2007年12月21日
起ち上がりましょう やさしい知性達よ
人は何を求めていますか
愛でしょうか やさしさでしょうか
愛とやさしさで 全ては解決するのでした
その愛は 仏の周波数でしょうか
動植物岩石も喜ぶのです
やさしさは 一切大衆を救うこころ
すべてを生かそうとする 不傷害の精神
しかし 悲しい事件が 多いのです
子供たちのこころが すさんでいます
女子生徒の 集団リンチもありました
何故でしょうね テレビとかゲームも気になります
暴力シーンが多すぎる 情操教育がない
どうしてこのような世になったのか
時代でしょうか どうにもならないのでしょうか
そうでもないですね その気になれば
何時か 安易な情欲思考に支配されていた
テレビでは 愚かな傾向を傍観していた
これでは 子供達の心がすさむ
皆さん 気づいていますね
やさしさを取り戻しませんか
やさしさで 全ては解決するのです
何時か忘れていませんか 何処かに
どのようにして 見つけ出しますか
知性です 知性こそやさしさです
愚かでは 野蛮です 唇寒いのです 音声も
周囲から始めませんか 足下から照らしませんか
あたたかい 愛の心で
きっと 変わってくるでしょう
太陽のような あたたかな 空気となるでしょう
それが黄金の光です
そして 子供達は育まれるのです
かつて 『空気の教育』 という本もありました
思い出しませんか やさしさを
あまりにも 殺伐としていませんか 日々のこころ
取り戻しませんか やさしさを
愛の周波数があるのです 探してみませんか
人の憧れは何だったでしょうか
知性ではなかったでしょうか
お笑い番組に知性がありますか
それは今も いじめ的ではないですか
この辺りから変えなければならないですね
表現の自由をかれらはいいます
公の電波です 制限はあるのではないですか
公共の福祉からの 議論するべきかも知れません
絶対的ではないのかも知れません
彼らの愚かな放送で どれだけ 迷惑していることか
表現の自由の段階適用が必要かも知れません
それほどまでに 彼らは無責任 野蛮
取り戻しませんか やさしさの質を
何処に基準をおきますか 知性におきませんか
持って生まれた知性があります 磨いて輝きます
どのレベルまで磨きますか テレビ番組のレベルですか
それでは 代々日本の知性に申し訳ない
祖先も悲しんでいることでしょう
磨いた知性が輝き始める どのような色をしていますか
愚かな色ですか 洗練された色ですか
本来日本の色は どの色でしょうか
忘れていませんか 大和心を
取り戻しませんか 身心清浄正直を
何時までも 浮かれていると
子供達の心は すさんでいます
それはそのまま 私たちの心です
持って生まれた自分を磨く
こころのやさしさを 取り戻す
誰もが待っているのです やさしいあなたを
わすれかけた 日本の情緒を
ゆったりと落ち着いて 安心して 暮らして行ける
そのような世の中を取り戻しましょう
心と事象はリンクしています
殺伐な世です 殺伐な心です
やさしい世界はあるのです 心次第です
議論するべき所です 諦めていませんか
時代は私たちが創るのです それが主権在民
起ち上がりましょう やさしい知性達よ
野蛮から洗練へ 失われた自分を取り戻す
持って生まれた自分がある ほかにありはしない
己を磨く そして輝く
持って生まれた自分で 十分に生きていく
そうした時代を創る
阻害しているのは何だろう 愚かさだった
少しの勇気で 空気が変わる
あたたかい空気の中で 子供達は育まれる
空気を壊してしまった 取り戻しましょう
やさしさは知性 起ち上がれ
人は何を求めていますか 関係です
どのような関係ですか やさしさの関係です
話す言葉に知性が満てて 笑顔で話す
賢聖には誰もが憧れる テレビタレントではない
何か基準を間違っている 世界がすさむ
知性を磨くことを忘れている 本来日本
何があっても ゆるし ゆるされる
おだやかであり 静かである
低レベルのお笑いではない
常に 相手を尊重している いじめはない
甘え合うことも出来る そうした関係
何か失われた大切なものがある
お笑いテレビ芸能界は 勘違いしている
馬鹿になることが幸せではない
絶対の安穏はあるだろうか
それは何処にあるのだろう
衆生功尽きて大火に焼かるると見るときも
我が此の土は安穏なり
此の土に行けるといいね
どのようにして行くのかな
道という言葉に惑う事勿れ
朝夕おのがなす業と知れ
やさしさから 始めようよ
周囲から 愛の周波数を発して
きっと幸せが来る そのように出来ている
そのためには 自分を確定する
自分の周波数を開発する それは愛の周波数
愚かでは見出せない それはお笑いではない
知性の光 やさしく あたたか
この空気を取り戻す かつて日本の空気
子供は育まれる 何時か忘れられている
染め変えす 時の来にけり 日本なる
その色知性 やさしさの音
2007年12月20日
古来大和の男心
自覚来 人生春の 巡り来る
大空を舞う 霊鷲の風
自由得て 思うとおりの 風の吹く
時は待つべき 幸せの月
女には 所詮解らぬ 男道
失われたるか テレビ番組
敗戦後 失いたるは 男道
女の天下 悲しくもあり
この世にて 解くべき謎の 多かるを
解きて放ちて 也男心
取り戻す 大和心と 男道
古来日本は かくあるべきか
潔し 腐敗堕落に 用は無し
古来日本は 商人に非ず
お金無し 地位も名誉も なかりける
されど宝は ここにありける
何もかも 失いかけて 見つけたり
この世幸せ この手に満てり
何をもて この世幸せ いいけるぞ
神と仏と 出逢いし故か
神はいる 仏もいると 言い得るも
人は信じず 今日も地獄か
仏をも 神をも超えて 辿り着く
自己成る自分 超ゆるものなし
人生は かくも不思議な 魂の
過去より来たる 来世へ向かふ
この境地 かつて四聖の 見つけ居り
知らぬ解らぬ 探しもせずに
知性こそ 誰もが求め 憧るる
本来知性 何処にか咲く
この手にて 打ち出の小槌 振るう時
神も仏も 風の音する
何もかも 奪われたるか さにあらず
六祖鉄鉢 微動だにせず
染め直す 女衒文化の テレビ界
古来大和は 今も生き居り
大乗の 船は来たれり 大宝船
仏真実 安穏な日々
七色の 大宝船に 乗り込めば
豊か幸せ 護られてあり
この船を 無底船とも いわれたり
沈むことなく 苦海を渡る
我も亦 この船こそ 救いなる
何時しか友と 共に乗り込む
知性とは 真実真理に 目覚めるを
パンセをしても 導きがたし
真実は ここにありたる しかれども
我を信じず 批判もするか
真実を 愚弄破壊し 平然と
無神論を説く 他土におかるる
2007年12月14日
本来の街道に帰る
昨日は事始めの日でした。本来清浄の國日本の新しい代の始めです。仏の第一義は、終わりは終わりではなく、亦始まりです。仏法は東の清浄の國に伝えよ。それは扶桑の國でありました。安芸の七浦です。五十転伝実現です。始まるためには終わりがあります。何が終わるのでしょうか。何が始まるのでしょうか。夢と希望は尽きません。人間に生まれて善かったですね。だれもがそれを自覚できると良いですね。本来日本は、やさしさに向かって咲く花のようだった。辻邦生氏が『季節の宴』だったでしょうか、書いていました。あまりにも殺伐な時代となりました。その権化がお笑い芸能界です。反省しなくてはならないですね。反省とは同じ轍を踏まないことです。何を反省するのでしょうか。身分に安住した知性です。傍観していましたね。そして何を蔓延らせたか。国家なくして秩序はない。秩序のないところに自由はない。暴走族に用はない。本来の秩序がある。それは持って生まれた魂の秩序であった。それを無視した。愚弄破壊した。何時までも黄泉は黙っていない。あまりにも愚かな文化が蔓延った。それが自由だと思った。前世があって今世がある。そして来世がある。それが法であり、秩序である。知る人は知っている。何を知っているのでしょうか。本来君が代大鏡を知っている。それは何であったのでしょうか。菩薩でなければ法華経はわからない。今ラジオから流れた曲は「夢から覚めればポカン」。身心脱落、脱落身心。それはそれで良い。しかしそれは経済界財界と結託したお笑い芸能界のそれではない。あなた方の罪は既に記したとおりである。或いは身分に安住する方々は始めから無視していたか。それにしてはヒロシマを何時までも忘れていたね。何れにしても衆愚の世は終わって頂く。中外宣言。勝負にならない。どういう事か。黄泉が目覚めた。折られた安芸の國螺鈿の槍は錆びてはいない。私には持って生まれた使命があった。時は天、それは果たした。本来法華経宿王華。その種は護り抜いた。世間の色に染まりはしなかった。しかしそれ自体試練だった。持って生まれた能力十全開花こそ平等である。教育は何処に目をつけていたのか。その目的は何だったのか。しばらく見失っていた。魑魅魍魎跋扈の故だった。何が蔓延ったか。何を蔓延らせたか。教育及び治安当局はそれを見失った。日本の何を未来及び子孫に伝えるのか。認識していた者があったか。秘密は己自身にある。いくら謝っても謝りきれないものがある。本来日本とは何だったのか。どの方向に進んでいたのだったか。江戸無血開城の精神は何だったのか。悉く裏切った。阻害した。その罪を問う。何を以て勝手し来たる哉。これより時代はシフトする。下手なアナクロニズムではない。本来の街道に帰る。東海道五十三次。次は何か。美しい風景が待っている。
2007年12月13日
仏法
晴れやかな 心地ぞ風の 吹きすぎる
あかねたなびく 冬の港に
仏いる 何故見えず 眼根の
懺悔待ちわび 声を合わせる
同じなる 人の姿ぞ 異なれる
情欲根の 宜しく従う
仏とは何だったのでしょうか。どのようにして仏となるのだったのでしょうか。法華経はインド南部の海洋都市で成立しました。そして大乗として伝えられました。他の経典とはその発生を異にしています。そして自ら難信難解とします。故に一味であるところを三乗と説きます。はじめより第一義を説けば必ず惑乱させるからです。それ故、方便を以て三乗と説きます。相手の情欲根を見て、宜しきに従うのです。それで善いのです。さて、この度、中川秀直氏が埋蔵金があると申されました。その真義は如何。知る人ぞ知る。日本は大丈夫です。聖徳太子以来かも知れません。それほどの約束が果たされました。どういうことでしょうか。さて、仏は何故仏となるのでしょうか。仏として生まれ仏としての業を為し、仏を自覚して仏となります。その方法は、菩薩を教化するのです。そして仏と成るのでした。亦、仏の属性とは何だったのでしょうか。それは、仏慧と大威神力でした。そして仏と菩薩はひとつのグループです。声聞と縁覚は別のグループです。そこに大きな断絶があって、法華経は菩薩でなければ解らない。菩薩としての属性を種とします。それは前世に於いて菩薩道を修しているのです。即ち億幾千万の諸仏を供養していたのです。これが仏法です。解らなくて当然です。それで良いのです。しかし、仏は常にいるのです。今、ヒロシマに平山郁夫氏の『仏教伝来』が来ています。学生の頃には絵が好きで、この絵も、広島美術館だったでしょうか、三十年前、その時の流れが止まったようなはるかな静寂に感動したことでした。ところで、菩薩道は複数でします。「共に」ということです。声を合わせるのです。一人では大きな仕事は出来ません。皆で歩調を合わせます。自分勝手が声聞・縁覚です。小さな力で良いのです。一つにまとまればさざれ石です。大きな力が自分勝手するとマイナスの作用となります。日本は何処へ進もうとしているのでしょうか。或いは、していたのでしょうか。大いなる力が目覚めました。悪に対して容赦ない力です。何を勘違いしているのだろうね。自分の方が偉いと思っている。子供の頃の自分を忘れている。勝負にならない。刃向かわない方が良い。開発した力が違う。黄泉の守護、尋常ではない。前世からの約束、本来無一物の力である。何を思い上がっているのだろうね。世界の中の日本、重要な使命がある。何を以て世界及び人類に貢献するか。先ほどラジオで面白いテーマが語られていた。日本ガラパゴス現象である。今まで身分に安住してきた方々に未来はない。世界は軽薄を好まない。欺罔を好まない。卑怯怯懦を好まない。古来日本武士道がある。世界は既に受容している。むしろその精神で世界は戦っている。日本経済界財界及び政界、惰眠を貪ったね。テレビお笑い芸能界は何か勘違いしていないか。何時までもその方法論が通るとは思わぬが良い。本来の知性が復活したとき、あなた方の支配のメカニズムが明らかとなる。何を食い物にしたか。懺悔するが良い。日本国及び国民並びに本来知性を愚弄するにも程がある。覚悟するが良い。あなた方の色に染めさせはしない。しかしながら、こうしたことも気にしなくて善くなりそうだ。やっと自分を取り戻しつつある。絶対の自信というものを探していた。それはないと皆はいう。知らないのだね。前世を。勝負してみるかな。何と?何を見つけたのか。何と出逢ったのか。導かれていた。予定されていた。何故だったのか。一切大衆を救うと仏は仰る。信じてみないか。十分に懺悔は尽くしたのだろうか。それが埋没だった。思えば、真実のために、人生も青春も献げていた。失っていた。何を求めていたのだったか。真実真理。それが仏法だった。夢は実現していた。至り着き、帰り来たれば別事なし。本来何もない。何もないところから、唯、転倒によって生ず。皆、知ったようなことをいう。しかし、知らない。知れば迷い、知らねば迷う法の道。何が仏の実なるらん。知っているというなら、いうが良い。しかし、唇寒し秋の風。賓主歴然。どうにもならない。法華経一切種智慧宿王華。種なくんば解りはしない。全て自白している。それが如是相。惑いはしない。惑わされはしない。議論しよう。如来は如来でなければ解らない。只今午後八時三十三分。ラジオで言っていた。神も仏もいない。私は唯物論者であると。そういう方々の天下だよね。あの世はあるよ。地獄はあるよ。それがタレントの世界だね。世を惑わせたね。覚悟しておいた方が良い。あなた方の前世は何か。認めたくはないよね。何れにしても勝手が過ぎた。古来大和をあまりにも愚弄した。それを自由と思った。それが平等と思った。制度に隠れて何をしていたのか。自分たちの利益のために生命(石油化学有害物質は女性の子宮に蓄積される)及び環境を破壊した経済界財界並びにそのCMで富を成したテレビ界及びタレントの罪を問わねばならぬ時が来た。強くなくては生きられない。やさしくなければ生きる価値はない。フィリップ・マーロウだった。強くなくては生きてゆけない。愚かであっては生きてはゆけない。真実真理を知らない。認めない。探そうともしない。金力で何でも出来ると思った勝手が過ぎた。カンニングで世に出て勝手な閥を成した。そして何をしているのか。何をしてきたのか。問われる時が来た。あまりにも勝手が過ぎた。もはや時である。あらゆる欺罔による支配メカニズムが明るみに出る。あなた方の智恵ではどうにもならない。見える世界は三に過ぎない。見えない世界が七を占める。黄泉が自覚した。何を自覚したのか。あなた方には解らない。人類の祈りと願いは無駄ではなかった。二十一世紀の約束が成就する。誰もが幸せになれる。人間だけではない。動植物も岩石もである。それが魂を含む宇宙が世界となった理由である。魂の解放の時が来た。愚かな時代は終わった。知性復活。私は孤独だった。無理もない。何を探していたのだったか。何を求めていたのだったか。高校の頃より探していた。何か失われた大切なものだった。そして見つけた。それは何だったか。既に記した。精査されたい。宝の山である。日本は今も昔も黄金の國ジパングである。父もそうだった。祖父もそうだった。誰も知らない。私は知っている。知らしめられたいのだろうか。知らぬが仏である。神は畏るべし。この世の掟の全てである。馬鹿馬鹿しいね。しかし真実である。何時までも公の電波で世を惑わす事勿れ。本来その自由はない。罪が重すぎる。深層心理まで使って商売する事勿れ。勝手が過ぎた。私は解らなかった。何が解らなかったか。自分自身が解らなかった。無理もない。それが戦後だった。あまりにも酷な時代だった。広島は根絶やしにされていた。そうはいかない。その間何が蔓延ったか。私たちの棲むべき空間は失われていた。失われた何か大切なものがある。取り戻すしかない。取り戻したのかも知れない。取り戻したのであろう。永い旅路だった。仏法まで至った。古来大和の秘密がある。それは何か。相手があれば必ず受容克服凌駕する。あなた方の唯自己利益追求商人根性支配の時代は終わって貰う。あまりにも愚かであった。あまりにも欺罔が過ぎた。一切大衆を救うとする仏の世界に染める。そのための淘汰がある。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏である。これが仏法であり、真実である。それを否定するあなた方は何ものであるか。
この世をば 如何に観るなる 大鏡
冬雪冴えて 涼しかりけり
2007年12月31日
私にとっての証明
不思議なお話をしましょう。何時の頃からか善の玄題を唱えさせて貰っています。唱えると必ずそよ風が応答するのです。亦、最近では、夜の道を一人歩きながら、諸仏、諸大菩薩、諸天善神並びに普賢菩薩様と唱えて呼びかけます。するとどうでありましょうか。俄に一陣の風が吹いてくるのです。どういうことでしょうか。風は祖先と気づいています。守護されているのです。何時でも動くとのことであるのです。何か使命があるのでしょうか。何かをするべきなのでしょうか。今は、別に何もしないのです。世間を見聞しているのです。大切にするべきは何か。それを考えているのです。昼間にブログを書いているとします。内容が正しければ、急に日光が降り注ぐのです。私にとっての証明でした。それを日月照らし、風が吹くとしてきたのでした。誰にもあることです。子供の頃から不思議な体験をしています。今はまだ記さない。そうした体験を君が代大鏡としてきました。不思議といっているのですが、事実です。何だったんでしょうね。先日、四法親近仏所御供養という五日間の旅をしてきました。とてつもなく美しくおだやかな五日間でした。佛の境界とはこのようなものかと知りました。雨は降りませんでした。ご来迎は必ずありました。天の守護があるのです。確かにあるのです。しかし、この守護の代償は何であったのでしょうか。失われた人生と青春です。即ちこれまでの孤独でした。誰彼耐え得るところではないでしょう。これは指摘しておかねばならないところです。故にプロセスがどんなに悲しくても諦めないことです。何時か必ずたどり着けます。諦めたらこのゲームは終わりです。あなたは何を求めていますか。この世は過去からの夢の実現過程です。さて、発見発掘開発した力があります。この力、何時までも無視出来ないのです。既に現実です。今は知らないことを以て愚弄無視していますね。子供の頃よりそれはありました。しかし自覚がなかったのでした。自覚を待って力となるのです。それまでは力ではないのです。何故か。間違って使うとどうなるでしょうか。同じ轍は踏めないのです。さて、一昨日だったでしょうか、或る所でお餅つきをしました。11升の鏡餅をいくつか作ったのです。私は初めて参加したので、何をしたらいいのか分からないのでした。それでひびが入らぬよう、団扇で扇いでさます役をしたのです。専門の方が見本を見せて下さいました。そして気づいたのでした。唯、扇げばいいというのではないのです。一所懸命扇ぐのです。思いを込めるのです。愛情を注ぐのです。扇ぐことを真剣にする必要があるのでした。そしてその結果はどうであったでしょうか。頗る美しく艶があり、ボリューム感のあってやさしいお餅となっているのです。仕事というのはすべてこうあるべきです。しかし、会議にしてもそうですが、いい加減なことをして御役などと思わぬが良いのです。いい加減が蔓延っているのです。お笑いバラエティ芸能はいい加減の権化ですね。いい加減な世の中となっています。それを腐敗としたのでした。いい加減を好まない私の住むべき空間はなかったのでした。十を取らねば気が済まないからでした。それを例えば潔癖性という愚かな文化となっていたのです。今となっては勝手なことはいわせないのです。真面目と努力を笑いものにさせはしないのです。吉田健一氏はいいます。天才は自分が天才であることを知らない。天才に努力がないのではないのです。努力はあるのです。努力を努力と思わない。当たり前だと思っているのです。別に苦痛ではない。ところが、今の世の中はどうであるのでしょうか。要領の良さをいいます。カンニングも要領の良さであるらしい。そして閥を成すのです。何時までもそうしたふざけた世の中ではないのです。既に、いい加減は通らなくなったのです。かつてのライブドアの仕事を知っていますか。自ら本に書いて誇らしげでした。それは、200%のスピードを以て、70%の仕上がりでリリースする。残りの30%はクレームを利用して完成する。故に利益が上がる。何をふざけているのでしょうか。それが知恵だとでも思ったのでしょうか。笑うしかないですね。ところで私は能力がありました。殆ど万能だったのです。それが彷徨い、埋没したのでした。何故だったのでしょうか。私は何かを探していたのでした。失われた何か大切なものとして高校の頃からのテーマでした。何故にそれを探す旅に出たのだったでしょうか。あまりにも謎があったのでした。父はカムチャッカにいたということは聞いています。さらに、予科練の教官もしたといいます。真偽のほどは明らかではありません。しかし、子供の頃に、家には確かに新品のパラシュートがありました。ケンパスと絹の紐でした。その他、無銘の扁額もありました。千畝の肖像もありました。呉の歴史年表もありました。その後、祖父の版画も出てきたのでした。その他、秘密が多すぎたのでした。私は何も知らなかったのでした。しかし、謎が多すぎたのです。自分で解かねばならなかったのです。難問でした。無理もないのです。秘密に属するのでした。解いてしまったのです。解かぬ方が幸せであったのかも知れなかった。しかし解かねばならなかったのでした。その謎は何だったのでしょうか。それが、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神だったのでした。誰にもわかりはしないのです。自分のことは自分でなければわからないのです。その種がないのです。誰も教えてくれなかったのでした。葬り去るつもりだったのでしょうね。そうはいかなかったのでした。獅子吼脳裂百雑砕。種です。いつか芽吹きます。それにしても戦後でありました。その種にとって辛い時代でありました。宝は宝です。しかし時を要したのでした。そして時は来たのです。日本開闢です。この意味解するものありますか。刃向かわない方が良いのです。戯れ言ではないのです。黄泉が守護する所です。これが自覚です。しかし周囲は誰も知らないのです。悲しい宿命ですね。これがこの世の秘密だったのです。父もそうでした。祖父もそうでした。尊祖父もそうだったでしょうか。おい、羅刹か。もう寝た方が良いぞ。申し訳ないが、仇はとらせて頂く。失ったものは取り戻す。即大和魂。さて、自覚した一箇の思考することの大切さがあります。その思考が世界を作る知性があるのです。開発し終えた知性があります。どういうことでしょうか。あなた方の愚かな色に染めさせはしない。それがbeingです。即ち、負けるな一茶これにあり。刃向かうは仏法と雖もこれをゆるしはしない。佛は偉大である。しかし佛の名を語ってあまり大きな事はいわない方が良い。各々の持って生まれた分際である。世界はそれほど甘くはない。それほどの自覚思考があるのです。古来大和正統日本の基とする所です。即ち、一休髑髏ご用心。ヒロシマの地よりよみがえるフェニックスです。尋常ではない。あだやおろそかなかるべし。もはやこれまでの勝手は通らない。本気にさせない方が良いものがある。そして笑顔で明るく暮らしていくのです。故に未来は明るい。戦争と平和の世の中です。大砲を作るのか。バターを作るのか。どちらでも作れるのです。何か勘違いしていませんか。何を思い上がっているのだろう。自分たちはどれほどのものか。どれだけの実力が有ってものをいっているのか。佛を知っているだけで力があるのではない。知るべき時が来たのです。未来は明るい。人類の明るい未来の建設の時です。最後の切り札が揃いました。もはや大丈夫です。時代を代える。代えなくてはならない。それほどまでに好き勝手が過ぎました。今聞いているBGMは何でしょうか。今年録音されたクリーブランド交響楽団の「第九」です。今年も大晦日となりました。皆様、お世話になりました。来年も宜しくお願い申し上げます。新年は誰もが明るくて平穏な日々であり、幸せを感じることができる良い年でありますように。
