衆生本来仏なり
2011-02-02
衆生本来仏なり 私たちは本来仏だった 仏に帰れば良い それが出来るのがこの世だった いつか諦めていなかったか 気づけばすべて仏だった 一切100%の愛だった 敵はいない すべて味方となる その時 喜びしかない それが愛だった そして人生は感謝となる 何がそれを拒んでいたのだったか 過去の経験だった それが判断の基準となっていた いつか人間として犯した罪の故だった そして人と比べる 不安がある 恐怖がある 嫉妬がある それを心の奥底から捨て去れば良い すなわち前世を含む過去との訣別である それらは本来無かった そして愛と喜びと感謝の新しい日々が始まる 私たちは幸せになるために生れてきた 誰にも使命がある この世に生れた価値がある それを見つけてそれを生きれば良い 誰もが違う 違う自分で良い それが多様性を認めて個性的に生きるということだった
仏の説は個々の表象の言葉ではない その奥にある仏の思いを知ることが大切である そうすれば 説の如き人生となる 要は仏の思いだったのである 仏の思いとなった時 言葉が変わる 態度が変わる 表情が変わる 行動が変わる そして 不思議な形で人生が展開し始める それが誰もが憧れる賢聖(げんじょう)ということだった そして 人間関係が好ましくなって すべてうまくいく お金も必要な時に必要なだけ回ってくる お金は人の心を介して流れる 見えない世界での受容と祝福があるからである この世はすべて見えない世界で決する それをマスターマインドと言って良い この時 足ることを知る 私たちは既に与えられている 小鳥に日々の食事が与えられているように 本来の自分として 自分ではない自分を求めていないか あるいは強制されていないか 奪うべきものはない それに気づけば良い
仏法は必ず勝つといわれる すべては見えない世界で決する 見えない世界に好みがある 何を以って好むのだったか すなわち この真実を信じることだった 往々にしてこれは科学ではないという 知らないことを以って否定する パスカルは大数学者だった ある夜 天啓を授かって大神秘家となった その時のことは『メモリアル』という文書に遺されている 体験しないことにはわからない 私たちは導かれている 見えない世界に 幸せの方へ
あなた方は現代科学の名を以ってパスカルあるいはキリストより偉大と言い切れますか 科学の名で何をしたのですか 反省の頃です かつて王権神授説がありました それはそれで正しかったのです しかしその後 腐敗した 故にギロチンもありました どうして平家は滅びたのだったか 武士の分際でありながら貴族化したからでした 秀吉もそうでした 私たちは人間です 生まれながらにして平等です ただ人間であるだけで人間としての諸権利が保障されています それを思い出せば良い 万物の霊長として 神の七つの力が賦与されていました 本来私たちは神であり 仏だったのです ここに気づけば良い 帰るべきはここです その時 殺戮はない 日々これ好日 歩々清風 本来日本 衆生本来仏なり
各々語るべき時
2011-02-03
彼はかつて 自他認める トップクラスだった しかし 人生の悪戯があった そして今 彼は地獄の最下層にいる 心理学の概念に『喪失』がある まさにそれを味わった しかし彼は言う それも試練だった そしてかつてのポテンシャルは失われはしない 本当の幸せとは何だったのか 各々語るべき時が来た 知る人は知る 馬鹿になることが幸せではない これより思い知る 戦後は殊のほか困難だった しかし本来日本は滅し給わず 原爆の火をもってしても 彼こそ彼だった どれほどの真実であったか 彼も知らなかった いずれにしても各各 戦後野路優をはき違えた そしてどうなったのであるか 見ての通りである やっと気づいたのだろうか これより本来日本が蘇る それは黄泉が動く 黄泉とは祖先の総体だった 黄泉は待っていた 始めるが良い
昨日 呉市阿賀で再び水道管が破裂した 4万世帯が断水となった 各所に給水車が配置された(翌日 ある小学校校庭には三原市の給水車が配備されていた) また 大相撲では八百長が発覚した(言語道断 社会問題化してどうにもならなくなった) そして霧島が噴火している トリインフルエンザが猛威を振るっている 記録的な寒さと降雪があった エジプトでは市民革命となった 気づいたのだろうか 始まったのだろうか 測り知れない未来が幸せでありますように 真実は 今も昔も変わりはしない 偉大な魂と宇宙及び大自然は呼応する 孔子は自分の身体と三千大千世界が一致していることに気づいていた キリストをも処刑したあなた方は知らないことを以って真実を否定する 疑う 信じない そして勝手した それで時代はどうなったか 何時までもそれは通らない 戦後はことのほか困難だった お笑い芸能界及びテレビ界 このことばかりはゆるしたまはじ
すらすらといく人生
2011-02-04
時代は混迷しています その中でどのようにして生きていきましょうか 本来の自分を見つけて 臆するなし 素直に自分を生きれば良いのです
