戦後60年のツケ。あるいは明治以降の罪。そう簡単には返せないね。がちがちの第三者を寄せ付けない間違いだらけの社会だもんね。明日戦争になったらどうするんだろうね。わかんないよ。ローマが滅んだ理由、知ってるのかな。戦争はある日突然起こる。何時の世も。虐げられた者たちが、腐った社会に、武器を取ってね。戦争と平和。あまりにも魂が抜けて無防備過ぎはしないのかな。もっと知的レベルを上げないと、地域の活性化も何もないのかも。21世紀海防論。城は何のためにあったんだろうね。結果、庶民の平和があったのではなかったのかね。古来、日本は日本だよ。ペリーが来ておかしくなった。だいたい、女が男の上に立って、男を支配しほくそ笑んでいるなんておかしいよ。おことはそれに甘えておかしいよ。男ではない。このままでいいというのが日本の意思であるはずがない。本来女は嘘つきだ。それに迎合している男は何者だ。それが民間的利益至上主義の必然だ。商人主導では国は腐る。あるいは腐った。その結果が既に事実として出ている。このまま沈むんだったら沈めばいいさ。所詮大和は一発も撃たずに沈んだよね。何を考えてんだかわかんないね。結局何が言いたいのだろうか。世の中の方々は浮かれている。それを餌食にして成り立っているのが今の経済社会ではないか。これが本来の社会であろうか。日本がこのまま堕落し汚れていくままでよいのだろうか。このベクトルを修正するべきではないか。そして、これから本格的な個人の時代を迎える。全市民にその可能性が開かれている。そして、既に、フィールドは世界である。その世界がどのようなものであるのかもわかった。だったら、日本として、世界に向けてどのようなインフラを整備するべきなのかも明らかである。日本の中で意味のない対立をしていては世界に互せない。日本として一つの良い力となって、世界をフィールドに戦い、名誉ある成果を上げていくべき時代である。国内の良い合力の形成が必要である。過去の悪い例を出して論じている暇はない。未来へ向けて良い日本の姿を形成することが肝要なのである。
思うこと 20051011
私の祖父は、良亮と直三である。父は昭亮。母は喜恵子。姉は文子。妹は則子。さて、これまで随分と戦ってきた。本気になった場合必ず勝った。エンブダイの良薬も取ってきた。なにをか言わむこの世をばすでにアマルダ過去なるを。
1+2+3=6 1*2*3=6 (6は最小完全数、また最大陰数、666は獣の数字 殺戮の歴史)
9=3*3=3+6(9は最大陽数、9月9日は重陽の節句、クリは苦を離れる) 999? 99999!
1+2+3+4=10(現実社会は十進法[モード])
1*2*3*4=24(法華経第二十四品 財産法)
4*4=16(王、獅子、帥子、十六夜、十六夜の月、十六夜清心)
5(正、玉→17)
6(六、無 → 8 十牛図 → 10[義経のはっそう飛び] ニッテンスイシュ 日天垂主 主 朱印船貿易 法華経(経典の王) 貿易)
7→↑→↓地上現実ヘブン!
8(無、無限、メビウスの輪はねじれている)
0 (インド、零の発見、印)
一、二、三
四←→匹
二十八=28=4*7 (二十八祖 ダルマ 六祖 エノウ)
29 昭和29年 http://www.moonsystem.to/lunar.htm
31 昭和31年 1956年 申年
素数(1とその数以外に約数をもたない数 わりきれない 特別 一般ではない 一番でもない 格別 格段の差)
駅伝 呉ではかつて小旗を振っていた。
4+7=11(士 侍 西向くサムライ 真実はひとつ 眞のサムライもひとり The Last. The Last is lasting.STORY is STILL streaming today. まだ鉄器時代 産業の米 火(火は誰が取ってきたのかあるいは発見したのか) 水は法(仏法) ヒミコ ヒミツ 津 湾岸 港湾 コースト アスリート クーベルタン男爵 青木昆陽
一 (世界は一つ はじまり 現在グレゴリオ歴)
古典 クラシック 淘汰されたもの
車輪 かつての王の乗物 殺戮 鎮魂 反省 → 未来: 平和 愛
大将棋は日本の極意 http://homepage3.nifty.com/gororo/warekinenpyo.html 都詰
法廷 朝廷 調停 和解 裁判上の和解 既判力 by後見人のチカラ with後見人の格
by手段 with道具
目的 手段 手続 「法は社会のために存在する」(宮崎澄夫先生、筑間正泰先生)
呉市暦年表 呉相互銀行印刷室作成 (『43.4月21日 永久保存』 GOTO … 祖父の深紅の文字)
『ローマの休日』 品格 ゾンビ
調和 ハーモニー バランス 天秤 ジュピター 女神 性格の不一致の主たる要件は知性の不一致
新しい時代 知性の時代 インテリジェンス インジュニァリティ.JR(JPジェットパイロット) ジェニュイン(印) ホスピタリティ ジャパニーズホスピタリティ! ジャパン・ドリーム! 呼吸 インスピレーション エクスパイアレーション
敵を味方につける? 自然を味方につける!是必勝法。宗教も手段あるいは道具に過ぎない。
ベクトル?原点は原点である。座標軸。シフト。経済理論。
All is good in one the World!
etc
QEDのひとつ、QED。
(虞や虞や汝いかんせん。このDNA。遺さば遺さむ思いはあれど制度社会が許さんとするか。自然はすでに赦しおり。されど社会を壊す意思なし。ならば如何とするか社会の意思。壊さば壊す自然の意思。愚かなるはWho?一問一答。ご挨拶。)
私の学生ナンバーは5261066だった。活用できないまま、今までしたアルバイトは・・・・・悔しいね。生活も結婚も成立条件が足りなかった。でも、まぁ、いいけどね。コムシーコムサー!先輩、山本敏明氏(衆議院選で事務局長及び幹事長をさせていただいた)がおっしゃいました。「五十からがんばればいいよ」って。
『讃嘆の詩(さんたんのうた) 下巻』 住岡夜晃 著 樹心社 百十八頁より
お念仏の子はどこでも光る
お念仏の子はいつでも光る
お念仏の子はなぜ光る
見られても見られなくても
降る照るなしの道を行く
お念仏の子はだれでも光る
お念仏の子は永遠に光る
頭が低くて手足が軽い
胸に不滅の燈(ひ)が燃える
『詩集 満月をしも』(石原吉郎 思潮社) より p32
疲労
人はその疲労の軽さにおいて
はじめて断念の重さを
脱出する
疲労の裏づけがなければ
人ははじめから
断念なぞしないのだ
断念の永続の保証がないからこそ
人はようやく断念に至るのだ
参照 『望郷と海』 good luck, for ever!
