世界は君を見捨てない
【2008/05/27】
- そして気づいた。仏法では不傷害の徳をいう。人を傷つけてはいなかったか。故に傷つけられた。傷つけないことだ。傷つける、傷つけないは内面のこととなった。傷つける側は気づいていない。傷つけられる側は黙って耐えている。勝ったと思った瞬間、相手を傷つけていた。やがて自分も傷つけられる。このメカニズムから逃れる必要があるね。デリケートなところだ。ナイーブなところだ。どう生きるべきか。紆余曲折はまだまだある。野蛮からの脱却。永遠のテーマとなった。やさしさとは何だったのだろう。21世紀。新しい時代だ。これまでの常識は全て古いコートとなった。コートを脱がすのは北風ではない。暖かい太陽の日射しである。自己利益追求が反省される。カルバンは間違いだった。他人の利益を優先させることができるかどうか。廻転の流れを信じて。或いは情けは人のためならず。人生とはどういうことだったのか。この世に何故生まれていたのだったか。考える頃となった。日々が流れていく。その日々に何を思うのか。思考は現実化する。何故だったのか。潜在意識がある。これは24時間働いている。夢を見るよね。それが正夢である理由は何故だったのか。現実だけが事実ではない。見える世界と見えない世界がある。黄泉に受容祝福されるとはどういうことだったのか。その時、神風が吹くか。隻手の音を聞けば何をしても良い。聞かない裡は何をしても駄目だ。白隠禅師のいうところである。これが自信の内容である。本当の幸せとは何だったのか。お金ではなかった。幸、不幸の原因は何か。人間関係だ。つまりよい人との縁だったのだ。世の中は錯覚している。何をしているのだろうね。何をして来たのか。今、お金持ちであるということはどういうことか。それぞれ胸に手を当てて、自らの潔白を証明できるか。それで天が認めるとでも思うか。知る頃となった。はじめに言葉ありき。何気なく使った言葉が相手の心に突き刺さる。相手もそうした言葉を投げてくる。さて、どうなるのだろうね。何時も原因はささいなことだ。それが大きくなってどうにもならなくなる。殊の外、言葉遣いに用心する時節となった。身を護るためである。やさしい言葉とは何だったのか。偽善では通用しない。メッキは剥がれる。そうした人生を送っていないか。メディア関係者は特にそうである。罪は重いよ。何を広めたのだろうね。そして世の中はどうなったか。責任をとらねばならないね。ゆるしてはもらえないね。そうした自覚はまだないのかな。それでも日本の男はこれで良いと思っているのかな。投げかけられた刃の言葉をどうするか。それを身に受ける必要はない。上手に受け流せばいい。決して構わないことである。するとどうなるか。その言葉は発した相手を突き刺す。これが秘法必殺ツバメ返しである。ご用心。他にも秘法はあるよ。究極は何だったのだろうね。それはね、「人間自ら出づること能わず、唯善業の因縁より出たり」。それは何処にあるのだろうね。探すしかないね。知っている人がいたら聞くが良い。謙虚になって、素直な心で。仏は宜しきに従って法を説く。どういうことだろうね。結局自分次第だよ。そして悪人正機説ってのがあるね。どういうことだろうね。人間である限り、悪人だよ。善人だなんて思ったら、それは思い上がりであり、勘違いだ。だからといって、悪道が人生ではない。この世は何だったのか。何故生まれていたのか。どのように生きるべきだったか。時は来た。年貢の納め時である。草鞋銭が請求される。あの世に逝ってのことではない。現世に於いてである。何故か。一箇の自覚があったからである。本来の日本が目覚めたからである。容赦ない。真実の世界はある。それは何処にあったのだろうね。心だよ。最終最後最大の敵は何だったか。心だよ。失われた三十有余年、無駄ではなかった。掴むべきは掴んだ。笑顔で全て解決する。本来の笑顔は軽薄な笑顔ではない。そしてそれが通用しない相手もいる。