ところで、according to the radio、「ロイター通信によると、メキシコ市のトラテロルコ地区で27日までに、アステカ文明のものとしてはこれまで発見された中で最も古いとみられる1100~1200年ごろのピラミッドが発掘された。メキシコの考古学チームによると、ピラミッドは高さ約11メートルで11月に発見。同文明宗教的、 政治的中心地だったトラテロルコは、現在のメキシコ市中心部に位置していたアステカの首都テノチティトランとともに1325年に築かれたとされていたが、今回の発見でさらに古い時期から発展していた可能性が出てきた」
。(http://sankei.jp.msn.com/world/america/071228/amr0712281247005-n1.htm)
2007年12月30日
愛と平和を目指して
2007年も、今日と明日をのこすのみとなりました。今年はどのような年であったでしょうか。2001年宇宙の旅。21世紀を迎えて七年が経過しました。七とは何でしょうか。寄せる波と引く波があります。潮の満ち引きも七三でしょうか。何か満ちてきていますね。それは何でしょうか。見える世界が三であり見えない世界が七あるともいわれます。イザナギとイザナミでもあります。凪はおだやかであり、それに対するは嵐でしょうか。乗り越えるべきは何だったのでしょうか。さて、三明六通八解脱。六は神通でありました。旧約聖書に400年周期説が秘められていました。1600年は家康でした。1192年は頼朝。794年は平安京。400年当たりは古墳時代でしょうか。卑弥呼或いは聖徳太子とするべきでしょうか。何れにしても言い得て妙であります。実相とは、見える方と見えない方の両方をいいます。これまでは、見える世界ばかりを追いかけていました。しかし見えない世界はあるのです。むしろ、見えない世界が見える世界を規定していたのです。かつて世界は地中海でした。その後大航海時代を経て世界は地球となりました。かつて無限と思えた世界が有限となりました。地下資源を消費して、我々の文明は栄えています。そのエネルギー源は化石燃料でありました。鉱物資源は再利用を余儀なくされつつあります。原子力はその放射性廃棄物が自然の安全な状態に戻るのに1万年を要します。これは人類が生まれてこれまでの期間に等しいのです。さらに、放射能の被害があります。既にヒロシマは武器として利用された最初の洗礼を受けた都市でした。また、化学物質の被害があります。それほど問題にされていませんが、既にその被害は出ています。子供達の多動性もそれが原因ではないかといわれているのです。生まれてくる子供達に何の罪もないのです。しかし障害を持って生まれてくる子が多くなりました。アトピーも喘息もそれであるのかも知れないのです。しかし此処より始めるしかないのでした。障害がどういうものであるか。それも先駆者が乗り越えることに成功しました。未来はこのようにして開かれるのでしょうか。頼もしい限りです。さて、世界は宇宙を含むことになりました。それは魂を扱うことを意味します。やがて、私たちもあの世へ帰ります。その時、自分の魂が何であったか知るのです。これまではそうでした。生死を超えるということがあります。大往生をすればその恐ろしさを味わうことなく、枯れるように遷化することができるでしょう。しかし癌などであの世へ逝かなければならない時、やはり苦痛を伴うのです。生老病死は四苦であります。誰もがこの苦しみから逃れることができませんでした。それを目の当たりにしてインドの仏陀は仏道をみつけることになりました。それは解脱涅槃でした。かつては限られた人たちしか悟りを得ることはありませんでした。時が来ていなかったからでした。今、一切大衆が救われる所まで来ているのです。佛は何を目的としていたのでしょうか。皆が幸せになることでした。それは即ち仏道を歩むことだったのです。佛となることは難しく思われます。しかし、それでは誰もが幸せにはなりません。誰もが出来なければ、大衆のためとはいえません。誰もが出来ることで救われる道があるのです。今まではそれが有るということだけが伝えられていました。それが現実化しているのです。それを見つけてきたのです。信じませんか。佛のいう仏の道です。嘘はありません。真実は自ら求めなければ得られません。どうぞ探して下さいね。旧約聖書によると、時代の変革はその前後7年を要すると有ります。さて、来年はどのような年になるのでしょうか。人類は、例えばビートルズを経て、愛と平和の実現可能性に気づいています。人間同士が殺戮することに対する嫌悪感は誰もが共有している所です。かつて市民革命は市民のためのものでありました。旧約聖書の目的は庶民の解放でした。それは善良なるが故に餌食とされ虐げられていた階層といえます。その解放の時が来たのです。それほどのパラダイムの返還が起ころうとしているのです。既に人類としての英知と技術の蓄積があります。何の苦もない境界が佛の境界であり、それが自由です。誰もが持って生まれたものを十全に開花させて生きていくことが平等です。本来の自由と平等を求めて生命体は進化してきました。人類はその最先端です。しかし野蛮と暴力が横行しています。嘘と欺罔で冨を独占する傾向があります。何をしても良いのです。生きていくためです。所詮職業に貴賤はありません。あるとすればそれぞれの心の状態です。故に佛は宜しきに従って法を説きます。相手の心の状態によって平等に説かれる法が異なって受け取られるのです。それが平等即差別でした。それぞれの思う所に従ってしかも法を超えない。これが自由です。既に孔子の見つけていたことでした。こうした事を見直す必要がありそうですね。社会契約に於いては自由の一部を差し出して社会が形成されていた。それを無視して絶対の自由が自由であるかのように思っている方々もいる。それが野蛮ですね。また、そうした秩序を担保するためにある公務員制度自体が腐敗している。大人達のこの腐敗を前に子供達に対する健全な教育が出来ますか。無責任も甚だしい。しかし、こうした価値はのこされていたのです。その種は、原爆の火を以てしても根絶やしにされていなかったのです。古来日本の精神はどのようであったのでしょうか。身心清浄と正直でした。故に神も宿るのです。本来日本は神国でした。何時の頃からかそれを見失っていたのです。西洋合理主義及び唯自己利益追求主義に染まったからでした。本来日本はそのような日本ではありませんでした。自然を征服しようなどというような概念はなかったのです。大自然の中で如何に幸せに生きていくか、その術を知っていたはずです。本来あったのです。であるなら、取り戻しませんか。来年はきっと良い年になります。日本復活です。それで良いのです。そしてそれ故に世界に貢献することも出来るのです。日本自信復活です。日本は日本です。来年はきっと良い年にしましょうね。皆さんの遺伝子の中にその記憶はあります。戦争を知らない子供達などと無責任な言句に惑わされないように。私たちは記憶しているのです。それと真っ向から勝負して、未来は開けるのです。勇気を持って進みましょう。万物の霊長です。思考は現実化する所まで辿り着いているのです。何を思考しますか。ビジョンは何ですか。何を思い描きますか。愛と平和ですね。その為には何をするべきですか。目的が定まれば手段はいくらでもあります。しばらく眠っていました。古来大和魂、目覚めの頃です。古来大和はどのような国であったのでしょうか。やさしさに向かって咲く花のようだったと指摘したのは辻邦生氏の『季節の宴』だったでしょうか。春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり。何を以て涼しいのでしょうか。知性ですね。知性を以て明るいのです。日月照らし風が吹いて笑顔がこぼれるのです。この時、面白いのです。日本はそうした国です。そうした花を咲かせましょう。きっと世界の注目する所となります。今も昔も黄金の国です。黄金の花咲く扶桑の国です。良い国ですね。気づいた人から始めましょう。古来日本は不滅です。日本の基が目覚め、明るい未来建設起動の頃となりました。
雲は竜に従う
小野妹子を随に遣わしたのは聖徳太子だった。その手紙に「日の出る国の天子、日の没する国の天子にお手紙致す。つつがなきや」という内容があった。随の煬帝はさぞ憤慨したと聞く。どれだけの自覚と自負があったことであるか。仏法を受容したのは聖徳太子だった。以後、仏法を以て国の基とした。それは法華経だった。さて、小野妹子が帰国する途中、煬帝からの手紙を紛失した。海賊に奪われたのだった。時の大臣は島流しの刑を主張した。しかし、聖徳太子はいった。確かに大切な手紙を紛失したが、使いの者を無事ご案内した。大役は果たしている。時の天皇はゆるした。そしてもてなすように命じた。二人でご馳走してもてなした。そして聖徳太子は尋ねた。「あなた方の国について話してくれませんか」。使いの者達は気分を良くして色々と話した。「あなた方の国は日本より優れたところが多くあるように思われます。あなた方が帰国する際に、私の国の僧を共に連れて帰って頂けませんか。多くを学んで我が国の政治に生かしたいと思うのです」。こうして遣隋使が始まった。その後、遣唐使となった。遣唐使の廃止を建白したのは菅原道真だった。時の左大臣の陰謀で道真が遣唐使として遣わされようとしていた。当時の唐は既に腐敗し、学ぶべき事はなかった。道真はそれを知っていた。それで廃止を唱えた。その後、道真は太宰府に島流しとなった。さぞ悲しかったことであろう。実力がありながらそれを発揮できない悲しさである。東風ふかばにおいおこせよ梅の花、主なしとて春なわすれそ。飛び梅がある。京都から飛んできたという。その後京都に雷が落ちるようになった。人々は道真の怨霊であると思った。真に学問が結実すると生まれながらの神力が成就する。その怒りに呼応して雷も落ちる。それが真実である。故に道真は祀られた。それが天満宮だった。今も昔も変わりはしない。そのようなことはないと思っている。無理もない。その遺伝子がない方々の支配であるからである。古来大和の精神は武士道に結実していた。それを無視した商人根性の天下である。それで日本はどうなったか。見ての通りである。そろそろ年貢の納め時である。その意味、解するものあるか。風神雷神の図もある。単なる物語と思ったか。こうしたことを否定すること自体、愚かさの証明である。何が真実であったか。示し申す時が来たのかも知れない。或いは既に何処かで開示されている。この力は自覚を要する。それまでは力ではない。自覚するとどうなるか。雲は竜に従う。何故このようなことが今頃になって伏流するのか。本来大和は神国である。古事記は何だったのか。何時までも愚弄無視破壊させはしない。畏れを知らない。それを以て愚かである。何を愚弄し来たる哉。何を粗末にしたるか。各々首を洗って待つしかない。黄泉祖先は殊の外お腹立ちである。佛子と雖もその例外ではない。何か勘違いしていないか。持って生まれた大切なものがある。平等即差別。どういう意味であるか。古来日本の純粋精神がある。代々培われてきたものである。何に乗じて、何に迎合して否定し来たる哉。日本の基が変わると思ったか。思い違いも甚だしい。アナクロニズムと思う事なかれ。真実は那辺にあり哉。日本はどうなったか。地球はどうなろうとしているか。時は来たのである。今なら間に合う。まだ復帰可能である。このまま滅びるのか。各々の問題である。既に神仏を知るものにとって、この世に未練はない。この世に於ける使命は何であったか。己の魂を自覚することだった。それを果たして自由である。怖れるものなど何もない。すべて法華経に書いてある。法華経を読み切ったものがどれだけいるのか。何を浮かれているのだろう。前世はある。来世もある。何時までも勝手は通らない。今、NHK-FMではマイスター・ジンガーをしている。序曲が奏でられている。いくつかの拍手もある。職人の作品と機械が作った製品との違いは何か。作品には職人の心の周波数が宿る。機械にはそれがない。本来日本は職人の国である。ヨーロッパに於いてもそうだった。何が失われていたのか。心である。その周波数である。何を勘違いしているのか。それで本当に良いと思っているのか。そろそろ回答を出して頂こう。唯自己利益追求主義で何を失ったのだったか。政治は誰のためにあるのか。政財界のためだけにあるのではない。古来大和の本意は何であったか。日の丸を掲げればよいというのではない。衆議院を解散して民意を問えばよいというのではない。その選挙の実体は何であるか。知らないわけではない。日本男子の本懐がある。それを遂げる時が来た。女衒文化のテレビ界に用はない。世界は軽蔑している。本来日本の価値は何であるか。拝金主義ではない。何を以て潔しとするか。世の指導者達はそれぞれレポートを提出しては如何か。それで日本のリーダーと自ら自負するか。そうであるなら、その証明をするべきである。主権者たる国民は納得していない。今、私が何をしているか。何をしようとしているか分かるだろうか。失われた過去を取り戻そうとしている。本来日本の進むべき方向を軌道修正しようとしている。その為に生まれていたのだったか。子供の頃よりその力はあった。常々そのサインはあった。しかし、自覚がなかった。時が来ていなかった。今、時である。その為の代々の証明も果たした。力は開発実験済みである。どのような力であるか。今更説くまでもない。古来大和の秘密がある。それを解いているという。信じる信じないではない。既に事実である。異論有るは唱えるべし。議論しようではないか。重要な議論である。日本の未来のために。さて、私の求めていた結論に至ったようである。これを探していたのだったろうか。長い旅路だった。長い冬だった。これで孤独な旅を終えるのだろう。善財童子の旅だった。或いは金と銀との蔵をおいての月の砂漠だった。何と過酷な人生であったことだったろうか。何を背負っていたのだったろう。夢は覚めた。そして何が見えているのだったか。持って生まれた自分だった。この世を生きるにはとても不具合な自分だった。このような馬鹿げた人生があるものか。何もかも失っていた。生まれた時から亡霊のようであった。この世、君が代大鏡。何だったのだろう。もう、云うべき事はない。帰り南無イザ。
2007年12月29日
新しき花
あたたかさ のどかな日々の 訪れて
耐えて花咲く 久遠の花かな
花は愛惜に咲き 草は棄嫌に枯るる
昔より縁有ることを喜びよ
孤独なる 旅路を終えて 見つけたり
瀬戸の海辺に 也孤高の松
どの教え 聞いて月日の 流れたる
誰ぞ知るらん 日月照らすを
風の吹き 何時も守護有る 祖先なる
光なる神 誰を導く
刃向かわば 黄泉の鉄槌 下るらん
何を根拠に 勝手するなる
想えども 一切大衆 救わんと
この道をこそ 進むべきかは
大いなる 仕事確かに 果たせるも
この身寂しく 知る人もなく
さに非ず 知る人は知る この道を
われは確かに 開き終わりぬ
未来こそ 確かめ蒔きぬ この種を
花と咲かせて われも生きてむ
この度は この形こそ 形なる
古来大和は しかと咲くなり
黄泉の守護 生まれた時から ありたるを
何故か気づけぬ 時代なるかな
神宿る 今も昔も 変わらぬは
努力正直 野蛮を破る
ところで、日本国憲法は敗戦に伴うプログラム規定である。その表層裏に何が隠されていたか。黄泉の守護する所である。そう簡単には死なない古来大和の精神がある。原爆を以てしても根絶やしにされてはいない。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。400年来周期説は旧約聖書に秘められていた。時計仕掛けのオレンジである。オレンジ公ウィリアムである。時代はこのようにして流れる。あざなえる縄の如くである。その縄はDNAの螺旋構造のようである。遺伝子にプログラムは隠されていた。どの遺伝子であったか。密かに育まれていたのである。尚、刃向かうか。何も知らずに。刃向かってみるが良い。時代は流れた。人類は進化している。どの方へであるか。知るものはいない。見えない世界がある。前世はある。何を勝手し来たるか。問われる時を迎えた。新しい花である。咲かそうではないか。見えない世界では既に咲いている。殊の外、美しい花である。カンニングなど知らない花である。何時の頃より蔓延りたる商人根性の花ではない。 すべては準備のためにあった。一箇が目覚める時のためであった。その一箇が目覚めた。隠されていた日本の基である。見えるだろうか。わかるだろうか。見えないね。わからないね。何故だろうね。もはや古来大和純粋精神を無視して勝手はゆるされない。愛と平和を願ってきたね。愛とは何だったのか。平和とは何だったのか。知らなかったね。愛とは動植物岩石も喜ぶ宇宙の周波数だよ。それは佛の周波数であり、太陽の恵みだった。自分勝手な愛ではない。平和は秩序有ってのことである。それを無視して自由だと勘違いした。そしてどのような花を咲かせたか。自分勝手な自由を自由だと想ったね。多くのミュージシャンにその罪を問う。秩序を破壊して平和など有るものか。その意味では、当局も怠惰であった。或いは民と同じように腐敗した。自覚がなかった。無理もない。その遺伝子を持っていない方々の支配だった。宇宙有っての地球であり、地球有っての世界であり人類である。世界有っての日本であり、地方である。人類有っての日本人である。それが秩序だよ。何を勝手しているのだろう。それでセレブを目指すか。笑わせるではない。お里が知れている。日本をあなた方の色に染めさせるわけにはいかない理由である。知らないことを以て何を無視愚弄破壊したる哉。恥を知るべし。これより本来の愛と秩序を取り戻す。或いは形成する。何を思い違い勘違いしたる哉。何を裏切りたる哉。古来大和はあなた方に譲ったのである。しかし、この現実は何であるのか。各々処したる罪がある。首を洗って待つべし。これより新しい花を咲かせる。どのような花であるか。既にその精神は書き綴った。我が人生に悔いはない。失ったものは取り戻す。何を取り戻すのか。知性である。内実である。テレビ界衆愚の天下は終わる。商人根性の欺罔を廃する。暴走族の暴力を野放しにしない本来の教育を取り戻す。それぞれ持って生まれた力を十全に開発し発揮するを以て平等とする。それを阻害する欺罔と暴力を廃する。正すべき精神は政財界も同じである。未来有る健全な青少年を商人根性の犠牲にさせはしない。本来日本復活。これを書いていて、今日の天気予報に反して、やわらかな明るくてオレンジの日の光が常盤の松に降り注いでいる。不思議だね。これが幸せかも知れないね。来年は良い年になる。或いはする。未来は明るい。何故か。新しい時代が切り開かれた。過去を未来に移す。しばらく続いた腐敗を乗り越える。日本古来の身心清浄正直を取り戻す。世界の中の日本。重要な使命を果たす。唯自己利益追求の世の中で。一箇が目覚め、自覚した。勝負は決した。智慧の日月、黄泉を従える。時は天、天を味方につける。大義名分となり、神風も吹く。このようにして時代はシフトする。この流れが見えるだろうか。見えないね。可愛そうだね。一切大衆を佛は救うという。佛を尋ねては如何か。尚もて、勝手するのだろうか。その運命や如何。お楽しみはこれからである。気づくべきは気づくべし。フォトンベルトの嵐である。時代は間に合ったようである。或いは時を違えない。各々、自覚有るのみ。新しい時代である。時代は開かれた。新しい花が咲いた。ついて来るのか来ないのか。態度ははっきりした方が良い。力は得ている。どういう力であるか。既に記した。何時までも埋没してはいない。誰にも見出されなかった。無理もない。見出す目がなかった。自分で自分を見出すしかなかった。それで良い。誰かに見出されるなら、それに規定される。それに帰属する。自分で自分を見出す。すべて己の所有に帰する。人生、遅いも早いも無い。花咲く時にその力を知る。そのレベレルは如何。想像を絶する。持って生まれた力がある。その開発をどのようにしてするか。見出されてするのか。自己の力で地獄より這い上がるか。この世は面白い。知性復活。どのような日本になるのか。楽しみだね。ところで、真実真理とは何であったのか。佛をしても四十余年は説き給わぬところである。真実真理は、真実真理となった真実真理が説く。それまでは、真実真理も真実真理ではない。真実真理はロゴスである。佛の宣言は宇宙を動かす起動力となる。信じられないのは、自分が真実真理を知らないからである。しかし、真実真理である。さて、真実真理とは何であったか。しばらく見失われていた。それは無いのかと想われた。何時までも勝手が通ると想われた。それも出来なくなった。何故だろうね。自分たちの思うことが自由であり、正しいと想った。しかし群盲ゾウを撫でるに等しかった。それをも気づけない方々がテレビ界であるか。悲しいね。どうなるのだろうね。楽しみだね。真実真理が説かれる時を迎えた。何時までも黙ってはいない。知性の声である。聞いたことがないのだね。それで知らない、分からない。そして勝手する。何時までも勝手は通らないといっている。思い知るしかないね。佛は一切大衆を救うと仰る。佛を通してあやまることで必ずゆるしてもらえるとも仰っている。しかしどの佛でも良いというわけではない。佛にもそれぞれ御役がある。この世で一切大衆を救うために法を説く御役もあれば、それが真実であることを証明する御役の佛もいる。ゆるす御役の佛がいる。何も知らないよね。それでも勝手しているよね。時が代わったよ。自分の持って生まれた力を発揮することだよ。何も怖れなくて良い。神仏は実在する。必ず救って下さる。正しい人は救われる。間違いない。死んでも来世がある。本当だよ。だけど、自殺は駄目だよ。地獄からのやり直しとなるから。教育するべき事は何だったか。文部科学省のお役人が知っているわけがない。何を以て教育を語るか。持って生まれた大切なものがある。それを十全に生かすことを考えないか。まだ、わからぬか。既に犠牲となって埋没した古来大和の知性がある。恨んでいたらしい。世の愚かさを。自力復活してもの申している。
