2007年09月19日
何もすることなくて
何もすることなくて 
部屋の片づけでもして
体勢を整える頃かと
この世に生まれて何をするべきか
やっとわかってきた
何を迷っていたのだろうね
無理もない 戦後の故だ

2007年09月14日
思い煩うことはなくて
何も思い煩うことはなくて
一切は仏さんの所属 身も心も命までも
ただ 日々 一切大衆に仕えていく
過去の我が身の懺悔にと
常に笑顔で善処する 何があっても
それが 幸せの基 と気づく頃
何も思い煩うことのなくて
過去に犯した罪ありて その報いの日々
そのゆるしを得るまでの
何も恨むことなくて その方に喜んで貰えば善くて
すべては己の蒔いた種 悪因悪果 善因善果
辛い結果はこの身に受けて 刈り取れば善い
そして 幸せの種を蒔いていく
未来は明るくて 何故だろうね ある先生の下生のお陰だね
何も思い煩うことはなくて 何も思わなくて善くて
それが不思善不思悪 無事是貴人
苦しいこともこの身に受けて 刈り取れば善い
そして幸せの種を蒔く
次なる収穫が待っている
私は探していた 幸せの種を
この世ではもう見つからないと思ってた
幸せとは何だったのだろう 過去の眷属との暮らしだった
それが 散り散りとなっていた ヒロシマ 孤独の理由だった
黄泉からのサインは確かにあって それは感じてはゐたのだが
凡そ理解できなかった 不思議
そのように生まれていたのだったか それも試練
申し訳ないことだった 私が怠惰だった
これからでも遅くはないだろう 私は探す
何処かで待っている眷属を救うために
これが幸せだった 何も思わなくて善くて
そして喜びを以て仕えていく 
至り着いたのかも知れない 何処へ 歓喜奉行へ

古来大和(プロローグ)
2007年09月14日 03時20分04秒 | Weblog
涼しさを 取り戻したる 安芸の月
何もかも 仏ゆだねて 思うなし 
  故に歓喜と 知る頃となり
不思議とは かくも秘密と 黄泉の月 
  生まれし意味は 過去の懺悔か
過去を知り 汝を知れば 春日なる 
  未来開けて 幸せ来たる
この世をば 唯君が代と 証明す 
  古来大和は 秘密なりけり

2007年09月29日
二十年後
『二十年後』という小説があった。二人の青年が同じ場所で会おうと約束していた。その時が来た。一方はどのような人間になっていたか。もう一方はどのような人間になっていたか。それぞれの人生である。それぞれ歩いた道がある。振り返って悔いはないか。それで良いのか。生まれた意味は何だったか。それを見出しているか。力は得たか。どのような力を得たのか。この世で何を開発したのか。或いは何を思い出したか。それで来世が違ってくる。来世はないと思っているね。それが不幸だ。歴代の魂の遍歴である。安易な時代である。何が蔓延ったか。無理もない。戦後であった。真剣さこそ大切な時代となった。それなくしては生きてゆけなくなった。それが有れば生きてゆける。ところで、道元に「身心脱落、脱落身心」というのがあった。これが涅槃寂静だろうね。懺悔滅罪でもあるのだろうか。歩々清風でもある。なかなか至れるものではない。前世からの続きだよ。そして未来は明るい。明るい未来が選択された。愚かさと暴力と欺罔より脱却して。前世より鍛えたところの人格がある。

2007年09月21日
どうにかなるさ
さて、色々なことがあった。もはやいうべきことはない。これまでの作業は、失われた自分を探すことだった。それは終わったようである。これから何をするか。それが問題である。力は確認した。それは何であったか。偏に自信の回復だった。久しく時を要した。無理もないことだった。それほど複雑だった。それも解決した。もう迷いはない。ケセラセラということがわかってきた。どうにかなるさと思えてきた。これは無責任な言辞ではなかった。むしろ全責任を引き受けるというに等しい。任しておけということである。

2007年09月10日
それぞれの道 色々なことがあって 人生楽しい

時が流れて 水に流して 幸せが残ればいい

それぞれの道だけれど それぞれ何を見つけるか

話せる時が来ると良いね