やさしさの世界へⅠ


「銀行に10億ドルの預金があっても、不安から解放された経験や慈善行為をした経験がなければ、その人の心は相変わらず貧しいままなのです。富の意識とは、本質的に心の状態のことをいいます。」(サンマーク出版刊、ディーパック・チョプラ著、『富と宇宙と心の法則』p22) 「人生の経験とは、この継ぎ目のない基盤のなかで発生したエネルギーと情報の波動が、肉体や環境に表現されたものなのです。それがわたしたちに喜びや悲しみ、成功や失敗、富や貧困などを味わわさせているのです。人生の出来事はすべて自分の身に降りかかってきたもののように見えます。しかし実際は、経験を創り出しているのはわたしたち自身なのです。人生の経験を創り出すエネルギーと情報の波動は、人生に対するわたしたちのものの見方に反映されていきます。すなわち、わたしたちの創り出しているエネルギーと情報の波動が、心構えにそのまま現れているのです。」(同p17)
この世にすべてよしとする世界があるとします。それが神であったり、仏であったりしたとします。神仏は、唯、あなたを救いたいばかりだとします。神仏はその方法がある事を知っているとします。神仏も自らそれを探し、見つけ、あたため、確かめ、そして自分のものとしたとします。そうした救いがあるとします。さて、チャンスはむこうからやって来るといわれます。それが如来という事だったのでしょうか。如とはチャンスでしょうか。それはそれとして、チャンスは目に見えないといわれます。文字は見えます。音声は見えませんね。見えないものは感じるしかないのです。それは後光が射しているかも知れません。或いはオーラを発しているのでしょうか。見えない人にとっては見えません。見える人には見えるのです。不思議な事象も、知らない人には神秘です。知る人には事実でした。真実はあるのです。知っても識らなくても。それは神仏の実在でした。神仏との邂逅もあるのでしょうか。見た事がない人は信じられません。そしてそれはないと思うのです。それが常識だと思うのです。神仏がいるという事が非常識だと思うのでしょうか。しかし信じられる人には、神仏の実在が当然です。常識です。
この辺りが価値観の相違です。それで良いのです。それぞれ正しいのです。常識と非常識は表裏一体でした。信じる事と信じない事も。もとは一つでありながら、二つの世界があるのです。それで良いのです。問題はどちらが幸せへたどり着けるかです。現実はどうですか。たいへんですね。不安がいっぱいありますね。不安のない世界があると思いますか。きっと素晴らしいでしょうね。幸せとはそれでしょうか。あると思いますか。ないと思いますか。神仏はあるといっています。信じる事から始めませんか。神仏への道を。第一歩を踏み出せば良いのです。それは神仏が歩んだ道です。その道は、誰でも必ず幸せへ至る道だと思いませんか。その道がもしあるとするなら、歩んでみたいと思いませんか。少しの勇気で良いのです。一歩踏み出せば良いのです。かつては、飛び込むとか、大死一番とかいわれていました。これでは飛び込めませんね。おそるおそるで良いのです。きっとやさしくサポートしてくれます。神仏も進化しています。やさしさの方へ。やさしく導いてくれる事でしょう。そして誰もがこの道を歩める時が来ました。しばらく忘れていたのだけれど。それは本来日本の道だったのでしょうか。時代は動き始めたのかも知れません。支配のためのいくつかの戦争とか殺戮もありました。人類はそれらの無価値に気づきました。市民革命を通って民主主義を獲得しました。やがてそれは名誉革命ともなりました。血を流さずに民主主義を手に入れることができるようになったのです。最終最期最大の敵は己自身でした。仮想敵国などではなかったのです。そして平和があるのです。その中で幸せがあるのです。それは個々の暮らしだったのでした。
第二次世界大戦で日本は平和を知りました。そして血を流さずに平和も手に入るのです。それが生命進化です。愛と平和こそ価値である事を知りました。それは確信に至ったのです。既に民主主義です。無益な戦いもありました。そしてお互いをより深く理解し、知り尽くし、より深い友好関係を結ぶ事もあるのです。それも生命進化でありました。次なる進化は何でしょうか。血を流すことなく平和を獲得する事ですね。此処に人類の英知があるのです。それに気づく頃ともなりました。それも人類進化でありました。既にゴールした方もいたのです。それが神仏だったと思いませんか。そして神仏は、こうしたらいいんだよと教えてくれているのではないでしょうか。この道で、みんなやさしくなれると思いませんか。愛とは何だったのでしょうか。それは神仏の思いだったのではないでしょうか。知行合一という事がありました。王仏瞑合という事もありました。この度は神仏一致、或いは結婚かも知れません。それは西洋と東洋との合流でしょうか。はじめは太極があって、二つに分かれました。男と女もそうですね。何時かめぐり逢って一体となるのです。それがこの世だったのです。好かったですね。そして世界が一つとなるのです。その時灯りが点るのでしょうか。その時、幸せを知るのです。一人では幸せはありません。二つが一つとなって喜びがあるのです。もともと一つだったのです。故郷へ帰るのです。二つが一つとなって新しい命が生まれます。西洋と東洋が一つになって新しい世界が始まるのです。それで良いのです。それはやさしくありたいですね。幸せでありたいですね。誰もが願っていた事でした。それも実現するのでしょうか。夢は実現します。ダビンチの夢もすべて実現しました。ダビンチの夢はその時代の夢の集大成でした。私たちは今、何を思いますか。思考は現実化するのです。それはアンドリュー・カーネギー氏によってはじまり、ナポレオン・ヒル氏によってまとめられました。西洋成功哲学の目的も、お金は手段に過ぎません。目的は人格形成にありました。それがビジネスの目的だったのです。それも知る頃となりました。支配のために、殺戮をして版図拡大する時代は終わりました。それは生命進化の目的から無価値と決定されました。唯自己利益追求重商主義も反省されつつあります。自分だけ良ければいいという考えに基づいていたからです。カルバンの利息は神の意志に合致するという教えも、目的は別にあった事でしょう。しかし私たち人間は、何時かそれを自己利益追求にすり替え、それで良いとし、さらに神の見えざる手が働くとしました。神の見えざる手は働いていないですね。何故でしょうか。それは善良な市民が前提だったのです。