2007年12月27日
帰りは怖い
やはり、何か勘違いしている。本来の秩序は知性だ。どれだけの自分を以て何をいっているのだろう。自分より上は見えはしない。わかっていない。聞く耳はない。尚、勝手している。それが通ると思っている。今までは通ったであろう。これからは通りはしない。何故か。いわねばならぬ時が来たのだろうか。仕返しがある。報いがある。帰りは怖い。黄泉の秩序がある。知性の秩序である。自覚するまでは力はない。姿を現さない。四十余年、未だ真実を顕さず。しかし時は来る。知性とは持って生まれたものである。それを開発する。何時か成就する。知性は大威神力となる。何時までも無視できない。平等即差別。違うといっている。何を勘違いしているのか。自分はどれだけのものか。己の過去を知るが良い。すべては準備のためにあった。何時か来る如来のために。或いは一箇が目覚める時が来る。その時のために。どれだけの力を開発し、自分のものとしているのか。持って生まれた力がある。それは何か。前世はある。前世の差は今世で埋まりはしない。埋まると思っていたのだろうか。そうであるなら、その事実を示すが良い。何を思い上がっているのだろう。尚、その目は何も見えていない。何を勘違いしているのだろう。佛は偉大である。佛の教えを聞いて、それだけで自分が偉大であるのではない。笑わせるではない。佛は根本を射抜く。あなた方は何を射抜いているというのか。生き馬の目であるか。いってもわからぬらしい。
2007年12月26日
日常
久しぶりに仕事らしい仕事をしている。仕事といっても、小学校の生徒からの写真注文の整理である。知人の仕事を手伝わせて貰っている。本来の仕事であるパソコンサポート業は皆無に等しい。今月は3件くらいしかなかった。先月は量販店からの依頼は1件だった。既に成立していない。就職する気はない。既に裏切られすぎた。かつてのハローワークは何だったのか。お役所仕事は何なのだ。そのようなことから期待はない。派遣社員もする気はない。企業にとって部品以下である。企業にとってさぞ都合が良い存在であろう。ある所では給料は我慢料だといわれた。何を我慢するのだろう。いつの間にかお客様が神様になってしまった。それも欺罔である。ゲームを売って子供達の時間を奪っていないか。ゲームの何処に価値があるのか。所得は欺罔を以てしなければ大きな所得にならなくなった。正直にして所得になるか。なるというなら教えて頂きたい。そのような仕事をして生きるくらいなら、死んだ方が良い。そこまで持って生まれた自己の尊厳を安売りすることはない。知人の連帯債務が残っている。彼は大嘘つきだった。自称大塚博堂である。大塚博堂は私の青春だった。この世にこれほどの嘘つきがいることを初めて知った。弁済は待って貰っている状態である。既に流れに乗り遅れている。この悲しみを友人は知らない。しかし、それ故に開発した力がある。確認した力がある。今世の務めは果たしたと思っている。見つけるべきものは見つけた。確認するべきは確認した。それは何だったのか。君が代大鏡だった。古来大和純粋精神だった。それは身心清浄正直だった。真面目と努力だった。何か大切なものを失っている。戦後の故である。本来の価値を悉く壊した。それが日本だと思っている。衆愚の世となった。恐怖悪世となった。何が蔓延ったか。見るに堪えない。知性が生きられなかった。それも無理はなかった。仇をとられたのである。戦後の故だった。このまま埋没するのか。そうはいかない。それとも来世に期するしかないのだろうか。既に何もかも馬鹿馬鹿しい。所得のないものがどのようにして自己の精神を維持するか。良い実験である。身分に安住して浮かれているあなた方にはわからない。それが人生だと思ったか。それが人間であると思っているらしい。経済行為と称して何をしているのだろうね。来世は人間ではないだろうね。あなた方は何も見えていない。食べるということはどういうことか。他の命を頂いている。衣類も住居もそうである。感謝はしても供養をしていない。供養をしても受け取って貰っていない。それが人間であるという。それが生きることであるという。それで日本がどうなったか。大宇宙の法則に反していることを知らない。人間同士の殺戮などどうして出来るのか。発想自体が怖ろしい。その思想の根底にあるのはどのような思想であるか。根絶やしの西洋唯自己利益追求個人主義思想である。本来日本にその思想はない。自然と共に全てを生かそうとする。それが成仏である。故に大義名分となる。神風も吹く。原爆が根絶やしだった。しかし原爆の火を以てしても広島の種は遺されていた。黄泉の守護する古来大和秘密種である。無神論者の支配する世である。その愚かさを知らない。故に愚かである。自然及び生命を破壊してきた。その仕返しがある。その報いはある。過去世からすべて自分が犯した原因があってそれが自分に帰ってくる。一切偶然はない。それが神秘である。それを知らない。知らずに自分勝手にそのようなことはないという。奇跡だと驚く。奇跡も事実である。語る言葉に自信はあるか。言い切れるものがあるか。あるなら示すが良い。そして議論しよう。逃げも隠れもしていない。人生は無駄に過ぎるのではない。宇宙自然生命黄泉の進化傾向がある。代々の人類の願いと祈りがある。あなた方の生き様がそれに合致しているか。祖先は悲しんでいる。愚かな世にしてしまった。この世を生きなければならない。何時か誰かが気づくだろう。その人が時代を作る。このままで日本はどうなるか。直視できるか。分からないことを以て否定する。そして勝手している。自分のことしか考えない。唯自己利益追求は何時の頃からか。武士道の精神にそれはない。商人根性及び魑魅魍魎の天下となった。その権化がお笑い芸能界である。何を以て笑っているのか。インテリゲンチャもそれに迎合した。安易な生活に惰眠を貪っている。平和ボケであるか。鉄槌が下るよ。その時はもう遅い。畏れを知らない。黄泉の守護を知らない。議論するべきことがある。明るく希望を持って生きる。当然である。その為には、現実を直視する。そしてその中からあるべき方向を見出す。何をしても良い。自由は自由が切り開く。悲しい人生など送りたくはない。何が幸せであるか。既に見つけたものがある。これからが正念場である。自分を生きるしかない。自分として花と咲くしかない。それは何か。時代はシフトした。失われた自信は回復された。本来日本を復活起動する。知性溢れる明るき自然豊かな国である。愚かな国ではなかった。何をしてきたのだ。これだけは言いおく。馬鹿になることが幸せではない。そのような国にはしない。黄泉の意思である。何を犠牲にして所得とし、生きているのか。問われる時が来た。力は得ている。やっと私の時代が来た。空気が変わった。時代とは何だったのか。祖先と会話している。私の人生及び青春は19の春に失われた。その年には祖父が没していた。昭和五〇年のことだった。この意味理解するものあるか。古来大和はしたたかである。時代はつながった。日本は大丈夫である。失われた過去を取り戻す。直近ではこの三十有余年。この間、何を根拠に勝手し来たる哉。過去を未来に移す。日本の基は何であったか。天皇を含んで扶桑である。よくもここまで愚弄無視破壊してくれたものである。知らなかったとはいえ、既に罪である。罪は裁かれる。日本は日本である。日本の進むべき方向を切り換える。本来日本に帰る。日本の基が復活した。すべては時である。時が天である。天は神である。神は光である。こころしてものをいうが良い。黄泉が見ている。黄泉もこの時を待っていた。黄泉とは何か。大切にするべきものがある。大切にすれば良い。すべて大切にする所に集まってくる。お金もその例外ではない。今、日本の何を大切にするべきか。それを明らかにした。尚、刃向かうか。刃向かってみるが良い。父は16歳で志願した。二等兵だった。カムチャッカにいた。極寒の中で何を自覚したであろう。知るものはいない。それは何だったろう。古来大和秘密種。さて、大切なことは、気づいたものから始めるしかない。それぞれの事である。自分のことは自分で解決していくしかない。人は人である。とやかく言う必要はない。真実真理は何か。知る人同士が語るしかない。所詮この世の人生である。何時かはあの世へ帰る。その時までにどれだけのことをしておくか。持って生まれたものがある。それより始めるしかない。その為には己を自覚しなければならない。過去をトレースする必要がある。そして始まるのである。母は「おわり」という言葉をよく使っていた。どういう事であるか聞いてみた。終わらないと始まらない。何処で聞いたのか問うてみた。当然でしょとの答えだった。この当然を知らないで好き勝手しているのではないのだろうか。自分も含めて。「あるべきようは」ということがある。禅のテーマの一つである。人間として、或いは日本としてのそれが問われている。始めようよ。その為にはひとつの終わりがある。器を空にしないと中には何も入らない。何も始まらない。人類の英知がある。染め直しである。或いは入れ換えである。何を入れ換えるのか。各々の問題である。知性と明るさですべては調う。愚かさからの脱却こそ21世紀の使命ではないか。知性復活。日本復活。愚かさの支配と文化を一掃する。私たちの時代である。切り開こうではないか。人類にとってまだ時は十分にある。日本発、未来は明るい。さて、色々と書いてきた。色々と思ったことだった。そして何もかも通過点に過ぎなかった。何も気にならなくなっていく。唯、その時々に為すべき事を為す。そして皆が楽なように仕事する。それだけのことだ。法を説く役は釈迦牟尼佛世尊である。善の行いをするものに対して善の証明をするのは多宝佛世尊である。善は佛さんのところにしかない。歓喜奉行するだけである。それが知性と明るさである。やさしさは当然である。すべてを生かさんとす。それが古来大和の精神である。唯自己利益追求主義ではない。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。護念するものは護念される。何を護念するのか。何に護念されるのか。佛は一切大衆を救うと仰る。一部のものが幸せになるのではない。誰もが幸せになる。誰もが出来る。そうでなければ大衆は救われない。良い時代の到来である。時代は此処まで辿り着いた。始めようではないか。過去にとらわれる必要はない。過去を清算して明るい未来を笑顔で開く。その時が来た。終わりは終わりではなく、また始まりである。
眼開いて
あれこれ書いてきたけれど、あれこれ思ったことだったけれど、今となってはそれらのことも、通過点でしかなくて、そのようなことも気にならなくなってくる。思い煩う事なかれというのがあって、本来何も気にすることはなかったのだろう。そうしたことが気になること自体が問題であって、これらのことが気にならなくなることが、無事是貴人だったのだと思われてくる。だけれど、思うことは思うのであって、思うことで通過するしかない。こうしたことが本当に気にならなくなる為には、とことん思わなければならない。しかし思うことがブレーキになっていたのは事実だった。そして、此処に至って、思うことから解放されてくると、気楽となる。日々、為すべき事をして生きてゆけばいい。何もかも問題にしていたこと自体、今となっては馬鹿馬鹿しくて、そのようなものは背負う必要がなかった。過去からの因縁だったのだろう。自分が持っているからそれと戦わなければならない。戦い抜いて勝利しなければならない。勝利してしまえば、水に流せる。水に流すためには格闘するしかない。そして自分の力ではどうにもならないことに気づく。勝てはしない。勝つためには、佛の威力に頼るしかなくて、それが自覚である。そして勝利する。勝利してみれば、そこに神仏がいた。不思議な話である。知性が大切なのは確かであって、知性無くしてこの勝利はない。知性を確認すれば、後は大自然の法則に従って生きることが当然となって、人生はそれほど難しくなくなる。此処に至るのは簡単ではない。至ってみれば簡単である。算数の問題を解くに等しい。解くまでは難しい。解いてしまえば簡単である。そして日々、明るく生きることですべては整うに至る。これもテニスの試合に似ていて、練習することで試合に勝てる。勝てるまで練習する。身体が覚えて、状況に自然と反応するところまで鍛える。鍛えるのである。考えなくてもゲームをしている。考えているのはテクニックではない。試合運びである。身体は思うところにボールを運んでいる。ゲームの組み立ては考えている。そこまでいかなければ試合には勝てない。勉強も同じで、試験勉強はどのような問題が出ても解けるだけの準備をしておく。授業中に先生のお話の九割は理解しておく。家で勉強するのは残りの一割で良い。そして全体を仕上げる。そこには一週間の予定表もあって、それに従う。日常もそのような日々となるべきなのだ。安楽な日々はそのようにして出来る。これも作るのである。既に佛が教えを説いておられる。それを理解する。身体でね。学業成績で十をとるのは何パーセントであるか。試合で優勝戦まで行くのは何パーセントであるか。仏法を理解するのは何パーセントであるか。どれだけの真実を把握して大きなことを言っているのか。何もかも馬鹿馬鹿しくなってきた。もういいではないか。知性と明るさで生きてゆけば良い。何を問題にしていたのだったか。人は人である。自分は自分である。人間関係、どうしようもない相性がある。過去からの因縁だね。気の合う人はいない。無理もないと思うようになった。一を聞いて十を知るような相手がどれだけいるか。話してみれば分かる。何も分かっていない。分かっていないのに、分かったようなことをいっている。それに気づけなかった。皆、分かっていっているのだと思っていた。やっと眼が開いたようである。見えてきたよ。あなた方の正体がね。餌食にされていた。無理もない。見えていなかった。勝負するのかな。本気でするとどうなるか。決闘の極意がある。あとから撃っても勝てる。勝敗は神仏が決めるからである。神仏の守護はある。どのようにして神仏に好かれるか。無神論者ではお話にならない。解決するべきは何か。過去からの悪業の因縁である。逃れることは出来ない。因縁に勝てはしない。成仏して貰うしかない。過去からの悪業にゆるしてもらうしかない。自分の力ではどうにもならない。どうするのか。方法は有るのか。有る。それが真実の仏法である。真実であるとはどういうことか。善の行いに対してご証明がある。方法は佛さんに教えて貰う。善は佛さんのところにしかない。人間性を説く。故に神仏を否定する。既に思い上がりである。テレビ界諸君、君たちの閥は無神論者であろう。無神論者でなければ仲間はずれにされるであろう。無神論者でなければお笑い芸能界の破廉恥を自由だと思わない。大罰当たりの集団であるね。それで、国民は皆、無神論者となった。殺伐とした国となった。そして何が蔓延ったか。あなた方の作った空気が犯罪国家を作った。教育も含めて、日本の価値を壊したのはあなた方である。影響力甚大である。罪は重い。古来日本が無神論者であると思うか。答えるが良い。何を以て笑っているのか。
2007年12月25日
幸せになりたくて
皆幸せになりたいと思っている。皆幸せになれる。その為に生まれている。だけど、幸せから遠い。何故だろうね。青い鳥というのがある。ねずみの嫁入りというのがある。知足ということもある。それらの概念は知ってはいるのだけれど、何故か物語の世界である。自分の現実は不安の中にある。桃源郷ということがある。彼岸ということがある。どうやらあの世のことだろうか。生きてこの世での救いはないのだろうか。有る。それは何処にあるのだろう。天地創造ということがある。これは神代の物語かと思われる。だけれど、この世に生まれたこと自体が一大事であり、ひとつの天地創造だったとしたら。そして、実は、そうだった。誰もがそのように生まれていたのだった。それを見失っているだけだ。この世君が代大鏡。どういうことだろうね。人ごとのように思う。誰もがその可能性を秘めている。万物の霊長、人類の英知。自分の運命は自分が作る。それが自由だった。低いレベルで騙されていたね。知性と感性の復活だ。何故、世のお笑いが面白くないか。知性がない。中身がない。面白いわけがない。幸せの条件は何だったのだろう。偏に自覚だった。何を自覚するのだろうね。汝自身だった。或いは法華経宿王華、一切種智慧。自覚して咲くしかない。自覚して磨くしかない。輝き始める。蒔かぬ種は生えぬ。何時蒔いていたのだったか。前世だった。前世はあるよ。持って生まれた自分である。それ以外の花は咲きはしない。何を迷っていたのだったろうね。どうして自信がなかったか。それが青春だったともいえる。咲けばいい。咲くしかない。咲いて初めて人生だよ。何の花を咲くのだろう。自分の花だった。持って生まれた自分は何か。それで十分生きてゆける。何時の時代もそうだった。それで良いのだった。泥に咲く蓮華の花もある。全て前世からの続きだった。種なくんばわかりはしない。何を奪ったのだろうね。何を壊したのだったろう。大切にするべきものがある。それを壊してしまった。それは何だったか。日本の魂だった。しばらく眠らされていた。寝た子は起きた。そして自覚したのだった。何を自覚したのだろう。このままでは日本は滅ぶ。あまりにも精神が腐敗してしまった。何が蔓延ったのだろう。何を傍観していたのだったろう。遅きに失したか。さにあらず。時を違えていない。何を自覚したのだったか。己を自覚したのだった。その時、何を確かめたのだったか。黄泉の守護だった。自覚した古来大和本権発動だろうか。債務不履行がある。不当利得がある。不法行為による損害賠償がある。一括請求である。あなた方は何を壊したか。古来日本に秘密ある。何に浮かれ、何に乗じて、その秩序を愚弄破壊無視したのだったか。そして日本はどうなったのか。何か勘違いしている。何か思い上がっている。それは何か。全て自己中心主義ではなかったか。唯自己利益追求ではなかったか。自分のためだけにしていなかったか。古来大和の精神は何だったか。人のためにする。何時の頃からそうなったのだろう。それを取り戻す。本来日本の精神である。花は何処に行っていたか。花が帰ってきた。あらゆる試練に耐えた。これまでとは違う。何が違うのか。やがて分かる。時代はシフトした。全ては一箇が自覚する時を待っていた。全ては一箇が自覚するために準備されていた。黄泉は大切にそれを育んでいた。或る自覚が成就する。その時が来た。処女受胎。聖母マリアは何も知らない。平等即差別。教えは平等である。教えを受ける器はそれぞれである。佛は宜しきに従って法を説く。平等概念を間違っていなかったか。低いレベルで規定していなかったか。それでどうなったのか。何か失われた大切なものがある。地の塩だった。キリストは何故処刑されたのか。ユダヤにとってキリストは自分たちだけの救い主であって欲しかった。キリストはユダヤだけを救おうとしたのではなかった。それで処刑された。人間って悲しいね。今も変わらないのだろうか。法華経はその轍を踏まない。相手の欲情根を見て、宜しきに従う。みんな幸せになりたいと思っている。佛はどのようにして佛となるのだったか。菩薩を教化することによってだった。佛となった佛の属性は何だったか。佛慧と大威神力だった。佛はいるのか。いる。神はいないのか。いる。何故、神仏を否定するのだろう。どこから無神論が出るのだろうね。過去に因縁がない。道元曰く、昔より縁なきことを恨みよ。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。今も昔も変わりはしない。未来に伝えるべきことがある。お笑いではない。さて、何もいうことはなくなった。これだけいえれば十分である。所詮、自分の花を咲かせるしかない。どんなに困難であっても。持って生まれた自分の花しか咲きはしない。咲いた花は何だったか。咲いて初めて分かる。古来大和の秘密花がある。咲くは稀である。しかし咲くこともある。黄泉の守り抜いた秘密種だった。持って生まれたものがある。前世からの差がある。この世で埋まりはしない。近づくことは出来る。この世で何を開発するか。何を発見するか。来世の種となる。それが縁である。散り散りになってしまった。それを集めよう。この身を持って生まれたこの世は千載一遇のチャンスである。来世の種となる。なのに、何を浮かれているのだろうね。テレビ界諸君、あなた方の色に日本を染めさせはしない。古来大和が赦さない。どれだけ迷惑していることか。皆、うんざりしている。人類としての進化傾向がある。腐敗堕落が人生ではない。お笑いのどこが面白いのか。何を以て笑っているのか。面白いということはどういうことか。知性、中身が有ってのことではなかったか。それがユーモアではなかったか。動物性(馬鹿になること)及び愚かさがユーモアであるか。ペーソスは何処に行ったのか。そろそろ反省しないか。本当の救いとは何だったのだろう。それを見つけている。善は佛さんのところにしかない。人間である限り、結果悪となる。この辺りを認めようよ。そして謙虚に本当の幸せを探さないか。それは有る。確認している。佛は宜しきに従って法を説く。知らないからといって無いのではない。認めようよ。如来は如来でなければ分からない。佛は何故この世で佛であるか。前世で修行を終えている。そして安楽な境界を得ている。その中で、地上の大衆を一切救おうとされる佛がいる。全て準備したと仰る。全て教えたと仰る。全て譲ると仰る。後は私たちがしたら良いのだと。仏法とは何だったか。探そうともしなかったね。そして好き勝手した。そしてどうなったか。それで良いと思っている。良いわけがない。佛は裏切らない。騙しはしない。現実に存在する。何故信じられないのだろう。哀れだね。