何故ストレスがあるのでしょうね 人と比べていませんか 本当の自分を生きると楽です 本当の自分ではない自分を演じていませんか あるいは 強制されていませんか
個人の尊厳を基本に自由があります それは保障されています 往々にして 本当の自分を生きていないですね 何故でしょうね 過去の記憶に縛られているからでした それが判断基準となっています それを捨て去れば良いのです
悟れば一弾指 世の中が一瞬にして明るくなります 始まりました だれもが本当の自分をとりもどして 幸せな日々となります 幸せになりましょうね
あなたはどのような自分になりたいですか ストレスの中で生きたくはないですね いつもトラぶっている自分は嫌ですね のらりくらりで良いのでしょうね 瓢鮎図(ひょうねんず)というのがあります すらすらといく人生があります
本当の自分を見つけて 素直に生きれば良いようです 自分が変われば世界が変わります 悪から善へ変わるなどといわれます それは 悪=偽りの自分を捨て去ることです
私たちはもともと善だったのです 変わるというよりも本来の自分が輝き始めるのです 雲間から太陽が輝くように
それが生きるということでした 私たちは光の方へ向けて進んでいます 戦後しばらく蔓延った悪がありました ここで洗濯の頃です この世は今 悪に満ちています 本来世界は愛でした 私たちも愛だったのです 気づくべきはそれです
そしてだれもが明るく 楽しく 幸せに生きていいのです 一部の支配階層に勝手がありました 戦後六十年 権力は腐敗します それも仕方ありません 故に まだ汚れていないあなた方の時代です
始まりました 本来人生は 愛と喜びと感謝で発展します 今も昔もこれからも 立春 漂流していたハルが帰還しました これからです 私たちの時代です
本当の人生が始まる
何も難しくはなかったのでした。自分の過去を捨て去ることが出来るならね。そして本来の自分となるのでした。我が子のために美田を買わずといわれています。西郷隆盛もこの言葉が好きだったようです。それで良いのでした。
行政及び政界を含むあらゆる世襲制に弊害があるようです。それを乗り越えることができるといいですね。高利貸し的悪徳で財を成していなかったでしょうか。ラスコリーニコフを掬ったのは娼婦ソーニャでした。戦後まもなく、主のいない焼け跡に縄を張って奪った土地でビジネスはじめた方もいました。海軍工廠の鉄くずから商売を舌人もいました。そうした方々が今、支配階層となっていませんか。しかし奪えないモノがありました。六祖鉄鉢がそれでした。
やがてこの代の所業も問われる時が来るのです。正直こそ財産でした。舌切り雀のお話もあります。あるがままの自分で良いのです。何もかも失って、身も心も裸となって、それから本当の人生が始まるのですね。そして自分自身が何者であったかに気づくのでした。世界の中で日本がどうあるべきだったのかを知るのでした。
自分は自分で良かったと思う瞬間が来ます。必ず来ます。誰にも来るのです。そしてすべてを知るのでした。その時、万物の霊長として生まれて良かったと思うのです。この世に生きる幸せを実感するのです。あなたにも必ずその時が訪れます。その時、感謝を知るでしょう。禅の目的は、それ以上でもそれ以下でもなかったのでした。
しばらく勘違いの愚かな文化が跋扈していましたね。それが人生だと思っていませんでしたか。それもある自覚が成就するまでのことだったのでした。ある自覚が成就する時、何が始まるのだったのでしょうか。祖先の総体としての黄泉もその時を待っていたのです。その一箇の自覚は黄泉によって大切に育まれ、導かれていました。そして、何時か爾の時が来るのです。淘汰されます。そして本当の人生が始まるのでした。
何時の代もそうだったのですね。そして自分を生きることが始まるのです。それまでが試練であり、青春でした。自分が生きることは表現することだったのでした。憲法でも保障されている表現の自由とは生きることでした。それは亦、幸福追求権のひとつでした。自己決定に基づく自己実現が幸せの形だったのです。
どのような花をこの世で咲かせるのだったのでしょうか。咲いてみなければわからないのです。自分の光を発するのです。それが表現だったのでした。ブログも表現だったのですね。カミオカンデも気づく頃となったのでしょうか。
彼はいっていました。本来日本は滅し給わず。原爆の火をもってしても。本来日本は愚かな國ではない。野蛮でもない。野蛮とは嘘とバイオレンスだった。嘘とバイオレンスを廃して新しい時代を開く。それが庶民の解放でした。庶民とは善良な市民のことでした。戦後日本精神骨抜き占領政策がありました。それは娯楽を以てなされました。それに乗じた方々の繁栄と支配がありました。馬鹿になることが幸せであるというのがそれでした。それは終わったのです。テレビ界がその権化だったのです。巧妙だった支配も何時までも気づかれないわけではないのでした。