柿
柿食えば・・・・・かわいい猿が熟した柿を手にしている。美しい絵である。しかしその柿は絵である。
今日の一言
申命記 4-15、16、19
あなたたちは自らよく注意しなさい。主がホレブで火の中から語られた日、あなたたちは何の形も見なかった。堕落して、自分のためにいかなる形の像も造ってはならない。・・・・・また目を上げて天を仰ぎ、太陽、月、星といった天の万象を見て、これらに惑わされ、ひれ伏し仕えてはならない。それらは、あなたの神、主が天の下にいるすべての民に分け与えられたものである。
(作品は、魂を削って作るもの。そこにある祈りあるいは思いは、未来を規定する。そこに畏れがあるか。これが、謙虚さでもあった。平等は機会に於いて平等である。すべて自己を開花させる本来の権利がある。一度や二度の成功で利益を独占してはならない。人生は本来の意味がある。代々の栄光のために如何に生きていくべきか。そこに秘密がある。日本の歴史は古い。堕落させては申し訳ない。例えば清原選手。王監督自身がその素質を認めていたのではなかったか。自分の記録を抜くのは彼だろうって。ドコまでも頑張って欲しい。)
20051011
昨夜テッチャンから電話があって、亦語らいたいとのこと。少し話した後、本屋さんへ行きました。少し厳しいことも言ってしまいました。しかし、てっちゃんは素直に聞いてくるのです。それをとことん否定しました。とにかく作品を作れと言いました。ヤルキになってくれました。 さて、本屋さんではタケシの本など見ました。英国博物館の本だったでしょうか。そこに見たのは何だったでしょうか。殺戮の歴史のような気がしました。それが封印されているように思われました。人間の哀しい歴史です。今、これから、人類はどう進むべきでしょうか。退行してはいけませんね。歩きながらそして少し考えることがありました。私は何をするべきなんだろかって。まだ戦うべきなんだろかって。この度は、実はひとり戦っていたつもりでした。実はひとりで戦後のつもりでした。そしてトコトン戦おうかとまだ思っていたのです。しかし思えばもう歳ですね。今まで随分と戦ったように思います。そして環境は随分と変化している事実に気づいたのでした。ボランティアをしていた頃、中国からビルマまでトラック部隊で南下し、最前線で戦い抜いた方のお話を聞いたことがあります。お話しできない内容もあります。2.26事件の頃にはタクシーに乗っていて現場にいたそうです。そしてその方は金鵄勲章も頂いたのですが、宇品に復員して売り払い屋台で飲んだそうです。いわゆる死の島へ捕虜として送られたとのことでした。芋ツル一本貰ってね。しかし中には人の芋を掘る奴がいた。また、夜にボチャンと何かを海に投げる音がする。わかりますか。この30年間社会から見放されたそうした状況の私でもあったのでした。祖父が写真集を遺してくれています。そこにおられる面々は素晴らしい方々です。現代社会が忘れていたこと。
【今日の花言葉: ダリア 栄華または遊技 (NHK深夜便を聞きながら 4:56am)】
文章について或いは国の体、賓主歴然。
文章も体を表す。あるいは文章に体が現れる。表現とはそうしたものである。自己を純粋にして自己を奏でる。私の場合心を澄ませると自分で感じるトーンは中原中也とかシャガールとかである。孤独と言ったらこれ以上ない。しかし、最近になってそれが醒めてきた。醒めてくると自分でも清祥なトーンを感じる。これでいいんだと思う。喧騒はやはり良くない。国にも体があって良い。その体はやはり美しくあって良い。日本は古来自然に恵まれた美しい国である。これ以上汚(ケガ)しては申し訳ない。いつもそう感じていた。これからはそう思う。思い続けたいものである。心を開けば、或いは自由を得れば、堰を切ったように言葉が流れ始めると言った人がいた。J.J.ルソーだった。その告白に於いて。さて、言葉はひねり出すものではない。力を入れて考えるものでもない。スピークするものである。塞がれていた心を解き放つ。そうすれ清水のような言葉が流れ始める。言葉もその人の属性である。奏でればよい。作るものではない。それが日本語というのもであろう。概念とか意味とかが日本語ではない。内容など或る意味でどうでもよいのかも知れない。現実は全て未開拓である。自分がそこに種を蒔いて育てて刈り取るべきものである。現代経済界のパラダイムなどの知らないところである。その意味で努力すればそれだけの成果が上がる。今の世の中は違ってる。利益の捉え方が違ってる。一切のやましさがなく、健全世界。それが自然だ。その中で植物は生きている。鳥たちは飛び、餌をとり、子を育てている。あるべき姿。未来の姿。目が輝く。これをビートルズはルーシー・・・・・と表現した。目が輝いていればよい。目が動かなければなお良い。目は心の表現だから。目を見ればわかる。話をすればわかる。わかるということの大切さがある。賓主歴然を本末転倒していないか。わかるということで自己の鐘が鳴り始める。自己の鐘の音はどのような音をしているか。鐘の音にもいろいろある。自分の鳴らしている音が聞こえるか。新しい文学空間。今まではそれは詩だった。これからは・・・・・。明晰。透明。清祥。空気のように。感じることからわかるということへ。知性の時代。日本は本来知性の国だった。軽薄さは芸ではない。面白くない。能は努力の果である。果は自己の属性の開花である。花は秘すべし。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず。」開花するまでは。誰も皆自分の花を咲かせるべきなるのみ也。咲いてわかる。わかれば秘ではない。これが花の秘伝である。さてどのような花を咲かせるか。あるいは咲くか。自己のDNAにどのような種を持っているのか。本来大切なものを粗末にすれば当然その度合いによって罪である。これが一切種智慧であり、歴代の秘密であった。花伝の秘密であった。それだけのことだった。
守護霊について
よく守護霊ってこと言いますね。これは何のことでしょうか。佛さんでしょうか。菩薩さんでしょうか。あるいはキリスト? 実はね、子孫を護るのは祖先なんです。そして四十九日で祖先の魂は霊界へ行くとか言いますね。実は行きはしない。ずっと子孫の周りにいて護ってくれている。それでね、祖先にはいろいろとあってね、だから、その中の誰に護って貰うかが大切となる。でね、祖先にも好みがあってね、祖先も護る子を選ぶ。だから、どの祖先に護ってもらいたいかがあってね、その為にはね、その祖先に好かれて貰わないといけないって訳。でね、悪いことをした祖先もある。こうした祖先はね、死んで初めて気づく。生きている間に気づけば良かったのにね。でもね、こうした祖先はね、子孫が良いことをすればね、救われていくんだよね。そしてDNA。このDNAに亦すべての祖先がある。その中でね、自分がその時々にその要素を選択しているんだね。つまり、日々の思うこととかすることがね、祖先からのDNAを改造してるって事だね。で、もうわかったでしょ。この現実世界の人生の意味。さて、どう生きるか。どう生きてもいい。