目覚め来て 確かにこの世 見定むる
菊と櫻と 大和の歴史
確かめる この世の軌跡 如何ならん
疑い晴れて 君が代の春
この度は この道のみぞ ゆるされて
されど道は 失なわざりける
この世をば 如何に裁かん 大鏡
泣いて馬謖を斬らんとす
君が代の 基何処に 隠れ居る
何を自由と 勝手するらん
各々の 既に処したる 人生の
報いの帰る 時の来にけり
この世にて 何を自由と 思ふらむ
神代の昔 今にてあらむ
生まれ来て 誰もが求む 幸せを
本末転倒 罪を重ねる
この世にて 救い確かに あらせしを
知らず求めず 探すこと無し
真実は かくありなんと 示せども
されど認めぬ 縁なき衆生
一切の 大衆救うと 出で来たる
佛のありて 告勅し給う
しかれども 腐敗人生 正当化
次に生まるる 世界悲しも
この世をば 何と覚ゆる 大鏡
黄泉も従う 竜のいるかも
頼朝も 家康も待つ 時の来る
天下定まる 世界平和か
大和なる 古来秘密 ありたるを
何故か忘れて 見失いたる
何時までも 時代このまま ありはせず
時の来たりて シフトするある
種なくば わからぬ世界 ありたるを
縁なき故の 理由え知らず
日月の 照らし風吹く 時の来て
この世君が代 未来につなぐ
代々の 務め果たして 風の吹く
過酷な試練 今は懐かし
知性もて 語る言葉の 笑顔なる
これをぞ人の 面白きかな
持って生まれた自分がある。磨くべきはそれである。そして花と咲く。発見、発掘、開発、確認せる力あり。子供の頃からそれはあった。しかし自分自身が疑っていた。怪しんでいた。何故にここまで戒められていたか。その用法を誤るととんでもない害となる。安全に使うには自覚を要する。悪には使えない。善に使う。皆の幸せのために使う。同じ轍は踏めない。だれもが幸せになりたいと思っている。笑顔で行こう。明るさで行こう。未来を作ろう。禅の目的は何だったか。一箇半箇を打ち出す。一箇半箇でよいのである。多くを必要としない。万二千人の救世者が予定されている。その中に真の救世者が一人いれば良い。その他は準備に過ぎない。勘違いしていないか。真実の力を持ってものをいっているか。
人は人 自分は自分と 思う頃
人に優しく 自分優しく
この世をば 歓喜奉行と 思う頃
笑顔明るさ ほかに求めず
2007年12月24日
取り戻す感情
昨夜は大月輪がかかっていた。涼しかりける夜だった。私は私自身で良かった。何故失われたのだったか。何故に埋没したのだったか。その理由はもはや問わない。むしろどうでもよい。現実大肯定である。私の感性でよかったのである。私の知性で良かったのである。しかし私自身がそれを認めていなかった。それが何故だったのかも、もうどうでも良い。そうなのだ。深淵が深ければ、誰もその底を知らない。ラインの黄金ではない。探していたのは深淵の黄金だった。それは何だったか。歴史的なものだった。代々の古来大和の秘密だった。黄泉の宝だった。それを探していた。そしてそれを見つけたようだ。それで、やっと自分を取り戻す事が出来た。今までの私はどのようであったか。悉く、他人の意見を取り入れた。あたかも、ブルックナーのようであった。そして自分を見失ったのだったか。故に埋没した。そして自分を取り戻した。根が深ければその樹木は高い木である。かつて高校の頃の私はどのようであったか。ある女友達がいっていた。自分たちの感じるところがある。思うところがある。しかしそれが言葉にならない。それを何時も代弁してみんなのために形にしてくれる。そのようであったらしい。別にそれがどれほどのものとも思わなかった。そして埋没した。世間に染まろうとした。染まれなかった。ぼろぼろになった。それでこれでは生きてゆけなくなった。それ故、ブログも書いてきた。書いていく事が意味があった。その過程で何があったか。失われた自己の発見と再構築だった。そして復活した。復活した自分は何ものだったか。書くもはばかる。書く必要もない。事実として疑えなくなった。知る人は知っている。それで良い。しかし、しばらく何が蔓延ったのか。何を蔓延らせたのか。許し難きものがやはりある。我慢ならぬものがある。雷でも落とすか。それほどの公憤がある。あなたがたは勝手が過ぎた。代々の私を裏切った事実がある。誰もわかりはしない。友達もそうである。今更である。しかし、宇宙自然生命黄泉がわかってくれている。それで、十分である。もはや孤独ではない。絶対の自信を得ている。それは何故であるか。日月照らし風が吹く事実である。黄泉の守護である。万軍の主も味方についたとするところである。どうしようもない事実としての確信である。あなた方は何をしてきたのか。何をしているのか。何を探したか。何を求めたか。何を得ているというのか。お金であるか。権力であるか。武力であるか。それらはすべて自分中心主義のものである。私たちは大自然に生かされている。その自覚はあるか。権力武力金力ではあり得ない。何故か。一端はよく思えても、必ず、権力は権力によって滅び、武力は武力によって滅び、金力は金力によって滅びる。それらは既に克服されているのである。権力の克服は市民革命による民主主義ではなかったか。武力の克服はヒロシマ原爆だった。今、金力が克服されつつある。オイルマネーを前に何が出来るというのか。馬鹿馬鹿しい。自己利益追求の限界が来ている。その現れが、地球資源の限界性と環境及び生命破壊である。石油資本主義がもはや限界である。石油製品が何を帰結しているのか。それから目をそらしていないか。例えば、子供の多動性もそれが原因だといわれている。企業は石油製品は安全だという。そうだろうか。一度や二度の使用であるなら安全といえる。十年も使っているとどうなるか。自分に現れるのではない。子供や孫に現れる。それがアトピーであったり喘息であったりしたのではなかったか。それで利益した企業は責任を取らねばなるまい。逃しはしない。亦、最近火事になると必ず人が死ぬ。何故か。化学合成建材の煙の故ではないのか。当局はその安全基準を調べる義務があるのではないか。こうしたこともどうでも良い。既に事実である。此処より始めるしかない。さて私は何を見つけたのだったか。私自身だった。それは例えば浄瑠璃を大鏡と感じた。台風を制御したかと思えた事もあった。馬鹿げているね。しかし事実であるかも知れない。そうした代々の私を裏切った。あらゆる友達もである。みんな自分の利益しか追求しない。本来日本はそのような国ではなかった。それを取り戻す。それは具体的には何であったか。知性である。さて、大江健三郎氏以下日本文壇が懺悔したのではなかったか。『海辺のカフカ』がどうして世界的な賞を受賞したのだったか。黄泉の秘密である。黄泉は祖先である。祖先は風である。日本の魂である。それを無視愚弄した。そうではなかったか。そして何が蔓延ったのか。日本をどのようにしようとしているのか。その意識さえ有るまい。この世を君が代大鏡とした。どういう意味か。黄泉に秩序がある。それをあなた方は知らなかった。前世がある。そして今世がある。前世に於ける夢の実現過程としての今世である。前世に於ける差がある。それが持って生まれたものである。今世でその差が埋まると思ったか。持って生まれた花を咲かせる。それ以外に咲きはしない。しかし、今咲いている花はどのような花であるのか。花は何処へ行ったのか。花が帰ってきたのである。日本の花である。日本復活である。間違いない。この時を待っていた。故に咲く花がある。古来大和の秘密花である。日が昇れば夜の星は見えない。嘘と欺罔が蔓延った。暴力で支配しようとした。周りの幸せを思わなかった。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。これが本来日本の幸せの形である。これを取り戻す。何時の頃から見失ったのだったか。取り戻そうではないか。知性を。知らなかったとはいえ、あなた方は勝手が過ぎた。唯自己利益追求の故だった。宇宙自然生命黄泉の進化傾向に反した。宇宙の周波数を知らなかった。動植物岩石も喜ぶ力である。私たちは生かされている。支配されているのではない。育まれているのである。誰もが幸せを感じるように生まれている。それが感じられない。不安である。代々の私を裏切った事実がある。やはり許し難い。これより成敗がある。黄泉の裁きである。閻魔大王が裁く。時は至った。甘受するしかない。この度は黄泉が動く。そうした時代となった。何故であるか。ある自覚が成就した。これまでとは違う。自己主張しなければならない時代となった。故にいう。高校の時も、一番を取ろうと思えば取れた。友達は認めない。別に構わない。誰も解く事の出来ない課題と取り組んでいた。それを解いた。黄泉は知っている。 代々の使命が果たされた。時は代わった。これからの課題は何か。やさしさである。何もかも赦し赦せる関係である。問題は相手の受容があるか否かである。相手の感情を直接間接害しないように。何が起こるか分からない。どこまでも感性の世界である。幸せになろう。きっとなれる。人生は楽しい。楽しい人生に乾杯!時代は動き出したね。日本が復活する。良い感じである。私は大きな仕事をしたようである。これで生きていく事が出来る。時は来た。来年の事を考えよう。私の人生を取り戻す。誰か良い事をいっていた。生きている限り青春であると。生きる事は素晴らしいね。皆で幸せになろうね。良い時代である。戦争だけはしないように。どんなことがあっても。悪に負けないように。悪に染まらないように。戦う民主主義という概念がある。日本も民主主義である。しばらく衆愚に支配されていた。知性の復活だ。知性がやさしさだ。知性の感情を取り戻す。故に未来は明るい。暴走族に用はない。嘘及び欺罔並びに暴力を廃する。テレビ界のいじめの構造を廃する。視聴率主義によるお笑い芸能界の跋扈を廃する。企業は唯利益追求が何を帰結するか考える必要がある。そのような時代へと推移する。シビリアンコントロールは企業へも及ぶ。自由を履き違えた。本来の自由とは何か。皆で考えよう。そして新しい未来を開く。あなた方は失敗したのである。失敗は成功の母である。今から始めよう。これまでのことは水に流せばいい。恨んでも仕方ない。恨みは恨みを呼ぶ。因縁となる。その前に、片づけておく事がある。雑草は刈らねばならぬ。暴走族に用はない。嘘及び欺罔を廃する。真実の幸せ国家を目指す。黄金の國ジパングである。世界一安全な文明文化国家である。これを取り戻す。真実の『愛の園』と成す。真実の観光国家となる。自然咲きそう美しい國である。足りないものは何か。本来の人間性を取り戻す。それは何であるか。知性である。知性がやさしさである。誰もが憧れる。お笑い芸能界及びテレビ界は何を勘違いしているのか。ここより正す。本来の日本教育を取り戻す。本来日本はどのような國であったか。取り戻す精神は何か。既に記した。そしてそのように動き始めている。そのトレンドは何か。その水脈は何処にあるのか。アンテナを張るべき周波数は何か。私のブログ及びホームページは既に重要な要素となった。私の人生は無駄ではなかった。勉学した事だった。思索した事だった。経験を積んだ事だった。そして何処に至ったか。見つけたものは何か。何を求めていたのだったか。四聖は何をいいたかったのか。その気持ちは那辺にあったのか。山田無文老師だったろうか。禅は一を聞いて十を知るようなものでなければ授けられない。幸せは愚かさではない。馬鹿になる事ではない。万物の霊長である。時代を作る事が出来る。既に蓄積された英知がある。科学技術も十分である。時代はこのようにして流れる。或いは開く。天下はこのようにして取る。仏法は必ず勝つ。王法は必ず儲ける。唯、自覚を要する。何の自覚であるか。佛の属性は佛慧と大威神力だった。開発するべき最後の力は何であったか。宇宙有無開閉四大原動力。佛の宣言を待って宇宙が動き始める。佛の周波数がある。動植物岩石が喜ぶ。開発された魂と宇宙は連動している。王法は仏法に冥し、仏法は王法と合した。歴代の大和の秘密が成就した。それは何であったか。然るべきが悟る悟りである。誰彼悟ればいいというのではない。本来日本の基がある。しばらく眠らされていた。戦後政策の故であったか。それも過ぎた。主権在民、国民主権。新しい時代である。未来は明るい。明るい未来の建設の時である。時代は開かれた。一箇の生まれた使命が果たされた。あらゆる試練があった。どんな試練もどのような障害も乗り越える事が出来る。大きな福音となった。次はあなた方である。真面目さと努力が要件である。カンニングをして世に出て何が出来るというのだろう。教育とは何であったか。知識の切り売りではない。偏差値ではない。子供との関係である。愛の周波数の伝搬である。どのような才能を引き出すのか。自ら咲かんとする子供達をどのように育てるのか。見直すべき事は多い。知性復活で解決する。古来日本を愛する。下級な愛国心ではない。著名芸能人にこの気持ちはあるか。その言動が怪しい。自分勝手が過ぎる。有名になって何ほどのものか。国家なくして自由はない。公共電波、考えるべき事は多い。一休髑髏、ご用心。
浜までは 海女も蓑きる 時雨かな
明日の日は 雨か嵐か 知らねども
今日の務めに 田の草を刈る
2007年12月22日
前世と今世
この世の秩序がある。あの世の秩序がある。本来の秩序がある。何時の頃からか破壊されてしまった。そしてそれを自由と思っている。前世がある。今世がある。来世がある。三世が救われて初めて幸せといえる。今世の利益追求だけで幸せなどない。過去をどのようにして救うのか。今をどのように生きるのか。自ずから来世は決まる。何をしているのだろうね。何を考えているのだろうね。迷いの苦海を彷徨っている。ここに一つの意見がある。十分に思索し、十分に勉学もし、十分に経験してのことである。俄には信じがたい。時を経ている。時を得ている。探し求めた結果がある。宇宙自然生命黄泉も喜び証明するところである。即ち、日月照らし風が吹く。大切にするべきは何か。それがわからないらしい。それで不安の中で彷徨い続ける。お金が全てだと思っている。地位と名誉が自慢らしい。来世に何を持って行くのか。この世の所行の成果ではなかったか。この世で何をしているのか。何を求めたか。問われる頃を迎えた。何故か。時代の先駆者が至り着いたか。それで問いを発するのか。生まれた時からそうだった。誰も気づかない。この世のからくりがある。数学に於いては関数である。それを解く。目覚めた知性を直接悲しませないように。何が起こるか分からない。地震雷火事親父。もはや愚弄できない。これまでもそうだった。しかし自覚がなかった。故に力が十全ではなかった。唯、目覚めるために、黄泉はやさしく試していた。今はどうか。元服である。黄泉も大いに満足している。どういうことか。誰も知らない。知らないけれど、真実は真実である。何が真実だったのか。神は隠れている。しかし実在する。常にである。これまでもそうだった。これからもそうである。子供の頃があって、今がある。大人になってそれを忘れている。忘れて勝手する。どうなるか。法則通りである。報いがある。六道輪廻は宇宙の法則である。何を思い上がっているのだろう。前世での差が今世で埋まると思ったか。それが思い上がりである。前世をトレースする必要がある。故に時を要する。時は何時か満ちる。その時、年貢の納め時となる。この意味、わかるだろうか。日本の基は何だったか。扶桑。気づくべき時を迎えた。魑魅魍魎の天下は此処までである。愚かな時代だった。それも必要だった。知性が目覚めるまでのことだった。黄泉も従う。それだけの力がある。即ち、宇宙有無開閉四大原動力。開発するべき最後の力だった。即ち、佛の属性である。誰も知らない。探そうともしなかった。そして勝手している。何時までもその勝手は通らない。歴史はこのようにして流れる。これまでのことはもう良い。これからのことである。配慮するべき事がある。それは何か。それぞれの事である。これまでとは違う。何が違うのか。気づくべき人は気づいている。知る人は知っている。本当の幸せを目指す。タクトは振り下ろされた。着いてくるのか来ないのか。下手に友達面するでない。レベルが違う。低いレベルで仕事をしているわけではない。黄泉が動く。責任はすこぶる重い。浮かれた人生を送ってきたわけではない。探していた。何を探していたか。誰も知らない。何を見つけているか。誰も知らない。人生と青春は賭していた。何を運転しているか。誰も知らない。何を点検しているか。誰も知らない。持って生まれた種がある。その花を咲かせる。それ以外の花は咲きはしない。何もかも気に入らない。どのようなデザインもである。何故か。私たちの住む空間は失われていた。奪われていた。取り戻すしかない。私の父は退職するまで現役蒸気機関士だった。暴走族に用はない。嘘及び欺罔並びに暴力を廃する。本来日本の教育を取り戻す。祖父良亮は男子校訓導だった。私は祖父に育てられた。小学校は呉市立港町小学校だった。担任は全て広島高等師範卒だった。
2007年12月21日
安楽行品第14
仏の大願は何だったでしょうか。一切大衆を救うことでした。その為に、一切の準備をしてくださっている。そして譲ると仰っている。後は自分たちでやりなさいって。一般に人はいいます。どうして仏さんがいるのだったら、もっと早く現れて救ってくれないのですか。仏といえども個々の因縁の解決が出来るわけではないのです。自分の作った因縁です。自分にしか解らない。自分で解決するしかないのです。その方法は授けてくださるのです。それが仏法です。さて今、末法ですね。とんでもない恐怖悪世です。女子生徒が男子生徒を集団リンチする時代です。このような時代にどのように生きるか。そのヒントが、法華経安楽行品第14にあるように思われます。自己を確立して、相手にどう接するか。それが書いてあるように思われます。さて、孔子は殊の外身体を大切にしました。何故だったのでしょうか。或る自覚があったのでしょうね。どのような自覚でしょうか。己の身体が例えば世界の化体としての自覚ではなかったでしょうか。それで自分自身を大切にした。怪我という文字が面白いですね。我を怪しむ。自分に自信はありますか。その自信はどこから来るのでしょうか。身心清浄、恥じるところがない。それが本来大和心です。忘れていませんか。特にテレビ界及びお笑い芸能界。何が大切なのでしょうね。馬鹿になることではない。愚かさでもない。知性です。賢さです。カンニングして世に出るようではお里が知れている。それで何処ぞの理事長なんてまさにお笑いですね。知性こそやさしさだね。さて、諸々の戦いは終わって全ての謎は解いたとしている。どういうことだろうか。日々そのベールが落ちていくような観もある。君が代大鏡として。本当にこのような馬鹿げたことがあったのだろうかと思う。本当に馬鹿げている。明らかに黄泉から見られている。見守られているというよりは見られている。そのような気もする。子供の頃から断片的にそれはあった。その頃は、とても怖かった。自覚はなかった。今はどうだろう。怖くはない。むしろ護ってくれていると思っている。何があっても。何を以て無畏とするか。妙法蓮華経方便品第二には「諸法(見える世界)の中の悪を断じたまえり、故に佛十方に於て、独(ひとり)畏るる所なし」とある。恐怖悪世の世となった。このような時代に不安なく生きていくことが出来るかどうか。誰もが明日を或いは己の人生を憂えているのではないか。何か大切なものを粗末にしたからだね。何時までも気づけないね。仏法は扶桑に伝えられた。扶桑とはどういうことか。大切にするべき者を大切にする。守護もある。それをしていない。まだ気持ちの上で自分の方が偉いと思っている。裏切り続けている。前世が違うよ。今更だよ。本当の幸せって何だったのだろう。今に解るのだろうけれど、時間はかかるのかな。間違えたアメリカナイズに浮かれた報いだね。アメリカの祈りはある。それは正しい。しかしあなた方は唯自己利益的にアメリカの自由を履き違えた。古来大和は悲しんでいるよ。此処は神々の住む國日本だよ。時は来たようである。自由を得たようである。やっと棲める世界を開くことが出来たようである。古来日本のね。あなた方だけの日本ではない。何時までも黙ってはいない。神々の堕ちる原因は何か。何故神々は埋没し、暫くその姿がなかったか。それはね、阿修羅を止めることが出来なかったからだった。どんなことがあっても、日本を具体的戦争に荷担させるわけにはいかない。日本は神国、地より自覚復活涌出した神々が護る。世界平和理念を以てする。戦争を起こさせないためにする警察保安隊的自衛隊派遣はあって良い。しかし勃発の危険があれば勇気ある撤収する。それまでは最大限治安維持の努力をする。日本の世界貢献のあり方である。ヒロシマの故の日本国憲法平和主義に徹する。歴史的なこの理念を世界は認めざるを得ない。何を怖れているのか。さて、神々の精神は野蛮衆愚魑魅魍魎阿修羅の与り知るところではない。武士道を通っている。身心清浄正直大和魂。何時までも勝手しない方が良い。何故か。この度は黄泉が動いている。黄泉もやっと本領発揮できる時を迎えた。黄泉も待っていたのだよ。この時を。年貢の納め時だ。下手なアナクロニズムではない。新しい時代を開く。真実の民主主義と自由平等に立脚する。そして世界に貢献する。世界に迎合して貢献するのではない。日本は日本として主体的に世界に貢献するべき形がある。それを探し求めて決定していく。議論するべきはこれである。小さな権力闘争のための議論ではない。日本はアメリカの属国ではない。日本の首相がアメリカへ詣でてロデオして喜ぶ姿など見たくない。もはや国民主権、主権在民。国民及び主権を愚弄無視できない。衆愚操作の時代ではない。古来日本の精神を裏切り続ける一部利益階層商人根性のためだけの日本ではない。未来は明るい。明るい未来の日本の姿が見えている。その建設である。