本来日本は那辺にあったのでしょうか。明らかとなったようです。もはやこれまでです。年貢の納め時となりました。新しい時代です。これより個々に、本当の人生が始まるのです。何故でしょうね。ある自覚があったからでしょうか。そして確かな選択があったのでしょうか。すべては準備されていたのです。しかし正解を出すのは至難の業だったようです。それが戦後だった、と彼はいっていました。
それも成就したのでしょうか。失ったものは大きかったといいます。獲たものも大きいといいます。真実とは何だったのでしょうか。真実とは神仏の実在とその邂逅であり、日本は本来神国だった、と彼はいいます。本当の幸せとは何だったのでしょうか。神仏の祝福と守護だった、と彼はいいます。民のためにする時、大義名分となり、神風も吹くといいます。それが征夷大将軍の要件だったっていっていました。本来日本の本懐は、身心清浄及び正直を以て旨とします。それが大和魂だったのでした。あまりにも嘘が多すぎましたね。
本来日本の目指していたものがあります。失われて久しいのです。日本の誰もが求めていたものでした。しかしいつの間にか探すことさえ放棄していたのではなかったでしょうか。この代の人生では、それは夢かと思われました。しかし夢は実現するのです。思考は現実化します。新しい時代が開けました。確かな事実として。
何度かチャンスがありました。しかし何時までも気づけない自分がありました。この度は天が祝福しています。黄泉も喜んでいます。知らない人には神秘であり奇跡であることが、知る人には事実です。そうした世界があるのでした。ワンダーランドですね。
世界は待っていたのです。日本が何に気づき、何を学び、何を反省し、そして何を選択するのだったか。時代の悪に染まらないために、特殊潜航も必要だったのでしょうか。彼は苦節三十有余年の埋没を要したといいます。そして彼は見つけたのでした。それは何だったのでしょうか。本当の人生だったのでしょうか。本当の幸せだったのでしょうか。世界に合流の時を迎えたようです。
彼はいいます。日本は大丈夫だよ。みんな、何をしていたのでしょうね。彼こそ彼だったのかも知れません。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密があるといいます。あるいは掟があるというのです。粗末にしてはならないものがあったのでした。貶めてはならないものがあったのです。思い違い勘違いが不幸の原因だったといいます。壊してはならない秩序があったのでした。わからないことを以て否定していましたね。しかしそれはあるのでした。
何時までも黄泉が黙っていないのです。黄泉とは祖先の総体でした。反省の頃となったようです。本来日本を取り戻すと彼はいいます。方向を間違っていたのなら、その地点まで引き返し、再び歩み始めればいいですね。見失っていた道標が見つかるでしょう。そして本当の人生が始まるのです。
彼は自覚しました。特異特殊特別不思議不可思議な人生があったといいます。自分でもとても信じられなかったようです。今となっては懐かしいとのこと。すべて事実となったのでした。故に容赦ならないものもあるといいます。どのようにして詫びるのでしょうか。あるいは償うのでしょうか。各々の問題だよって彼はいっていました。
そして過去を償って、新しい人生が始まるのでした。その時、この代に於いて一切の不安から自由となり、恐怖と疑惑から解放されて、愛と平和の中で好ましい関係が始まり、無敵となった自分を知ることができるのでしょうか。過去から自由となって、本当の人生が始まるのでした。
多くの悲しみを通って、喜びの世界が待っています。ベートーベンもそうでした。私たちは幸せになるために生まれて来たのです。試練はあります。過去を少し修正するためです。そして持って生まれた本来の自分となるのです。その意味を知った時、強きが故のやさしさを知るでしょう。愛し愛されて生きる日々の暮らしの喜びを知るでしょう。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしないことでした。唯自己利益追求パラダイムは限界に至りました。
相手のためにとしながら、自分計算していなかったでしょうか。嘘とバイオレンスが不幸の原因でした。君子危うきに近寄らず。朱に交われば赤くなる。ところで、多重人格が問題となっています。本来の自分はどのような人格を目指しているのでしょうね。自分はなりたい自分となるといわれています。新しい成功哲学も明らかとなっています。
かつて王侯貴族に限られていた自由を庶民が手にする時代を迎えました。その時の要件は何だったのでしょうね。それが人柄あるいは人格でした。あるいはアンドリュー・カーネギー氏の説く心構えでした。それが成功のための要件だったのです。つまり、人格を好ましく完成して、既に成功している方々の世界に受け容れて頂くのでした。そして本当の人生が始まるのでした。はじめに言葉ありき、とはその意味だったのです。笑顔が当然となって、素直に生きてゆけるようになります。やがて見えない世界に受容祝福される時も来るでしょうね。良い時代となりました。良い時代としましょうね。みんなで幸せになりましょうね。