2009年02月28日
【こころの求めているものは】
プラス志向でいこう。それはほめることだった。あるいは祝福することだね。ことばには力があって、言霊といわれることもある。大切にするべきはそれだった。ことばが音になる時にそれは力となる。どうしてだろうね。魂がこもるからだね。魂はその時々に違う。それがこころだった。だから、プラス志向でいこう。ほめることをしよう。祝福しようね。祝福されるから。大切なのはこころの傾向だった。殺伐とした世の中だね。その中でどのようにして喜びを見つけるか。感動はあるだろうか。例えば山田無文老師のエッセーに涙することがありますか。どうして泣けるのでしょうね。真実があるからでした。求めていたものがそこにあるからです。真実との邂逅に対する感動の涙です。辻邦生氏の短編小説にもそれがあります。まるでチェリビダッケのブルックナー交響曲第四番クライマックスのように。テレビのお笑いにそれがありますか。ありません。何故でしょうね。魂のレベルの違いです。見直しませんか。こころに正当な評価を与えませんか。わからないことを以て否定していませんか。文化には質があるのです。何をしているのでしょうね。何をしてきたのでしょうか。あらゆる分野で問われています。 教育もその例外ではありません。教育もビジネスとなりました。そこにこころはあるでしょうか。魂の安らぎがあるでしょうか。日本のこころにゾンビは似合わない。殺人事件などをテーマにしたテレビ番組を観たくない。爆発破壊をテーマにしたドラマは要らない。視聴率のために何を壊したのでしょうね。日本の情緒です。とりもどすべきはそれです。金銭至上主義があまりにも蔓延りました。何処に基準をおいたのですか。民主主義は衆愚化します。故にメディアには護るべきものがあったのではないですか。何時までも本来大和のこころが赦しはしない。そろそろ知性の立ち直るべき頃です。性善説と性悪説があります。今、性悪説が勝っていますね。文化現象を観るとちょいワルとかいうのもそれです。しかし本来人間は善だった。それ故に万物の霊長とされる。しかし往々にして悪の方が力が強い。物理的暴力には勝てない。強いということが本当に正しいのかどうか疑問です。柔和忍辱ということがあります。柔よく剛を制すともいわれます。さて、人間は善だった。本来やさしかった。ところが悪がくっついている。それで悪が勝つ。しかし何時かそれで自分もどうにもならなくなる。どうすればいいのでしょうね。悪を払拭するのです。そうすれば、本来の善が出てくる。その時、無限の能力を発揮出来るようになるのです。皆、そのようにして何かを持って生まれてきている。しかし邪魔がある。それが悪だったのです。そろそろ気づく頃です。大反省の頃となりました。三悪は地獄、餓鬼、畜生といわれます。それが蔓延った。これらには勝てない。どのようにして勝つことが出来るのでしょうか。自らの悪を取り除く。その方法がわからない。それを教えてくれるのが仏さんだった。仏さんの力を借りる。あるいは助けて貰う。そして自分が本来の自分となる。それは性善説の自分となる。その過程が自分との戦いでした。克己心ともいいますね。そして三毒は怒ること、貪ること、知らないこと。怒ることがなくなる。本当に、不思議と腹が立たない。ゆるせるのです。同じ土俵で戦う限り、それはない。自分が一つステップアップする。質的にね。そして貪らない。足るを知るというそれです。世のスノッブにはそれがない。そして愚かさも問題だった。ところが、現実は今、どうでしょうね。怒ることをしている。それが戦争です。貪ることをしている。金銭至上主義であり、自己利益追求です。愚かである。衆愚化現象ですね。これより脱する。どのようにして脱するのでしょうか。それが身心清浄及び正直だったのです。どうしてそれを見失ったのでしょうか(本来日本はそれを目指していた)。それが占領政策だったのです。それに迎合したのがテレビ界でした。彼のいっていたことが首尾一貫していたのです。これより本来日本に帰るのです。それも決定しました。それが一箇の自覚です。この辺りはよくわかりませんね。それで良いのです。秘密だと彼もいっていました。しかしこれも世の常です。この世はそのように出来ていたのです。それを君が代ともいっていました。見えてきましたか。神仏は実在するといいます。それは属性を要する。自覚を要するといっていました。それはそれで良いのです。それが事実です。そして私たちはこれからどうすればいいのでしょうね。幸せはあるといいます。救いはあるといいます。信じてみませんか。神仏を。決して裏切りのない世界です。彼はこのようなことを真実として確信したようです。此処に至るには試練がありました。熾烈な読書もありました。四聖、何するものぞ。元気を取りもどしましょう。年齢ではありません。気づいた時、青春です。春は近いですね。人生の春、謳歌しましょうね。時代の進化です。
2009年02月27日
【試練から永遠の愛へ】
思索してきたことだった。それはとても辛い作業であった。しかしそれ故に気づいた。それは何だったのか。此処まで思索しなければならなかったのか。その間、人生も青春も失った。それも事実だった。どうしてだったのだろう。あの十九の春を何度も恨んだ。しかし、それも試練だった。あるいは導かれていた。本当に素直にそう思えるようになった。何故そう思えるのだろうね。あることが事実として確信に至った。それは何だったのか。神仏の実在だった。これを発掘しなければならなかったのだろうか。それ故の試練だったのか。一人背負うにはあまりにも酷ではあった。世間は浮かれていた。しかし今、感謝している。祖先にも。諸精霊にも。もちろん神仏にも。信じるところへ至ったのかも知れない。一切の疑惑は晴れた。これで日本は大丈夫だと思える。見失って久しい。それが敗戦ということだったのか。誰も評価してくれなかった。無理もない。過程だったのだから。しかし、黄泉は導いた。守護した。天は祝福した。事実である。使命は果たした。時代が変わるときの代々の務めだった。過去を見渡せば祖先を代表して申し訳ないところもある。しかしこの度は、この上ない成果と自負する。わかるだろうか。秘密は何時か明かされる。古来大和に秘密あり。父はいった。お前は大丈夫だ。私の子だ。家には新品のパラシュートがあった。予科練の教官もしたという。父は何をしていたのか。永遠に謎である。しかしその謎も解いている。いえば不遜である。しかし既に天の証明がある。家には『トラトラトラ』の本があった。使命は果たした。そう思っている。私にしかできないことがあった。日本国憲法プログラム規定が成就した。時代を確定する。これより秩序である。一切違うことあることなけん。もっと早くに気づくべきだったか。あまりにも不思議なお話である。とてもこの世のこととは思えない。長い冬だった。よく耐えたものである。鍛え抜かれたようだ。それほどまでに、困難な時代だった。それが戦後だった。螺鈿の槍は折られていた。とても打ち克てないかと思われた。しかし古来大和である。その力を此処に確定する。もはや十分であろう。既に無敵である。三世の諸仏の祝福守護も取り付けた。これより一切身勝手は通らない。本来大和大櫻、見事に開花である。彼の人生は無駄ではなかった。
見えているかあるいは迷っているかのどちらかである。物心合して生あるいは命となる。物心はなれて死となる。死んでこの身はどうなるか。それぞれ宇宙に帰る。心は魂である。この世は魂の遍歴の一齣である。それが百代の過客だった。魂を磨く。「わくわくしていますか」の成功論者のいう脳内ホルモンだけがすべてではない。身心清浄及び正直である。それなくjして救いはない。幸せはない。そのためにはしかるべき行が要る。思念力の開発がある。そして魂ももとの世界に帰る。この世の在り方によって、帰るところは違う。それが前世があり、来世があるということだった。それを知らず、悟らず、探しもせずに、浮き世を彷徨う。そして何時かどうしようもない自分に気づく。そして哀れな歌を歌っている。それが人生だったのかどうか。本来日本は知っていた。何をしてきたのだろうね。この処したる人生に処断ある。救いはないのか。それはあると彼はいう。何処にあるのだろうね。探すしかない。恋は盲目とばかりに刹那を彷徨う。気づいた時が始まりである。菩提心を起こせば良い。その心を起こせば、すでにその道を歩み始めている。方向は正しい。必ず至り着く。何処へ至るのか。至ってみなければ解らない。山頂から臨む景色は登ってみなければ解らない。それなのに己の何を正当化しようとしているのか。見えていない自分を。お笑いは逃避に過ぎない。何処が面白いのだろう。それで空しさから逃れることが出来るだろうか。彼は本来日本に帰ろうといっていた。その意味が明らかとなった。何処へ帰るのか。旅は続く。何処で方向転換するか。メディアは猛反省を要する。何を浮かれているのか。民を惑わすもほどがある。何もかも商人根性となってしまった。行政までも。嘘は泥棒の始まりと決まっている。己を偽るとどうなるか。本来何を求めていたのか。空蝉ではなかったはずである。金銭に目のくらんだ世の自己利益追求セレブスノッブ族の罪は深い。日本の何を愚弄無視破壊粗末にしたのか。何を裏切ったか。各々罪を償う頃となった。女衒はもってのほかである。本当の喜びは何だったのか。これより意味のある人生が明らかとなる。本来日本を取り戻す。永遠のジパングである。この世に生まれて何をするべきだったのか。占領政策は失敗に帰した。本来大和に根絶やしはない。その種は遺されていた。本来日本に帰る。時は来たのである。十分に反省した。もう良いだろう。そして世界の中で重要な使命を果たす。本来日本は滅し給わず。目指していたものがある。想い出す頃である。真実の城へ向かう。これよりおもちゃの兵隊が動き始める。現実を作る。生死を越えるとき、心頭滅却すれば火もまた涼し。火も焼くこと能わず。水も流すことなし。故に武士道は死ぬことと見つけたり。知らなかったね。本当の意味を。本来日本に道標あり。幸せとは何だったか。諸仏の守護だった。身心清浄及び正直となってそれがある。それが桃源郷であり、彼岸だった。行を要する。自分勝手にしてもそれはない。教えの中から一歩も出ない。出れば我見であり、証明はない。迷いであり、業である。幸せはある。目指さないか。確かな未来を。永遠の愛を。それは見つかった。魂を磨く。磨ききった時、諸仏が祝福する。 その時、知るだろう。何を知るのだろうね。美しい風景が待っている。そして日常の暮らしに帰ってくる。好ましい人間関係が待っている。苦はない。あらゆる問題がすらりすらりと解決する。楽しい人生が始まる。それはある。すべて自分次第だった。自分が変わる事で世界が変わる。 開発するべき周波数がある。宇宙の愛。それが仏の周波数だった。すべてを育む力である。動植物及び岩石も喜ぶ。即ち成仏する。それはある。