2007年12月19日
仏法に於ける三毒
仏法に於ける三毒って何だろう。貪・瞋・痴。つまり、貪ること、怒ること、知らないこと。貪ることについてはわかるよね。さらに云えば、唯自己利益追求、現代資本主義に便乗した商人根性だね。資本主義がここ400年来のことであり、西洋個人主義思想は既に19世紀に没落していたことは何処かに記した。明治になって日本もそれを追いかけ、その思想下に於いて、大義名分のない、民を犠牲に供する愚かな戦争までしたことも指摘した。怒ることについては、例えば、怒っている人の息を集めると猛毒になる。ところで、憤ることについて孔子は公憤をいう。これはあっていい。知らないとは何を知らないことをいうのだろう。仏法を知らないことをいう。門前の小僧習わぬ経を読むともいう。どれだけ調べて、どれだけの経験(行)を積んで、知ったようなことをいうのだろう。神仏は実在しているといっても、知らないことを以て簡単に否定してかかってくる。畏れを知らないも甚だしい。本気にさせないが良い。どういうことか。それも既に何処かに記した。即ち、黄泉が動く。それにしても自由を履き違えた勝手が過ぎる。聞く耳はない。それで友達面されても困る。達磨面壁九年、仏縁ある人の現れるのを待つしかない。或いは眷属を。しかし、ヒロシマは根絶やしにされている。孤独な理由である。竹林にこもるしかないかな。その気もない。ニッテンスイシュ。幸せとは馬鹿になることだと思っている。馬鹿になって幸せなどあるものか。何処までも知性である。仏の属性も仏慧と大威神力だった。誰が言い始めたのか。テレビ界か。政治家もタレント経由となった。馬鹿げている。それでこのような世の中となった。これを取り戻す。知性が知性として認められる時を迎える。何時までも愚かな時代ではない。もう、いいだろう。あなたがたも十分に仇は取ったであろう。此処までである。知性を復活せしめる。愚かな時代は終わっていただく。それにしても、明治は文明開化と称して何をしたのだ。古来日本の時の流れを止めた。さらに裏切った。黄泉がゆるしはしない。世界の中の日本、重要な使命がある。世界に迎合して果たせる使命ではない。世界も彷徨っている。古来本来日本に立脚して初めて果たすことが出来る使命がある。世界もそれを待っている。それを知らないのは、戦争を知らない子供達と逃げ口上に賛同する現代支配階級であるあなた方である。かつて日本には大和魂があった。例えば、武士道は死ぬこととみつけたり。この意味を知る者はいない。知り得ない。その種を持っていない。今、あなた方の知っている大和魂ではない。明治に下級精神によって破壊されている。それは何か。即ち、自分に対する絶対の自信である。身心清浄、恥じるところがない。故に、状況に応じて腹も切れた。亦、介錯もゆるされていた。武士の情けである。少なくとも、武士には精神修養があった。今、そうした精神を笑いものにしている。馬鹿になることが幸せであるか。祖先を冒涜するにも程がある。脛に傷のある商人根性とは違う。わかるだろうか。わからないね。しばらく眠らされていた本来日本本権発動の時である。それだけのことである。あなた方が勝ち取ったものを否定しようとは思わない。しかし、あなた方だけの日本ではない。あなた方に配慮していただきたいところがあるだけである。私が今、どのような身分であるか。どのような階層に属してきたか。何を見てきたか。重要な要素である。今までは黙してきた。しかし、云わねばならない時を迎えたのだろう。そうした人生を歩んでしまった。私にしか知り得ないことがある。あなた方には知り得ないことがある。古来日本純粋精神。日本の宝だよ。商人根性の支配は終わっていただく。子供達のために。未来のために。伝えるべき事がある。それを無視愚弄破壊し、裏切った事実がある。お笑い衆愚支配は日本に似合わない。さて、このようなことも卒業する頃だろうか。問題点は示した。それぞれの問題である。解決はある。神仏は存在する。さて、次は何をしよう。楽しくて豊かな生活設計かな。幸せを掴む方法論は解った。究極のそれである。その実践をしなければならないのだろうね。批判はしたくない。大肯定で行こう。これが鈴木大拙氏のいっていた泥棒もいるから面白いということかも知れないね。裁くこともしない。各専門スタッフに委ね任せる。朝顔につるべとられてもらい水。水を分けてくださる方を探そうか。優しい仲間と日々を作っていきたいね。激しいものから脱却したいね。そして幸せになれたらいいね。生きるって、素晴らしい。どんなに酷な状況であっても。どんなに障害があっても。それを乗り越えることが出来るから。その過程が苦しければ苦しいほど、至り着いた喜び世界は偉大である。何時か誰もが至る道。少し早く歩んだのかも知れない。代々のことだった。故なきことではない。過去からの約束がある。この世は過去からの夢の実現過程だね。悪は為さないように。生命進化はそのようにプログラムされていない。真実の勝利とは何だったのか。最終最後の倒すべき敵は何だったか。来世への道標。お先に通過したのかも知れない。それだけの人生を歩んでいる。誰も知らないことを知ってしまったのかも知れない。今、所得がない。無理もないか。このようなことを考えていたのでは通常の経済活動は出来なかった。坊主もビジネスをしているというのに。今は資本主義。この世に如何に咲くべきか。咲くことにしよう。意思を決定することで全ては始まる。それだけのことだったのだね。そして己の花を咲かせる。持って生まれたものがある。それ以外にはない。見つけたものは何か。確認したものは何だったのか。日月照らし、風が吹く。これが日本のこころだよ。故に、日本は神国だよ。それで仏法も受容した。そして自分の本地に目覚めた。テレビ界は本気で勝負するのかな。何時までも反省の色がないね。報道の自由は、ニュースとしての事実に関してであって、キャスターのバイアスのかかったしかも無責任きわまりない解釈など聞きたくはない。それ以上に、視聴率に規定された放送内容に関して、あなた方のいう自由はない。 むしろ本来護り伝えるべき諸価値を笑いものにして自らの利益と成し、善良な庶民及び健全な青少年に悪影響を与え、しかも餌食としている事実がある。違うだろうか。勝手が過ぎるとする所以である。それでセレブと申すか。問いは発した。答えていただきたい。日本を何処へ導こうとしているのか。そもそもそうした意識はあるのか。無責任が過ぎる。しかも影響力は絶大である。諸企業の唯自己利益追求のためにそれと結託することに因り(視聴率主義)、庶民及び自然生命環境を犠牲に供して顧みないこれ以上の衆愚腐敗化傾向を通すわけにはいかない理由がある。しかしながら、知らなかったとはいえ、愚弄してくれたね。粗末にしたね。壊したね。戦後の故であったか。解くにはあまりにも謎が深かった。解けてみれば馬鹿馬鹿しいほどに明明白であった。全ての謎は自分自身にあった。この謎を父は知っていた。祖父も知っていた。知っていたことを私は見ている。尊祖父もそうであったにちがいない。父は16歳で志願してカムチャッカにいた。ある日、父は言った。お前は大丈夫だ。私の子だと。どういうことだったか。私は解らなかった。今頃になって感謝している。そして、戦後の故にこの復活は有り得ないかと思われた。誰もが忘れていた。花は何処へ行ったのか。諦めていた。しかし、種は種である。何時かは芽吹く。そして花と咲く。結実はあるか。これからの課題となった。知る人は涙を流していることだろう。いくら謝っても謝りきれないものがある。この意味をあなた方は解らない。何故か。その種がない。さて、日本復活である。未来は明るい。歴代の務めが果たされた。君が代大鏡。夢の実現である。現実に神仏は実在する。ところで、臨済禅師の四喝がある。本気のそれと、探るそれと、警告としてのそれと、無意味なそれと。どれがどれであるか。誰も解らない。黄泉は知っている。本気であれば実現する。黄泉も従う。こうした真実真理がある。それが禅であった。仏の故の宇宙の掟である。誰が悟ればいいというのではない。然るべきが悟る悟りがある。その時、時代がシフトする。見えない世界と見える世界がある。天皇は見える世界での象徴である。知らなかったね。こうしたことをも自分で見つけなければならなかった。それほどまでに酷な時代だった。時を要して当然である。しかし、時を違えてはいない。開発は終わっている。今も仏はいる。インドの仏陀だけが仏ではない。今も昔もいる。知らないが故にいないと思っている。それを愚かという。何故見えないのか。そこから入れると良いね。本気にさせない方が良いとした理由がわかっただろうか。思い上がっていたと思えるだろうか。思えると良いね。小林秀雄氏も晩年になって、『本居宣長補記』だったろうか、分際を超えんとして超えることが出来ずと書いていた。推敲校正することなくすらすらと書ける境地に至った頃でのことだった。彼は花田清輝氏をして身を切らせて骨を切る論客といわしめた。しかし骨を切らせて魂を切ることを知らなかったか。そして私は彼を好きになれなかった。何故だったか。中原中也を裏切ったからであった。彼は上京した中也の妻を奪った。さて、表ジャックと裏ジャックがある。裏ジャックとは見えない世界でのことである。時は流れた。しばらく埋没した。無理もなかった。その理由も何処かに記した。裏ジャック復活である。今も昔もそれはあった。代々の申し贈りであった。その種無くんば解りはしない。そして孤独に咲く。自覚の花だった。しかし、証明はあるのだった。それは何か。知る人ぞ知る。知らない人は知らない。古来大和の秘密、即ち、日月照らし、風が吹く。どうしようもない自覚である。涙流れて受容するしかない。過酷な運命である。しかし必ず成就する。しなければならないのだった。父もそうだった。祖父もそうだった。尊祖父もそうであったであろう。代々裏ジャックの家系として。原爆を以てしても根絶やしにされてはいない。種は遺されていた。護り抜いた。日本復活である。もはや容赦しない。古来大和の命脈である。不思議だね。至道無難禅師、正受老人、白隠禅師によって、禅の命脈が保たれたに等しい。困難至極であった。しかし使命は果たした。否定する者あるか。議論しよう。何時でも応じる。古来大和の秘密君が代大鏡。語れる者はあるか。これだけの宿命を一人背負っていたか。辛かった。誰も見出してくれなかった。一人で咲くしかなかった。そして咲いた。何を裏切り、何を粗末にしたか。そして日本はどうなろうとしていたか。故に埋没した。そのままかと思われた。そうもいかなくなった。あまりにも腐敗した。さて、青春は熱鉄丸を飲むに等しかった。吐くに吐けずである。どう報いてくれるのだろうね。それとも勝負するのかな。何を安易に浮かれているのだろう。世間一般、地獄の中で。この地獄よりの脱却はあるか。ある。どのようにしてするのか。すでに記した。このようにしてする。信じないか。真実の道である。仏は裏切りはしない。全て譲ると仰っている。それを真実とするか。嘘とするか。自分次第である。何をたわけたことをしているのだろう。それにしてもテレビ界の罪は重い。影響力が大きすぎる。尚、勝手なことを言っている。所詮、気づけない方々達だろうか。或るCMの日本の男がこれでいい訳がない。冗談ではない、萩本氏よ。あなた方の勝手な色に日本を染めさせるわけにはいかない。さて、何処の地方公共団体も同じなのだろうか。一部の方々が公共の利益よりも自分たちの利益のためだけに勝手していないか。役所は世襲化されていないか。個々の事実を知らないわけではない。何を根拠に勝手し来たる哉。既に時である。各々自ら懺悔しては如何か。善良なる諸国民の自覚する時が来たのだろうか。インターネットの普及もそれに寄与する。事件は内部告発の時代となった。隠せはしない。これが天網だったのだろうか。暫く巧妙に虐げられていたのではなかったか。庶民の解放こそ旧約聖書の目的だった。時は来たのだろう。勇気を持って起ち上がる時であるのだろう。市民の解放は市民革命だった。奴隷解放はリンカーンだった。女性解放は、日本に於いては戦後だった。そして今、庶民の解放の時が来たのであろう。EL&Pだったろうか、『庶民のファンファーレ』があった。その頃に目覚めるべきだったかも知れない。しかし、時は天、或いは神である。亦、神は光である。明るい未来が見えている。必ず、良い時代となる。勝ち取るべき自由がある。それは何か。何時までも犠牲となることはない。何時までも巧妙に虐げられることはない。雨は平等に降る。庶民こそ知性の源泉ではなかったか。国民主権、主権在民。日本国憲法はプログラム規定である。その成就である。一部の利益階層のために日本があるのではない。暴走族に用はない。もはや勝手は通らない。犠牲を顧みることのないシェア主義の故に虐げられていた知性が自覚し、立ち上がり、心一つ、行動する時が来た。そして、私は思索したことだった。随分とね。今まで誰も考えたこともなかったであろう結論もあった。明治を否定してしまった。明治維新をも。にわかには通説とは成り得ない。それは理解している。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本はどうであるか。これも理解し難いであろう。あなた方にはね。どちらが真実であるか。黄泉のみぞ知る。それはそれで良い。そして今、どのような心境であるか。もはや容赦ないとした。本当にそう思っているのだろうか。むしろ合流したいのである。船に乗り遅れたと思っていた。故に、私の青春も人生も失ったと思っていた。そうではないだろう。そう信じている。安穏の救助船が迎えに来てくれると信じている。ぷかりと浮いていることで助かった柴田連三郎のように。私の才能は子供の頃から尋常ではなかった。しかしそれをそれと信じることが出来なかった。皆同じだけの能力を持っていると思っていた。そのように教育されていた。高校の頃には読書感想文全国コンクールに入選していた。たまたま応募した短歌は角川書店の現代秀歌選集に入選した。別にそれでどうとも思わなかった。さらに本格的に世に試すこともなかった。何故だったか。時代の故か。志願することがなかった。自信がなかった。見出されると思っていた。そのチャンスはなかった。悲しいね。これも運命だったか。しかし今、確信している。時を待っていたのだと。探すべきものがあったのだと。それが使命であったと。世の評価の及ぶところではなかった。その間、随分と勉学もした。不思議な体験も積んだ。準備完了だろうか。そのように思っている。故に、ゆるすとかゆるさないとか。もはや問題ではない。ゆるして貰わねばならなかったのは私だった。深い意味で。どういうことか。秘密である。何を自覚したのだったか。これも記す必要はない。しかし、証明は得ている。どうしようもない。故に、未来は明るい。明るい未来の建設の時である。探していたものは見つかった。何か失われた大切なもの。もはや疑いはない。これで、やっと私の人生が始まる。そのように思う。そのように信じている。生きていて良かった。これまでの全てのことが意味を持つ。人生に無駄はない。絶対の自信を取り戻す。無敵である。最終最後の敵は何だったか。自分自身だった。全ての謎は何処にあったか。自分自身にあった。一箇が打ち出された。素晴らしい事実である。信じて良い。確信に至っている。日本の基が目覚めた。異論あらばするが良い。議論しよう。知性を以て。馬鹿になることが幸せではない。少なくとも馬鹿を好まない者にとって。何が蔓延ったのか。何を蔓延らせたのか。何を裏切ったのか。何を粗末にしたのだったか。本来日本はどのような國であったのか。問わねばならない。私は解答している。この点に関して、あなた方の具体的解答はまだ無い。答えるべし。お笑い芸能界よ、自ら懺悔するところはないか。タケシはいじめだった。サンマは他を笑いものにして笑いをとった。タモリは畜生の芸だった。そうではなかったか。その色で日本を染めるつもりであるか。世の知性はうんざりしている。日本を愚弄するにも程がある。本来真面目を笑いものにした。努力を笑いものにした。それがお笑いだった。あなた方が生きるのは良い。しかしそれでどれだけの真面目と努力が迷惑したことか。考えたことがあるか。何時からそのようなことになったのか。戦後であるか。占領政策に乗じて日本精神は骨抜きにされたか。或いは、文明開化と称して西洋化を急ぐために古来日本を悉く壊した明治の故か。これまでこうした視点はなかった。少なくとも通説レベルではね。無理もない。あなた方の依って立つ根本を否定することになる。今の支配階級は悉くこうした文脈の上にある。しかし江戸無血開城は譲ったのである。そして北海道へ散った。或いは静岡に蟄居した。その後、埋没した。何時までもあなた方の勝手は通らないとする理由がわかってきただろうか。私が何を考えていたか。特殊潜行艇、浮上する頃である。歴史はこうして流れる。或る存在知性が或る自覚を発見成就し、或る力を開発し得て、流れ始める。試練はある。今も昔も変わりはしない。頼朝がそうであった。家康もそうであった。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。あなた方は認めたくはないであろう。あなた方は山を抜き三七日間雨を降らせぬ力を以て好き勝手しているのか。テレビ界はそれを大挙して示すが良い。そしてみのもんたも大きなことを言うが良い。台風を制御もしてから出直すが良い。顔を洗って出直し、そして雷の一つでも落とすが良い。お笑い芸能界は見せ物小屋に帰るが良い。既にトレンドである。宇宙自然生命黄泉が喜んでいる。かつて静かにテイク・オフとした。成功したようだ。もう大丈夫である。未来への方向性は定まった。私の役目は終わった。後はあなた方の仕事である。原点はしかと此処に定めおく。スタッフ一同、任せたるのみ。かつて、この句をNHKに送付したことがある。あっさり無視された封書の返事があった。NHKもがたついていた。見る眼がなかったね。どれだけ書いてきたことだったか。随分と書いてきた。その間、何処と交信していたか。誰も知らない。父は知っていた。祖父も知っていた。私も知っていたのだろう。一つの時代が終わった。終わりは終わりではなく、また始まりである。父は昭和二年三月七日に生まれ、平成元年五月二十二日に没した。名を昭亮(あきのり)という。何をいわんとしているか解るだろうか。このようにして代々の務めを果たす。即ち時代の元号を定める。これを以て真実の平成の代と成す。何を愚弄粗末にし、勝手し来たる哉。この代君が代大鏡。本来源氏正統日本復活。戦後跋扈せし魑魅魍魎商人根性の支配を終わら令むる。
水鳥の 行くも帰るも跡絶えて
それでも道は忘れざりけり
古来大和に秘密がある。相手があれば必ず受容し、克服凌駕する。あなた方の夢は覚めた。真実の城を目指す。過去及び現在を開結した。未来は明るい。私はやっと重荷を下ろす。糸車の針は抜かれた。この度は背水の陣であった。間に合ったようである。生まれた使命は果たした。これより安穏な日々を楽しむことが出来そうである。住みにくい世の中であった。住むところがないならば、自分で作るしかないと書いていたのは吉田健一氏だった。全ての謎は解き終わっている。仏とは何であったか。その属性は何か。仏慧と大威神力であった。その力は宇宙有無開閉四大原動力であり、その言葉はロゴスである。即ち、その宣言を以て宇宙が動き始める。始めであり、終わりである。終わりは亦始まりであった。仏はどのようにして仏となるか。菩薩を教化するに因る。菩薩は過去に於いて幾多の仏を供養している。故にこの世で菩薩である。法華経は何故解らないのか。菩薩及び次の如来が名宛人であるからである。即ち、菩薩及び仏でなければ解らない。故に経典の王である。菩薩と声聞及び縁覚との間には大きな断絶がある。皆、声聞及び縁覚に止まっている。菩薩は彼らを菩薩にする。そして共に仏道を歩む。このように過去の因縁がある。即ち、前世はある。この前世を認めない方が多い。何故だろうね。よほど寂しい前世であるからか。それならそれ故にこの身を持って生まれたこの世がチャンスである。来世は菩薩となれる。これを理由に仏は「宜しきに従って」法を説く。即ち、声聞に対しては声聞の身を以て説き、縁覚に対しては縁覚の身を以て説く。菩薩に対しては菩薩の身を以て説き、如来に対しては如来の身を以て説く。これが方便であり、即ち、本来一味の法を三乗と説く。これが法華経であった。だから、自ら難信難解とする。いくら読んでも解らない。読もうともしない。しかも知らないことを以て否定する。禅の目的とは何だったか。一箇半箇を打ち出す。禅の要諦は何だったか。父母未生以前の本来の面目を知ることだった。即ち汝自身としての自分自身を知ることだったか。知った自分は何ものか。過去を正し、現在を正して未来に流す。即ち過去の因縁も解決出来る。それが仏法だった。この世の現象に偶然はない。全て原因がある。それが因縁である。始まりは小さな癖に過ぎないが、やがて繰り返されることで因縁となる。因縁となれば人間の力ではどうにもならない。仏の威力に頼るしかない。自分からは出ることが出来ない。唯、善業の因縁より出ることが出来る。善は仏さんの所にしかない。その方法は仏さんに教えて貰う。それを日々の行とする。やがて悟る瞬間が来る。必ず来る。仏の目的は何であったか。皆共に仏道を成ぜん。誰もが仏となることである。仏とは何だったか。本来宇宙を構成する最小単位だった。即ち、地水火風空。これらが全てプラスに作用した状態である。あらゆる病気を治す。貧乏も病気である。これらを治癒して仏道を歩ましむ。仏道は既に開かれている。歩みさえすれば良い。共に歩かないか。仏道を。安穏なる幸せのアビーロードを。