私のかつて作った歌のひとつ
もののふのやさしきこころ触れしかば この道たれとともにあゆまむ
(誰も理解してくれなかった。誰も評価してくれなかった。)
さて、この度入手した書籍:
『歴史読本 特集 歴代天皇全紀』 二〇〇五年十一月号
『古代出雲大社の復元 増補版 失われたかたちをもとめて 大林組』 学生社刊
同ツール:
CASIO XD-FP6800 (携帯辞書)
敬語について
シェリーマンのマイフェアレディがある(1956)。さて、敬語というと何だろうか。それは形式であるというのが世の常識である。ちがう。人格である。心の持ち方である。敬語は人格の属性である。開花していないこともある。企業の人事課で都合の良い敬語を敬語と思っていないか。それでどれだけの芽を摘んだのか恐ろしいとは思わないか。威儀も大切であろう。もっと大切なものがある。その人の可能性である。知らずとは雖もその芽を摘めば恐ろしいことになる。少しはこうした魂に属することもまじめに考える時代ではないかと思われる。企業の目的も個々人の暮らしにあることは確かである。個々の事象で個々の人を不幸にして幸せがあると思ってはいないだろう。昔で言えば企業とは人足寄せ場にすぎないのではないか。個々のくらしを引き受けているのにすぎないのではないか。思い違いしていないか。何のための企業か。何のためにあるのか。
論座、月刊現代、諸君、正論について
はじめに買ったのは、論座だった。そして、気になったので、正論と諸君と月刊現代を改めて買った。そして、比較的に読んでみた。今までこの種の事には主たる興味はなかったのではあったが。そして気づいた。それぞれの雑誌も金太郎飴である。どの頁からもその性格がしみ出している。結論は、今となっては、言わずもがなであった。魂の存在などないと言うことが、すでにその雑誌の性格を表出する。このようなリーダー達の時代だったのかと呆れた。思えば、中学、高校となっていくにつれて、私は清心実在的に抹殺されていったように思われる。馬鹿馬鹿しい。このような社会に誰がしたのかとあらためて憤るものがある。この現在の状況について反省もできないのは、バカは死ななきゃ直らないのだね、とあらためて思われる。悔しいくらいである。社会はドコに安住しているのか。あるいはしがみつこうとしているのか。笑うしかない。
二河川の税関の隣にある公園に石碑がある。さらにその先に岩がある。その岩には牡蠣がついている。何を意味するか。いつまでも牡蠣でいたいのだろうか。
高校の頃の文化祭
中国物産展をした。全校一の売上げだった。人民帽がよく売れた。追加注文した。見るとみんな人民帽をかぶっていた。大流行した。ケープが上出来だったのに驚いた。その生地も刺繍も最高級だった。売上げの一部を執行部へ入金したその残りで、みんなで屋台へ行った。ラーメンを食べた。その文化祭では、亦、カレーも作った。カープの白石投手も来てくれた。これは塚本先生のチカラだったのだろう。高校一年のことだった。その後、文化祭に積極的になれなかった。
中学の頃、理科が好きだったこと。
理科が好きだった。その試験が面白かった。覚えることは覚える。しかし、第一分野では必ず難問が一題出た。これを得点するのが楽しみだった。どんな問題集にもないような問題だった。それで私のとった方法は必ずその単元に於いて独自の解き方を見つけることだった。そのために、朝まで勉強していた。寒い日には腰から毛布を巻いた。それで不思議と解けるのだった。独自の方法というのはそういうものだということはその頃既に知っていた。そして当然のこととは思うのだけれど、その頃、私はいわゆるガイドとかを利用したことはなかった。
ビートルズが日本に来たことなど、子供の頃のこと。
ビートルズが日本に来たのは、私が小学校五年の頃だった。テレビでその光景は見ている。福岡の伯母の家でのことだった。その頃、ほぼ同時にウルトラQも始まった。福岡(一週間くらいいたのだったが、いとこのベッドで寝ていた。これが何故か嬉しかった。ベッドで寝たのは初めてだった。そして福岡に滞在して困ったのは、川が北へ流れている感覚になじめないことだった。また、太陽が西から昇ってくるような気がした。帰るまでその違和感は拭えなかった。)では室見川があって(大きなきれいな川だった。何か仕掛けがあるので何かと後で聞いたらシラウオ漁のためだった。)、橋を渡ると愛宕神社があった。そこから玄界灘を見た。遠くに広がる海だった。また、その近くには松原の浜があったように覚えている。愛宕神社への参道の途中には亀がいた。その頃だったろうか。加山雄三のエレキの若大将も見たように覚えている。タイガースとかが流行っていたのは小学校六年の頃だっただろうか。私が好きだったのはスパイダースだった。クルセダーズのオラハシンジマッタダは小五だったろうか。中学になってクラスメートと話をするのに、テレビのことがあった。私はその頃からあまりテレビは見ていなかった。それで、新聞のテレビ欄を見てその話をするのだった。すると、みんな目を輝かせていた。また、高校に入ってラジカセを買って貰った。アイワだった。ラウドネススイッチが良かった。その頃、アイワのラジカセはスイッチが丈夫だった。これでエアチェックするのだった。何故か私が録音したテープは良かったらしい。途中でアナウンサーの話が入ることなくて全曲入っていた。ほとんどの人気曲が入っていたらしい。クラスメートはどこで手に入れたのかと不思議がっていた。自分としては別に当たり前と思っていた。何時の頃だったか忘れたが、部屋の中の洗濯物を干すための細いロープに、歯車を沢山組み合わせて、クレーンを作って遊んでいた。定滑車、動滑車の組み合わせだった。叔父に貰ったディズニーの目覚まし時計を分解して直せなかったこともあった。ナショナルのテープレコーダがあった。これは父のものだった。しかし私も勝手に自由に録音していた。確か、太田幸司選手が投げた高校野球の延長戦試合を全録音していたように思う。その後、調子悪くなって、回転部に母のミシン油を差した。父が分解して呆れていた。別にそれで怒られはしなかった。しかし、父からは竹のサシで何度たたかれたことか。やはり悪かったのであろう。アポロ11号が月へ行ったのは小学校五年のことだった。宇宙中継は殆ど見た。新聞スクラップもほぼ完全なものがあった。今はもう無い。中1の夏休みのことだった。毎日釣りをしていた。近くの海岸でだった。潮が引くとイシゴカイを掘った。満ちてくると近くの当時第11クウショあるいはバージと呼ばれていたところの小さく突き出した櫓のような所から釣りをした。しかし近くに屎尿処理場があって、時々、白い紙の溶けたようなものが釣れた。ヒトデが釣れた。ヒトデはカラカラになるのだった。毎日朝から晩までそれをしていた。針の付け方も漁師結びから工業製品のようなものまでマスターした。潮の見方は確か広島標準時に五〇分プラスかマイナスするのだった。潮の引くとき或いは満ちるときに釣れることを知った。そして、近くの倉橋へバスで出かけたこともあった。