何時までも軽薄な世ではない。この辺りでやり直しとなった。何を根拠に勝手し来たる哉。黄泉はゆるさじ。さて人生とは何だったのか。決してクイズではない。個々の問題解決であり、それがビジネスの目的ともなる。新たな問題を作ることが目的ではない。情報を集めて分析するのは何故だったのか。ターゲットを決めるためである。ターゲットは何だったのか。個々の問題だった。それを解決することをサポートする。利益追求ではない。利益追求が世の中をおかしくした。利益のためであれば手段を選ばない方々の支配する世となった。テレビで大きなことをいっている方々はそうした閥である。そしてそれが一人歩きしている。あなた方に負けるわけにいかない理由がある。掴んでいるものが違う。信念が異なる。価値観が異なる。今に解る。何時までも考え方に於いて庶民を餌食には出来ない。或いはさせない。さて、新しい仕事が見つかったようだ。やっと確信に至った。それはどのような仕事であるか。個々の問題解決の専門職である。その名は何か。独立ディストリビューター。世界が動き始めている。古い常識に固執して乗り遅れないことだ。この指たかれ。みんな幸せになって良い。一人では幸せはあり得ない。幸せもスキルであり、勝ち取るべきものである。ところでトルストイが自らの文芸の芸術性を否定したのは何故だったか。ドストエフスキーがあれほど精力的に書いた理由は何だったのか。それはそれとして、トルストイがこの世で最高の人格表現と絶賛したのがムイシュキン公爵だった。人生は春を迎えて素晴らしい。さて、確信にいたって余裕も出てくる。賓主歴然であるのに、まだ自分の方が正しいと思っていないか。これまでは通ったことも、これからは通らない。何故か。古来大和の秘密がある。相手があれば必ず克服凌駕する。開発するべき力がある。黄泉の受容とはどんな力だったのか。誰も知らない。知っている人は知っている。そして至り得て見える世界がある。まだ解らぬか。彼はいっていた。勝手が過ぎた。彼を怒らせないが良い。これまでの彼とは違う。黙示録の研究でもしては如何かといっていた。しかし大丈夫らしい。この度は善い方へ自覚したらしい。善かったね。しかし彼はいっていた。けじめはつける。馬宿の王子ということがある。彼はいった。彼がどの階層に属し、どれだけの能力がありながら、地に埋没し、何を見てきたか、重要な要素である。そして己を自覚し、自覚した己は何者であったか。二千年来の秘密が解かれた。観念するしかない。彼は何がいいたかったのだろう。今となっては謎である。彼は何を問題にしていたのだろうね。何を粗末にし、裏切ったというのだろうね。もはや思いのこすことはない。この世に生まれた使命は果たしたといっていた。彼は何処かで人知れず生きていることだろう。彼の日々の幸せを祈ろう。点検は終わった。いよいよ出発である。人生は楽しい。楽しい人生が約束されていたはずだった。しかし遠回りしたようだ。そして至った世界がある。地上ヘブンだった。君の人生は正しかった。心から祝福する。その道を歩み通すが良い。幸せが待っている。必ず待っている。君は誰よりも幸せになって良い。それだけの務めは果たしたよ。ご苦労だった。世界は君のためにある。明るく輝く美しい世界が広がっている。莫直に進むが良い。何があっても大丈夫だ。どんな障害も乗り越えることが出来る。正直でいるんだよ。素直な心で生きるんだよ。世間に惑わされては駄目だよ。君の信じる道を進め。世界が待っている。世界は決して君を見捨てはしない。
やさしさを 取り戻してぞ 仕事かな
黄泉の守護する 人ぞ集めん
さらさらと 小川流るる 心地して
君に伝えん 頃の来たるを
この世とは 如何に出来たる 秘密かな
我の仕事に 天の喜ぶ
思い出す 子どもの頃の おだやかさ
この世の果てに 取り戻したり
生まれ来し 思い出遙か 手繰るれば
この真実を 如何に伝えん
時至る 既に処したる 人生を
処断する頃 月はさやけき
喜びの歌