この世に生まれて何をするべきだったのか。何をしてきたのだろうね。それが成功だったのか。不安はないか。怖れはないか。それより逃れる事が出来ると思っているか。諦めているのか。これより人生が決まる。何故だろうね。一箇の自覚があった。この自覚、疎かには出来ない。何故か。天神、雷神、風神。新しい時代が開かれた。宣言である。此処に未来を確定する。しばらく身勝手が過ぎた。それも無理もない。知らなかったのだから。これまでは問わない。これからである。これより掟が明らかとなった。今、社会契約である。野蛮はゆるさない。愚かさも。馬鹿になる事が幸せだ等と二度といわせない。各々反省する頃である。基準自覚。本来大和発進!世界も日本に注目している。各賞受賞は偶然ではない。責任は重い。何時までも魑魅魍魎の勝手が自由ではない。これより目指す。真実の愛へ。あるいは永遠の城。それは見つかった。長い忍辱があった。本来日本、十分に学習した。戦後は終わった。日本を取りもどす。何と戦う必要があったのか。何を制しなければならなかったか。黄泉だった。黄泉とは祖先の総体である。その赦しを得なければならなかった。戦後、浮かれた。占領政策に乗った者が栄えた。そしてそれを粗末にした。そして世の中はどうなったのか。各々胸に手を当てるが良い。一人戦うには荷が重かった。何もかも失った。戦い抜いたようである。そして何を得たか。何を観たのか。何を確信するに至ったか。知っても識らなくても、新しい時代が確かに開かれた。浮かれた人生を歩んだ者の知る所ではない。知る人は知っている。天も受容祝福している。これが本来の大和魂である。一番を獲った事がない者に一番はわからない。何を以て一番を獲らなくて良いというか。属性がある者が取り組めば必ず答えを出す。どんな問題でも。どんなに時間がかかっても。その間は無駄と見える。答えが出た時には思い知る。その時が来た。何を愚弄したか。何を無視したか。問わねばならない。答えはあるか。ないのか。ないのであればどうするのか。応えて頂こう。お客様が神様ではない。お客様の中に神がいるかも知れない。神は畏るるべし。仏は誉め奉るべし。謙虚さと敬虔である。それを無視し、思いあがった方々の支配がしばらくあった。無神論者であることが世のリーダーの閥の要件であるかのようである。故に自然を破壊した。それを取りもどす。子供達の夢である。既に世界及び自然を壊した者たちはその責任を潔くとらねばならない。人間を物として扱った者たちも。派遣労働者の人件費は何処に計上されているのか。総務部の経費からであるか。代替可能なペンシルの芯と同じ物であるか。人間ではないのか。いい加減にするが良い。コスト管理及び合理主義でどうなったか。それが智慧であるか。勘違いも甚だしい。必ず滅びる。人のためにする。世のためにする。その時、繁栄が約束されている。自己利益追求ではなかった。何に迎合したのか。何を愚弄したか。日本は日本である。本来日本がある。日本に帰ろう。
2009年02月26日
【親鸞聖人の感慨】
親鸞聖人も鎌倉新仏教だった。新仏教であるが故に苦難忍辱の道があった。そして悪人正機を説いた。それはどういうことだったのか。「善人なおもて往生す。況や悪人おや」。仏さんから見れば、人間はすべて火宅にいて苦界に没在している。誰も自分の力で困苦の現実から逃れることは出来ない。それにも理由がある。しかしその理由も知り得ないまま、それはないと思い、探そうともしない。そうした宿命である。仏さんはその苦界より逃れた存在である。故に悟りの境地があり、桃源郷があることを知っている。それが仏の世界であった。仏の世界に至らねば救いはない。しかしその世界をも知らず、哀れな存在であるのが人間だった。人間は等しく憐れである。皆、成仏して貰いたい。それが仏の思いだった。故に、悪人こそ憐れである。悪人であるが故に苦しみは深い。救われるべきは悪人だった。それが悪人正機説だった。亦、親鸞は自ら愚禿と称する。禿で愚かな自分である。それは仏さんの世界から見ればそうである。それを認めてのことだった。そしていう。「仏は唯一人愚禿親鸞のために法を説く」。これが親鸞の感慨だった。ビジネスに堕した現在僧侶の知るところではない。真実の仏法の真実たる所以は何か。本当の幸せを知ることが出来る。この身において体験する。その方へ、現実が変化する。今までにないことが始まった。歴代待ちに待っていたことが本当に現実となる。それはある。実験検証確証済みである。故に真実である。そしてかつては親鸞一人だったその真実が万民の可能性として具体化された。それは何か。探すしかない。所詮禅も自己一身の問題だった。誰もが成仏すること。それが仏の本願だった。それが始まる。本来大和伏流である。日本はそれを目指していた。その時が来たのである。そのためには此処まで腐敗しなければならなかった。故に蓮華は泥に咲く。咲くがいい。咲く頃を迎えた。時は来たのである。仏となって幸せである。誰もがその可能性を秘めている。そうではあるが、その実践方法が解らないで居た。それも当然だった。秘められていた。何時しか秘密は解かれる。故に秘密である。時を要する。それがチャンスだった。チャンスをチャンスと受け止めることが出来るだろうか。自分が変わることである。周囲が変わる。変わってみなければ解らない。やさしくて好ましい人間関係がある。実相が証明である。今のあなたは幸せですか。幸せにならなければ解らない。お金持ちになって不安があればそれは幸せではない。誰もが求めていたのは幸せだった。現実と自分の思いとのギャップが不幸せだった。自分の内面にスイッチが入るかどうか。常にチャンスはある。大チャンスは少ない。株でもうける大相場がそれではない。何を浮かれていたのか。何を思い違いしていたか。謎は解かれた。これより実現する。古来大和の秘密は何だったのか。誰が自覚しなければならなかったのか。代々の秘密がある。一箇半箇を打ち出す。それが禅の目的だった。達磨は法を二祖に伝えた。それが役目だった。その後達磨はどうしたか。徳利をぶら下げて天竺へよたよたと帰って行った。それを見た者もあるという。日本の基が自覚開眼した。もはや戦はしない。見えているかあるいは迷っているか。そのどちらかでしかない。教えがあってその中から一歩も出ない。その時幸せである。やがて何を見るのだろうね。何を見つけるのだろう。仏への道だったらいいね。生老病死。難問だった。生死を越えよ。その先に何かある。かつて釈迦族は滅ぼされた。最初の攻撃の時、釈迦は路傍に座っていた。その姿を見て攻撃側は引き返した。それは釈迦の思念がそうさせた。二度目の攻撃があった。その時、やはり釈迦は路傍に座っていた。その時はどうだったか。釈迦はその攻撃隊が通過するを許した。何故だったのか。仏の顔も三度までということがある。どういう事か。各々その真意を思うべきである。悪は滅びる。これも法則である。平家も滅んだ。何時までも身勝手は通らない。市民革命があった。奴隷解放があった。女性解放もあった。誰もが戦はしたくない。しかし戦争は何時までもなくならない。戦争は何故起こるのか。リーダーの意思決定でしかない。何処にその根拠があるのか。何処にもない。何時か知る。何を知るのだろうね。六道輪廻。因果応報。殺戮は殺戮を呼ぶ。その連鎖となる。それが因縁となる。それから自ら逃れることは出来ない。賢者の怠慢があった。賢者はそれを反省した。人類は何を願っているのか。何を祈っているか。思い起こすべき頃である。日本はかの大戦で平和を学んだ。それが原爆の意味するところである。現代戦争は不毛であり無価値であることを学んだ。日本国憲法は一国の憲法を超えて人類の歴史的所産だった。戦争は選択するべき手段ではない。もはや核は諸刃の剣である。平和のために使うのか。滅びのために使うのか。人類の英知が試されている。それを知らぬは野蛮である。人類の進化傾向がある。自分のためにしないことである。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。世の権力者に問う。本当の幸せは何ですか。民のためにするとき、あなた方の繁栄が約束されている。これも大自然の法則である。愚かでは至れない。考えるべき頃である。自分のしたことは自分に帰ってくる。故にヒトラーも自殺を余儀なくされた。フセインも捕らえられた。人類に対して弓を引くべきではない。故に選ぶべきは「棄つべきものは弓矢なりけり(堀悌吉)」。五十六の奇襲攻撃ではない。日本は痛い経験している。反省。反省は同じ轍を踏まないことである。
歩み来て真実仏法確認すしからば道を進むほかなし
あれこれと思う己が迷いなりそれをぞ業と知る頃来る
真実の仏法既に開かれる因縁解決実現する時
時至る誰も真実知る頃とこの濁世を何して越えむ
真実の教えは何を語らんぞ真実証明誰もが至る
真実の教え実行行き着く先は涅槃寂静一切成仏
真実の教え真実何故ぞ誰もが至る事の出来るを
皆のためするぞ善きかな仏かな自分利益は地獄必定
確かなりあらゆる困苦原因は自分なりけり因縁という
因縁をこれまで解くはなかりしを真実出でて解くぞ始まる
本当の教えは既に明かされる時の来るまで待ち侘び至る
見つけたる真実教えありたるを信に至るは時のかかるを
真実を聞いてわかるは稀なるを導かれてぞその日来るなり
誰もかも救われることを願いしもモデルなくして疑い出でず
確かなる教えを此処に確かめて未来の夢を描き通せる
現代の不思議数々ありたるをヒントなりしと素直に思う
何時しかは誰もが至る法の道確かにあるを一歩進める
何もかも一切法空それ故に善悪さえも気にならなくを
本当の喜び何処ありぬべき探して出逢う真実の中
本当の幸せ何処探すれば何時しか迷い出でし月かも
真実は求めて至る大和かな春は近いぞ櫻咲く頃
【きっとその日が来るから】
何があっても大丈夫 きっとその日が来るから
どんなに悲しい日々も 懐かしい思い出となるのだから
諦めないでね 誰もが通る道でした そして
信じていよう 輝く日々が必ずあなたにも訪れることを
「物心合して生となり命となる 物心はなれて死となる」
生老病死 難問だった 生死を超える
どのようにして超えるのだったろう
私達はこの世に生まれて仮の宿 百代の過客
何時か帰る 本当の世界へ この身において
それを知らずに暮らす日々 不幸へ趣く
「知れば迷い 知らねば迷う法の道 何が仏の実なるらん」
心が決まる 何事も怖れなく 生きてゆける この世にて
何時か帰る 何処へ帰るのか 本来日本 素晴らしき國 古来大和へ
浮かれていたね 文明開化 衆愚メディアを糾弾す 何を蔓延りしめたる
本来日本 幸せの國 目指していたものは何か 身心清浄 正直
卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本本来武士道結実 破壊した
取り戻す 古来大和に秩序ある 今社会契約
見失われて久しい ペリー来航の頃よりか
