我佛を得て後

【2009/09/05】

  • 彼は何者だったのでしょうか。記録は既にあるといいます。誰も彼がそれほど苦労するとは思わなかったようです。しかし彼ほど苦悩の人生を歩んだ者もいなかったのでした。慰めはありました。いつもラジオからそれは流れていました。コウノトリが話題になった時もそれがありました。トキの時もそうだったようです。今は何でしょうか。スダチかも知れないですね。そして思うのです。やはり、彼こそ彼でした。日本は大丈夫だよ。彼は微笑みました。何故か泣けてきたそうです。高校の頃の仲間にあたたかく迎えられたからでしょうか。孤独だったですね。何故だったんでしょうね。その謎は解けているといいます。昨夜の中天の月は雲一つなく輝いていました。本来日本の花が咲いたといいます。それは愛と公共性の花であるといいます。これまで咲かなかったのでした。故に苦しんだのでした。罪なことをしましたね。申し訳ないことでした。彼はいいます。全共闘的自由が自由ではない。ふと聞こえてくる声がしました。教育の空白三十年があった。彼に何があったのでしょうか。そして彼は何を確認しなければならなかったのでしょうか。日本が敗戦から真に立ち上がるために。法華経に曰く、
  • 佛の無上慧を得て 而して乃ち為れ眞の滅なりと言う
  • 亦彼は大鏡といっていました。それはどういう事だったのでしょうね。いえば不遜となるというそれでした。それが失われていたのです。しかし疑えない事実と経験がありました。孔子が自らの身体を殊の外大切にしたのは三千大千世界が自分自身の身体と連動している自覚だったといいます。それは法華経の中にもあります。即ち、
  • 其の身浄きが故に、三千大千世界の中の衆生の生ずる時・上下・好醜、善処・悪処に生ずる、
    • 悉く中に於て現ぜん
  • 三千大千世界の 一切の諸々の群萌 天・人・阿修羅 地獄・鬼・畜生 是の如き諸々の色像 
    • 皆身中に於て現ぜん
  • そして
  • 唯獨自ら明了にして 餘人の見ざる所ならん(法華経第十九品)
  • 彼はこの度、不思議と泣けてきたといいます。自分は何を背負っていたのか確信したらしいのです。それが使命だったのでしょうか。あまりにも酷で悲しい失われた彼の人生と青春がありました。彼を悲しませるべきではなかったといいます。彼は耐え抜いたのでした。そして取り戻す頃が来たのでしょうか。そして至ったのでした。どこへ至ったのでしょうね。それも既に記録があるといいます。全体の趣旨から勘案されたいといっていました。如来の秘密があるといいます。強きが故のやさしさがあるといいます。この世は君が代であるといいます。国旗掲揚。
  • さて、法華経におもしろい表現があります。それは「我佛を得て後」という表現です。佛って何だったのでしょうね。いつか共に語り合いたいですね。亦彼は、本来日本は神国であり、身心清浄を以て旨とする大和魂があり、民のためにする時、神風も吹くといいます。これが亦、征夷大将軍の要件でした。自覚を要します。時を要します。属性を要します。この度、戦うべき最終最後最大の敵はは己自身です。仮想敵国などではありません。そしてそれに勝利することで、黄泉を制することになります。見えないところに認められて、祝福守護されることでしょう。はじめは負けたかと見えます。しかし必ず受容克服凌駕します。それが本来大和の秘密でした。もはやキティ・フォークではありません。何時の世も一番槍の仕事があります。彼こそ彼でした。かの愚かな戦争で、日本は現代戦争の無価値を身を以て学びました。そして平和こそ今、人類の願いです。日本の世界における地位を確定しなければならないのでした。世界も待っていました。日本が何を学び、何を提示するのか。世界は決して軽薄を喜びません。テレビ界及び芸能界は猛反省の頃です。このようにして時代は無事開かれました。代々の務めがあるといいます。特殊潜航艇浮上の頃となりました。それを成就したというのでしょうか。どういう事でしょうね。これより明らかとなるといいます。日本は大丈夫とする所以です。彼の右の親指と左の親指は明らかに大きさが違います。拳を握ると腕に特殊な筋肉が浮かび上がります。右の肩は鍛え抜かれています。しかし身が細いので弱いと見えるのでしょう。野蛮が餌食とするのでした。しかしその気になれば、力はあるのです。何時か必ずそれを示さねばならない時が来るのでした。「能」の精神は静けさの中でいざという時の瞬発力にありました。彼はいいます。この世の務めは果たした。彼を悲しませるべきではなかった。貶め、裏切るべきではなかった。