神奈川県警察本部のエリート警視が、戦国時代に処刑された霊によって運気が下がっているから特別な祈願をする必要があるという嘘を言って金をだまし取ったという。嘘とは何か。真実に対する。真実とは何か。御経典と説と現実が一致することであり、御経典から一歩も外に出てはならないと仏はいう。さもなければ証明はない。真実の教えは何処にあるか。探しては如何か。現実世界が一仏国土となる。真実の仏法が顕されている。久遠実成の仏法である。三体の御本尊様を見に行かないか。信じられない者のために多宝仏塔の涌現もある。御経典の中のことが仏のための故に全て実現されている。これまでなかった。しかし現実に実現した。これを以て真実である。不思議だね。そのような時代だったのだね。さて、この真実を信じることが出来るだろうか。幸せはある。この真実に邂逅し、感激した時、無上の幸せを確信することであろう。この世に生まれた意味を知るだろう。共に味わいたいね。何処にいるのだろうね。何処で待っているのだろうね。我が眷属達よ。探しに行くことにしよう。方法は定まった。時は今である。場所は仏所、仏の住所。人は私たち。実行有るのみ。時、場所、人、方法、実行。事が成就する条件であると仏は仰る。全て準備し、全て譲ると仰る。それを実現するかしないかは私たちの選択決定である。仏は仏。別に困りはしない。困るのは私たち人間である。何時までも思い違い勘違いしているわけにはいかない。既に一大事は成就している。伝えるべき事がある。未来のために。子供達のために。行かないか。真実の城へ。真実の解脱涅槃へ。その先に何が待っているか。本来の自由である。仏法は久遠の昔、日本にあったと伝えられている。そしてインドで現れ、復た日本に帰ってくると仏典にある。それは真実であった。日本は不思議な國である。扶桑である。今も昔も黄金の國である。何が真実であるか。人間の解釈の及ぶところではない。これを悪徳商法にするとは、時代は極まったか。恐怖悪世であるか。それ故の真実の教えであるか。一切大衆が救われる時が来たのである。時代はこれを待っていた。過去からずっと。夢物語のようだね。にわかに信じられないね。しかも現実である。私はそれを見て来た。そして確信している。その為に生まれていた。その為に勉学していた。そして本当に出逢った。これを以て福音と成す。信じるべし。もはや書くべき事はない。教えを説くのは釈迦牟尼仏である。私ではない。それを証明するのは多宝仏である。道場へ共に行こう。そして自分の目と耳で確かめるが良い。真実であるかどうか。批判するのはそれからで十分であろう。知らないで批判する事勿れ。畏れを知らぬも程がある。人間の分際で神仏を批判することは出来ない。それほどの真実がある。知らないことを以て否定する事勿れ。先ず、確かめてみないか。共に語ろう。何をであるか。真実真理を。世界平和の基である。日本の使命である。伝えるべきは何か。真実真理。既に事実である。あらゆる謎は解かれ終わった。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本も復活せ令めた。日本男子の本懐、ここに成就する。戦後失われたものがある。それは何であったか。本来大和の男道ではなかったか。女性の解放それ自体は正しかった。しかしそれが女性に媚びることではなかったはずである。今、テレビ文化はどのような文化であるか。衆愚女衒文化に堕した。何を根拠に思い上がっているのか。ゆるしがたし。正さずにはおかない。私にしか出来ない、私の最後の仕事であるのだろう。何時でも議論に応じる。回答有るべし。
【戦いは終わった】
すべてをゆるそう それで良い
もう戦いは終わったのだから
何と戦っていたのだったか 自分自身とだった
勝利したのか 勝利した きっとね
確信はあるのか ある
そして 既に見出されたのだろう
何処に 黄泉に
その証明はあるのか ある
それは何か 即ち 日月照らし風が吹く
十分である
永い戦いだった 何時の頃からか
前世の頃からである 戦いは終わった
そして何を得たのか 何を確認したのか
宇宙自然生命黄泉 即ち この代 無敵 君が代 大鏡
子供の頃からそうだった 故あって埋没した
逆らわない方がよい 刃向かわない方がよい
黄泉は実在する 試練がある 守護がある
自覚を待って 力となる 宇宙有無開閉四大原動力
黄泉も従う
護り抜いたものがある それは何か
古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本秘密種
何を裏切ったのか 何を粗末にしたのか 衆愚
何を思い上がっているのか 何を勘違いしているのか
すべて如是相 語る言葉に 唇寒し秋の風 露
その生まれは隠せはしない 何時までもその支配は続かない
もはや それも良い 戦いは終わった
汝自身を知る 知った自分は何ものであるか
黄泉は誰を選択・祝福したるか
生まれた時から決まっていた 真実真理である
何が蔓延ったのか 何を吹聴増殖せしめたのか
それが人生と思ったか 四聖が笑っている
これまでのことはもうよい これからはそうはいかない
禅の目的は何だったか 一箇半箇を打ち出す
あらゆる事がその準備のためにある
しかるべき一箇が打ち出された 古来日本 したたかである
打ち出された一箇の感情を直接害さないことである
何が起こるか解らない 地震雷火事親父
故に 仏は誉め奉るべし 神を畏れるべし
この世の掟の全てである 天は神 或いは時 或いは光
世間一般 これを無視して何を思い上がっているのだろう
不思議である 哀れである
菅原道真に対して何があったのか 何故祀っているのか
2007年12月18日
これからの人生
さて、本来無一物ということで、全ては落ち着くのだけれど、これがなかなか難しい。 Take it easy ! 本来容易いことだけれど、これが難しい。これをどのように実践していくか。それが問題となってくる。何もかも否定して否定し尽くす。そして残ったものは何か。そこから新しい世界が開ける。その為に必要なものは何か。知性だった。本来知性を粗末にしていた。仏の属性も仏慧と大威神力だった。その力をどのようにして開発するか。それと取り組む人は少ない。それはないのだろうか。有る。それはどのようにして手にするのだったか。
道という言葉に迷う事勿れ 朝夕己が 為す業と知れ
日々、時々、刻々、あなたは何を考え、何をしているか。それに尽きる。やはり心次第だった。心が決まれば、手段はいくらでもある。諦めないことである。集中力と分析力。優れた肺活量こそ力の源泉だろうか。そして機敏性。それは反復横跳びであるか。さて、これから何をしよう。そればかり考えている。考える必要がない所に来て、尚、考えている。人間って、どうしようもないね。何れにしても未来志向で行こう。これまでのことは、これまでのこと。水に流せばいい。悪舌は功徳の種を断ずる。とらわれないことだ。馬鹿になることではない。知性を保ちつつで良いのである。馬鹿になることこそ幸せと思っている世の中で、知性の花を咲かせるのは難しい。欺罔を以て生きることはさらに無意味である。賢くて良い。善良でよい。それさえも生かしてこそ人生ではないか。全てを認める。その中で自分を生きる。それが個性である。愚かな時代となった。それはそれで良い。それで知性が生きられなくなったかと思われた。それは違っていた。自分を生きることこそ人生だった。それは自己表現であった。本来の自分を取り戻してこそ、それは出来る。自分を偽ってそれは出来ない。さて、どう生きるか。これからの人生が楽しみである。前向きにしか歩けない。此処にひとつの大理石がある。その中に自分の姿が見えているか。見えているなら、彫り始めれば良い。多くの星の中で自ら光ることが出来るか。自分は本来どういう自分であったのか。どういう自分に成りたかったのか。それが見つかったのではなかったか。であるなら、進むしかない。本来無一物。無一物中無尽蔵。喜びに満ちた世界が待っている。その為には流すべき涙は涸れる。悲しみの涙は涸れても涙は涸れない。感激の涙が残っている。人生、亦、楽しからず哉。何に感動するのか。自分自身に感動する。どのような自分自身であるか。即ち、日月照らし、風が吹く。そうした自分をさらに開発する。世に認められなくても構わない。自分を生きればいい。そのような人生ではなかったか。愚かな時代である。それはそれで良いことである。故に一切大衆が生きることが出来る。知性がないがしろにされていたかと思われた。それは甘えではなかったか。彼らに何を期待していたのだろう。反省するべきはそれかも知れない。水は高きより低きに流れる。どこまでもこの人生、過去からの続きである。現世に於いては子供の頃からの連続である。自負するところはあるか。あるなら信じて進むしかない。それぞれに使命がある。己の使命とは何だったか。持って生まれた知性で世界を開く。シュリーマンもそうだった。ベートーベンもそうだった。それで良いではないか。開発するべきものがある。石油より価値のあるものがある。それは何か。人類の幸福のためである。無限に自己を開発する。宇宙と連動した魂を確かめる。そうした人生もあって良い。何時か皆解る時が来るその日のために。あなた方は知り得ない世界がある。知らないことを以て否定することだけは控えていただきたい。それが自由の掟である。何をしても良い。知らないことを以て人の自由の邪魔はしないように。これだけは言いおく。そして愚かではこれより生きてはいけない。これも言いおく。これまでは馬鹿になることが人生とされていた。テレビ界の衆愚は明らかである。しかし、時代はシフトする。このままでは人類は滅びる。先ほど石川県能登地方で震度3の地震があった。津波の心配はないという。 NHKラジオ深夜便では森山良子さんの特集をしている。「歌ってよ夕日の歌を」、「この広い野原いっぱい」、「禁じられた恋」。ところで、この世は君が代大鏡とした。宇宙と魂の秘密がある。厳然とした秩序がある。黄泉の守護し導くところがある。唯、自覚を要する。この世は自覚したジュピターの匙加減である。この意味、解する者はあるのだろうか。知らないことを以て裏切った事実がある。事実は事実である。知らないことを以て思い上がった裏切り者に用はない。小欲のための偽善と暴力は要らない。地獄に堕ちる原因は何か。欺罔及び妄念を以て正法を愚弄することである。テレビ界諸君の所行がそれである。自分が堕ちるのは仕方ない。健全な子供達まで犠牲にする自由はない。要猛反省。ハメをはずすにも程度の問題がある。本来日本は知性の國である。身心清浄の國である。この基準に反すればどうなるか。大義名分はない。神風も吹かない。黄泉の掟がある。それは何か。持って生まれた魂のレベルがある。低いレベルで一般化していないか。それが罪である。何時までも愚かな時代ではない。戦後、何に浮かれたのか。仏を誉めることが出来なくなった。神を畏れることが出来なくなった。神仏よりも偉いと思っている。畜生大馬鹿者の支配する世である。何時までもそれが通る筈がない。黄泉も何時までも黙ってはいない。不可議のとぼそは開かれている。悪は為せない。私が悪を為せばどうなるか。誰も知らない。故に虐げられた。一人孤独、所得のない風狂を楽しんでいる。さぞ、満足であろう。しかし、それ故に、譲れないものがある。それは何であったか。それを護り通した。古来大和の秘密の種である。故に未来は明るい。図らずも、人生と青春を供してのことだった。魑魅魍魎にはそれぞれの住み家に帰っていただく。これ以上の勝手はさせない。失われた何か大切なものがある。取り戻すしかない。それは何か。既に記した。さて、幸せとは何だったか。アラン、ヒルティその他、多くの幸福論がある。何を以て幸福というか。お金であるか。お金で不安は払拭できない。真実幸福論は何を見つけたか。神仏との邂逅とその受容祝福守護だった。即ち、宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護だった。これを見出した者は幸せである。その力は何か。権力でも武力でも金力でもない。法力である。即ちロゴスである。開発するべきは何か。動植物岩石も喜ぶ周波数である。それは仏の周波数であり、それが即ち愛である。誰もが此処に辿り着く時、生命生物として真の世界平和となる。人類も此処まで辿り着いた。そろそろ野蛮衆愚から洗練知性へ脱却しないか。悲しみと迷いの苦海から、七つ(神秘=見えない世界)の海を渡って、化城を出でて真実の城を目指さないか。皆幸せになれる。その為に代々生まれている。未来は明るい。
2007年12月17日
今に解る
古来大和の秘密はある。誰も解りはしない。冷暖自知、唯、自得することを赦されている。他の何ものの認証も必要としない。レベルが違う。一休禅師が師よりの印可状を破った理由である。それはそれで良い。しかし、こうした秩序を愚弄無視破壊した事実は事実である。すべてをゆるそう。それで良い。しかしこれからは、こうした事柄に対しての配慮をしていただきたい。既にあなた方の勝ち取ったものまで否定しようとは思わない。しかし、奪ったものは還していただく。どういう意味だろう。やがて解る。既に、時、放たれた。何がであるか。今に解る。知らないことを以て愚弄することだけは無きように。何故であるか。一休禅師に聞くが良い。しかし私の人生は何だったのだろうね。私は何ものだったのだろう。思えば、思い出は尽きない。あまりにも不思議な人生だった。或る意味で馬鹿げている。何時も見守られていた。それに気づけない自分があった。今はどうだろう。もはや疑えない。全てが意味を持った。くどの灰まで意味を持った。どういうことだろう。そういうことである。説明できない。出来るのではあるが出来ない。何故か。すれば必ず惑乱する。それで密である。或いは無記である。しかし、真実真理である。何故であるか。私は父を知っている。祖父を知っている。誰も知らない。母及び姉妹も知らない。しかし、私はそれを知っている。それで十分である。知る人は知る。知らない人は知らない。何故であるか。前世からの申し贈りである。今更である。何がであるか。何もかもである。容赦しない。これまでの事はもう良い。これからの事はそうはいかない。何をいっているのだろうね。解らないね。亦、羅刹が何か云っているに違いない。さらに自覚を深めたと見える。さて、どういう事になるのだろう。かつて家の裏を走っている国道31号線では駅伝があった。皆、小旗を振って応援していた。今はない。何故だろう。この国道、最近舗装された。輝いている。今に解る。近くにもそろそろ気づく方々が現れる頃である。焦ったことはない。最終秘密は解いている。よく耐えたものである。過酷な人生だった。それ故のゴールであるか。仇は取る。武士のならいである。しかし既に時は流れた。もはや武力の時ではない。暴力と欺罔の時ではない。何を以て仇を取るか。宇宙有無開閉四大原動力即ち法力を以てする。解らないね。しかし、生命進化の流れである。始めに制したものは誰か。目に見えない世界は制した。宇宙自然生命黄泉が喜び微笑んでいる。周囲巷の人間だけが気づいていない。何を勘違いしているのだろうね。何を友達面しているのだろう。私の云うことなど聞く耳はない。何を求めてきたというのだろう。魂の遍歴の歴史が違う。解っていないね。真実真理とは何だったのか。即大鏡。全ての謎は持って生まれた魂としての自分自身にある。何を思い上がっているのだろうね。法華経は解らないよね。法華経一切種智慧宿王華。その種がないからだね。或る自覚が来た。来たからにはこれまでとは異なる。四七は達磨だった。4+7=11。多宝仏。祖師西来意。それは何か。何も有りはしない。さてこれより、見える世界はどうなるのだろうか。楽しみは尽きない。それぞれ役があって生まれている。一切大衆を救うために教えを説く役は、釈迦牟仏だった。その真実を証明する役をする仏は多宝仏だった。私の役は何だろうか。今、それを模索している。所得はない。その方法を知らない。かつての轍は踏まない。踏みたくはない。根絶やしなどされたくはない。何時か埋没した。或いは特殊潜行艇に乗り込んでいた。最後のそれはオーストラリアで発見されたというのにね。その間、何が蔓延ったのだ。浦島太郎はさぞ驚いていることだろう。来年はよい年となる。何故か。三明六通八解脱。法華経はインド南部の海洋都市で成立した。どういうことか。漢字には漢音と呉音がある。広島県は中国地方である。音戸ノ瀬戸を開いたのは平清盛だった。工事が間に合わなくて、最後の日に扇で仰いで沈む夕日を呼び戻したという。今伊勢神社であるが、昔は厳島神社だった。鎌倉より天皇は象徴である。何の象徴であるか。明治には天皇が象徴ではなくなった。何故か。彼らに大義名分がなかったからではなかったか。何度でも云う。取り戻すべきものがある。私はその為に生まれていた。ヒロシマより離れることは出来なかった。間違った方向に進もうとすれば鉄槌が下った。今更である。酷な日常、火も亦涼し。さて、大人となって子供の頃の自分を忘れる。同じように前世を忘れている。今世で持って生まれた魂である。本来秩序がある。それを愚弄無視して自由と思っている。敢えて云えば、この世を終わらせることも出来る。それが仏慧であり、大威神力である。何故恐竜は忽然として滅んだのか。チラノザウルスの謀略が現れての故ではなかったか。人類も滅びたいのだろうか。しかし、人類は人類の存続を希求選択した。どれだけ障害を持って生まれることになってもである。放射性廃棄物質が自然の姿に戻るのに一万年かかるといわれている。それは人類が誕生して以来の年月に等しい。そろそろ人類も気づくべき時である。四聖は何故同時期に現れたのだったか。その後彼らを超えたものがあるか。何を思い上がっているのかとする理由である。テレビ界諸君、本気で勝負する気であるか。万軍の主も控えている。伝家の宝刀を抜かせてはいけない。何故の繁栄であるか。森は樫の木を以て主とする。その周囲にあらゆる低灌木及び草花が繁茂する。かつて城下町で商人は栄えた。安全及び秩序が保障されていたからである。今、あなた方はそれを壊した。
2007年12月16日
大切なこと
大切なことは、仏は常にいますということであり、神も常にいますということでした。そして仏は誉め奉るべきであり、神は畏れるべきであるということでした。古来『日本霊異記』というのがあります。これは法華経に基づいたものです。また、法華経に関しては、法華転に対して、転法華ということがあります。禅においては、十二時に使われるのではなくて、十二時をこき使うということになります。現代に於いては、主体性の理論(団藤重光教授)ということになるのでしょうか。私の初期の理論からすると、『地上ヘブン=世界論』ということになるのでしょうか。知性の復活ということが大切となるのです。それが世界の流れを作るのです。万物の霊長である人間の決定が人類そのものの未来を作るのです。大いなる宇宙の目的があってそれがトレンドです。未来は明るいのですが、それを阻害する要因も幾多ある。これと戦わなければならない。しかし、権力ではなく武力ではなく金力でもない。求める力は何だったのでしょうか。法力です。これはいわゆる法律ではない。大宇宙の法則といったものです。仏とは何だったか。それは大宇宙の構成原素である地水火風空だった。それぞれプラスに作用した状態です。これが敵となるか味方となるか。そこに供養の意義があるのです。その方法があるのです。さて、仏は常にいます。それは代々いますということです。今もいるのです。そして一切大衆を救おうとしている。過去の仏が、今の仏ではない。今の仏が未来の仏ではない。今も仏はいるのです。それから、セレブといったことがあります。パラダイスを見つけた方々です。この世にパラダイスもあるのです。それはそれで良いことです。合流するべきはそれです。勝ち組となるか負け組となるかは自分次第です。中村天風氏もそうですが、最近の引き寄せの理論も同じです。自分次第だったのです。仏は全てを譲ると仰っている。それは自分で勝ち取るともいえます。最終最後の敵とは何だったでしょうか。自分自身です。そして全ての謎は自分にあるのです。個々の自分の心の状態が世界を作っているのです。この世をパラダイスとするか地獄とするか。それが自分次第ということでした。つまり、自己責任と自由です。何をしても良いのです。主体的に生きれば良いのです。知性と理性を以て。知性と理性は過去の仏を以て語ります。それは方便であり、援用です。そして自分を語るのです。それが表現の自由であり、精神的自由は絶対とするところです。天災地災人災は連動しています。巷衆愚で流行っている「関係ない」ではないのです。愚かな傾向が地球をどちらへ導いたか反省する頃です。成功不成功の分水嶺は、偏に諦めない自分自身です。そこにあるのは唯自己利益追求個人主義思想ではありません。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せであるとする思想です。これは従来の共産主義思想でもなく、社会主義思想でもありません。むしろ本来の保守主義思想です。これこそ宇宙自然生命黄泉に立脚した古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の思想です。さて、何を求めますか。何をこの世で実現しますか。この世に生まれて善かったと思うために。その時、祖先への感謝も自然に生まれます。どれだけハンディを持っていても良いのです。どんな障害を持っていても良いのです。狂うなら善に狂えば良い。一休禅師も自ら『狂雲集』を書いています。それで良いのです。法華経も一人で取り組めば必ず狂うでしょう。自ら難信難解としています。法華経を理解するにはある秘密を解かねばならない。それは何だったのでしょうか。持って生まれた種を必要とします。そしてそれなりの行を必要とします。そうしないと解らない仕組みになっています。次に来る如来のために書かれていたのです。あらゆる法華経学者の仮説解釈の及ぶところではありません。何事も案内人を必要としています。夢は必ず実現します。神仏との邂逅もあります。テレビ界巷で流行っている無責任な占いとか霊媒の知るところではありません。真実真理はそのようなものではない。知らないことを以て否定しないことです。低いレベルの夢があります。高いレベルの夢があります。平和に対してはシビリアン・コントロールです。宇宙自然生命黄泉の力があります。その周波数があります。仏の周波数です。最終最後に辿り着くべき世界です。動植物が喜びます。見つけてみたいですね。最近、書店で五木寛之氏の本が目にとまりました。関係ないでは人間は生きられないといったテーマです。良いテーマですね。誰もが生きるために何かしている。ゲームを売って生きている企業もある。子供達がある意味で犠牲となっている。惑わされないことです。子供達の魂は、大人の魂より進化していることが多い。親はそれに気づけない。子供は宝です。大切にしたいですね。未来は明るい。明るい未来の建設です。歴代の先哲の一里塚があります。見失わないようにしたいものです。知性復活。良い時代となりました。夢は実現します。何を夢見ますか。そして大切なことは例えば法華経自体に威力があるということです。それは文字の力です。かつては仏にのみ許されていた力です。それも庶民に開放される頃となりました。自分勝手にしても駄目です。しかるべき仏の赦しが必要です。それは何処にあるのでしょうか。一身即三身、三身即一身、無作三身の三体の御本尊様が有るところです。法華経の中に書いてある事が悉く現実に実成している所です。そして仏とは何だったのでしょうか。佛慧と大威神力を備えた存在です。その力は宇宙有無開閉四大原動力です。その選択決定に依る宣言を以て宇宙のトレンドが形成されます。黄泉も従い実現します。アンテナは立てるべきですが、その周波数は何に合わせるべきでしょうか。情報は発信するところに集まります。人間関係は同レベルで触発する。どのグループに属し、どの地位を占めるか。大切なテーマです。諦めないことです。どのような夢も実現します。ダビンチの夢も悉く実現しました。ヘリコプターも飛んでいるし、潜水艦も潜っています。それらは彼一人の理論ではなかったのです。杉浦民平氏でしたでしょうか、書いてありました。むしろ、その時代の夢だったのです。ダビンチはその時代の夢の集大成だったのでした。古事記がありました。日本書紀がありました。これらは神代の時代を伝えています。それはあったのです。今の人は知らない。むしろ認めたくない。次は大日本史だったのでしょうか。今、共同幻想論とかもあります。それで何を夢見ているのでしょうね。ゾンビなど要らない。取り戻すべきは何でしょうか。即ち身心清浄正直を以て旨とする大和魂です。神仏の微笑むところです。即ち、衆生大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏なりとするところです。これが真実真理です。しばらく失っていた何か大切なものです。神仏と邂逅して、信じるに至ります。神仏を見ない間は信じられない。それも当然です。しかし神仏を見ればその受容祝福守護を疑えない。古来日本は知っていた。何故か今、見失っている。どうしてでしょうね。明治の故でしょうか。戦後の故でしょうか。文明開化は文明退化だったのかも知れない。精神に於いては西洋より東洋の方が進化していた。野蛮に対する洗練です。神仏の存在はあなた方にとってよほど都合が悪いと見える。あなた方が自由と思っている情欲根に溺れた欲望追求の勝手が出来なくなりますからね。
