人間の姿をしているけれど
2007年04月17日
さて、私の人生は何であったのか。見るべきものは見た。知るべき事は知った。開発するべきは開発した。すべては持って生まれたエネルギーであった。これをどのように使うか。正しく使うか。間違って使うか。幸不幸の分水嶺である。最大の敵は自分自身である。魂は宇宙と連動している。幸せになるために生まれてきた。幸せとは何であったか。自分の思うとおりに生きることではなかったか。お金が欲しければ仕事をすれば良い。夢の実現過程がこの世の人生である。何を夢見ているのか。凡そ法則通りである。泥棒すれば処罰される。それでもするのか。人を喜ばせることができれば、自分も喜ばせて貰える。過去の人生の結果が今である。どのように生きるべきか明らかであろう。しかし、往々にして間違う。それが人間である。仏の教えに十界がある。すなわち、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天(神)、声聞、縁覚、菩薩、仏である。我々は人間の姿であるが、その精神は如何。セックスに溺れているのは畜生である。戦争を好むは阿修羅である。今、日本の精神世界はどの位置にあるのか。畜生である。畜生がテレビ及び芸能界を支配している。恥を知るべし。そして、政財界は阿修羅である。これも恥を知るべし。人間であって人間ではない。時代は流れた。そして腐敗した。この意味、わかるか。私たちは本来人間である。どうあるべきか。考えるべき時である。 子ども達にあるべき道標を。教育界は何をしているのか。畜生及び阿修羅と戦わねばならぬ。彼らから天下を取り戻さねばならぬ。本来日本は清浄を以て旨とする国民性である。何が蔓延ったか。何時までも勝手させない。畜生及び阿修羅に何時までも大きな事は言わせない。覚悟あるべし。首を洗って待つが良い。黄泉が成敗する。黄泉もこの時を待っていた。すなわち、最後の切り札が自覚する時を。その時が来た。既に証明済みである。下手は撃たぬ。黄泉のスナイパーは的を射抜く。真実を射抜く。それは言葉である。その言葉がロゴスである。ご用心。絶対の自信というものがある。浦島太郎が玉手箱を開けて得たものはそれだった。黄泉の守護するところである。神仏は実在する。だれが絶対はないと言い始めたか。重商主義主導者カルバンか。武士は喰わねど高楊枝。人間の奢りが窮まった。何を思い上がったか。衆愚支配の世となった。それ故、真実真理開示の時を迎えた。バベルの塔は立ちはしない。思い知るべき時が来たのである。観念するしかない。それほどまでに思い上がったか。何を言っても駄目である。精神の遍歴を間違えた。唇さむし秋の風である。あるいは黄色いお足が見えている。歩んだ人生が違う。過去からの魂の遍歴が違う。自覚するまでは醜いアヒルの子である。自覚したからにはどうなるか。容赦しない。あるべき日本を取り戻す。あるべき人間を取り戻す。勝手が過ぎた。戦後六十年、何が蔓延ったか。戦争に負けるとはこういう事だったのか。江戸にとって明治もその例外ではない。出雲に対して大和もそうだった。しかし時をかけて大和は償った。勝って官軍か。何を破壊したのか。何を裏切ったのか。古来日本の培ってきたものに対して、既に犯した罪がある。償っていただく。懺悔あらばゆるされる。外に道はない。今のままでは人間としての存在価値はない。黄泉は譲ったのである。それを裏切った。黄泉はゆるしはしない。黄泉の決定が、恐竜時代の滅亡とならぬよう、祈るが良い。民放深夜ラジオ諸君もご用心。何を増殖せんとするか。その犠牲が何であるか、わかっているのか。責任は取って貰う。深夜といえども、公の電波で、すなわち公然と公序良俗違反はゆるされない。あなた方の自由は本来の自由ではない。何を破壊せんとするか。何処かの小屋でセミナーでもするが良い(2007/04/17 1:23am RCCラジオ)。何を思い上がっているのだ。
この世をば 我が代と思う 時ぞ来て 衆愚腐敗を 正さんとする
