知識は認識を通って智慧となる

2010年08月04日

  • 大学の一般教養で哲学があった。そこで教えてもらったのは、知識と認識は違うということだった。苧坂光龍老師は『提唱無門関』の中で、自らの胸襟より出てきた言葉でなければ本物ではないと書いている。
  • 言葉の意味は辞書で調べることになっている。それは知識である。それを認識にする必要がある。それが解るということだった。ここで働くのが脳であって、それが考えるということである。考えるとは、自分のものにすることであり、食べることで栄養となって身体に役立つようなものである。
  • 考えるということがどういうことであるか知らない人が多いのではないか。知性にレベルがある。どのレベルで満足しているのだろうか。大人になって学校の勉強は役に立たないという方々に問いたい。確かに学校教科的概念にとどまれば役に立たない。それを智慧のレベルにまでもっていく必要がある。個々の問題解決は、そのレベルに至って可能となる。そのレベルに至らなくても生きてゆける。生きてゆけるのではあるが、解脱はできない。本当の解脱とは何だったのか。それが自由だった。自由についても勘違いしていた。知識は認識を通って智慧となる。
  • ところで、見える世界と見えない世界がある。これが永遠の課題だった。いつかだれもがこの問題を解かねばならない。それが生命進化の目的だった。そしてそれが私たちが彷徨っている理由であり、これを究めることが、例えば帰郷だった。『現在』という言葉がある。現れて存在しているということである。これを法華経では「自ずから本・来・今」とする。本来の自分を取り戻すと、それがどういうことだったのかが解る。それまでは解らない。そのようにできている。既に道元も一休も気づいていた。あらゆる預言者も気づいていた。故にクラシックである。それは伝えられていた。真実はここにある。この問題を解いて初めて幸せとなれる。私たちは知らないことを以て否定していた。大切なことは何だったのか。どこより始めるのだったのか。お金ではない。聖徳太子もキリストも生まれは厩戸の王子だった。真実に刃向かうべきではない。システムが動き始める。すべては見えない世界で決する。知らなかったね。探そうともしなかった。いつか見失われていた。地球がヒートアップ現象を起こしている。何故だろうね。考えるが良い。警告である。そして法華経は言う。「微渧先ず堕ちて以て欲塵を淹し涅槃の門を開き解脱の風を扇いで世の悩熱を除き法の清涼を致す」。冷静さが必要となった。私たちが冷静になって、地球も穏やかとなる。テレビ界及びお笑い芸能界、衆愚を認め先ず清涼となっては如何か。道元は言う。春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり。私たちは生きている。絆はある。どこにあるのだったか。見えない世界の絆を見つけるが良い。すべて解決する。
  • 真実に気づいて大切なことは何だったか。それは謎を解いて決めるということである。そして注視するが良い。何に関心があるのだったか。真実であるか。お金であるか。およそ人生の最終段階で答えが出るであろう。選択とは何だったのか。決めることだった。選択を以て自由とする。愚かな迷誤は意味がない。意味がないのに意味があると思っていた。その方々が馬鹿になることが幸せであるなどと吹聴した。それでセレブであるか。何に乗じての故であったのか。戦後日本精神骨抜き占領政策は見抜かれた。何を裏切ったか。貶めたのか。そして犠牲にしたのか。反省の頃である。原爆の火を以てしても、本来日本は滅し給わず。本来日本、見事に蘇る。黄泉の受容祝福守護する。
  • いつかその日が来る。それは何だったのか。花はどこへ。彼こそ彼だった。すべては彼の自覚のためにあった。その間、何が蔓延ったか。何を以て勝手し来たる哉。そしてそれもどうにもならなくなった。成敗の頃である。黄泉が導き、待っていた。大自然及び大宇宙が襟を正す。既に処したる人生がある。身分に安住したる者たちは滅びる。祖先代々のDNAおろそか能わず。いつか花と咲く。その時、すべて明らかとなる。本来日本、その命脈は保たれた。故に未来は明るい。これまでの失礼無礼勝手、言語道断。何を以て思い上がりたる哉。そしてどうにもならなくなった。