愛と真実
2010年08月10日
- 真実とは何だったのでしょうか。幸せって、何だったのでしょうね。それは、永遠であり愛だったのです。永遠も愛も目に見えません。見えないからないと思うのでした。だけど、可視光線だけではなくて、赤外線も紫外線もあります。見えない世界はあるのです。聞こえない音もあるのです。物理学の常識ですね。さて、見えない世界があるということが真実でした。そして見えない世界に認められることが幸せだったのです。それはないと思っていませんでしたか。あるのです。このあたりを、誰もが見つけ、本当の幸せを探す時代となりました。お金では手に入りません。故に、愚かな戦争などもってのほかです。それは不幸に赴きます。意味がないのです。だれもが幸せに、日常を享受することができるのです。見えない世界が真実です。権力では幸せになりません。武力でも金力でも幸せになれません。それらを乗り越える頃となりました。そして見つけましょう。永遠を。愛を。そしてみんなで幸せになりましょうね。それが生命としての進化傾向でした。時代はシフトします。全体としてのボトムアップです。自己利益追求主義を克服するべき時です。パラダイムが転換されました。これより、不幸の原因がわかりました。何もかも自分のためにしていたのです。次の段階が見えて来ました。古い時代を卒業する頃です。真実と幸せは、見えない世界です。私たちは生命体として十分に進化しました。誰もが同じことをしなくて良いのです。何もかもしなくて良いのです。得意とするところを持ち寄って、みんなで幸せになることをしましょう。嫌なことはしなくて良いのです。好きなことをして、生きてゆけると良いですね。それも可能な時代となったのでしょうか。それほど文化は成熟しています。新しい文明を築く頃となりました。子供達は感じています。子供達は傷ついています。癒しの頃となりました。誰もが大切にされる頃となりました。野蛮を乗り越えて。それは例えば、周波数の倍音状態です。三拍子に対する八分の六拍子です。また、ウィンナーワルツはウィーンフィルでなければそのリズムを刻むことができないのでした。ところで、人生はとても簡単だったのです。気づいてしまえばね。カモメのジョナサンのように。私たちは見えない世界を自由に飛ぶこともできるのです。私たちが目指していたのはそれだったのです。故に、金力が今、克服されます。不安などありません。見えない世界が大乗だったのです。この船に乗りませんか。正受老人は無底船と呼びました。旧約聖書ではノアの方舟と呼ばれた頃もありました。真実と幸せを求めての旅が始まりました。新しい物語です。先達はいます。その世界は既に、伝えられています。どちらを選択しますか。未来ですか。過去ですか。喜びですか。悲しみですか。幸せですか。不幸ですか。愛ですか。憎しみですか。選択こそ自由でした。私たちはなりたい自分になっています。すべては、私たちの日々の選択だったのです。これで自由になれますね。本当の幸せを見つけることができますね。真実は神仏というべき存在の実在であり、その邂逅だったのです。それはあります。エゴを脱却してめぐり逢うのです。その時、神仏が微笑むでしょう。それが笑いだったのです。悲しい目をしてのお笑いではありません。その後、彼は戦っていました。何と戦っていたのでしょうね。野蛮とでしょうか。あるいは愚かさとだったでしょうか。それらが戦後、跋扈したのです。取り戻すべき日本がありました。それは品格だったのかも知れません。勝利したのでしょうか。この世の秘密を解いたのでしょうか。それはやさしいトーンとしての愛と真実だったのでした。見えない世界とつながるとどうなるのでしょうね。不思議な体験が待っています。それが真実だったのです。そしてこの世に受けた生に感涙するでしょう。『遠野物語』の作者は書いていました。その時、小鳥がチチッと鳴いたのでした。もしその声がしなかったら、私は現実に帰ることができなかったかも知れないのでした。
天才と英雄
2010年08月10日
- 天才と英雄は運命づけられているといわれています。それは過去からの約束だったのです。こうした事実があまりにも失われていました。間違った自由及び平等概念もあったのかも知れません。民主主義の名で戦後占領政策は何をしたのだったのでしょうか。それに乗じての繁栄は意味を失いました。人類が英知として求めていたものは何だったのでしょうね。ヨーロッパ思想は既に十九世紀に没落しているといわれていました。しかし日本は明治以降、それを追いかけていました。100年は遅れているといわれていました。その文脈で悲しい戦争もありました。その戦争は、神風が吹くことはありませんでした。何故でしょうか。明治以降台頭した軍事担当者にその資質がなかったからでした。征夷大将軍の要件の欠缺があったからです。そして時代は今、やっと西洋思想に追いついたのです。そしてそれを受容克服する時が来たのです。本来日本の使命とするところです。それは権力ではありませんでした。武力でも金力でもなかったのです。権力は市民革命によって克服されていました。武力を克服したのはヒロシマでした。そして今、マネーとしての金力が克服されようとしています。それらでは決して幸せにはなれないのでした。人類としての多くの技術と英知の蓄積があります。神風はいつ吹くのでしょうか。大義名分のある時に吹きます。大義名分とは何だったのでしょうか。黄泉の受容だったのです。黄泉とは、祖先の総体でした。古来日本、その命脈を無視した戦後がありました。身心清浄及び正直を以て本来日本の本旨です。それが大和魂だったのです。あるいは大和撫子でした。自分さえ良ければいいとする自己利益追求など最も忌み嫌うべきところです。行政も教育も私たちもそれに染まったかのようです。