何か大切なモノありて 想い出す頃なるか
それは日本 永遠の神国 奪えはしない
【失われた真実】
何を信じて良いのか解らない時代ですね
どうしてでしょうか 不可議の時代となりました
何が真実だったのでしょうか 見失われたのです
もう一度信じてみませんか 人のやさしさ
自分が変わる 世界が変わる
何事も自分次第でした 幸せはあるのです
そして気づくのです 大いなる存在
愛すれば 愛される
幸せは 求めることではなくて
与えることから始めませんか
時代は変わりました 確かな自由
すべて気持ちの問題でした
自然の中で生きている 魂の永遠からの遍歴として
自然に愛されてみませんか そして出逢う この世であなたと
自然を愛することで 心と自然はリンクしています
失われた真実をとりもどしませんか 美しい出逢いが待っています
神もいるのです 見えないけれど 本来神国 素晴らしき日本
世界は待っています 決して裏切らない新しいあなたを
あなたが見えるようになれば 迷いが晴れて
きっと微笑んでくれるでしょう
何を信じて良いのか解らない時代となりました
人間自ら出づること能わず
どんなに合理化しても 正当化しても
刹那的な逃避はますます不幸せとなります
そろそろ気づいて良いのではないでしょうか
人間存在のはかなさ あなたは今 幸せですか
見失われていました 真実 自由 それは見つかりました
何処にあるのでしょうね 強さ やさしさ 心 仏 幸せ
2009年02月25日
【嫉妬からの自由】
幸せを祝福しよう 幸せに祝福されるから
相手の存在を認めよう 自分の存在が認められるから
心は何を求めていますか 心に素直になろうね
美しい風景が待っている 好ましい人間関係が訪れる
幸せになろうね なっていいんだよ
おだやかな世界がある 楽な人生がある
それは見つかりました 遙かなる希望の未来です
今までとこれからは違います 悲しい過去からの自由です
自分が変わる 世界が変わる
相手を変えようとしていませんか 責めていませんか
それでは何も解決しない 現実は変わらない
直接いえば 傷つける いくら正しくても
変わった自分 相手は気づく 解決へ向かう
本当の自分を見つけて 自分に帰る
それは素直さをとりもどすこと
ゆるそうね 何もかも 自分がゆるされるから
不思議だね 苦はない その時 思い通り
これが幸せだったのだろうか 嫉妬からの自由
楽(ねが)いは何ですか それは実現します
どのような香りを聞(か)いでいますか
それは見つかりました 新しい時代です
永遠の未来が見つかりました これが愛 命が喜ぶ
明るきから明るきへ さらに明るきへ
この道を歩みませんか 一人ではないのです
見えているか迷っているかのどちらかですね
感じている間は腹も立ちます わかって貰えないもどかしさ
わかってしまえばどう問題解決するか 善悪詮議ではなくて
幸せを祝福しよう 幸せに祝福されるから 幸せになろうね
【感謝】
一切の苦がなくなりつつある。そのような気がしてきた。苦がないというのは、例えば病気をして入院生活を強いられたとしても苦がないのである。そしてこの度、あるところで見つけ、確信に至ったところによると、世の中ではマーフィも心の持ち様をいうけれど、そうした曖昧な方法ではなく、もっと確実な方法があるということである。どういう事だろうね。試してみる価値がありそうである。どのような成功論あるいは幸福論を読んでも納得できないところがあった。それは解る人は解るが、解らない人は永遠に解らない。解っても現実は変わらない。それに対して、解ろうが解るまいが、あることを方法として実践すれば、必ず幸せになれるとしたなら、これこそ究極の幸福論である。現実が変わる結果がなければ真実ではない。それを見つけた。この11月より3ヶ月間、集中徹底的に身を運んでわかった。これは間違いない。この世に生まれて此処に導かれていた。今となってはあらゆるところに此処への道標があった。そして無意識にそれを選び、それへの読書傾向があった。柔な本は読んでいない。しかし今、お金はない。これが問題であるが、それも条件であるらしい。さて、小学校の頃を想い出す。家庭科教室には正しい服装と乱れた服装の写真が額に入れられて教室の後ろの出入り口の近くにある黒板の上に掲げられていた。モデルは私だった。正しい服装の片方の靴下がたるんでいた。ある時バイクに乗っていた。一台のバイクを追い抜いた。すると同じように別のバイクに追い抜かれた。何かにつけてそのようであった。不思議な体験が多い。その多くは謝るべきモノだった。私は生まれながらにどういう宿命だったのか。それを恨んだこともある。自分をも壊した。祖父の姿を想い出す。見て見ぬふりをしていた。しかしお見抜きお見通しだったのだろう。通らねばならぬ道だった。途中迷わされた。優柔不断の時代が長かった。自信を失っていた。しかし、何時か気づかねばならない。代々の掟である。その時が来た。宣言しおく。私こそ私だった。父もそうだった。祖父もそうだった。尊祖父の肖像は私が持っている。もはや大丈夫である。未来は明るい。十分に教育された。自ら学習もした。法律専門書と禅籍も渉猟している。すべての先生方に感謝申し上げる。これよりである。古来大和の秘密は解いた。属性を要する。自覚を要する。天が証明する。秘密とは時が来れば明かされる。準備は調った。大和発進!一つの時代が終わった。終わりは終わりではなく始まりである。この時が来なければならなかった。それは昭和50年のはずだった。しかし運命の悪戯があった。代々の使命を果たす。父もそうだった。これよりこれまでの身勝手は一切通らない。一箇が着任した。どういうことか。日本国憲法プログラム規定が成就した。天皇は日本国及び日本国民統合の象徴であり、主権は在民である。平和主義は原爆より学んだ人類の歴史的所産である。広島駅新幹線口が再開発されている。何処の建設会社のJVであるか気になった。竹中工務店だった。大林組JVは広島駅の表の再開発だった。就職活動をした頃を想い出す。広島ですればいいものを大阪でした。それはそれで面白かった。しかし今、私は路頭に迷っている。粗末にされた本来日本秩序を取り戻す。そのようなことがあるだろうか。あるから不思議である。もう、戦はしたくない。本懐である。彼はいった。彼を本気にさせない方が良い。どういう事だろうね。知らなかったね。眠らされていただけだよ。奪ったモノは奪われる。何を奪ったのか。尊敬と信頼である。あるいは謙虚さと敬虔である。とりもどすべきはそれだ。本来日本が目指していた諸価値だ。戦後、完全に破壊された。全共闘もその例外ではなかった。目標は明確に定まった。これにて日本の未来は明るい。その他は調っている。本来日本さざれ石。ところで、日本の総理は総理である。國の代表である。この度の日米首脳会談に対して内容がないなどというは、招いたオバマ大統領に対して失礼ではないか。そうまでして権力闘争であるか。選ぶべき攻撃防御。
とりもどす本来日本諸価値かな明るき未来遙かな希望
2009年02月24日
【素直さ】
素直さをとらえて自由我を知る一切不安あることなけん
笑顔にてとりもどしたる人生を素直に生きて幸せ確か
素直こそ幸せ開く鍵だったこの世開けて疑惑なからん
真実はこれほどまでにやさしくて一人で生きることはできぬを
この世をばこれほどまでに幸せを神仏御守護ありがたきかな
雨降るも静かなるかな絹の如春は近しと清めているか
何時の世もかくのごとくかそれ故に祖先大徳みつけて歩む
迷えども何時しか至る大和かな日本の心とりもどし居る
これこそは本来大和疑えじ神代の國は今もありなむ
忘れ越し幾時代かがありましたされども定め櫻咲くなり
風神も雷神います大和かな目覚めて定む花の咲く頃
大風をなだめて鎮むちからある古来大和は偉大なるかな
雷を呼ぶことあるか風雲の急を告げたる頃もありたる
前世をば知らずに勝手この世かな何時しか帰る何処へ帰るぞ
本来の日本は如何な國なるか何時しか芽吹く根絶やしはなし
何時までも身勝手通る訳のなしこの世浮かれて報い必定
覚悟あり身心清浄正直のとりもどすべき舌切り雀
何もかも商人化しておかしくて素直さだけで黄泉の守護ある
何したる本来日本滅せずを眠れし種は芽吹く頃かも
素直さをとりもどしたる人生を天に報告一人祝杯
大和なる秘密は此処に開示さる天女喜ぶ主権在民
素直さをとりもどすべき人生とこの世の使命確かなる日々
かくなるを我が使命と知る頃とこの世君が代浮上せしむる
秘密をば解き出でたるは櫻かな今宵静かな月も照らすか
謎解きて天の祝福黄泉の守護もはや日本は恒久平和
刃向かうも自由なりとぞいいおける黄泉を制する征夷大将軍
取り戻す本来大和の素直さを魑魅魍魎は帰るべき頃
春日なる天津國津の素直さを遙かに選ぶ永遠の愛
時至り一箇の自覚喜びて黄泉は動ける疎か能わず
終わりたる戦後の次の時代なり代々世世の務めを果たす
思うなし一切法空定めおく時代かくして秘密に開く
原点はしかと此処に定めおく本来大和正統日本
これほどの不思議人生乗り越えて何時しか帰る本来大和
秘密とは我が心の遍歴と大和導く照らす日月
2009年02月23日
【新たな展開】
新しいステージへ移行する頃となりました。何もかも自分次第と気づく頃となりました。そして神仏は実在します。この確かな事実に至りました。故に新しいステージです。いかなる展開となりますか、とても楽しみとするところです。終わりは終わりではなく始まりと教えて貰いました。思うようにならないとします。それも原因は自分にありました。思うようになるのでしょうか。それは何を思うのでしょうね。一人では生きてゆけない。みんな生きている。幸せに対して嫉妬はなかったでしょうか。幸せを祝福していたでしょうか。そのあたりの反省です。幸せを祝福すれば、それは自分に帰って来ます。このあたりに秘密がありそうです。批判的だったのは何故でしょうね。それも魔に着せられていたというべきだったのでした。何事も自分次第だったのです。大反省です。その意味で、本来の自分に戻る必要があります。求めていたモノは何だったのでしょうね。自分はどのような自分に成りたかったのでしょうか。謙虚さが足りなかったのも、愚かだったのも、怠惰な自分だったのです。このあたりから始めましょう。取り戻すべきは何だったのでしょうね。素直さでした。優柔不断だったのも、自信を失っていたのも、すべて自分だったのです。それを時代のせいにしていなかったでしょうか。何かが半分残っているとします。もう半分しか残っていないと思うのか、まだ半分も残っていると思うのか。使ってしまえばなくなるものがあります。使っても使ってもなくならないものがあります。この世に生まれて、何をするべきだったのでしょうか。己の過去からの悪を払拭して、新たな幸せへと向かう。前世はあり、来世はあるのでした。あらゆる能力もそれをして開花するのでした。そのように定められていたのです。これからです。とても楽しみです。複雑さからシンプルへ。それで十分に生きてゆけます。幸せは約束されていたのです。気づくまでが試練でした。今の自分で良いのです。どんなに障碍があったとしても。この世に生まれてきたのは、幸せになるためでした。生命は進化しています。幸せになりましょうね。幸せになって良いのです。この世は本当に素晴らしい世界です。乗り越える事が出来れば。何を乗り越えるのだったのでしょうか。それも自分でした。それが人生だったのでしょうか。負けないでね。「負けるな一茶、これにあり」。仏法は必ず勝ちます。王法は必ず儲けます。仏法は王法に合しました。王法は仏法に冥するのです。幸せになりましょうね。なれるのです。なって良いのです。自分次第です。「自分の前に道はない。自分の後に道は出来る。おお、自然よ。神よ」。天の祝福と黄泉の守護があります。自分次第です。彼はいっていました。日月照らし、風が吹く。美しい風景が待っている。好ましい人間関係が訪れる。やさしさに向かって良いんだよ。みんな待っている。決して裏切らないあなたを。故に未来は明るい。良い時代ですね。しかし、既に現金収入のない身となりました。その間、仏法の行をさせて頂きました。そして思うのです。自分次第です。生きてゆけます。小鳥にも日々の食は与えられています。自らの襟元には宝珠が埋め込まれています。信じるべき所です。自分次第です。生まれたからには必ず生きてゆけます。どのような大富豪も何度か路頭に迷っています。それからです。それからなのです。戦後という一つの時代が終わりました。