しかし、世間のことは世間のこと。世間にわかって貰おうと思ったのが甘えだった。所詮、自分の限界内でのことである。一番を取ったことのない者に一番の気持ちはわからない。分かれという方が無理である。水は高いところから低いところへ流れる。逆流はない。自然の法則である。そして、この世に生まれてきたのは、過去からの夢の実現のためだった。しかし、それに気づくまでが試練である。あるいは青春であり、修行である。気づいたならどうすればいいのか。それも気づくまでわからない。諸々の成功がある。それを目的地かと思う。しかし、それも化城に過ぎない。本当の幸せとは何であったか。空海もそれを求めて野呂山で修行したのではなかったか。中国へ渡ったのではなかったか。そしてそれを見つけた。道元もそうだった。一休も良寛もそうであったであろう。そして何を自覚したのだったか。己自身だった。それはどういうことであったか。凡そ己の魂と宇宙が一体であることであったであろう。そしてそれを伝えたのだった。本来の自由がある。それは何であったか。それは、黄泉の守護を取り付けることではなかったか。この世は地獄である。あるいは火宅である。それも仕方ない。その中にあって、我が此の土は安穏であるとする境界がある。それは、どのようにして得られるのだったか。それが人類の英知ではなかったか。それが改めて明らかとなった。何故明らかとなったのか。それも証明しているはずである。不遜と思えることまで、敢えて書いた。しかし、道元も云っている。昔より縁なきことを恨みよと。その縁とは何であったか。凡そ世間に染まれない自分があった。それ故、自分を壊すことまでした。それほどまでにもてあますエネルギーがあった。皆、自分と同じと思っていた。そうでもなかった。先日、手相を見て貰って、二重生命線のことを知った。これは希であるらしい。それ故、若年寄であったか。しかし、世間はそれを認めない。自分の方が正しいと思っている。そうだろうか。どれほど学問しているというのだろうか。どれだけ考えてのことだろうか。凡そ知れている。知らずに大きなことを言っている。自由を履き違えて勝手なことをしている。そうであるのに、それを認めようとしない。愚かである。しかし愚かであることを知らない。どうしようもない現実である。しかし、こうしたこともどうでも良いと思われる。その犠牲となった自分が今となっては口惜しい。しかし、自覚するまでのことだった。現在重商主義はカルバン以降の事である。精神的には、既に、西洋は19世紀に没落していた。しかしながら、尚、同じ思想下にある。日本もそれに迎合した。そしてどうなったか。明らかに腐敗した。そして衆愚の天下となった。あまりにも明らかである。しかし、それを指摘しても詮無きことである。所詮彼らにはわからない。わかるなら、このような馬鹿げた世の中にはなっていなかった。何が蔓延ったか。ここまで、人間は愚かであったのか。知的階層もそうである。身分に安住することで傍観した。そして自分で自分の首を絞めあっている。打開策はないのか。ある。それは何か。新たな自由世界を作るのである。もはや腐った世界に未練はない。あらゆる諸価値の復活である。即ち、大ルネッサンスである。その時を迎えたのかも知れない。既に腐敗した者たちには、申し訳ないが、そのまま腐敗を担いで貰うしかない。そして、恐竜時代にほ乳類が密かに選択したように、新たな時代を選択する必要があるのであろう。それが、命の絆であろう。人類は人類として幸福を目指した。しかし、自らのDNAまで破壊した。放射能と合成化学物質の故だった。これは明らかな失敗である。神は託した。人類として幸せを掴むことを。しかし、それに失敗したと云える。しかし、黄泉の守護する種は遺されていた。それが一切種智慧であった。あるいは、法華経宿王華であった。その開花する時節である。そのためには蓮華の前に化生である。蓮華は泥に咲く。故に、世の腐敗が必要であったのであろう。それはそれで良いではないか。咲く時節を迎えた。本来大和の秘密花である。咲かそうではないか。時は来た。何時か来る約束であった。良い時代である。これより私たちの時代である。既に犯した罪がある。それは償わされる。黄泉の掟である。身心清浄を以て日本の属性とする。しばらくそれを知らない方々の勝手があった。あらゆる解釈が彼らによって成された。武士道も知らぬ者が武士道を批判した。大和魂を知らない者たちが大和魂を批判した。何時までも、その方の勝手、通りはしない。申し訳ないが、魑魅魍魎の時代は終わっていただく。私には解くべき謎があった。それを解くことができた。一人で解けた訳ではない。諸先達に感謝する次第である。仏はすべてを譲る約束である。取って服すべしとする。服させていただいた。そして己を知ったのである。生まれた意味も知ったのである。