海越ではあまり釣れなかった。小さなコチとギザミだった。近くのホリキリ橋だっただろうか。その先はカロトだった。その後、友達のお父さんと倉橋へ行った。この時は、丘を越えて小さな湾のような所だった。見釣りでアブラメが二匹釣れた。そして、やはり倉橋だったろうかタラコギなんか釣ってそれが親指に当たり一時間は痛かった。そしてその日漁船を釣ってしまった。気づくと小さな漁船が近づいてくる。あっという間に目の前まで来た。漁師さんは一人だった。鞆の方で中腰になって前のめりになり、網を引き上げていた。それで船がドコを走っているか気づかない風であった。咄嗟にリールを巻いたが遅かった。リールは壊れた。それで釣りは止めた。小四の時に近くの測候所へ見学に行った。芝生の中に白い百葉箱などがあった。係の人に説明もして貰っただろうか。帰ってその作文があった。私は原稿用紙に11枚書いた。本田先生がたくさん書いたとほめてくださった。小六の頃だった。方形校舎の屋上に雨量計とか日時計とかあった。私は毎日その記録をするのが係の一つだった。夏休みも毎日していたように思う。
今日の一言
旧約聖書
シラ書(集会の書) 48.25 彼は永遠に及ぶ未来の事。隠された事を、それが起こる前に示した。
49.9 ・・・・・・。しかし正しい道を歩む者には恵みを与えられた。
台風の日に、海に手を入れてなだめた人がいた。まるで、自分の愛馬をなだめるかのように。そして持っていた傘で風圧を測定していた。少し柄は曲がったが、すぐに直せるくらいだった。その日その地だけは穏やかであった。信じられないね。
海の漁師にとって、甲板はまないたでもある。
地上ヘブン=世界論
ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip!親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗淫。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。 関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は?意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World.どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you?お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山!理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分!積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。
I'm ready. Are you? (ご飯は炊けてるよ。) H-FM「週刊のだよしはる」を聞きながら。
「一.因果の花を知る事、極めなるべし。一切、みな因果なり。初心よりの芸能の数々は、因なり。能を極め、名を得る事は、果なり。しかれば、稽古するところの因おろそかなれば、果を果たすことも難し。これをよくよく知るべし。また、時分にも恐るべし。去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、必ず、また、わろき事あり。これ、チカラなき因果なり。これを心得て、さのみに大事になからん時の申楽には、立合勝負に、それほどに我意執を起こさず、骨をも折らで、勝負に負くるとも心に懸けず、手を貯いて、少な少なと能をすれば、見物衆も、これはいかやうなるぞと思ひ醒めたる所に、大事の申楽の日、手立てを変へて、得手の能をして、精励を出(い)だせば、これまた、見る人の思ひの外なる心出で来れば、肝要の立合、大事の勝負に、定めて勝つ事あり。これ珍しき大用なり。そのほどわるかりつる因果に、またよきなり。」(ワイド版 岩波文庫 31 風姿花伝 世阿弥著 野上豊一郎 西尾実 校訂 百六頁)
【我、すでに聞く耳なし(無聞(ムモン))秋の風。】
(以下メモ NHK 心の時代を聞きながら)
オニツラ 「口を開けばみな句なり」 東の芭蕉 西のオニツラー蕪村 ヘキゴトウ ホトトギス
「オニツラキ ・・・・・ オニツラ喜ばず」 弟子がいなかった(盤珪、飯田トウ隠) 柿の木文庫
「誠のほかに俳諧なし」 オニツラ
人と句との一体 人格 生き様
オカダリヘイ 「にょっぽりと ・・・・・ 富士の山」 オランド、墓の前の句 彼の友人
≪普段の言葉で自分の気持ちを表現することの大切さ≫
オニツラ 『ひとりごと』 「誠のほかに俳諧なし(オニツラの俳論)」 ススキは心ある人にその風情(フゼイ)をあらわす面白さ
櫻咲く頃 鳥足二本 馬四本 (??? スゴイ)
しみじみとして 奥深い あたりまえの何でもないことをかいているのに
天衣無縫の人 オカダカキモリ 森羅万象 気の向くままに 面白きものを訪ねて 旅 面白いか面白くないか[基準、原点:大阪的]
柿主や 人来るもよし 来ぬもよし
旅三日 日ごとに変わる ・・・ (奥の細道)
紋つけて ・・・ ・・・
カキモリ翁 なにわ写真クラブ
【今日の花言葉】:サラシナショウナ 雰囲気の良い人
今日の一言
コヘレトへの言葉 11-9
若者よ、おまえの若さを喜ぶがよい。
青年時代を楽しく過ごせ。
(始めて気づいた。庶民の性根の正体を。
既に犯した彼らの罪について、裁かれる。既に遅い。
事実。救いはない。その罪は大きすぎた。反省がなかった。
まだ、支配しようとしている。どこまでも思い上がる、つけ上がる、経済界。
畏るべし。本来秩序を。伝統の価値!自然!言い逃れはない。
餌食にしてはいけないものまで餌食にした。
教育、福祉までビジネスの具とした。それを許した者もいた。
そして自分たちのグループだけ利益を得た。
何かあったら責任転嫁することしか知らなかった。
トカゲのしっぽ切り、責任を取ったことはなかった。
自然は赦したおぼえはなかった。自然財までビジネス化した。
医療、宗教もビジネスとなっている。何を思っているのか。
何も思ってはいないだろう。個々の刹那的利益のみ。パースペクティブがない。
国民保険も税金であろう。何に使ったのか。
資本主義の条件まで破った。「利益有るところ損失有り。」
利益有るところ利益有り、損失有るところ損失有りは、テクニカルファールである。
言語道断。
本来法は法律を超えている。はじめにロゴスが厳然として有る。
自然は泣いているのではない。怒っている。マグマ対流も起こる。
ポラリスはその使用権源は自然にある。
まだ罪を犯していない青年は幸いあれ。【マナセの祈り】)
昔、伊豆半島は流れてきた。椰子の実のように。
日本に何か託されたものがある。
日本は知性の国。大和魂の国。清浄なこころが遺産としてある唯一本来やさしい国。
それは、本来の強さ=如来の神力のある国。
選択の自由。その可能性。日本の使命。世界が求めているものは何か?