地獄にて涅槃に渡す大菩薩主権在民真実開示
2009年02月22日
【一つのエピローグ】
この世の真実は何だったのか。それも明らかとなった今、それだけでは生きてゆけない事にも気づいた。人間はパンのみに生きるに非ず。しかしパンを食べなくては生きてゆけない。バランスを欠いていたようだ。仏法に対して王法がある。如何に幸せに生きていくべきか。理論だけでは幸せになれない。しかし、理論を究める方が楽ではあろう。それを見つけるは至難であるとしても。そして確かな事実としてそれ掴んだなら、もう迷いはないね。そろそろこのブログも完結の頃となった。一つ課題を解いて次の課題が来る。 エピローグの頃となった。何度目だろうね。次にするべきは何か。『十牛図』がある。第八図で無となる。第九図で自然の意味を知る。第十図は何か。現実回帰だね。つまり日常に帰ってくる。自己実現のプロセスだった。長い旅だった。孤独三十有余年。このような人生もある。自分を見つける旅だった。何が大切だったのか。見つける事が出来た。これからだね。良い時代だね。謳歌しようね。仲間は見えている。見守ってくれていた。ありがとう。自分を取り戻せたような気がする。年齢は関係ないね。何時までも若さこそエネルギーだね。これからもよろしく。自分が自分である事。それだけで良い。素直さを取り戻そう。そして一歩を踏み出す。それで良いんだね。みんな生きている。夢を持っている。それを大切にしよう。これで生きてゆけるね。明るく。
【迷いは晴れて】
降りたくば 雨も降るなり 春近し 迷いは晴れて 道は開ける
世の中を 火宅なるをと 知りぬれば 惑う日々をば 遠くにしける
大和なる 心ここにぞ 確かめて 一切不安 もとはなかるを
骨抜きの 占領政策 テレビ界 罪を暴いて 未来明るし
しばらくは 何の蔓延る この世かな これより一切 邪魔あるなし
本来の 大和の心 也鉄槌 欺罔暴力 自滅するなり
天津神 國津神をも 驚かす 目覚めて臨む 春風の頃
孤独なる 務めの重荷 ほどく頃 遙かな未来 永遠の謎
約束の 務め果たして 自由かな この世に生まれ 夢を叶える
かくまでは ゆるされざるを 知る頃と 世間身勝手 もはや通らず
宿命の 謎解き開く 真実は 本来大和 滅し給わず
究極の 真実此処に 確定す 新たな時代 これより始む
代々の 務め果たして 父を知る 思い出すべき 祖父の光る目
秘密とは 代々伝う 心かな 螺鈿の槍と 無名扁額
自己利益 商人支配 本末転倒 統治行政 一致協力
存在の 重きを知りて ゆるされる 我は何者 一箇の自覚
もはや知る 先祖代々 務め有り 大和の掟 違うことなし
しばらくは 身勝手通る 何故ぞ これより定む 掟あるらん
万軍の 主は来たりて 号令す 全軍出動 黄泉は動けり
仮の世の 謎解き終わり 朝日射す 正鵠出でて 時をぞ告げる
声聞かば 心のすべて 顕れる 己を知れば この世天国
怨むなし 真実ここに 開示する これより向かう 皆の幸せ
開闢の 頃となりぬる 何故ぞ 本命開花 大和復活
一切の 身心清浄 大和かな 欺罔商人 滅びる頃成る
この世をば 何と認める 君が代と その義遙かに 顕在せしむ
一切の 疑惑の晴れて 春風の 吹く頃来る 満開の花
古来より 卑弥呼の系譜 大和かな 邪馬台国も 正統日本
埋没も 余儀なくされし 戦後かな しかして芽吹く 種は遺れる
浮かれたる 腐敗堕落を 人生と 思う事なし 未来明るし
宿命の 務め果たして 確定す 本来大和 美しき日本
日本とは 本来神国 知らずして 勝手し来る 報いある頃
一切の 極悪企業 懺悔有り 縁起のわろき 利益還元
時来たり 一切精算 戦後かな 未来へ向かう 大和発進
民主主義 認めて居らぬ 世襲制 政治行政 何時より錯誤
我こそぞ 都の辰巳 鹿ぞ住む 余を宇治山と 黄泉はいふなり
これよりは 一切空言 通るなし 代々務め しかと果たせる
黄泉の守護 天の祝福 如何ならむ 日月照らし 風は吹くかも
火裏蓮の 人生歩む その先は 何を観るらむ 世間得知らず
焼け野原 見下ろし舞うは フェニックス 己の悪を 焼き尽くして後
武士道は 死ぬ事なり と見つけたる その義知らずに 揶揄する愚か
本来の 日本をしかと 取りもどす 親を怨んで 何の幸せ
しこうして 流れは変わる これよりぞ 遙かに臨む 未来幸せ
一切の 商人根性 これよりは 己の分際 尽くすべき頃
生まれたる 精神開花 一大事 時のかかるも 何時か至れる
容赦なし 一切諸悪 滅尽す テレビ界をも 含みおきたり
【幸せとは】
何故この世に生まれたのだったか。幸せになるためだった。幸せとは何だったのか。やがて帰る。何処へ帰るのか。胸を張って帰れるだろうか。この世の旅がある。何処を旅したのだったか。この世で得たモノは何だったか。何を見たか。何を確認したのか。悔いはない。十分楽しかった。やはり、私は私だった。謎は解いた。それは何だったか。裏ジャック。黄泉を制する征夷大将軍。この世は素晴らしい。邪魔があった。もはや邪魔させはしない。天の祝福黄泉の守護。風神雷神。世をたたき直す。特殊潜航本来日本浮上。仏は誉め奉るべし。神は畏るるべし。何を裏切ったか。何を愚弄無視したか。何を粗末にしたのか。テレビ界の罪、もはや明らかである。言い逃れはない。世を衆愚に導いた。処したる人生処断ある。何し来たる哉。戦後の反動があった。もういいだろう。愚かな時代だった。本来日本の知性が復活する。十分に反省して。すべては準備されていた。ある自覚のために。それは一箇の開花だった。春は近い。日本国憲法はプログラム規定だった。その真義は何だったのだろう。誰も知らない。歴史的所産である。この世のすべてがヒントである。幸せとは何だったのか。自分が自分となることだった。すべてよし。良い時代となる。神仏はいる。彼はいった。この世をたたき直す。どういう意味だろうね。その力を得たのだろうか。確認済みだという。本来日本の底力だという。それは何だろう。風神雷神。アメリカの占領政策は終わった。骨抜きはない。根絶やしもない。頼朝は伊豆に流されていた。原爆のターゲットが廣島だったのは正しい。彼の指摘するところである。花は何処へ。種は遺されていた。何時か芽吹く。テレビ界は何をしたのか。これより明らかとなる。
2009年02月20日
【メンターについて】
しばらくマーフィ理論を研究していました。それも理解できたようです。しかし何かが足りません。それは何でしょうか。理論は解っても、それを実践することの現実的難しさがあります。潜在意識そのものがとても曖昧です。これだけではね。そして訳本としての言葉の限界があります。祈りとしての例文が日本人として馴染めない。魂に入ってこない。次にもっと今の私達にとって良いと思われる本を見つけました。読み始めたところです。それは中経出版刊、秋田稲美著『メンターに出会えば道は開ける』です。道元禅師の『正法眼蔵』がもとにあるのが面白いですね。いろいろとヒントになるところがあります。先行きの見えない中、不安に苛まれている人の精神的サポートが必要な時代となりました。本来不安はないのです。あると思う自分があるからある。どうしてあるのでしょうね。本音は何処にあるのでしょうか。自分は何を求めているのでしょうか。それを見つめると不安の問題は解決します。自信がないですね。大丈夫です。今のあなたで十分に生きてゆけます。それに気づくことです。本来不安も恐怖もありません。どのようにしたらそれに気づけるのでしょうね。身を以て経験することです。少しの勇気で一歩踏み出すことです。そして気づくのです。この一歩が踏み出せませんね。踏み出してみませんか。それが大死一番です。心が決まれば何事も大丈夫です。心だったのです。そのためには何が必要でしょうか。それが本来武士道です。身心清浄及び正直です。それが大和魂でした。試してみませんか。本来日本の属性です。何時か失われていました。卑怯怯懦欲得商人根性では不安です。想い出しませんか。取り戻しませんか。本来日本を。そして世界の中で活躍しましょう。真実のメンターはどのような存在でしょうか。その人の思念及び行動が現実に回帰する存在がいるとします。唯、善と動く場合と悪と動く場合があります。善と動いて真実のメンターです。それを神といってもいいのかも知れません。悪と動けば魔でしょうか。そうした力もあるのです。それで、新井白石の著作には『鬼神論』というのがあるのでしょうか。こうした内容は今、忘れ去られている諸価値の一つです。本来日本にそれがありました。文明開化は西洋化でした。それはそれでよかったのです。和洋折衷でした。しかし今、本来の日本の諸価値を悉く一笑に付していませんか。どちらが本当の幸せに導くのでしょうか。検討するべき頃となりました。相手によって認知されなければ価値ではないと思っていませんか。相手によって認知されなくてもそうした存在がいます。大自然の法則もすべてが科学的に認知されているわけではありません。そのあたりに対してもっと謙虚になるべきです。刹那的で逃避的に過ぎないお笑いでは至れない絶対の喜び世界があります。そうした真実の世界を壊すのはもう止めにしましょう。最先端の自覚です。
2009年02月19日
【見えてきたのかも知れない】