この人生が何であったかも。偶然はないという。すべて必然であると。私は導かれていた。生まれたときから。そして至ったようである。真実真理を見出した。疑うことは出来ない。乾坤大地の証明するところである。ならば、示し申すべき事がある。疑う事勿れ。これより私は何を為すべきか。それは自分がより自分となることである。開発した周波数をさらに開発することである。怖れるものなど無い。唯、自分を畏れる。どういう意味か。誰も知らない。この世を阿修羅とすることも簡単である。阿修羅となれば、地獄餓鬼畜生が吹き荒れる。すでに畜生の世である。地獄餓鬼に堕ちるのも時間の問題である。今を微分すればその傾向は明らかである。流れを変える必要がある。変えるには力を要する。その力は黄泉の守護を要する。黄泉の守護を取り付けるにはそれなりの条件がある。それを示さねばなるまい。持って生まれた力である。しかし、その開発には修行を要する。少なくとも芥を払うこと三十年。そして学問を要する。私はそれを成就している。無駄に時が流れたのではない。持って生まれた能力も要する。どうしてこのような馬鹿げたことを言わねばならないのか。それほどまでに、世の中は腐敗した。間違った方向に進んでいる。誰かがブレーキをかけなければならない。一人では無理である。心あるべきは立ち上がっていただきたい。未来は明るい。明るい未来を作ろうではないか。夢は実現する。思考は現実化する。何を夢見るのか。何を思考するのか。今こそ夢見るときである。思考するときである。今しかない。何故か。黄泉の守護を取り付けている。宇宙自然生命黄泉が従う希有なる時節である。今しかない。このままでは人類は滅亡する。それほどの時節である。世間は何も知らずに浮かれている。それも仕方ない。彼らには理解できない。理解する者達が立ち上がるしかない。お金は天下の回りものである。現実世界を支配しているのはマネーである。何処に投資するべきか。今、私はお金がない。お金以上のものを探すことにエネルギーを使ってきた。そしてそれを見つけた。それは人類の永遠の願いであった。私は私の使命を果たした。黄泉との契約を果たした。今、必要としているのは何か。マネーの力が人類を救うことを願っている。
「菜根譚」
耳に入るは谷に吹く風の音、心に浮かぶは池に映る月影と思えば悩みはのこらず執着も起こることはない。道義を学んで偏狭に陥らず、風流を楽しんで放縦に流れず、才と徳を統一させて中道をいく人格。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。 (碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.
今日、ロシアから六カ国協議に関して、使節が来日されることになった。すでに世界は一つである。朝鮮民主主義人民共和国の問題は複雑である。場合によっては、日本が分割されていた。アメリカが敢えて原爆投下を急いだ理由の一つは何であったか。だが、日本は古来、黄泉の守護し給う國である。日本の世界に於ける使命がある。それは何か。それを果たすために条件がある。世界で最も安全な文明文化国家を取り戻す。今も昔も黄金の國である。戦後六十年、或いは、ペリー来航以降失われていた日本の価値がある。ところで、企業の勝手がある。日本の工業力の基礎は町工場の熟練にあった。しかし、企業は国際競争力を理由に、海外へ工場を移転した。国内に於いては、人件費を理由に外国人労働者を多く導入した。何を意味しているか。国際潮流の故か。しかし、外国人犯罪が増えている。それに対して、それで利益を得ている企業は責任を取らねばならないのではないか。何処に責任を転嫁しているのか。何処に犠牲を強いているのか、その一端である。庶民の生活が犠牲になっていないか。企業も、日本国籍であり、国家の保護の利益を得ている。貪るだけであるか。利益至上主義が如何に庶民に犠牲を強いているか。派遣労働の問題もそうである。勝手が過ぎよう。計上していない利益がある。帳尻が合っていない。銀行もそうである。庶民から奪ったものが大きすぎる。それを知恵と思ったか。裏で何をしてきたのだ。黙って時が過ぎれば時効とでも思っているのか。銀行の利益の実体は何か。庶民を泣かせた結果であろう。のうのうと善人面して貰っても困る。商行為であるかぎり欺罔がある。真実のバランスシートは天に記録されている。欺けはしない。