もはや地図を失って久しい。地図はある。失われているだけである。
ビートルズが聞きたくなる頃
かつてビートルズがよく流れていた頃、敢えて聞かなかったのかも知れません。自分にとってそのような状況ではなかったんでしょうね。それが今、ビートルズが無性に聞きたくなるのです。不思議ですね。これも状況と自分の感性とが同調してる。幸せは自分で作るって言うと表現が正しくないかも知れないけれど。気持ちを制御するでもなく幸せな境涯となることができるのですね。制御している間はまだ本物ではなかった。一切力の抜けてそれでも十分に自然に生きてゆけるのですね。それが大人であり、社会人だったんですね。今更のように思う今日この頃です。さて、それで、80%で生きてなお自由を維持できることを知りました。アクセル一杯では危ないですね。申し訳なく思う処です。
広島県不当な街宣行為等の規制に関する条例など
広島県で新しい条例が、この度、制定されました。不当街宣行為を禁止するものです。「広島県不当な街宣行為等の規制に関する条例」。この種の条例は、全国で初めてです。来年1月1日から施行(しこう)されます。6月以下の懲役または20万円以下の罰金もあります。
トヨタとGMの提携が成立したようですね。トヨタは販売高世界一を目指す。GMは債務の整理がある。それで、利益が一致して、結果、トヨタは富士重工の筆頭株主となった。これからいよいよトヨタの世界戦略でしょうか。ベンツも新車を用意している。この戦い、ワクワクしますね。
村上ファンドVS阪神電鉄。主たる目的は、阪神タイガースの上場でしょうか。さて、この上場ということについて複雑ですね。本来上場すべき会社が、同族である故に上場していない場合もありますね。阪神タイガースを運営するのにどちらがよいのか。門外漢としてはよくわからないところです。しかし、江夏選手とか、田淵選手とか、江本選手とかのことを思い出すと、何かチラチラしていたのを覚えています。いずれにしても、ファンあってのプロ野球。ファンを裏切ることのないシステムが望ましいですね。一部の方のコントロール下にあって、興業としてのプロ野球だったら、やがてファンはいなくなるでしょう。本来のエンターテイトメントって、あると思います。これからどのように展開するか目が離せませんね。
雑感
夜の街はとても静かでした。人通りがほとんどなくて。二三日前のあのにぎやかさは何だったのだろうかと思われるのでした。
ところで、眞鍋かをりさんのブログは良いですね。リンクさせて貰おうと思ったのだけれど、勝手にするとやはり問題点があるのでしょうか。勝手にリンクできないのかな。わからないところです。
その他のリンクについては確認済みかID持ってるかです。問題点があれば連絡もあるでしょう、と思って。
今夜の風景
夜港に出てみました。すると、いつものように、遠くの煙突から炎があがっていました。大きなガスバーナーのようでした。製鉄所の煙突です。三つの煙突から煙があがります。今では殆ど水蒸気と聞いたこともあります。公害の頃の反省でしょうか。それに伴う技術革新でしょうか。さて、その煙は上の方で一つとなり、雲の塊となります。湾の中は池のようです。水面は穏やかで鏡のようであり、街灯の灯りが幾本も映っています。そして、スポットライトのようにこちらを照らしてくれているのです。向こう岸に架かる橋のようでもあります。さて、この池のような湾ですが、その静かな水面はこれが明鏡止水かと思われるのでした。しばらく散歩して帰宅する頃、空は夕焼けのようになりました。鉄が流れたのでしょうね。ご褒美のような景色でした。散歩の途中で犬と会いました。小さな雌の犬でした。怪我するなよと言って別れました。アオサギも一声鳴いてくれました。
裁判所の憲法判断(違憲立法審査権)について
裁判は具体的事実について行われるので、抽象的な判断はしないですね。特に、憲法に於いて、規定はあっても、それが政府の努力目標に過ぎなかったりします(プログラム規定)。さらに、国家統治に関する問題は、裁判所の守備範囲ではないということもあります。だから、敢えて具体的判断を避ける場合があります。因って首相の靖国神社参拝の問題ですが、微妙となるのです。要は国民主権、主権在民。この問題を解決するのは根本の憲法制定権を有している国民ということになります。ためには国民レベルで正統な判断をする必要がある。ためには国民レベルがそれを考えるだけのチカラを自ら学習する必要がある。憲法は法律と言うよりも歴史的なものと言えるのではないでしょうか。だから、国民としてある程度勉強しなくては憲法議論はできませんね。と思われます。だから憲法をそのような視点で勉強するべきではないでしょうか。その為のサポートは法曹の方々にお手伝いいただきながら。そうすることで、本当の自由と民主主義の時代が具体化するのでしょうか。
振り込め詐欺について RCCラジオを聞きながら
夜の街を一人歩きしていて、ひったくられる。いくら注意していても、やられるときにはやられる。その中にカードが入っている。二次被害、三次被害となる。カードは持ち歩かない方がよいのかも知れない。あるいは、昼用のバッグと夜用のバッグは使い分けた方がよいのかも知れない。
今、振り込め詐欺は劇場的詐欺とも呼ばれている。子供まで利用している。騙す仕組みができている。大切なのは無視する勇気。そのためには、自分で悩まないこと。1.ニュースを聞いて、事前に心構えを作る。2.警察に相談する。いくつかの警察に相談してみる。警察を身近なものとしておく。3.消費者センター(市)に相談する。そうすることで、勇気と自信を持って無視できる。
これからどのような犯罪が出てくるかわからない。そういう時だから、それなりの準備態勢が要る。特に女性はニュースに耳を傾けて欲しい。アンテナとして。
とのことでした。
ブログについて
ブログはとても便利です。一度設定すれば後は書き込むだけです。ホームページはその都度作る作業が必要なので誰でもできるというわけにいきません。これに対して、ブログは、例えば誰かに設定して貰えば誰でもできるのです。だから、高齢者の方々もチャレンジの対象ですね。ブログというのはウェブ上のログです。つまり、インターネット上の記録。ネット上のメモ或いは備忘録です。つまり、日記そのものです。面白いです。そしてブログは日本中から見て貰える仕組みがあります。ホームページの場合はみなさんから注目されるには登録という手続きが別に必要です。これが亦面倒だし、技術も必要です。有料であったりします。それで、有名になりたい若者もブログから始めるとよいと思われます。ブログは或る意味で若者達の社会への或いは成功への登竜門です。ここから始めるのが一番近道だと思われます。システムとしてもとてもよい機能がブログにはあります。しかし、よくない機能もありますので、その辺りは、よくわかっている方に相談しながら、この一つの時代の最先端のものを楽しまれるのも、きっとよいことでしょうね。
モーツァルト
モーツァルトっていいですね。なんだか慰めのシャワーみたいですね。英雄は色を好む?もしそうだったら、自然は味方しないのではないでしょうか。そのように思われることもあります。そのように思われることもあるのです。
南嶽磨磚(なんがくません)
ある弟子が坐っていた。坐禅していたのである。すると、師の問いがあった。何になりたいのか。仏になりたいのです。師は磚(瓦)の一片を拾った。そしてそれを磨き始めた。何をしているのですか。鏡にしている。
小学校の頃
算数で何か習った。そして、東京広島間のブルートレインの平均速度を計算した。停車時間も含めた。簡単な計算だった。秒速17mだったろうか。しかし正確には覚えていない。また、前門戸露子先生(音楽が専門。広島高等師範卒。呉で二番目の女校長先生となられた。)から算数で時計算と仕事算を習った。早速姉の算数問題集を解いて。全て解いたように思う。そして、アルバイトで家庭教師をしていた頃、算数を教えてた。問題集を二冊すべて生徒と一緒に解いた。さて、小学校の頃、校長先生が呉の歴史を研究されていた。自費出版もされた。その内容は、江戸時代の呉には2軒くらいしか家がなかったとのことだった。ずっとそう思っていた。しかし、私の家に小冊子があった。呉の歴史について。祖父の『永久保存版』という文字があった。内容は全く違っていた。このギャップ、尋常ではない。堪えられる水圧ではない。ところで、小学校の頃、姉が二歳年上だった。姉の勉強を一緒にしていたのかも知れなかった。兄弟姉妹の効用。勉強に於いて。
広島ミカン
広島のミカンが一番旨いと思う。それも大長(おおちょう)みかん。さて、近くにジェーン梶岡さんが住んでおられる。ボランティアで色々とされている方である。ある日、パソコンがウィルスでやられた。量販店ではどうにもならないからとのことだった。IBMのB5ノートだった。CD-ROMはなかった。LANにつないで外科手術した。喜んで貰えた。その後、今もおつきあいがある。ジェーンさんは時々島へ帰る。ご主人の実家である。そこでミカンを作っておられる。無農薬。何度か頂いた。そして、東チモール独立記念絵はがきも頂いた。
給料はガマン料?