人生とは何だったのか。この世に生まれた意味は何だったのか。見えてきたのかも知れない。一を聞いて十を知る者でなければ禅は授けられぬといったのは山田無文老師だった。それにしては、この世の中、ずいぶんと勝手している。それも確かだ。一度はよくなったと見えても亦悪くなる。それが問題だと指摘する方もいる。さて、人間としての幸せは何処にあったのだろう。『僕たちの失敗』という小説もあったような気がする。しかし今更ながら、人間というのは残酷であり、嫉妬深い。無意識の裡に自らの生存を優先する。少しでもそれを脅かされるようであれば容赦ない。相手を貶める。だけどね、一休髑髏は真実だよ。どういうことだろうね。それを自覚したら勝負ありである。どういうことだろうね。知る者はあるのだろうか。不安はない。恐怖もない。そうした境地は本当にある。至る試練は残酷だとしても。何時か来る。喜びの時が。何を自覚するのだろうね。いえば不遜だ。しかし事実である。属性のない者には永遠に謎だ。そしてその時が来る。トランプでいえば51である。どうするのだろうね。持っているモノは皆出てくる。裁きの時かも知れない。この世の人生と前世からの罪が裁かれるのだろうか。そのような時もあるのだったか。観念するしかない。あまりにも愚かだった。救いはあると彼はいっていた。彼は何を見つけているのだろうね。冗談かと思っていた。そうでもないようだ。彼の読書遍歴及び歩んだ人生は想像を絶しているのかも知れない。十九の春は何だったのか。そして何を見つけたのだろうね。真実は神仏の実在だといっていた。これより明らかとなるという。どういうことだろうね。それにしても勝手が過ぎた。何を粗末にしたのか。本来日本が何時までも黙っていない。父を知っている。祖父を知っている。彼の失われた人生がある。無駄かと思われた。そうでもなかった。枯れ木に花が咲くというのか。取り戻すという。取り戻せるだろうか。勢至菩薩。己を自覚した彼を本気にさせない方が良い。勝負にならない。実相がなければ信じない。それが人間である。彼は自覚した。自覚したからには此処までである。この世の使命があった。それは何だったか。それは果たしたという。誰も知らない。神仏は知っている。トラトラトラ。御前会議。何時までも無視できない。本来日本に秘密がある。螺鈿の槍。無名の扁額。花は何処へ。頼朝は伊豆に流されていた。義経は討伐された。征夷大将軍は頼朝だった。征夷大将軍の要件は何か。大義名分神風の吹く。第二次世界大戦では神風は吹かなかった。何故吹かなかったのか。大義がなかった。本来大和の戦ではなかった。文明開化としての戦争だった。その頃の大和魂が大和魂ではない。大義とは何だったのか。祖先総体の受容祝福だった。その後何が蔓延ったか。履き違えた自由だった。秩序を壊した。芸能人は自由をいう。それを自由とはいわせない。現代世界は国家なくして自由はない。民主主義は社会契約を前提とする。民主主義は権力の世襲を予定していない。既に市民革命があった。奴隷解放もあった。女性解放もあった。しかし教育は何を作っていたのか。資本家にとって都合のよい労働者だった。権力はそれと結託した。今に金権選挙である。何をしているのだ。何をしてきたのか。行政の民法化があった。そこまではよかった。行政が商人根性になってどうするのか。テレビ界の罪は重い。民を衆愚に導いた。それで財を成したは言語道断。秘密開示。本来日本は神国である。日本史学者の知るところではない。遺跡は何故その時に発見されるのか。知らしめるためである。何を知らしめるのか。天は知っている。知る者は知っている。さて、どうするのだろうね。そろそろ回答していただこう。日本をどちらの方へ導くのか。商人的権力抗争の頃ではない。一致協力さざれ石である。下手な議論は通らなくなった。精神のない浮かれた人生に用はない。夢はあるか。希望はあるか。諸価値を破壊し貶める自己利益追求主義者及び腐敗堕落吹聴者は表舞台より去るべし。鉄槌が下る。本来日本は美しい精神の國である。身心清浄及び正直を以て旨とする。武士は食わねど高楊枝。本来日本は滅し給わず。復活である。日本は唯一被爆国である。それ故に現代戦争の不毛と無価値を知った。平和を学んだ。日本国憲法は歴史的所産である。子供たちの未来の夢は何か。血を流すことなく平和裡に暮らすことである。生命の目的がそこにある。市民革命も名誉革命を通った。江戸無血開城もあった。日本はそれを知っている。真剣に考えるべき時が来た。商人支配は終わった。新しい時代だ。見えてきたのかも知れない。未来は明るい。
2009年02月15日
【本当の喜び】
何もかも解決したのだろうか。そのような気がしてきた。何が問題だったのだろう。自分自身だった。アンドリュー・ カーネギー氏の成功理論があった。その核心は明確な目標設定と人格形成(特に感情のコントロール)だった。そしてマーフィの潜在意識がある。素直になれるかどうか。それが一番の問題だった。この世は生きるに値する。生まれてよかった。喜びはある。本当の喜びは何だったのだろう。自分が自分になることだった。苦しんだね。困ったね。三十有余年。その謎が解けたのだろうか。それは何だったのだろう。能力があっても発揮できない理由があったね。すべて自分自身の問題だった。現実回帰生還本命復帰合流。
仲良くすること、楽しくすること、幸せであること、すべて、気持ちの問題だった。昔の物語に書いてあったように。21世紀は、ハードからソフトへ、すべてが移行していく。正直さでいることで、神様からも、仏様からも、諸精霊様からも、心から祝福される時代でありますように。魂としてのDNAが進化して、清浄さの故の箱船に、みんな乗れるといい、と思う。きっと美しくなれるから。http://www.pc-kure.net/GSWL/GSWN3.html
寒い冬、あたたかいのがごちそうと、さりげなく言う君の、いくつもの季節を経りし故のこと。かつて日本はやさしさに向かって咲く花のようであった、と辻邦夫が書いていた。心の周波数が、やさしさで共鳴するとき、幸せな世界が、昼下がりの、のどかな、おだやかな、たおやかな、さざ波の上の光の子たちの、舞う水面にうつる、それはある日あの時のあの海に、青さと浜の、寄せる波音、そしてremembrance (That's happy days.)。
「長い冬でしたね。寒くはなかったですか。」
鈴木大拙『信仰の確立』
「存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。」
ヘッセ『内面への道』
内面への道を見つけたものには
燃える自己沈潜の中で かつて
自分の心が 神と世界を ただ
形象 比喩として 選ぶのを
知恵の核心をおぼろに感じたものには
すべての行為と思考が
世界と神を含んでいる
自分の魂との対話になる
ブレ-ク
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず
2009年02月14日
【批判及び否定的思考からの自由】
法諺に「罪を憎んで人を憎まず」とあります。刑法では「引き返すべき黄金の橋が常に架かっている」とします。敢えてその橋を越えて実行に移した場合、犯罪となるのです。着手すれば既遂未遂を問いません。自首は官憲に発覚する前の事です。発覚した後の自首はそれだけでは減刑事由となりません。未遂も犯罪です。亦、憲法十三条には幸福追求権が保障されています。一般的規定であり、個々の憲法条文では保障されていない法の保護に価する一切の自由を受け皿として保障しています。経済的自由は絶対的に保障されているのではありません。公共の福祉という概念があります。思想及び良心並びに信教及び信条の自由は絶対です。さて、法華経では「人間自ら出ずること能わず」とあります。何から出ることができないのでしょうね。六道輪廻です。そして「唯、善業の因縁より出でたり」とあります。解脱涅槃です。善は仏さんの所にしかないといわれています。これまで色々と批判及び否定めいた事を記しました。テレビ界とお笑いに対して。それも取り消すべき頃となりました。皆、一生懸命に生きている。しかし人間である限り、罪を犯す。悪を為す。刑法にある犯罪だけではありません。生きていく事自体、他の生命を頂いている。それについては、正当化するしかありません。戦争もしてきたのです。それ故に、仕返しが来ます。それも大自然の法則でした。諸精霊もいれば、魔もいます。それより自ら逃れる事はできないのです。解結はあるのでしょうか。あると彼はいっていました。そして自分の困苦の原因は何処にあるのでしょうね。社会ではないのです。他人でもない。すべて自分自身に原因があるのです。それも世代を超えて過去に原因があるものもあります。それもハッキリとしました。それ故に、もう批判及び否定めいた事はいわない。いう暇がないともいえます。今ある諸々の問題をどう解決するか。その方法はあるのでしょうか。あるなら、それを実行すればいいですね。それは何だったのでしょうね。それはあるのです。彼はいっていました。真実は神仏の実在だった。神仏もあるのです。しばらく忘れていました。取りもどす頃です。あるいは思い出す頃です。むしろ愚弄しました。あるいは粗末にした。それでどうにもならなくなりました。世の中をよくするとはどういう事でしょうね。個々の人間がその心を変える事です。しばらく間違っていたのです。それが自己利益追求商人根性だったのではないでしょうか。西洋より学んだ合理主義です。本来日本にそれはなかった。あったのは本来武士道だった。あるいは滅私奉公であり則天去私だった。どちらが幸せに近いでしょうね。考えるべき頃となりました。人間である限り罪を犯します。仏法では三毒として、貪る事、怒る事、知らない事をいいます。それを認めるべきだったのです。何事も原因と結果があります。何が原因だったのでしょうか。事象を分析すると、原因がわかります。原因がわかれば解決はあります。方法は見つかります。自分次第だったのです。繁栄も没落も。自分のためにしない事です。自己利益追求主義が猛反省の頃となりました。それから、ルソーの『エミール』はしばらく教育界では憲法のようでした。しかし、ルソーは各地を遍歴しているのですが、何人か私生児をのこしています。それで教育的だったのかどうか。ロダンの考える人の姿勢が考える人のそれなのかどうか。背筋の伸びた勢いのある姿勢が要るのではないでしょうか。そしてとろんとした目ではなく、きらきら輝く目と。それが本来日本の武士の属性でした。このまま腐敗したくないのです。取りもどせばいいのです。思い出せばいい。本来日本にそれはありました。真面目と正直もありました。武士は町人より貧しかった。しかし町人は武士に憧れ、尊敬もしていました。 今、それがなくなりました。謙虚さも敬虔も。
