帰る頃 自然へ
2011年06月12日
万物同根ってあるね 私たちは一人ではなかった 孤独ではない 長い魂の遍歴の中でこの世に人間として生れた この世で使命があったからだった それは過去の罪を償うことだった そして本来の自分に帰る 白隠禅師曰く 衆生本来仏也 私たちは本来仏だった しかし生命体として罪を犯す 目的は幸せだった だけど不幸であるのがこの人生だった 何故だろうね 罪を犯していた 法律上の犯罪だけが罪ではない 食べることも罪だった その罪をどのようにして償うのだったか それが供養だった 使命を果たすために生きなければならない そのために必要なだけ食べる その時 感謝と供養が必要である どのようにして供養するのだったか 方法がある 探すしかない その罪を赦されて何をするのだったか それが問われている そして何処へ帰るのか 仏だった その時 何が起きるのだったか 見えない世界に受容される 帰り至ればどうであるか 別に変わったことはない 以前と同じである
廬山は煙雨 浙江は潮
到らずんば先般の恨を消せず
到り得て帰り来たれば別事なし
廬山は煙雨 浙江は潮
歸去來兮(かへりなん いざ)
田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
既に自ら心を以て形の役と爲す
奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
已往の諫めざるを悟り
來者の追ふ可きを知る
實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
覺る 今は是にして 昨は非なるを
舟は遙遙として 以て輕し
風は飄飄として 衣を吹く
征夫に問ふに 前路を以ってし
晨光の熹微なるを恨む
しかし違う 何が違うのだろうね 私たちは一人ではなかったことに気づく 自然の一部として 自然が私たちを受容する その時 日月照らし風が吹く それが廓然無聖だった その時 本当の幸せを知る 不安より自由となる それが真実だった ここに安住する そして本当の人生が始まる 私たちは知らなかった 見えない世界が実在する 見えない世界に認められて自由である 何をしても良い あらゆる評価を超えている 知らないことを以って否定する あるいは認めたくない それが人間だった これを以って魔に著されているという 魔が邪魔をする 魔をも成仏させる そして帰る 本来の自分へ 一切衆生悉有仏性 ここに帰る その時 幸せを知る 美しい風景が待っている 好ましい人間関係が訪れる 私たちはそのために生まれていた この世の使命とはそれだった 衆生本来仏である これを信じる 愚かでは至れない 地獄より脱することは出来ない 知性を要する 本来日本はそれを知っていた 明治以降或いは戦後 失われていたのはそれだった 取り戻すべきは何か 明らかとなった 身心清浄及び正直を以って旨とする大和魂である 幸せは自己利益追求ではない 愛とは自分のためにしない 故に公共性概念は本来愛だった 愛とは動植物及び岩石も喜ぶ心の周波数である それは自然と同調する 私たちがおだやかになることで自然現象もおだやかになる 魂と宇宙はリンクしている 地球も随分と齢を重ねた 星霜とするところである 時代はシフトする やさしさの方へ おだやかさの方へ 幸せの方へ 愛はお金で買えはしない 愚かな時代があった これより知性復活である 私たちは一人ではなかった 孤独ではない 帰れば良い 仏の世界へ 即身成仏 空海の夢 これを以って学問とする 私たちは幸せになるために生まれている この世は過去からの夢の実現過程である 既に伝えられていた 私たちは知らなかった 探そうともしなかった 本来日本 見事に蘇る時節を迎えた 西洋思想は19世紀に既に没落していた 文明開化はそれを追いかけた それは自己利益追求思想だった それが大間違いだった 間違っていたのであれば その地点まで引き返す そして再び歩み始める 正しい方へ 道がある 必ず幸せに至る それが仏道だった しばらく見失われていた 私たちは何をしていたのだろうね 帰る頃である