給料はガマン料って言われました。よくわからないところでした。これで何を言いたいのでしょうね。ガマンが前提?おかしいですね。このような土壌が良くない。もっと楽しんで仕事して良いのではないでしょうか。そして自分で仕事してそのお金で亦楽しむ。それなのに、ガマン料?おそらく何だか不穏な考えが見え隠れしてますね。ガマンしなくて良いと思う。
職業選択の自由
平等とは、本来生まれからの自由です。これが色々と弊害があったから。今も自由の戦いは続いていますね。一番問題なのは時代錯誤でしょうか。今、若者達に接してみるととても元気になれます。若さって、年齢ではないなって、当たり前すぎますね。さて、職業選択の自由。何だってなれる。夢は実現するんです。しかし、自由はかえってつらい。自分が自分に勝たないと自由はない。でも、勝った時ってのは、これほど痛快はないですね。だから、若い人たちは、今、試練の中。がんばれ。
昨夜てっちゃんと
9:30pm てっちゃんといつものところで待ち合わせ。歩いていきました。いつものように、製鉄所から炎が時々上がります。てっちゃんは、少しずつわかっているとのこと。本当に純粋な青年です。いくつか語ったことでした。そして、シルバーアクセを貰いました。彼の最初の作品とのこと。とても嬉しくありました。このシルバーアクセ、GSブランドで売り出そうかなって思いました。てっちゃんとは、海を見ながら語りました。とてもおだやか。ときどき煙突から炎。夜の夕焼け空もありました。海はその灯りが反射してとてもキレイです。照明灯のような灯りもありました。全ての灯りがスポットライトのように、あるいは道であるかのように集まってきます。アオサギも来て鳴いてくれました。きっと声を覚えてくれているのでしょうか。また、黒くてよく太ったネコが一匹、立ち止まってくれました。とても楽しい日々の連続の中です。海に、心の中で、乾杯しました。
今日は木の日。十と八。十月八日です。(NHKラジオを聞きながら)
てっちゃんはドラムに自信があります。また、絵が得意です。特選のさらに上の賞を二度頂いたとのことで、その絵は校長室にも貼られていたそうです。
いらだつ理由。心の中が表現できないから。対話してみるといいですね。だんだんと思いの形が見えてくるかも。関係の問題。ひとつの関係の中に当事者がいる。それぞれの思いがあるのだけれど見えなくて。環境。一つの環境の中にみんながいる。
広島カープ山本監督
ここのところのカープの状態の中で、山本監督でないと乗り切れないものがありました。選手に対しても、ファンに対しても。ご苦労様でした。そしてありがとうございました。次期ブラウン監督。期待しています。よろしくお願い申し上げます。熱烈カープファンのために。(RCCラジオ じせん和尚を聞きながら)
子供の精神的優位。子供達との共存。
子供の方が後から生まれてきている。進化している。勿論経験においては大人が勝る。大人と子供との共存。
公憤について
憤せざれば啓せざる。孔子。公憤を以てパワーを得る。これは男の領分かも知れない。女には理解できないところかも知れない。だから女は土俵に上がれない。と言ったら母は笑った。久しぶりに笑っていた。何を言うかと思ったら、と。
ハッカーについて
日本ではハッカーというと悪者のイメージですね。しかし悪いのはクラッカー。ハッカーはむしろ予科練的かも知れません。 傾向犯的ではない。むしろ見出されるべき技術者かも知れません。ここにいるよという発信かも知れないのです。クラッカーはいけない。 愉快犯的であるから。
一休さんについて
一休さんは破格の禅僧でした。その生き方は、天衣無縫と言えるのかも知れません。ある日師匠から印可状を貰いました。しかし、当時腐敗していた仏法界に辟易していたのです。だから、受け取らなかった。でも、これは一休さんだからできたことですね。やはり、社会のルールがあって、社会の中で楽しく生きていく。そうすれば、守るものは護られる。社会から護られる。安全に生きてゆけますね。その方が楽ですね。それにしても一休さんは孤独でしたね。寂しくも哀しい人生であったでしょうね。一休さんの孤独、当時の社会は理解できるべくもなかったでしょうね。
無差別テロについて
難しい問題ですが、歴史的に捉えるべきかも知れません。つまり、シルクロードあるいは胡椒の道の頃の。オスマントルコ。セルジュークトルコ。そして思うのは、ユーゴスラビアの時のNATOの対処の仕方。つまり、ユーゴスラビアのことはユーゴスラビアに任せた。どうなろうと自己責任だといった対処だった。傍観ではなくて、見守った。先進国として。大人の国として。そのように思われるのだけれど、難しい問題ですね。
ところで、アラブの真意はドコにあるのでしょうか。アラブが世界侵略を考えているならとことん戦う必要がある。しかし、アラブが自分たちの静かな国とその中での固有の生活をを護りたいというなら話は違ってくる。アラブはアラブで生存して良いのではないかなって。十字軍は今回も失敗するのかも知れない。しかし、今回は失敗ではないだろう。ここに、相互理解に基づく和平共存が成立すれば、輝かしい歴史的成果と言えると思うのだけれど。難しい問題ですね。
ドストエフスキーについて ひとりごと
ドストエフスキーは何故あれだけの作品を書いたか。借金があったから。ドストエフスキーは銃殺されそうになったこともある。経済行為をしている方々がいる。銀行なんて何をしてきたんだろうね。自分たちのチカラと思っているんだろうね。何時までもわからないならどうなるのか。わかってないことは怖いことなのに。まだわかっていないらしい。それともわかってるのかな。私は嘘は書かない。嘘を書くと難しくなる。嘘の上塗りをしているからおかしいことになる。反省。今それで澄んでも三途の川で泣くよ。容赦ないのだよ。とか誰か言ってた。方便は仏の領分。人間にとっては嘘は嘘。裁かれる。分を知って書く。いつも。仏は言っておられた。仏法がなければやがて作家は自殺している。魂を扱う。ご用心。作家も餌食にされないように。思い上がるとき地獄に堕ちる。文学或いは文字は神秘である。始めにロゴスありき。そのロゴスとは何か。間違えているから失敗する。社会の中でしていることは制限されている。社会が自然ではない。自然の流れにさおさせばどうなるか。社会は自然を制限できない。ここに畏れが生まれる。謙虚さの自覚ができる。社会の中に自由は制限されている。経済行為はその下部構造である。のではないかと思った。思ったのだ。アカシックレコード。一度刻まれたことは消えはしない。それが魂でもある。消す方法は一つ。反省。生きることはいい。しかし、それを以て正統化されては困ることもある。歴史が困る。困るが別にこだわりはしない。淘汰あるのみだから。生きる目的は何だろう。ただ、本来清浄あるのみではなかったか。そのように思われるときもある。そのような世界もある。それが世界。世界は待っている。成熟。いつまでも幼稚では生き残れない。そろそろそういう時代が見えている。幼稚を増殖していては滅ぶよ。早く面舵一杯ではないかな。ぶつぶつ。ひとりごと。(2005/10/06 17:45)ラスコリーニコフを救ったのはソーニャ。「死んだ男」を理解したのも、ブッダに乳粥を差し出したのも少女。YouSee! 自由人は社会の中に安住しない。港のように時々帰ってくる。社会の中で自由人は生きられない。理解。自由人の定義。世界。それでも社会は自由人を縛ろうとしている。自由人のお陰の社会ではなかったか。自由人から奪うものがなくなってしまったのではなかったか。ぶつぶつ。浦島太郎が言っていたような気もする。生命の過程は歴史以前からのものではなかったか。散歩に出かけようかな。お金はない。