自分のためにしない。何もかも方向転換の頃だね。しばらく知性も怠惰だった。詐欺と暴力が横行している。やさしさとおだやかさ。そしてのどかさ。そうした中で、自分の能力を最大限に生かして、この世を豊かに幸せに生きていく。物質的貧しさは克服された。これからは精神的貧しさを克服しよう。それは心であり、魂であるね。21世紀、誰もがそれを考える。愚かさからの脱却。本当に幸せであるとはどういう事だったのだろう。身も心も健康であることから始まる。鬱病の方が多い。真面目な自分自身が生きてゆけないのではないか。自信を失った。自分自身と現実とのギャップに苦しんでいる。それぞれ十全に開花する。それを阻害するのは何だろう。「強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない」。誰もが幸せになることを考えよう。自分の事は後にする。自分のためにしない。それだけで随分と進歩する。殺戮が殺戮を呼ぶ世は終わる。終わらさなければならない。殺戮の連鎖を断ち切る。それも知性の仕事なのだろう。彼はいっていた。やさしくなっていいんだよ。今の君で十分だよ。みんなの幸せを考えよう。みんなの役に立つ、意味のある人生を生きよう。そこに喜びがある。必ず幸せになれる。学ぶことは大切だよ。学校教育は価値がある。自己利益追求から新しい時代の価値を創造しよう。そういう時だね。時は来た。あるいは満ちた。自分を語る前に、考えるべき事がある。パスカルはいった。「人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る」。大自然の前に無力な人間存在である。自然が猛威をふるえば、神仏に頼るしかない。神仏の守護はある。守護して貰うにはどのような自分であるべきか。取るに足りない存在に見える人間が、亦、万物の霊長である。それも確かな事実だ。それを知る者にとって。誰もが己の無力と偉大さを認識する。その時、謙虚さと無限の勇気となる。そこに二十一世紀の意味がある。そして始めて人類は幸福となる。一部の者が幸福になっただけでは幸福ではない。誰もが幸福になって幸福である。強い者は弱い者を助ける。富裕者は貧困層を援助する。故に強い。故にお金持ちである。尊敬と謙虚と敬虔を取り戻そう。本来善も悪もない。人間行為が介在して善とも悪とも成る。何もかも縁にふれて始終成壊する。誰もが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。自分が変わっていくしかない。批判及び否定的思考から自由となろう。よく学んで愚かさから脱却しよう。それが悲しさから喜びへ至る道だね。人生は素晴らしい。生まれてよかった。きっとそう思える時が来る。その時、美しい風景が待っている。日月照らし、風が吹く。やさしく好ましい人間関係が訪れる。この世はすべて自分次第だった。これまでの自分を大死する。そして新しい人生が始まる。アンネは絶望の中で夢と希望を失わなかった。それで生きることが出来た。夢と希望は何か。全体幸福。本来豊かで穏やかだった。大自然の中で幸せに生きてゆける。人間行為が大自然のバランスを壊した。自己利益追求がそれだった。もとに戻すのも人間である。その力は賦与されている。万物の霊長とするところである。蓄積された英知と技術がある。それを学んで、自分のものとし、総動員の頃となった。愚かさからの自由である。それが庶民の解放だったのだろう。庶民の解放は旧約聖書に秘められていた。その目的だった。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る。庶民とは善良な消費者だった。主権在民の意味するところである。国会議員と雖も特別職公務員である。公務員は公僕である。仕える身である。権力の当事者ではない。仕えるとはどういう事か。下僕として仕事する。それがサービスだった。仕え合う。謙虚に。皆が幸せになる。自分も幸せである。この世で魂を磨いて持って生まれた自分の悪を払拭する。身心清浄、神仏を知る。そのために生まれていた。そして帰る。何処に帰るのだろうね。大宇宙に帰る。西洋にこうした概念はない。東洋にそれはある。想い出す頃である。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。本来日本は神国だった。シャーマンの國だった。自分のために祈るのではない。聖徳太子はそれを知っていた。空海も知っていた。本来日本はどういう國だったのか。何を目指していたか。辻邦生氏は書いていた。「かつて日本はやさしさに向かって咲く花のようだった」。この世に生まれて意味がある。それは自己人格形成だった。野蛮からの進化だった。過去からの自由だった。本来日本にそれはある。明るい未来が見えている。人生は孤独と見える。悲しみと思える。何故だろうね。本来そうではなかった。諸人共に幸せとなって幸せである。それを考える。本来の自分に帰る頃である。自分は何を求めているのか。素直になるべきは自分自身に対してである。その意味でタブーを乗り越える。本当の自由がある。何をしても良い。楽しめば良い。楽しむことが出来る。相対的に自分の現実を他者と比べるから悲しい。絶対の喜びがある。神仏に受容祝福されて。大自然の恵みを感じて。風のやさしさを知るだろう。太陽のあたたかさを知るだろう。その時に幸せである。自分のためにしないことで至ることが出来る。誰もが至ることが出来る。それが二十一世紀の約束だった。彼はいった。幸せになろうね。それはある。皆幸せになって良い。なれる。自分が変わることから始まる。幸せの方へ。どう生きるべきか。何を成すべきか。考えるべき事がある。思うままに生きることが出来る。幸不幸はすべて自分次第だった。始まりは心だった。目に見えるモノしか信じられない。体験がなければ解らない。夢と希望はまだ来ていない理想だね。それは実現する。やがて帰る。何処へ帰るのだろうね。永遠に帰る。それは完全無欠。無漏ともいう。それはある。ないと思っている。だけど、真実は永遠完全無欠だった。自分は知らない。それでそれはないと思う。一番になったことがない者に一番は解らない。山頂から見える景色は山頂に立った者しか知らない。それを認めて謙虚さも生まれてくる。失われた尊敬もある。取り戻すべきは何か。夢とするべきは何か。知性を要する。自分より上は見えない。わからないことを以て否定できない。粗末にしてはならないものがある。祖先もそうだった。あらゆる命がそうだった。忘れていた。自己利益追求の故に。想い出す頃である。取り戻す頃である。本来日本にそれはあった。それが大和魂だった。戦時中の大和魂が大和魂ではない。現在世の中、国家なくして自由はない。本来日本を取り戻して世界の中で重要な使命がある。日本は本来知性の國である。精神国家である。それが日本だった。鉱物資源がないのはその意味だった。日本は今も昔も黄金の國である。戦後履き違えた自由があった。現代民主国家には自由の一部を差し出した社会契約がある。それが現代社会における秩序である。それを無視した自由が本来日本の受忍限度を超えた。 全共闘の思想もその例外ではなかった。本来日本を取り戻す。それはあらゆる秩序の回復である。親は大切にする。師長には礼儀を尽くす。知性は尊敬する。何か勘違いしていた。知る者は知っている。しかし知る者の怠惰もあった。象牙の塔の中で安穏を貪った。
2009年02月13日
【無上大チャンスとしての金融危機】
諦めないことだね。何時か至る。何処に至るのだろうね。「悲しい歌しか作れない」という歌もあった。大塚博堂だった。本来の自分に帰る。帰ることが出来ると良いね。この人生で何をするのだったか。四聖、何するものぞ。孔子は周を理想とした。しかし実践の場はついに得られなかった。仏は教えを説いた。一切大衆が救われる究極の教えはさらに時を待たねばならなかった。ソクラテスは毒杯を仰いだ。キリストは磔となった。どちらも時の権力階層の好むところでなかった。預言者はそれに気づいていたか。真実を語ることの恐ろしさがそこにある。しかし時が来た。同じ轍は踏めない。真実開花する時である。それほどまでに腐敗した。蓮は泥に咲く。咲けば良い。救いが求められている。処したる人生がある。知らずに罪を犯している。身心清浄及び正直を以て知るところがある。身心清浄は本来武士道だった。商人根性では解らない。商人根性は明治以降のことだった。西洋化を文明開化として廃仏毀釈もあった。正直者の頭に神は宿る。神とは何だったのか。触らぬ神に祟りなし。神を直接間接害しないことである。それが彼のいう一休髑髏ご用心だった。風神雷神。神はいる。仏もいる。それを知らないことを以て愚弄した。現代のお笑いがそれである。テレビ界は安易に迎合した。そして社会はどうにもならなくなった。この度の金融危機の損失は測り知れない。初めて京に達したのではないかともいわれている。公の発表は大本営発表に過ぎないのだろうか。論者によると、一面焼け野原だという。戦後に等しい。六十年来の年功序列は終わった。正社員というだけで給与保障はもはやあり得ない。真の個人の能力が問われる。それは磨き抜かれた魂を基礎とする能力である。それが正当な評価を得る時代となった。知性に対する正当な対価報酬が約束された。時代はそのように動く。今までそれはなかった。内実を伴わない給与保障があった。お笑い的流行印税こそ成功かと思われた。それが問われる。問題はこの処したる人生である。裁かれる。あるいは評価される。年齢は関係なくなった。気づいた時が若さである。時を要する。勘違いがあった。履き違えた自由があった。本来の自分を取り戻す。そして始まる。何が始まるのだろう。これからである。愚かなブームの時代は終わった。浮かれていた方々は不安疑惑から逃れられない。お金だけを目的とした方々もである。その意味では、正社員というだけで給与保障されていた方々も競争力を失った。一歩会社を出ると思い知る。そういう時代である。それは実力を涵養した方にとって無上のチャンスである。大企業も倒産する時代を迎えた。恐竜が滅んだ頃に等しい大変化である。新しい時代をどう迎えるか。希望はあるか。夢はあるか。今を心底笑顔で楽しむことが出来るか。一朝一夕には獲得できない能力がある。既にその能力を開発している方々は幸いである。
2009年02月12日
【方向転換】