2007年12月15日
共に仏道を歩まん
本来無一物とはどういう事だったのだろうか。それはそのまま天上天下唯我独尊ではなかったか。神仏は常にいます。それをいないと思うのはどうしてだったか。見えないことを以て知らない。知らないことを以て否定する。それが人間の増上慢であり、思い上がりだった。どのようにして神仏を見ることが出来るのだったろうか。眼根懺悔して見るのだった。神仏を見た時、信じるに至る。信を以て入ることを得たり。信じる前に神仏との邂逅がある。神仏と出逢って、神仏に受容され、祝福守護される。それが真実真理だった。それを認めようとしない方々の天下だった。それ故、埋没した。これを見出さなければならなかった。その為に生まれていたのだったか。そしてそれは成就した。禅の要諦は何だったろうか。善をも思わず、悪をも思わぬ、父母未だ生まれざる以前の本来の面目たる自分自身を知ることだった。それはソクラテスの汝自身を知れに等しかったのだろうか。そして禅の目的は何であったか。一箇半箇を打ち出す。誰彼悟れば良いというのではない。悟るべきが悟る必要があった。それは法華経宿王華一切種智慧を種とする。その種がなくては解らぬものがある。如来は如来でなければ解らない。法華経が解らない理由である。さて、本来無一物とは何か。空であるとはどういう事か。この世は全て仏の所属に帰するということだった。人間の分際を知ることだった。バベルの塔は立ちはしない。人間はどうしてかくまでも思い上がったのだろうか。神仏の実在を知らなかったからだった。それを認めようとしなかったからだった。探そうともしなかった。知らずに否定した。罪深いね。仏とは何だったか。佛慧と大威神力を属性とする存在だった。どのようにして仏は仏と成るのだったか。菩薩を教化する事によってだった。仏の目的は何か。一切大衆を救う。それは人間だけではない。動植物及び岩石を含む。仏の周波数がある。それを以て動植物岩石が呼応同調し、喜ぶ。人間だけが何故かそれを忘れている。そして勝手している。開発するべきは何であったか。この周波数だった。それは見つかった。そして何を回復するのだったろうか。絶対の自信だった。誰もが何時かは辿り着く。それが一切衆生悉有仏性。その言葉はロゴスとなる。即ち黄泉がそれを実現するのだった。黄泉も実在する。イザナギ・イザナミ以来のことである。それをも忘れていた。六道輪廻は大宇宙の法則である。地獄はある。前世はある。故に来世もある。それを無視していた。或いは冒涜及び破壊した。故に畏れを知らない。悪を為す。哀れだね。さて、真実真理とは何だったか。神仏が実在することではなかったか。神とは何か。神力とは何か。草薙の剣ではなかったか。或いは大鏡ではなかった。それはどのような力であるか。台風をも制御する。或いは日月照らし、風が吹く。唯、開発し終えて自得することを赦す。どのようにしてそれを得るのだったか。諦めないことである。神仏と邂逅するまで探し続けることである。求め続けることである。成功不成功の分水嶺は何か。成功するまで諦めないことである。それまでは失敗もある。やがて成功が来る。成功が来ればそれまでの失敗も意味を持つ。朝日が昇れば夜の星は見えない。日出る國、日本である。本来神国である。何時かそれを見失っていた。これを再確認する必要があった。その為には、種を要する。何を以て種とするか。それぞれの遺伝子に聞くしかない。正憶念とは何だったか。過去世に於ける経験である。戦争を知らない子供達とかいう。そうだろうか。私たちのDNAに記憶がある。逃げ口上など聞きたくはない。さて、こうした理解は中村天風氏にもあったようだ。至る道は千差万別であろう。誰を師としても良い。そして至れば、同じ風景を見る。真実真理であるからだろう。さて、動植物は生命として十全に生きている。怠惰惰眠を貪るのは人間のみか。腐敗堕落を人生だと思っている。人生を終わりかけた現役老人にその傾向が強い。それを以て達観と思っている。老人であるからと尊敬されるのではない。その人生を歩んだことに敬意を払う。いい加減な人生を歩んで尊敬などない。ところが、全ての老人を敬えという傾向がある。お客様は神であるとするに等しい。お客様が全て神であるはずがない。それでお客というだけで思い上がらせた。お客としてのマナーも何もあったものではない。お客様の中に神がいるかも知れない。これが真実である。神仏を直接悲しませないことである。何故だろうか。一休禅師の髑髏の寓話である。即ち、死に神が来る。畏れを知らないのだね。知らしめられたいのだろうか。人間はどう生きるべきであるか。腐敗堕落が人生であるか。宇宙には目的がある。ビッグバンの頃より進化してきた。その進化傾向は何だったか。見直す頃となった。本来日本の傾向は何だったか。動植物及び岩石からも愛される。西洋個人主義思想の知らぬところである。くだらない人生を歩んでどうなるか。来世では苦しむことになる。人間として生まれてくる約束はない。死んだら終わりではない。宇宙の大いなる目的がある。その目的に合してこそ意味がある。それを無視すれば地獄からやり直しとなる。それが宇宙である。生命は個々の存在に宿る。我々は百代の過客である。永い魂の遍歴がある。開発した魂は宇宙と連動する。開発するべきは何だったか。魂だった。魂の磨き合いこそ人生ではなかったか。それにしては、テレビ及びお笑い芸能界は何をしているのだろう。自分たちが堕ちるのは良い。しかし、公の電波である。純粋無垢の子供達に対する影響力が大きすぎる。何を吹聴増殖せしめたか。衆愚化せしめた罪がある。視聴率主義がそれであった。企業はそれを利用した。利益のために。それで良いのだろうか。良いというなら、納得のいく理由を説明して頂きたい。心の周波数がある。魂の色がある。隠せはしない。そして衆愚の勝手が過ぎた。これまではそれも通った。何故だったか。或る自覚が来ていなかったからである。これからはそうはいかない。何故か。或る自覚が来たからである。何の自覚であるか。即ち君が代大鏡。因って愚かな文化傾向は終わって貰う。欺罔と暴力による支配も終わって貰う。暴走族に用はない。何故であるか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本復活の故である。新しい始まりである。下手なアナクロニズムではない。終わりは終わりではなく亦始まりである。知っても識らなくてもである。黄泉もこの時を待っていた。この度は黄泉が動く。此処までしなくてはならなかったのだろうか。此処まで来なければならなかったか。失われた人生と青春がある。何度でもいう。裏切り者に用はない。何を裏切ったのだったか。古来日本の純粋精神を裏切った。黄泉は嘆いている。祖先もである。本来日本はこのような愚かな國ではなかった。明治の下級武士の精神の故であるか。それまで培われていた日本精神を悉く裏切った。そして西洋化を急いだ。それが文明開化と思った。そして民を犠牲とする愚かな戦争までした。その帰結が原爆であり敗戦だった。神風は吹かなかった。その理由も何処かで記した。取り戻さなければならないものがある。知性である。国民主権、主権在民、象徴天皇の意味は何だったのか。誰も知らない。日本国憲法はプログラム規定である。これよりそれが明らかとなる。大人となって子供の頃の自分を忘れる。そして、自分は正しいと思う。そうだろうか。黄泉も従う高度思念力がある。それをも否定する。人間というのは悲しいね。この世は過去の夢の実現過程である。私の夢は何だったろうか。悟りだったのかも知れない。証明はあるか。有る。即ち、日月照らし風が吹く。どうにもならない証明が日々有る。何時か夢は実現する。諦めないことである。全てはその時のための準備である。その時が来れば、全てが意味を持つ。その瞬間がある。美しい風景が待っている。共に歩まないか。仏道を。さて、西洋と東洋は違う。何処が違うのだろう。例えば、666は西洋に於いて獣の数字である。東洋に於いては三明六通八解脱。六は神の数字である。六は最初の完全数である。西洋に於いてはゾンビに帰する。野蛮である。東洋に於いては身心清浄正直に帰する。世界に於いて文明文化国家として日本が歴史的に最も古い。故に英知がある。古来日本は宝の山である。即ち、今も昔も黄金の國ジパングである。取り戻さなければならないものがある。それは何か。古来日本である。日本は本来神国である。世界に類を見ない。故に日本である。取り戻すべきは何か。明らかである。私はその為に生まれていたのだったか。使命は果たしたのかも知れない。失われた日本の絶対の自信を取り戻せしめた。日本は勇気と元気を回復した。西洋個人主義思想は19世紀に没落していた。彼らも救いを待っていた。それは何であったか。東洋精神ではなかったか。それも古来日本の精神ではなかったか。スターウォーズのテーマもそれではなかったか。資本主義がどれほどのものか。インカより奪った金を基礎とする。 400年周期説は旧約聖書に秘められていた。それ以前から日本には文明文化があった。古来大和の戦には大義名分があった。民を犠牲にすることは好まなかった。根絶やしの思想などない。敵将には逃げ道を開けることを知っていた。戦の目的は何であったか。何故に天下を取るのだったか。城下町は何故商人が栄えたのだったか。秩序があったからである。今、秩序が破壊されている。本来秩序は霊界にある。即ち、魂の秩序である。見える世界はその反射に過ぎない。何か失われた大切なものがある。それを取り戻さなければならない。そして明るい未来を建設する。未来は明るい。その理由も明らかとなった。ところで、家伝直伝秘伝螺鈿の槍は折られている。戦前には鴨居にあった。折ったのは誰だったか。恐らく祖父であろう。原爆の故であったか。ヒロシマは根絶やしにされた。その後見捨てられていた。何故か直視できないものがあったのであろう。明治の頃には何故広島に大本営もあったのだったか。私の孤独な理由だった。さて、日本の仏教は何だったか。禅は中国で始まった。日本に来て今日本にしかない。本来日本の仏教は何か。密教である。仏法は本来秘密に属する。空海の密教は最澄には解らなかった。始めに仏法を受容したのは聖徳太子だった。法華経は解らない。その理由も何処かで明らかにした。日本は仏法を受容した。そして日本の属性となった。何時それを壊したのだったか。明治ではなかったか。その後何が蔓延ったのか。もはや魑魅魍魎の天下ではない。
2007年12月06日
この世の掟の全て
汝自身を知れという 知った汝とは何ものであるか
成就した神に対して念を押さないことである 一度いえば解る
神を本気にさせない方が良い 神は畏るべし
昔より触らぬ神に祟りなし 放っておくが良い
爾の言葉はロゴス 実現する 開発された高度思念力である
開発されるまでは解らない 開発されたら終わりである
古来大和の秘密である 大風も吹けば雷も落ちる
地震雷火事親父 粗末にしたね 知らなかったのだね
神に怒りの言葉を発せさせる事勿れ その他は何をしても良い
神の前に善も悪もない 善は仏さんの所にしかない
仏は誉め奉るべし この世の掟の全てである
あなた方はそれを無視した 明治以降のことだった
古来大和を裏切った 商人根性が蔓延った 黄泉が怒っている
身心清浄正直を以て大和魂とする 或いは日本武士道である
嘘及び欺罔並びに暴力を嫌う 暴走族に用はない
民を犠牲に供するを嫌う 自己利益追求を嫌う
行政も民法化し 世襲化された 勝手が過ぎた
何時までも龍は眠ってはいない 何時か目覚める
何に目覚めるのか 自分自身に目覚める
あなた方は知らない 雲も従う龍が己を自覚し 目覚める時まで
全て見られている
全て見られている。それぞれ持って生まれた魂及び性分並びに使命がある。それに応じて導きがある。閨房でも王を呪ってはならない。小鳥がそれを運ぶから。観念するべき時が来た。未来は明るい。しばらく見失われていた真実真理の伏流である。それは実在する神仏との邂逅と受容祝福守護だった。自覚を要する。全て見られている。観念するべきである。黄泉が動き始めた。世界平和を祈念して。見捨てられた魂があった。それは何であったか。ヒロシマだった。故に孤独だった。古来大和の秘密があった。その謎を解かねばならなかった。既に解き終わった。故に日本は大丈夫である。明るい未来建設の時である。暴走族に用はない。既に静かにテイクオフしている。この度は慎重に事を進める。同じ轍は踏めない。全てをゆるす。そして始まる。何が始まるのだろう。これより明らかとなる。宇宙有無開閉四大原動高度思念力。失われた愛と平和を取り戻す。愚かさから脱出する。知性復活。一天四海皆帰妙法。一切の邪見生死に壊敗せられず。世の知的リーダー諸氏に告げる。古来大和復活。あだや疎かなかるべし。何故か。一休髑髏。時は天。死神が来る。宣言である。これより日本を染め直す。未来のためである。世界のためである。子供達のためである。21世紀の約束を果たす。
万軍の主は来たりて合令す 全軍出動 黄泉は動けり
さて、幸不幸及び成功不成功の奥義は何であったか。以下、参照されたい。何故明治を批判し、古来日本の本懐を遂げるに至ったか、そのヒントとして十分かと思われる。既に戦いは終わっている。無敵である。何を以て無敵なるか。黄泉の守護を確認したればである。思わば子供の頃より不思議な人生だった。我が使命は果たしている。問いは発している。ヒロシマの謎及び扶桑の秘密を解いての故である。異論はあるか。答えはあるか。何を愚弄粗末にし来たる哉。商人根性を換骨奪胎矯め直すべし。本来古来大和純粋精神は武士道に結実していた。それを笑いものにした。何を以ての故であるか。経済界財界は回答有るべし。各行政は何の精神を以て腐敗堕落世襲化したる哉。黄泉は待っていた。何をであるか。一箇の自覚する時をである。それが成就している。何時までもこれまで通りではない。時代は代わる。但し、自覚を要する。何の自覚であるか。持って生まれた魂の自覚である。そして使命がある。解くべき謎がある。あなた方は何に乗じて何に浮かれていたのか。本来の価値を探そうとしなかった。むしろ破壊した。古来代々の掟がある。このようにして時代は代わる。何時の代もそうである。この度は殊の外一大事である。頼朝は伊豆に流されていた。故に正統源氏の復活があった。
Cf 与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩 (なむはちまんだいぼさつ)、わが国の神明(しんめい)、日光権現(につくわうのごんげん)、宇都宮、那須の湯泉大明神(ゆぜんだいみやうじん)、願はくはあの扇のまん中射させて賜(た)ばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面(おもて)を向かふべからず。 いま一度本国へ迎へんとおぼし召さば、この矢はづさせたまふな」と心の内に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。与一 鏑(かぶら)を取つてつがひ、よつぴいてひやうど放つ。 小兵(こひやう)といふぢやう、 十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、 浦(うら)響くほど長鳴りして、 誤たず扇の要(かなめ)ぎは一寸ばかりを射て、 ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上(あが)りける。 しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、 春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。夕日(せきじつ)の輝いたるに、 皆紅(みなぐれなゐ)の扇の日出だしたるが、白波の上に漂ひ、 浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、船ばたをたたいて感じたり。陸(くが)には源氏、 箙(えびら)をたたいてどよめきけり。
そして知る。今も昔も変わりはしない。何を以ていうか。身を以て知る。悪いのは誰であったか。全ての責任は何処にあったのだったか。民にあるのではない。己自身である。どういうことだったか。君が代大鏡。これより真の懺悔の時であるか。どういうことか。汝自身を知る。密なる教えである。それが黄泉の導きだった。しかし、それ故、日本は救われる。未来も救われる。未来は明るい。どういう事か。自覚不識。己の秘密は己が解くしかない。指一本触れること能わず。風は祖先。黄泉よりの一陣の風、一切の悪を吹き払う。各々首を洗って待つべし。年貢の納め時である。来年は良い年になるであろう。私が何を見てきたか。どの階層に属し、何をしていたか。重要な要素である。何を探していたか。何を発見・成就したか。二千年来の謎が解かれた。そして言い切ることが出来る。多くの種を蒔いている。結実収穫の時である。私にしかできないことがあった。それが宿命であり、背負わされていた。苦難困難艱難孤独な旅だった。無理もない。ヒロシマは根絶やしにされていた。そして歩み通した。心は軽い。そして明るい。南無宇宙有無開閉四大原動自覚高度思念力。未来開闢。自由は自由が切り開く。21世紀の男爵現在前。
善と悪
私は既に取り戻したのかも知れない。図らずもであった。何もかも。この代君が代大鏡。こうしたものであったのか。善と悪。子供の頃は悪だった。その後、彷徨った。何故であったか。一切種智慧。生まれながらの性分がある。危険は多くあった。導かれていた。悪を払拭する。この代の使命だった。そして未来を拓く。過去を未来に移す。どういうことか。所詮悪を為す者がいる。どうしても悪を為せない者がいる。喩え狂ったとしても。刑法理論に於ける決定論は正しかったか。こうした力があったのか。開発するべき最終最後の力だった。草薙の剣である。言葉はロゴス、文理真正。宇宙が待っていた。戦後の故か、開発は困難だった。古来神国法華経宿王華。愚弄してくれたものである。容赦しない。覚悟有るべし。天地自然が順応する。私は探さなければならなかった。何を探さんとしたのだったか。失われた古来日本だった。既に人生と青春を賭していた。そして見つけたようである。黄泉との邂逅を果たした。黄泉も喜んでいる。黄泉をも救い出したかのようである。イザナギ・イザナミ以来のことである。古来日本は正しかった。それを裏切った罪がある。時は至った。此処に明治を断罪する。その種なき身を以て、古来大和武士道精神を語る事勿れ。商人根性で何をし来たる哉。黄泉は認めてはいない。悲しい第二次世界大戦があった。明治の文脈だった。古来大和の戦ではなかった。民を犠牲に供した。故に大義名分がなかった。神風は吹かなかった。その理由を誰も知らなかった。それを探さなければならなかった。アメリカは気づいている。スターウォーズのテーマは何であったか。その謎が解かれた。世界をも救う最終最後の切り札である。世界のカードがそろった。その為に全てが準備されていた。それ故に目覚めた。全ての謎が解かれ終わった。21世紀の約束だった。糸車の針は抜かれた。呪いは解かれた。既にその記録がある。故に自覚である。何を自覚したのだったか。汝自身としての自分自身だった。全ての謎は自分にあった。月の砂漠だった。年貢の納め時である。古来正統日本源氏復活。何を根拠に勝手し来たる哉。
2007年12月05日