NHK「台地の祈り」という曲をバイオリンで聞きながら 冒険論
冒険家風間さんが骨折した。複雑骨折だった。アフリカに入って、突然それは起こった。5m先から車両が現れた。全て覚えていた。気を失ってはいけないと思った。足下から心臓を超えて突き上げるものがあった。目まで来たら気を失うと思った。必死でこらえた。気合いだった。救急車が来るまでは、と。氏のぎりぎりのサバイバルだった。複雑骨折。全部終わったと思いながら。辺りには砂の採石場があった。その車両だった。4日目のことだった。
初めにかつぎ込まれた病院がよかった。ダイアナも入院した有名な病院だった。幸運の一つだった。転院してからが亦よかった。西洋的治療法では切断もあった。そこでの治療は、戦前からロシア(東)で行われていたものだった。骨折した瞬間に歩ける理論であった。一発でよくなった。霧で見えなかった前がぱっと見えた。状態が明るくなった。加わってくれた先生がよかった。再び歩けると思った。
この怪我が自分の個性であることを諦めた。これを飲み込めたときに腹がくくれた。元気になれた。吹っ切れた。家族。先生。社会のお陰だった。退院したとき、生命の生還であった。骨折はそれだけの意味がある。今でこそ言えるけれど。火中にあるときはどん底だった。顔も真っ青だった。家族はそれに驚いていた。
風間さんの冒険の原点は少年の頃、1月10日のことだった。消防団の出初め式だった。梯子でのパフォーマンスを見たときだった。自分でもしてみたいと思った。しかしその時思ったのは、標高500mの裏山をバイクで登ることだった。急峻な山で道はない。だれもしたことのないことだった。子供の頃、お弁当を持って登ったり、チャンバラをした山だった。バイクが好きだった。機械が有難い時代だった。モーターがある。できないことを実現してくれる。5cmを登るのに悪戦苦闘だった。午後3時頃から始めてどのくらいかかっただろう。突然まわりがぱっと明るくなった。明るくなったことで頂上だった。その時のパノラマは覚えている。眼下に車がぴかっと光る。遠くに富士も見えていた。原点はこの時の感動だった。達成感だった。ピアノに感動した人は必ず偉大なピアニストになるように風間さんはその時バイクだった。
はじめに性格があり、そしてアイデンティティとなる。風間さんはバイクが好きだった。バイクに惚れていた。
今回富士山に登った。まだそのような状態ではない。松葉杖で登った。今回はゆっくり登った。何時か頂上は極まる。今に於ける富士の意味。人生に重複する意味がある。91年南極点到達。その時、マイナス50度だった。目は凍りはしない。私たちは氷河期を経ている。粘液が目を護ってくれた。50を超えてこれから人生を折り返していく。新しい風が吹くかと思った。富士は3776m、日本最高地点である。高いところがあれば高いところへ到達したい。
日常がよければ夢に向かうことができる。日常の暖かさが自分を押してくれる。冒険ができる。到達して思うのはすぐに家に帰ることである。帰りたいと思うのである。家族は日常の代名詞。家族へと帰る。家族は社会の縮図であり私である。日常を棄てるのは逃避。これはダメである。日常あっての冒険。夢に向かって進むことができる。
今の自分を自分の中でみとめていく。生きる勇気が湧いてくる。足二本だけでなく手も使って登る。その手は松葉杖でもいい。手も足であることに気づく。苦の向こうに何かある。苦しいことはこの意味で良いことである。帰るべき日常を知ること。これが生きるということであった。冒険ということの真の意味を知ると、ロックは聞けてもフォークは聞けない。(2005/10/06 11:31am)
進化について
かつて恐竜だった。チラノザウルスが出て滅んだ。今はほ乳類。滅ぶこともある。魂=生命の遍歴。宇宙が始まって以来の双六ゲーム。唯物論では説明できない。アメーバも昔の姿。恐竜も昔の姿。未来の姿は何だろうね。未来は今の人間で決まる。人間が決めるのではない。こうした意味での進化。進化論ではない。突然変異ではない。各時代に考える力を得た存在がいた。神力はある。人間がそれを手にすることもある。その力を得た人が天才と呼ばれた方々もいる。仏法。
雑感
村上ファンドVS阪神タイガースについて思うのは、株式の上場をすると、かえって八百長の土壌となるとする、渡邊氏の見解についてです。さて、江川の巨人入り、桑田と清原の時のこと、元木のこと、松井の時の開封前の長嶋氏の笑顔、その後、各球団の4番打者の囲い込みなどを思うと説得力はないのかも知れない。そして、どれだけの選手の可能性の芽を摘んだことか。方法論に於いて間違ってはいなかったかな、って。確かに巨人の歴史的貢献は大きい。しかし、これから未来へ向けて、市民参加の時代に何時までも今までのやり方が通ると思っていることの方が、時代錯誤的と言えないのかな、って。
今日の朝日新聞の天声人語を読んで思うこと。何が言いたいのか私には理解できなかった。結局、ソリが合わないということなのかなって少し残念だった。同じ思いをするのは、『完本かみつぶて』の著者の諸著作を読むとき。今はもう読めないよ。
2005/10/06 4:31 NHKこころの時代を聞きながら