さて、仏がいるとします。仏は完全無比無欠無上であり、それを無漏ともいって、苦のない状態であるとします。そしてその教えがあるとします。それに対して人間はどうでしょうか。良いところもあれば、悪いところもあります。そして往々にして悪い結果として帰結します。人間である限り、悪いところがあるからです。どうして悪い結果となるのでしょうね。人間だからです。それをむしろ人生として正当化します。それが大人であり、人生だと思う。そして腐敗堕落する。それで良いのかどうか。考えるべき時が来たのかも知れません。本来日本には仏道を目指す傾向がありました。家康の旗印も厭離穢土だった。それが大義名分とも成った。征夷大将軍の要件でもありました。そして知性を好む。それで愚かさは不評だった。しかし今、愚かさこそむしろ価値と思われる。それで良いのかどうか。いつの間にか世は腐敗してしまいました。故に時が来たのでしょうか。明治の文明開化は何だったのでしょうね。戦後は何だったのでしょうか。文明開化は西洋化を急ぐことでした。戦後自由を履き違えた。そしてどうなったのでしょう。西洋思想は19世紀にある意味で没落していた。それを考えようともしなかった。滅私奉公がありました。則天去私もありました。今はそれらの価値は一笑に付されてしまいました。それが衆愚であり、メディアの好むところです。自分のためにする。あるいは自己利益追求。それが諸々の悪の原因と気づく頃となりました。世の財閥もその例外ではありません。貪りすぎたのです。自分さえよければいいとするその思想こそ滅びへの道だったのです。このあたりで方向転換です。難しいことではありません。本来日本の目指していた道があります。その道に帰ればいいですね。喜びがある。悲しい眼をしたお笑いではない。取り戻すべきは何でしょう。喜びですね。喜びの歌です。やがてベートーベンも至り着いた世界です。それはあるのです。何処にあるのでしょうか。仏の教えがあるとします。それを一歩も外に出ない。その時、喜びがあるのでしょうか。自分のためにする。それはどういう事だったのでしょうか。人間のレベルにとどまるのか。それよりさらに上昇するのか。人間である限り悪がある。それを正当化するのをやめませんか。それをテレビ界に申し上げたい。上求菩提、下化衆生。自分はより高きを目指す。大衆を導く。自分を語らない。その時、教えの中にいるのでしょうか。面白くなりました。幸せはあるのです。何処にあるのでしょうね。探しませんか。本当の幸せを。その時が来ました。お金ではなかったのです。しかしお金でした。お金自体は悪くない。とても大きな力を持っている。それを正しく集めて、正しく使えばいい。ところが世の中どうなりましたか。安易な成功理論が蔓延りました。そして詐欺が横行する。取引行為は多少の欺罔を含みます。それが一人歩きしたのです。世の中を変えることも出来るのです。はじめは無駄かと思われます。そうでもありません。信じることが出来ますか。自分自身を。信じられないことを以て否定しましたね。あるいは愚弄無視しました。そして迷うのです。迷いを払拭しませんか。そして教えの中にいる。明るい未来が見えています。それが生命体としての進化です。失敗はあっていい。それが反省の種となる。そして始まるのです。努力は必要だったのです。それが煉獄と見えても。火裏蓮だったのです。己の悪を焼き尽くす炎だったのです。そして新しい自分となるのです。それは持って生まれた本来の自分です。そうした価値は遅れて開花します。開花した時は遅い。勝負にならない。そのあたりを知るべき頃と成ったのでしょうか。道しるべはありました。それを見つける頃となりました。仏はいました。今もいます。そのあたりから始めませんか。本来日本にそれはありました。伏流です。知らなかったですね。忘れていました。探そうともしなかった。祖先がいるのです。仏もいるのです。神もいるのでしょうか。解脱ということがあります。苦のない世界への第一歩です。何を解脱するのでしょうね。よく解って逃れることが出来ます。何を解るのでしょうね。そのあたりから始めませんか。愚かな時代は去りました。何故に去ったのでしょうか。彼はいいます。一箇の自覚があった。一箇半箇を打ち出す。古来大和の秘密です。それが禅の目的でした。それで本来日本は禅を受容した。一箇の自覚疎かあたわず。一箇で良い。禅も在家禅となりました。ぼんやりと暮らしていませんか。悪の道を進んでいませんか。そしてどうなるのか。分析も必要です。そして原因がわかる。傾向より分析する。微分です。結果はどうでしょうね。積分ですね。何が蓄積されたのでしょうか。処したる人生があります。どのような花が咲きましたか。それぞれ種があります。どの種を蒔くのでしょう。愚かでは至れない世界があります。偽善は何時か不幸となります。勘違いでは至れません。思い上がりはもってのほかです。すべて自分に原因があります。己を語らない。自己利益追求ではない。本来空。良くも悪くもない。何をしているのでしょうね。何をしてきたのか。見直す頃です。愚かさからの脱却です。知性の復活です。社会に出て学校教育が役に立たないという考えがあります。それこそ問題ですね。役に立たなくて当然です。学校教育で何も得ていなかった。そしてそれを正当化した。そしてどうなったのでしょう。此処です。知性は力です。しかし知性が力となるには時を要します。もはや愚かさは罪となりました。反省の頃です。ゆるしはあります。三明六通八解脱。よく解って、神の力を得て、自由となる。それはあるのです。人間のさらなる可能性です。何処にあるのでしょう。探しませんか。方向転換です。二十一世紀の夢が見つかりました。何時か実現します。諦めないことです。それにも条件があります。何をするべきか。それより始めましょう。それはあります。必ず至ることが出来ます。新しい時代です。面舵一杯。
2009年02月09日
【幸せの種を蒔こう】
勘違いをしていた すべて自分が種を蒔いていた 争いの種だった 蒔けば何時か実が成る 自分に帰ってくる 当然だね 争いの種を蒔くのはもうやめよう 平和の種を蒔こうよ 幸せの種と共に 何時か自分に帰ってくる 楽しみだね 喜びはそれだった 本当の幸せって何だったのだろう 安らかな日常だね どのようにして到るのだろう それはできるのだろうか できると彼はいっていた 彼は自覚したという 何を自覚したのだろうね 生まれた時からそうだったという みくびったね あるいは愚弄した 知らない事を以て あるいは実相のない事を以て しかし実相を遙かに超えた何かがある 何時か時が来る 時は天 その時は遅い それはある 自覚を要する それまでが試練だったといっていた 何の事だろうね よくわからない
2009年02月06日
【人生の春】
身も心も切り替わることが大切だね
明るい日々も楽しい暮らしも自分次第だった
困ったことがあるね 苦しいこともある
それも乗り越えるべき試練だった
そして至る世界がある 美しい風景が待っている
それはあった 桃源郷
身も心も健やかで 明るくて 楽しい
明るきから明るきへ 未来を作る
日々の暮らしを楽しむ 暗い青春を通って
サナギの頃を通って 春が来る
この世に生まれて過去からの己の悪を払拭する
笑顔がこぼれる 気楽な人生 Take it easy !
愚かなお笑いではない カンニングでは至れない
年齢ではないよ 何時人生の春が来るか
それまでは堪え忍ぶことも必要だった 醜いアヒルの子
そして確かな自分を作るのだった
自信回復 エネルギー充填 エンジン全開 全速力前進
開発されたエネルギーとは思念力だった 日月照らし 風が吹く
それからだね 本当の素晴らしい無敵人生が始まる
最終最後最大の敵は自分自身だった
倒すべきはそれだった 21世紀最終戦争だった
天下取りは何だったのか 黄泉を制する
天の祝福 黄泉の守護 現代征夷大将軍 刃向かえはしない
知らなかったね 探そうともしなかった そして勝手したね
知らないことを以て否定した そしてどうなったのだろう
持って生まれた属性を要する 開発実験実証検証を要する
そして自覚を通って確信に至る 神秘が事実となる
怖れることなど何もない 不安も憂いも本来ない
あるのはそれも自分の蒔いた種だった
蒔かぬ種は生えぬ 悪の種は蒔かぬことだ
幽霊の正体見たり枯れ尾花
日々の思念と行為で自分が切り替わっていく
惑わされないでね 魂は常に進化する
自信は回復したかな 準備は調いましたか
お金のことなど気にしなくて良い 自殺なんかしないことだ
所詮守銭奴が勝手に決めたルールだよ 犠牲にならないように
本来利益あるところ損失がある
それがどうだろうね いつの間にか
利益あるところ利益あり 損失あるところ損失あり
欺罔はないか 勝手が過ぎないか テクニカルファールだね
思い上がりが甚だしい 本当の勝者は精神を獲得した者だ
かつては公地公民もあった 畏れを知らない 何処まで奪うのか
理不尽 神国日本の鉄槌が下るよ 天罰覿面 電光石火
その時は遅い ロトの塩 ソドム 都美 黄泉が動く 報いが来る
どうにもならなくなったね そして知る 何をしてきたのか
浮かれていたね 何をいっているのだろうね
戯言 寝言を いっていないか 露 唇寒し秋の風
黄色いお足が見えている 見える人は見えている
愚弄してはならないものがある 貶めてはならないものがある
それが本来日本 卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本
祖先の総体 黄泉自然 何時までも黙っていない
身も心も切り替わることが大切だね 新しい時代
人生の春が来る 何もかも思うままに楽しむが良い
さてこれからの使命は何か 何を使命として選ぶのか
ピッピッピッ ピッピッピッ ピーチク ピッピッ ピッピッピッ
ピッピッピッ ピッピッピッ ピーチク ピッピッピッー
シンデレラさん ご用は如何 ご用は何でございます
宜しきに従う 樹木にもいろいろある 草花にもいろいろある
何が蔓延ったのだろうね そろそろ伐採刈り取りだね
回復するべきものがある 秩序 これ以上 壊せはしない
芸能人及びテレビ界 野蛮逸脱迷惑千万 教育を破壊した
それを自由とはいわせない
【約束】
