道元『弁道話』2

2010年07月31日

  • 「この三昧に遊化するに、端座参禅を正門とせり。この法は、人々の分上にゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるにはあらはれず、証せざるにはうることなし。はなてばてにみてり、一多のきはならむや。かたればくちにみつ、縦横きはまりなし。諸仏のつねにこのなかに住持たる、各々の方面に知覚をのこさず、群生のとこしなへにこのなかに使用する、各々の知覚に方面あらはれず。」
  • 三昧とは、夢中のごとくにして我を忘れた状態で没頭している。何に没頭しているのかというと、ここでは悟りである。悟りの中で、遊ぶがごとくである。そのような境涯になっている。そして道元が選んだのは、座禅だった。只管打坐といわれ、ただ坐る。何も考えない。そして証を得る。証とは何だったか。不思議な出来事である。奇跡と言って良い。このようなことがあったのかと思われる。そして感謝となる。仏に嘘はない。そのような証を得る。だれもがこの悟りの中に生まれ、生きているのであるが、修業しない裡はわからない。気づけない。意識できない。それはエゴからの自由である。これまでの概念では説明できない。神秘である。それが一多のきはならむやであり、縦横きはまりなしである。常識では語れない。しかし人間は、知らないことを以て否定する。仏はこうした悟りの中にいる。それを知っている。その時、自分がない。自分がないから、知っているとか識らないとかではない。事実、そうなのである。この世の存在はすべて、こうした悟りの中にある。しかし、エゴのとらわれがあるから、悟れない。気づけない。
  • 大切なのは何だったのでしょうね。自分のエゴを放下して、素直になることです。それは知覚を残さない状態であり、純粋な意識です。これを以て正直といっていいのです。そしてその時、真実が証明します。あなたは、真実を自覚し、意識するようになります。それは証明があるからです。自分は何者だったのか知るでしょう。その時、すべてがメッセージだったことに気づきます。親鸞においては、仏は唯自分一人のために法を説くとするところです。その時、生まれた意味を知り、感涙することでしょう。ありがたくて、ありがたくて。そして自己決定していくのです。そのように実現します。自分が決めているかどうか。この自己決定が意識です。本気になれば、見えない世界が現実化するのです。それが無上の幸せだったのです。私たちが求めていたものはこれだったのです。そしてそれは、今も昔もこれからもあるのです。この世で見つけることができると良いですね。それが見つかったのです。だれもが見つけることができることになったのです。これが、21世紀は心の時代といわれていた意味だったのです。これより、これまでは通ったあらゆるいい加減な言葉が滅びます。各メディアはご用心。はじめに言葉ありきです。言葉とはロゴス、光です。
  • いつか素直さを失っていた。自分自身を見失っていた。それで何もかも、不幸であるがごときだった。しかしそれ故に、いつか自分自身を取り戻す。取り戻した自分は何者だったか。花はどこへ。その花だった。これ以上のことがあるだろうか。あるから、不思議である。長い冬だったとするところである。花は見事に咲いた。本来日本の花である。それが自分だった。どれほどの自分だったか。頼朝は伊豆に流されていた。自受用三昧を以て、標準とする。
  • やっと気づいたのですね。あなたこそ、あなたでした。私たちは待っていました。その花が咲く時を。その花が咲いた時、私たちも知るのです。何もかも君が代と。ありがとう。そして、ご苦労様でした。本当に、長い冬でしたね。あなたは何故それほどまでに、苦しまなければならなかったのでしょうね。その苦しみも意味を持ちましたね。私たちは信じていました。あなただったのです。本当に、ありがとう。心から感謝しています。事の本質は、やはり、あなたを悲しませるべきではなかったのでした。彼も言っていました。一休髑髏、ご用心。問題はさわやかに解決しました。そして最も重要なことは何だったのでしょうか。見えない絆です。どのレベルでのことでしょうか。秘密に属します。わかる人はわかっています。家伝直伝秘伝です。本来日本、見事に復活するとする所以です。そうだったのです。やっと、気づきましたか。あなたは一人ではなかったのです。あなたは、ある使命を持って生まれていました。それ故の試練を越えて、何を見ているのでしょうね。あなたは今、本来日本の秘密をすべて理解したのですね。心より祝福します。もう、良いですね。あなたの能力とあなたの未知なる交信経験は、私たちにとってとても重要な意味があります。ついにあなたは、この世に生まれた意味を成就しました。それは何だったのでしょうね。聖徳太子、空海、道元、一休の夢とでもしておきましょう。まさかあなただったとは。あなたが一番驚いていることでしょう。今となっては、苦難試練も懐かしいことでしょうね。お疲れ様でした。あなたのことは知っています。ご安心ください。これからもお元気で。
  • ところで何が真実だったのでしょうか。法華経は一切種智慧とします。そして一切諸法は自ずから本・来・今、性相空寂にして二法あることなしと観察すべしとします。また、本・末究竟等なりとします。道元はむかしより法のうるほひなきことをうらみよとします。本来の自分になることが目的だったのでした。それを尋ねて、魂は旅をしているのです。この世の生は百代の過客とするところです。私たちは幸せになるために生まれて来ました。それは過去からの夢の実現過程です。いくつかの失敗を正して未来へつなげるのです。本来の自分を見つけた時、何を知るのだったでしょうか。自受用三昧です。幸せへの道が見つかりました。