実力。信用。お金はない。工夫。ふるさと。風景。いいものだけを遺す。作品。古い道具で。こういうときに助けてくれる方々。方法論は数学。計算。もっと素晴らしい師を求めて。門をたたく。認められるまで。禅の修行の始まりのように。何時までも待たされる。鶯谷。稽古の時間はほんの瞬間。その答えを出す。問答。師は何も言わない。言わなくて育てる。師は認めない。師が認めるものを呈する。究める。究めた後は何を呈しても作品となる。その間、努力。この努力は想像を絶する努力である。試されているのは結果ではない。その人の何かをなさんとする力量である。ここに試験の意義がある。そこを耐え抜く。壁はある。乗り越えることのできない壁がある。これを乗り越える。あるいは脱出する。師は正す。或いは矯め直す。そして師が認める瞬間が来る。それは既存の何かを超えた瞬間である。真剣勝負である。卒啄同機の時を待っている。自分が究めるべきは自分である。人の見ていないところでの自分自身の在り方。鍛錬。信用を得るための唯一の道がある。今も昔も同じ道がある。しかし、それは登竜門に過ぎない。その後、さらに向上の門がある。上求菩提下化衆生。自分はかぎりなく上を目指す。後輩のために道しるべを遺しながら。しかし、一つのゴールがある。いわば、地上のヘブンである。重荷を下ろす。自由を得る。力を抜く。そこから名人芸ともなる。空手で生きてゆける道が開ける。何もなくとも何とかなる智慧を手にする。師の愛はここに何も言わないことである。師が教えればそれは師の手柄であり弟子の実力とは成らないから。師は知る。師の愛を。子を持って親の愛を知るように。何もかも棄てて、この身一つで勝負する。自然を味方につける。木の香りがしてくる。自然で培ったこころを作品にする。自然から学ぶことこそ最高の方法論である。自然が自分となるまで。自分のためにあるような宇宙を感じる瞬間が来る。生きていてよかったなという瞬間が来る。山と海。清らかさを究める。そして自然となる自分を得る。そしてニッテンスイシュとなり、街へ出る。楽しいことばかりの時間となる。そして日々是好日を頂く。度胸ができる。大自信がある。格好は要らない。自分を丸出しにして生きてゆける。宇宙と自分がリンクしていることを知る。今も昔もそうであった、と。心がこもっている。何もしていなくても。恩返しのつもりで生きてゆける。一切無理はない。楽な道を知っている。妥協ではない。逃げでもない。何時でも作品となる。そうした素晴らしい瞬間の連続の時間のなかで生きている。澄んだひらめきの断続である。写真を撮るのではない。シーンの方がシャッターのキレルのを待ってくれている。ゆっくりとでいい。時が待ってくれる。このチカラは知る人だけが知っている。これは嬉しい。これはありがたい。そういう日々である。技巧ではない。しかし、我一人のチカラではない。子供の頃からのお陰様であったのである。これが素朴であり、正直の効用だった。やはり先達の教えである。ここが桃源郷だったんだ、と思う。地上のヘブンを得たんだな、と思う。思って良いと思う。救われたんだと思う。筑間先生が言っておられた。悟ると、感謝と元気だ、と。先生の境涯もその頃既に至っておられたのであろう。やはり持つべきは師である。と思う。感謝。
今日の花言葉:葉鶏頭 不老不死 誰かが訪ねてくる予感有り 何か良いことの起こりそうな気配
2005/10/06 4:55am
家系について
さて、男子系家族か女子系家族かについて。先日はどちらでもよいのではないかと思った。しかし振り返ってみるとそうでもない。チカラ(権力を含む)の優性遺伝は男子系にある。知性の優性遺伝は女子系にある。と思われる。違っているだろうか。専門家の意見を聞きたいところではある。
NHK-FMイーブンズを聞きながら 2005/10/05 23:25
come out! take out! out? no. come on? yes! thank you. You're welcomed. please remember us to your friends and your home town,will you? We are very happy to share the time and the age together with you the World. thank you! We are also going to the peace and freedom land. Please understand us and let us take part in the World. thank you. We Japanese like music so much, too. Because there is no lies in music! Please from now on continue your songs so long as life is here in this world on the earth under the sun and the moon in the space. We are truely to catch the value o' the World. thank you, equality and clerality. thank you. thank you so much. you and me. he? you say shut up. yes. we also do it. thank you. OK! Oh, King! Let's know the way for the Kingdom of one music World. thank you. sorry, from now I go to see the sea. thank you from the bottom of my herat tonight. (2005/10/06 0:16am)
ウーアを聞きながら
「ブログマイスター」でブログを始めようとしています。さて、うまく載りますでしょうか。(20:22 H-FMでウーアプロデューススーパーエディションを聞きながら)さて、不思議なことばかりです。今も昔も。別にもう良いとか思ったりします。逆らうことはないことにしましょう。どうやら、オートマティック段階かな。とても嬉しく思われます。色々と気づくところもありますが、気にしなくてもよいんだと。詳細は問うことをせず、この自由の大空を思う存分飛ぶことに決めました。すべて赦されたって感じですね。しかしこのように素晴らしいツールがあったなんて夢のようです。
ウーアって、スワヒリ語で夢でしょうか。なんだかカラスのお話なんて聞いていると私も色々と思い出されます。思い出深いシーンがいくつもあるからです。自由を得るための階梯だったのでしょうか。或いは資格だったのかな。むしろ資質かな。経験してその経験が自然体となる。その経過に耐えられるかどうか。そしてある日自分のスタイルが噴火して。火山のようにね。そうすると何もかも自由となる。失敗してもそれが属性の一つとなる。マーチって良いですね。このような経験もあったのですね。野原を両手大きく振っておもちゃの兵隊のように交信してる姿が見えるようです。そこで何が見えたのかな。見たのかな。この世界、確かにあるんですよね。自分がそのように浸っている。でも現実。
さようならって、新しい始まりのためだった。だから、さよならは、振り返ってはいけないんですね。だから、さるとりあとをにごさず。また、来て会えるためにもね。