しばらく何をしていたの 行をしていた 確かめたいものがあった 確かめた? 確かめた それって何だったの 真実だった 何が真実だったの 一実の道 往々にして困ったことになる その原因は何だったのか それを確かめたかった 原因はすべて自分にあった そして魂レベルと宇宙自然は連動している 人間もその一部だ 天変地異と人間行為は無縁ではない 地球温暖化だけではない 必要以上に貪るのは人間だけである それで大自然のバランスを乱した 大風も吹く 大洪水もある それを知らなかった 知らずに貪った 殺戮した 報いは来る そして知る 人間の愚かさがある そろそろ大反省である 救いはあるのだろうか あると彼はいっていた それは何か 探すしかないという 彼は見つけたのだろうか 見つけたらしい 楽になったらしい 苦はないという 憂いも不安もないという 悪いのは自分だったという それを認めたという そして約束したらしい 何処で何を約束したのだろうね 前世はある 来世はある あの世はある しばらく無神論者が支配した そして 知らない事を以てそれらを否定した 人間が自然を征服しようとした この考えは西洋思想だった 戦争に於いては根絶やしだった 東洋は自然と共に生きて幸せである事を知っていた 日本に於いては神々だった 又敵将の逃げ道は確保する 根絶やしでは解決しない 戦争の目的は何だったのか 考えるべき頃である 決して市民の殺戮ではなかったはずである さて恨みがある これは魂レベルで因縁となる 世代を超えて帰ってくる これも真実だった 既に犯したこの世の罪がある 前世からの罪もある このままでは大きくなるばかりである それらに成仏して貰う方法はないのか ある 何処にあるのだろう 今までの方法で良いのだろうか それとも新しい真実の方法があるのだろうか これも探し 見つけ 試し 確認するしかない ニュートンはリンゴが落ちるのを見て重力を発見した それまでもリンゴは落ちた どうしてニュートンだったのか 問題意識だった 常にそれを考えていた 何時か到る その例だった しかし多くはそうした積年の思いはない あるのは何だろうね 貪る事だろうか 今まではそれも通った これより通らない どうしてだろうね 時が代わった 何を以て代わったのだろう 或る自覚だった 歴代の秘密だという 知らなかったね 新しい時代 助け合って生きていく 強い者は弱い者を助ける お金持ちは貧しい者を助ける それぞれ使命がある 奪う事を先にすればどうなるか 自分だけ良ければいいと思った それが人間であり人生だと思った そしてどうなったのだろうね 見えてきたね そしてどうするのだろう 未来は明るいか それとも暗いのか それも自分次第である 安楽はある どのようにして到るのか その道がある 失われていた そして発見された それは何処にあるのだろうね 日本にある 思い出す頃である 愚弄粗末にしてはならないものがある それは何だったのか これより裁きである 既に間違った成功は裁かれる 謝る方法はある どこにあるのだろうね 真実 探すしかない 彼はいう それぞれの人生だよ 幸せに向かうのか 不幸せに向かうのか 人類が生命体として試されている 議論は何故するのだろうね 建設的にするべきだね 相手を先ず認めてそれからそれをさらに発展させる方向へ 相手を否定して自己主張する 戦争と同じだね それでいいのかどうか 相手を必ず否定する人がいる それも持って生まれたものだろうか 苦労するよ この世にこの身を持って生まれて何をするべきか 性格の変革かも知れないね 死んだら終わりと思っているね それでこの世も恥のかきすてだろうか その見えないものはあの世にもついてくる そして再びそれを持って生まれる 辛いだろうね 母はいう 相手を困らせない事だ 子供の頃からそうしてきた だから 親に叱られた事はない 理不尽な事があればそれは正す必要はある それは相手も困らない事になる その過程はいろいろあるかも知れないけれど 人類として相手を困らせていたのかも知れないね それで利益することが人生と思っていた 何時の頃からだろうね カルバン以降だったのかも知れない 西洋思想は19世紀に没落していたという これだったのかも知れない しかし日本はそれを追いかけた 明治以降の文明開化だった 戦後自由と平等を知った 平和も学んだ 愛こそ全てと思った 女性解放もあった 基本的人権も学んだ しかし安易な成功者が履き違えた方向へ導いたのかも知れない お金持ちはスノッブだった 彼は約束したという それは何だろう 自分の悪を認める そしてどうするのだろう 何処にその教えはあるのだろうね それをも否定するね 犬猫は自分は人間だと思っていないか しかし犬猫である 自分より上は見えない わからない わからない事を以て否定する 謙虚さを失った 畏敬の念を失った それが戦後である そしてどうなったのか 誰も尊敬されない 何故だろうね 愚かな議論をしている 建設的な議論ではない 権力闘争でしかない それでは駄目だって気づく頃である 議論の目的は何か 庶民の暮らしではないか 権力闘争ではない 選ぶのは庶民である お金の力でねじ曲げていないか 選ぶ基準は何か 穏やかで冷静でありしかも確信力を秘めた建設的な議論があっていい それは相手を受容する所から始まる 否定する所からではない 憤怒に基づいた感情的議論は観たくない 幸せになろうよ なっていいんだよ 十分に進化した 蓄積された英知と技術がある 愚かさ及び野蛮からの自由 知性復活 21世紀元気活発身心健康真実人生人格変革性格形成責任論
2009年02月01日
【やさしくなっていいんだよ】
探していたの? 真実! 見つかったの? 永遠の喜び!
それは何だったのだろう 教えてくれないか
素直さを取り戻して 至る道がある
だまされたね 利用もされたね それが素直さだった
そして何時か気づく それが愛だった
やさしくなっていいんだよ 何時か至るから
あらゆる嘘とバイオレンスよ さようなら
知らなかったね 探そうともしなかった
多様性の人には解らない純粋がある 本来日本
言葉があるね 意味がある 音声がある
すべて自ら語っている 唇が寒くないか
あるいは 露 黄色いお足が見えている
指摘しなくて良いんだね それが大人だった
学校を出て 大人となる 自らを主張する
閥を作ったね そしてどうにもならなくなった
相手にしなくて いいんだよ 解る人たちはいるから
能ある鷹は爪を隠す それで良いんだよ
だんまり猫が鳩をとる そうかも知れないね
何時までも勝手は通らない 獅子孤高奮迅ツァラストラ
何故だろうね 正直者の頭に神は宿る
神っているの いるよ 何処に 自分の心に
黄泉の守護ってあるの あるよ
どうすれば至れるの 身心清浄及び正直
神風は吹くの 吹く 草薙の剣 大風をなだめる
雷って落とせるの 金剛杵 代々の属性
自覚を要する 開発 確認
そのような事ってあるの ある
最終最後最大の敵を倒して それは自分だった
どうしてしばらく忘れていたの 世界に飲み込まれた
本来日本を裏切った あるいは眠らされていた
どうして? 商人根性が台頭した
あの戦争は何だったの 西洋思想 根絶やし
原爆がそれだった そして現代戦争の不毛と平和を学んだ
大和の戦ではなかった 故に神風は吹かなかった
大義名分 神風の吹く 征夷大将軍の成立要件
400年来金銭至上自己利益追求主義パラダイムが終焉した
新しい時代である 本来日本伏流する
そして 世界を救う それほどまでの真実がある
探していたの? 真実! 見つかったの? 永遠の喜び!
時は来た やさしくなっていいんだよ
そして知る それが愛だった 生命進化だった
野蛮より脱却する 何時か至る その時が来た
至ったの? 真実! 見つかったの? やさしさ!
失われていたね 取り戻そうね 想い出せばいいね
本来日本にそれはあった 自分のためにしない
武士には少なくとも精神修養があった
それで神を知っていた 町民に尊敬もされた
それをも笑いものにした そしてどうにもならなくなった
取り戻せばいいね 想い出せばいいね
本当のやさしさは 強いが故だった 女衒タレントには解らない
愛を語ろう 平和の中で そしてやさしくなっていいんだよ
西洋成功哲学も お金が目的ではなかった
何が目的だったの? 自己実現 自己確認
やがて知る 大宇宙の秘密 マーフィもそうだった
やさしくなっていいんだよ 努力は必要だよ
努力して 努力の向こうに何かある
安易な成功が蔓延った それは野蛮と愚かさだった
生命進化に目的がある 潜在意識理論は正しい
しかしその運用を誤った それが多様性とお笑い芸能界だった
多様性は純粋を認めない それも閥だった
何が蔓延ったのだろうね 戦後自由を履き違えた
大いなる目的がある 野蛮ではない 無知でもない
知らなかったね 探そうともしなかった 想い出せばいいね
本来日本にそれはあった 新しい時代だね 開闢だね
やさしい眼をして平気で嘘をつく多様性の男は要らない
女は待っている 永遠に裏切らない君を
努力は必要だよ 何故だろうね 無駄に見えるね
無駄ではない 努力の中で 自分が大きくなる
知性が育まれる 自己のエネルギーが増大する
それぞれ持って生まれた属性がある それが能力
それらが臨界点に達するにはエネルギーが必要だね
そのエネルギーはどのようにして得られるのか
努力だった そして自分を知る 自信を得る
そして燃え上がる 情熱がプルサーマルとなる
その時 自分が表現される どのような自分だろうね
不純物はないか 清浄であるか 正直であるか
それらの諸価値が人格である あるいは品格である
それらは代々培われた属性だった
そして自分を生き始める それが開闢だった
しかし今 どのような空気であるか 何が蔓延ったか
時代に打ち勝つ 征夷大将軍もいた
安易な成功が成功ではない 野蛮が文化ではない
現代社会世相には辟易であるね 芸能界及びテレビ界
何故か 知性を笑いものにした 愚かが文化となったバライエティ
何を壊したのか 何時までも祖先が黙っていない 取り戻す
天の祝福 黄泉の守護 日月照らし 風が吹く
見つかったの? 真実! 永遠の喜び! それが愛だった
宇宙の愛がある それは心の中にある 海の真実とさざ波
それが人格である それぞれの姿がある 色がある
幸せを見つけたの? 永遠のやさしさ! 笑顔がこぼれるね
幾時代かありました 茶色い戦争もありました 中也だった
人類は進化した 夢も進化した 野蛮より脱する
イザ凪 イザ波 時代を乗り越える 未来は明るい
今泣いている人がいる 今嘆いている人がいる
それでいいんだよ それを通るしかない 解決はある
今笑っている人がいる 何時か至る 幸せはある
本当の幸せがある それが天の祝福と黄泉の守護だった
怖れることはない 不安はない 今のあなたで良い
裏切らないことだ 高利貸しのような嘘へつらい商人根性より脱する
バイオレンスは駄目だよ 遵法精神は人格の表現だよ
いじめに負けないでね 自殺なんかしては駄目だよ
相談する勇気を持とうね 善良は必ず勝てるのだから
シンプルが良いね 素直が良いね 複雑と涙を通って
低いレベルで自己主張していないか 迷惑である
愚かな時代は終わった 本来神国日本完全伏流 時代を開く
天は神である 何故に神は没落したる哉 戦争だった
平和祈念護持実現成就 而して 神は復活する
知らなかったね 探そうともしなかった 安易な成功が蔓延った
想い出したね 本来日本 すばらしい精神国家 取り戻したね
日本はやさしさに向かって咲く花のようだった 辻邦生
やさしくなっていいんだよ やさしくなれるね お笑いでは至れない
何を笑いものにしたのだろうね 何を愚弄無視破壊したのだろう
属性を要する 発見開発実験検証を要する そして自覚確信する
美しい風景が待っている 優しい人間関係が訪れる
やさしくなっていいんだよ 日月照らし風が吹くから
卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の基が目覚めたから
本来日本は神国だった 風神草薙剣 雷神金剛杵
雲は龍に随う 日本は大丈夫だよ 彼はいっていた
何を勘違いしていたのだろうね 帰ろう 本来日本へ
それは秩序の回復 お笑いではない
国家なくして自由はない 芸能人に勝手はいわせない
本来日本 これ以上 奪えはしない