取り戻すべきもの
仏とは何だったのでしょうか。仏として生まれ、仏の業を為し、仏を自覚して、仏と成り、十力を得る。その十力とは、宇宙有無開閉四大原動力。その宣言を以て宇宙を開く。即ち、宇宙が呼応する。言葉は文理真正ロゴスとなる。その実体は、高度思念力。現象としては日月照らし風が吹く。これが大威神力であり、例えば、
天津風 雲の通路 ふきとじよ おとめの姿 しばしとどめむ
古来日本はそれを知っていました。しかし何時しか見失われていました。何故失われたのでしょうか。明治の故です。ペリー来航に乗じてのことです。古来日本が培っていたものがありました。それが結晶したのが武士道でした。高度精神です。かつて武士社会と町民社会には厳然とした差別がありました。少なくとも前者には精神修養がありました。エログロナンセンスは日本にもありました。春画などがそれです。しかし、それは専ら町民文化でありました。今はどうでしょうか。町民文化一色に染められてしまいました。江戸無血開城は古来大和純粋精神からする明治に対する禅譲でした。しかし文明開化と称してそれを裏切ったのでした。西洋化を急ぎました。その文脈での悲しい戦争もありました。神風は吹きませんでした。古来大和の受容祝福する大義名分がなかったからです。唯自分の利益のためにする西洋個人主義思想は既に19世紀に没落していました。しかし日本もそれを追いかけたのです。そして戦後それに拍車がかかりました。故に、世は衆愚支配となりました。これは古来日本の魂の進化傾向に反しています。所詮生命は魂の遍歴です。持って生まれた魂があるのです。前世があり、後世があるのです。それぞれの段階があります。それが本来の秩序でした。それを無視冒涜破壊してしまいました。取り戻すべきですね。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。そうでしょうか。それ故、腐敗したのではないですか。敢えて申し上げます。あまりにも低いレベルで推移したのではないですか。それで何が蔓延りましたか。どうにもならなくなっていませんか。暴走族に用はないのです。取り戻すべきは何でしょうか。神仏は実在します。神を畏れよ。仏は誉め奉るべし。取り戻すべきはこれです。人間としてあまりにも思い上がりました。本来日本は知っていました。しかし何時しかこれを見失ってしまったのでした。これを取り戻してこそ、世界に貢献することも出来ます。そうではありませんか。違いますか。議論しましょう。本来大和の花は山桜。例えば、
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
今はどうでしょうか。染井吉野です。これは明治の突然変異です。古来大和の魂はどうなってしまったのでしょうか。
全体の流れの中で
この人生の幸不幸は、能力の外だった。或いは努力の外だった。能力があってもそれが発揮されなければ幸せはない。いくら努力しても己の思いが満たされるだけの結果は出ない。次なる望みがあるからだ。寂滅。心を制御する。己の現実を甘受する。そこに知足がある。しかしそれをどのようにして実現するか。自ら制御できない。それで人間自ら出ること能わず。唯善業の因縁より出ることが出来る。善は仏さんの所にしかない。仏さんに助けて貰うしかない。しかし欲望追求こそ人生と思っている。その流れがある。それに乗ろうとする。再び欲望の地獄へ堕ちる。それが人生だと思っている。仏の境界を知らない。それが罪である。罪は償うしかない。どれだけ償えばいいのだろう。何時か幸せは来るだろうか。来る。その日まで待つしかない。己の欲望と戦うしかない。そして何時か時が来る。その時とは、移りにけりな悪戯にと回想する時かも知れない。それで良い。その時を迎えることが出来るなら。そして知る。何を知るのだろうか。一人では何も出来ない。それで、声を合わせ、歩調を合わせることを知る。自分勝手すれば、それはいくら能力があっても、全体から見ればマイナスの作用となる。己の能力をどう生かすか。全体の流れの中でその流れを作ることに生かす。凡そ対価の等価交換はない。そうした仕事もある。その為に生まれた魂もある。故に孤独な旅をする。それで良いのだと知る。自分勝手はどうなるか。淘汰される。思い上がっていないか。何を以て成功というか。永遠の幸せを得たくはないか。それは魂の平安である。おだやかで良い。やさしくて良い。嘘と暴力と愚かさが蔓延っている。知性が生きられなかった。低き知性は高き知性を知らない。知らないことを以て否定する。罪である。罪は裁かれる。何が裁くのか。黄泉である。その時が来る。黄泉もその時を待っていた。何時であるか。ある自覚が成就する時である。宇宙はそのように出来ている。宇宙の秩序は厳然としている。容赦ない。天は救うべきを救う。持って生まれた魂がある。その開花がある。その時が時である。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋正直秘密花。しばらく眠らされていた。敗戦及び明治の故だった。死んだわけではない。富士は休火山である。何時か顕現する。愚かな知性であだやおろそかなかるべし。何時か開花する。その時、思い知る。何を思い知るのだろう。知性である。知性とは真実真理神仏己自身を追究する。そして何時かそれと邂逅する。そして受容祝福守護される。その時、力を得る。宇宙有無開閉の力である。新しい世界が始まる。知性復活。愚かな文化は終わる。何時までもその支配はない。年貢の納め時である。何をして来たのだ。何をしているのだ。愚かさを脱却する。未来を拓く。人類の願いと祈りは無駄ではなかった。自覚する時が来る。必ず来る。何を自覚するのだったか。古来大和宿王華一切種智慧。何を粗末にし来たる哉。古来本来日本、魂の秩序がある。それを無視した唯自己利益追求主義経済界財界の罪がある。何を勝手し来たる哉。何を犠牲にし来たる哉。何を破壊し来たる哉。赦しはしない。計上されていない利益と損失がある。既に事実である。言い逃れはない。裏切りを赦さない。何を裏切ったか。明明白。良心呵責。各々胸に手を当てるが良い。脛に傷はある。自ら懺悔するが良い。そして償うべし。ここに時代が確定された。今を以てそれぞれの運命が定まる。新しい物語の始まりである。それぞれ解くべき課題を背負った。代々の魂の遍歴でそれを解く。次なる代は何時であるか。新しい時代である。歴史はこのようにして流れる。何処へ行くのか。何を見つけるのか。自己正当化しても所詮空しい。真実真理は真実真理である。何時か誰もが辿り着く。神仏は実在する。神仏として生まれ、神仏としての業を為し、やがて神仏を自覚する。その時、この代の全てが与えられる。即ち日月照らし風が吹く。誰もが至る。一切衆生悉有仏性。夢は実現する。思考は現実化する。何を探すのか。何を求めるのか。真実は求めなければ与えられない。何を夢見るのか。何時か話し合える時が来ると良いね。魂の遍歴一人旅。地獄より脱出。さて、仏法は何を説いていたのだったか。因縁だった。そこに善悪の価値判断はない。物事には必ず原因がある。それが過去に蒔いた種であったりもする。それが縁によって現れる。そして消える。過去に作った原因は消えはしない。何度でも起こる。成仏するまではね。成仏するとは赦すということである。成仏させることは出来るのだろうか。出来る。どのようにしてであるか。それもある所で明らかとなっている。ところで大切なことは何だったか。仏は縁を説く。どの縁を得て成仏するのか。仏の縁を得て成仏する。それ以外に方法はない。起こり、消滅する。消滅するのであるが、意識が残る。それが亦原因となる。この意識を滅却する。起きるに任せる。消えるに任せる。本来何も有りはしない。無である。空である。本来無一物。しかるを有るとする。それが愛著。どうしようもない。原因は自分が作っている。それを知らない。そして苦労する。楽になれない。努力すればいいと思っている。諸行無常。常なるものはない。生まれては消える。それで良い。しかるを愛著する。新たな因縁となる。楽な境界はある。風の吹くままである。天地自然に受容されて守護がある。求めてみないか。愚かさを嫌う。そして力を得る。得た力は何か。何故に得るのか。身心清浄本来大和武士道精神。宇宙有無開閉天地開闢。あなた方はそれを愚弄無視破壊した。もの笑いの種とした。あなた方商人根性の知らない精神がある。それを裏切った。黄泉の守護を知らない。あなた方の勝手は何時までも通らない。一箇半箇自覚覚他の故に。何が蔓延ったのだ。それが自由とでも思ったか。
2007年12月04日
仏となる道実現
その後何をしているのでしょうか。法華経を読んでいます。道元も晩年は法華経三昧でした。平家納経も法華経でした。皆さんは読んだことがありますか。何度か読んだことでした。これまでわからなかった。それがわかるようになっているのです。何故でしょう。行の故でしょうか。あるところで教菩薩法を習って実践もさせていただきました。有り難いことでした。感謝申し上げる次第です。王佛冥合。仏法は王法と合し、王法は仏法に冥しました。故に開花です。この度の開花は困難でありました。戦後の故でした。それでここまで時を要しました。ここまで至らねばなりませんでした。我と君を自覚するには。しかし古来大和の秘密花、殊の外大輪です。さて、真実とは何だったのでしょうか。御経典と説と現実が一致することでした。それが現実に一致しているのです。浦島太郎は目覚めて驚いたことでした。御経典の中に書いてあることが、文字通り現実に実現しているのです。仏の故でありました。それをこの目で確認してしまったのでした。それがこの度11月23日からの四法親近佛所御供養五日間の旅でした。普賢菩薩さんが黄金に輝いていました。涅槃佛さんの姿に何を確認したのでしょうか。照顧脚下でありました。伝えなければならないですね。未来への福音を。しかし自由勝手には書けない部分もあります。会員間では、何事も許しがいるということになっているからです。ところで善とか悪とか、価値判断がありますね。善は善いと思う。しかし思えば愛著となるのです。悪は悪いことだと思う。思えば是非の人であり、自分も批判されるのです。しかし、善とは結果楽であり、悪とは結果困苦であるということです。それ以上ではないのです。それについて善い悪いではないのです。六祖はいいます。「不思善、不思悪」と。楽にするのか。苦しんでするのか。それぞれの境界です。どちらでも良いのです。甘受するしかないないのです。苦しいときは苦しめばいい。ここを山田無文老師は夕日には夕日の良さがあるとしました。夏の西日は暑い。しかしそこにまた何ともいえない良さがあると。価値判断は計らいに過ぎません。人間の計らいの及ばない世界があるのです。計らいは揀択(けんじゃく)です。『至道無難、唯嫌揀択』です。仏には仏の境界があるのです。人間には人間の境界があるのです。それで良いのです。そして、法華経を読んでいて気づいたのでした。「宜しきに従って」ということが再三出てきます。どういうことだったのでしょうか。相手の情欲根に応じて法が説かれるということでした。結局自分次第ですね。善も悪も。法は本来一味平等です。受ける側の状態によって差別があるのです。平等即差別です。相手の気根がまだ至っていない。それで仏は本来一乗の法を三乗と説く。これが方便です。方便に対して真実があるのです。時が至るまで真実は説かれない。今、時が来たのでしょうか。真実が説かれているのでした。仏の不思議です。しかし声聞・縁覚では及ばないところがあるのです。皆、声聞に止まっているのです。真実は求めなければ得られない。虎穴に入らずんば虎児を得ず。仏でなければわからないところがあるのです。それで如来です。如来は如来でなければわからないのです。仏、仏とのみ究了するとするところです。そして法華経第六品までは、「未来世において作佛することを得」でありました。第七品になって、「乃(いま)し作佛することを得」となっているのです。どういうことでしょうか。時は至っているのです。過去が未来に移されたのです。さらに、「最後身において」とあります。人生は無駄でありません。人生は腐敗堕落ではありません。今生で夢は実現するのです。思考は現実化するのです。安易な方へ諦めていませんか。人生とは何だったのでしょうね。過去からの魂の遍歴の一こまだったのです。その意味で持って生まれたものがあります。過去からの夢実現過程です。しかしそれを阻害していませんか。平等とはそれぞれ持って生まれた魂が十全に開花することです。嘘と暴力がそれを阻害しているのです。新たな罪となりましたね。既に処したる人生があります。いくら謝っても謝りきれない。来世で出直すしかない。何処から出直しますか。地獄からですか。地獄はあるのです。地獄に堕ちるのです。そこから逃れる道があるのです。それが仏道です。既に開かれています。歩めばいい。それをあなた方は無視した。経済行為だけが人生ではないのです。人間はパンのみにて生きるのではないのです。しかしテレビ界はそれを無視していたのです。お笑い芸能界もね。本来の価値をお笑いの目的として壊したのでした。大衆を間違えた方へ導いた。自らの欲得実現だけが人生と思った。分を超えて貴族化を急いだ。お金でそれも買えると思った。しかしその種はなかった。平家も秀吉もそうだった。そして衆愚支配の世となった。明治以降の低き精神商人根性支配の故でした。明治は江戸無血開城禅譲精神を裏切った。彼らにとってそれまで培われてきた古来大和の身心清浄正直純粋精神は邪魔であった。故に知性及び精神を復活させなければならないのです。過去を未来に移すのです。日本のためです。未来のためです。子供達のためです。あなた方は失敗したのです。知性とは神仏を真実真理と知ることです。その時、悪はない。善は仏さんの所にしかないのです。それを探していたのでしょうか。そして見つけたのでしょうか。さて、法華経は何を説いていたのだったのでしょうか。仏となる道だったのです。それは日本にあるのです。日本にしかないのです。古来代々培われていた道です。聖徳太子もそうでした。何時か見失っていたのです。ペリー来航とそれに乗じた下級精神の故でした。そして今、それ仏の道が現実に実現しているのです。久遠実成日本宿王華開花です。知っても識らなくてもです。喜ばしいことですね。仏の故です。慎んでご報告申し上げます。時は天、天徳の至っての故です。新転法輪です。それが21世紀の約束でした。新しい世界が始まりました。さて、天皇とは国民及び国民統合の象徴です。象徴は象徴です。何事も裏と表があります。日本国の基は何だったのでしょうか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本です。第二次世界大戦中、アメリカはそれを調べたのでした。結局わからなかった。そしてヒロシマこそそれかと思われた。しかし日本は故より神国、黄泉及び祖先が守護する國です。そう簡単に根絶やしにされはしない。秘密は解き、解かれ終わっています。故に容赦ないのです。心ならずも青春と人生を失っていました。しかし、それ故に至っていたのでした。導かれていたのでした。生まれた使命は果たされたのでした。孤独秘密特殊潜行特異未知の句一人旅があったのでした。真実を求めての旅でした。何か失われた大切なものを求めての旅でした。密かに旅立っていたのでした。昭和50年、19の春の頃の事でした。今生では生きて帰還はないかと思われました。誰もが諦めたかに見えました。古来大和秘密の花はもう咲かないと。ヒロシマより護りし一切種智慧一粒種無事開花です。『2001年宇宙の旅』の謎でした。最後の切り札です。カードはそろいました。もはや安心安穏安堵です。日本は大丈夫です。誰も私を否定できないのです。既に実在証明は完結しています。精査あらんことを願います。そして何を粗末にしたのですか。既に黄泉及び祖先並びに普賢菩薩の受容祝福守護するところです。世は百花繚乱、我が代君が代、人生この代の春です。古来大和敷島の秘密花が咲きました。時は至りました。新しい正統日本自覚開闢。父は昭亮(アキノリ)、昭和二年三月七日に生まれ、平成元年五月二十二日に没した。十六歳で二等兵志願、赴任地はカムチャッカだった。ヒロシマ宇品より出兵した。戦後北海道網走に復員し刑事でもしていたか。故あって帰郷。その後国鉄職員。退職まで現役機関士だった。晩年はブルートレインを牽引していた。未来は明るい。建設!私が悪かった。私が怠惰だった。探し物をしていた。どうしても探さなければならないものがあった。その為に生まれていた。その間経済行為など出来なかった。人生も青春も賭していた。身も心も。何を探していたのだったか。既に書いた。故に奪われた。何を誰に奪われたのだったか。その間、何が蔓延ったか。末代赦しはしない。勝手が過ぎた。
2007年12月02日
古来日本の精神を取り戻す
ゆるすとかゆるさないとか、恨みを以て殺戮ともなる。殺伐とした世の中となった。何故だろう。人間の悪が増幅されたからである。 テレビのドラマは何であるか。人間のおぞましさである。それを表現することが文化だと思っている。そうかな。テレビが出でて一億総白痴となるとしたのは大宅壮一氏だった。その通りになってしまった。悲しい現実である。テレビ界の視聴率主義が諸悪の根源で、それ故愚かなお笑いと暴力性が跋扈した。衆愚社会に拍車をかけた。それは内容よりも視聴率のみを重視するスポンサー支配の故である。世は経済至上主義である。行政も民法化して腐敗した。悉く精神性はない。そうした精神及び知性はむしろお笑い芸能界の笑いの種となった。本来の秩序が破壊された。これがアメリカの占領施策であったか。日本精神は骨ぬきにされた。本来の知性が犠牲に供された。とても住みにくい世の中となった。本来の秩序とは何であったか。知性及び魂の秩序であった。霊界に帰れば厳然としている。愚かな世界ではない。しかし世は衆愚の支配である。これを取り戻さねばならない。知性なき者の知性に対する支配はゆるされはしない。しかし戦後の故に自信がなかった。それが敗戦だった。そして何が蔓延ったか。見ての通りである。腑は煮えくりかえっている。この度の好景気は未曾有のものだった。しかしその恩恵を受けたのはどの階層部分であるか。利益を独占享受した方々は本来その資格があるとでも思っているのか。自分たちだけの日本であるか。社会であるか。本当にそう思っているのか。大企業及び都会は答えるが良い。場合によっては容赦しない。伝家の宝刀は抜かさせないが良い。勝負にならない。神風も吹く。雷も落ちる。もう一度問う。あなた方はそこまで思い上がっているのか。ゆるすとかゆるさないとか。達観することである。彼らは真実真理を知らないのだから仕方ない。むしろ哀れである。この世に何故生まれてきたか。所詮永い魂の遍歴の一こまである。この世に人間として生まれて、この身を以てしなければならないことがあった。それが精神修養だった。魂の進化傾向である。あの世に秩序がある。足りない部分を修正するために生まれていた。それを怠った。経済だけが人生であるかのようである。商人支配の時代である。商行為は多少の欺罔を含む。精神性は低い。あの世へ帰って思い知る。次に人間に生まれてくることが出来るだろうか。出来はしない。人間性と称して畜生道に堕ちている。あの世へ帰ればわかる。黄泉の秩序は厳然としている。ところで、人間は皆同じだと思っている。違う。誰が言い始めたか。西洋思想であるか。福沢諭吉であるか。商人根性には都合が良かったか。しかし、イギリスもフランスも階層社会である。日本はどうなったのか。一億総白痴となった。テレビ界の罪は重い。背後の経済界財界もである。あなた方は結託して自分たちだけで富を配分している。何を根拠にであるか。答えるが良い。民はどう思っているか。こうした時代だから仕方ないと諦めている。中には世を儚んで自殺する者もいる。それをあなた方はどう思っているのか。身分に安住して傍観する知識人も答えるが良い。仏は一切大衆を救うと仰る。日本国憲法はプログラム規定である。これよりその重要な部分が顕現具体化される。法華経もその内容はプログラム規定的であった。その内容が明らかとなったのは、昭和になってからである。仏が世に出て宣言してのことである。仏とは何か。宇宙有無開閉四大原動力を有する。その宣言が第一義で宇宙が動く。あなた方の知るところではない。因って不可思議である。あなた方は何も知らない。知らないことを以て否定する。人間のどうしようもない悪性である。しかし真実真理は真実真理である。六道輪廻は大宇宙の法則である。それを無視した。当然法則通りである。堕ちるべきは堕ちる。日本の精神性を取り戻す。古来培われてきたものである。何時までもこのままでは日本も滅ぶ。しかし日本は日本である。滅びはしない。頼朝も伊豆に流されていた。故に正統源氏の復活があった。そして、達観することである。大悲を以て。そして彼らを救う。救いはある。このままでは未来はない。しかし未来は明るい。何故であるか。仏の宣言に依る。ところで現代日本人はお金が全てだと思っている。キリストの貧しき者は幸いであるというのがある。やがて神を見るからである。道元も貧学道だった。お金儲けばかり考えていては精神修養はないね。むしろ邪魔だよね。日本の自信は復活せしめた。第二次世界大戦の仇も取った。違うだろうか。私でなければ出来ないことがある。何故か。ヒロシマは根絶やしにされた。野蛮だね。日本古来の戦ではなかった。私が孤独な理由だった。ところで私が怠惰であった。私が勉学しなければならない理由がある。思念力を以て思惟しなければならない理由がある。どういうことか。秘密に属する。ところで、最近とみに若者が元気だね。子供を軽んじてはいないか。生まれ変わり死に変わる。持って生まれた精神は大人よりも古い。世の大人達は何を思い上がっているのだろうね。香風来たって古き花を散らし、新しき蕾を雨らす。
ところで先ほど地震があった。
平成19年12月02日01時33分 気象庁地震火山部 発表
02日01時28分頃地震がありました。
震源地は日高支庁東部 ( 北緯42.3°、東経143.0°)で震源の
深さは約60km、地震の規模(マグニチュード)は4.0と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。
北海道 震度2 幕別町忠類錦町*
震度1 浦河町潮見 浦河町築地* 更別村更別*
十勝大樹町生花*